反対意見続出にマジ切れしたMr.サマータイム

2005-05-31 09:34:32 | 市民A
36468b9d.bmp先週後半、品川でサマータイムの講演会があった。講演するのは東大名誉教授で生活構造改革フォーラムの茅陽一氏(肩書き多数)。講演は1時間15分。その後が質疑の予定だ。後援は日本経団連。

講演は、「京都議定書」の周辺状況から始まる。政府の目標をブレークダウンしていくと、家庭部門が大きな問題であることが主張される。まあ、1990年には存在しなかった大型テレビやパソコンやら乾燥&洗濯機など次々に新製品は登場する。そして、このあたりが後半の枕になっているのだが、後で考えれば不要な時間だった。誰も省エネに反対しているわけではないからだ。

そして、肝心のサマータイム問題では、推進派の茅先生の主旨は、
1.サマータイム導入すると、ライフスタイルが変わらない限り、省エネ(石油93万Kl分)になる。
2.明るいうちに、帰宅でき、余暇が利用できる。
3.欧米はすでに導入している。
4.治安の向上
5.労働条件は劣悪にならない(はずだ)
6.昭和23年から数年実施されたサマータイム制の廃止は、単に占領軍政策への反発。
7.老人は早起きなので、起きてすぐに活動できる。(老齢化対策か?)
8.滋賀県庁で試験的に導入したら、好評だった。
ということ。

そして、この件は経団連でアンケートを行っていて賛成が64%で反対が29%と言われている。(後述)
アンケートでの賛成理由は、1の省エネと2の余暇利用が非常に多い。

そして、茅先生の講演が終わり、質疑になると、驚いたことに、次々に質問する普通の人たちの意見はほとんどサマータイム反対論。こういう質疑があった。
Q:家の中の多くの時計を合わせなければならないが、大変だ。
A:全部合わせなくても、2・3個だけでいいのではないか。そんなに多くの時計は見てないでしょ。

Q:中緯度国ではほとんどやっていないのでは?
A:ハワイでもやっている。確かに高緯度国の方が効果はあるが・・

Q:切り替え日に外国にいたが、交通事故が多くなる(あわててクルマが飛ばすから)。
A:聞いたことが無い。

Q:首都圏では、限界的通勤をしている人が多く、1時間早くなるのは朝が苦しい。
A:もっとのんびりとした生活が必要。

Q:昭和23年からのサマータイム時には大変あわただしい生活だった。
A:そんなはずはない。

Q:フレックスタイムと整合しないのではないか。
A:フレックスタイムはやめないと・・・

Q:滋賀県庁でうまくできたからと言っても、首都圏の普通の生活とは違うではないか。
A:都会の生活は忙しすぎるのが問題で、そういう問題を考え直す機会になる。

というような話が続いたあげく、先生は切れてしまい、
「反対意見しか出ないのだが、みなさんは省エネに反対なのか?」と怒り出すと、まばらな拍手。
質問者も切れてしまい、
Q:もっと省エネに重要なことを先にやって、こんなケチな話は後にしたら。と笑いを取る。

まあその辺で時間切れとなり、先生は赤い顔になり帰ってしまったのだが、感情的になってもしかたがないので、聞いた話のいくつかを考えてみる。

まず、実際どういう時間になるかというと、7月末の東京で考えると、現状では、日の出は04:50である(確かに、老人が起きる時間だ)。そして日の入りは18:47だ。17:30に会社を出ると、帰宅した時間くらいだ。
それが、サマータイムとなると、1時間前倒しになるため、05:50に日の出となり、日の入りは19:47となる。同じく17:30に退社した場合、18:30頃に帰宅できれば、1時間は照明をつけなくてもいいという考え方だ。逆にエアコン使用電力は増えるらしい。ただし通勤時間が2時間の人は、依然として、帰宅したら夜になっている。

一方、もともと変なのは、「余暇時間が利用できる」と「条件が変わらなければ省エネ」というのは矛盾していることだ。帰ってから、パチンコに行ったり、外食したり、ゴルフを半ラウンド余計に回ったりという新しい1時間は、どこから調達するかといえば、朝の(夜の)1時間をカットしたからに他ならないわけだ。と考えれば、サマータイムはせわしないという話とは合致する。また、通勤時間が1時間でかつ17時半に退社できる人でも、家に帰ると、薄暗く、暑い夕方が待っていると言うことになる。遊びに行きたくなるのは間違いない。結局、経済活動は、より活発になることから、エネルギーは消費方向に向うだろう。さらにそこにはサービス側の労働力が必要になるが、しょせんは夏季限定需要なので、社員増は行わず、残業時間増になるのではないだろうか。

外国がやっているから、というのはまったく気にすることはないだろう。もともと、欧米とは時差が離れ過ぎていて不便なのだから、彼らが1時間早まるということは、日本側の負担を軽減しているわけだ。日本も1時間前倒しする動機としては弱い。

そして、茅先生は24時間営業店舗について、「24時間営業の場合は効果はないが、夜は店を休めばいい」と言っていたけれど、それは問題が違うということ。さらにいえば、夜の方が気温は低いのだから、夜に仕事をして、昼間眠っていてもいいはずだ。昼夜交代勤務制なら会社も学校も役所も数は半分で済む。

つまり、国民が知りたいのは、「本当にどれくらい省エネ効果があるのか?」ということで、その部分に懐疑的なのだ。さらに64%対29%のアンケート結果を入手したのだが、実際は48%が賛成で16%が条件付賛成で、29%が反対で、7%がわからないということ。「条件付で反対」という選択肢がないので、「条件付で賛成」という方を「賛成」に分類してはいけないのではないだろうか。それにわからないと言う人が少なすぎるようにも思える。中間層がなく、賛成か、反対かという二元論になっている。

さらに、労働条件についていえば、正確に時間を管理している会社はいいが、中小企業や、残業時間を労使協定で「定額見なし設定」していたり、大企業でも「日が沈むまでは帰らない上司」とかいると、労働強化になる不安は大きい。

ただし、案外、沖縄のように一旦帰宅してから飲みに行くという生活が定着するのではないだろうか。アジアの夜はどこでも熱い。夜の方が涼しいからなのだが。そんなシンガポールのような町になると省エネの話はどこかへ消えてしまう。

さらに、私見なのだが、日本が本気で京都議定書を守る必要があるのだろうかとまで思ってしまう。日本は省エネの技術を開発する方が有効なのではないだろうか。日本が省エネを実施することによりコスト増で生産力が抑制され、議定書未批准国である米国や中国の生産が増えることは、世界のCO2は逆に増えることを意味するように思えてしまう。

そして、サマータイムを導入すると、経済活動は、逆省エネ方面に活気が出て賑やかな夜になりそうに思うのだが、ダメ業種もある。それは都会のビアガーデンだ。夕暮れまで2時間もあるなら、とても暑いビルの屋上へ直行する気分にはなれない(ビアガーデンが衰退していった件は以前考察したことがある)。すでに希少生物化した業態に、これでとどめが刺されるのであろう。

そして、こわいことに、サマータイム制は今国会に法案が出される寸前で、可決されれば2007年から実施が予定されていたらしいのだが、郵政民営化審議(?)が長引いているので、たぶん、一部の質問者の予測通り、すべてに「後回し」になりそうな状況なのである。
コメント

