一粒のタネ(2)坂田武雄物語

2011-02-28 00:00:48 | 坂田武雄物語
坂田家は、江戸時代、武士階級だった。久留米藩士である。久留米藩は学問に力を入れていた藩であり、多くの藩士が明治維新の後、教職についたそうである。武雄の父である坂田伝蔵も、同藩の藩士の娘である母のムラを伴い、上京して文部省に勤務していたそうだ。

武雄が生まれたのは、東京の四谷荒木町である。明治21年。八人兄弟の長男である。父親の32歳の時の子である、父伝蔵は、1856年、ちょうど黒船来寇で騒然としている幕末生まれである。

そして、明治26年。父親が山形県米沢の米沢尋常中学校長を拝命することになる。引越しである。翌年、武雄は地元の小学校に上がる。(まったくの私事だが、その40年以上後に私の祖父がこの中学で一介の教師として教えることになるのだが、年齢的なことを考えても、中央官庁から校長で派遣されるというのは、かなりのエリートだったのだろう)

その後、父は、体が米沢の気候に合わず、明治30年に滋賀県の彦根の中学校長に転勤する。

さらに、伝蔵は彦根の中学校長職を辞し、東京に戻り、高等師範学校舎監の職を得る。翌年、武雄は半蔵門にある日本中学(日本学園)に新入学する。ちょうど1900年(明治33年)。この頃について、武雄の述懐によれば、父親は動植物が大好きで、自宅の庭や池で動植物を飼ったり植えたりしていたそうだ。彼の原点は、庭付き戸建住宅だったようだ。


5年後の明治38年。中学を卒業したが、最初の挫折を味わうことになる。高校入試失敗である。当時の最高峰である第一高等学校(一高)を受験し、見事に失敗する。どうも、それほどの学業ではなかったようだ。ともかく、一高に入っていれば、その後の人生はすべて異なる路線になるわけだ。中学の時は勉強よりも水滸伝を読み耽っていたそうで、そこに受験失敗の原因があるのだろう。

さらに読書家だった武雄が浪人中にめぐり合った運命の書がある。「種の起源(ダーウィン著)」である。武雄が何を読み取ったのかはよくわからないが、後の彼の仕事が旧来の日本型の種苗業者と異質であったのは、まさに植物の種の改良であったのは絶対的な事実なのである。

そして、改めて武雄が入学したのは、東京帝国大学農学部実科である。現在の東京農工大学。どうも、1年の浪人を取り戻すべく3年間で卒業という就学期間の短い学校を選んだようだ。が、思いもかけず、大学生活は苦労したようだ。自宅の庭で草花を育てる環境とはまったく異なり、学生の大半は地方出身者で、要するに百姓仕事を教える学校だったわけだ。そんな時、愛読していたのは「若きヴェルテルの悩み(ゲーテ)」。後年、いつも仕事に悩み、プロレスを見るとき以外、ほとんど笑うことがなかったと言われる遠因だろうか。

そして、学校を卒業するのが、21歳である。自らの運命を賭ける決断の時が来る。

続く
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一粒のタネ(1)坂田武雄物語

2011-02-27 00:00:16 | 坂田武雄物語
shushiガーデンセンターなどで花や野菜の種を買った場合、「サカタのタネ」社の種子を買うことが多いだろう。国内では二位を大きく引き離し、シェアナンバー1の会社である。たまたま、横浜の私の自宅近くに本社があることから、その創業の歴史を辿ってみれば、そこには、創業者が数多くの困難や窮地や災難を乗り越えてきた勇気と知恵と若干の幸運の織りなすストーリーが見えてきたわけだ。

創業者:坂田武雄。明治21年(1888年)12月15日出生。昭和59年(1984年)1月12日没。96年の歴史である。

続く
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「詰将棋道場」(勝浦修)でちょっと疲れる

2011-02-26 00:00:55 | しょうぎ
来週1週間のブログネタを今週、書いていて、ちょっと時間の余裕がないので、簡単で失礼。



「詰将棋道場」(勝浦修)をやっとクリアする。何しろ200題もある。税抜きで1000円だから、一問あたり5円。

9手詰、11手詰が中心だが、なぜか疲れる。自分の快感と異なる手が多いのだが、解き続けていると、だいたい使うパターンがわかってくる。狭いエリア内で。金銀角あたりの斜めゴマが決められた順序で捨て駒化して、最後に大駒が仕事をして・・という構造で、持ち駒に桂がある場合、初手に捨てることが多い。

