「そのまま使える!ビジネスメール英文集」はそのまま使えるか?

2011-01-31 00:00:09 | 書評
昨年末にちょっとした理由で読んでいた本。「そのまま使える!ビジネスメール英文集」。



数あるビジネスメール集の中からこの本を選んだのは、実は日本語でもそのまま使えるというか、なかなか日本語的にうまい言い回しをシチュエーション的に選んでくれるからだ。

例えば、

色々と手をつくしてみたのですが、12月23日に都合のつく同時通訳者をどうしてもみつけることができませんでした。

We tried our best to find a simultaneous interpreter for you but were unable to find anyone available on December 23.


「色々と手をつくしてみた」という表現は、日本語でも使ったこともないし、思いついたこともない。どちらかと言うと、「裏から手を回してみたのですが」というようなことを書くことが多い。

つまり、日本語メールのテキストにもなっているわけだ。

というよりも、日本語メールのテキストであって、英語メールではないような感じがしないでもない。


例えば、

海外子会社に「おこごと」を言う時だろうか。

営業活動での移動には、緊急時を除いて、公共交通機関を利用して、経費節減に努めること。

In an effort to reduce sales costs, you are encouraged to use public transportation for sales activities except in the case of an emergency.

緊急時というのが、in the case of an emergencyというのでは、かなりおおげさなのではないだろうか。


貴方と話していても埒があかないので、上司か責任者を出して下さい。

Talking to you hasn’t gotten me anywhere, Could you please provide me with the contact information of your supervisor or the person in charge?

こんなことを、紙に書いてもいいのだろうか


日本に来ることがあれば、是非スッポン料理を食べてみてください。

If you have the chance to come to Japan, definitely try suppon turtle dishes.

お願いだから、そんなレターを作らないでほしい。


ところで、著者の二人だが、一人は倉骨彰(くらほねあきら)氏とトラビス・T・クラホネ氏の二名共著だが、二人ともかなり珍しい名前である。というか、漢字の倉骨氏とカタカナのクラホネ氏の関係は何だろうと思うわけだが、これがよくわからない。

「もっとも知りたいことは、もっとも知りたい時には、知ることができない」。マーフィーの法則にもあったような気がする。

「最も使いたい例文は、いくらビジネスメール集を探しても出てこない」。これもマーフィーかな。

それで、倉骨氏の略歴を見ると、過去の翻訳履歴として「マーフィーの法則」を訳している。もしかして、すべての例文がジョーク?

いおワールド鹿児島水族館

2011-01-30 00:00:21 | 美術館・博物館・工芸品
どこに行っても水族館をチェックしてしまう。というのも、最近、どこの県(市)でも個性的な水族館を作っていて、ちょっとエキサイティングなのだ。たぶん動物園より水族館の方が差別化しやすいのだろう。昆虫をのぞけば、陸上動物より水生動物の方が種類が多いのだろうか。



ただ、鹿児島は日本の南ではあるが、さらに南には沖縄があって、そこには豪快な「美ら海水族館」がある。鹿児島の奄美の海は魅力だが、単に沖縄の海をぶつけるわけにはいかない。

で、いおワールドのレベルが高い点はいくつもあるのだが、まず、海洋生物の研究に熱心なことだ。

サンゴの一種類である「ミナミウミサンゴ」の孵化に成功したということで、これが人工的に行われると言うのは画期的なことらしい。サンゴの一部から子供が生まれたわけだ。サンゴの生態にはまったく疎かったわけで、このサンゴの体と言うのは動物でありながら、体の一部に葉緑素を持ち、光合成を行うというかなり効率的にできているそうだ。

将来、地球温暖化が進んだ時には、人間の遺伝子にもサンゴの遺伝子をまぜ混んで、酸素を呼吸して、二酸化炭素をはいても、それをまた吸い込んで光合成で酸素に戻したりできるようになる。ただし、背中が緑色の肌になって、毎日2時間の日光浴が必要になる。



そして、ウミガメの赤ちゃん。どうして動物の子供って可愛いのだろう。よく考えれば人間の子供って動物の中では最もかわいくないのかもしれない。ギャーギャー泣くし。



そして、この水族館のコンセプトなのだろうが、一つずつの水槽ごとに、世界が完結するようにできている。まあ、水槽ごとにデザインが入っている。タツノオトシゴをシルエット状に見せている水槽なんて、地球上の風景とは、とても思えない。



