明治の時刻表は鬼のように正確だ

2005-05-11 14:51:47 | 日本最古鉄道
b5f0bd41.jpg時刻表が2つあった。

一つ目は、鉄道運航開始の日の時刻表。明治5年5月7日、駅が横浜と品川の2駅。単純だ。
まず、横浜駅を08:00(八字と書いてある)発、品川駅08:35着。
次に、品川発09:00で、横浜着09:35。
ずっと時間があいて横浜発16:00、品川着16:35。
そして品川発17:00、横浜着17:35。1日2往復。
まあ、最初はこんなものだろう。列車が遅れても何も起きない。逆に乗客は、乗り遅れたら1日がフイだ。

そしてもう一枚の時刻表は本格的だ。明治7年。駅も増えて鶴見駅まである。順序は、
 横浜(現桜木町)→金川(現東神奈川)→鶴見→川崎→品川→新橋だ。

1日12往復で、横浜=新橋間を「58分」で結ぶ。横浜駅と新橋駅とも朝07:00が始発で「1時間15分刻み」で発車する。つまり列車は両端の駅で「17分の停車時間」があり、その間に「機関車の向きを180度回転させたり、石炭や水を補給しなければならない」のだから相当忙しい。(機関車の向きをどうやって変えたのかは全く見当がつかない。誰か教えてくれないだろうか?)そして夕方の19:30発のあと2時間半あいて「22:00発22:58の最終列車」があることなど、現代の終電車的だ。酔っ払いばかりだったのだろうか?

そして各駅ごとに細かく着時刻と発時刻が決まっている。駅ごとの停車時間は、新橋行きは神奈川2分、鶴見1分、川崎2分、品川1分だ。横浜行きは、品川、川崎各2分、鶴見、神奈川各1分だ。

そして、最大のポイントは単線であること。すれ違わなければならないのだ。そのすれ違いに利用されたのが、川崎駅だったのだ。横浜=川崎間は12.6Km・26~28分(平均時速約30Km/h)。川崎=新橋間は16.3Km・30~32分(平均時速約35Km/h)。つまり川崎は中間点より横浜よりなのだが、本当の中間点は多摩川の上になる都合でここを使ったのだろう。そのため、横浜=川崎間には駅を二つ(金川、鶴見)おいたり、ゆっくり走ったりしていたのだ。時刻表で確認すると、まず横浜からの到着車両が川崎駅に到着。2分間停止していると、新橋方面からの列車が到着し、停車すると同時に、今まで停車中の車両が走り出すことになる。

計算上は、2台の列車で往復していたものと思われるが、予備車両があったのかどうかよくわからない。いずれにしても、ほとんど時間の余裕はなかったものと思われる。こういうのが過密ダイヤという日本の悪癖につながっていったのだろう。

さて、この時刻表の左側に細かな文字が記載されていて、実はここが情報の宝庫なのである。現代語訳ではこういうことが書かれている。

1.旅客の列車はこの表に示す時刻の発着にて、東京、横浜の間を往復します。

2.乗車したい者は、遅くともこの表示の時刻より10分前に駅に来て、「切手」買入れ、
 その他の手続きをして下さい。そして、「賃金」の定数を、おつりのないよう、あら
 かじめ用意するよう願います。ただし、発車ならびに着車とも、必ずこの表示の時刻
 と違わないようにすることは請け合えませんが、できるだけ遅滞ないようにします。

3.旅客は出札所の窓口を離れる前に、その「切手」ならびに釣り銭などを改めてくださ
 い。あとで間違いなどを申し出られても、聴き入れできません。

4.「手形」は、その日限り、乗車一度にしか使えません。

5.四歳までの子どもは無賃です。それより大きく十二歳までは半額です。

6.旅客はすべて、鉄道規則にしたがい旅行してください。

7.「手形」検査のときは「手形」を出して改めを受け、また、「手形」取り集めのとき
 は「手形」を渡してください。

8.旅客の日用に欠かせない旅具、すなわち、小包・胴乱などは無賃ですが、もし損失が
 あっても、自ら責任をとってください。そのほかの手回り荷物は、東京・横浜の間、
 重さ三十斤までは二十五銭、三十斤以上六十斤までは五十銭を払い、その中間の駅は、
 いずれもその半賃銭を払い、荷物係へ引き渡し、引き取り証書をもらっておいてくだ
 さい。もっとも、一人につき重さ六十斤までとします。

9.手回り荷物はすべて、姓名かまたは目印を記してください。

10.旅客が乗車できるかできないかは、車内に場所があるかないかによります。

11.犬一匹につき、東京・横浜の間、賃銭二十五銭、その中間の駅は、いずれもその半賃
  銭を払ってください。しかし、旅客車に載せることを許しません。
 「犬箱」或いは「車長の車」で運送します。首輪・首綱・口綱を備えて渡して下さい。

12.発車時限をきちんと守るため、時限の三分前に駅の戸を閉ざします。

13.喫煙車以外ではたばこを許しません。

注目点は、まず、「2.必ず表示の時刻とは請け合えない」って。(遅延による損害賠償不可)そして2と12をあわせ読むと、「07:00の電車に乗るためには06:50までに、お釣りのないように小銭(現在価値8,000円位か。米15kg分)を準備して切符を買い、06:57までにホーム(といっても高くなっていないようだ)に入って待っていなさい。」ということだ。それにもかかわらず10に書いてあるように、「満席だと乗せてもらえず」に、かといって「切符は当日限りだし」困ったな・・・ということになる。
一方、「ペット持込と禁煙の話はやたらに現代的」だ(木製の客車だったから火に弱い)。
3と6と9は「余計なお世話」ということだ。

しかし、これを見ていると、鉄道ダイヤの正確性は単線時代からの産物なのかもしれない。これだけきっちり時間が決まっていると、運転士や機関士の精神的プレッシャーは相当あったのではないだろうか。しかも現代のように正確な時計もないし、事務所や対向車との連絡方法もない。

しかし、意外なことに現代は、また単線の時代ということでもあるのだ。IT技術により、在来線の複線区間のうち、片側を狭軌から標準軌に交換して、単線X2というスタイルで新幹線を走らせていることが多いと聞く(フランスの超特急も単線運転をしながらもう一本の点検整備を行っているそうである)。もちろん、すべての車両の現在位置や将来の予想位置が把握できることが前提である。しかし事故の常として、無数の予見しずらい危険ファクターの組合わせに起因することが多いことを思い起こすと、すべての危険要因に対応して超高速運行しているのだろうか?万に一つということ以上に億に一つも事故は起こりえないように考えられているのか?少し怖い。