浜松で、うな重(竹)を

2015-07-31 00:00:37 | あじ
突然、浜松に行くことになる。あまり時間はない。

で、時短のため、昼食は駅の近くのうなぎ屋に。浜松と言えば、「うなぎパイ」。ではなく「うな重」である。地元の漁協関係の店らしい。

高いと言っても一夏に一回ぐらいウナギは食べてみたい。そのうち、ワシントン条約に従って食べられなくなるかもしれない。クジラ肉みたいになるかもだ。

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で、やはり一本物はいい。関東風の蒸してからの蒲焼だ。こと食べ物について言うと、静岡は関東圏のような気がする。岡山でウナギを頼むと、恐ろしいことに頭がついていることがある。サンマの開きみたいな状態でだ。

関東でも名産地の一つ浦和では肉厚のウナギが多いが、浜松のウナギは身が薄い。この方が好きだ。

都内でもっと高いウナギを食べたこともあるが、ここのウナギは10年振りの美味という感じだ。あまりに美味かったせいで、胃袋が踊ってしまったのだが・・

美しき獲物たち

2015-07-30 00:00:05 | 映画・演劇・Video
007シリーズ第14作。そしてロジャー・ムーアがボンドを演じる最後の作品。

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最後だけに、アクションに徹しているような感じがある。雪原、海、空、そして空飛ぶカーチェイス。

シリコンバレー水没計画が、徐々に進んでいくのだが、それに気付いた時はすでに秒読みが始まっている。なんとなく荒唐無稽でない所が、おちつかないところだ。ありそうでなさそうな話と言うのがシリーズの後半は増えている。

そして、舞台はアメリカ中心。多国籍展開はどうなったのだろう。そういえば、英国映画なのに007シリーズというのは英国で大暴れすることはなかったような気がする。何かわけがあるのだろうか。スポンサーがいないのかな。

しかし、007シリーズを見始めてから、すでに半分以上経過。なんとなくペースが落ちてきた。飽きたということかな。そうやって飽きたころにボンド役が替わるのだろうか。

あるREITの優待に驚く!

2015-07-29 00:00:43 | 投資
結構REITを何種類も持っている。REITの最大のメリットは、100種類近いREITがそれぞれ、別の決算月であり、さらに年2回配当で、配当率が高いこと。

 1.このため、配当目当てで決算月の1~2ヶ月前に買って、配当を受け取るとすぐに、転がす人が多い。

 2.一方、1を目当てに買い込む人の前に買っておいて、配当日の前に高騰した時に売りぬける人も多い。

 3.また、全然違う観点で、不動産投機は実際にやると売買手数料や、利益に対する所得税が高いため、疑似不動産売買として取り組む人もいる。

私の場合、主に(2)だったのだが、そういう銘柄は外国人投資家の比率が高いことになる。

ただ、ちょっと目を付けたのは、これらの方針とはまったく異なる銘柄で、あるヘルスケア関係のREIT。ヘルスケアといえば病院とかメンタルクリニックというようなものがイメージされるが、それらが投資対象になるとは到底思えないのだが、このREITが扱っているのは、「老人ホーム」。

一応「ニッポンに、心強い未来を。」というフレーズが表出されているのだが、まったくギャグにしか聞こえない。年金では足りず、預貯金も含めて、毎月絞りあげていく施設だ。体のいい振り込め詐欺みたいなビジネスともいえる。このREITはニチイ、ワタミをはじめ8つのオペレーターの16の物件を保有している。1256室だ。しかし、実は外国人の保有比率はわずか3.5%。要するに、長い期間に少しずつ配当で出資者に返そうというコンセプトなのだろう。そういうのも持っていてもいいかな。

といいながら、REIT自体、買ってから少し上がったものの、その後ジリジリとダウンを続けるという情けない状態で、たぶん年末になって損切り候補になるような気がするが、配当と一緒に、投資主優待(いわゆる株主優待)があることを知る。

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あまりに奇妙な優待なので、何度も読み直したのだが、やはり奇妙なのだが、

