赤いBMWを運転するのは・・

2005-10-31 22:22:11 | 市民A
f4cecc72.jpgチャールズ・ロバート・ジェンキンス氏は公人なのか、私人なのか。実際には、世界の注目の中、ピョンヤンからジャカルタへ、そして、「小泉首相を信じて」との名言を語り、本当は慎重だった小泉-川口外相ラインを無視して、中山参与が強引に東京の慶応病院に連れて来て、その後、米軍の軍法会議で軍曹から三等兵へ降格されたあと、年金を失いながらやっと自由の身分を得るところまでは、公人だったと言えるだろう。

そして、その後、徐々に普通の私人の世界へ向かっている、というのが実際だろう。ということで、肖像権も本人に戻りつつあるだろうと考え、画像なし。そしてややあいまいに記述する。

最近、彼の目撃情報があった。東京南西部の多摩川河川敷にある、A自動車練習場。例の赤いBMWで高速道路での練習をするので有名な自動車学校だ。ボディガードはいなかったということ。ネット上を検索してみると、確かに、都内自動車練習場で練習中というニュースがあった。そして、クルマで釣りに行きたいとの希望を持っているそうだ(水をかける気はまったくないが、来年の夏からは駐車違反の取締りが強化されるので注意が必要)。

なぜ、免許が簡単にとれそうな佐渡ではなく、世田谷区に現れたのかはよくわからないが、英語の話せる教官が大勢いるそうだ。一つのビジネスモデルだ。では、彼は免許を持っていなかったのだろうか?と考えて、彼のキャリアを軽くのぞくと、今まで大きな勘違いをしていたことがわかった。彼自身、「運転は40年ぶり」と言っているのが一つのヒントでもある。今年は2005年。そして板門店近くの森の中で行方不明になったのは1965年1月5日。つまり、北朝鮮に行ってから車の運転をしていないということになる。

実は、朝鮮戦争中に敵前逃亡をしたのではないかと「比較的簡単に」考えていたのだが、1965年といえば朝鮮戦争の停戦後(つまり、理論的には今でも終結ではなく停戦中ということ)、10年以上経過している。つまり真相はもっと複雑だったのかもしれない。ここで彼の生年と入隊歴をみると、生年は1940年。そして15歳の時、1955年に陸軍に入隊。10年後には軍曹になっていた。軍用車の運転とかしていたのだろう。そして、1965年というのは、63年にケネディが暗殺され、東西冷戦は緊張が高まり、特に南ベトナムではクーデターによる政権交代が続く一方、歴史上、陰謀説が強いトンキン湾事件(1964年8月)以来、米軍が直接参戦直前の状況だったわけだ。

そして、実際、ジェンキンス氏が行方不明になってから2ヵ月後の1965年3月に、海兵隊がダナンに上陸をはじめる一方、ジョンソン大統領は北爆を開始する。その後、10年にわたる戦争により、米兵58,000人、南北ベトナム兵1,000,000人、外国軍(主に中国)や市民の犠牲者超多数。の結果、1975年4月30日、海上の米軍空母に向けて脱出用ヘリが米国人と南ベトナム政府幹部を乗せ、韓国人と日本人をおきざりにしてサイゴンを飛び立ち、戦争は終結した。

当時、陸軍で板門店の守備をしていたジェンキンス氏が数ヵ月後に自分の身に降りかかるベトナムでの危険を予測していたのかどうかは興味があるのだが、実は2005年10月(つまり今月)、自叙伝を出版していた。「告白(伊藤真訳・角川書店)」。問題の脱走のところは、残念ながらあっさりとしている。「数千人の脱走兵と同じような気持ちで」とか「北朝鮮の生活の方がいいと思った」ことになっている。

ただし、まだ、多くの米国人や多国籍の拉致被害者がピョンヤンにいると書かれている。彼自身、現在の自らの幸福をよろこぶと同時に、残留している被害者のことを、相当に意識してかばっているように、思えるのだがそれは仕方がないことだろう。相当に遅ればせながらではあるが、日本が一番強く拉致問題にとりくんでいるというのが、彼の見解。

ジェンキンス氏は現在のところ米国籍である。例の収監されながら、福島瑞穂さんなどの努力で米国送還をなんとか免れたチェスの元世界チャンピオンであるボビー・フィッシャーの事件は知っているだろう。何とか、2年後位には取得超難関の日本国籍を手に入れたいだろう。

しかし、それだけでは、物価の高い日本では安泰というわけにはいかない。国民年金の掛け金を払っていないのだから、受給もできない。つまり所得なしのホームレスになってしまう。彼が、最初の著書で、あちこちあいまいにしている理由も、案外、少しずつ霧に包まれた真相を出版を重ねながら明らかにしていくつもりなのではないだろうか。

下世話な話ではあるが、彼がどういう契約を出版社としたのかは不明ではあるが、私が1冊分に払った金額のうち、彼のポケットに入る金額は、ほんの小額で、釣りに行くときのガソリン代1リッターか2リッター分にしかならないだろう。さらにその半分近くが道路財源の目的税になっていることを考えると、ちょっとさびしい。

副大統領候補

2005-10-30 22:25:25 | 市民A
5b449bb9.jpg米国副大統領チェイニー氏の周囲にも捜査の手が伸びてきたようだ。直接的には、情報漏洩ということ。CIAメンバーの名前をマスコミに流したというような話で、日本人にはちょっと理解できないうちに、どんどん進展している。そして、既に副大統領辞任の噂が漂っている。そして、既に後任は決まっているという。

「コンディ」こと、コンドリーザ・ライスさん。実は、英語のスペルは驚異的に難しい。「Condoleezza Rice」。誰でも、コンディくらいにしたいだろう。そして、今度は逆にジャーナリズム側に情報操作?の疑いが発生。といっても画像のこと。

5b449bb9.jpgもともとAPが発信した画像をUSAtodayがネット用に公開したのだが、本当に怖い眼になっている。「悪魔」、「ギロ眼」。ちょっとした話題になっていたのだが、「画像処理で明るくしすぎた」という言い訳をして、もはや削除。

実は、コンディの画像は、あっちこっちで変造されているのだが、まあ今のところ裁判になったことはないので今回もお咎めなしだろうが、何となくジョークを感じない嫌な感じだ。(私もアニメーションにしてみた)

5b449bb9.jpgところで、副大統領交代というと、何となく思い出すのはフォード大統領のこと。選挙によらないで初めて大統領になった人物。アグニュー副大統領が辞任したあと副大統領になり、さらにニクソン大統領がウォーターゲート事件で辞任してしまったのだ。まあ、何がおきても全然不思議ではないが、何となく似ている展開ような気がする。コンディも国務長官になってすぐにモスクワでのインタビューで、うっかり次の大統領を狙っているかとの質問に、1回Yesと言った後、「No,No,No,No,No,・・・No」と10回否定していたところを見ると、喜んで受諾しちゃうだろう。

5b449bb9.jpgとなれば、ブッシュは「アメリカ最後の白人大統領」ということになり、さらに、もしかすると「アメリカ最後の男性大統領」ということになるのかもしれない。

