青インクの東京地図(安西水丸著)

2017-02-28 00:00:22 | 書評
東京を舞台にしたエッセイ。エッセイとひとことで言い切るのは難しい。色々なパターンがある。本著は、ある意味、東京のガイドブックになっているといってもいい。

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登場する町は、
深川、赤坂、戸越、新橋、巣鴨、歌舞伎町、青戸、八王子千人町、錦糸町、九段、上野、銀座、分倍河原、三ノ輪、町屋と脈略がなさそうな15か所。

実は、脈略はちゃんとあって、それはそのすべての町に著者である安西水丸氏のかかわりがあること。自分の散歩コースだったり、少年時代の思い出があったり、知人がいたり、愛人もどきがいたり。そういうメモリアルプレースに歴史的な土地の成り立ちを加えて、著者なりの感情を移入していく。

少なくても、著者のメモリーの部分に共感できるかどうかは別にして、この町にはこんな風情があって歴史があったのだ、と頭に入れてから都内を歩いてみたらどうだろう。

私もそれらの場所のいくつかには個人的メモリーもあるのだが、さすがに東京育ちの人にはかなわないなあと思ったのだが、冷静に考えれば彼は千葉県の一番南の端の千倉で育ったはずだ。私も千葉県民だったのだが、もっと東京に近かった。

やはり、タウンボーイを装えるのは、学校が東京(九段の私立・医者の息子が多いとこかな)で、勤めが電通だったからなのだろうか。電通を辞めたのは、勤務状況がブラックだったからなのだろうか?

オール・ザット・ジャズ(1979年 映画)

2017-02-27 00:00:46 | 映画・演劇・Video
アメリカのミュージカル(キャバレー他)の監督で振付師でもあるボブ・フォッシーが自らの死期が近づいていることを知り(勘違い?)、時間に追われ、何もかもギリギリ状態の映画監督を主役とする自伝的ミュージカル風映画にした作品だ。実際には映画完成から実際にサヨナラするまで8年もかかった。

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自伝的作品といえばフェリーニで生涯何作も自伝的映画(仕事に行き詰った監督が主役)を撮っている(「8 1/2」とか「アマルコルド」とか)。フェリーニの場合は病気とは何の関係もない。

主役の監督役(ギデオン)を演じるのは、ロイ・シャイダー。女優陣はたくさん登場し、監督を愛しているのか、単に自分勝手なのかよくわからない。たぶん両方なのだろう。また制作会社の役員は、芸術性より商業性に重きをおく人間たちとして描かれ、監督が過労で入院すると、そのまま死んでくれた方が保険で儲かると算盤をはじいたりする。

いずれにしろ、四六時中、酒とタバコと精神安定剤を飲み続ければ、ボロボロになるわけで、わかっていても止められずに病院超特急になるわけだ。世界の禁煙率向上に貢献した映画なのかもしれない。

なお、監督のそばには、いつも死神がまとわりついているのだが、これが美女のわけだ。美女が死神になって、「こっちへおいでよ」というのを断るのは難しいような気がする。

ある明るい朝に(新井卓氏 写真企画展)

2017-02-26 00:00:22 | 美術館・博物館・工芸品
あざみ野の「ギャラリーあざみ野」で開催中だった『ある明るい朝に(写真展)』に。

写真と言っても普通の紙焼きではなく、ダゲレオタイプという手法。要するに写真が登場した頃の1850年ごろの技術を使っている。二種類の化学物質で画像を浮かびださせる。よく幕末の人物が首を固定されたまま30分動かなかった方式だ。

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もちろん、人間を写すのは今時は困難なので被写体は異なる。広島、長崎、福島など。要するに核物質の寿命に比べれば首の固定などは一瞬の時間であって、その時間が止まった各地の被写体を写すのにこの手法を使ったということだろうか。(もちろん現代の技術では、首の固定器は要らない)

写真は技術じゃなく思想だという考え方はあるが、新井氏は技術と思想を組み合わせたのだろう。なかなか見る方も忍耐を要する。


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同じ会場では『写真 時間の位相』が同時開催で、その1850年ごろからの写真の進化がカメラの進化とともに展示されている。上記の首固定器も見られる。私なんかとても無理だ。動かないと体が硬直してしまう。米国新大統領もそうだろう。