老人ホーム体験入居無料券(1泊2日食事券付き)


これが、4つのオペレーターから出ている。さらに1つのオペレーターからは日帰り(昼食付き)見学券が。

しかも、使用方法をみると、何度でも使えるようだ。しかも北は福島から南は北九州まで全国にある。

これなら、旅行に行く時にホテル代わりに利用することだってできるはずだ。

気が向けば、そこのホームに入ればいい。入居料から10~20万円の割引もあるようだ。

日本の方言(柴田武著)

2015-07-28 00:00:49 | 書評
hogen昭和33年(1958年)の著で、当時の日本で行われていた、地域差別と言語ハラスメントの状況に嘆いておられたようだ。

特に東北から家族で状況した一家が、娘の方言で小学校でいじめられ、一家心中したようなことがあったらしく、方言は日本の宝というような主旨が書かれている。

時に古い本を読むと、著者の未来に対する不安が強く感じられる場合があるが60年も前の予言は当たっているのだろうかと言うと、こどもの方言がいじめの対象になるというのは、たぶん今もそうだろう。特に、関西人は一向に気にしないのだろうが北国の人は気が小さい。これも今も変わってないような気がするが、よく考えるとイジメの問題と方言の問題は違う問題なのだろう。

では、方言はどうなってしまったのかというと、これも地方文化の地方一極化のように、地方の各地域で微妙に異なっていたのが、だんだん共通化しているらしい。

私事ではあるが、岡山で仕事をしていても、全国から電話がかかってくるのだが、現地採用の人を見ていると、まず、共通語で対応し、地元の人の場合は方言になり、外部の人の場合は共通語でしゃべるというようなバイリンガル方式になっているようだ。

というか、それが共通語の本来の姿のような気がする。

英語が社内公用語の会社で、日本人同士は日本語でひそひそ話すとか、社内メールで日本語が使えないので、ローマ字を使って飲み会の連絡しているようなものなのだろうか。

雑魚レストラン ついに陽の目を・・

2015-07-27 00:00:45 | 映画・演劇・Video
麻布演劇市第206回公演は、ついに完成した『雑魚レストラン』。かなり本格的な演劇で、キャストもベテラン中心で、総出演者数40人と半端じゃない。

なにしろ、映画になるはずだった。東京で挫折して心を傷つけられた多くの人たちがサーフィンをするために訪れる場所があった。そこで多くの人たちが出会って、再起のために共同事業として始めようとしたのが、無名の小魚を使った海鮮レストラン『雑魚レストラン』だった。

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ところが、シナリオが決まったのにかかわらず、本作は映画化することが困難になる。なぜなら、その場所は福島県相馬市と浪江町だった。

レストランのあるべき海辺の場所は、すべて流されてしまう。そして、原発事故により、立入禁止となっている。

都会生活で傷ついた人々が集まる場所だったのだが、ここにいた人の方がもっと傷ついてしまう。

ということで、映画ではなく演劇という形になる。さらに喜劇になる予定が悲劇となる(これは最後の1分間を付け加えるだけだが)。

私の席の後ろには、この劇のオーディションで落ちたと思われる女性が、連れの女性に色々と説明をする。うるさいな。

「もし、出演したとすると最後の方で、大量に出演者が登場するところなのよ」とか言っている。

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確かに試食会のシーンでは30人が次々に登場するので、シナリオが大変だ。椅子の数が足りなくなってしまうのではないかと心配になる。むろん、数はぴたりだ。


次回の麻布演劇市は「二宮金次郎」が主人公らしい。例の「歩きスマホ」の先駆者だ。たぶんパスか?

