正和5年(1316)の「報恩寺の文書」に、「播磨国印南荘屏村(へいむら)」とある。
印南荘(奈良・西大寺の荘園)には屏・都染・益田などが含まれており、屏とは平で、後に平之荘(へいのしょう)と呼ばれ、平荘町の語源にもなっている。
とすれば、平荘は「へいしょう」と読むのが自然である。交差点の案内板(写真)を見て欲しい。ローマ字で「Heisocho」とあり、「へいそうちょう」と読ませている。
市役所で正式な読み方を訊ねてみた。
読み方は、「日本行政区画便覧によって、それぞれへいそう・かみそうと読むのが正式である」との答えであった。
平荘小学校に訊ねると学校名は「へいそうしょうがっこう」であり、上荘小学校に問い合わせると「かみしょうしょうがっこう」で、校歌も「かみしょうしょうがっこう」と歌っているとのことであった。
住民の方に尋ねても、どちらともはっきりしない。
原因は、昔「かみしょう」「へいしょう」と呼んでいたが、行政が書類・刊行物で「へいそう」「かみそう」と読ませて、徹底しないまま、今に至っているというのが真相ではないだろうか。もちろん、これは勝手な推論である。
歴史的には「へいしょう」「かみしょう」が正しい読み方だと思うのだが・・・