イヌ・イヤーおわる

2006-12-31 00:00:39 | The room of Sora
2cf76f87.jpg戌年がおわる。

愛犬SORAも、次の戌年までブログ上からサヨウナラ。
ということはなく、チョクチョク登場するだろう。

気持ちよさそうにクビを振るのは、実は病気のことが多く、中耳炎の可能性あり、ということで抗生物質しばらく飲んでいたら、首を振らなくなった。

ところで、紅白歌合戦に出場しないでクビをイヤイヤするアーティストが急増している。紅白の権威が地に堕ちたということに過ぎないのだろうが、面白いのは、辞退の理由。まあ、お見合いの断りのようなもので、本当の理由は言わないものだ。大部分は「他の用事があるから」ということだが、そんなはずもないだろう。本当は「気分的に出たくない」ということだろうが、あまりにつべこべ言うと、さらに角が立つということだろう。例えば、

倉木麻衣:「3回も出場させていただいて、もう十分です。」

何か「インフルエンザの予防接種」とか「踏み絵」といった趣の発言だ。

一方、NHK側のスタッフの方の努力も想像するに大変だろう。出場者枠は最初に決まっているのだから、多めに出演交渉するわけにはいかないだろう。事前作戦会議で優先順位を決めて、上から順に交渉して、「OK、NO、保留」とか色々な回答を組み合わせて、次点の候補者を攻める。ダメだとさらに次を探す。あまり遅く声をかけると、「繰上げ候補」であることを見破られて難航する。非効率な手順に陥っているのだろう。

では、もっと効率的に進めるにはどうすればいいかといえば、「出場登録制」にすればいい。いくら落ち目の紅白でも、出場したい人はゴマンといるのは間違いない。出場したい人に登録してもらってから、専門家や視聴者の投票で選べばいいのだろう。もちろんギャラはゼロ。逆に出場者からもらってもいい。

もちろん、出場登録の申し込みには、1年間分の受信料支払いの領収書の添付が必要なのである。  
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八幡和郎氏からのコメント

2006-12-30 00:00:14 | 書評
7791269f.jpg私のブログには、とりあげた書籍やコンサートの本人から、よくご来訪いただくのだが、今回は2006年12月13日に書いた、「幕末に関しての2冊の新書」のコメントに、このうち一冊のの著者、八幡和郎さまから、注記をいただいた。

始めに、元のブログは、「同じ幕末の人物像を描くのに、当時と同じように、佐幕派と尊攘派のような立場で書かれたものがある」というような趣旨である。その中で、八幡氏の方を尊攘派に近い書き方とした上で、幕末に大暴れした会津藩が明治政府によって、斗南(今のむつ小川原の方)に移されたことについて、八幡書にあるように、「斗南か猪苗代か選択肢があったのに、わざわざ自然環境の厳しい斗南を選んだ」という事を、青森出身の人に話したら激怒されたという実話を紹介したわけである。その部分についてのさらなる追加解説を書いていただいたという次第。

拙著「江戸300藩 最後の藩主」についてのコメント有り難うございます。このなかで、「この八幡書の記述の正確性についてだが、たまたま、青森の出身の方に、『会津藩は戊辰戦争首謀者の罪で、藩ごと斗南の地(むつ小川原付近)に送られたのではなく、斗南と猪苗代の選択権があったのに、自分たちで斗南を選んだのだ』、という八幡説を紹介したところ、「そんな話は聞いたことが無い。俺の祖先の多くは、斗南にいかれて餓死したり凍死したんだ!』と怒鳴られてしまった。引用には注意が必要だ。」とありますが、この史実は下記のなんと会津若松市のHPにも掲載されている確実なものです。

もっともこの史実を会津の方や会津贔屓の方でご存じない方が多く、無理矢理、酷寒不毛の地に追いやられたと誤解されている方が多いようですが、それは、斗南(現在の青森県むつ市で、決して不毛の地でも何でもなく素晴らしい山海の幸に恵まれ、高い水準の郷土文化があるところです)の人々にも失礼なのでないでしょうか。
また、会津藩政は善政とは言い難く、明治になって、板垣退助が「会津の武士は良く戦ったが、庶民がむしろ官軍に協力的だった」のをみて、「自由民権でなくては国が守れない」と悟ったなどというエピソードはよく知られたものです。
ともかく、会津の庶民は小原庄助さんに代表される気のいい人たちで、いわゆる『会津魂』は、進駐軍として信濃高遠からやってきた会津藩士たちの典型的な信濃人気質を指します。

まず、もともと、この話が正確とか不正確とかということを超え、要するに被害者側(旧会津藩の末裔の方々)はあまり認識していないと思うわけだ。結果としては、多くの方が亡くなったこともあり、急に斗南移転したことには無理があったことが考えられる。想像するに、旧会津の領地が猪苗代付近だけになれば面積がマイナスになり、そこでも苦しい経済環境になることが考えられ、「ままよ!」という気持ちで新天地にいったのかもしれない。明治後期になっても北海道の開拓農家の多くが挫折したことも事実。斗南を選んだのは、どういう決定プロセスを経た結果なのか、というのは少しガバナビリティ学上、興味を持っている。

7791269f.jpgさらに、これも以前紹介した、2006年7月17日号「”バルトの楽園”は骨太だった」という映画の中で、松平健扮する松江豊寿(実在)は、元々、会津藩出身の両親を持ち、斗南で悲惨な人生を送ったあと陸軍に入るのだが、そこでも長州閥に苛められ、徳島県のドイツ兵板東捕虜収容所長という閑職に追いやられるという筋書きである(会津バッシング決め付けである)。


そして、もちろん、「現在のむつ小川原の人に失礼」というのは同感だが、実際には原発や自衛隊、米軍の象の檻や農薬工場や旧原子力船母港などが集中しているという日本の要塞地域になりつつあるというのが実態のように感じる。文化人といえば「寺山修司」。やっとの思いでたどり着いた彼の記念館は三沢市のさらに辺境にあったのだが、出身は弘前方面のようだ。戦後最大級の韻文作家と思っているが、この年の暮れに、彼の探していた「祖国」を思い出してしまう。