ZOFFで一本

2005-05-30 09:39:59 | マーケティング
7df5600f.jpg先日、中原透さんのブログで紹介されていたメガネやさんの「ZOFF」に行く。実は、私は普段はワンデイ・アキュビュー(使い捨てコンタクト)を使っているのだが、週末には、なるべくメガネにしている。もちろん角膜を休めるのと、使い捨ては高いから。

ところでメガネとコンタクトにはそれぞれに長所や短所があるのだが、コンタクト派の弱みの一つに、コンタクトだけではなく、メガネも併用するということがある。短時間使うにはメガネは便利だ。そして、ワンデイにたどりつくまでには試行錯誤を繰り返した人が多く、結構、私もメガネには、心を配る。

また、土曜日に月二回の割で小学生低学年を対象とした「こども将棋教室」を開いているのだが、ぺヨンジュン型のメガネをかけていたところ、最近、こどもだけでなく、その母親まで教室にいらっしゃるようになってしまい、ちょっと困ってきた(親子20人を超えると教えるのは難しい)。そして、直接的には、ゴルフ場で火花が出るほどのハードヒットした衝撃でフレームがゆがんでしまったのだ。

ZOFFは現在、全国21店。HPで探して、渋谷マークシティ店に行く。あまり広くない。種類も多くない。しかし、5人位のお客さんがあれこれ探している。そして明朗会計だ。すべて込みで、5,250円(プラ)、7,350円(メタル)、9,450円(チタン)の3種類。紳士服の2プライス店はあるが、それと同じような感じだろう。あまりに安いので、将来必要となる老眼鏡も含めて10年分を買いだめしようかと思ったが、思いとどまり、後で、中原さんに笑われないようにチタン製9,450円にする。フレームを選んでから検眼して、会計して待つこと45分だ(その間はどこかに消えていること)。21店舗でも資本金は2億2千万円とやや大きい。資金繰りに配慮して、現金で払ってあげた。


しかし、この店もどんどん増えていきそうな予感がする。レンズデータを持っていけば、すぐにメタルでもプラでも作ってくれる。ところが、実は同じような価格帯のチェーンもある。「フランクリン」だ。行ったこともある。こちらは、店舗の高級感を高める戦略で、蒲田店ではクラシックが流れていた。案外、ZOFFが増えると、こういうところが苦しくなるのかもしれない。

そして、調べてみると、ZOFF社は、ZOFFの上位店舗も始めていた。「コンソメ」。渋谷に一店だ。こちらは、12,600円から25,200円まで3,000円きざみで5プライス。ZOFF店の価格帯はおかない。結構、正しい戦略なのだろう。正体不明のユニクロプラスよりは戦略が明確だ。そして、将棋教室の母親の数が減ってきたら、次は「コンソメ」の方に行くことにしておく。
コメント

THE ELEGANCE OF SILENCE; 秘すれば花

2005-05-29 09:41:09 | 美術館・博物館・工芸品
6232eb40.jpg現代の我々が「名画」と呼ぶとき、その多くは18世紀、19世紀の画家たちの作をイメージする。あるいは、20世紀の画家の作であっても、作風は古典的な手法のことを指すと思う。20世紀は「戦争の世紀」とも言われ、そのほとんどの期間、世界のあちこちで、戦火は続き、芸術先進国である欧州大陸も陰惨な閉塞感が淀み、また実際に2度の巨大戦争で文化・芸術は死滅しかけた。20世紀の芸術的遺産は、残念ながら前世紀に比べ、不作だ。

そういう意味で西洋的な「現代芸術」を理解するには、相当の困難を伴い、かつ「美術鑑賞」の根源的目的である「快楽感」とは対極の気持ち(不快といってもいい)になってしまう。20世紀初頭の欧州の状況は、「過去否定」「虚無感」「未来予想の困難」という状況の中の産物であるのだ。

一方、現在、六本木ヒルズ・森美術館で開催されている、”同時代の東アジアの現代美術家”の作品は、この地域では現代美術が大衆側に回帰してきていることを示唆している。「秘すれば花」。日本、韓国、台湾、中国。26人の作品が展示されている。アートはキャンバスから飛び出した!というのが実感だ。難しいことばを使わずイメージするなら、小学校、中学校の夏休みの図工の宿題展覧会と言ってもいい(本当に)。私も、図工の宿題をその後も連続的に作り続ければよかった。6月19日まで開催中。

作品は平面的とは限らないので、現物を見てもらうしかないのだが、”アジアの活気”と”明るいメンタリティ”の作品を”手狭にごちゃごちゃ”並べてみれば、そこは”アジアンアートタウン”となる。ちょっと都会の疲れた感じが漂よう作品があったり、地方の農村のカゲをひきずる作品があったり、ただただ混沌をあらわす作品があったりしても、それらが我々の理解の内側にあるのは、完成した作品が成り立つ状況が、まさに現実の現代だからなのだろう。

そして、東アジアの特徴はディジタル文化。今回は映像を利用した作品は少ないが、SONY、SAMSONG、HITACHIなどの薄型テレビがあちこちで使われている。

さて、東京は東アジアの芸術発信地になれるかどうか。個人的には、かなり近づいているのかなって思っているのだが、その一翼はこの森美術館に負うところが大きい。2003年のオープニング「Happiness展」は、その宣言のような展覧会だったのだが、今後も、ずっとアジアンアーティストのサポートを続けてほしいと思っている。

一方、我々にできることは、良質なアートをさがして、チケットを一枚ずつ購入していくことにつきるのだけど。

ところで、本当に芸術の中心地にふさわしい都市には、芸術家達があつまるサロンやアーティストが大勢住み着くアパートなどが集まってくるものだが、東京では、とんと聞かない。もちろん東京都も何ヶ所かに文化発信地をつくろうとしていることは知っている(さすがに知事が芥川賞作家。芸術には目がない)。しかし、たぶん通いのアーティストは集まっても、居住までは難しいのだろうか。なにしろ住むには家賃が高過ぎる。さらに高い家賃を払える人の中からは、芸術家は生まれにくいというトレードオフ関係があるからだろう。その上、アジア系外国人は家を借りるのも困難だ。

知人の美術関係者に「森美術館はアジアに力を入れていて大変にすばらしい」と話をしたところ、ヒトコトで、「館長が外人だから」と一撃された。なるほど日本画壇はギルド社会だったことを忘れていた。そして、この森美術館が外人館長(デヴィッド・エリオット氏)を招聘し、展覧会中心で元気のいい文化発信地になっているのも、ちょっとした伏線があったことを最近、あるビジネス書で知った。

もともと茅場町にあり、親族争いの果て、九段に移転している山種美術館(日本画のコレクション)が、最終的な美術館の移転先をこの六本木ヒルズに決めていたそうだ。しかし、理由はよくわからないが、移転は実現していない。しかし、もし、山種美術館になっていたら(あるいは今後そうなったら)、六本木ヒルズにお似合いなのか、ちょっと考えてしまう。
コメント

霞町物語(浅田次郎)に感動できるか?

