日本を訪れたタイム―ルの長男サイード王が後に閉鎖的な圧制を敷いた専制君主になるのですが、この時はまだ、若く聡明な国王でした。
*前国王サイ―ドの政治については『オマーン国王夫人物語(3)・鎖国時代から近代化へ』をご覧ください。
短かった幸せな生活
タイム―ルが神戸に300坪ほどの土地を買いスイートホームの建設に取りかかりました。
ここに、「二人の愛は永遠のもの、ここを永住の地と定める」といった意味のアラビア語の文字を刻みこみました。
このころが二人にとって一番幸せな時でした。
しかし、幸せなときは長く続きませんでした。
清子さんが結核に侵されたのです。このころ結核は不治の病として恐れられていました。
タイム―ルは、清子さんを立派な病院に入れました。
しかし、病状は悪くなるばかりでした。
タイム―ルは困惑してしまいました。
タイム―ル、一時神戸を離れる
「このままでは、ブサイナ姫や自分に病気が移ってしまう・・」と考えたタイム―ルは、一時日本を離れることを決意しました。
姫は、とりあえず清子さんの母が預かることになりました。
その後、インドのボンベイに落ちづいたタイム―ルと清子さんの間には、何通もの愛の手紙が交換されています。
この手紙は、後に見つかりました、後日、その一部を紹介することにします。
タイム―ルが日本を離れて間もなく、昭和14年11月、清子さんはこの世を去りました。23才でした。
清子さんの死後いったんタイム―ルは日本へ帰りお墓(写真手前左端の墓)を建立した後、ブサイナ(当時3才)とともに日本を去りました。
太平洋戦争の始まる直前のことでした。(no3777)
*写真:清子さんの墓碑(県立東播磨高校の前の墓地)
◇きのう(11/8)の散歩(11.566歩)