この初手に桂捨てという技法は、以前から「どうやって考え付くのだろうか」と疑問に思っていたのだが、たぶん、例えば7手詰作ができた時に、桂捨ての1手を付け加えられるだろうかとか逆算するのだろうと思いついた。手駒に桂があると、別解が生じる場合は、桂跳ねに変更とかしてどうか、とか考えるのだろうと思いながらも、桂捨てにより伸びる2手(たとえば7手詰→9手詰)の結果、7手詰としての価値と9手詰としての価値がどちらが上なのか評価するのだろう。

たぶん、桂捨を入れない方が締まるのではないかとも思うわけだ。

なんとなく、本の後半は、「時間を掛ければ解けるだろう」と思って、結構、解答を見ながら斜め読みになってしまった。

しばらく鞄の中に入れておいたので、先日の竜王就位パーティでも会場のホテルのクロークに預けてしまっていたのだが、パーティ会場に勝浦修九段の姿を見てしまい、サインをもらい損ねてしまったことを後悔する(というか仕方ない展開なのだが)。

さて、2月12日出題作の解答。



▲2七銀右 △3七玉 ▲4六角 △同玉 ▲5五角 △5七玉 ▲3七角まで7手詰。

よくありそうな筋だが、こういうものを作っていると変り者的に思われるかもしれない。

動く将棋盤はこちら


今週の問題。

当初、掲示した問題には、不備があったので、別問題と差し替えます。



差し替え問題にさらに不備があったので、次です。とほほ。大丈夫かな?



わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と手数を記していただければ、正誤判断。
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佐藤「黒」

2011-02-25 00:00:02 | あじ
佐藤酒造と言えば鹿児島県の霧島にある酒造会社で、さぞ噴煙の影響で苦労されているものと想像されるのだが、何のお役にも立てないのだろうけど、佐藤酒造製の焼酎を2度ほど飲むことになる。

といっても、鹿児島で飲んだのではなく、東京で。

ところで、佐藤といえば、「黒」とか「白」とかいって、一時は芋焼酎に、かなり高額のプレミアムがついて取引されていたようだが、最近ではそうでもないようだ。元々、蔵元直販は行わない方針と言われていて、それが高騰の理由でもあったのだが、価格が下がって中流階級の喉にも入るようになった。佐藤「黒」をボトルで注文。4合瓶。



で、飲み方だが、たまたま数人のテーブルで、知人の脇に、水割り、お湯割りセットが置かれた関係で、遠慮して生地(ストレート)で飲むことにする。

それが良かった。

なかなか手厳しく、奥の深い味。チビチビとしか飲めないので、鯨飲派には向かない。遅飲み遅食い派にちょうどいい。ただし、当日の料理は「しゃぶしゃぶ」。牛ではなく黒豚ならいいが、残念ながら東京だ。

後日、薩摩料理店にいって、地鶏炭焼きとともに佐藤黒を飲み直すが、なんとなく鯨飲派の隆盛の前に、押される。

ところで、この「黒」とは、黒麹を意味するそうだ。米麹の一種。元々は琉球の泡盛の原料で、薩摩に入ったのは明治の頃らしい。それまでは、九州一円の焼酎は黄麹を使っていたのだが、製品収率の点で黒麹に置き換わる。ところが、黒麹の欠点として、温度管理が難しいとか、カビが飛んで発酵場全体が黒く汚れるといった問題があった。そのため、黒麹の改良版として白麹が用いられるようになる。

しかし、何の道でも行き詰った時に辿りつくのが「原点回帰」。黒麹の素朴で深遠な味を復活させるために、温度管理を徹底することで佐藤酒造はじめ、いくつかの蔵元が「黒」を復活させたということのようだ。


さて、「麹」という文字を書きながら、東京の麹町のことを思い出す。昭和中期の日本国のエリートコースと言えば、番町小学校→麹町中学校→都立日比谷高校→国立東京大学ということで、これが最も学費が安いコースでもあった。

四谷駅のあたりが麹町という地名である。ただ、古くは糀村と呼ばれていたようだが、その語源が、「糀職人」に起因するのか、四谷荒木町のように今でも細い路地が入り混じった「小路地」に起因するのか、府中の国府まで伸びる現在の新宿通りに因む「国府路」に起因するのか定説はないようである。

ところで、番町小学校にしても麹町中学校にしても公立学校である。近隣の大きな庭園内にお住まいになられている自己主張の強い相撲好きのご令嬢も、あれこれ規則ばかりうるさい私立小学校にサヨナラして、公立学校に転校して、もっと庶民に近づいてみたらどうなのだろうと思いながらも、千代田区には、あまり庶民はいないのだろうとも思い巡らすのである。
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原油高騰時代は、再びリビアから始まる