もし、コンディが白人だったら、どうなるのだろうかといろいろやってみたが、簡単な処理には限界があることがわかった。・・・USAtoday怪し

幻の「北の庄」

2005-10-29 22:29:45 | The 城
1b910b83.jpg福井シリーズblog最終回。お市の方と柴田勝家&北の庄あたりの関係について。 何回か書いたが、福井は観光客には厳しい町だ。駅前には観光センターもないし、なんらかの観光者用のボードもない。観光名所がどこにあって、どうやって行けばいいかわからない。ただし、駅前にはタクシー乗り場が完備されている。おそらくタクシー会社が市政の一部に食込んでいるのだろう。

駅前のバス乗り場の近くで、ロータリークラブが提供している小さなボードで、「北の庄」城址が駅から数分のところにあることがわかる。普通の感覚ならタクシーには乗らないだろう。と思って駅前を左方面に歩き出しても不安が湧き上がる。道の途中には表示板もない。携帯で写した地図もアバウトもいいところだ。そして、少し行き過ぎたところから戻り、柴田神社となっている城址に行き着く。

1b910b83.jpgその場所には、柴田勝家像があるのだが、城址といっても何もない。かたわらの近代的な資料館に入って、資料を読んでいると、秀吉に攻め滅ぼされた北の庄の天守閣や本丸の位置や、その規模については、はっきりは特定されていないということなのだ。というのも、勝家後、秀吉により配置され、その後、関が原で東軍(勝組)に属した結城氏は、現在の福井駅の右側にある福井城に「お城セット一式」を造り直す際に、北の庄の焼け残った石材を再利用したからなのだ。「モッタイナイ精神」。

現在、推定位置とされているのは、ルイス・フロイスが北の庄に勝家を訪ねた際の日記によるのだ。そして、日記に書かれている9層という超高層の天守閣が本当にあったかどうかは、現代の誰にもわからない。が、本当だったとして、イメージ図も完成している。(実際に、フロイスが国内をウロウロしていたのは何のためだったのだろうか、ということも今のところよくわからない)

1b910b83.jpgここで、話をお市の視点に移して見る。不勉強なもので、このお市の姻戚関係についてよく知らなかったのだが、系図を見て驚いてしまった。まず、本人。織田信長の異母妹。つまり織田信秀の娘である。そして、浅井長政の妻(浅井長政との前に結婚歴があったという異説もある)。浅井は当初、織田と盟友だったのだが、そのうち朝倉を頼むようになっていくのだが、お市は兄の信長に対し、小袋に入れた小豆をプレゼントし、「朝倉攻めで深追いし、挟み撃ちにならないよう(袋のネズミ状態)に」暗にサジェッションする。

浅井長政は6人こどもがいたとされるが、うち5人はお市の子とされる(異説あり)。結局、浅井長政は秀吉に滅ぼされ、首を塩漬けにされ、さらに頭蓋骨に金箔を貼られて、信長の酒席で酒を注がれることになるのだが、稀代の女好きの秀吉の方は信長の妹のお市をずっと前から狙っていた節があり、必死に救出したわけだ。しかし、残念ながら、信長はお市を柴田勝家と一緒にして北国の福井へ送ってしまう。どうも秀吉の正妻である「ねね」が信長に対して、夫の女好きを訴えていて、かねがね秀吉は注意を受けていたらしいのだ。

そして、お市のこどものうち浅井長政との間に生れた女子三人は、北の庄へ、お市と同行する。そして、またしても秀吉に攻められて北の庄は陥落してしまうのだが、今度はお市は逃げないで勝家と運命をともにすることにする。36歳。勝家61歳。秀吉47歳。お市の本音は「秀吉が嫌い」だったからなのかもしれない。女子三人は、城外に出され、三者三様の人生を送ることになるのだが、そこからが第二の物語になる。

長女は「茶々」。後に淀殿と呼ばれる。秀吉の妻となる。年の差31歳。お市は秀吉より11歳若く、お市が亡くなった時に茶々は16歳。確かに一緒に落城前に逃げ落ちていたら親子丼になっていたかもしれない。そして生れた子は豊臣秀頼だが、「種違い」というのが歴史の常識とされる。そして、知ってか知らずかこの子を中心に歴史は混乱をはじめる。

次女は「初」で京極高次の妻となり、こちらはその後の歴史には多くは登場しない。

三女お江(おごう)はお市と同様、歴史に多く関与する。二度の結婚の後。三度目に、家康の子である秀忠の正室となる。そして市に似て多産である。その一人は3代将軍家光であり、さらに千姫である。千姫は秀頼の妻になるのだが、お市から見ると「孫同士(いとこ)」という関係になる。一方、系図をよくみると、家康から見て、孫同士の松平忠直と勝姫もいとこ結婚していることがわかる。まさにマルケスの「百年の孤独」のように読み解くには系図が必要だ。

そしてお江のこどもの和子は後水尾天皇の后となり明正天皇の母となる。残念ながら、天皇家の正統は別の家系に移っていくのだが、お市の末裔は天皇一人、豊臣秀頼。そして徳川将軍五人につながるわけだ。が、当の本人は後世のできごとを知る由もなく、1583年に福井の地で自害し、最後の夫である柴田勝家とともに西光寺に眠る。

そして、二人が眠るとされる西光寺に向かったのだが、あっという間に道に迷い、行く予定のなかった福井城の石垣の前に出てしまった。水堀に囲まれた石垣は福井地震のあと修復されたのではあるが、ここには天守閣はない。1669年に焼失したまま、長く復興されることはなかった。

が、現在はその石垣の上の城址の場所には予想もつかないものが建っているのだ。 なんと、鉄筋コンクリートのビルだ。一つは福井県庁。そしてもう一つは、福井県警なのだ。さすが城下町である。

東京国際映画祭「単騎、千里を走る」

2005-10-28 22:34:25 | 映画・演劇・Video
ba8206a5.jpg東京国際映画祭が開催中だ。主催者は「世界10大映画祭の一つ」というが、10大とはどこだろうと考えると、本当はよくわからない。三大映画祭というと、ベルリン、カンヌ、ベネチアということになり、その他、モスクワ、ロカルノ、モントリオール、サンセバスチアン・・・最後の方はよくわからない。

そして、特別招待作品が22、コンペティション参加作品が15。内2作の中国人監督が参加して、先日、東京某所で行われた、中国映画誕生100年祭の特別イベントでは、この2作品の上映とレセプションがあった。特に、今回のコンクールの審査委員長である、チャン・イー・モウ監督の特別招待作品「単騎、千里を走る。」は主演が高倉健であることからして、日中合作映画ということだ。審査委員長の作品ということで別格。

この映画、日本では2006年1月28日の公開ということで、ここに細かなストーリーを書き綴るわけにはいかないが、おおざっぱに言うと、不治の病で生死の境をさまよう息子(声は中井貴一)のライフワークをビデオで視て、未完の仕事の続きを、父親(高倉健)が中国大陸の奥の方に行って、片付けようとするのだが、次々に難問題が発生してきて目的を完遂できない。この目標を完遂するための苦闘の連続が本作の大テーマということになる。基本的には、高倉健の単騎冒険映画(和製インディージョーンズ)。

ba8206a5.jpgチャン監督はストーリーメーカーということで、なかなか悲劇なのか喜劇なのかを明かさない。さすがに大御所。上映の前に、舞台スピーチがあり、やはり「口がうまい」。日本にしょっちゅう来ているようで、ラーメン好き。滞在3日間で6回ラーメンを食べた時もあったそうだ。そして、監督以外にも大物が登場してスピーチ。まずは、中国密使といわれる奥田日本経団連会長。日本で一番えらいサラリーマンだ。無難な発言。そして王毅駐日大使は、「靖国問題」とわかるよう「映画のテーマは家族のふれ合いなのだが、隣人や隣国の嫌いなことをするのは、よくない」と言っていたのだが、全員シカトの風。

