三低主義の情けなさを考える

2005-05-24 09:52:41 | 市民A
言葉からして、情けないじゃないかい。「三低主義」って。最近の女性の結婚観ということだ。ちょっと前は、三高と言っていたのだが、三高も情けないが、それは、動物学的には合理的だ。ほとんどの動物社会は優生種が有利な仕組になっている。では、比較してみよう。

三高・・高収入(確か、年収850万円だったか、1,000万円だったか)
    高身長(確か、身長170センチだったか、175センチ以上だったか)
    高学歴(早慶戦以上だったか)

まあ、人間そんなものじゃないというのは、よく判ってはいても、やはり、親になった場合の見栄とか、将来の子孫繁栄のためとか、頭で考えても、考えなくても、すべて高い方がいいに決まっているとは自然な考え方なのだろう。

ただし、女性の方が自分とのバランスとか、稀少物件を発見する可能性とかを見落としている場合が多い。三高は、団塊ジュニア世代の代表的考え方なのだろうが、私見としては、「まあ、適当にあきらめて、キムタク家のように人口増加パターンにしてほしい」というだけだ(キムタク家もそんなに人口が増えるわけでもなさそうだが)。そして余計な話だけど、この世代に言いたいのは「年金ちゃんと払え!」ということ。これから年金もらうのは「あなた方の親なのだから」だ。話を戻す。

一方、三低だが、これには少し複雑な社会情勢が感じられる。

三低・・低依存 (共稼ぎの女性側の給料をあてにしないでほしい)
    低リスク(一つは、失業リスクだろうが、さらにDV系とか変なオタクは困るということ)
    低姿勢 (女性に対して、低姿勢であること。つまり、セカチュウか。あるいはコリアンの笛吹き男か。)

私が情けないと思っているのは、おもに団塊ジュニア以降の世代が抱える、現代社会の実情そのものということ。三高の他愛無さから言えば、三低は結構シリアスな臭いがする。

実は、某野党は年金方式に「スウェーデン方式」とか言っているのだが、特に北ヨーロッパ(ドイツも近づいている)の社会制度がいいと感じる人は、相当過度に社会主義的じゃないかと思ってしまう。中学時代の友人で、縁あって北欧の男性(上級官吏)と結婚して、「白夜の女」になった女性が帰国した時の歓迎会で聞いたのだが、「給料が安くて、一人暮らしでは不経済なので、結婚してしまう」カップルが多いそうだ。しかし、そうなると何らかの理由で離婚したくても、お互いに生活できなくなるというので、苦労するらしい。ある意味で男女同権であるのだが、ちょっとレベルが・・。要するに一家共稼ぎで年収が500万円くらいで、さらに税金が高いという状態だ。無論、無策でズルズルやっていると、与党側の政策でもそうなってしまう可能性がある。年収250万円で生活する本など発禁にしなければならない。

雇用リスクについては、まだまだ不安感が充満している。「正社員」というあまりはっきりしない概念がどんどん崩れていて、時給1000円社員が増加している。以前の三高の期待レベルは時給4000円から5000円なので、現在の労働市場は、「安い、不安定、長い」の三重苦だ。そして現代の組合は正常とは思えない。
年収1500万円の有名企業のバリバリ部長が早期退職割増金を手にして辞めたあと、50代で250万円市場に再登場するため、若い世代の職場はなかなか確保できない。「女性・老人・外人」の頭をとって「ジョローガイ」経営を勧める指南書は多いが、ミクロ的に正しいことを積み上げると、マクロ的に大間違いになる典型的な例題だ。

次に人格リスクの問題。DVリスクについて、私の知り合いの若い女性はこういう。「同棲もしないでいきなり結婚するなんて、危険過ぎる!」と・・

最後の低姿勢はほどほどにということか。あまりに極端に下手に出るセールスマンを思い出せばいい。裏があるのだろう。家庭で低姿勢な人間ほど、社会では高姿勢になる場合もあるので、バランスを欠いた態度は問題だ。

そして、総合的にみると、「情けない時代になったな」とか思ってしまう。寺山修司の謎めいた名歌、「マッチ擦るつかのま海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや」には、答えが出たのである。


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