そして、アオリイカなども飼っている。見るよりも食いたくなる。しかし、もし、そんなことを実行して、逮捕された場合、実名入りで新聞記事になるのだろう、と想像し、人目が途切れるのをじっと待ったが、チャンスは巡ってこなかった。

竜王就位パーティで、あやうく二者択一の危機

2011-01-29 00:00:52 | しょうぎ
今週初めに行われた渡辺明竜王就位パーティに顔を出す。赤坂のニューオータニ。読売新聞主催。何回か参加していて、昨年は、パーティ会場に寿司「久兵衛」が出店を出すというのにつられて、結局、そのグレードの低さに愕然としたのだが、まあ、今年は何も期待しないでいく。というか6時開会のパーティで、7時に失礼して新幹線に乗って出張しなければならない。

で、今年のパーティで大きく変わったことが3つあった。

一つ目は、寿司の出店が変わり、「四季」という店だった。昨年よりも準備されたネタのグレードは上だ。

二つ目は、パーティなのに、会場の入り口で飲み物が渡されないこと。ただ、スピーチを聞きながら喉の渇きに耐えなければならない。新聞社の懐が寂しいのだろう。それにしては高額賞金だが。

そして三つ目の変化だが、人数が少ないこと。

どうも、事前に、参加者の氏名を登録することになったらしい。と言えば、料理の注文量に関係があるように思えるのだが、会場内で堂々と流れていた噂だと、昨年のパーティでは連盟会長が嫌いな団体の女性たちがたくさん押しかけたので、それを阻止するために事前申請制に変えたということになる。

確かに、LPSA代表の姿はみかけたが、いつも一緒の代表母の姿は見えなかったような気がする。



そして、スピーチは色々な人が代わる代わる登場するも、新鮮さイマイチといったところか。優勝賞金は3900万円の目録授与。しかし、さすがに竜王は、淡々と推挙状、優勝カップ、そして3900万円と受け取っていくのだが、仮に私が3900万円ももらったら、喜びの表情で顔がくずれてしまって、もう笑いがとまらなくなってしまうだろが、さすがに竜王は、そんなことはない(とも言い切れないように嬉しそうな表情だった。当然だろうか)。



で、ついに乾杯となり、寿司「四季」の列に並んだのは6時40分。7時までには会場を後にしなければならないわけで、実は、何を食べたかよく覚えていないのだが、最後にソバで締めくくる。あやうく、「新幹線乗り遅れ」と「パーティで何も食えず」という究極の二者択一になるところだった(何も食えないのに乗り遅れということすら考えられる)。


最後の驚きは、クロークに預けていたコートとしわくちゃマフラーだが、帰るときには、きちんと畳まれていて、さらにマフラーの方は、アイロンをかけたように皺一つないようになっていたわけだ。もちろん、数十秒後には、元通りのしわくちゃマフラーに逆戻りなのだが。

さて、2月15日出題作の解答。



▲2一飛成 △同玉 ▲3一金 △1二玉 ▲1五香(途中図1) △1四歩 ▲同香 △1三歩 ▲1一金 △2三玉 ▲1三香成 △同玉 ▲3三竜 △2三桂 ▲1五香(途中図2) △1四角 ▲同香 △同玉 ▲1五歩 △同玉 ▲2六角 △1四玉 ▲1五歩 △同桂 ▲1三金まで25手詰

やっかい。

動く将棋盤は、こちら
こちら。


今週の問題。長いのが続いたので短編を。「あれっ、詰んでる」ということかな。



わかったと思われた方は、コメント欄に、最終手と手数と酷評を記していただければ、正誤判断。

西郷隆盛suicideの地

2011-01-28 00:00:47 | 歴史
12月に鹿児島に行った時は、時間の関係で駆け足で終わったのだが、1月に再訪。前回見落とした場所を歩く。



まず、西郷隆盛終焉の地。西南戦争で最後に鹿児島市内の城山に立て籠もった西郷が、政府軍に包囲され、最後は山から下りて敵地の中に突撃する。



実際には、数百メートルしか前進できず、そこをもって切腹する。側近が介錯したのだが、その場所に英語の標識があり、「Site of Saigo Takamori’s Suicide」となっている。

Suicide=自殺ということだが、果たして切腹と言うのは自殺なのだろうか。実際には、介錯人が後ろから首を切った時に、死ぬのだろうから。介錯人が殺人罪になるのだろうか。あるいは自殺ほう助ということなのだろうか。