初期の写真の一つの特徴として、再現性がないということがある。一枚の銀板に焼かれた写真は、オリジナルであるとともにコピーは存在しない。となると、本展に登場する例えば「ボストン郵便局の局長のポートレート」なる額縁入りの写真は、おそらく本人が所有していて、没後ある時点で不届きな子孫が金策のためオークションに売り出したものだろうか、と思わぬことを考えてしまう。

ちょっと驚いた話

2017-02-25 00:00:16 | しょうぎ
三浦九段冤罪事件に関して、ニコ動の生放送で、ある九段が次のように語ったようだ。

三浦さん本人や家族、三浦さんに近い関係者に本当に申し訳ない。まさかと思いつつ、「魔が差してしまったのか」と思ってしまった。今となっては全くの誤解で、三浦さんは全くそんなことはしていなかった。自分自身も20年ぐらい前の対局中に、持ってきていた将棋の本を読んでしまおうかと思ったことがある。このような経験もあったため、色々な説明を受ける中で三浦さんを信用することができなくなってしまった。三浦さんや関係者の方はもちろん、たくさんの将棋ファンの方にご心配、ご迷惑をかけて本当に申し訳ない。


自分にも魔が差しそうなことがあったので、疑ってしまった、ということなのだが、「(定跡をちょっと忘れたので)カバンの中の本を見て確認しようと思った」というようなことをプロが考えるというのには驚く。

逆に、アマチュアはそこまで勝負にこだわらないのでカンニングをしないということなのだろうか。前回の職団戦の時に、同じチームの一人から「相手が自分の手番の時にいなくなり、しばらくして戻ってきて痛打を浴びた。それも2回も」と報告があったのだが、まったくあぶない話だ。

プロの年配者で昼食休憩の時に将棋連盟の売店で立ち読みしたという話を読んだ記憶があるが、今回の外出禁止令でも立ち読み禁止になっていないことに気付く。

外出禁止令に違反しても、対局続行の上、対局料半減ということなので、書籍立ち読みの罰則は、「立読み本を強制購入の上、本に書いていない手を指すこと」ということかな。


さて、2月11日出題作の解答。

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並べ詰みの改造作であり、最後の捨駒だけが詰将棋らしい手なのだが、実は12手目に玉方が△4一玉ではなく△4二玉だと同手数の並べ詰みになってしまう。修正はできそうもない。失礼。

動く将棋盤は、こちら


今週の問題。

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先週が短かったので、お返し。持ち駒の歩は、毒針を持った工作員で、盤上登場時間は限りなく短い。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ、正誤判定します。

余詰め発生!4三歩を追加しました。

ダンダダン酒場の肉汁餃子

2017-02-24 00:00:19 | あじ
この5年で急成長したチェーンの「ダンダダン酒場」だが、京王線沿線を制覇した後、都心にも進出中だ。メインディッシュが「餃子」というシンプルさで、どうなっているのだろう。

京王線の久我山に行く機会があって、ちょうどランチの時間ということで、駅から徒歩30秒の「ダンダダン酒場・久我山店」に寄る。

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あらかじめの情報としては、ランチは1種類だけ。「餃子ランチ(680円)」ごはん大盛は760円。

餃子と、キャベツの付け合わせ、温泉卵とスープとごはん。

問題は餃子で、熱い肉汁が飛び出す仕掛けになっている。餃子版小籠包。「味付け餃子なのでタレを付けなくても食べれます」と言われるが、醤油、酢、ラー油もテーブルに置かれている。

そのあたりは個人的味覚の問題だが、醤油単体を少し付けた方がいいかもしれない。酢とラー油は味の方向性が異なるような感じだ。

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そして、肉汁はうっかりすると飛び出すが、小籠包みたいな悲惨なことはない。皮はもちっとしていて、水餃子のような感触だ。

肉は特に素晴らしい味でもないが、安っぽい感じはない。よく練られていると感じる。

そして、通常の店は餃子を注文すると、餃子6個が朝の通勤電車のサラリーマンのように重なり合って出てくるのだが、ダンダダン餃子は1個ずつが分離されている。もっとも全部一体化していて、そこから肉汁が出るとしたら食べるのに大苦労だ。冷凍餃子をフライパンで焼くとバラバラになるのだが、餃子はカウンターの前の餃子専用の蓋つきタイマー付の器具で焼かれるので、冷凍品使用は一目瞭然で発覚する。