なお、八幡さんの新書は、「江戸三○○藩 最後の藩主」 光文社新書 850円+TAX。とても新書とは思えない380ページの大著である。図書館で借りたりしないで、書店で購入した上、さらに図書館に行って、「これから読みたい本」として一票投じていただければ、さらによろしいのではないだろうか。  
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高見順のこと

2006-12-29 00:00:22 | 書評
d8a16339.jpg最近、何ヶ所かの図書館で「高見順コーナー」を見かける。1907年1月30日生まれの作家は、もうすぐ生誕100年である。1965年8月17日に亡くなっているので、58歳。同世代の作家は、もっと長寿であるか、もっと若く自殺したかの両極端が多い。食道癌に冒されていた。

実は、今まで一冊読んだか読んでないかという、縁の遠い作家だった。どうも、情熱的に突き進む作風に馴染めないところがあり、逆に、石川淳は全集まで買って読んでいるのとは正反対。また、太宰治は、一見、情緒的な文体の中に冷静な計算を感じるのだが、高見順の文体は、熱く、重く、直球しか飛んでこない。自分の半端精神では立ち向かえないイメージがあった。

そして、「高見順コーナー」の中に、なぜか、軽いエッセイがあるのを発見したのだが、作者は女優の高見恭子さん。なぜ、高見順のコーナーに高見恭子さんの書物が混じっているのか、よくわからないまま、軟弱にそのエッセイの方を借りてきて、読んでみると、驚いたのは、恭子さんは高見順の娘、と書かれている。年齢的に微かな意外感を感じる。そして、その本を読後、返却する際に、展示コーナーの年譜を追うと、驚く事実が多数、書かれていた。

帰宅後、あれこれと調べたことも含め、高見順の秘密を薄くなぞってみる。

まず、出生から。高見順の本名は高間芳雄。福井県の三国の生まれで、生家は保存されているのだが、昨年、福井から三国鉄道で辿り着いた古風な料亭から僅か数百メートルの場所。それを知っていればと、少し悔しい。そして、本名が高間だから両親も高間かと言えばそうではないのだ。母親は高間姓なのだが、父親は異なる。阪本之助という。福井県知事。福井県知事は三国ではなく、本来、福井市にいるはず。詳しい事情はあまり調べたくないが、要は非嫡出子ということ。そして、一歳で上京。才高く、一高を経て、東京帝国大学英文科に進む。しかし、この父子は学費や養育費こそ父が負担していたものの、一生顔を合わせたことがなかったらしい。そして、父が子を認知したのも芳雄が20代になってからとのこと。(この阪本知事の甥に永井荷風がいて、順と従兄弟関係であるのだが、作風は激しく異なる。)

その後、彼はプロレタリア文学を書き始めるのだが、1932年に治安維持法違反で逮捕され、転向。戦後、このトラウマを引き摺る。1935年に「故旧忘れ得べし」で第一回芥川賞候補となり、職業作家の道が開ける、とされている。

この部分を、芥川賞の歴史の中で調べてみると、第一回(1935年上期)の受賞作は石川達三である。では第二回はといえば、該当なしとなっているのだが、この第二回というのは1935年下期が対象なのだが、ちょうど選考時期が226事件(1936年2月26日勃発)と重なり、選考会そのものが開催できなかった、ということだそうだ。歴史に「もし」は禁物だが、彼が芥川賞を受賞していたら、その後、色々と異なる展開になっただろうとは推測の世界である。

そして、作品はほとんど読んでいないので、論及することはふさわしくないため、ここには書かない。

d8a16339.jpg次に、高見恭子さんの方の話だが、年が離れているのも無理もない話があった。彼女の生まれは1959年1月5日。高見順52歳の時の子になる。彼女の父親が高間だから高間姓かと言えばそうではないのだ。小野寺姓である。母は高見順の愛人で、恭子さんは千駄ヶ谷の生まれだそうだ。そして、6歳の時、高間芳雄の養女として高間籍になっている。養女となった日は1965年8月4日。その13日後に高見順は亡くなる。

その後、高間恭子は高見恭子を名乗り、タレント活動の傍らエッセイを書き始め、1回の離婚のあと、1994年に2歳年下の馳浩と結婚。馳浩は結婚した当時はプロレスラーであったが、翌年、自民党から国会議員に当選する。選挙区は石川県である。馳は富山県の生まれであるのだが、少しばかり福井県に引き寄せられたのが、なにかの引力によるのだろうか。


ところで、今年、作家吉村昭が亡くなる時に、自らのどのチューブを引き抜いて、他界したことが、死後、報道されたのだが、高見順の最期にもドラマがあったそうだ。

山田風太郎著である奇書「人間臨終図鑑」は、こう記す。


(秋子夫人の観察)8月17日午後2時半ごろ、龍沢寺の中川宗淵師が病室に入ってきた。
彼は高見の一高時代の同級生であった。彼は巻紙に書いた決別の辞を病人の枕頭におき、しばらく高見の顔をみつめていたが、やがて

「こんなものは取りましょう」

と酸素吸入のパイプをはずしてしまった。あっけにとられた医師に会釈して、宗淵師は読経をはじめた。それは2時間も続いた。


秋子夫人は記す。
「朗々とした身にしみわたるお声だった。最後に 「渇!」と大きな声で叫ばれた時、高見は私のほうをみて、息を引き取ったのです。
閉じられた双のまぶたからは、はらはらと涙があふれ両方の痩せた頬に流れ落ちました。5時32分のことでした。」
(『人間臨終図鑑(II)』 徳間文庫 p.81 山田風太郎)