つまらないことを考えていると、遠くに見える桜島が噴火を始めた。

どうもこの数年来、噴火の規模や回数が増えてきて地元では不安が増しているそうだ。新たな火口が活発に活動しているということ。



そして、霧島までもが爆発を始めたそうだ。帰りに鹿児島空港から遠景で霧島を撮影しだ画像があったのだが、よく見ると右下の方から煙が上がっているようだ。雲と見間違えたようだ。

ギリシア神話への誘い(4)

2011-01-27 00:00:54 | 歴史
6回シリーズのギリシア神話講座の4回目。

まず、映画「黒いオルフェ」の断片を観る。もともとリオのカーニバルで起こる歓喜と悲劇。そして人間の持つ本来的な悲しさ。

すべてが、ギリシア神話そのものだそうだ。一方に完成された調和。一方でドロドロとした情念。そして、有限の命しかない人間と、無限の寿命の中にある神々。確かに、何度も何度もギリシア神話を聞いていると、そういうことが見えてくる。モーツァルトの人生と同じじゃないだろうか。ヘミングウェーとヘンリー・ミラーとか。

今回は、9人のムーサから。女神である。人間のあらゆる知的活動をつかさどる9人である。おもしろいのが、9人の担当割。ギリシアでは、何を知的活動と認定していたのだろうか。順不同に次のとおり。

叙事詩、歴史、抒情詩、喜劇、悲劇、合唱、独吟、讃歌、天文。

日本の古代では、和歌とか蹴鞠とか貝合わせ、双六、占星術、鷹狩りとかそういうものだろうか。歌を歌ったり劇を演じたりとギリシアの知的活動は忙しい。



そして、次がプシュケ物語。これは話せば長くなるが、美女プシュケに対するアフロデティの嫉妬から始まった神と人間の物語。途中で、「夜眠っている姿を見てはいけない」とか「冥府から出るまで開けてはいけない」と言われているのにこっそり小箱を開けてしまう話なんかは日本にもある。


次にトロイア戦争だが、この発端がやはり美女の争い。

ある時、嫉妬深い女神であるエリスは、結婚式に呼んでくれなかったはらいせに金のリンゴをパリスという羊飼いに渡して、「3人の美女の中でもっとも美女に渡すように」、ということになる。



ヘラとアフロデティとアテナイ。この場面を描いた絵画によれば、3人の美女はオールヌードになっている。美人はつらい。一応、神様なので、パリスに逆提案する。つまり、賄賂。

まず、ヘラはゼウスの正妻らしく、自分を選んでくれたら「権力」を与えてくれる約束をする。そして、アフロデティはギリシアで最も美しい女を与えると約束する。そしてアテナイは深い知識と勝利を約束したのだが・・・

権力、美女、知識。普通の男が選ぶのはもちろん「美女」だろう。

そして、パリスはアフロデティを選び、お返しにギリシアのある国の王女がプレゼントになってしまう。


そして、ギリシアとトルコが海上の制海権をめぐって攻防を繰り広げ、トロイの木馬が最後に登場する。そしてシュリーマンの話をやって終わり。

『スローカーブを、もう一球』山際淳司著

2011-01-26 00:00:32 | 書評
slowcurv早世したスポーツルポライター山際淳司氏の短編集『スローカーブを、もう一球』を読む。

積んであった文庫本の一冊で、既に読んだような気がしていたが、8つの短編のいずれについてもまったく記憶がないことから、読んだことはなかったということになった。もっとも、それでも読んでいて重度の認知症に陥っている可能性は捨てきれないが、その場合、同じ本を何度読んでも新鮮な気持ちになるので、何冊も本を買わなくても1冊で済むので安上がりだ。その場合は、小川洋子の『博士の愛した数式』がいいかもしれない。

さて、短編集『スローカーブを、もう一球』だが、作品は、1979年夏の甲子園の箕島対星陵の3回戦の「八月のカクテル光線」、1979年広島対近鉄の日本シリーズ最終戦の「江夏の21球」、ボート競技でオリンピックを目指した「たった一人のオリンピック」、プロ入りした投手の野球人生を描いた「背番号94」、かっこよさにこだわるボクサーの「ザ・シティ・ボクサー」、 スカッシュの十年連続日本チャンプの「ジムナジウムのスーパースター」、マイペースな練習で超スローカーブを勝負玉とする高校球児の「スローカーブを、もう一球」、棒高跳びにチャレンジする「ポールヴォルダー」で構成されている。

