ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

天坊山(加古川市上荘町)

2006-08-02 09:31:30 |  ・加古川市上荘・平荘町

_116   写真中央の山(右の尾根)は天坊山(てんぽうさん)である。名前の由来は分からないが、近くの山角(やまかど)の名刹、報恩寺と関係があると思える。

  報恩寺は明徳2年(1391)、奈良・西大寺の末寺であり、多数の塔頭寺院を擁していたことが知られている。

  昭和43年、天坊山は注目を集めることになった。山頂に関西電力が鉄塔工事をしたが、その途中で古墳が発見されたのである。

  直径16メートルの円墳で古墳時代前期(4~5世紀)の古墳である。

  一基の石室から、壮年男子の人骨が見つかった。その他の出土品は刀・ヤリガンナ槍・くさび形鉄器・鎌・クワ・土師器の壷など多いが、それぞれの量は少ない。東側の石室は一回り小さいが、鏡(画文帯神獣鏡)などを出土している。

  埋葬されたのはこの地域を治めた有力者であろう。それにしても発見された場所は、標高163メートル山頂にある珍しい古墳である。

  *天坊山の所在地は加古川市上荘町小野であるが、写真は上原(かみはら)から見た天坊山。

コメント
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