文中の秋子夫人というのは、高見順の2番目の夫人のことと思われ、長女を産んでいたはずである。2週間前に入籍した恭子さんや小野寺家との関係がどうであったのか・・・。深い詮索はやめておく。

そして、現代であれば、酸素吸入のパイプを引き抜いて読経を始めれば、1時間後には最寄警察署の拘置所に入っているのは間違いないことだろう。  
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裁判長は冷静でなければ

2006-12-28 00:00:56 | 美術館・博物館・工芸品
姉歯秀次裁判で東京地裁の川口政明裁判長は”懲役5年”の判決を言い渡した後、被告に対して、反省を求めたにもかかわらず、シカトされ、「法廷では大変な事をしたという感じが伝わってこなかった。いら立ちを覚えたのも偽らざる事実だ」と怒りのコメントを発表したようだが、気持ちはわかるが、もう少し冷静に対処すべきではないだろうか。日本は三権分立の国であり、司法の責任は重い。今後、裁判員制度が導入されるというのに、感情に任せたように思われる判決は、いけないのではないだろうか。

最近、いくつかの法廷ブログ(HPも)もあり、裁判の内容は広く公開されつつある。また知的所有権や民事の裁判では、当事者の両方から、裁判の内容、裁判官の言葉、証拠物件などを公開、さらにいずれも側からも弁護士の意見まで公開され、裁判所外で公開裁判風の事例もある。

例えば、将棋連盟会長の米長邦雄氏および関係会社が同連盟の武者野六段及び関係会社から将棋ソフト盗作問題で訴えられた件では、双方のホームページに証拠や裁判官の発言(失言)、などの暴露合戦になっていた。(事件は、また誰かが分析するだろうが、武者野六段の名前で売れなかったソフトを、廃棄させ、微修正して米長名で発売したところ売れた。著作権を武者野六段が放棄したのかしなかったのかというようなところが争点だったような気がする。最近、双方とも公表していた内容を少し削除始めていたと思ったら、結局、米長会長側の盗用が認定され、対価を支払うようである。

裁判官も常に判決文が市民の目にさらされるようになったということで、緊張を強いられるようになったということ。私の勘では、2007年度は公判傍聴ブームになるのではないだろうか。なかなか変わった裁判官もいるわけだから・・


さて、話を姉歯事件に戻すと、懲役5年というのは、マンション強度偽装設計の罪ではなく、国会での偽証罪ということ。まさか、単に刑が重いからという理由で、偽証罪の方を採用したことはないのだろうが、どこが偽証なのかと言えば、「強度偽装の強要の圧力を感じていた」というところである。つまり、この部分を偽証と結論したことは、この事件は、姉歯主導型の事件であり、強要はなかった、ということにお墨付きを与えてしまったように考えられる。

全貌が存在するのではなく、個別の詐欺とか、手抜き検査とか、建築士資格の名義貸しとかがそれぞれ存在するだけであり、「これにて一件落着」ということになる。仮に、姉歯氏が国会で、「圧力があったとかなかったとか証言し、後で発言を裏付ける証拠が提出できないと、偽証の罪を問われる可能性が否定できないので、これ以上は発言しません」と言っていれば、罪は相当軽かったはずだ。自分で証明できないことをあいまいに喋ると、重い罪を受けるとなれば、今後、証人喚問で聴きだせるのが氏名だけということになるのかもしれない。
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ブレーク,ブレーク,・・・・

2006-12-28 00:00:44 | 美術館・博物館・工芸品
年賀状がやっと終わる。何しろ、途中でプリンターが不調に陥り、一枚ずつ手差し風になった。若干、インクが裏に回る。プリンターのモーターが止まらないようにハガキを挿入するタイミングや、空回りして吸い込まれそうなのをサッと回収したり、出てきたハガキが重ならないように新聞紙の上に並べたりとか、まさに某国の偽札作りのようなありさま。何枚も失敗して、枚数が少し足りなくなってしまった。

このプリンターはE社製。前はC社製だったが、こちらも壊れた。さらにスキャナーも先日、異常音を発して緊急停止。これもE社。このプリンターとスキャナーの関係について、洗濯機と乾燥機の関係のように買い替え時期で悩んでいたが、両方壊れれば複合機を買うことになり、少しは部屋が広くなる。

実は、この数週間で次々と「おおた家」は故障に見舞われている。まず、クルマのトランスミッションが壊れる(N社製)。さすがにこれは修理する。ステレオの電源が不調。電源を入れても、0.3秒間で切れる。P社製でいかにも修理不能。電気掃除機が寿命4年で早世。H社製。いかにも老衰のような音でモーター音が下がっていき、最後に不吉な悲鳴をあげて心停止。細かな話では、寿命1年のドラム型洗濯乾燥機(T社製)のプラスティック製の洗剤投入口のわずかな歪みが拡大していき、力任せに押し込まなければならなくなっている。部分的に中国製を使っているのだろうか。傘の骨が2本同時に折れるとか、4本使い回している腕時計のうち3本の電池が同時に果てるとか(1本廃棄)、夜間使うメガネ(N社製)のネジが外れてバラバラになるとか・・・続く、続く。ゴミの山が・・。

当然ながら、次の危険を警戒しなければならないのは、人間の怪我、家の破損など。

とりあえず、毎晩、泥袋のように酔っ払わないことが一番だろう。  
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今年の100冊目「資本主義と自由」

2006-12-27 00:00:07 | 書評
5743140c.jpg毎年、100冊は読書しようと思っていて、今年は、年末ギリギリになった。年初、約2ヶ月ほど読書できない時期があったので、「今年は無理か?」と思っていたのだが、なんとか帳尻を合わせた。100冊目が「○×殺人事件」とかでは情けないので、書棚から古き一冊を選ぶ。年末に94歳で他界したミルトン・フリードマンの「資本主義と自由」。マグロウヒル好学社から昭和50年11月20日に発行された日本語版初版である。結構、わが書棚には、グッドテイストな本がある。

