ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

オーマン国王夫人物語(6) 日本とオマーン交渉史(2)、志賀重昻・国王との出会い

2017-11-03 06:47:54 | 江戸時代、高砂の商業活動

    日本とオマーン交渉史(2) 

       志賀重昻、オマーンへ入る

 志賀重昻(しがしげたか)は、大正13(1924) 228 日、インド、イラン経由で日本人で初めてオマーンに入りました。

 首都マスカットは、ギラギラとしタ太陽の直下にありました。

 マスカットを訪れる人は、誰もが焼けつくような暑さと、人の入国を拒むようなあの峩々たる岩山に圧倒されるといいます。

   国王(タイム―ル)との出会い

 前号で国王と志賀の出会いを少し紹介しましたが、彼の著書『知られざる国々』から国王との話し合いに至る経緯を付け加えておきます。

 

 ・・・志賀は、ダメとは思いながら、王様に遭うために王宮に出かけました。

 志賀は、衛兵に名刺を差し出しました。

 しばらくして、地位のありそうな人が現れました。後でわかったのですが、その人は、市内の有名な商人でした。

 彼に、片言の英語で、「私は日本人で、せっかくオマーンに来たので一度国王殿下にお会いしたい・・・」と告げました。

 2・3分が経ちました。

 彼は、こういうのでした。

 「国王に、志賀の訪問を告げましたが、喜んで会う・・・」というのです。

 さすがの志賀も話の成り行きに驚きました。

 王宮に案内されました。奥まったところに普通のアラビア人よりは色の白い、髭を蓄えた人物が純白の絹布をかぶり、素足のまま悠然と西洋婦人のように座っておられたのです。

 『ヒズ・マジェスティー』と紹介されました。

 まさに、オマーン国王(タイム―ル王)が彼の前におられるのです。

 私は敬礼すると、王は微笑むように、手招きしてソファーに坐せよ、といわれたので座りました。

 王は、『(遠い日本から)よくここまで来てくれました・・・』と志賀をねぎらうのでした。

 これが、オマーン人(国王)と日本人の最初の出会いの風景でした。(no3770

 *写真:オマーンの首都・マスカットの旧市街地と背後の山

 ◇きのう(11/2)の散歩(12.500歩 )

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