ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

オーマン国王夫人物語(9) 清子さん、タイム―ル元国王と結婚

2017-11-06 08:59:39 | 江戸時代、高砂の商業活動

   

    タイム―ルは、清子さんにプロポーズ

 清子さんは、稲美町向山の農家に生まれました。

 満2歳の時でした。

 お父さんが急死し、その後母親・しげのさんは清子さんを連れて、神戸に住む大工の大山勘治さんに嫁ぎました。

 勘治さんは、まじめな人でした。

 でも、家系は苦しくて、年頃になった清子さんは、神戸市内のダンスホールへダンサーとして働きに出るようになりました。

 そして、タイム―ルは彼女を見そめ、プロポーズをするまでになりました。

 この段階で、タイム―ルは、元オマーンの国王であるということを清子さんに伝えていません。

 周囲もそのことを知らなかったようです。

 当時は、国際結婚も少ない時代でした。それに19歳と42歳という歳の差があり、両親は、はじめタイム―ルとの結婚に反対していました。

 が、タイム―ルの熱心さに押され、二人の結婚を認めました。

     清子さんとタイ―ムール、明石で挙式

 タイム―ルは、昭和11年日本での永住を決意し、55日に明石で純日本式で挙式を行いました。

 タイム―ル42才。清子さんは19才でした。

 その後、家財整理のためいったん帰国し、9月再び来日しました。

 昭和11918日付けの大阪毎日新聞は「アラビヤの豪族愛人の懐へ帰る みなと神戸娘朗らか‐契りは固し」という見出しで大きく報じています。

 次回の「オマーン国王夫人物語」ではこの大阪毎日新聞の記事を紹介することにします。

 この段階でも、清子さんおよび家族、新聞記者たちにタイム―ルが元オマーンの国王であったことは知らされていませんでした。

 これは、当時の国際情勢にあったようです。オマーンは、イギリスと同盟関係にあり、日本はイギリスと敵対していたことにあったようです。(no3774

 *写真:清子さん(結婚式当日の写真)とタイムール元国王

 ◇きのう(11/5)の散歩(11.696歩)

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