ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

かみそう・へいそう(加古川市)

2006-08-03 06:38:54 |  ・加古川市上荘・平荘町

_123   正和5年(1316)の「報恩寺の文書」に、「播磨国印南荘屏村(へいむら)」とある。

  印南荘(奈良・西大寺の荘園)には屏・都染・益田などが含まれており、屏とは平で、後に平之荘(へいのしょう)と呼ばれ、平荘町の語源にもなっている。

  とすれば、平荘は「へいしょう」と読むのが自然である。交差点の案内板(写真)を見て欲しい。ローマ字で「Heisocho」とあり、「へいそうちょう」と読ませている。

  市役所で正式な読み方を訊ねてみた。

  読み方は、「日本行政区画便覧によって、それぞれへいそう・かみそうと読むのが正式である」との答えであった。

  平荘小学校に訊ねると学校名は「へいそうしょうがっこう」であり、上荘小学校に問い合わせると「かみしょうしょうがっこう」で、校歌も「かみしょうしょうがっこう」と歌っているとのことであった。

  住民の方に尋ねても、どちらともはっきりしない。

  原因は、昔「かみしょう」「へいしょう」と呼んでいたが、行政が書類・刊行物で「へいそう」「かみそう」と読ませて、徹底しないまま、今に至っているというのが真相ではないだろうか。もちろん、これは勝手な推論である。

  歴史的には「へいしょう」「かみしょう」が正しい読み方だと思うのだが・・・

コメント
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