日本とオマーン交渉史(1) 志賀重昻
唐突ですが、地理学者の志賀重昻(しげたか・写真)が登場します。
志賀重昻は、日本とオマーンの交渉史では特記すべき人物です。
少し、彼について紹介しましょう。
志賀重昻は、文化三年(1863)に現在の愛知県岡崎市で藩士の長男として生まれました。
後に上京し東京帝国大学に入学するのですが、明治13年(1880)に札幌農学校転じ卒業しています。
その後、政治運動に身を投じ、衆議院議員にも当選しましたが,明治37年落選し、政界から引退しました。
志賀は、札幌農学校時代から登山と旅行を愛好し、各地を旅行しました。
調査をふまえた叙述の『日本風景論』を著し、多くの読者をひきつけました。
また、明治43年(1910)、ヨーロッパ・アジア・南北アジア・アフリカに旅立ちました。
志賀は、大正12年(1923)12月に第3回目の世界旅行に出発し、オマーンを訪れたのはこの時でした。
志賀は、この時幸運にも国王タイムールに出会い、直接話をする機会を得ました。
この時の会談が、その後意外な進展を見せます。
意外な進展の内容は次回です。
石油の重要性を説く
志賀は、『知られざる国々』を著し、次のように書いています。
「・・・志ある士は一人でも多く、一日にても早く回教系諸国・・・インド以西のアジア諸国、アフリカ北岸諸国・・・を視察し、もって来るべき世界的関ヶ原における日本の去就進退につき十二分の予備知識を博されんことを望む・・・」
すなわち、日本は、きたるべき世界戦争に備え、石油の生産国との交渉の重要性を説いています。まさに、第二次世界大戦を予期したかのような記述です。
〈蛇足〉
私の部屋に黄色くなった『知られざる国々(滋賀重昻著)』(日本評論社)があります。
昭和18年に発行された本で、定価二円八銭の本です。
先日、3000円で購入した本です。(no3769)
*写真:志賀重昻(「ウィキぺディア)より)
◇きのう(11/1)の散歩(11.147歩)