ただ、どうしてこんなにチェーンが野火のごとく急拡大しているのか、今一つわからない。やはり店名に「酒場」と付いている以上、夜専用の財布を持って行かないといけないのかもしれない。

超古代の船の話から五輪の話にLターン(2/2)

2017-02-23 00:00:23 | スポーツ
ところで丸太船の見つかった検見川の東大グラウンドだが、近くに住んでいたことがある。前の東京オリンピックのクロスカントリーコースに使われたそうで、そのずっと後に通うことになった高校のマラソン大会の会場になっていて、このクロスカントリーコースを何回か(たぶん3回)走ったことがある。大変起伏が激しくて、時に坂に手をついて犬のように走りたくなるコースだった。


その伝説のようなクロスカントリーコースだが、2020年の五輪の時はどこで走るのかというと、あの海の森クロスカントリーコース。それを調べているうちに重大なことに気が付いた。

クロスカントリーといっても色々あるわけだ。

1. スキー
2. 陸上競技
3. 自転車(MTB)
4. 馬術

私は、自分が走っていたので、てっきり上記2の陸上競技として使われたのだと思っていたのだが、過去の資料を調べてみると、東大グラウンドで行われていたのは近代五種の中の馬のクロスカントリーだった。(普通の馬術は馬事公苑)

つまり自分で走っていて、急な坂は人間ではなく犬が走るようなコースだと感じたのは、無理からぬことだったようだ。そして、今回の海の森で走るのも、馬なのだ。周囲が海のコースで馬は驚かないだろうか。(源平合戦の時は、海の中に馬が入って戦ったのだから大丈夫だろう。新しい競技「馬泳ぎ」ができるかもしれない。)

ところで馬術競技といえば、知る人ぞ知る女性歌手の華原朋美さんが高校時代に国体で入賞していたそうで、色々と人生のイベントをこなした後、再び馬術競技を再開し、素晴らしい成績を続けて、五輪代表も狙えるところまできているそうだ。もっとも韓国で梨花女子大不正入学容疑を掛けられている女性のように調教と馬という2大要素を優遇してもらえることで成績は向上するらしいのだが、これから続く各種大会の結果が注目されていくのではないだろうか。

超古代の船の話から五輪の話にLターン(1/2)

2017-02-22 00:00:36 | 歴史
原日本人は歩いて列島にやってきたのか、あるいは船に乗ってきたのかという大きな謎があるのだが、本当は詳しくわかっていない。アフリカ大陸を何らかの理由で飛び出した先祖は、アラビア半島からすぐに二手に分かれて南回りでインドシナ半島までたどり着いた人たちと、いったん北上し、アフガニスタン辺りから右コースの蒙古シベリア方面と左コースの欧州方面に分かれ、欧州方面コースの人はネアンデルタール人と混血したというか淘汰してしまった。

日本には、南方経由の人が先に来て、そのうち大陸から何波にもわたって第2コースの人たちが渡来。ずっと昔(つまり石器時代)には一部大陸とつながっていたのだが、その頃には世界には丸太舟が存在していた。例えば陸地としては離れていた本州と北海道の間では、すでに石器用の石の流通(交易?)があったことはわかっている。陸路と海路と両方なのだろうか。

そのあたりの海路の可能性について、横浜歴史博物館(通称歴博)では「津々浦々百千舟」展で研究結果が公開されているが、何しろ日本の古代史、あるいは先史の研究には、大きな二つのハザードがある。一つ目はご存知の「邪馬台国論争」。どうもすべての学者は他人と異なる自説を唱えないと一人前と認めてもらえない。それが古代史の終わりの頃の弥生から古墳時代の話というから困る。

もう一つは石器時代。これは非常に大事な時期なのだが、「自家製石器ばらまき先生」がいて、この藤村氏(現在は別姓)が権威だった時代に盛り上がったブームが壊滅したため、石器時代の研究は遅れに遅れをとっている。

歴史の研究は、日本書紀と古事記の研究みたいになってしまうわけだ。

しかも古代の丸太舟というのはなかなか残っていない。理由は簡単で丸太舟の運命というのは、沈むか、老朽化して薪にされるかということだっただろう。2万年先の日本人のために粘土層に埋めておいてくれたりしない。

