ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

里村(加古川市平荘町)の騒擾

2006-08-16 05:50:47 |  ・加古川市上荘・平荘町

_134   江戸時代も後半になると、村では農民と庄屋の対立がしばしばおきている。里村(加古川市平荘町)にその様子をみてみたい。

  宝暦10年(1760)、明和5年(1768)に里村の庄屋・彦九郎に対し10か条の訴えが藩に出された。二件ともほとんど同じ内容である。

  紙面の都合で一つだけ紹介したい。

  (農民)・・・「村方諸入用はなるだけ簡略にしてもらいたい」と庄屋に願ったが、全く聞いてくれない。

(庄屋)・・・村方の諸入用については年々増額しているが、随分倹約している。村では、7・8人が徒党を組んで、「庄屋が使い込んでいる、生活の困窮しているものに返せ」と偽りを触れ、村方をそそのかしている。

  この騒擾の詳細は「加古川市史(二巻)」p442~9を参照されたい。

  享和元年(1801)にも庄屋は農民から追求を受けている。里村では、庄屋と農民の騒動が40年も続いている。

  この騒擾から、庄屋の仕事内容、村政と農民の生活、そして農民の関心ごとなどを知ることができて興味深い。

《里村》

  天文元年(1532)の「報恩寺文書」に里村の名前がある。それより以前にできた古い村である。観音寺(写真)には石棺仏、家型石棺の蓋がある。

コメント
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