2005-05-28 09:42:28 | 書評
a79211a7.jpg浅田次郎に詳しいわけでは、まったくない。だから、「霞町物語」が作者の作品群の中で、どのような位置を占めるのか、先入観はない。自伝的短編集なのだろう。もちろん、自伝ではなく小説らしい書き込みは多い。8篇の連作になっている。そして、冒頭に置かれた「霞町物語」のその冒頭の一節、つまり作者がもっとも頭脳と気合いをつかう部分は、こう始まる。

 霞町(かすみちょう)という地名は、とうに東京の地図から消されてしまった。

霞町が消えたのは、例の町名整理の結果で、霞町のみならず、小山のような歴史的地名が消え去ったのだが、この一節で、「本小説は、思い出物語だぞ」、と読者に宣言をしているのである。そして、ムゲンやミスティが登場し、当時のどうしようもない出口のない東京の若者の苛立ちが、作者の意図の有無にかかわらず、どうしようもなく重複的に綴られていく。シンポジウムの基調演説のような一篇だ。

そして二作目の夕暮れ隋道は、作者お得意の、幽霊ものだ。短編集「鉄道員」は徹底した幽霊物語だが、本篇の幽霊も、「幽霊が出た」というより、「幽霊を呼んだ」という方が近い。そして、話の筋から「そろそろ出そうだ」と予感されるのであまり怖くない。

浅田次郎は安易に幽霊を引っ張りだすが、私は村上春樹の幽霊の使い方の方が好きだ。春樹の幽霊は、深く心の中に沈んでいるだけで、表には出てこない。ただし、ストーリーの底流に、あちら側に行ってしまった人たちからの霊的な引き込みを感じ続ける。まあ、個人的には、幽霊も第三者的に、「あっ、幽霊がいた」と脳天気に驚くという場合も実際あるのだが。

この短編集全体を読み、「勇気凛々瑠璃の色」と比較して、少し気付いたのは、「瑠璃色」はショートエッセイであっても、一作ずつ、起承転結型のイントネーション付きで、読者サービスは十分であるのに、霞町物語ではかなり平坦な書き方になっていることだ。案外、この「霞町」は彼の精神的中心地であり、人工的に加工してはいけない神聖なエリアなのかもしれない。

しかし、少し同意できないのは、彼にとっては霞町から広がる認識世界の外側には、神奈川や千葉といった川向こうがあり、その先には「農業国家」という田舎があり、さらに世界のはじっこには雪に埋もれた北海道の駅舎があるということのように見える点だ。彼に言ってもしょうもない話だが、地方都市(あるいは農村)の側から、東京という暗黒都市を眺めた方が、健全な精神のような気もする。

ところで、小説を離れて、この霞町だが、六本木交差点から渋谷方面へ向って、首都高3号線の下を歩くと自動的に到達する。首都高ができて、一気にみじめな日陰になった場所だ。現在は「西麻布」で、同名の交差点がある。

そして、若干移動したのだが、ピザで有名な「アントニオ」がある(あった)。初代ショート・ショートで有名な星新一先生がご愛用で、著書でもリコメンドしていたので、ずいぶん通ったものだ。隣のテーブルに中尾ミエを見たこともある。そして、ただの「ピザの店」だったアントニオもバブル時代の波乗りに成功し、現在はあちこちに出店し、「高級イタリア料理店」に大昇格してしまった。霞町からの出世物語は浅田次郎だけではないのだ。
コメント

3C時代の次だったのに・・

2005-05-27 09:47:18 | マーケティング
2bcbb5d4.jpg一昨日は、「三低」について書いてみたのだが、この「三X」といって三つならべるのは、古来より日本ではよくある表現だ。「松竹梅」は、日本の熟語だが中国では松竹梅蘭と四つにする。日本では「四」は不吉な数だから、七五三の一つである三になる。

さて、戦後の日本の消費ステージには、最初に「三種の神器」が登場した。洗濯機、炊飯器、冷蔵庫だ。この3種はいずれも、家事を「便利」にするという性格である。いわば、「生活の向上」というレベルだ。

次に登場したのは、「3C」である。クーラー、カラーテレビ、クルマ(カー)だ。よく考えると、生活に「快適」を持ち込む製品であることがわかる。「便利」から「快適」に昇格したわけだ。

次が問題で、私のこどもの頃、小学校の校長が教えてくれた話があった。次は「3P時代」だというものだ。で、3Pとは何だというと、プール、別荘(ペンション)、飛行機(プレイン)ということだ。なるほど、日本人がアメリカ人になれば、そうなったかもしれないが、その時代は来なかったし、今後もないだろう。で、その3Pをよく考えてみると、「欲望製品」であることがわかる。「便利」「快適」から「欲望」に発展するはずだった。まあ、実際、越後湯沢なんか別荘だらけになったのだがあっという間に崩壊した。

それでは、一人当たりGDPでは米国とあまり変わらないのに、なぜ、「欲望製品」の時代が来なかったのかということだが、私見でいえば、日米では、「欲望」の種類が違うのかなって思っているのである。おカネがあったら、飛行機買いますか?庭に穴を掘りますか?

それでは、日本人は、「欲望」という字を知らないスクエア人間ばかりなのかといえば、違うのだろうと思う。これも例にならって3種類並べるとすると、日本人の欲望は、
1.貯蓄、住居方面
2.旅行・レジャー方面
3.コミュニケーション系
ではないだろうか。「薄型大型テレビ(住居)」「デジカメ(旅行)」「DVD録画(趣味)」「新世代携帯(コミュニケーション」などを「新三種の神器」と呼ぶなら、まさに消費者は日本的には、「欲望」段階に来ているとこじつけることができるのだろう。

ところで、未来予想は難しいという例だが、これもこどもの頃の科学系の書籍に書かれていたのだが、ベーリング海峡を埋め立てる計画が書いてあった。アラスカとロシアの間をせき止めると、冷たい海水は太平洋に流れこまず、シベリアは緑の牧草に変わるという話だ。しかし、冷戦中なのでその計画は宙に浮いているとのことだった。ただし、結果として日本は熱帯になるだろうし、北極の冷たい水はまとめて大西洋に流れ込むことになり、グレートブリテインは氷河に包まれるだろう。冷戦でよかったのかもしれない。

第二パナマ運河というのもあった。パナマの山岳地帯を水爆を10発くらい使って吹き飛ばして、運河にしようということだったが、パナマがアメリカから独立してしまったので、しばらくは無理だろう。

遺伝子を改造して、新種の植物を作る話だけは実現した。逆に、今考えられている将来の予想も、途方もないものも多いのだろう。
コメント

日本海海戦から100年

2005-05-27 09:45:49 | 市民A
e247cc65.jpg日露戦争に決定的勝利をもたらした日本海海戦から100年経ち、5月27日は横須賀の三笠公園内の戦艦三笠艦上で記念式典が行われる。中心人物はもちろんミスター不沈空母の中曽根元首相だ。しかし、マスコミも含め、ほとんどの人は何も言わない。妙に騒いでロシアまで日本いじめの環に加わられても困ると思ったのかどうか知らないが。

さて、短いブログとはいえ、歴史を語るのは気が重い。歴史には、「実際に起きたことを解明する」部分と、「なぜ、そういうことが起きたのか、理由の意味付け」という二つの要素があるのだが、特に「歴史に理由付けしていく」作業は、難しく、かつ答えがあるのかどうかも不明だ。「歴史は必然か偶然か」というあたりまで抽象化してみれば、必然でもあり、偶然でもある。というようなことなのだろうと思っている。