主人公は次のとおりだ。

「八月のカクテル光線」 加藤直樹 星陵高校一塁手
「江夏の21球」 江夏豊 広島カープ投手
「たった一人のオリンピック」 津田真男 ボート選手
「背番号94」 黒田真治 巨人軍バッティング投手
「ザ・シティ・ボクサー」 春日井健 ボクサー
「ジムナジウムのスーパーマン」 坂本聖二 スカッシュ選手
「スローカーブを、もう一球」 川端俊介 高崎高校投手
「ポールヴォルダー」 高橋卓己 棒高跳び選手

全8作のうち4作が、野球関連である。そこそこに面白いが、最初に配置された「八月のカクテル光線」について、感じたこと。

1979年夏の甲子園で、突然に、そして偶然に発生した名試合のこと。今や、野球の松井とサッカーの本田を輩出したことで有名になった星陵高校と当時常勝と言われた箕島高校の一戦。試合は延長に入り、選考の星陵が加点するたびに箕島が追いつき、最後に延長18回裏、引き分け再試合の寸前で、箕島がサヨナラ勝ちをするのだが、星陵一点リードの延長16回裏2アウトの守備で、一塁手がファウルフライをカクテル光線の中に見失い、さらに人工芝と土の境目に足を取られて転倒という不運に見舞われる。もちろんフライを取っていれば試合終了だった。

本書を読むと、既に両チームとも選手が疲れきって、いつエラーが起きても不思議ではない状態で、加藤一塁手の状態をベンチで見ていた監督ですら、取れないだろうという予感があったそうだ。

ということで、チームが彼を責めることはなかったそうだが、選手の方は、その「一球」の悔しさを長く背負っていたそうだ。


小説から離れるのだが、エラーの後で、「気にするな」とか「君のせいじゃない」とか「さあ、がんばろう」とか言うのでは、いかにも味が悪いわけだ。

もし、自分が監督だったら、全員が疲れ果てた時には、円陣を組み、エラーが起きる前に、こういうだろう。

「君たちは疲れ切っている。これから誰がエラーをするかもしれないが、それを責めるのはやめよう。この試合は既に負けた!と思えば、いいじゃないか」

監督の言葉としては、ちょっと弱気だろうか。

一発退場!!

2011-01-25 00:00:54 | マーケティング
一発退場と言えば、アジアカップ名物の視力の悪いレフェリーのことだと思っていたのだが、身近なところにもあった。

最近、国産の太陽光パネルを十数枚買って、自宅の屋根で発電事業を始めたのだが、パネルの販売代理店からおまけを貰った。



携帯電話用の太陽電池。

結構、機能的には(というか、カタログ的には)すぐれもので、太陽だけじゃなくて、USBでパソコンにつなぐと、単にバッテリーとしても使えるし、貯めた電気で懐中電灯代わりにもなる。アダプターで携帯電話の充電だけではなく、一部のカメラのバッテリーの充電もできるらしい。旅行に行く時に便利だ。飛行機や新幹線の予約を携帯で行うので、バッテリー切れは、たいへんに困る。

ただし、中国製。カタログは中国語と英語の二種類。まあ、読まないけど。

「中国製だから保証できませんが・・」とは言われていたのだが・・

試しに実験しようと、日当たりのいいところで充電して、専用のアダプターで携帯とつなぐと・・

見事に成功。と思ったのだが、アダプターがはずれなくなった。

soalor2ピンがはずれたか、一部のプラスティック部分が折れたようだ。ごちゃごちゃやって、最後はえいっとはずすと、運良く携帯の方でなくアダプターの方が壊れて終わる。

太陽光パネルが日本製かどうか、屋根に上って確認しなければならないだろうか・・

カツを食べる

2011-01-24 00:00:02 | あじ
katsu先週、アジアカップのカタール戦の夜、またも鹿児島にいた。ということで、またも西郷とか桜島とか黒豚の話になるのだが、まず、繁華街の天文館通りで、トンカツを食べようと・・

つまり、「カタール=カツ」とみなして、まずは、カツを食べてから、ということ。

で、1450円と記憶しているのだが、黒豚ロースかつ定食を注文。カウンターでビールを飲みながら、目の前でカツが揚がるのを待つのだが、・・

ちょっと異様な厚さだ。肉の厚さが2センチという感じだ。もしかしたら300グラムかもしれない。面積は私の足(27センチ)より大きい感じもある。厚い肉を上げるには、やや油温を下げて時間をかけるせいか、衣がやや黒い。