2011-02-24 00:00:54 | 市民A
日本時間の21日夜に突然、原油価格が上昇した。米国は祝日であったのだが、市場外でWTI原油は7ドル上昇し1バレル当たり95ドルへ。ロンドンでは北海ブレント原油が5ドル上昇し108ドルへ。翌日の東京でドバイ原油が103ドル台で推移している。OPECバスケット価格も100ドルを超えた。

現在の国内製品価格は、バレル85ドル前後のマーケットであるので、この原油価格で推移したとしても、2カ月以内にリッター10円ほど値上げになると思われる。

それで、値上げがその程度で済むのかどうかは、まったく不明なのである。

なぜ、今回急騰したかといえば、もちろん直接理由はリビアの無政府状態。リビアの原油生産量はおよそ日量1,700,000バレルと言われ、世界の生産量の2.4%程度である。仮に生産が止まると、世界の原油に2.4%の穴があく。通常、資源マーケットでは3%の供給に穴が開くと、相場が大混乱するとも言われるので、まだ中混乱ということなのかもしれない。輸出がゼロになったわけではない。

では、供給がなくなるケースはどういう場合なのかというと、まず、掘削施設やパイプラインといった施設が破壊されるケースだが、これはまだ確認されていないし、反政府側だって、別に貧乏になろうと思っているわけでもないだろう。が、もっと混乱状態になると、破壊活動が始まる可能性がある。

それよりも、現在起きているのは従業員の問題だろう。まず、2005年以降、外資導入のため、米国オクシデンタル社を中心とした石油会社が一部の油田開発を行っているが、これらの外国人従業員が帰国を始めている。さらに、国営石油会社の社員に給料が支払われるかどうかが問題。無政府状態だったら、給料の支払いなんて後回しだろう。さらに従業員だって、デモに参加したり、戦闘機に攻撃されて死傷したりするだろう。

つまり、これから2か月ほどは、原油の輸出が激減する要素が山積みであるということだ。

そこで思い出すのが、第一次オイルショックである。第一次石油ショックは1973年に発生したのだが、その原因を辿れば、1969年のリビア革命。革命に成功したカダフィ大尉はその後、大佐を名乗り、翌1970年には、米国オクシデンタル社をはじめとする石油会社を国有化してしまう。その後、他の中東産油国もリビアに追随していったわけだ。

つまり、よりによってオクシデンタル社は二度の痛い目にあいそうな状況のわけだ。

大産油国で、民主化デモに包囲された国は、今のところリビアだけなのだが、リビアと同程度の生産能力を持つアルジェリアや世界シェア1%以上を持つ湾岸のどこかの国に拡大すれば、一気に大暴騰の図が見えてくるわけだ。その場合、戦略備蓄の放出による市場の冷却化が行われるだろうが、イラン、クウェート、サウジで騒乱が始まれば、もう打つ手なしということになるのではないだろう。さらに湾岸産油国では多くの労働力をインド周辺からの出稼ぎ労働者に頼っているわけで、彼らが逃げ出してしまったら、さまざまな労働力不足に直面するのだろうか。

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後出しジャンケン終了→タケノコレースへ?

2011-02-23 00:00:11 | 市民A
東京都知事戦に最有力候補と言われている現職の石原慎太郎氏が不出馬を決定したそうだ。

となると、・・

通常、選挙の鉄則は、早々と立候補を決定し、法令の許す範囲で事前活動を始め、有利な体制を作って、後続候補になるべく差をつけて、なんとかゴールまで逃げ切るという作戦である。いわば、先手必勝方式。

ところが、例外がある。

4月10日に投票が行われる東京都知事選挙。告示即立候補受付は3月24日だが、届出書類の事前審査日は3月14日から16日まで。

いずれにしても、もう出走時間直前というのに、22日段階で出馬表明した有力候補は小池晃氏とワタミ会長の渡辺美樹氏の二人。蓮舫氏、池上彰氏、東国原英夫氏、小池百合子氏、猪瀬直樹副知事など、浮かんでいるのか沈んでいるのかよくわからない。

というのも、どう考えても最強候補と思える現職が出るか出ないか。それを待っているわけだ。要するに、出馬して負けたくはないわけだ。小池晃氏は所属政党の基盤固めのためで先行する意味があるだろう。渡辺氏は、要するに自分の勝ち目を考えた場合、先行して且つ現職不出馬のケースというように逆算したのだろう。そういう意味だと、先制ポイントを上げたのだろう。それだけかもしれないが。



それで、見えてくるのが、候補乱立の図である。ちょうど平成11年の時がそうだった。石原知事誕生の時である。有力候補乱立である。当選した石原氏以外に健闘したのが、はとやま邦夫、まずぞえ要一、明石康、三上満、柿沢こうじ。思えば、どの団体が誰を応援していたのか、よくわからない。


