河合道臣(みちおみ-後の河合寸翁・すんのう)は姫路藩の家老である。
藩主・酒井忠道(ただひろ)の文化5年(1808)、藩には、73万石の借金があった。
彼は、木綿に着目し、姫路藩の財政改革に取り組み、みごと借金ゼロを成し遂げたのである。
当時、姫路綿(布)の主な送り先は大阪であったが、買いたたきがひどかった。寸翁は、綿を藩の専売品として、江戸への直送する方法をとった。
勿論、さまざまな妨害があった。これについては、小説「姫路城・凍って寒からず(寺林峻著)」(東洋経済)を読んで欲しい。
幕府の方針もあり、直送は困難をきわめた。しかし、綿密な調査・江戸問屋や幕府役人への説得により、文政6年(1823)やっと江戸への木綿専売が認められた。
これには、「藩主・忠学(ただひろ)の妻・喜代姫(きよひめ)が将軍・家斉(いえなり)の娘であったためでもあった」ともいわれている。
ともかく、姫路綿の江戸での販売は好調で、藩の借金は、短期間に返済し終えた。全国的にも、珍しい例である。
この、姫路木綿の原料の木綿のほとんどは、加古川地方で生産されていた。
◇明日は、加古川地方の木綿問屋について◇
*絵は河合寸翁(鈴木其一筆)