しかし、まさに黒豚の味だ。筋はなく、噛むと肉汁が感じられる。そして、当然ながら、大量の肉を食べ終わるまでには、時間がかかる。ビールも追加だ。しかし、味に飽きるようなことはない。

そして、時間をかけ、苦戦の末、やっと食べ切る。口の中の皮は、若干剥けてしまう。

そして、テレビでサッカー観戦。苦戦の末、やっと勝ち切る。次は韓国戦だが、たぶんまた宿泊先でテレビ観戦。焼肉かな?マッコリ飲み過ぎて大敗かも。


実は、何回か前のオーストラリア戦の前に、オーストラリア牛のビーフカツを食ったのだが、逆転負けだった。だから、まったくあてにならない応援法なのだ。

10年間、年賀状を出さなかった人は?

2011-01-23 00:00:05 | 市民A
大手町の「ていぱーく(逓信総合博物館)」で1月30日まで開催中の特別展「年賀博覧会」へ。

いまどき年賀状でもないのかもしれないが、それでも毎年数十枚を出し、それより若干多く年賀状が届く。デジタル年賀状よりもずっと多い。たぶん、アナログ年賀状とデジタル年賀状の比率というのは、何らかの指標になるのだろうが、何の指標になるのか、実際には見当が付かない。

そして、今年のウサギ年に因んだ過去の年賀切手や年賀はがき(お年玉付き)の特集と並んで、この展覧会では、年賀状そのものの歴史が解き明かされていた。

で、この年賀状の始まりということになると、実は相当古い記録があって、その起こりは新年に朝廷で挨拶をした(朝廷の儀)ところから始まるようだ。その後、それを手紙で行うことになったのは、明治以降の郵便制度による。

そして、昭和11年用からは、「年賀切手」という特別デザインの切手が発行され、大量年賀状時代が訪れるのだが・・・


人々が年賀状で新年の新たな思いや願いや夢を語る時代は、すぐに崩壊してしまったわけだ。

日中戦争が始まる。



昭和13年用のデザインは注連縄(しめなわ)である。そして、これからは年賀状自粛時代に入り、そして昭和15年には、年賀状を出すこと自体が非国民の扱いとなる。年賀状自粛がお触書になった。こうして、年賀気分に浸ることもできず、すべてが戦争遂行のためのみの国家となった。

そして、終戦。


年賀状が、年賀切手とお年玉付き葉書という形で復活したのは、昭和24年用からである。デザインは少女と羽子板。奇しくも、ちょうど10年前、昭和13年用の切手のデザインには「2」という数字がある。2銭だった。昭和24年用にも2.00とあるが、これは2円だった。10年で物価は100倍になった。預貯金はすべて戦時国債に流れて、ほぼ無価値になり、一方、インフレで物価は100倍になった。多くの資産家が無一文になる。



ところで、昭和24年に再開された年賀状だが、当時、別の事情があったそうだ。

大戦で人々の生活(大きく言えば運命)は、荒海に浮かぶ木の葉のように揺れ動く。あるいは沈んでしまう。住所は変わり、勤務先も変わり、職業も変わる。家族構成だった減ったり増えたりだ。多くの人々は自分のことで精一杯で、他人の消息まで気を回すことができなかった。

そして、敗戦後3年半が過ぎ、人々が旧友や近所の知人、遠い親戚などの消息を確かめ合い、悲しんだり喜んだりした情景が目に浮かぶわけだ。

想像するに、兎や牛の絵などではなく、限られた面積の葉書に、小さな文字でびっしりと10年間の困難な状況をしたためた年賀状が行き交ったのだろう。

もう一度、昭和24年用の切手の図柄を眺めれば、少女は羽根を高く投げ上げ、まさに羽子板で強く、高く、さらに遠くへ打ち飛ばそうとしているわけだ。

その後、62年。天高く飛ばされた羽根は頂点を極めた後、落下をはじめ、地に落ちる寸前といったところにあるのだろう。

今年こそ十段を目指そうかな

2011-01-22 00:00:18 | しょうぎ
現在、指将棋が五段免状で詰将棋は四段免状を持っている。合計九段。

なんとか十段を目指したいのだが、机上の空論でいえば、あと一段だけならなんでもいいじゃないか、ということになるのだが現実は、甘くない。

今さら、将棋や詰将棋が格段に上手くなるはずはないし、だいたい今現在の棋力は、九段を取った時より格段に落ちている。

では、他の分野を探すと、格闘技系は柔道、剣道、空手をはじめ手裏剣に至るまで段級位制はあるが、実力でこれから取るのは至難の業。いまさらできそうな格闘技は頭突き位だが、それに段があるわけもない。