海の日のイベント

2015-07-26 00:00:43 | 市民A
7月20日の海の日の記念イベントが倉敷であって、出席する。海上保安庁系のイベントである。

その中で、今年は20回目の海の日ということだそうだ。誰が決めたのかはやや不自然だし、なぜ7月20日というのもやや不自然だ。日本が海洋国家だったのは、はるかに古代からだったのだが。

そして、来年からは8月に山の日が始まるということらしい。海彦がいれば山彦がいるということか。個人的には「沖縄の日」があってもいいような気がするが、具体的にはいつを記念日にするのか難しいのかもしれない。明治初期に琉球を日本に併合した時?沖縄戦の開始か終結の時?または沖縄返還の日(ちなみに沖縄の新聞2社はつぶしてしまえ、といった人もいるが、一方で、佐藤優氏が毎日読む新聞5紙は、朝日、日経、産経、沖縄タイムス、琉球新報だそうだ?

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で、話がとりとめもないのだが、行事の一環でくらしき作陽大学の音楽部員による「金管五重奏」が行われた。リーダーはホルン奏者の女性で、その他は男性。

あまり日頃、合奏になれていないのか、トランペットがもがいていたように感じられた。もしかして、本当は名曲「海ゆかば」とか出てくるかと思ったが、海軍じゃないのでそういうことにはならなかった。太平洋戦争で日本が勝っていれば、もっと盛大に演奏されるのだろうが、裏声で歌う歌の一つになっている。

詰将棋全国大会に欠席

2015-07-25 00:00:46 | しょうぎ
なにしろ、外に出たとたんに灼熱である。たぶん岡山県からだと、太陽がすでに高くなってから家を出るので、いきなり気持ちがなえてしまった。

それに、過去に何回かいっているが、どうもあのスクエアな雰囲気が肌に合わないところがある。詰将棋の作図もそうなのだが、スクエアではなくヒップな方向が好みなのだ。

また作ってもしょうがない握詰に応募している関係で、出席すると、自分で解説をしなければいけない可能性も感じて、さらに足が重くなり、ドアから一歩出ようと思った足をもう一回室内に戻す。


ということで、きょうはあっさりなのだが、7月11日出題作の解答。

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15手詰。


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本日の出題。お手軽問題である。(過去に出題したような気もするが、そういう記録もみつからない)

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数を記していただければ、正誤判断。

みかん味の飲める酢

2015-07-24 00:00:48 | あじ
「熊手蜂蜜」という九州の会社がある。蜂蜜の会社だが、熊手というのは人名なのだろうか。中国料理でクマの掌が高級食材なのは、手で蜂蜜の巣を壊して蜂蜜を食べているから、掌に蜂蜜の味がしみ込んでいて、うまい、ということらしい。つまり、だから蜂蜜屋に熊手とネーミングしたのだろうか。

で、この商品は「みかん」と書かれていて、蜜蜂との関係がよくわからないが、丁寧にラベルを読んでみると、ベースが蜂蜜とりんご酢の混合液で、それにみかんの果汁が混ざっているらしい。

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そして、5倍に希釈して飲んでみると、蜂蜜とみかん果汁の愛称はよさそうだ。あえていうと「酢」というところに違和感が残ってしまう。

別途、「ゆず」というのもあるのだが、とりあえず、目先の問題を片付けることにする。

忘れたころに出土した備前焼

2015-07-23 00:00:13 | 歴史
数戦直前、1945年になると日本には物資がなくなっていた。各家庭が金属を供出し、それで戦艦を作ったり銃を作っていた。

そして、噂では知っていたが本来は鉄製の手榴弾を備前焼他の陶器で作ろうとしていたようだ。1988年には人間国宝の山本陶秀宅で大量に掘り出したことがあったが、それについで大量に出土したようだ。

今回はある窯元の自宅を改修中に土の中から大量に発掘された。

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関係者の証言や研究によれば、これらの陶器だが、完成後は大阪砲兵工廠へ送られていたようだが、実戦には使われなかったといわれる。備前焼だけではなく、瀬戸焼、清水焼も協力していたそうだ。備前市の調査では少なくても500個は製造されたはずだ。