そして、「スピーチ中は撮影禁止」と言われていて、さらに中国語での翻訳までされたのに、遠慮なしでカメラ撮影がつづく。どうも観客の40%は中国人なのだ。「ルールは破るためにある」ということか・・よく考えれば、チャン監督や王毅大使に本国で会えるわけもなく、日本留学中だからこそ見ることができるということか。私の席の周りの学生も年配者もみんなカメラマンに変貌した。

ところで、この映画の評価なのだが、よくわからない。日中友好と主張すればするだけ、現実とのギャップが大きくなるという気もする。日中のどちらからも低い評価しか得られないということもあるかもしれない。日本映画でもなければ中国映画でもなく、ちょっと居心地が悪い。


ba8206a5.jpgさて、この映画の他にヤン・ヤーチョウ監督の「泥鰌(どじょう)も魚である」という社会派の作品も出品。こちらはコンペティション参加作品。北京へ集まる「民工」といわれる出稼ぎ労働者男女の生活を超リアルに表現。逆に、こんなに社会の裏側を映画として世界へ発信していいのだろうかと心配になる。こちらは主演女優のニー・ピンさんもトークには出席。

中国の現代におきている貧富の差の拡大がテーマの一つだが、このままだと、またしても共産主義革命でもおきるのではないかと思えるのだが、貧者も少しずつ豊かになり富者はどんどん豊かになるという格差拡大なので、「革命」ではなく「政党の自由化」「宗教の自由化」という方向に向かうのではないかと個人的には思い始めているのだ。

Another Side of Killer Street

2005-10-27 22:00:36 | 音楽(クラシック音楽他)

1da755c4.jpgSouthern Allstarsがアルバム「KILLER STREET」をリリースした。2枚組み30曲。「曲が多すぎる」とか、「シングル曲とその他の曲とで格差がある」という否定的な指摘をよく読む。確かにそういう気もするのだが、「勝手に」iPODで選んで聴いて!ということか。この世界も自己責任。

そしてジャケットの写真は、キラー通りの上にかかった横断歩道橋風の(本当はキラー通りと交錯しているだけで、この撮影されている場所に行くのは難しい)橋の上での写真と、イラストがつかわれている。

そして、その近くで、私も撮影してみたのだが、キラー通りから六本木方面を望んで驚いたのは、まさに道の直線的正面に「六本木ヒルズ」がある。そして途中は車で一杯だ。

1da755c4.jpg一方、この通りには、以前から美術館がある。ワタリウム美術館。先進的な画家を紹介するので有名だった。ところが、最近、美術館のホームページを見ても、次の企画が入っていない。さらに併設のアートショップはバーゲンセールを実行。いわゆる閉店セールのようなものだ。そして、本当に閉館になるのではないか、と心配になって、見に行くことにする。そして絵葉書数枚を購入したあと、美術館の人に聞くと、次の展覧会を教えてくれた。「フェデリコ・エレーロ展」。コスタリカの画家だそうだ。この画家は展覧会が決まってから描き始めるそうだ。だから、まだ作品がなかったため、先行してホームページにアップできなかったとのこと。10月29日から。

 


1da755c4.jpgということで、普通のミュージアム系ブログの場合、展覧会に行ってから、感動したとか残念だったとかなどの批評をするのだが、このエントリは、”もうすぐ展覧会がある”というだけのおしらせになってしまった。それで、過去の展覧会の中でこの美術館の「掘り出し物感」を紹介する。2002-3年のヘンリー・ダーガー展。青年時代から頭の中に想像した「非現実の王国のヴィヴィアン・ガールズ」という禁断の世界を、こつこつと描き続けていた膨大な量の作品を、81歳の没後、シカゴのアパートの持ち主が荷物を整理した時に発見したという代物。デビューが遅すぎたアーティスト。


時にこの「キラー通り」だが、名前の起源は諸説あり、今ひとつわからないが、青山通りから外苑西通りの千駄谷方面までを指す、ということになっているが、その両脇に魚のあばら骨のように小さな路地があり、なぜかそこに行っても「キラー通り」として自称している。

私も以前、あちこちに「ストーン・ストリート(石材店あり)」とか「一分坂」とか妙な名前をつけて歩いたのだが、誰一人として使ってくれないのだ。

新作:衆議院議員会館と国会との間の小途→チャイルド・ストリート


国会図書館の新たな挑戦

2005-10-26 22:05:01 | 美術館・博物館・工芸品
霞ヶ関シリーズの最終回は、国会図書館。10月27日まで新館のギャラリーで「描かれた動物・植物 江戸時代の博物誌」展が開かれている。無料。11月15日から28日までは京都の国会図書館関西館で続きが行われる。期日は残り僅かだが、非常に親切なことに、展示以上の内容のホームページが公開されている。もちろん原書の歴史の重みはないが、展示物よりもHPでの画像の方が多いと聞いている。

さて、図書館の基本的使命は、図書の収集であることに間違いはないのだが、それを公共の知とするためには、一つは「検索機能」が必要であり、一つは「知の集積作業」であろう。検索機能については、今でも相当の困難があり、どうしても探したいことがあるなら、最初から1日の余裕がいるし、お目当ての情報にたどり着かないこともある(いくらでも悪口が言える)。

一方、知の集積という行為は、収集プラス研究という知的作業であり、もともと図書館という非営利事業で、そこまでの熱意を維持するには苦労がいることが予想されるのだが、やはり国会図書館までも民営化のうねりが届いてきたのだろうか。今回の展示は、あきらかに膨大な努力が必要だっただろうと感じる。

博物学というのは、過去の知性の集大成といった性格の学問であることから、何らかの落ち着いた時代に経済的背景に基づき構成されるということがいえる。そういう意味で、日本の博物学が江戸中期吉宗の時代に起源をもち、当初は欧州で行われていた文物の模写という輸入学問にはじまるのも理解できる。当時は江戸初期から始まる各藩ごとの農業、工業、薬学というような産業イノベーションが一旦行き詰まり、低成長のリサイクル社会に転換するところだったわけだ。そのため、分散していた知的資産を体系化してゆく経済史上の必然性があったのだろう。

そして、当初はいわば百科辞典学のような構造だったのが、分野別に展開されていくようになる。さらに植物栽培が食生活に関する部分から、観賞用の園芸に展開していき、外来種が大量に国内に持ち込まれるようになり、品種改良などへ発展していったわけだ。

41a82a24.jpgとくに驚いたのは、今や日本でポピュラーな何種類かの花も江戸中期に海外から種子がもたらされた外来種であるということだ。例えば、ヒマワリ、オシロイバナ、カーネーション、マツバボタン、パンジーなど。そしてさらに、トマトまでが「六月柿」とか「珊瑚樹茄子」とか呼ばれ、江戸時代を通じて観賞用植物だったことだ。なぜトマトが食用されなかったかというと、口に合わないということなのだろうが、実は、トマトには2種類のアミノ酸が大量に存在する。アスパラギン酸とグルタミン酸である。この比率が1:5になった時がトマトがうまい時とされ、その比率になる時期は限られている。アスパラギン酸の含有率は一定なので、熟すにつれグルタミン酸が増えていくわけだ。まだ青いトマトにかけるべきは、味の素ということになる。