書道とか無理。相撲取りみたいに手形をバンと色紙に打つのはできるけど。珠算も無理。指が太すぎる。

それで、やはりテーブルゲーム系に戻ると、オセロ・囲碁は最弱だし、関西棋院ですら初段免状を取得するのは簡単じゃない。将棋の方はネットショップで堂々と31,500円払えば実力不問で免状が買えるのだが、囲碁はテストがあるようだ。

結局、コストパフォーマンスは最悪だが、大枚を26枚用意して将棋六段免状を入手するという選択になるのかもしれない。以前、将棋世界誌の六段コースを卒業しているので、一応権利はあるのだが、免状の署名者が将棋連盟会長、竜王、名人の三名になっていて、妥当な三人が揃えば購入する可能性があるかもしれない。

まず、連盟の会長選挙がある。そして名人の調子がイマイチであるのが気になる。

一体、どういう免状になっていくのだろうか。



さて、1月8日出題作の解答は、こちら



今週の問題。



私事ながら、年末に大掃除をした。最近流行の断捨離。過去からとってある色々なものを、捨てた。これがヒント。

2二の「と金」が、ユニークかな・・

判ったと思われた方は、コメント欄に、最終手と手数と酷評をきしていただければ、正誤判断。

切腹最中

2011-01-21 00:00:50 | あじ
知る人ぞ知る大江戸スイーツが『切腹最中』である。「せっぷくもなか」。決して、「せっぷくさいちゅう」と呼んではいけない。



普通の最中と形状が異なるのは、中の餡が大きく横腹から飛び出していることである。切腹して、腹を切った時に、内臓が外に飛び出すことを摸しているそうだ。

で、この最中を売っている和菓子店新正堂は芝愛宕にあるのだが、ほぼ、その店のあった場所は江戸時代は陸奥一関藩主の田村家の屋敷だった。そして、1701年(元禄14年)5代将軍綱吉の時代に事件は起こる。

3月14日。浅野内匠頭による江戸城内刃傷事件が発生。

有名な忠臣蔵の前半部である。直ちに取り押さえられた浅野長矩は、江戸城の不浄門から網駕籠に押し込まれ、綱吉の親友(愛人?)だった、一関藩主の田村建顕邸に送られる。

そして、まだ護送中のうちに、怒り狂った綱吉は、浅野長矩の切腹を決定してしまう。随分早い裁判と処刑だ。現代日本のように16年前のこれも3月に東京中心部で起きたテロ事件の関係者一同が、死刑廃止論者が法務大臣になることを心待ちにしているのとは大違いだ。即日執行ということになる。

各種研究によれば、切腹は、田村家の庭で行われたとされるが、その庭の場所とほぼ同じところに、この和菓子店がある。日比谷通り沿いの碁盤店の前に記念碑が建っているが、ほんとうは、碁盤店の裏に、庭があったようだ。


それで、この切腹最中だが、仕事に失敗して他社に何らかの迷惑を与えた場合などに、手土産にすることになっている。

ただし、相手にユーモアがある場合に限られるわけで、シャレの通じない相手にこれを持って行くと、逆効果になることは間違いない。腹を切るだけじゃ済まず、「指も詰めろ」とか言われたりする。「指詰めチョコレート」とかも持っていかなければならない。


ところで、この最中だが、お店の用意した書き物に、「全日本ANAスイーツ第一位」と書かれている。どうもANA FESTAの発表するお土産物ランキングで1位になったことがあるらしい。ちなみに現在の1位は「東京ぼーの」、2位は「崎陽軒のシウマイ」となっている。リストには、切腹最中も入っているので、人気商品であるのだろう。

が、・・・

よく考えると、これを手土産にするということは、何らかのチョンボをした会社の人が、羽田空港から国内線に乗って日本のどこかのお客様のところに謝りに行くというケースが非常に多いということなのだろう。

飛行機で急ぐビジネスマンって、そういう仕事が多いのだろうか。ちょっと、変な国だ。(もちろん、何度もそういう用件で飛行機に乗ったことがあるが、私の場合の手土産は、虎屋の羊羹と決まっているわけだ)