窯元の話では、進駐軍がきて、ハンマーで壊して埋めた、という記憶があるそうだ。

また人間国宝の一人である伊勢崎淳氏によれば、父は800個の生産を命じられ。納める前に終戦を迎え、家族で近くの川に投げ捨てたそうだ。


こうして戦後70年で、隠しおおせようと思っていたことが表に出て、それなら、それなら、とカミングアウトが大量に発生する。まだまだ色々なことがあるのだろうが、陶器だけにいつまでも風化しなかったわけだ。千年後に発掘されたら、何のためのものなのかわからないだろう。

しかし、記事を報道した山陽新聞は、あっさりと歴史の1ページのように書くという態度なのだが、本ブログはもう少し考えたいことがある。

実は、備前焼の手榴弾は陸軍用で海軍は別の土地の陶器を使っていた。それらは、要するに縦割り社会の弊害なのだが、その問題より前に、実際、手榴弾はなんのために1945年になって慌てて作られたのだろうか。

手榴弾がもっとも効果的な戦闘は、当時は対戦車戦といわれていた。兵士が近づいて手榴弾を投げるわけだ。つまり、本土決戦用だったのではないだろうか。

そして、その結果によっては自決用でもあったのだろう。


(さすがに未使用の手榴弾ということで、証言が多く出てくるのだろう。これが大久野島の毒ガス用の陶器の容器となれば、また事情も違うのだろう。)

八重洲の看板

2015-07-22 00:00:23 | 市民A
東京駅丸の内側のKITTEの6階は屋上庭園になっていて、東京駅舎を上から見下ろすことになるので、それだけの話だが、スマホカメラの画像をよくみると、線路の向こう側、つまり八重洲側のビルの上に並んだ広告看板が見える

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本気で写したわけじゃないのでいささか不鮮明なのだが、解読してみようと思い立つ。その場所は新幹線から見ると間近にあるわけで、どういう企業が新幹線客にアピールしようというのか興味があった。

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まず、右端に「YAN」だけ見えるのは、ヤンマー。東京駅前にずっと会社がある。

次に「BOSS」。缶コーヒー。サントリーだ。新幹線ホームに自販機があるのだろうか。なければコーヒーを飲みたくなって他社製品を買ってしまうだろう。

次に、「アールエフ」。聞いたことがない。アで始まる会社には探偵社とサラ金が多いのだが、調べると長野県に本社があって急成長中の工業用内視鏡カメラの会社で、最近はカプセルカメラで医療用シェアを拡大中。看板の下に東京営業所がある。会社の名前を売り出したいようだが、それなら覚えやすい名前に変えてもいいのかもしれない。「ごっくんカメラ(株)」とか。

次が「中山式」。半年前に中山式腰痛ベルトを買った。新幹線客には腰痛持ちが多いというのは、たぶん真実なのだろう。新幹線にも乗れないぐらい痛い人はベルトでは治らない。

「ECC」英会話スクール。東京駅前に英会話。バルセロナの駅前にも英語教室があった。

「MIZUHO」有名な銀行だ。説明不要。

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「HISAMITSU」久光製薬。サロンパスの会社だ。その下が、
「サロンパス」久光製薬の製品だ。会社の名前を「サロンパス」に変えれば、看板の上下をつないでサロンパスをイメージした□型一枚看板になる。前述の中山式と同種だが、こちらは肩凝りにも効く。

「昭和てんぷら粉」なんのために、ここに高い看板出しているのか不明。でも。粉業界も競争厳しいから出したものは下せないのだろう。この看板が効いたのか、セブンイレブンのドーナツ用の小麦粉は昭和産業が納入を果たした。(ミスドは日本製粉)

「ヴェリタス・インベストメント」。投資用マンションの会社。天ぷら粉の看板の左の看板の側面にカタカナの縦書きになっている。ずいぶんせこい場所を使っている。マンションもそんな感じなのだろうか。

最後に、左端に、「来」という字の下に「チ」と見える看板。ビルの影で全体が見えない。「○○○来○○○チ」といったものだろうが、想像がつかない。解読不能だ。

「未来リサーチ」とかありそうだが、検索すると今は存在しない悪徳詐欺探偵会社らしい。

考える手がかりが得られない。腰痛系かな?投資系かな?