そして言い訳ではないが、5月27日は日露戦争の始まりでもなければ終わりでもないし、日露戦争全体の意味付けをブログで書くのは無理すぎるということで、今回は、日本海海戦の周辺の話に限定してみる。日露戦争の総括にふさわしいのは、9月5日のポーツマス条約締結100周年なのだろう。そして日露戦争は日本やロシアで戦争をしたのではなく、朝鮮半島や中国の陸上や海上で戦闘が行われたのである。戦争の常として、「もう少しの利権がほしい」というちょっとした欲望と「先手を打たなければ大敗北になるのではないか」という猜疑心が入り組んでいるのである。


さて、日本海海戦は、世界の海戦史の中でも結果が一方的になった例として有名であるが、案外、一方的になった例は多いらしい。というのも限定的な海域での戦闘になると、お互いの艦隊はそれぞれ有機的に一体として機能するのだが、どちらかがまず一隻減ると、有機体の機能が低下することになり、さらに一隻沈むと、彼我の勢力差がどんどん拡大していき、全滅に向かっていくことになるらしい。10対10が10対9になると、そのまま10-5とか10-4になり最後は10-0になるわけだ。そして足の速い軽装船だけが逃げ出すことができる。

日本海海戦は日本が予想外にロシアに勝ったといわれているのだが、調べてみると元々は日本側が有利とまではいかなくても戦力は拮抗していたことがわかる。戦艦は三笠をはじめ英国の造船所に発注したもので、最新。かたやロシア側は、喜望峰周りで7ヶ月もの航海を続け、補給(特に重要なのは燃料の石炭)を続けながらやっとの思いで目的地ウラジオストックにあと一息というところまで来たところであった。

また、一般に「待ち伏せ」は最大の攻撃効果を与えると言われ、日本に近づくにしたがい、ロシア側の緊張は続いていたと考えられる。

さらに、よく書かれていることだが、ロシア艦隊ロジェストウェンスキー中将の選択した航路が、対馬沖、津軽海峡、宗谷海峡のうち対馬沖の最短コースを選択したのも、避けられない事情があったと考えられる。まず、宗谷海峡は千島を日本が領土としたこと(樺太・北千島交換)から、どこを通っても狭水道になり、機雷による被害が避けられないし、荒天になった場合は石炭補給船からの洋上補給が困難になることが懸念されたそうだ。次に津軽海峡だが、ここも機雷被害の可能性と海峡内で挟み撃ちにあう危険が高く、選択することはできなかっただろうと言われる。さらに、当時の記録では、マラッカ海峡通過時に、戦力を見極められていて、ロシア側の作戦自体、防諜戦ではかなり劣っていたことがわかる。さらに最終的に上海で石炭を購入した際に、航路情報は日本側に漏れていたということだ。

実際、それでロシア側が津軽海峡を突破していたら、戦局が変わっただろうかと考えると、やはり1ヶ月以内にはどこかで(おそらくウラジオストック港外で)戦闘が行われたのではないかとも思う。

海戦の場合、待ち伏せ側が有利という状況の一つが、東郷長官の採用した作戦にある。当時は「丁字作戦」と言われ、その後は「T字」と英文字になったのだが、直線状に艦隊を組んで北上するロシア艦隊に対して日本側は左前方から南下してきて、すれ違う寸前に直角ターンをして、相手の進路状に”ついたて”のように何隻もが右舷側を並べてT字型に対峙する戦法である。一般に動物は横腹が弱点であるが、戦艦は逆に両舷に大砲がついているため、横向きが強く、縦向きは無力だ、ただし、縦から横にターンする時は最大の弱点である。自分の側からの照準がつかない反面、相手側からは止っているように見えるからだ。そして事実、先頭にいた三笠は右舷側への被弾が多く、被弾した弾の重みで激しく右傾斜したそうである。

しかし、一旦、T字型が完成すると、直進する相手の艦隊を弱点である正面から1隻ずつ集中攻撃することが可能となり、さらに戦闘海域から逃れた相手の艦艇をさらに包囲して全滅させたということなのだ。(一方、別の作戦が用意されていたが、荒天のため、次善の作戦になったという説もある)

海戦は一挙に多くの死者を出すことが多いが、ロシア側の死者は4,545人と言われる。しかし、一方、生存して捕虜になった人数も6,106人いることも忘れてはならない。戦艦大和の最期では、失った人数は3,063名、生存者は僅か276人だ。

さて、少し海戦から離れるのだが、日露戦争の戦費調達のために、国債発行と増税が行われている。国債は14億円が発行され、国内で6億円、海外で8億円が集まっている。海外とは英米両国が中心で、日英同盟を結んだ英国では、国債説明会が行われている。先日、ロンドンとニューヨークで100年ぶりの日本国債説明会が行われたと報じられたが、その100年前の話だ。良く考えると、英国は、日英同盟を結んで、国債というおカネを貸して、そのおカネで自国の造船所で軍艦を作っているわけだ。まあ、そんなものだろう。そしてもう一つの増税の方は、所得税が1.7倍になったそうだ。そしてそのまま上がった税率は下がることなく、次の戦争やその次の戦争への資金源になっていったわけだ。これもそういうものだろう。

その後、ロシアは足腰が崩れ共産革命に向かっていき、日本はロシアの持っていた中国での利権を引継ぐ予定だったが、あまりうまくいかず、さらにロシアからの防衛ラインと言っていた朝鮮半島中立化戦略を占領政策に切り替えてしまったのだが、詳しい記載は難しいので行わない。


さて、日本海海戦の話はここまでなのだが、最近の首相の靖国問題に関する言動はなぜか胸騒ぎをおこすのである。以前書いたブログなのだが、妙なことだけは考えないでほしいと思っている。あなただけの国というわけではないからだ。
コメント

1 ShotLog-13 小パンダの未来

2005-05-26 09:49:37 | PHOTO
7cc1a200.jpg最近、レッサーパンダが話題だ。千葉市の動物園のレッサーパンダが直立するという話が広がったと思ったら、今度は横浜のズーラシアのレッサーパンダは直立歩行までするそうだ。数年前にズーラシアに望遠レンズ持っていった時にに撮影を試みたが、ポーズはとってくれなかった。

そして、立ち上がるだけなら、BBCアニマルプラネットで有名になったアメリカ大陸にいるプレーリードッグと同じだが、直立歩行となると次の発達段階だ。

人類が直立歩行を始めたのは、およそ700万年前といわれている(もっとも確証はほとんどないのだが)。言語や、石器や、戦争をはじめるより前の段階ということなのだ。人類は700万年たって、核兵器をぶちまけるようになったが、レッサーパンダは将来、何を作るのだろう。などと考えていると、友人から電話があり、「レッサーパンダは既に陰で地球を支配している」とのことだ。もっとも彼は最近、ゴミの10種分別作業で情緒不安定に陥っているらしいのであるが。
コメント