若き薩摩の群像たち

2011-01-20 00:00:30 | 歴史
鹿児島中央駅の広場に、かなり大きな彫刻がある。昭和57年建立された「若き薩摩の群像」という17名の若者像である。



で、彼ら一人ずつがいかにその後の日本の役に立ったかというような説明が付けられている。

それで、鹿児島から戻って調べると、彼らが出発したのが1865年。歴史の流れ中では、薩英戦争で、鹿児島が焼け野原になった後、心を入れ替えた藩が、将来を嘱望された17人の若者を英国留学に出したということだ。もはや、海外渡航禁止といった幕府の定めなど聞く耳はなかったわけだ。一方、彼らよりやや年上のグループは、倒閣運動に向かっていく。



そして、さらに調べると、英国に渡ったのは17人ではなく、19人だった。

では、なぜ、銅像は17人分しかないのだろうか。

薩摩人ではなかったからだ。一人は土佐人。一人は長崎人(通訳)。昭和57年の頃には、仲間はずれになっていた。狭い料簡だ。

実際には、二人は、その後、薩摩の為に尽力していたことがわかったようだ。

さらに、町田実積さんと町田清次郎さんは、その後不明とされていたが、別に不明でも何でもないようだ。同時に英国留学し、後に国立博物館の館長になり、さらに三井寺住職となった町田久成さんの弟で、養子に行ったため、苗字が変わって、よくわからなかったらしい。

そして、最年少(数え14歳)で英国に渡った長沢鼎さんは、その後、日本ではなく米国に渡り、23歳でブドウ園を持ち、その後、郡の長にもなり、ワイン王となったようだ。

そういった今まで無名とされていたが、調べたらとても面白い人生を送った人物というのを発掘するような仕事は故人となった吉村昭の専門だったのだが、後継者はいないのかなあ。

Manami Morita 『Colors』

2011-01-19 00:00:54 | 音楽(クラシック音楽他)
積んだままになっているのは、本だけじゃなくて、CDもある。これじゃ新譜を買っても、意味ないということになる。



といっても、CDを聴くというのは、本来そんなに大変な作業じゃない。本を読んだり、ブログを書いたり、その他何かをやっている時についでに聴くことができる。

とはいえ、ジャズってそういうように聴いていいのかよくわからないので放置していたのだが、ついに、タワーレコードの黄色のポリ袋の中に入っている何枚かの中からManami Morita  』を取り出す。

「ポスト上原ひろみ」という評判で、1年ほど前に買ったことを思い出す。どこかの広告で、クリアな弾き方とか書いてあったような記憶がある。

で、ジャケット。

かなり、デザインが入っている。紙製である。外側だけでなく、内側もいい感じだ。もちろん『』の通り白地にシンプルなイラスト。そして7色。

まあ、すべてのCDがこういうジャケットだったら、売上ももっと伸びるのだろうけど・・

そして、JAZZ。



上原ひろみとは、まったく似てもなければ別のもの。何の関係も、影響もないでしょう。それに上原さんってまだ31歳なのに「ポスト」じゃ引退選手みたいな扱いだ(結婚したからかな)。

あえて共通点を探せば、「ピアノ」というのと「バークリー音楽大学卒業」ということだけだろうか。同門。赤門会とか稲門会というのと同じと思えば、『バー門会』とでもいうのかな。日本バー門会の会長は渡辺貞夫。ただし、森田真奈美さんの入学した2006年から、入学テストが始まり、誰でも入れる大学ではなくなった。ポスト「バー門会」が必要かも。

冒頭に書いたように、「何かをしながら聴くJAZZ」ということには、ならない。何か超絶プレーみたいな感じはするのだが、かなり軽く吹っ飛ばして弾いていく。ああ、疾走感というのは上原さんと似ているかもしれないが、それは頭で考えたらということ。結局、3回回してみた。

COOLとかSPEEDといった単語が浮かんでくる。上原さんの方の球種はSPIRAL。

ところで、これを書くために、後で調べて驚いたのは、この『』だが、バークリー卒業時に、卒業制作ということで自主製作したものということだった。本の世界でいう自費出版。それが認められたわけだ。

さらに驚いたのは、このジャケットのデザインだが、Manamiさんが自分で描いたということだそうだ。それも30分で。

morita3つまり、神は二物を与えたわけだが、さらに追加すれば、元々、難関上智大学に入学していたのだが、それではJAZZができない!とJAZZの勉強でUSAに渡ったそうである。確かに日本でJAZZを大学で勉強となると、洗足学園ということらしいが、結果、またバークリーに行ったりするようだ。