もし、江戸時代人がトマトの旨さに気付いていたら、日本料理のベースがトマトソースになっていたかもしれない。

41a82a24.jpgそして、もう一つ、珍獣シリーズでは、たまたま日本に紛れ込んだ動物が記録されているのだが、「あざらし」がいる。名古屋の熱田に現れて、捕獲され、飼われていたとされる。名づけて、「アッちゃん」ということになる。やはりたまには現れていたそうだ。現代の多摩川に登場したのは「地球温暖化のせい」でもなさそうだ。

41a82a24.jpgそして、博物誌に残る大巨人として小野嵐山という人物がいることがわかった。この人物をおいて博物学の右に出るものはなしだ。彼は生涯の多くを「本草綱目」という講義に費やしていたのだが、その講義メモがすさまじい。ありとあらゆる書き込みで補完修正を続けている。ネバーエンディングノートだ。ブロガー見習うべしなのだが、かなうはずもないのだ。

憲政記念館の続きの話

2005-10-25 22:08:39 | 美術館・博物館・工芸品
6e1bc408.jpg憲政記念館を江戸末期の地図に重ね合わせてみた。そうすると、ここが彦根藩主、大老井伊直弼の江戸屋敷だったことがわかる。そして1ブロック離れた場所が桜田門。ここで水戸藩士に暗殺され
た。わずか200メートルほどの通勤距離。かなり正確な時間で登城していたわけだ。腕時計などない時代、大勢で襲撃するのは、時の鐘を頼りにするしかないが、毎日登城時間を変えていたら遭難しなかっただろう。少しの用心。

実は、結構最近まで、井伊直弼については、好意的に考えていた。なにしろ開国を決意したのは、彼であるし、そのころ薩長は、英仏にドンキホーテ的戦いを挑み、叩きのめされている。開国という問題に限れば、桜田門外の変がなくても進んでいたとは思う。封建主義がその後どうなるかはわからない。

しかし、まったく外交とは無縁の件だが、桜田門外裏解釈とでもいうべき話があった。長く調べていても解明できない醤油の謎を追っているうちに、色々なことがわかってきているのだが、当時(今でも)江戸の台所に醤油を供給するのは、野田(現在のキッコーマンも野田)の製造者達だった。問題はそこへの大豆販売であって、長い間安定的に水戸の大豆が使われていた。しかし井伊直弼は彦根から色々な商人を江戸に誘致し(近江商人)、商権を拡大させていたそうだ。黒い話だ。そして小売だけではなく製造部門にまで手を伸ばし、井伊家の関東での飛び地である佐野から大豆を取り寄せ、野田地区の醤油メーカーに押し付けていた。そのため、商権を失った水戸藩が怒り狂って・・・ということだそうだ。そして、井伊直弼の首級を持って逃走した男は、野田の某所に首を埋めて水戸方面に消えたという。醤油が動かした歴史、というわけだ。

また、「権力は腐敗する」という構造は、普遍的真実なのだろう。

椅子の価値は?

2005-10-24 22:11:07 | 美術館・博物館・工芸品
635e9b93.jpgこのエントリがアップされるのは10月24日00時00分なので、23日の参院選神奈川補選の結果が出ているかどうかわからない。外出しているので戻れるかどうかわからないので、前日にエントリを予約している。そして期日前投票も済ませているが、書いているときにはまだ当選者はわからない。3人の女性候補のうちの一人が、参院に席を確保する。

その議院の席は実際はどういうものかを展示してあるのが、国会議事堂の向かいにある「憲政記念館」である。入場は無料だ。記念館の一角に体験ゾーンとして、擬似議員席が並んでいる。撮影は自由だし、もちろん座ってもいい。下品な野次を飛ばしてもいいはずだが、総理大臣のフィギュアは置いていないのでむなしくなるだけだ。

実際に椅子に座ってみると、少し問題がある。やはり設計が古い。まず椅子の横幅縦幅だが、新幹線の普通車程度。そして、リクライニングなし。よく居眠りする議員がいるが、器用なものだ。プロレスや相撲からの転向議員も多いが、両隣に座られたら大変なことになる。新幹線普通席「B」をイメージしたらどうだろう(実際にはB席は若干横が広い)。座席の前のゆとりは新幹線以下。若手の体格のいい議員が増えてきたら、作り直さなければならないかもしれないが、全体の容積は一定なので、議員数を減らさなければならないかもしれない。

635e9b93.jpgそして、テーブルは狭い。ないに等しい。資料持込は困難だ。もちろん本会議場ではなく、模擬展示なので、IT対応にはなっていない。投票ボタンの代わりに投票用紙のいわゆる青票と白票がおいてある。どちらが賛成か覚えておかないと新人議員は大失敗する。何か二枚重ねて投票できそうだが、違法行為に対する罪は重そうだ。

ところで、この憲政記念館には数々の展示品があって見切れないのだが時々展示替えが行われているようだ(あるいはこちらの興味が変化しているので印象に残るのかもしれないのだが)。時節柄のテーマとして、昭和27年3月17日に京都大学教授、佐々木惣一氏が国会に提出した「憲法第九条の解釈に関する意見」書の現物があった。説明書きによれば、元々、国会の場で内容の詳細の解説を行う予定だったのだが、「体調不良」により本人が国会に立つことはなかった、とのこと。憲法にはいろいろな事実があるものだ。

その意見書の数メートル右には社会党浅沼稲次郎委員長が日比谷公会堂で暗殺された時の演説に使われていた原稿の束がある。大きな文字で書かれた原稿だ。刺殺された時に黒ぶちのメガネが外れていく写真が有名だが、近眼鏡のように見える。遠くはメガネの上から見て、手元の原稿は近眼鏡で見ていたのだろう。その視界が狭められていた状況が、暗殺者(当時少年Y)の接近に一瞬気づくのが遅れた理由かもしれない。


憲政会館の建物の一角は、ホールになっていて貸し出されているようなのだが、奇妙なことに憲政とは逆行するはずの地域エゴ団体のフォーラムという名の決起集会が行われていたのだ。

黒猫ネロの帰郷(エルケ・ハイデンライヒ)

2005-10-23 22:13:57 | 書評
0181e15b.jpg世界的なベストセラーになった「ヌレエフの犬」は高名なダンサーのヌレエフが、カポーティ家のパーティの縁で面倒をみることになった犬が、飼い主の死後、ダンスを覚えてヌレエフの墓前でステップを切る話だが、それに先立ち書かれた、「黒猫ネロの帰郷」も同種の筋立てだ。

まず嫌われ者の暴力猫だったネロが登場。イタリア南部の農家でのことだ。そして近くの別荘にドイツ人家族が訪れた際に、双子の妹のローザとともに、ドイツ人夫妻に媚を売ることに成功。そのまま、ドイツに移住し、都会猫として、縄張りを張るわけだ。そして、長い期間のドイツ生活の末、黒い毛並みにも白いものが混じるようになる。そして妹のローザが病気で亡くなる。