不明なままとなった70年前のこと(2/2)

2015-07-21 00:00:41 | 美術館・博物館・工芸品
昨日の「不明なままとなった70年前のこと(1/2)」の続き。

さらに備前焼の里自体が、空爆されるような必然性があるのだろうか、ということになるのだが、話を聞いた時(2年前)には、焼物と戦争との間の因果関係について、ある程度の知識を持っていたので、「ない話ではないな」との直感が働いた。

あくまでも一般的には、電気工事で使われる絶縁碍子という部品がある。電気を通さないという特徴が生かされ陶器製なのだが、日本の都市が空爆され、電信柱がどんどん倒れて、復旧するとなると大量に必要になる。このため各地で焼かれていたという話がある。

さらに、これこそマル秘なのだろうが、瀬戸内海にある毒ガス島(いまはウサギ島として有名な)の大久野島を見学すると、毒ガス容器には陶器が使われている。

そういうことで、陶器と軍事というものには重なることがあったのだが、備前焼について調べてみると、果たして「手榴弾用」という関係があったことがわかってきた。(後日アップ)

つまり、直感的にはかなり大きなパズルがつながっているような感じなのだ。

といっても、すでに身近に聞く人もいないし、旧家屋は25年前に土蔵と一緒に解体。新建屋には過去のものはほとんどないし、過去から残る納屋にも、陶器の破片もなければそういう道具も皆無である。もっとも「不仲」という伝承からすれば、土すら残ってないだろう(というか、もし焼くなら土は持ってくるだろうと思うし、速攻で作った中途半端な窯じゃ無理と思う)。

ということで、まず藤原啓美術館で手がかりを探したわけだが、展示されているものから感じたことというのは、二つあって、「昭和17年に最初の個展を岡山市(禁酒会館)で行ったあと、昭和20年に個展を開こうとしていた」ことと「終戦間近の作品の色合いは、やや黒っぽいものの、別の時期と決定的に違うとは言い切れない」ということ。まあ、よくわからないということだ。


ということで、それらのことをまとめて書簡として、記念館に郵送。特に他意はまったくなく、もしパズルがはまるなら、年表を見ると空白になっている戦争末期から戦後すぐの間に数行の記載事実が増えるのではないか、といったことである。

そして、書簡を送付したことをほぼ忘れたころに、ご厚意によって調査された内容をいただくこととなる。私信をコピーする気はないので、要点を書くと、

「啓氏が疎開した事実はないと考えている」とのこと。

理由としては,

1.そういうことを関係者から聞いたことがない

2.奥様の実家が県内の過疎地であることから、行くならそちらだろう

3.備前の里では手榴弾をつくっていたが、攻撃されたことはない。手榴弾は使われなかった。

そして、疎開するなら岡山市側からの人ではないだろうか。

との推論を書かれていた。


ということで、いただいた書簡に対する返礼書簡を書いて、とりあえず調査終了ということにしたのだが、確かに「藤原啓説」には、若干の疑問もあり、伝承の途中で「大家=藤原」になったのかもしれないのだが、じゃあ誰だったのだろう。備前焼の先生は備前にいるのだから、やはり・・とか。

しかし、平成の市町村大合併の結果、特に積極的に合併した岡山県では多くの戸籍の附表が閉鎖されてしまい、子孫であっても先祖の方の住民票住所の追跡が不可能になっているというのが現実であり、一応、ピリオドを打つこととした。70年は遠い。

不明なままとなった70年前のこと(1/2)

2015-07-20 00:00:08 | 美術館・博物館・工芸品
昨日アップした岡山県備前市にある「藤原啓美術館へ」について、その後の顛末というのがある。藤原啓氏(1899-1983)は、備前焼の中興の祖の一人で人間国宝である。