それでもおそらくは大きな不運と悲嘆とともに沈んだ舟が、偶然にも海底深くに流され、そして土に埋まった状態から地面が隆起して、そして戦後日本の土地開発ブームで運よくシャベルカーの爪に引っかかって陽の目を見ることになる。

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今のところ、日本最古ではないかといわれるのが千葉県の市原市で発見された丸太舟で、それはかなり朽ちていて原形の一部がわかっているだけらしいが、同じ千葉県の千葉市の検見川にある東京大学のグラウンドから発掘された舟が歴博に展示されていて、撮影フリーだった。レプリカとは書かれていなかったのだが、本物を運んでくるとも思えないが、どちらでもいい。おそらく遠洋ではなく、沿岸とか河川で使われていたのだろう。あるいは浅瀬で荷物を載せて人力で引っ張ったのか。

実際には、造船技術というのは必要に迫られて進歩するようで、大陸まで渡ろうというような船は遣隋使や遣唐使の時代になって急に発展したのだが、実はその後はたいして発展しない。江戸時代だって。遣唐使と同じような船に乗っている。

ペリーがきて一挙に変わった。

この後、話が急に方向転換するので、また明日。(余計な話が長くなりそうで、ゴメン)

影(アンデルセン)

2017-02-21 00:00:26 | 書評
アンデルセンの「即興詩人」を読んでから、気になっていた本があった。「影」というシンプルな題名の本である。童話的ではまったくない寓話であり、あまり紹介されていない短編である。村上春樹氏が講演会で紹介したこともあり、日本でも少しずつ有名になっているし、春樹氏の小説にも「影を失った男」が登場する。本書を読んだ後、思いだすと「影に逃げられた」という意味だったのだろうか。

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本書の登場人物はきわめて少ない。学者、学者の影、王女。もちろんほとんどセリフのないその他の人物はいる。

まず、前半部の意味がよくわからない。学者は何かの用で寒い国から暑い国へ長期出張のような旅に出る。寒い国は北欧で、暑い国は南欧という感じだ。あまり暑いので外に出ないうちに学者はやせはじめて、影もやせてしまうのだが、ある日バルコニーに学者が立つと、道路の向こう側の家に伸びた影が、向こうの家の中に行ってしまう。

学者はその後、寒い国に戻ったが、学者生活に恵まれず寂しい生活をしていると、数年経ってある金回りの良さそうな男が来る。それが逃げ出した彼の影が人間に扮して成功者となった姿だった。

ここまでが、驚愕の第一部で、第二部は「影」が主体になる。「影」は自分に影がないことをいいことに知能の高い学者を自分の「影」にしようとするわけだ。そして言葉巧みに連れ出して、某国の王女に近づいていく。そして学者を利用したあげく、学者のプライドを傷つけ、学者が真実を告発しようと考えたところで、狂人扱いして牢屋に送り、そのまま死に至らしめてしまった。

この寓話にはさまざまな解釈があるのだが、アンデルセン自体が登場人物の「学者」のように地味な生活を送っていたようだから、盗作でもされたのかもしれないと俗なことを考えてしまうが、違うのだろう。

常識的にいえば、「影」とは心の中の「もう一つの自分」をあらわす象徴であって、心の中の二極の相克がテーマと読むべきなのだろうか。


ところで、私自身、日常生活で自らの影を感じる時は少ないのだが、カメラの接写の時に影が映りこまないようにするときとか、ゴルフのパットを打つ時にライン上に自分の影があると、確かに邪魔なのだが、決して自分の「影」に対して、「消えて失せろ!」と思ってはいけないわけだ。

バレンタインにギミー・チョコレートの話をした歌手

2017-02-20 00:00:55 | 音楽(クラシック音楽他)
先週、「NHKうたコン」の生放送にNHKホールに行った。券の余った人のお流れ頂戴。クラシック以外でNHKホールに行くのは初めてだが、会場には異様な感じが漂うのだが、醜い話は本題とは関係ないので省略。また、生放送だが、午後7時30分から8時15分までの放送なのに、その15分前から開演になり、15分後が終演。最初の15分は、拍手の練習他が行われる。カメラ映りが悪いということで、観客席でのマスク使用が禁止される。インフルエンザの人も花粉症の人もお構いなしだ。

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で、バレンタイン週間ということで、ステージ上にはピンクのハートがあちこちに飾られていて何か奇妙だ。観客2000人の平均年齢はどうみても60歳以上。おそらくテレビで視聴する人の年齢も同じぐらいだろう。

