ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

新野辺を歩く(28):幻の三ヵ寺

2012-08-01 07:21:43 |  ・加古川市別府町新野辺

699c5313今日の話題は「新野辺を歩く(25)・正覚寺」の続きとしてお読みください。

かつて、新野辺村に3ヵ寺があったことを明細帳で確認しておきます。

  まぼろしの三ヵ寺

右の古文書は、新野辺村の寛延三年(1750)の明細帳の一部です。

解読文は下記のようです。

この明細帳から新野辺村には寛延三年にいずれも浄土宗の末寺であった円福寺・正覚寺・長谷寺があったことを知ることができます。

これら三ヵ寺は、どんな寺であったかよくわかりませんが、寛延三年にはすでに無住になっていました。

寺の管理・修復も新野辺村の責任の寺でした。

寺のあった場所を確認しておきましょう。

円福寺は、新野辺集落の薬師堂がありますがその場所です。

正覚寺は、「新野辺を歩く(25)」で紹介したように、新野辺住吉神社の東に隣接する地です。

長谷寺は住吉神社から南へまっすぐに行きった旧浜国道に突き当たるあたりに地蔵堂があります。

その、地蔵堂がかつての長谷寺のあった場所です。

余話になりますが、そのあたりに長谷川姓が多いのは長谷寺に由来するとする説もあります。

  寛延三年新野辺村明細帳より

(解読文)

           小本寺長砂西方寺末寺

一 御除地       浄土宗     円福寺無住

   右辻堂境内之内二御座候、自分修復

           小本寺右同寺

一 御除地       浄土宗     正覚寺無住

御証文無御座候、境内之内二少々御年貢地御座候、自分修復

           小本寺右同寺

一 御除地       浄土宗     長谷寺無住

   御証文無御座候、自分修復境内之内二少々之御年貢地御座候

コメント
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