三ムカ

2005-05-25 09:51:53 | スポーツ
1.キリンカップサッカー;日本 0-1 ペルー
  
  日本が1点取るには、あと100年かかるだろう。

   いまだに不明な選手起用・・交代で登場した、大黒・稲本の方が動きがよかったのはなぜ?
   いつも同じ作戦・・交代選手は必ずもとの選手の位置に入るので、相手は守りやすい。
   一度も相手を抜けなかったサントスの後任人事が必要ではないか?(もっともサイドバック
    という職種はロベルト・カルロスのためのポジションなので、ロべカル引退後は消滅かな)
   最後の失点を見ていると、ペルーのフォワードは、試合直前には、シュートの練習ではなく
    相手キーパーのプレーをビデオで研究しているのだろうと確信した。
   小笠原偏重の理由は、彼のポジションがジーコが現役の時のポジションであることと、体型
    が似ているからだろう。

   ところで、現日本チーム監督ジーコは南米チームに勝ったことがないそうだが、おそらく、
    日本チームに南米流は向いていないのだろう。これが致命的になる可能性があるのは、
    仮にアジアA組3位となって、B組3位とアジア5位の座を争ったあとに、最後の最後に
    行われるのが中北米のチームとの最後の椅子争いだからだ。
   
   では、後任はというと、一押しは前々韓国監督のヒディング。オランダにいる。次は、自薦
    ながらトルシエが手を上げているようだ。が、その場合、通訳のダバディも必要だ。そし
    て、第三の候補は、ダバディそのものだ。トルシエの時も実際の監督はダバディだったと
    いう説もある。そして、ギャラは格安だろう。

2.モナコグランプリで安全運転?

   F1中のF1。モンテカルロだ。通常のF1レースの3倍の価値があると言われる。そして、
    レーサーの多くが、この地に住む。市街地レースだ。日本で市街地レースができるのは内
    堀通りかも知れない。1周約4キロで、カーブと坂があってちょうどいいが、唯一の欠点
    は、ハンドル操作を過つと、巨大な水堀に転落することかな?

   全19戦中第6戦は第5戦スペインに続きマクラーレン(BMW)が2連勝。どうも今年は
    連勝パターンだ。1戦から4戦まではルノー。そしてフェラーリもトヨタもカヤの外だ。
    ホンダは重量オーバー違反で出場停止中。

   今シーズンは心を入れ替えたトヨタが健闘しているのだが、トゥルーリはまたも謎のスロー
    ダウン。クルマに違和感があったとのことだがピットインして、何もしないで、そのまま
    出て行った。用心深いのはいいのだが、第一戦もそうだった。職業間違えているのでは?

3.五月闇(さつきやみ)で闇打ちにあう
   五月の息詰まるように湿気の高い夜に、浅田次郎の小説さながらにドラマチックナイトが訪
    れるのが「五月闇」で、彼の小説は、虚実入り交じった話であるのだが、私の場合は、完
    全な実話だ。それも嵌められた感じだ。日曜の朝1時。都内某所。都合により、詳細を書
    けるのは3ヵ月後になってしまう(あるいは書けない可能性もある)。ヒントは「ケ」だ。
コメント

三低主義の情けなさを考える

2005-05-24 09:52:41 | 市民A
言葉からして、情けないじゃないかい。「三低主義」って。最近の女性の結婚観ということだ。ちょっと前は、三高と言っていたのだが、三高も情けないが、それは、動物学的には合理的だ。ほとんどの動物社会は優生種が有利な仕組になっている。では、比較してみよう。

三高・・高収入(確か、年収850万円だったか、1,000万円だったか)
    高身長(確か、身長170センチだったか、175センチ以上だったか)
    高学歴(早慶戦以上だったか)

まあ、人間そんなものじゃないというのは、よく判ってはいても、やはり、親になった場合の見栄とか、将来の子孫繁栄のためとか、頭で考えても、考えなくても、すべて高い方がいいに決まっているとは自然な考え方なのだろう。

ただし、女性の方が自分とのバランスとか、稀少物件を発見する可能性とかを見落としている場合が多い。三高は、団塊ジュニア世代の代表的考え方なのだろうが、私見としては、「まあ、適当にあきらめて、キムタク家のように人口増加パターンにしてほしい」というだけだ(キムタク家もそんなに人口が増えるわけでもなさそうだが)。そして余計な話だけど、この世代に言いたいのは「年金ちゃんと払え!」ということ。これから年金もらうのは「あなた方の親なのだから」だ。話を戻す。

一方、三低だが、これには少し複雑な社会情勢が感じられる。

三低・・低依存 (共稼ぎの女性側の給料をあてにしないでほしい)
    低リスク(一つは、失業リスクだろうが、さらにDV系とか変なオタクは困るということ)
    低姿勢 (女性に対して、低姿勢であること。つまり、セカチュウか。あるいはコリアンの笛吹き男か。)

私が情けないと思っているのは、おもに団塊ジュニア以降の世代が抱える、現代社会の実情そのものということ。三高の他愛無さから言えば、三低は結構シリアスな臭いがする。

実は、某野党は年金方式に「スウェーデン方式」とか言っているのだが、特に北ヨーロッパ(ドイツも近づいている)の社会制度がいいと感じる人は、相当過度に社会主義的じゃないかと思ってしまう。中学時代の友人で、縁あって北欧の男性(上級官吏)と結婚して、「白夜の女」になった女性が帰国した時の歓迎会で聞いたのだが、「給料が安くて、一人暮らしでは不経済なので、結婚してしまう」カップルが多いそうだ。しかし、そうなると何らかの理由で離婚したくても、お互いに生活できなくなるというので、苦労するらしい。ある意味で男女同権であるのだが、ちょっとレベルが・・。要するに一家共稼ぎで年収が500万円くらいで、さらに税金が高いという状態だ。無論、無策でズルズルやっていると、与党側の政策でもそうなってしまう可能性がある。年収250万円で生活する本など発禁にしなければならない。

雇用リスクについては、まだまだ不安感が充満している。「正社員」というあまりはっきりしない概念がどんどん崩れていて、時給1000円社員が増加している。以前の三高の期待レベルは時給4000円から5000円なので、現在の労働市場は、「安い、不安定、長い」の三重苦だ。そして現代の組合は正常とは思えない。
年収1500万円の有名企業のバリバリ部長が早期退職割増金を手にして辞めたあと、50代で250万円市場に再登場するため、若い世代の職場はなかなか確保できない。「女性・老人・外人」の頭をとって「ジョローガイ」経営を勧める指南書は多いが、ミクロ的に正しいことを積み上げると、マクロ的に大間違いになる典型的な例題だ。

次に人格リスクの問題。DVリスクについて、私の知り合いの若い女性はこういう。「同棲もしないでいきなり結婚するなんて、危険過ぎる!」と・・

最後の低姿勢はほどほどにということか。あまりに極端に下手に出るセールスマンを思い出せばいい。裏があるのだろう。家庭で低姿勢な人間ほど、社会では高姿勢になる場合もあるので、バランスを欠いた態度は問題だ。

そして、総合的にみると、「情けない時代になったな」とか思ってしまう。寺山修司の謎めいた名歌、「マッチ擦るつかのま海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや」には、答えが出たのである。
コメント

つけてみそ、かけてみそ

2005-05-23 09:53:31 | マーケティング
3ac3ace8.jpg知人に名古屋カップルが2組いる。横浜に移り住むまでには、それぞれ、本人達には深く複雑な歴史があるのだが、知り合う前のことは私には無関係なので、現在の彼らは、ただの「名古屋夫婦」A組とB組である。わざわざ、関東に出てきてまで、名古屋人を見つけて結婚するなど、よほど東京は疎外感が強い街なのだろうか。そして、最近の彼らのとっておきの楽しみは横浜に進出してきたコメダ珈琲店に毎週行って、”シロノアール”という不思議な名称の巨大パンケーキをつつくことであるのだが、それはナイショのはずだ。(横浜のコメダは盛況だ。以前ちょっとブログで触れた