その前に、この話は70年前つまり戦争末期につながるのだが、前提に二つの個人的な事情がある。

一つの前提は、「おおた家」のこと。備前焼の故郷からそう遠くない岡山市の東側にある赤磐市にルーツがある。三代前の曽祖父は小振りな庄屋(農地地主)だった。70年前(1945年)、つまり戦争終結の直前には二代前は国家公務員。一代前は「戦犯学校」と後に呼ばれた東大第二工学部(戦争の前に開校し、戦後消滅)にいて、基本的には三代前が住んでいた。60代だったはずだ。そして、山がちな人口希薄地だったせいもあり、疎開の受け入れをしていた。

一般的に、岡山には兵庫や広島とは違って直接的な軍事施設が少ないことから、山間部の大きな農家は都会の人を受け入れていた。有名なのは横溝正史氏で岡山に疎開した時に近くにあった地名を改造して八墓村とか作品に利用している(実際には犬墓山)。

その米軍の攻撃が、軍事施設だけではなく軍用品を作っている民間工場に及ぶに至って、近隣の岡山市などの市街地住民などを受け入れることになったようだ。

実際には、米軍は、日本の各都市を5つの都市を除き、人口の多い順に空爆していた。5つの都市は「核兵器投下候補用」として、そこに人口を残しておいたわけだ。順番が抜けていることは、軍の中枢はわかっていたはずだが、公表されなかったし、今でもあまり話題になっていない。その後、壊滅して反撃力のなくなった西日本の都市に対しては低空から市民に対する銃撃攻撃が始まっていた。まだ女子高生だった私の母親も、備前市と岡山市の中間の出身だが、パイロットの顔が見えるほどの位置から銃撃され、用水路の泥水の中に隠れたと言っていた。

そして、第二の前提だが、私の一代前(父親)だが、約一年前に、元はといえばタバコの吸い過ぎに起因する病気により他界。徐々に悪化する病気であったため、東日本で入退院を繰り返していたのだが、ある時、昔話の中で岡山県の旧家について、先代たちから聞いた話として(本人は、東京または千葉にいた)次のようなことを語っていた。

戦争中に疎開してきた人は、備前焼の先生で、確か「フジワラ」さんという人だそうだ。有名な人で、色々な来客があり、そのつど預かっている当家で、接待しなければならず、大変困っていて、いつも不仲であったとのこと。そのうち、近くの山で土を探してきて、自分で焼いていたようだ。


父親の話も、その「フジワラ」さんと直接会ったわけではないのだが、備前焼の先生とフジワラさんの組み合わせとなれば、藤原啓氏ということになる。現在は藤原一家として有名だが、すべて啓氏の末裔だ。ただ、昭和20年には、まだ大家ということではなく、岡山市で個展を開いたばかりの新進アーティストという存在だったはず。(つづく)

藤原啓美術館へ

2015-07-19 00:00:15 | 美術館・博物館・工芸品
備前焼といえば、土色をそのまま生かした焼き方で、古色蒼然としたところがいい。何しろ古代より日本に残っている六種類の焼物の一つだ。

ただ、古備前と現代備前は、長い空白期で隔てられているのだが、備前焼を復活させた中心人物が藤原啓だ。備前といえば、藤原啓と金重陶陽という二人の人間国宝が有名だが、藤原啓が土をいじくりはじめたのは、40才というかなりの奥手だ。

そもそも彼は、文学を指向して岡山を飛び出していたのだが、次第に戦火が近づき始めたころ文学青年を断念し、正宗白鳥の勧めもあり、備前焼をはじめる。

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40代、つまり終戦前後の作は、美術館に何点も展示されていて、後年の古美術を思いだすような素朴感ではなく、造形にこだわる感じが強い。要するに、まだ作家になって日が浅かったため、色々なものを作りたかったのだろうか。