それで、私は都民ではないので、部外者なのだが、都民的思考をしてみると、結局、「パッ」として見栄えがよくて、景気のいい人物が好みなのだろうと思うわけだ。

エジプトやリビアみたいに貧しい人たちはいるのだろうけど、結局、テント村の人たちがいくら投票しても大勢に影響するとは、とても思えないわけだ。さらに言えば、現知事が叩かれている新銀行東京問題だって、大銀行が貧乏な零細企業にカネを貸さないことから発生した問題であって、結局、貧乏人におカネを配る政策は、こと東京では支持されないわけだ。まあ、世界の大都市の市長だって、派手な金持ちが多いわけだ。東京都の世帯当たりの収入って、他の県に対して、群を抜いて高いわけだ。

そうなると、なかなか条件にフィットする候補が見えないわけだ。

蓮舫氏も見栄えがいいかもしれないが、例の「ナンバー2発言」が致命的に東京人に嫌われるだろうが、案外、失言訂正のチャンスなのかもしれないが、要するに、都知事になるのと首相になるのでは有権者の層が違うということなのだろう。東氏はちょっと路線違いだろうか。

となると、小池百合子あるいは猪瀬直樹ということになるように思えるのだが、小池×蓮舫なのか、猪瀬×蓮舫なのか、問題はこの3人の誰一人、立候補するとは言っていないわけで、これも後出しジャンケン風なのである。

と思っていたら、ついに隣の神奈川県知事松沢成文氏も名前が浮上。もちろん宮城県の知事では勝ち目がなかったが、準東京のような神奈川なら都民の抵抗感も小さいのかもしれないが、それじゃ、神奈川県知事の椅子はどうなるのかと神奈川県民はちょっと心配になる。松下政経塾出身ではあるが、気になるのは都知事というのは、知事であると同時に市長を兼務しているようなもの。ちょっと普通の県知事とは仕事が違うのかもしれない。それにルーツが民主党だ。

また、作家路線なら、村上龍なんて、いい線ではあるような気もするが、確か前は横浜に住んでいたような気がするのだが、こっそり都内に住所を移したりしていないのだろうか。

PS 現時点で民主党の最強候補は海江田万里氏のような気もする。大臣といっても、まもなく政権交代でナッシングになるし、総理になれそうな感じもないわけだ。ただ、本人的には次の総選挙で、宿敵よさのかおるを倒さないと気がすまない、ということかもしれないが、与謝野候補が出馬するのかどうかもわからない。
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相撲小説『金星』(もりたなるお著)

2011-02-22 00:00:14 | 書評
sumo一時の話題も、やや忘却の世界に近づいているのが、八百長相撲発覚事件である。今思えば、民主党のごたごたの目隠し用だったのかもしれないが、その役には立たなかったようだ。一場所休場して、「ある程度の八百長も日本文化ではないだろうか」というような場所に落ち着きそうであり、メール関連力士および親方を処分して、また旧態に戻り、NHKも放送再開するのだろう。角界の中では、そういう事件があったことすら風化するのだろう。

ただ、ファンは半減し、チケットは一向に売れず、まあ事業は縮小していくだろうが、それで縮小均衡できるのか、大破綻が待っているのか、よくわからない。当面、再開した直後の場所での「ごっちゃん相撲」は厳禁だろうから、けが人続出になるのか、大関、三役がぼろ負けするのかよくわからない。

ところで、相撲小説家といえば、もりたなりお氏の右に出るものはいないだろう。七編の短編小説からなる『金星』を読む。

「金星」相撲の親方と金星のおかみさんのそれぞれに意外な秘密が。
「しにたい」未成年取的のくせ、酒がなければ力が出ない力士の悩みが。
「擦り足」定年退職したのに相撲部屋に通う元記者のせつない思い。
「相撲の花道」永年勤続表彰の老サラリーマンが、贔屓にする古参力士。
「相撲梅ケ香部屋」素行の悪い親方が、親方株を換金しようと画策するが。
「十両十三枚目」関取が部屋にたった一人。もうやめたいのだが陥落防止工作で。
「相撲の骨」肉体の巨大さゆえの悲惨な晩年に耐え続けた出羽ケ嶽。

まあ、こういうのを読むと、角界の古い因習がたくさんわかるわけだ。話題の八百長相撲は「ごっちゃん」という言い方をされている。

「相撲の花道」では、連続出場記録を更新中の青葉谷が、必勝の相撲をわざと負けたりするところが書かれている。要するに長く相撲を取るための彼なりの手段なのだろう。8勝以上の勝負はすべて、将来への貯金みたいなものなのだろう。

