タイム―ルは、清子さんにプロポーズ
清子さんは、稲美町向山の農家に生まれました。
満2歳の時でした。
お父さんが急死し、その後母親・しげのさんは清子さんを連れて、神戸に住む大工の大山勘治さんに嫁ぎました。
勘治さんは、まじめな人でした。
でも、家系は苦しくて、年頃になった清子さんは、神戸市内のダンスホールへダンサーとして働きに出るようになりました。
そして、タイム―ルは彼女を見そめ、プロポーズをするまでになりました。
この段階で、タイム―ルは、元オマーンの国王であるということを清子さんに伝えていません。
周囲もそのことを知らなかったようです。
当時は、国際結婚も少ない時代でした。それに19歳と42歳という歳の差があり、両親は、はじめタイム―ルとの結婚に反対していました。
が、タイム―ルの熱心さに押され、二人の結婚を認めました。
清子さんとタイ―ムール、明石で挙式
タイム―ルは、昭和11年日本での永住を決意し、5月5日に明石で純日本式で挙式を行いました。
タイム―ル42才。清子さんは19才でした。
その後、家財整理のためいったん帰国し、9月再び来日しました。
昭和11年9月18日付けの大阪毎日新聞は「アラビヤの豪族愛人の懐へ帰る みなと神戸娘朗らか‐契りは固し」という見出しで大きく報じています。
次回の「オマーン国王夫人物語」ではこの大阪毎日新聞の記事を紹介することにします。
この段階でも、清子さんおよび家族、新聞記者たちにタイム―ルが元オマーンの国王であったことは知らされていませんでした。
これは、当時の国際情勢にあったようです。オマーンは、イギリスと同盟関係にあり、日本はイギリスと敵対していたことにあったようです。(no3774)
*写真:清子さん(結婚式当日の写真)とタイムール元国王
◇きのう(11/5)の散歩(11.696歩)