フリードマンといえば、マネタリズムなのだが、経済学の世界では、やや傍流感があるわけだ。正統経済学史でいけば、まずアダム・スミスの古典派経済学があり、ケインズの新古典派経済学がありさらに、新新古典派経済学とか、”○○economics”ときちんと命名されているのに対し、フリードマン率いるシカゴ・スクールは、まとめて「マネタリズム」と呼ばれ、経済学の仲間にいれてもらえない。ユダヤ系だからなのだろうか。

確かに、彼が、同業者からもっとも嫌われる点は、「著書がベストセラーになる」ことだと言われる。売れる経済学本を書いた先駆者である。「資本主義と自由」も、一つ一つの論点は易しい。中に、郵政民営化(米国の)議論も書かれていて、前首相もこの本を読んだのではないかと思ったりできる箇所もある。徹底した自由主義経済のメリットを説く筋立てが一本あるのと、政府が行わなければならないのは通貨政策である、というマネタリズムの骨子といえる筋立てが一本。この二つの要素でまとめられている。

そして、読後感は、フリードマンが描く理想国家と較べると、「日本はずいぶん非効率な国だなあ」という感想と、フリードマンが批判した米国の1970年代初頭と日本はよく似ていると言うことだ。ケネディは国民に対して、「あなたは何を国に対してしてくれるのだ」と言ったのだが、逆にフリードマンは「政府は国民に対して、通貨政策によって経済の安定的巡航を保障しなければならない」と書いている。

そして、正統経済学であるはずのサミュエルソンが、有効な政策提言ができなかった反対に、シカゴ学派は南米、韓国などでの経済破綻に対して適切な助言を与え、財政再建させている(年米の多くの国で、シカゴ・ボーイと呼ばれる大蔵大臣が登場した)。米国ではグリーンスパンがレーガン時代から、共和・民主の両党にまたがりマネタリズム流の金融政策を実行していたし、間接的ながら竹中平蔵の実際に採用したプランもシカゴ・ボーイ的だ。

さて、この「資本主義と自由」の内容は、まさに現代日本に起こっていることにも繋がるのだが、「格差社会」について、「平等主義と自由主義の対立」という論拠で論じている。彼は、平等主義が損なわれた(既得権やプロフェッショナル・バースコントロールなど)結果として「貧困」が発生することには、強く反対し、法的介入をもって機会均等を保証すべきと言っている反面、多くの貧者が、努力の結果としての富についてまで、無償で富者と貧者の格差を無くすために再配分するべき、と言うことには、強く反対する。特に、多くの場合、富の再配分が「正義」の名の元に行われるからなおさらなのだろう。

いくつかの古書店検索リストにもこの本は見当たらないのだが、図書館に行けばあると思うので、是非、ご一読を推薦・・  
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浜松町付近にあった版元

2006-12-26 00:00:28 | 美術館・博物館・工芸品
02265b29.jpg終わってしまった展覧会のことを書くのは恐縮だが、書いてもなかなかたどり着けない場所にあって、いかにも通という人用という感じなので、ご容赦を。場所は港区の三田にある「港区立郷土資料館」といっても見つけることは難しく、港区立三田図書館4階である。別名、触れる博物館でもある。「港区」というキーで、驚くほど上質な展覧会を開くので、目が離せないのだが、ほとんど告知されない(千代田区、中央区、台東区のように歴史のある区の郷土資料館には注意が必要)。

今回は、浮世絵にこだわって、浮世絵の風景に登場する港区の風景と、現在の浜松町から芝大門の間に多く集まっていた浮世絵版元の特集だった。集めた浮世絵は約250点という膨大さである。とても一介の区が図書館の4階でやるような規模じゃないのだが、裕福な区なのだろう。

まず、ケチをつける気は無いが、港区の風景の話だが、それほどのものでもない。あえて言えば、海岸で行われていた漁業とか愛宕山の花見なのだが、それは月並みということで、多数の作品が残っている。古地図を見るとわかるのだが、現在の港区のあたりはまず「増上寺」という途方もなく大きい寺がある。増上寺の話はいずれということにして、この大きさは江戸城をちょっとこぶりにした位である。そして、その外側に薩摩藩・仙台藩などの外様大名が住む。そして東海道という幹線道路が海岸に近いところを走っている。この芝地区というのは、海と増上寺の間で東海道に沿った場所ということで、武士と町人が混住していた地区なのである。だから、いわゆる下町とは異なる雰囲気があったのだろう。

02265b29.jpgそして版元の話だが、これが集まっていた。江戸にはその他、日本橋近くにも版元があったはずだから人気画家の引き合いを激しく行っていただろうとは想像がつく。そして浮世絵師は版元とは無関係なところに住んでいるから、版元の「パシリ役」が版下を運んだり、原稿料を運んだりと走り回っていたのだろう。なにしろ北斎みたいに90回も引越しするのもいるから、情報収集は怠ることができない。

 増田銀次郎  「増銀」 天保~明治
 有田屋清右衛門「有清・または有永堂」天保~文久
 若狭屋与一  「若予」
 若林堂      寛政~明治 国芳、広重
 佐野屋喜兵衛 「佐野喜」 英泉 広重
 丸屋甚八
 和泉屋市兵衛  明治になり、教科書業者になった。

ではなぜ、港区に版元が多いかといえば、私の推測では「東海道」関係だろう。当時の浮世絵は1枚800円程度であり、それ自体が高級品ではなかったのだが、そのため江戸土産に使われていたようなのだ。もちろんお土産は軽いほうがいい。となればこの芝あたりで版元直行し工場出荷のアウトレット品を買い集めるという合理性がでてくる。となれば、芝の版元は「江戸の名所画」に特化し、日本橋の版元は「下町の人間」をフォーカスするように分化していったのも頷ける。