私も、以前の会社では、よく名古屋方面の仕事に行っていたが、会社が変わってから後は、年間1度位仕事で行く。そして名古屋に行くと、名古屋の味がある。日本を大雑把に味で東西に二分すると、名古屋は東に分類することが多いらしい。あまり詳しくないが、西の方は、「まったり味」で東は「しょっから味」ということだろうか。そう考えると、名古屋はやはり「東」なのかもしれない。

そして、時間と胃袋が許す限り、「山本屋の味噌煮込うどん」を食べた後、直売店でお土産として家族の数だけ買って帰る。自宅には、味噌煮込みうどん専用の一人用の土鍋が人数分用意してある。しかし、きしめんはあまり好きにならない。形状的に潔さが足りない。”ひつまぶし”はかなり好みの鰻料理だが、店によって出来・不出来が大きいように感じる。

ところで、冒頭の名古屋夫婦の疎外感だが、原因の一つは、「東京で名古屋料理が食べらない」というところにもあるのだろう。やっと、横浜までコメダが東上したくらいで、東京では「味噌煮込うどん」も「ひつまぶし」も店も見ない(熱意をもってさがせばあるのかもしれないが)。そして、なぜ、名古屋料理が東京へこないかを、考えてみた。そして、私の考えなのだが、「名古屋料理一般」というおおざっぱな話ではなく、料理別にそれぞれ固有の問題があるのではないかというように思えてきた。

まず、「きしめん」だが、これは将来とも難しいのかな。そば文化とうどん文化が強すぎるので進出は無理かもしれない。麺の表面のぬめっとしたつるつる感はいかにも関東人にも関西人にもがきらわれそうだ。あの、かんぴょうのような形状が「潔くない」とか「製麺の途中仕掛品」という感がある。

次は、”ひつまぶし”。これはかなり旨いのだが、江戸には「鰻屋」がある。焼き方が違う。そして、関東の鰻屋が徹底的に蒲焼にこだわるので、これも割り込む隙間がない。そして蒲焼にすると、うなぎはそこそこ標準的な味になる。「極端にまずいうな丼」はない。つまり、「旨い」ひつまぶしでないと勝負できないのだが、元来、鰻屋は、しょうゆをはじめ、素材にしても、全部本家から供給しなければ、味が変わってしまうだろうが、そういう仕組は大仕掛けになり、大手でなければ難しい。

次は、”味噌煮込うどん”だが、これは、名古屋資本の方に問題があるように思える。山本屋の味と価格帯は東京人が好みそうで、進出は問題ないと思う。ただし、東京の方が、すべてコストが高いだろう。特に土地代に起因した店舗費用が高いだろう。特に、進出の1軒目は商業集積地になるだろうから割高だろう(コメダが横浜のはずれのようなところに出店したのもコスト論だろう)。

そして、東京と名古屋の資本の考え方の差だが、東京では少しもうかると、さらに借入金を増やし支店を大量に出店し突っ走る方が多いのだが、どうも名古屋では自己資本比率をどんどん高くして堅実経営を是とする考え方が主流なのだろう。これ以上、もうけてどうするのというところか?さらに材料の鮮度の問題もある。名古屋の製麺所から送ると、鮮度が落ちる。結局、規模のメリットを追求するためには、味噌煮込うどん店を数店まとめて出店しなければ採算がとれないのだろうが、そういうのは名古屋流ではない。あるいは有名店はトヨタ流のカンバン方式なのだろうか。


そして、もう一つ名古屋料理で、忘れてはいけない味が、味噌カツだ。名古屋でトンカツ屋に行くと、普通のソースと味噌カツソースが並存していて、自分で選択するようになっている。というよりも味噌カツソース料金を払うところもあった。あくまでもトンカツソースより、辛い。カットレットの元祖フランス人もビックリだ。

ところが、このソース、関東では入手が困難な状況だったのである。冒頭の2組の夫婦が名古屋帰省の時にお土産に買ってきてくれるチューブ型の「ナカモ製」のソースをちびちび使いながら、一方では近在のスーパーで気長に探していたのである。しかし、今まではみかけていなかった。「ナカモ」ブランドは、ただの味噌カツソースを超え、味噌カツドレッシングって書いてある。商品名は「つけてみそ、かけてみそ」!?!

そして、苦節数年、突然、大型ディスカウント店でみつけたのである。見つからない捜し物の一般的な事例と同様で、今回、突然発見できたのには、理由があるのだ。コーナーが違っていたのだ。というのも、ナカモの味噌カツソースが並べられていた棚は、ソースの棚ではないのである。ではどこにあったかというと、「味噌」のコーナーなのである。なごや人おそろしだ。
コメント

ゴッホの絵が売れなかった理由?!

2005-05-22 09:54:39 | 美術館・博物館・工芸品
972008bd.jpgゴッホ展に行ってから一ヶ月くらい経ってしまった。ブログに書かなければとか思っているうちにゴッホ展は大阪・名古屋巡業に行ってしまうので、あわてて一筆。

東京国立近代美術館の機関紙である「現代の眼」の定期購読者であるので、当美術館で行われるゴッホ展に関する情報は少し前から知っていたのだが、こんな有名な画家については、誰も大胆な評論や解釈をしないのがしきたりになっているようなので、いくら読んでも実感がわかない。

そして、以前から疑問に思っていたことなのだが、ゴッホの絵は生涯1枚しか売れなかったといわれるのだが、「それはなぜだ?」ということは聞いた事がなかった。まして彼の弟のテオは画商である。

そして、なんとなく構築していた仮説があったのだが、それはそれとして、竹橋の近代美術館に行く。結構、賑わっているが、噂に聞く名古屋の生マンモスほどではないだろう。そして、今回の展示では、時代別に平均して出品されていて、ゴッホの技法の変化がよくわかるようになっている。

「美術史家」というのは、私の中ではかなり「無用の職業」なのだが、彼らの書いた数多い資料から、ざっとゴッホの年譜と画風を並べて考えると、生まれは1853年。そして、かなりの晩学で、絵を描き始めたのは1880年27歳。ブリュセルでのこと。まだ習作時代だ。そして、その後、エッテン、ハーグ、ドレンテ、ヌエーネンと転々とし、どちらかと言うと絵の習作をするという気持ちだったようだ。特に1885年32歳の時の自信作「馬鈴薯を食べる人々」の評判が散々だったことも、彼の気持ちを内向的にさせたような気がする。そして、商売的に考えれば、暗くさめざめとした「馬鈴薯」は売れないだろう。

そして、彼の絵に変化が現れるのは1885年11月から1886円3月までのアントワープ時代とそれに続く86年3月から88年2月までのパリ時代である。特に黄色系の色彩が多用され、人生に希望が生まれてくる。そして彼にとっての絶頂は88年2月から89年5月までのアルル時代。「黄色い家」とか「ひまわり」が代表作。そして、このパリ・アルルの間に彼の腕前は一気に完成してしまうのである。そして徐々にパリの若手画家として各種展覧会で名声を得ていくのである。それではなぜ、絵画は売れなかったのか?