そして、「十両十三枚目」は、もろに「ごっちゃん相撲」のことが書かれる。部屋のたった一人の関取である高田龍は、三役も経験しているのだが、既に年齢は35歳。十両下位でかろうじて幕下陥落を免れているのだが、それは、部屋の工作活動の結果である。それでも十両最下位である十三枚目で三回踏ん張っている。

やめたくてもやめられず、とうとう、自ら新弟子を都内で発掘し、これを最後の場所と決め奮戦を始める。どういうわけか白星が先行し、十両優勝も見えてくるが、まずいことに先場所で星を借りた相手と対戦することになる。どうも先場所、カネでかたをつけることができなかったそうで、星で返すしかない。そういう相手が続く場合、不戦敗という超法規的な戦いを使うわけだ。



結構、はっきり書いているわけだ。
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ドミノ倒れ

2011-02-21 00:00:16 | 市民A
チュニジアとエジプトでは政権が崩壊したのだが、民主化デモの波は、リビアなどの北アフリカ諸国から中東へと飛び火を始めた。

原因は、国によって異なるが、

1.自由が制限されている国
2.さらに、政治的不公正が存在する国
3.経済的に貧しい国
4.さらに経済的不公正さから理由なき貧富の差が大きい国
5.政権を倒せば、少しはまともになるだろうと思わせる国

といったところが該当するのだろう。

ただ、北アフリカでの騒動は、少し前になるが、トルコをEUの仲間に入れないという選択を欧州の人たちが行ったところから始まっているのではないかと思っている。EUの外側から見れば、単に域内の最貧国を次々にEU連合の中に引き入れ、安い労働力を提供させると同時に新たな市場に仕立てていたのが、EUの中の国の数が尽きた所で、EUバブルも終わったし、北アフリカ諸国が拡大EUに加盟する道も消えた。

ところが、中東で始まった自由化デモだが、こちらはかなり異なっている。ほとんどの国が王制だからだ。そして、ほとんどの国には自由がない。政治的にも宗教的にも。原油産出国では経済的に恵まれているが、その税金はどこに行くのだろう。

それで、最大の問題はサウジアラビアなのだろうが、この国を米国が支援しているのは、原油輸出国であるからだけの理由だろう。米国のような民主主義国家とはかなり方向違いだろう。

まあ、1980年代に行ったことはあるのだが、とうとうその日が来るということも十分に考えられるだろう。いつかはそうなると思っていたが、原油価格の高騰は免れないだろう。中東原油を代表する指標原油ドバイは100ドルに近づいている。

そして中国だが、デモを押さえ込むことができたとしても、サウジが政権交代になり原油代が高騰すれば、国内でインフレが始まり、結局、サウジとともに追いつめられるということになるのだろう。個人的には中国が民主化して素晴らしい国になると、逆にかなり立派な国になって、脅威になると思うので、それなりのものでいいように思えるのだ。
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石川光陽写真展

2011-02-20 00:00:43 | 美術館・博物館・工芸品
旧新橋停車場鉄道歴史展示室で3月21日まで開催されている「石川光陽写真展」へ行く。

この方は、実は警察官だった。昭和初期から戦後まで、長い間警視庁の写真係だった。

石川光陽氏(1904-1989)の実家は写真館で、本人も東京でカメラの修業中に、なんのはずみか警視庁にスカウトされる。そして、交番勤務1日だけという超異例の措置で、以後退職まで36年間カメラを持つ仕事に従事する。昭和2年から昭和38年まで。つまり、昭和前期の全部を写したわけだ。客観的に考えると、ほとんどの国民が苦闘していた時代に、かなりうらやましい人生だったともいえる。

本展では、80点を展示している。



まず、226事件。私の知っている知識と突き合わせると、反乱軍は警視庁を占拠したことになっている。石川氏の残したメモに依れば、5階の写真室は占拠を免れ、そこでカメラのシャッターを5回押したのだが、そのつどシャッター音が響きわたって、心臓が凍りつくほどの恐怖を覚えたということだそうだ。本当に日本の歴史上、貴重な一枚だ。



さらに妙な形の東京駅舎。かっこいいはずの塔の部分がない。空襲で焼けた東京駅を仮設修理して使ったそうだ。日本の顔だから。誰もが心を傷めたそうだ。上野駅の高天井は戦前も今も変わらぬまま。銀座通り、神保町の古書街は今もあまり変わっていない。あまりに現代日本との比較がせつない感じなので、写真集を買ってパラパラとめくると、そこにはここまでたどり着いた日本の復興が見えてくる。