さて、版元と絵師のどちらが強かったかはわからないが、絵師の仕事場はこの出版社だったのだろうか、あるいは自宅だったのだろうか。何か、出版社と締め切りを無視する作家のような関係なのだろう。ところが、浜松町のあたりに、現在、浮世絵に関係する遺跡類など、まったく見たことはないのだが、少し探してみる価値はあるかもしれない。
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泣かずに読めた週刊朝日の墓碑銘

2006-12-25 00:01:11 | 書評
e37f6e95.jpg週刊誌を買うことはほとんどないのだが、先週発売の週刊朝日を購入。お目当ての記事は、今年冥界入りした方々の特集「泣かずに読めるか墓碑銘ワイド」。最近特に、書き方に興味を持ってきた吉村昭氏のチューブを引き抜いて壮絶な最後が読めるかと思ったから。そして、12月29日号なのに、先週末に亡くなられた何人かの有名人のことは書かれていないがしょうがない。

1.泣かずに読めるか墓碑銘ワイド
 イマイチ、イマニ、イマサンというところ。登場人物は、橋本龍太郎、岡田真澄、今村昌平、藤田元司、丹波哲郎、大木金太郎、実相寺昭雄、藤岡琢也、甲斐智枝美、武井保雄、吉村昭、絵門ゆう子、内山田洋、石田真二、灰谷健次郎、松野頼三、宮田征典の17人となれば、すべて一冊の伝記が書けるような人物。全9ページでは少なかったか。特に、新発見はない。

2.松坂大輔の直球主義
 実は、なぜ、松坂が交渉最終日まで、国税庁のために、契約金で粘りに粘っていたかよくわかっていなかったのだが、これを読んで理解できた。松坂の契約金が安く決まると、これから始まるメジャーのFA交渉の相場に影響があるそうだ。高い給料は選手が、長い期間に積み上げてきた市場価格なので、ダンピングした場合、他の選手からイジメられることになるからだそうだ。つまり、あまり活躍すると、給料に割安感が生まれてしまうので、活躍しないほうが同僚に喜ばれる可能性すらあるのだろう。

3.罪を憎んで人を笑わず「阿蘇山大噴火さんのベスト裁判20」
 阿蘇山大噴火さんは、一つの顔が新宿駅西口に寝泊りするホームレス芸人。そしてもう一つの顔は「プロの裁判傍聴人」。実は、日刊スポーツに彼はコラム「裁判ショーに行こう」を書いていて、私の楽しみの一つなのだが、ほんとに日本の裁判というのも、変な被告人と変な検察官と変な裁判官だらけなのがよくわかってしまう。来年はいくつか見に行こうかな・・なお、彼は世界でも珍しい男性スカート愛用家だそうだ。

4.お散歩レストラン
 ここに、新しい博物館の情報があった。「ごはんミュージアム」。本当は、ただのレストランなのか、ラーメン博物館のようなものなのか、あるいは本物の学芸員をおいた博物館なのかはよくわからない。場所は丸の内の東京フォーラム内。近日中に探訪を予定する。

そして、この週刊朝日をつまみ読みしていたのだが、同時に読み始めた矢作俊彦著「ららら科学の子」というピカレスク小説の中で、中国から密入国で生還した主人公が、日本最初の日に買うのが「週刊朝日」であることを知って、その偶然に驚く。  
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メリークリスマス

2006-12-25 00:00:40 | The room of Sora
ダイエット中なのに・・・

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今月、六本木で消えるもの「ロクプリ&1」

2006-12-24 00:00:06 | MBAの意見
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原因と結果がどこにあるのか、よくわからないままになった西武グループの解体再構築の一環で、プリンスホテル多数が閉鎖または売却されている。

先日、酷評を書いた元幕張プリンスホテル(現APAホテル&リゾート東京ベイ幕張)はAPAグループに転売になったが、バブルの象徴とも言われた美しいパティオ型プールは六本木プリンスホテルの住友不動産への転売価格に上乗せされることはなかった。約500億円といわれる売買金額は、土地代マイナス解体費という査定だったようだ。2007年問題と言われる都内の新築ホテルラッシュの中では、事業継続困難と判断され、事業用ビルに建て直されるようだ

しかし、とはいっても売ってしまった後は、相手が用途を決めるのだから、やはりホテルが足りないとか言って、そのままホテルとして使ったりすることはないのだろうか。まあ、あまりあくどいことはしないとは思うが、ちょっと懸念。

実は、この売り物のパティオ型プールだが、プール自体がガラス張りの金魚鉢型(マカオのではない)。美しい人魚とそれを鑑賞するマッスラー限定といいたいところだが、今までに何度もプールサイドのレストランに行ったことがあるが、人魚どころかサンマもマグロやカワウソはじめ、いかなる生物も泳いでいるところをみたことがない。

e37f6e95.jpgそして、うっかりしているうちに、早くも全館閉鎖日が近づく。「12月25日のチェックアウトをもって営業終了となります。」ということ。あわてて、プールサイド2階の和食店「江戸」にランチのテーブル予約をとるが、早めの時間に来るように電話越しの弱い圧力を感じる。そして、開店時間1分前に店に入ると店員すら誰もいない。11時半からしか給料を払わないのだろう。一回、外に出て、1分後に再度のれんをくぐると、マジックショーのように店員が総揃いになっている。

これで最後と思い、天麩羅、寿司の両方注文。昼間なりの大枚を使って、いい気持ちになる。思えば、バブルの頃に着ていたイタリア製のスーツや靴なんか、いつ頃捨てたのだろうかなどと、わけのわからない感傷が蘇ってきたりする。

そして、小一時間の後、店を出るとゾロっとお客様の待ち列ができていた。そういえば、事前に調べてみたら宿泊の方も、12月の22日、23日、24日は予約で満室だった。なんとなく日本橋東急デパートの閉店バーゲンを思い出して、嫌な気分になったが、こちらはバーゲンではなく正規料金を払っているのだから、と思い直して上を向いて歩くことにする。

