天文元年(1532)の報恩寺の文書に「薬師堂、鎮守伊和明神、原村有之」とある。
ここに見える原村は、現在の上原(かみはら)でる。
志方町に原村があったため、平荘の原は、これと区別するために、明治11年、村名を原から上原に変えた。
この時、志方町の原村は下原(しもはら)と変わったが、昭和29年、西志方町原は志方町と合併時に元の「原」に戻している。
それにしても、この時(明治11年)「どちらの村を上とするか」について、おそらく議論が沸騰したことと想像される。詳細はわからない。
「上原」は、そのまま今日にいたっている。
元禄前期に、加西郡の鶉野(うずらの)、また池尻村の里からの移住があったとする記録がある。
上原には神木谷(こうぎだに)、長尾谷(ながおだに)、井ノ谷(いのたに)、仁蔵ヶ谷(にぞうがたに)、西原溝下、西原溝上、タン田、川端と水に関する小字名が多い。
「権現川」の水や、その他の谷あいの水があった。上原は古くから発達した村である。水害等も少ない土地であった。
上原古墳がある。この時代にも、ここに人が住んでいた。