そのうち、またドイツ人夫妻がイタリアの別荘に行く際、年老いたネロを連れて帰るのだが、ここで大脱走することになり、またもイタリアの農家に年老いた体を休めることになるということで、あっさり書くと「帰ってきた寅さん」みたいで面白くないのが、ドイツではベストセラーになった。解説を読むと、イタリアの生活にあこがれるドイツ人に受けた、ということだそうだが、そうは読めないのだが。まあ、近くの国にあこがれて迷惑な戦争を始めた国ではあるから、隣の芝生が青く見え過ぎるのだろうか・・

しかし、後でよく考えると、黒猫ネロの右足の先端が白くなっているという点が何度も強調されているのだが、何かを象徴しているのだろうか。

また、こども向きの童話にしては、「ネロ」はイタリアでもドイツでもしょっちゅう子ネズミをつかまえて、きれいに食い尽くしてから、脾臓をぺっと吐き出すのだが、内容が残酷ではないだろうか(猫の本質はそういうものかもしれないが)。

以前、ミヒャエルエンデの罠にはまり、長編作品をかたっぱしに読んだのだが、ハイデンライヒは寡作なので、溺れることはないだろう(たぶん)。

「沈黙の声」を振り返って

2005-10-22 22:16:05 | 美術館・博物館・工芸品
終わってしまった展覧会のことを書くのは気が引けるのだが、何か解釈できなかったこともあり、のそのそと綴ってみる。竹橋の近代美術館の常設展の2階の一角で行われていた、この「沈黙」アートは、3人のアーティストの作品。

0cf8e69a.jpg最初は遠藤利克の「欲動-近代・身体」。奇妙な赤っぽい色の長方体。欲動というより浴槽というべきか。素材は何か石質のようなゴム質のような感じで、内壁には水が出るようになっている。底の方は少し水がたまると回収される循環システムになっていて、微かな水音が聞こえている。まあ、解釈しようと思わないほうがいいのだろうが、水音はもっとも再生しにくいファジーな音の一つであり、一方、人間を落ち着かせることのできる音でもある。大きなマスにほんのわずがな水量が意味するのは、人間のはかなさなのか、単に水音を聞かせるだけのつもりなのか。

0cf8e69a.jpg次に、キム・スージャの「針の女」いわゆるビデオアート。世界の4都市(メキシコシティ、ラゴス、カイロ、ロンドン)の町の中で後ろ姿だけが映る「針の女」を前にして通り過ぎる人たちの様子がそれぞれ4つの画像として、同時に映し出される。約10分。人々が「針の女」のところに集まってくる都市もあれば、無関心な町もある。技法的によく見ると、都会の雑踏の中に「針の女」を後で組み入れたような感じにも見える。そのあたりの無体積感と無存在感が、「針」と表現されたのだろう。芸術とは関係ないのだが、4都市とも多国籍人種都市であることがよくわかる。

0cf8e69a.jpg最後がビル・ヴィオラの「追憶の五重奏」。この「沈黙の声」という総合タイトルにもっとも近いのだろう。5人の男女が何かを言いたそうで言わない。表情からすると、声が出ないことによる苦しみを感じさせられる。一体、何を?政治的発言の抹殺であれば、独裁政治の国あたりの話かもしれないし、もっと人間の根源的な所作に起因しているのかもしれない。


ところで、終わってしまった展覧会を記載したおわびとして情報提供。重要文化財である横山大観の「生々流転」が近代美術館で公開される。しかし、作品の大きさから、一度に公開することができないため、前期(10/08~11/13)と後期(11/15~12/18)に分割して展示するそうだ。ついでに書くと420円の入場料は前期に一回来ていると二回目の分はタダになるということだ。前期最終日に観覧して、目を閉じたまま家に帰り、後期初日に作品の前に立ち直してから、ゆっくりと目を開くと霊験新たになることだろう。0cf8e69a.jpg



プラート美術の至宝展(~10/23)

2005-10-21 22:21:00 | 美術館・博物館・工芸品
7eb49f71.jpg副題が-フィレンチェに挑戦した都市の物語-となっている。イタリア北部の町、プラートに残された美術品の数々の世界ツアーの一環で、新宿の損保ジャパン東郷青児美術館で開かれている。ただし、宗教画が多いので見慣れていない人には、おもしろさは十分に伝わるかどうかだが、いきなり損保ジャパンビルの42階に上がる前に、1階のホールで、今回の美術展の解説ビデオが流されているので、そちらを15分間見てからエレベーターに乗ると、相当理解できる。仏教画もそうかもしれないが、同一テーマ(例えば、キリストの磔や復活etc)の絵も時代と共に変化している。またヨーロッパの南側は聖母信仰が強く、なにかにつけ、マリアが登場する。聖書を題材とした絵画は多い。

まず、プラートはフィレンチェの北西15KMに位置するが、別の都市だ。東京に対するさいたま市のようなものか。1080年に町が完成。当時の町というのは城郭都市で、日本の城下町では城郭の外に住民が住むが、欧州では城郭の内側に住民が住む(日本も吉野ヶ里遺跡では竹ぶすまの内側に人が住んでいたらしい)。そして城のほか、もう一つ必要なのが大聖堂で、サント・ステファノ大聖堂という立派な聖堂がある。そして、1141年にミケーレという僧が聖帯という重要な信仰用のアイテムを持ち帰る。どこから持ってきたのか、ビデオでは流れていたが聞き漏らした。ローマからだと近すぎるような気がする。エルサレムからかな?

7eb49f71.jpgそして、その聖帯は今でも、毎年の聖帯祭の時には公開されているという。つまり、聖帯も絵画もすべて宗教活動のための小道具であり、芸術という概念は、もっとずっと後になる。

フィレンチェに対して対抗心が人一倍強いプラートだったが、その後、残念ながら1351年に合併している。フィレンチェの子分になったわけだ。そして、その後、15世紀から16世紀にかけて町を何回もペストが襲いかかり、住民の数は1/2に減る。(欧州のペストはなぜ終結したのだろうか?これも謎がある。)

フィレンチェは中世あちこちから攻撃を受け、結局、生き延びてゆくわけだがその間何度もプラートは敵に蹂躙されている。弱者切捨てだ。そのうらみは長く街に残っていたのかもしれない。

7eb49f71.jpgそして、歴史の話の極めつけは、僅か13年前、1992年に起きる。プラートは果敢にもフィレンチェから独立して「プラート県」になる。日本じゃ考えられない。東京の一部が独立して県になったようだ。もともと、県ごとの格差や意識の違いが重大な問題のイタリアでさらに厄介が増えたわけだ。そして独立の一環として、市の美術館の改装が計画され、その改装期間中、2002年から美術品の海外巡回が始まっているわけだ。

損保ジャパン社の方は、「今回は凄いのですよ」と教えてくれたが「至宝展」ということで、芸術性だけではなく、歴史性なども予習しておくと、より楽しめるのだろう。

前回、この美術館に行った時には愛知県の方へ「おしのびの万博見学」に行っていたゴッホの「ひまわりシリーズ」の中の1枚も、無事もどってきていた。それはとりあえず新宿の至宝だ。500年後の「大新宿至宝展」に出典されることになるのだろうか。

