ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

上原(かみはら・加古川市平荘町)

2006-08-05 05:06:13 |  ・加古川市上荘・平荘町

_104   天文元年(1532)の報恩寺の文書に「薬師堂、鎮守伊和明神、原村有之」とある。

  ここに見える原村は、現在の上原(かみはら)でる。

  志方町に原村があったため、平荘の原は、これと区別するために、明治11年、村名を原から上原に変えた。

  この時、志方町の原村は下原(しもはら)と変わったが、昭和29年、西志方町原は志方町と合併時に元の「原」に戻している。

  それにしても、この時(明治11年)「どちらの村を上とするか」について、おそらく議論が沸騰したことと想像される。詳細はわからない。

  「上原」は、そのまま今日にいたっている。

  元禄前期に、加西郡の鶉野(うずらの)、また池尻村の里からの移住があったとする記録がある。

  上原には神木谷(こうぎだに)、長尾谷(ながおだに)、井ノ谷(いのたに)、仁蔵ヶ谷(にぞうがたに)、西原溝下、西原溝上、タン田、川端と水に関する小字名が多い。

  「権現川」の水や、その他の谷あいの水があった。上原は古くから発達した村である。水害等も少ない土地であった。

  上原古墳がある。この時代にも、ここに人が住んでいた。

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