そして、このホテルの目の前にあるナイスママのいるスナックバーにもよく通っていて、世界貿易センターが崩れる場面を米系エネルギー会社の日本人と写りの悪いポータブルの液晶テレビで見ていたことを思い出した。幸い、バーはまだ存在しているようだ。

さらに、ついでにもう一つのサヨナラ物件まで歩いてみる。「velfarre」。「12 years dream 1994-2006 great thanks」とは言うが、こちらは1994年から12年の歴史にピリオド。12月31日25時まで。12月25日には、1995年にここからデヴューした「MAX」が緊急出演ということらしい。「葬儀委員長」という言葉が思い浮かぶが口にはしない。

e37f6e95.jpgところが、残念ながら昼間のvelfarreには、何一つ御威光は感じない。昼と夜の温度差。案外、欧米的というのではなく、「アジアの熱気」だったのかもしれない。こちらも、あと1週間、毎日ビッグイベントが入っているようだが、何か、昨年の「サヨナラ!吉野家の牛丼」というノリのような気配も感じる。

そして、もうすぐ2007年。  
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1 ShotLog-20 冬至来たりて

2006-12-23 00:01:18 | PHOTO
e37f6e95.jpg1年でもっとも夜の長い日。冬至。

ゆず湯につかり、かぼちゃを食す。酒は白鹿しぼりたて。

酒の話では、地方生活の方からの、「東京は呑んで帰るにしても終電が遅いからいいが、地方はタクシーでも代行でも高くつく。飲酒運転の取り締まり強化は”地方軽視だ”」という意見を大新聞の紙面で見たのだが、朝から目をこすってしまった。

遠くに住むことは、住宅コストが下がるので、その分、タクシー代が嵩んでもしかたないのではないだろうか、とは常々、都会人の意見なのだが・・

来年あたりは、かぼちゃでも作ってみるかなっと・・  
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女流棋士分離独立運動!

2006-12-23 00:00:43 | しょうぎ
11月18日に開催された、伊奈川さんの女流棋士誕生パーティに出席したところ、以前、微かに面識のある(つまり対局したことがある)蛸島さんと雑談。当然ながら、先方は私のことなど失念していたが、当時の状況のいくばくかを再現して話を繋げたところ、ピンクのラインの入った名刺までいただいた。さらにお話を頂いたのだが、「女流棋士会の”相談役”という肩書きですが、まだ大いに活動していますから」という意味の発言を、”現役棋士としてまだ引退していない”という意にのみ理解してしまったのだが、後で考えると、どうも、それ以上の意味だった。

12月1日の女流棋士総会で、中井女流六段(元名人)、藤森女流会長、そして蛸島さん(元名人)を中心に、男性だけに正会員(社員)が限定されている社団法人日本将棋連盟から、分離独立を目指す、という決議がなされる。毎日新聞よると・・


将棋:女流棋士会が将棋連盟から独立、新法人設立目指す

 将棋の女流棋士会(藤森奈津子会長、53人)が1日、東京都内で臨時総会を開き、日本将棋連盟(米長邦雄会長)から独立する方針を決めた。今後、連盟の理事会と協議したうえで、新法人の設立を目指す。
 総会では、「女流将棋協会(仮称)の法人格取得のための設立準備委員会設置」についての投票を行い、賛成多数(賛成44、反対1、棄権8)で設置を決めた。総会終了後、藤森会長らが「独立に向けた協議の場を設けてほしい」との申し入れ書を理事会に提出。西村一義専務理事が「誠意を持って対応したい」とのコメントを出した。
 女流棋士会は既存の女流棋戦の独自運営や新たなイベント展開、ファンクラブの設立などを計画。財政基盤の確立やファン拡大をはかるという。
 設立準備委員長に選ばれた中井広恵女流六段は「連盟に育ててもらった気持ちは強く持っています。過去を振り返らずに、新しい指し手を考えていきたい」と語った。
 連盟は1974年、女流名人位戦の創設とともに6人を女流棋士と認めた。1984年、養成機関の女流育成会が発足。現役の女流棋士は現在、50人となっている。公式棋戦は女流名人位戦、女流王将戦など六つあり、そのうち四つがタイトル戦。一方、棋士の養成機関の奨励会に入った女性は、これまで12人。10人は退会し、今は2人が挑戦している。
 連盟は原則的に奨励会の規定をクリアした棋士を正会員としており、女流棋士は別扱い。立場はあいまいで、正会員の男性棋士と違って定期的な収入もなく、「独立して再出発すべきだ」という声が高まっていた。(毎日新聞 2006年12月2日 東京朝刊)


数年前から、この問題では女流棋士側と将棋連盟側が協議を続けていたはずだったが、俗に言えば、「持ちつ持たれつの関係」から相互に少しずつ不信感が募ってきて、ついに協議離婚に至ったということなのだろうか。日本将棋連盟という社団法人は男性現役棋士(約150人)と男性退役棋士(約50人)からなり、さらに若干の職員と東西二ヶ所にビルを持つ。かたや、女流棋士は、連盟から「女流棋士」の肩書きはもらっていても、社員資格はないため、要はフリーターということ。国民年金と国民健康保険に加入している。そして、活動は将棋連盟が窓口になっているという中途半端状態に長くある。

さらに明らかになったのは、女流のタイトル戦の収入が全部で年間7000万円しかなく、うち2000万円が経費に消え、残り5000万円を50人で割る。つまり平均年収100万円ということ。そして、あちこちのパーティとかゲストとか謝礼金とかを独自に開発して積み上げていくしかないというような収入状況になっているわけだ。途中で退会する女流が多いのも頷ける。

となれば、なんとか独自活動で収入アップをはかるしかないのだろうが、そうなると将棋連盟とのスポンサー争奪争いが始まるのは、目に見えてしまうわけだ。無名男性棋士の棋譜など紙面に載せるより、有名女流棋士の棋譜の方がいいに決まっている。そして、今のところ、割安だ。将棋連盟が名人戦問題で苦闘中にことを起こすというのは、絶好の機会には違いない。