野球界を取り巻く状況の整理

2005-10-20 22:28:58 | スポーツ
週末の土曜日(10/22)に千葉市に所用で一泊することになり、楽天トラベル(旧旅の窓口)や東横インのオンラインやJTBのネット予約で探したのだが、ほとんどFULLで、高額な宿賃のところとカプセルだけが空いている。翌日はガラガラなのに、”まさかこんなところで学会などあるはずないし”と、しかたなく高額ホテルの予約をとったのだが、ふと気が付くと日本シリーズがある。調べると千葉マリンスタジアムで18:15にキックオフじゃあない、試合開始。ロッテの応援団は自宅に帰るのだろうから、ホテル予約者は阪神トラキチの方だろう。球場のある海浜幕張とJR千葉駅は近くはないのだが、大阪の方からみれば区別が付かないのだろう。それに、祝勝会をしようにも海浜幕張の方にトラキチ好みの店はまったくない。

おそらく、大阪から東京駅経由で海浜幕張に来て、午後9時頃には、勝っても負けても千葉市の繁華街に繰り出すのだろう。もしかすると、私も未知との遭遇になるかもしれないので、カメラを持参しておこう。千葉栄町より「暴れる虎」実況ブログができるかもしれない。ただし、飛び込むべき川は極めて貧相だ。千葉は全体にきわめて低地だ。したがって大河がない。千葉の繁華街を流れる川は葭川(よしかわ)といって、中学生が走幅跳びで対岸へ飛べるくらいの幅しかないし、途中から上にふたがついて下水管状態になる。さらに、海浜幕張の近くを流れる花見川は人造川なので、それなりに広いが、ある特殊な理由で、テロ対策が万全になっているので、水面に到達する前にハチノスにされても知らない。

ところで、日本シリーズに登場したのは2チームだけだが、ここ数年、野球シーズンが終わると(いや、終わる前から)次の裏野球が始まる。

まず、数年前は、選手の海外逃亡が多かった。キューバの選手がメジャーに入るには野球の他に、密かに水泳の練習が必要だったのだが、日本人の場合は、交渉力や世間を味方にする政治力や、時に仮病を使うとか、横になったり縦になったりで、成功したり失敗したりしていた。昨年も上原や井川が逃亡しようとしたが不発。今年の松坂がどういう秘策を持っているのだろうか。

そして、昨年は近鉄の撤退に始まり、成績はともかく楽天のライブドアからの横取りという荒っぽい展開になり、予想に反して12球団が維持された。さらにはじめてのストライキもあった。

しかし、どうみても昨年の球団M&A戦争は、終わり方が中途半端で、時間切れということだったのだろう。多球団の赤字問題や、西武鉄道の上場廃止問題などそのままだった。

そして今年も一応無事ペナントレースは終わったのだが、西でも東でも球団問題が大揺れになっている。それは、あちこちで相矛盾した現象を起こしているのだが、それらのいくつかの「ファクト」をジグソーパズルのように組み合わせるとどうなるのだろう。少しやってみる。まず、関係パズル片をランダムに並べてみよう。

「村上ファンド阪神電鉄株を買収完了寸前」「村上氏、阪神球団の上場を要求」「星野氏上場を望まず」「阪神ファンも上場を望まず、とマスコミが報道」「楽天、TBSとの合弁を目指す」「横浜か仙台の売却の可能性あり」「大阪ドーム会社更生法を申請」「大阪ドーム(建造費500億円)の査定価額は100億円」「大阪市長辞任」「御手洗氏(キャノン)日本経団連次期会長へ」「古田、プレーイングマネージャーに、同時に選手会長退任」「ホリエモン広島球団の買収可否の調査へ」「ナベツネ、牡蠣になる」「パ・プレーオフ3試合、関東はBS朝日だけが放送」「2006年はドイツワールドカップ」「松坂日本脱出工作開始」「西武球団の先行き不明」「岡田監督、8球団論」

パズルが多すぎるので、部分的に簡単なところから行くと、御手洗(みたらい)新会長→「黒い目のアメリカ人」と言える。経済界は、「口を出さない」ということだろう。松坂→たぶん、隙を突いて脱出するだろうが、メジャーでの結果は不明。西武球団の売却の可能性→今シーズンオフでは未決(蚊帳の外)。ワールドカップ→野球を見る人間はさらに減少するだろう。古田→選手会長辞任で、選手会の弱体化(あるいは凶暴化)。村上ファンド→ファンドは資産全体を20%程度拡大していかなければならない。巷間言われる資産4000億円とすると800億円の資産価値の増が必要となるが、阪神電鉄株だけではなく阪神球団を上場させることでさらに電鉄株の価値が上がることを狙っている。星野の上場への反対→不明。あるいは数球団が上場すると上場できない事情の球団が即死することを暗に示唆しているのだろうか。奇妙な阪神ファンの上場拒否→もともと、判官びいきのファンが多かったため、考え方が、ひねているのと、上場して価値が上昇するよりも、新しいファンが増えないように閉鎖的な世界に閉じこもろうとしている。

もう一つ、大きな問題になるのが大阪ドーム破綻問題。建造費500億円も、既に可動式屋根は故障し部品メーカーがなくなった。ドームの地盤が弱いため、ロックコンサートで観客が立ち上げると、近隣住民が震度2になる。ということで、救済のめどがたたないのだが、完全破綻すると市長の責任が問われる。債務保証を市が行っていると言う噂もあり。甲子園球場から大阪ドームへの鞍替えも考えられる。分解して甲子園で組み立て直すことができるかどうかだが??

そして、隠れた問題だが、現在30億も40億も赤字の球団がなぜつぶれないかというと、親会社が子会社の赤字を補填しても、税務上は寄付行為にはあたらないで親会社の広告宣伝費と税務署が見解を出している。しかし、1球団でも上場でもしようものなら、このような見解が認められ続けるのかどうかは不明だ。上場会社の赤字を完全に他の会社が負担するなど理解しにくい。ここの部分が非常にデリケートな問題になるのではないだろうか。すると、親会社の補填なしではつぶれるような球団は追い出されるかもしれない。(何球団?)

BS朝日での放送→結局、ディジタルとアナログは、受信機側が併存状態にしても、発信側(放送局)がよりポピュラーな番組をどちらで流すかで優劣が決まってしまうのだろう。そして現場監督の声として、岡田のいう8球団制は賛成できることが多い。優秀選手に絞って、メジャー並みの試合をすることが再生への早道のような気もする。

さいごにホリエモンだが広島は買わないと思う。仙台、福岡、札幌が地域の中核都市というのとは異なり、広島は単に広島シティであるに過ぎないからだ。

「女の選挙」でも、期日前投票へ

2005-10-19 22:19:53 | 市民A
56ee8adf.jpg神奈川県の参議院補欠選挙が行われる。立候補した有力候補3人が全員女性であり、さらに自民党の応援団は先の衆院選で登場した女性刺客(英語ではアサシンズと書かれていた)、ということで結構注目されている。投票日は10月23日(日)。

衆院選が終わってすぐなのに、また国政選挙なのには理由があり、9月11日の衆院選に、6人(3人枠)の参議院議員のうち、民主党の斎藤つよし氏が果敢にも、小泉首相と同じ選挙区で立候補したからだ。一応、比例区名簿にも記載はされていたが、首相相手だと惜敗率が25%ということになり、最初から当選の可能性はない。斎藤氏がいかなる取り決めを党としたかは不明だが、党自体支持率を失った今となっては、約束も空しいだろう。