もちろん、各方面に才能があるからといって、全方面で一流になるかどうかはわからないわけで、30歳になるまでの、ここ5年間が重要なのだろう。

映画『闇の子供たち』

2011-01-18 00:00:47 | 映画・演劇・Video
映画『闇の子供たち』は原作、梁石日の同名小説を阪本順治監督が日タイ合作映画としてまとめた。江口洋介と宮崎あおいが出演。どちらが主演なのか、はっきりしないのだが、はっきりしないことが多い映画でもある。



闇の組織が関与するタイの少女(少年)売春組織。こどもを売る親。買う男たち。そして、もう一つの闇が臓器移植。日本から臓器移植のためにタイで手術を受ける親子。そして、その提供される心臓は?それを追って記事にしようとしている日本の新聞社、そして現地にいる日本人記者。

記者を演じるのが江口洋介。それとタイのこどもを救うためのボランティアに参加する日本人役を宮崎あおいが演じる。二人が役を演じ切ったのかどうか、簡単には考えられない。



そして、この映画のキーになるテーマである、幼児の生体からの心臓摘出は、真実なのかあるいは虚構なのか。

そして、小説の原作にはないこの映画の結末部分。要するに、心臓移植を記事として追いながらも、隠れて児童買春を続けていた現地記者が、二つの闇組織が同一であることを知った時に、自ら命を絶ってしまう部分だが、どうも賛否両論のようだ。

でも、最後の部分がなければ、日タイ共催とはいえ、犯罪者のほとんどがタイ人ということになってしまうわけだが、日タイ犯罪バランスの面でもここで日本人に悪役の役を作ったということなのだろうか。

1月から、かなりヘビーなのを観た感じである。

麻布演劇市「Angry」

2011-01-17 00:00:33 | 映画・演劇・Video
guilty久しぶりに、六本木で麻布演劇市を観る。演劇集団「ホワイトエンゼル」。

あらすじは、「ある殺人事件の陪審員10人が、評決を審議するために集まる。評決には全員合意が必要。被告は夫と娘を殺した容疑がかかっている女だ。有罪なら死刑。誰もが有罪を口にするのだが、たった一人疑問を投げかける男がいた。そして、長い法廷ドラマが続き、一人ずつ有罪から無罪へと意見が変わっていく。そして最後は・・・」ということなのだが、それでは有名なアメリカ映画である「12人の怒れる男」(ヘンリー・フォンダ主演)と同じじゃないかと思うだろうが、実は同じだ。

この映画を劇場仕立てにしたものと考えればいい。違いは12人が10人になったことと、被告が男ではなく女になったことや陪審員も男だけじゃなく女も登場したこと。たぶん、キャストの関係だろうか。

で、実は、原作の映画を観ている。数えて3つ前の会社の社員だった頃、その映画を使った研修会に出たことがある。要するに、「どうやって、相手の考え方を変えさせて、自分の意見に同調させるか」というスキルアップのため。

およそ15分単位で映画を進めて、次に「有罪派から無罪派に鞍替えするのは誰だろうか」とか予想するわけだ。だから、この劇を観ていても、次の展開がすべて読めるわけだ。実際、何か違うのだろうかと思っていたが、最後の一人が映画とは別の展開になるのだが、どうせシナリオを変えるなら、もっと大胆に変えてもよかったのではないかと、少し思う。

で、結局、無罪となった女性が、本当に無罪なのかどうかは、まったく明らかにはされない。有罪とした証拠が不確かで採用できない、ということで無罪になるわけだ。確か、シャロン・ストーンの「氷の微笑」もそういうことだったように覚えているのだが、「氷の微笑」を演劇バージョンに変換するのは、色々とやっかいかもしれない。


とはいえ、出演者全員が熱演。こういう小規模の劇は楽しいよね。

そういえば、開演直前に、私の隣の客席に慌てて坐った女性がいたわけだ。外が寒いのに、ずいぶん薄着だなあ、と思っていたら、靴を履きかえたわけだ。水虫かな、嫌だなあ、と思っていたら、開演後数分で、すっと立ち上がったわけだ。そして急に舞台に向かって走り始めたわけだ。危ない!と思って、止めようと思ったが、間に合わなかった。そして彼女は舞台に上がって、数分後には刺し殺されてしまったわけだ。

止めなくて、よかった。