ところが・・

男性棋士の方も名人戦問題では亀裂が入ってしまったように、女流棋士の間でも意見が二つの方向に分かれているような噂を耳にするわけだ。もちろん詳しくはわからない。女性専用車両の中で何が起きているかを車窓の外側からのぞくようなものだからなのだが、勝手な想像を入れると、一つの考え方は、「収入アップと富の再配分による棋士収入の安定化」という方向で、もう一つの考え方は、「収入アップは当然だが、収入に個人差があってもしょうがないので、プロゴルファーのような組織」という方向ではないだろうか(あくまでも想像。まさか、「女流はショーと割り切って、・・」というような意見はないと思うし)。そして、誰がどういう考え方なのかというのはよくわからない。

しかし、見方を変えれば、これは男性棋士の間でも古くからある対立で、「棋士の収入の安定」という平等主義と「弱いものは去れ」という実力主義の差ではないか、とも思ってしまう(どちらの主張にも理はある)。

それなら、男・女という枠組みではなく、「平等主義の法人」と「実力主義の法人」との二分割にしてしまえばいいような気もするが、まあ、これぞ机上の空論ということになるのだろうし、なんとなく「平等主義法人」には弱い男性プロと強い女性プロ、「実力主義法人」には強い男性プロと弱い女性プロみたいな組み合わせになってしまうような感じがするのだが、奇妙なことに棋界カップルの大半はこの妙な組み合わせになっているような気もする。

いずれにしても、この問題もまた、2007年の波乱が予想されるのである。


37a99db5.jpgさて、前々週の詰物の解答。
▲1九金 △同玉 ▲3七角 △2八香 ▲同角 △1八玉 ▲1九香 △同竜 ▲4五角 △2九玉 ▲3九金まで11手詰。

玉方の4九竜の威力が強烈で、普通なら、この竜をかわすか、取ってしまうというのが筋だが、本局は竜と玉と一緒にまとめて雪隠詰めにしようということ。そして4手目に突然に合駒問題が出現。人に嫌がられる典型は、「双玉、入玉、合駒選択」だろうが、内、二つが登場。合駒を打たないで玉が逃げると、どこに逃げても攻め方の3八金が二回動いて詰みになる。玉方の最長の粘りは香打ちだが、この香を使って玉竜一括に詰めてしまう。この合駒のところで、桂合、または歩合で詰まないではないか、と思われる方は、もう一度将棋のルールブックを読み直す必要があるだろう。

37a99db5.jpg今週の問題は、双玉+初形逆王手。糸口を見つけると簡単。右端の玉と左側の仕掛けの関係はいずれわかることになるが・・意外な収束が!

いつものように、コメント欄に最終手と手数と酷評いただければ、正誤判断。
  
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Mac風景

2006-12-22 00:00:24 | マーケティング
1c9aa555.jpgここ何回かマクドナルドに行っている。会社から徒歩10分程のところの皮膚科に行くと「液体窒素攻撃」を受ける。親指の関節の固まったばかりのカサブタをメスではがして、液体窒素を5秒ずつ5回押しあてる。激痛のあまり、すぐに事務所に戻れず、帰社の途中にクールダウンの時間が必要になる。「100円あったらマックに行こう」ということで、コーヒーを持って地下の客室に潜る。実際には紙コップのコーヒーを持つ手がうまく機能しないので少し危険。なにしろ、右手の親指を焼くからだ。

したがって、マックに行く時間は、午前10時とか午後3時とかランチの時間ではないのだが、そういう中途半端な時間にマックの地下にいる人たちは、結構、若いスーツの男女が多い。一見、サボっているのだが、他人のことは言えないのはお互い様という感じで、個人主義的態度に徹している。さして旨いとも思えない100円コーヒーで30分くらい座って、突然ガバッと立ち上がり、姿を消す。マックはPC(LAN)が使えるのだが、PCを持って入る人は多いが、積極的に使っている人は少ない。要するに、メールに即応できるようにしているに過ぎないのだろう。平和なスペースだ。二日酔の翌日はルノアールで安静にするのが定番だった時代を、ふと思い出す(もちろんルノアールは今でも存在し、窒素焼きの痛みから回復するまでの時間をそこで過ごすことは可能だが、そういう気分にもならない)。

1c9aa555.jpgところで、12月15日から、”ピタマック冬野菜チキン”という新商品が発売されたらしい。また複雑な割引券が配られている。使用するための理解困難。いつも思うのだが、昼食時のマックは、まず注文のレジに並ぶ間に、メニューの構成を考えるのだが、2時、3時に行くと、列がないので、考える間もなくいきなり注文しなければならない。気のせいかもしれないが、どこでも店員からせっつかされる。後ろに並ぶお客さんもいないのだから、ゆっくり考えさせてほしいのだけど、結局、チーズとチキンとコーヒー計300円などという訳のわからない注文になり、お店の利益に全然貢献できない。

もらった割引券も、割引期間や商品の組み合わせが複雑すぎて、既に、期間が終わったものもある。たぶん、とても店頭で使えないのではないだろうか。・・・と言いながらも、この1枚の紙を最高に有効に活用したらいくらお得になるかを計算したところ、なんと2,360円も割引になることがわかった。定価の合計10,570円に対し、割引価格の合計が8,210円だ。ただし、そのためには、期間中19回の食事をマックに通わなければならないことがわかった。

19回も親指を液体窒素で焼いたら、指がスパイシー・チリ・ドッグになってしまう(店が違うか・・)。  
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デコポンが来た

2006-12-21 00:00:05 | 市民A
23dad745.jpgデコポンはテポドンと発音が似ているが、まったく違うもの。大型柑橘類。りんごに引続き、宅急便で送られてくる。こちらは、ある愛媛県の取引先からのワイロである。別名、お歳暮。