有権者とすれば、前回、同時に選挙をする方が便利だったとも言えるが、選挙を2回楽しめると前向きに考えることにする。

ここで、神奈川の情勢だが、元々3人の枠に対して、平成13年の結果は民主、自民、公明が各1、平成16年の結果は民主2、自民1(公明の協力あり)。ということで、民主優勢であったわけだ。ということで、斎藤氏が一旦椅子を降りても、また席を取り戻せるだろうと甘く考えていたのかもしれない。が、事態はまったく変わってしまっているのはご存知のとおり。
各党の候補者支持率はこう変化している。
16年度参院選     民主46% 自民+公明33% 共産11% 社民7%
17年度衆院選(比例) 民主28% 自民43% 公明12% 共産7% 社民6%

ところで、実は、この選挙で当選しても、残る任期は2年もないのである。すぐ次の選挙。それなのに、大物が出馬したのである。

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そして、ここで、前もって書くと、選挙の当日は、別の場所にいることになりそうなのである。ということで、前回選挙に引き続き、またも期日前投票ということになる。そして、このブログの中で、政党の評価をするならともかく、個人的な批評とか書くと、結構あぶないことになりそうなので、きわめて注意深く書き進むことにする。悪くいうと優柔不断な文章。ご容赦を。不幸にして「1票差で落選した議員」が頭に血が上って、後で犯人探しをするかもしれないからだ。
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立候補順に書くと、
川口より子 自民 64歳 無職
牧山ひろえ 民主 41歳 国際法律・ビジネスコンサルタント
はたの君枝 共産 48歳 政党役員

なんだか、みなさんの職業のところが・・川口より子さんとは、前外相・川口順子さんのことである。「無職」と書いてあるが、実はポスターには小さな字で「働く母の一人として」と書いてあるのだが、あまり些細なことは言わないことにする。むしろ、前外相をやめたあと、固定収入がないのかと心配になる。ダメな国だから。
牧山ひろえさんの職業は、もうちょっと明らかにした方がよかったかなあと思う。何か、かなり悪どい仕事のようにも思えるし、かなりクリアな仕事のようにも思える。フリーなのか所属しているのかも明確ではない。
はたの君枝さんの政党役員というのも、実はもう一歩踏み込むと重要な意味がある。日本共産党のHPで組織を調べると、まあ予想の通りの組織なのだが、彼女の名前は上の方には見当たらない。それがプラスかマイナスか、よくわからないのだが。

ここで私見だが、最近、投票に行く前には色々考えることにしている。何しろ、1票は重い。一人に絞るには、いくつかのことを考えなければならない。ということで、どこに住まわれているかを軽く調べてみた。案外こういうのは重要だ。そして、帰りにちょっと横道をすればわかるわけだ。まあ、遠くから眺めるだけならプライバシー侵害にはならないだろう。(ただ、住居を公表するというのは実際に悪意のある人にはどういうものなのだろうという気がする)

56ee8adf.jpgそして、3人の方の住所をみたところ、色々と考えてしまった。
川口さんとはたのさんはともに横浜市内のJRの駅から近い場所ではあるのだが、「人生、結構苦労しているなあ」という感じがヒタヒタと伝わってくる。牧山さんは、驚くことに東京都世田谷区の一戸建てレンガ張り住宅だった。神奈川県民の多くが大田区や世田谷区の人間に敵愾心を持っているような気がしているのだけど大丈夫だろうか。牧山邸を100点とすると川口邸が40点、はたの邸は30点くらい(ほめ殺し風になるので詳しく書かない)。

ここからは、完全に個人的意見なので参考にしないでほしいが、実は、3人の中で、もっとも議員になってほしくないのは、川口さん。もっと、違う意味で重要な仕事をしてほしいと思っている。これじゃ民主党つぶしの刺客の延長みたいだから。そして、牧山さんのことはよくわからないが、「子育て中」を前面に出すのはどうかなって思うが、本人がその作戦を考えたのではないだろう。はたのさんは、本当は一番議員になってほしい人だ。3年前に議席を失ったが、一貫して弱者救済の活動を続けている。しかし問題は所属政党で、新聞販売員のような政党から離脱して他党(社民とか)に移籍すれば、何とか国政に戻れるのではないだろうか。あるいは、政党の終身雇用制が終了すれば変わるかもしれないが。
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56ee8adf.jpgそして、投票所は、まったくの不入りで、今回の投票率の低さが予感される。期日前投票所には約10人の方が立ち会っていらっしゃったのだが、あまりの静寂の中で、投票用紙に鉛筆で名前を記載する時に微かに発生する筆音で、誰に投票が行われたのか、室内の全員にわかってしまうのである。まるで利敵関係がはっきりしている農村の選挙区のようではないか・・

CDで聴く池上彰講演会はこどもニュースの延長

2005-10-18 22:18:36 | 市民A
95a3b697.jpg新潮社からCDが届いた。少し前に予約していた、池上彰氏の「日本語は乱れているのか-メディアの日本語、私たちの日本語」という講演会に急遽、行けなくなったのだが、気を利かしていただいたのか講演の録音がCD(つまり画像なし、音声のみ)となって送られてきたのだ。まあ文字におこすのは大変だろうが、CDは全部電気式の仕事でできるから簡単で安価なのだろう。

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ところで、話は横に飛ぶが、急遽、講演会へ行くのをキャンセルしたのは、突然の宴会があったからだ。大口の株主様何名か様の接待。無口な株主様で私がずっとしゃべっていて事なきを得る。こういうややこしい宴会にもっとも便利なのが、「蟹」料理だ。それも豪華に一人一匹もの(蟹は単位は何だったかな?頭か匹か羽だったか???)がいい。核心的追及を受けそうになった頃に登場すると、ただちに沈黙の時間が訪れる。「蟹は沈黙をもたらす」という格言がある(かどうかは知らない)。蟹を食うにも手順があって、それができない男は、彼女とデートにいく時に、レッドロブスターは避けた方がいい。ゆでロブスターも手順は同じだ。

そして、蟹を食う方式を見ていると、性格がわかる。蟹の甲羅の中の蟹ミソをつつきまわした上、酒でも注いで甲羅酒などやる人間は要注意。細かなことまで気が付く。足の先までしゃぶるような人間も危険だ。出資先を搾取するタイプだ。また、大雑把に蟹をバラバラにして残骸の山を作る人間も困る。まあ、蟹接待は高額だが、嘘発見器代わりに、たまにはいいかもしれない。高額ってことになると一人あたり単価はいくら位かというと、もちろんカニだから、チョキだ。
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元に戻る。

95a3b697.jpg送られてきたCDだが、その他、資料が多数入っている。司馬遼太郎の講演集全8枚セット2万円強という振込用紙も入っていたが、何かの間違いで買いたくなるといけないので、読まずにシュレッダーに入れる。そして池上CDをラジカセに入れて、まず10分聞いたのだが、雑談ばかりだ。こういうのはCDではわからない。本や資料なら、飛ばして読む場所はわかるのだが、何しろCDは・・

そして、ようやく講演が始まる。最初に、「私はアナウンサーではなく、編集委員とかキャスターという分類なのですが・・」と多くの人の勘違いを訂正する。NHKの「週刊こどもニュース」のイメージが強すぎるのだが、もともとは普通の記者であったが、主流の政治部ではないということで中途半端な仕事になっていたらしい。「週刊こどもニュース」も全体の企画は池上ペースで行われていて、1週間かけて次の企画を決め、小道具の準備をしていたそうだ。そして55歳で中途退社。その事情は明らかにされない。(講演部分がCDになっているだけで、質疑応答は収録されていない)

