サイード王からカーブース王へ
今日は、すこし、「オマーン国王夫人物語(3)」の復習をします。
・・・前国王・サイード国王は、外国で教育を受けた知識人でした。
が、国民に「金を与えず、教育をあたえず、外の世界をみせない」ことが権力を保つただひとつの方法だと信じていました。
そして、自分に批判的な息子のカーブース皇太子まで軟禁状態にしてしまったのです。
オマーン国民は次第に不満をつのらせてゆきました。
1970年7月、サイード王の一人息子のカーブース皇太子はクーデターをおこし、父から王位を奪取しました。
開明的なカーブース王
こうして、オマーンの暗黒政治の時代は終止符を打つことになりました。
新しく王位についたカーブースはブサイナ姫にとっては甥にあたります。
その後、若いカーブース(現国王)は、国民の支持を得ながら、失われた時代を取り戻すべく、今全力を挙げて近代化をという課題に取り組んでおられます。
王位を奪われた父・サイードは、その後ロンドンに亡命しましたが、2年後の1971年に病気で亡くなりました。
カーブースは、父サイードの保守的な政策とは正反対開放的、進歩的な政策を打ち出しておられます。
ブサイナ姫は、日本人にはもちろんオマーン人にとっても秘密のベールに包まれていました。
時代は変わり、民主的になりつつとはいえオマーンは回教国です。男性の記者は、ブサイナ妃に直接会うことはできません。
ブサイナ姫のことを知った朝日新聞社は、女性記者・下村満子さんをオマーンに派遣しました。
幸い、オマーンの要人・ブサイナ姫の後見人であり、異母兄である元オーマン国首相のターリック殿下と連絡を取ることができ、ブサイナ姫との面会が可能となったのです。(no3778)
*写真:現国王のカーブース王
◇きのうの散歩:(4.476歩)‐お見舞いのため京都に出かける‐