愛媛といっても実は横に広く、デコポンは西宇和農協産となっている。西宇和の中心地は宇和島である。ここには藤堂高虎ゆかりの「宇和島城」が残る。全国12ヶ所残る現存天守閣があるが、その中ではもっとも傷みがはげしい。さらに、腎臓売買の病院もある。そして漁港であるが、それだけで人口を支えるのは難しい。

そして、差別化商品として取り組んだのが、このデコポンだそうだ。デコポンの両親はポンカンと清見だそうだ。ポンカンの香りと清見の甘さと風味がまざったものだそうだ。そして、本当に能書き通りの旨さがある。

もともとは、この地ではミカンを栽培していて、それはそれでアメリカでも温州みかんのブームになったときもあるらしいが、付加価値が低いということだろう。デコポンは外皮が薄く、みかんのように指で皮をむける。袋は柔らかく、そのまま食べられる。もちろん、犬も喜ぶ。

ところで、wikipediaなどでは、このデコポンについての由来が色々と書かれている。さらにあれこれ調べたところ、この種については色々と曰く因縁があるようだ。その前に、自然成熟は3月となっている。12月に届くというのは、さらに温室栽培ということで付加価値が高い。賄賂性がさらに高まるわけだ。


まず、デコポンの誕生なのだが、オリジナルの出生地は長崎県にある農林水産省果樹試験場口之津支場。1972年のこと。現在34歳。前述のようにポンカンと清見という大型柑橘の交配による。こういった交配種の特徴として、種子生成力があまりないのかもしれない、というのは私の実感で、果実の中に種子を見たことがない(断言する自信はないが)。

ところが、この果実には弱点がある。見栄えである。なにしろ、外皮は薄く柔らかいのだが、ごつごつと凸凹があるし、いわゆる坂本九肌だ。さらに、色にオレンジや夏蜜柑のような鮮やかさがない。その上、完熟して最も甘くなる時期に外皮の色がくすんでくる。つまり、外見が醜ければ醜いだけ中身が旨いということだ。昨日のりんごの袋かけの話で書いたが、「みかけが冴えないものは売れない」という常識は、内容が空虚なだけに、崩れてしまえば、あっと言う間に世論が変わってしまう。そこにデコポン登場の要因があったのだが・・・


そして、この数本の苗木がそのまま、正しいルートで正しい農家の手で栽培が始まればよかったのだが、もう農業生産の現場では百鬼夜行ということ。裏ルートで流出したらしいとのことである。1985年頃、熊本県の不知火町で栽培が始まり、押されるように「不知火(しらぬひ)」という品種に命名されるのだが、さらにここから全国のミカン産地に流出。

一般的には、その容姿から「デコポン」と呼ばれたが、熊本では「不知火」。愛媛産は「ヒメポン」。広島産には「キヨポン」と命名される(本来は広島産は「ヒロポン」だろうが、その名前は既に別の商品で有名だった)。その結果、「消費者迷惑の極み」という状況に至り、不知火種のうち、甘味度や酸味度などの基準をクリヤしたものに統一的に「デコポン」と冠することにしたということだそうだ。そしてもちろん、若干のニセモノが紛れているのは世の常。

ところで、検索していると、”デコポン 横浜”でもヒットするが、これは柑橘類ではなく、デリヘルという業種の店。みかけが悪いが中身が旨いサービスなのだろうか。こちらの宅配はご遠慮の一手だろう。たぶん。


さて、このミカン類の農業にしても、地球温暖化となれば、作付け適温が変わってくることが予想される。今後、最低でも2度気温が上昇するとなれば、東京が宮崎・熊本並になるということらしい、そうなれば、みかんは福島や茨城で作ることになるのかもしれないし、そして、愛媛ではパイナップルやバナナを作ったりするのだろうか?付加価値大いに下がりそうだ。
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ライブドア、同時進行劇近づく

2006-12-20 18:00:29 | 市民A
平成18年12月22日金曜日午前10時。二つの現代劇が同時進行する。一つの舞台は幕張メッセ。ライブドア株式会社第11期定時株主総会。そしてもう一つの舞台は東京地方裁判所。こちらは「平成18年特(わ)第498号等」と連番を付けられた堀江貴文被告人他に対する証券取引法違反容疑の公判。まったく同じ10時開廷である。

どちらも、ビッグイベントだ。休暇をとって両方見られればいいのだが、何しろ東京地裁は9時20分から傍聴席の抽選開始。落選してから幕張に向かうとかなり到着が遅れる。一応、ライブドア上場廃止直前に、80円台で買い集めた株券が再上場して1000円になるのを心待ちにしている動機不純株主なのだが、幕張には正規入場券がある。そして奇妙な議案の数々が郵送されている。さらに、総会の中で、「事件についての外部機関による調査報告書」が発表されるということになっている。


さて、株主総会の議案が奇妙な点は、「会社側提案」と「株主側提案」と分かれていること。第一議案から第四議案までは会社側提案。

会社側提案
 1.決算書類承認の件(本来、もっとも重要な議題のはず)
 2.商号変更(ライブドア→ライブドアホールディング)
 3.社外取締役4名交代(USENの宇野社長個人が株主だったはずだが、宇野氏にかわりUSENから社外取締役)
 4.株式100株を1株とする(4月2日付け)

株主側提案
 5.株式100株を1株とする(2月1日付け)
 6.平松社長解任の件
 7.商号変更(ライブドア→再生)
 8.監査法人の複数化
 9.社外取締役4名の解任
 10.社外取締役の賠償限度額の設定

まあ、同時進行はライブドア的とも言えるが、こちらも休暇などとれるかどうか疑問もあるので、NIKKEI NETで鑑賞することになりそうではある。でも両方とも見たいし・・

注意:東京地裁では、まったく同時刻に、「電磁的公正証書原本不実記録同供用 平成18年刑(わ)第1901号」も開廷されるので、誤ってそちらの傍聴券を入手しない方がいいとは思うが、そちらの方が面白い場合もあるかもしれない。
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