ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

新野辺を歩く(53):加古川市との合併④・合併なる

2012-08-24 00:11:19 |  ・加古川市別府町新野辺

 加古川市との合併決まる

高砂町との合併は、高砂町を中心にしたものであり、はじめから別府町としては気乗りがありませんでした。

 二見町は、袂をわかって明石市へ去ってしまいました。

 そして、阿閇村(現:播磨町)は孤立路線を選択しました。

別府町としては、孤立路線をとるか、加古川市との合併話を進めるかの選択肢が残されるだけとなりました。

  

  別府港改修問題

D5d74994  こうした中で、突然の転機が訪れました。

 別府町は、かねてから国や県に別府港の改修を陳情していました。それが認められたのです。

 しかし、総工費は三億円と見積もられ、地元負担は25分でした。

 別府町の負担は、7500万円となりました。別府町単独では至難の事業でした。

 この時、加古川市長から別府町に「・・・合併を考慮にいれずとも、地方発展のため相互援助を期し、税外収入の道を計り、極力協力したい・・・」との申し出がありました。

 この「別府港改修問題」をきっかけに、加古川市との合併問題は急展開しました。

 なお、両市町村は、阿閇村に対しても合併の話しかけを行ったのですが、阿閇村は加古川市との合併を選びませんでした。

 かくて、別府町は、加古郡の他の町村に遅れること1年余、昭和26年(1951)101日加古川市と合併しました。

 昭和26101日、別府町新野辺は、加古川市別府町新野辺となりました。

 整理しておきます。

 ・明治2241日 別府村・新野辺村・西脇村は合併して別府村となる。

 ・昭和3115日 別府村は別府町となる。

 ・昭和26101日 別府町は加古川市と合併する。

*写真:別府町・加古川市合併調印式(『加古川・高砂の100年』(郷土出版社)より

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