タイム―ル、神戸へ立ち寄る
退位したタイム―ルは、幾度となく世界漫遊の旅に出かけています。
タイム―ルは、昭和10年(1935)の船旅の途中、神戸に寄りました。
そのいきさつについて朝日新聞社の記者・下村満子さんは、神戸新聞を引用されています。
・・・15前、友人が日本から来て、私の心を魅惑せずにはおかないようなみやげ話をしてくれてからというものは、私はものすごい日本熱にうなされてきた。
しかし昨年5月、ついにこの少年らしい憧憬が満足されたのである。
が、今年もまた、矢も楯も堪えられなくなりやってきた。
日本の中で神戸が一番気に入った。・・・
この神戸新聞の「15年前、友人が日本からきて・・・」の部分に注目してください。
下村さんは、この日本の友人こそ志賀重昻(しがしげたか)であろうとされていますが、これは間違いのないと思われます。
神戸での運命的な出会い
そして、タイム―ルの日本での優雅な暮らしぶりは、たいそう有名な話になっていたそうです。
タイム―ルは、ダンスが大好きでした。、
当時神戸の生田区にあった「キャピトル・ダンスホール」に毎晩のように通いました。
お金のつかぃぶりも派手で、日本人の1ヵ月のサラリーを一晩で使っていたほどでした。
そこで、稲美町出身のダンサーの清子さんを知ることになります。(no3773)
*写真:清子(後のタイム―ルの夫人・結婚式当日の写真)
◇きのう(11/4)の散歩(15.899歩)