いつもカバンに入れて、被写体となった街角ごとに新旧対比写真でも写そうかと、さっそく通りかかった中目黒のガードへ向かったが、夕闇で真っ暗になったので撮影中止。どうも、目黒資産家殺人事件の捜査中で、防犯カメラに写されただけだったかもしれない。

それにしても、最近は東京ドーム遊園地の脇を歩いたら事故が起きるし、鹿児島に行ったら火山が爆発するし、ちょっと前に、いわき市で水族館に行ったら、犯人があがった。事件に取り憑かれているという感じだ。

防犯カメラにもめげず、新旧比較写真を撮りまくろうとも思うのだが、結構、吉原遊郭の写真が多いわけだ。

ちょっと思案。
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牛丼屋の隣

2011-02-19 00:00:15 | しょうぎ
今、ギリシア神話の講座に月一回のペースで通っている。JR田町、あるいは都営地下鉄の三田駅から、海岸方向に歩いて10分弱のところにある公共施設で、夜6時半からなのだが、会社に勤めていると、なかなか大変で、移動は駆け足になり、幸運にも余裕があればメシも掻きこむのだが、・・

ちょうど目的の会館に着く前に、白板の立て看板の前を通る。



日本女子プロ将棋協○

最後の一文字が読めないのは、ゴミ箱の陰に隠れてしまうからだ。どうも二階ではまだ灯りが灯っていて、教室とか行われているのだろうか。どうも元気のない看板だが、だからといって電飾看板にすると、品がないし。

それと、実は、隣が吉野家。講座の開始まで10分の余裕がある場合、この吉野家で夕食を済ませてしまう。まさにそういう隙間時間の有効利用になる。

ただ、何回かここの吉野家に入ると、メニューの少なさ、選べなさで、気持ちがプアになってしまうわけだ。古代ギリシアの食生活の方がましな感じだ。

(実は、ヒポクラテスの世界最初の医学書を読んだことがあるのだが、確かにギリシアの食事は、かなり豊かで豊富だったのだが、現代と絶対的に異なることがあった。1日1食だったこと。そのため、胃の病気が多かったようだ。講義終わり。)

それと夕方だというのに、お客が少なく、カウンターの一部を閉鎖して、店を狭くして対応している。全然ダメ経営だ。

で、いいたいことは、吉牛の隣って、あまり元気になれない場所じゃないかなあ、ということ。


さて、2月5日作の解答。



▲1五角成 △同玉 ▲1七飛 △1六銀 ▲3三馬 △2五玉 ▲2四馬 △3六玉 ▲4六銀まで9手詰。

銀を引いて、詰ませる感じが、ちょっと好きなのだが。奥ゆかしすぎたかもしれない。

動く将棋盤は、こちら


今週の問題。



入玉問題だが、特に難しくもない。最後の収束の感じから逆算してみた。

わかった、と思った方は、コメント欄に最終手と手数と酷評を記していただければ、正誤判断。
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飲んだ後のラーメン派卒業後

2011-02-18 00:00:05 | あじ
飲んだ後、ラーメンを食べるという習慣が日本にはあったのだが、今はどうなのだろう。小泉純一郎宰相の行きつけのラーメン店が首相官邸から赤坂方面に下ったところにあったが、かなり濃厚スープの店だった。

たぶん、各種理由で、「飲み会後ラーメン」は変質しているのだろう。

例えば、

メタボ派:ラーメンから、ざる蕎麦に転向。

低級サラリーマン:最初から、飲み食べ放題の店に行く。

中級サラリーマン:電車で帰り、最寄駅近くのコンビニで「おにぎり」。ゴミポイ。

マル貧風:飲み会に誘われない。

団塊族:あいかわらず、ニンニク臭いラーメン店に直行。1000円ネクタイを汁で汚す。


で、自分はというと、かなり破滅的感じである。

帰宅途中、渋谷駅で下車。タロウの近くにある「西楼厨(せいろーず)」という中華店に入る。やはり、ラーメンかと思わせるところがフェイク。

ソバはソバでも焼きそばである。飲んだ後に焼きそば。なぜかというと、お気に入りの味がある。



「フカヒレ焼きそば」である。焼きそばの上にフカヒレの姿煮が乗っている。これがいいわけだ。飲んだ後、さらにイイ気持ちになる。

少し前に原宿方面で、フカヒレラーメンを売りにする店があって、何千円だったような気がするが、ここの焼きそばは2枚でおつりが出る。それに本来はスープにすべきフカヒレをラーメンに入れたら、汁を全部飲まなければいけないではないか。それは健康にかなりよくない。焼きそばだったら、大部分のエキスは流出していないから大丈夫だ。