出演者は順不同に石川さゆり、石川ひとみ、森昌子、伊東ゆかり、伍代夏子、水森かおり、小柳ゆき、国生さゆり、Chayと、ほとんどが女性なのだが、女性ファンからは「だいちゃーん」と黄色い声がやかましいわけだ。お目当ては高音域に魅力のある川上大輔がいるようだ。

実は、直近に読んだドキュメンタリーで、ある地方出身の不幸な青年が、日勤作業員になっても森昌子の写真を持ち続けているというストーリーがあって、今回、生で見るのも奇妙な縁を感じていたのだが、57歳になっても歌は変わらないなあと思ってしまう一方、出演者のそれぞれには熱狂的なファンがついていることを実感。よく芸能人がストーカー被害に合う現実は、人気と紙一つの世界なのだろうと感じる。

で、一、二曲ずつ唄うのだが、その合間のトークタイムの時に、司会の谷原章介が女性歌手たちにバレンタインデーに関してチョコレートの思い出を聞くのだが、そもそも国生さゆりとか森昌子にとって困った話だろうし、やや迷惑的話になってしまう。水森かおりは手作りのチョコレートは全部自分で食べてしまうそうだし、盛り上がらないテーマは、伊東ゆかり(昭和22年生)の話でとどめを刺される。

私の中のチョコレートの思い出といえば、こどもの時、進駐軍の前で歌って、兵隊さんからたくさんチョコレートをもらっていたことですね。

当時の日本はなんでも米国からいただいていたわけだが、今や大統領が首相からのお土産を期待するようになってしまったわけだ。


ところで、女性ファンお目当ての川上大輔は、一曲も歌わないまま放送時間が終了してしまったし、水森かおりは他人の歌をなんとか歌っただけだし、どうしたことかと思っていたら、放送終了後、彼らが登場したわけだ。つまり、最後の15分の追加時間はNHKホールをいっぱいにするための特別ゲスト枠だったわけだ。

川上大輔の高音はとても微妙に揺れながら伸びていき、カラオケで歌いたいが歌えないもどかしさを感じて、帰宅後ネットで調べてみると、「誰も彼のようには歌えないからマネをしないように」という警告であふれていた。

ラスコー展(科学博物館)

2017-02-19 00:00:11 | 美術館・博物館・工芸品
20,000年前の洞窟壁画が実寸大で復元され、上野の科学博物館で公開されていた。洞窟を再現するというのはかなり難しいがなんとか部屋を明るくしたり暗くしたりという手法で、復元できている。

20,000年前のクロマニヨン人は、現代人と同じDNAを持っているといわれ、要するに現代人と同じわけだ。しかし、石器時代なのだから生活をするだけで手いっぱいだったはずで、これだけの巨大絵画を描く余裕があったとは驚きだ。

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しかし、どんな時代でも、苦しくても芸術の道を突き進む人間はいるのだから、この洞窟の主も同じような根性を持っていたのだろうか。ドイツではなくフランスなのだが。

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絵を描くといっても洞窟の中は真っ暗だ。残留物から推定すると、獣脂を燃やしながら灯りを取り、何種類もの絵の具で着色していったようだ。

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絵画の意味は、大部分は解明されているようだが、一つだけ「鳥人間」という絵があり、解釈できないそうだ。

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ところで、クロマニヨン人の夫婦を模型にしたものがあったが、よく見ると先の民主党大会の大統領候補のようにも見える。男はサンダース。眺めているのはホワイトハウスで。「いきたかったな」という表情だ。厳しい表情の女性は「ヒラリー」。指さしているのはクレムリン。「あんたのおかげで大統領になれなかった」とプーチンを指さしている。

将棋の子(大崎善生著)

2017-02-18 00:00:44 | しょうぎ
だいぶ以前の書だが、未読だった。ある元奨励会員の半生を追ったドキュメンタリーなのだが、実際、追われる方としてはどういう気持ちなのかなと感じていたし、その元奨励会員だけが特異なのかとか、それほど遠い過去でもなく、本人が成功者と言えない状況で書いてしまうというのは、かなり違和感もあった。さらに同じような境遇の方も知っていたので、この書は遠ざけていたのだ。

