どーも、ワシです。前回の額付川第2砂防堰堤からさらに上流に進んだところで、ふと山側を見ると木の間に堰堤らしきものが…。しかも比較的大きなものが3つも!これは見ないわけにはいきません。早速近づきます。
白色の堰堤の間に黒色のそれがサンドウィッチのように並んでいます。
まずは最下段を見学。一応これも透過型の堰堤で、申し訳程度に鋼製スリットが並んでいます。
本体に嵌め込まれたプレート。「ヌスビト沢 第5号 鋼製スリットダム」。令和元年(2019年)に築造。
鋼製スリットがなんだか寂しそう。
上流を見ると、「黒い奴」がすぐそこに…。
下流側を眺めます。これを下っていくと額付川に流入します。
続いて、「黒い奴」に近づきます。なんとか落水部近くに来ましたが、木が生い茂っていてイマイチ。
本体に嵌め込まれたプレートを発見。昭和45年度の額付復旧治山事業によるもので、名称は「No.1 コンクリート谷止」。いやいや、谷止工にしては大きすぎます。砂防堰堤と呼んでも良いくらい。
「黒い奴」の堰堤を左岸から見るとこんな感じ。
さて、いよいよ最上段に位置する「主役」の登場です。これは先の二つに比べると桁違いにデカい。
近づいて堰堤の下から見上げます。
そこから下流側を見るとこんな感じ。
右岸側に移動し、そこから見た様子。
本体の右岸側にプレートが嵌め込まれています。「ヌスビト沢 第2号 コンクリート谷止工」。これも令和元年に築造されたもののようです。いやいや、どこが谷止工やねん!立派な砂防堰堤ですってば。
右岸の横から見た様子。中央へ進んでみます。
中央の落水部の様子。
そこから上流方向を眺めます。相当な崩れっぷりです。
下流側を見下ろします。「黒い奴」も頑張って土砂を凌いでいますね。でも限界のようです。
右岸、上流側から見た様子。これも、もう限界に近い状態でいつ決壊してもおかしくないですね。
これらをまとめると、位置関係は以下のようになります。
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ヌスビト沢 第2号 コンクリート谷止工(2019年)
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No.1 コンクリート谷止(1970年)
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ヌスビト沢 第5号 鋼製スリットダム(2019年)
ここからわかるのは1970年にまず「黒い奴」が築造され、その後なんらかの土砂崩れが発生したため2019年に「第2号」と「第5号」が建設されたという事実。それにしても、第2号、第5号と記されているということは第1、第3、第4号もある(あった)んですかね。土砂崩れによって消失してしまったんでしょうか。さらに気になるのは「ヌスビト沢」という名称。この沢沿いにかつてヌスビト(盗人)が住んでいたんでしょうかね。由来が知りたいなあ。
白色の堰堤の間に黒色のそれがサンドウィッチのように並んでいます。
まずは最下段を見学。一応これも透過型の堰堤で、申し訳程度に鋼製スリットが並んでいます。
本体に嵌め込まれたプレート。「ヌスビト沢 第5号 鋼製スリットダム」。令和元年(2019年)に築造。
鋼製スリットがなんだか寂しそう。
上流を見ると、「黒い奴」がすぐそこに…。
下流側を眺めます。これを下っていくと額付川に流入します。
続いて、「黒い奴」に近づきます。なんとか落水部近くに来ましたが、木が生い茂っていてイマイチ。
本体に嵌め込まれたプレートを発見。昭和45年度の額付復旧治山事業によるもので、名称は「No.1 コンクリート谷止」。いやいや、谷止工にしては大きすぎます。砂防堰堤と呼んでも良いくらい。
「黒い奴」の堰堤を左岸から見るとこんな感じ。
さて、いよいよ最上段に位置する「主役」の登場です。これは先の二つに比べると桁違いにデカい。
近づいて堰堤の下から見上げます。
そこから下流側を見るとこんな感じ。
右岸側に移動し、そこから見た様子。
本体の右岸側にプレートが嵌め込まれています。「ヌスビト沢 第2号 コンクリート谷止工」。これも令和元年に築造されたもののようです。いやいや、どこが谷止工やねん!立派な砂防堰堤ですってば。
右岸の横から見た様子。中央へ進んでみます。
中央の落水部の様子。
そこから上流方向を眺めます。相当な崩れっぷりです。
下流側を見下ろします。「黒い奴」も頑張って土砂を凌いでいますね。でも限界のようです。
右岸、上流側から見た様子。これも、もう限界に近い状態でいつ決壊してもおかしくないですね。
これらをまとめると、位置関係は以下のようになります。
ここからわかるのは1970年にまず「黒い奴」が築造され、その後なんらかの土砂崩れが発生したため2019年に「第2号」と「第5号」が建設されたという事実。それにしても、第2号、第5号と記されているということは第1、第3、第4号もある(あった)んですかね。土砂崩れによって消失してしまったんでしょうか。さらに気になるのは「ヌスビト沢」という名称。この沢沿いにかつてヌスビト(盗人)が住んでいたんでしょうかね。由来が知りたいなあ。