周りを見ると、結構、多くの一人客男女が、この焼きそばを食べていることに気付くわけだ。

さらに、一次会で老人多数の集まりに入ってしまって、お腹に余裕があり過ぎる場合は、同じフカヒレでも別のメニューがお勧めである。



「フカヒレご飯」。こちらは、フカヒレがほぐされて本来の糸状の感じが、舌に絡みつくわけだ。こちらもかなりのお勧めである。そして、こちらの方が、さらに安いわけだ。


ということで、場所がわからないという方には、気軽にご案内するので、ゴールドカードを持参の上、ご用命くだされ。

もちろん、もっと高額な料理は、メニューにたくさん記載されているし、ここをシメの店としてではなく、夜の一軒目としてフカヒレでスタミナ注入してから、ディープな渋谷の裏町探偵団ごっこを始めるというプランも考えられるわけだ。
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舌切雀のふるさと

2011-02-17 00:00:31 | たび
高崎まで新幹線に乗り、時間1本しかない信越線のローカル線でしばらく走るとJR磯部駅がある。完全な内陸なのに「磯」という字がつかわれる地名と言うのもよくわからない。



折からの豪雪で、駅のまわりには雪景色であるが、この地は「舌切雀発祥の地」らしい。

明治時代の児童文学者である巖谷小波が、舌切雀伝承を残す磯部でこの伝説をまとめている。それも有名な磯部旅館に泊まって文筆をしたためていたらしく、それが「舌切雀発祥の地」と呼ばれる語源だそうだ。

しかし、この舌切雀だが、かなり残酷な物語ではないかとも思える。何しろ、舌を切るのだからすさまじい痛さだろう。

そして、この磯部温泉の旅館の息子が大手拓次(1887~1934)。詩人である。神秘的な詩が多くのこっている。

もっと調べたかったけど、寒い。しかも雪で歩けない。電車は、1時間に1本。これじゃ調査できない。ネクタイも黒いし。
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地下工作

2011-02-16 00:00:52 | 市民A
少し前、冬の真ん中あたりに、日本のある場所で、海底数百メートルのところに潜る。潜入ということばはあるが、実際に地下に潜ることを潜入ということはない。正規手続き通りだ。

やはり教科書通り、真冬なのに、あまり寒くない。ただし、息苦しい感じがある。後で聞いたら、気圧を上げているそうだ。ちょっと水がポタポタと壁面から垂れるのは気持ちが悪い。



入る前に、地下で生き埋めになった時の為に食料を持っていくように冗談で勧められたが、手ぶらで来たことを後悔するのは嫌だなとか思ってしまう。

かなりやばいなと感じたのが掘削法。ドリルで岩を削るのではなく、ほとんどすべての作業は、発破だそうだ。つまりダイナマイト。以前、スタローンの映画(スペシャリスト)で、少量の爆発物で殺人を含めた破壊活動を行う秘密工作員が登場したが、実際に日本にも同業者がいたとは知らなかった。



それと、これ、厳密にいうと国家的事業。予算もマル秘だ(知っているけど)。地上で活動すると、世間の目に触れ、仕分けられるからといって地下の工作活動につぎこんだわけではないだろう(いや、本当はそうなのかな)。

これ以上書くと、刑法81条:通謀罪で逮捕される恐れがあるので、以上終了。
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ギリシア神話への誘い(5)

2011-02-15 00:00:32 | 市民A
全6回講座の5回目。しかし、普通、参加者が徐々に減るのに本講座は、目減りが少ない。なんだかみんなギリシア神話に取り憑かれている感じだ。

講師の先生も、「この講座が始まってから、頭の中がギリシア神話に取り憑かれたようになっている」ということ。街の中にあるギリシア神話関係のモニュメントが目に入ってしょうがないようだ。つまり、どちらも取り憑かれた同士という理想の師弟関係になっているわけだ。

さて、どうも全6回の講座の中で、この5回目は、長さ調整用の回になっていたようだ。6回目の講座は、格調高くソクラテス、プラトンそして後世のニーチェが登場するようだ。その前座の回。まず、ミノタウロス神話。ミノス王の妻が、あろうことか雄牛といたしてしまい、半人半牛の姿のミノタウロスが産まれてしまった。



王は、家の恥とばかり、このミノタウロスを地下迷宮に押し込むわけだ。現代の人間たちが地下に空間をつくるためには1000億円以上の費用で、ダイナマイトで地盤を砕いたりするのだが、古代の王様は簡単に穴を掘る。

ところが、このミノタウロスは大食漢だったうえ、大好物がギリシア人。当時、ギリシアはミノス国との戦争に敗れ、講和条約締結するも9年ごとに7組の若い男女をミノタウロスの餌として差し出さなければならなかった。