その後は大きなものや小さなものに取組み、徐々に大家のような落ち着いた過去と現代をつなぐような作品に向かっていったのだろう。


ところで、実は、藤原啓美術館に行ったのには、わけがあり、少し年表などで調べたかったことがあったからだ。しばらくしてから、手紙を書いて確認願ったこともある。

それについては、明日。

字が書けないタイトル戦

2015-07-18 00:00:44 | しょうぎ
叡王戦が始まる。「叡」の字は書けない。比叡山の真ん中の字だから「えい」と読むのかな。

自由参加ということで、本来、自営業者である棋士が、「全タイトル戦に出場しなくてもいい」という権利を得たわけだ。奴隷解放。

そして、各段位毎に予選をしてから、トーナメントが行われる。本来は、棋界ピラミッドの中で重要な要である四段と八段が少ないことが明るみに出ることになる。

そして、人間による叡王戦の覇者と、電王トーナメントの覇者ソフトが、2番勝負で決着をつけて電王位を争うことになるそうだ。2番勝負というのが謎だが、なにか罠があるのだろう。

なんとなく、電王戦の下部トーナメントのように感じてしまうのだが、将棋トーナメントの優勝者がソフトと対戦するとなると、ソフトのバグ探しが得意な棋士が登場する可能性が低くなるのだろうか。

合わせて、達人戦が終わったようだ。なんとなくはじまり、なんとなく終わる。


7月4日出題作の解答。

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まで11手詰。動く将棋盤はこちら

今週の問題。

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追いつめてから、なかなか手ごわい。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数を記していただければ、正誤判断。

八百長説得工作?

2015-07-17 00:00:44 | 市民A
7月15日のNHKクロ現では、FIFAの裏金疑惑の真相に踏み込んでいて、その中で日本サッカー協会の方が、今まで日本サッカーでは八百長すら行われていないと、断言していた。

断言ほど脆いものはないのだが、煙すら立っていないのだからそうなのだろう。totoの仕組みが役立っているかもしれない。


一方、新国立競技場の設計変更問題だが、奇妙なことに設計変更反対しているのがラガーマンだった森元首相ということになっていて、「国民の総意をもって」、安倍現首相が説得に行くということらしい。

といっても、競技場のデザインが決まるずっとずっと前にラグビーWカップの日本開催が決まっているのだから、公約違反も何もない。

なんとなく感じるのが、安保国会のお粗末さで地に堕ちつつある現首相の支持率アップのために、元首相が捨石になる八百長工作ではないかということ。

思い出すのは、小泉元首相が郵政解散に踏み切る時に、森元首相が「解散しないように説得」に行くふりをして、官邸からビールの空き缶を持って出て、テレビカメラの前で斬られ役を演じた場面だ。

もっとも、八百長を日本人があまりやらないのは、発覚した時に思いきり痛い目にあうからだ。ボケ側の演技力は高いだろうが、ツッコミ側の演技力は未知数だ。場合によっては、田舎芝居が破たんする可能性もあるだろう。(説得失敗ということもある)


ところで、国立問題だが、こんなことになって屋根をつけないなら、前の競技場を改修すればよかった、という声すらあるが、すでに解体済だ。審査委員会の委員長も「コストアップは知らない」とか「こんなに大きなものは作ったことがない」と表明。誰も知らないうちにコストが上がったという無責任体制は戦艦大和に突き進んだ過去の失敗を繰り返すように思える。

といって、元の設計を生かしながらアーチを残すとなると、屋根は軽量型で、アーチはパイプで組むというような冴えないものになるに違いない。

そしてできるものは、2004年のアテネオリンピックのメインスタジアムと同じようなものになるだろう。

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実は、みんながバカにしているギリシャだが、アテネにはもう一つのオリンピックスタジアムがある。1896年に第一回オリンピックが行われたスタジアムを残している。屋根はない。観客席は大理石。背もたれなし。スタジアムは馬蹄形で、一方の視野は開放されている。

設計変更が間に合わなければ、この形で十分だろう。東側を開放し、視野の先には、遠景にスカイツリーを配置。近景には江戸城天守閣を建てればいい。今後は江戸城で稼げばいい。


*杞憂ではあるが、2500億円を建設中に直下型地震に襲われて崩れ落ちたら、どうするのだろう。1896年式なら損害軽微ではないだろうか。(着工前に発生ならいいとも言えるが)