新野辺の海岸の風景はずいぶん変わりました。
むかしは、松林がどこまでも続く美しい海岸でした。この海辺の松林に次のような伝承が残っています。
上人山(しょうにんやま)
むかし、浜ノ宮中学校のから南いったいは、松林でおおわれた砂丘(さきゅう)で、人々から上人山(しょうにんやま)と呼ばれていました。
林の中の小高い砂丘に五輪塔がありました。
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上人さんと呼ばれた坊さんが住んでいました。
坊さんは、自分の死が近づいたことを悟ったとき、「私は生きたまま成仏したい。私の打つ鐘の音が聞こえなくなったら、成仏したと思ってもらいたい」といい残し、少しばかりの食料と水を持って、鐘を打ちながら土にうもれながら最後の念仏を唱えていました。
それから四十日ほどがたち、鐘の音が聞こえなくなりました。
坊さんは、亡くなりました。
その場所に塚と五輪塔(ごりんとう)を建てました。
上人山の塚や五輪塔にさわると、頭が痛くなったり気分が悪くなったので、たたりを恐れて誰も手を触れなかったといいます。
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第二次戦争後、このあたりは開発が進み住宅地となりました。
その時、塚は削り取られ五輪塔(写真)だけが残されました。
現在、民家(大田邸)の庭の奥にありますが、元はもう少し西あったとも言われています。
*室町時代中期の五輪塔です。