私見だが、1888年頃からは、絵を売らないつもりになったのだろうと確信している。彼がこだわっているのは、展覧会であったわけで、絵を売ってしまうと、個展は開けなくなってしまうのだ。美術館の一部屋の壁面を全部使って展示した時の、絵画の並べ方とか気にしていたということなのだから、もう売る気にはなっていなかっただろうとは推定できる。そして、彼はサンレミで89年5月から1年間の間に量産体制に入るが、たくさんの糸杉を描いた後、結局は1890年にオーヴェールに転居し、ピストル自殺してしまう。

36歳。

そして、ゴッホの絵画は、周囲を圧倒する。部屋に飾るという気分にはなりにくいはずだ。どんな、金持ちの家でも、彼の絵画を1枚でも壁にかけると美術館になってしまうだろう。

しかし、彼が絵を売らなかったことで、コレクションの散逸も少なく、ゴッホは世界中の美術館を巡回し、現代の我々に大いなる精神の開放という恩恵を与えてくれたと考えればいいのであろう。

そして、わが家のハガキ版ゴッホコレクションは、また一枚の秘蔵品を増やすこととなったのだが、1枚100円の糸杉ハガキを2L版に拡大し、絵画タッチのフィルターで処理して写真用紙にプリントして、これまた100均ショップで買った額縁に入れてみると、何とか20,000円位の気分にはなるのである。
コメント

シュワちゃんのこと

2005-05-21 09:59:07 | 市民A
b7687fa6.jpg昨年、米大統領選のことを書いたblogの中で、共和党は次の大統領選候補としてシュワルツネッガーカリフォルニア州知事を準備するつもりなら、「大統領は米国生まれに限定」という憲法の一部改正をしておく必要がある、と書いたのだが(冗談のつもり)、「Amend for Arnold」というグループが現れたそうだ。アーノルドのための憲法改正ということだ。ただし事態はなかなか難しいというのが、新潮社フォーサイト5月号にある米国人記者の意見だ。

そこで、そのあたりをもっと細かく見てみる。まずは、憲法第二条第一節にある大統領の資格である。原文はこうだ。
No Person except a natural born Citizen, or a Citizen of the United states, at the time of the Adoption of this Constitution, shall be eligible to the Office of President ; neither shall any Person be eligible to that office who shall not have attained to the Age of thirty-five Years, and been fourteen Years a Resident within the United States.
(何人も、出生による合衆国市民あるいはこの憲法確定時に合衆国市民でなければ、大統領となることは出来ない。35歳に達しないもの、また14年以上合衆国の住民でない者は、大統領となることはできない。)

読んで字の如しだが、最後の14年以上合衆国の住民という14年の根拠はよくわからない。この条文の中にも米領はどうなんだ?とか出生地がたまたま外国だった場合とか若干の疑問はあるのだが、米国の場合、問題が起きたときに考えればいいじゃないかという基本スタイルがあるので、そう深刻には考えていないようだ。

そして、アーノルド・シュワルツネッガー氏の資格はどうなっているかというと、1947年にオーストリア国民として生まれる(戦後派)。若い時はボディビルダーとして活躍する一方、渡米し、アメリカの大学へ進学。30歳にして、俳優としてデビューする。そして36歳でアメリカ国籍を取得している。現在58歳なので、14年以上の在住条件はクリアしている。

そして、彼の妻はマリア・シュライバー。NBCのニュースキャスターであり、民主党員。そして彼女はジョン・F・ケネディの姪である。そこを正確に言うと、ジョンの妹の一人のユーニス・ケネディの子供なのである。さらに、付け加えるとユーニスは少し前に長野で開催された、知的障害者のためのスペシャルオリンピックスの提唱者である(実はジョンの一つ違いの妹が知的障害を持っていたのだ。これも以前、blogに書いた記憶がある)。

つまり、バリバリの民主党の家系に共和党員が紛れ込んでしまったのがシュワちゃんなのだが、このネジレ現象は、政策的な問題にも及んでいて、民主党の牙城であるカリフォルニア州でなぜ共和党知事なのかというところになる。これを簡単に書くと、シュワちゃんの政策は、民主党の政策であるということなのだ。そのため、民主党の対立候補はもっとリベラルな政策を打ち出さざるを得なくなり、支持を集めることができないということらしい(同様の状況は、都市部の自民党にも共通)。ということは、奥様が政策を立てているのだろうか?

ところでフォーサイトの記事を読む限りにおいて、米国民は外国生まれの大統領就任をあまり支持していないようだとのこと。どうも、国境にトンネルを掘って、密入国してくるヒスパニック系のことが気になるらしい(英語のしゃべれない人物が大統領になることはなかなか難しいとは思うのだが・・)。そして、なんとなくだが、他にも彼が支持されないいくつかの理由があるようだ。

まず、ボディビルダー時代に「アナボリック・ステロイド」を筋肉増強剤として使っていたことがあると公表しているのだが、ちょうど50歳になる1997年に心臓手術を受けている。多くの人が20代の時だけではなく、ごく最近までステロイドを使っていたことが心臓手術の原因ではないかと疑っている。手術後の彼の肥満化は少し腑に落ちない。

次に、彼の父親のことだ。ナチス突撃隊(SA)に属していたことは、わかっているが、当時何をしていたかは判っていないそうだ。

さらに、共和党の新たな候補者として、ライス国務長官がやる気をみせている。さらにブッシュ弟フロリダ州知事も意欲満々だ(ただし、弟だと、さすがに「また、ブッシュか?」と言われそうでもある)。

そして、実は、妻のマリア・シュライバーもシュワちゃんの大統領出馬には乗り気ではなさそうである。それならケネディ家はどうなるかということなのだが、マリアの考えている究極の大統領候補は11歳になる長男パトリック君ということらしい。しかし、「35歳以上」と規定している憲法を変えない限り、それは24年以上も先の話となるのである。
コメント

四者四様+1

2005-05-21 09:55:45 | 市民A
ゾノ、靴を脱ぐ
”お疲れさま”というしかない。横浜フリューゲルス、川崎ヴェルディ、サントス、ゴイアス、湘南ベルマーレ、東京ヴェルディ1969、安養LG、仁川ユナイテッド。もう、これ以上やらなくてもいいと思う。
こどもサッカースクール始める前にやってもらいたいのは、自伝を書くことだ。あるいは、村上龍か海老沢泰久の小説のモデルになってもらうこと。「マイアミ90ミニッツ 1-0」とか・・

こどもサッカースクール開いても、母親に手を付けちゃ、・・・
そしてたぶん、サッカーやめるだろう。

ピアノマン、映画化?
ハリウッドが目をつけているって・・
帰ってきた”海の上のピアニスト”か?それならば、身寄りがないはずだ。

首相、歌舞伎町を視察
「退職後の遊び」を研究中か?

