ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

加古川の味、かつめし(28) 牛さんの嘆き(「加古川の味、かつめし(17)」の復習)

2017-11-18 08:27:58 | 加古川の味、かつめし

 今日、綾南公民館で、綾南新喜劇による「かつめし外伝」が上演されます。

 牛さんが、「肉」にされるのを嫌がる場面も上演されるようです。どういう演劇なるのでしょうか。楽しみです。

 今日の記事は「加古川の味、かつめし(17)」で取り上げた場面です。復習をしておきます。

    戦争で神戸肉の生産もストップ

  ・・・戦前から神戸ビーフは有名でしたが、戦争のため生産がストップしてしまいました。

  加古川は、神戸に代わる肉の生産地となりました。

  その一拠点が志方ともう一か所が加古川肉の生産拠点になりました。

  場所は、現在のシルバーセンター(加古川市加古川町)のある周辺です。・・・

     肉は、加古川で生産

 当時(戦後間もないころ)は、農業が中心で、農家は労働力の大切な一部として、たいてい牛を飼っていました。

 ですから、容易に牛肉の生産はできました。

 業者が農家から牛を買い、それを処理場に持って行き、製品にして神戸を中心に送り出しました。

 もちろん、食をあずから大切な仕事ですから、処理場には専属の獣医さんが常駐して、牛の健康状態、製品の品質、等級の分類など厳格に行われていました。

 当時の方に聞いた話では、処理場に連れてこられた牛は、自分の運命を察してか、処理場の入口に来ると「モー、モー」と声を出して鳴き、なかなか入ろうとしなかったそうです。

 業者の方たちが処理場の入口に慰霊塔を建立し、年に一度供養祭を行っていました。(no3784)

 *写真:戦後間もないころの加古川での放牧風景(前方の高い山は高御位山)

 ◇きのう(11/17)の散歩(10.668歩)

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