そこへ、現れたのが、アテネの英雄テセウス。14人の生贄の中にまぎれこんで、ミノタウロス退治を画策する。実は、何の作戦も持っていなかった無知の青年だったのだが、この純朴さが、ミノス王の娘を発情させてしまう。そこで娘がこっそり、彼に渡したのが、秘宝である最強の剣と糸玉。地下迷宮に入った時から糸を繰り出し、秘宝剣が容赦なくミノタウロスにトドメを刺し、糸を伝って脱出成功。ミノタウロスに罪はないのだけど。

ところが、テセウスは娘のことなど忘れて、自分が英雄になることを夢見て、アテネに向かい船を急がす。

そして、いつものようにギリシア神話のシメとして悲劇が彼を待ち受けていた。


まあ、それが、ギリシア神話というものだろうか。あまりにもダイナミックな暗転。そうシェークスピア的だ(逆か)。


次に、ニーチェへの序章というか、ユングによるギリシア神話の女神の性格分析。



まず、ギリシア神話ではなく、自分のユング的性格分析を行う。ユングは人間の本質を4分割する。思考型、感情型、感覚型、直感型。そしてその4分割をさらに外向型と内向型。つまり全8カテゴリーに分割したわけだ。

それから、また性格分析チャートというものが登場して、各自、自分がどのカテゴリーに所属するか分析するわけだ。(参考として、ネット上でみつけたのが、こちら

結果は、「外向感覚」型。ユングの分析だと、愛と美の女神アフロディティ(ビーナス)と同じカテゴリーだそうだ。向いている職業は、ファッション関係、調理士、技術者、芸術評論家、ものまねタレント、落語家、スポーツ選手。森英恵、ケンゾー、清原和博が典型とのこと。ちょっとわかったのが遅すぎるかな。

ちなみに、非常に少ないのが、内向直感型ということで、村上春樹が典型とのこと。向いている職業は、宗教家、詩人、作家、うらない師、ということだ。
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フィリピンといえば

2011-02-14 00:00:57 | 歴史
小向容疑者が潜入しているフィリピンのこと。まず、本題ではないが、小向某、清水某、田代某とか薬物中毒患者のことをボロクソに報じる態度というのは、考えた方がいいのではないだろうか。確かに影響力の大きな有名人だったのだろうが、だからと言って真似をして中毒になろうと思う一般人がいるわけがないだろう。どちらかというと、被害者と言ったっていい。「刑務所」か「施設」か「墓場」しか行きようのない人たちを救出する医学的な研究を進めた方が、ずっとましだ。

そして、「フィリピン」と「救出」という二つの単語は、奇妙なほど相性がいい。1974の小野田寛郎氏のルバング島からの帰国。1987年に人質から解放された若王子氏三井物産マニラ支店長誘拐事件がある。

さらに、今回紹介したいのが昭和27年(1952年)12月24日に、ある日本人歌手がフィリピンで歌ったある1曲のこと。

歌手は、渡辺はま子。デビューまもなく、歌詞が欲情的だということで、しばらく活動禁止状態だった彼女は、戦争中は海外の戦地で従軍慰問を続けていた。自身も天津で終戦を迎え、収容所生活を送ることになる。そして、帰国と同時に歌手活動を再開。「サンフランシスコのチャイナタウン」「支那の夜」「蘇州夜曲」などが持ち歌で、戦犯指名された家族、巣鴨拘置所などで慰問も続けていたそうだ。

そんな彼女に舞い込んだのが、フィリピンのモンテンルパの戦犯収容所からの手紙。拘留中の日本人戦犯が書いた歌詞と譜面が届いたそうだ。遠く日本の地を羨望する彼らの心情が溢れる慟哭の曲である。彼女は、この曲を日本ビクターから発表し、大ヒットを得る。そして昭和27年12月、ついに、現地におもむき、死刑囚59人を含む109人の前に立つ。

この時までに、17人の日本人戦犯の死刑が、既に執行されていた。

多くの戦犯は人違いのまま誤認逮捕されたともいわれる。

そして、はま子の慰問は収容所全体を合唱の嵐とすることで、当時のキリノ大統領の心を動かす。

さらに、この話が日本国内にも伝わり、早期釈放、減刑を嘆願する署名が500万人集まる。

こうして、翌年7月、戦犯全員が日本に帰国することになったわけだ。彼らが乗った客船白山丸が渡辺はま子の住む横浜に帰った時、大桟橋で出迎えた人々は、2万8千人を数えたそうだ。

当時のタレントって大変な職業だったのだ。
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