中村獅堂のヒタイの違和感
あのヒタイは、剃りこみか?天然か? 謎は深まるばかり。
芝生を貼りたくなる。

スターウォーズ エピソード?
相変わらず、弱いものいじめかな? キム・ファミリーに見せなくては。
コメント

Moving May-day

2005-05-20 10:00:14 | 市民A
ニュータウンと呼ばれる新興住宅地の裏手には、まだ農業用地が散在している。休日に1時間、6600歩を日課としている散歩も、時に、この畑地の方角を選ぶこともある。5月15日の日曜がそうであった。夕方の空に、ふいの雷鳴を聞き、僅かな猶予もなく雹(ひょう)に打たれることになってしまったのだ。紫外線対策のサングラスはたたき落とされそうになるし、半袖シャツなので、肌は痛い。猛烈な氷の銃弾を浴びることになり、付近に軒を探すが、畑地には遮るすべはない。確か、秋田の方では「ふき畑」に潜って雨宿りをするのだったか、と記憶を辿るが、眼前には、「ねぎ畑」。これじゃ、まったくダメだ。そして、果樹園があり、桃のなのか栗なのか枝の下に入ると、なんと、「消毒済み」の札がぶら下がっている。最低だ。結局、池に落ちた間抜けなゴルファー状態で帰宅。100時間防水保証のM社のウォーキングシューズも中まで浸水。その時、ねぎ畑に派手に垂直落雷。そこに「ふき畑」があったら、肥料と化していただろう。

実は、この話、翌日の月曜日に、来訪された年配のお客様に話したら、逆の感想だった。もうすぐ60になろうかと思われるパートナー企業の部長さんは、当日、皇居10周マラソンに出場していたとのこと(余談だが皇居をぐるぐる回る限り、歩道が完備しているので、主催者の経費は格安だろう)。”ランナーにとっては、体温を冷やす恵みの雨”とのこと。さらに靴の防水は、”通気のいいのを第一とするので防水は逆効果”とのこと。そういうものか。一本取られた。そして、「毎月200キロ走れば、マラソンに出場できますよ」って。二本目も取られた。さらに帰り際に痛烈な3本目があった。「おおたさんは、首輪王子に似てますね」って。もう、仕事で爆破してやるしかない。「○○さん、次のヤマはデカいじゃけん、9ケタは、つぎ込んでもらわにゃ困るわのー」とmail。(注)


ところで、五月初中旬の、ふいの雨のことを「五月雨(さみだれ)」と言うものと思っていたら、それはそうとも限らないらしい。

古来、雨の降る”シーズン”を指す言葉として、「梅雨」があり、その期間に降る雨のことを「五月雨」といったらしいのだ。ということは、バラバラと降る雨は、単に「俄(にわか)雨」に過ぎないということなのだろうか。確かに、”五月雨を集めて早し最上川”という句もあるが、俄雨では、水量が少ないだろう。しかし何となく現代では、五月雨は梅雨より前の時期の俄雨を指す言葉のように思うのだが、これは西国文化が東国文化に変わった影響なのか、あるいは地球全体の気象変化によるものか、あるいは旧暦と新暦の分離で5月が宙に浮いてしまったからなのだろうか、よくわからない。

さらに、現代にかろうじて残る言葉に「五月闇」(さつきやみ)がある。別に「梅雨闇」(つゆやみ)という語もあり、これも元々は同じ意味だったらしいのだが、「五月雨」と同じように、「五月闇」は「梅雨闇」から分離し、ちょっと前の時期を指すようだ。”五月雨の頃、どんよりと暗い昼や、月の出ない闇夜”を指すとのこと(季語集より)。

NETの海の中に、こういう句があった。”五月闇またまちがって動く舌”(なかはられいこ) 解釈は不明だ。

しかし、「梅雨闇」と同様、「五月闇」にも夜の雨の情景が似合うとは私だけの想像であろうか。降り続く「梅雨闇」の驟雨(しゅうう)に似合うのは、アクアスキュータムの黒綿布に覆われた、一本の長傘に頼る男女の影であるのだが、星の光を俄かに覆い隠し、「五月の闇」に雷鳴とともに降り注ぐ霰(あられ)交じりの雨粒に対しては、人工繊維のプリント花柄の折りたたみ傘に寄り添う二つの人影が似合いなのである。そして、おそらくは、その用意のいい折りたたみ傘には、秘められた予測と微かな期待がこめられているのではあるのだろう。
(注)広島人、楽脳氏より、放言間違いの指摘あり。コメント欄参照。ああ、ヤケンボリで焼きソバ入りのモダン焼き食べたし。
コメント

その価値は・・金貨か銅銭か?

2005-05-19 10:01:58 | マーケティング
19982bd1.jpg数年前に、今の家に引越したのだが、未だダンボール箱に入ったものもあるという不精者が、待望のコレクションケースを買ってみた。長い生活の垢のように、ごちゃごちゃとおもちゃが溜まってきているのだが、まとめて並べてみようかと思ったわけだ。もちろんゴルフや将棋のトロフィーなんかは永久に箱の中に封印。コンペ優勝記念の金の延べ板20gは貸し金庫の中に転がっているので、数えてみれば並べるほどのものは1ケタ以内なのでどうってことない。

そしてほこりを払って箱から出したものに、古いウィスキーがある。何と「大阪万博記念ウィスキー」だ。箱の一部に傷があるが、中身は美しい琥珀色。1970年と書いてある。なぜ、これがダンボールに入っているかというのは、初代の持ち主が下戸だったから手を付けなかったからだ。そして下戸はウィスキーを買ったりしないのだから、何らかの理由で誰かから貰ったのだろう。そして、今、私のところにある。

そして、コレクションケースの下段の隅に箱入りで収められたというのは、きわめて妥当な行為だったのであるが、数日後、NET上で、おそろしい記事を見つけた。asahi.comの記事だ(2005年05月13日02時33分)。

 100万円ウイスキー、1日足らずで売り切れ
  サントリーが売り出した100万円ウイスキー「山崎50年」=サントリー提供

  11日に限定50本で売り出された1本(700ミリリットル)100万円(税別)の国産ウイスキー
  「山崎50年」が1日で売り切れた。販売元のサントリーは「ウイスキーとしては破格の高さ
  なのに、こんなに早く売り切れるとは」と驚いている。
  山崎50年の熟成期間は50年以上と国産で最も長く、値段も最も高い。11日午後2時、同社の
  ホームページに酒屋などを通じて注文を受け付けると告知したところ、12日朝になって注文
  票が次々とファクスで舞い込んだ。午前11時に50件に達した。個人のほか飲食店からの注文
  もあったという。

  同社は「ウイスキーは長い年月をかけてじっくり寝かせるが、ウイスキーファンはこんなに
  も決断が速いんですね」。

50年で100万円ということは1年で2万円である。そして私のウィスキーは1970年製。35年である。35年×2万円はいくらかというような計算も欲望の前には困難になる。よく考えれば70万円ではないか。なぜか1センチほど液面が下がっているが、決して飲んだわけではない。惜しむらくは樽醸造ではないのだが、逆にビンに入ったままということは本物の証明でもあるわけだ。

実は、これからどうすべきか良く分らない。とりあえず、銀行の貸し金庫に入らないことだけは間違いないので、またダンボールに詰め直して目立たない場所に隠してしまい15年後を待つことになったのである。そして、コレクションケースに空いてしまったスペースには、沖縄サミット記念泡盛のビンがダンボールから一軍昇格することになったが、こちらの価値はいつまでたっても2000円札並みなのだろうと予測しておく。
追記:週末にはトランクルームへ移送予定。
コメント