聞くと、生放送というところに大きな困難があったということだ。ちょっとした言い間違いでも抗議電話が殺到するらしいのだ。特に、世間でやや誤った表現をしているものを、正しい言い方でしゃべると大混乱が起こるそうである。例として、”埼玉県の”「吉見百穴(通称ひゃっけつ、だがひゃくあな)」。二荒山神社(日光にあるのが、ふたらさん神社で、宇都宮のはふたあらやま神社)。水面(本来「みのも」だが「みなも」が定着。白夜(本来「はくや」だが、森繁久弥の知床旅情で「びゃくや」に変質。早急「さっきゅう」が「そうきゅう」化。など。


ところで、書評を書くのは、本をパラパラとめくりながら引用すればいいのだが、このCD講演集を評するのは相当しんどい。いくらCDを見ても内容は思い出せない。中を探そうにも困難だ、ということ。さらに、途中20分ほど眠っていたようなのだが、もう一回最初から聞く気にはとてもなれないということだ。何しろ、こどもニュースの口調が完全に身についてしまい、聴衆を「こども扱い」しているように聞こえてしまうのだ。何度聴いても途中で眠ってしまうような気がする。ただ、特に刺激的な話は私の記憶には残っていない。


そして、実は、司馬遼太郎講演会CDセットの申込書は始末してしまったのだが、始末を忘れていた新潮社の月刊PR誌「波」を読んでしまい、つい年間1,000円也の購読料を振り込んでしまったのである。

11城目:丸岡城、辿り着くのが難業

2005-10-17 22:14:08 | The 城
942269cb.jpg現存天守閣12城の攻略の第11城目は、「丸岡城」。場所は福井県丸岡市。福井といえば柴田勝家がお市の方と城を枕にした「北の庄」が有名なのだが、この丸岡城はその勝家の甥柴田勝豊が1576年に築城。現存12城の中で、もっとも古いとされている。ただし、これには異議が存在する。実は昭和23年に福井を襲った「福井大地震」で、この天守閣は倒壊。以後、雨ざらしだったのだが、7年後の昭和30年に元の建材の80%を再活用することで、再構築されたわけだ。この行為が、「修理」なのか「再建築」なのかということでケチがついているのだが、個人的にはセーフだと思っている。つまり、建材の大部分が再利用されているとか、構造を変えていないとかだ。松本城なども、倒壊の危機に際し、いったん分解してから組みなおしている。(ただし、再度福井を地震が襲った場合はまた崩れる可能性もあるのだろうか)

そして、この城へはJR福井駅から向かったのだが、この福井駅というのは、きわめて観光客には不親切だ。駅はピカピカの新品で、早くも新幹線対応になっている。金沢方面から福井へ新幹線が延びることになっているようだが、まだ金沢にも新幹線は通っていない。そして駅前には観光案内センターもない。巨大なタクシー乗り場があるだけ。事前の情報収集だと、バスに乗って、「本丸岡」行きに乗り、「本丸岡」か「丸岡城入口」で降りることになっている。が、地方都市でバスを利用するのは不安だ。だいたい乗り方だってそれぞれ違う。それに、どこで乗ればいいのだろう。と、しばしウロウロすると、駅前広場のはじの方にライオンズクラブ寄贈の観光案内図と並んでバス路線図がある。そして、やっと10番バス乗り場を発見し、1時間に2本のバスに乗る。

実は、バスは、私が今までに乗ったことのある内外のいかなる乗り物より最悪のものであった。ボロバス。人間用ではない。ゴミ収集車だ。前向き座席に座り、足を踏ん張り、前の席にしがみつく。道の左側を傾きながらふっ飛ばす。そしてドライバーは話好きのようで、タクシーのように最前席の乗客と雑談をしている。しかも、誰も文句をつけない。骨がはずれそうになるが、30分3,000円のマッサージが1回分無料になったとものと前向きに考える。そして、細い道を右や左に折れ曲がりながら、「本丸岡バスターミナル」に到着。40分640円。高い。そして、バスを降りて、城を探すが見当がつかない。どこにも観光客用の案内はない。近くの蕎麦屋に入り、道を聞く(が、ソバは食べない)。

地元の方は、親切と思って、近道を教えてくれるのだが、本当は30秒ほどの近道のために複雑な道を聞くと不安になる。聞いた内容を二回ほど反復確認し、歩き始める。約5分ほどで城が見えてくる。やっと安心。ただし、普通は、ここから堀とか石垣とかで難儀をするのだが、ここはあっさりと天守閣の下まで登れる。というのも石垣や水堀は明治の時代にすっかりとりこわされ、このあたり一帯の住宅地に替わってしまったからだ。天守閣以外は残っていない。何か、地元から愛されていないように感じるし、観光地にする強い意志は感じられない。

942269cb.jpg天守閣のことを書こう。一風変わった感じがするのは、石瓦が使われていることと、板壁が用いられていることだ。これが何かのんびりした感じを与える。つまり、平安鎌倉時代の櫓風の味を出している。そして極め付きは、3層仕立ての天守閣内部の階段だ。今までみたどの城よりも急階段だ。ほぼ梯子の角度に踏み板がついているため、昇降は文字通り命懸け。ロープが垂れ下がっているのだが、階段の上から下を見ると、これから絞首刑を受けるようなめまいがする。

二階には、どこの城にもある、全国の名城の写真が並んでいるが、その中で和歌山城の築城者のことを「藤堂高虎」と記載してあった。私も高虎だと思っているのだが、通説は「城主・豊臣秀長」となっている。歴史の解釈には色々あるものだ。

942269cb.jpgそして、城を後にし、反対側にある丸岡市の博物館に入ると、面白いものがあった。時間があれば寄ろうと思った朝倉資料館にあるとされる「中将棋」。駒が100枚位ある(日本将棋は40枚)将棋の前身なのだ。今までの知識では、この中将棋は、とった駒は使えないので駒台は存在しないとされていたが、駒の形をした駒台があった。(ただし、駒の多さから言うと、この台には乗り切らないような気もするので後世の作かもしれない)

駒の話でいうと、この丸岡城の堀の構造は五角形の駒形だったため、それを埋め立てた道割りも不定形になっている。そして、今度は道に迷って元に戻るのにくたびれてしまった。なにしろ、表示が皆無である。そして、まさか元のボロバスがくるのではないかと怖れていたら、新しいバスが来た。そして来た道とはまったく違うルートで広い国道に出て、郊外のショッピングモールや福井新聞の前を通り、50分かけて福井駅に帰着した。


こうして、現存12城攻略シリーズは11城目まで辿りつき、残るは全く方向の違う、青森「弘前城」のみとなった。あちら方面に仕事で行く可能性はないので、単独で行くしかないのだが、なかなか困ったなあ、という感じだ。3城目とか4城目の時は、まさかここまでやるとは思ってなかったのだが・・

もしも、弘前市関係者の方で本ブログの読者がいたら、「ご招待」のほどよろしく!と書いておこう。「城を中核としたリアル観光誘致」というような講演OK、ということにして、来年の花見の頃にでも行こうかなと思っている。何しろ、来る11月23日になると、この弘前城は降り積もる雪の中に静かに姿を沈め、弘前公園全体が来年の4月1日まで、閉園ということになってしまうのである。
<追記PP:コメント欄で指摘されたように、弘前公園は冬は無料というだけで、闖入者はこばまないそうです。