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ところが、その知っている方から1月にいただいた変則的な年賀状の意味がよくわからず、知人に聞いたところ、その意味はわからないのだが、その方がこの本に登場する場面があるということで、あわてて図書館に行って読んでみることになった。

読んでみて、目的はかなわなかったが、奨励会も大変な世界だなあとあらためて感じる。


最近の将棋界の目を疑うような事件についてよく言われるのが棋士の社会性の欠如ということだが、本来社会性を身に付けなければならない十代の後半から二十代の前半を厳しい修行を続けるというのは、棋士の将棋力を高める一方で、社会性を損ねることになっているのだろう。

マクロ的に考えれば、囲碁界よりプロが少ないのが、狭き門の原因なのだろうが、それは外部の世界から入ってくる財源の差と言えるのだろうが、財源が少ないのは、将棋の質や内容の高度さではなく、棋士の社会活動や公共的な共感力が不足しているためであるのだから、もっと大局的に考えた方がいいだろうか。特にAIと力勝負しても勝てなくなったわけだが、そういう時代の将棋棋士の存在の目的を考え直した方がいいだろう。

ところで、本書は2001年の上梓だが、当時では考えもつかなかったインターネットやFacebookなどの普及で、行方が分からなくなってしまった人も、案外、足取りが復元できたりする。便利なような困ったような・・・


さて、2月4日出題作の解答。

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動く将棋盤は、こちら


今週の問題。

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4×5の中にあるのは四畳半問題というらしいが、四畳半を少し突き出している。床の間付きだ。部屋の中で完結する。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ、正誤判定します。

「珈琲あんぱん」と「生ずんだあんぱん」

2017-02-17 00:00:00 | あじ
鶴見は川崎の次の駅で横浜市である。ここは江戸時代には東海道の川崎宿と神奈川宿の間にあって、ちょうど江戸からの旅人がお昼の時間に通ることが多かった。

江戸時代の旅人は、宿を出るのが朝4時というのが相場で、かつ現代と異なり食事は朝夕の二回だった(古代ギリシアは一日一食だった)。

となると、お昼に立ち寄る茶店というのが休息と栄養補給という重要な役目を追うことになるのだが、鶴見はまさに茶店の街だった。当時の東海道は、ちょうど京急線の線路の隣になっていて、現代でも同じく饅頭を売っているのが清月という店で、今でも「よねまんじゅう」という商品を売っている(以前に紹介したことがある)。

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そして、当時、「覇王樹茶屋」というのがあった。読めるかな?サボテン茶屋と読むのだが1679年(延宝7年)に開店。300年以上続いているのだが、いつのことか茶店から洋菓子店に業態を変更。「エスプラン洋菓子店」というのだが、実は現在は洋菓子というよりもパン屋さんになっていると言った方がいい。というのも絶大なヒット商品を完成させた。

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第一弾:「珈琲あんぱん」

第二弾:「生ずんだあんぱん」

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店内は、ほとんどパン屋さんである。洋菓子の延長でコーヒーあんぱんを作ったら大うけしたのだろう。そして先祖返りでずんだもちをパンに入れてみたのだろう。

ただ、食べてみると、結構ヘビーである。さすがに朝4時に家を出て、鶴見に寄ってパンを二個食べて、さらに歩いて東京の会社まで行くのはお勧めできない(遅刻するから)が、東京から横浜に仕事で行くことがあるなら、途中下車して、江戸時代の旅人を体験してみたらどうだろうか。

忠臣蔵(松島栄一著)

2017-02-16 00:00:00 | 書評
2月になって忠臣蔵の本を読むという間抜けな話。12月14日の赤穂浪士による吉良邸への討入りに合わせて読んでいたのだが、本書(岩波新書)が非常に細かく事件やその後の浄瑠璃や歌舞伎の成立について分析されていて、なかなか読み進むことが困難だったこともあり、大幅に読了が遅れた。

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著者の松島栄一氏は1917年(つまり生誕100年)に生まれ、早稲田大学を卒業。当時津田左右吉に傾倒。その後、東京大学史料編纂室に就職という変わったコースをたどり、終戦後は羽仁五郎、家永三郎に影響されマルクス主義的歴史観を持つようになる。江戸時代が専門だが、一方、江戸時代をマルクス主義的に理解するのは難しいだろう。明治維新は市民革命ではなかったのだが、いつの間に封建制度が崩れた。本書の初版は1964年。さすがにマルクス主義とは関係ない一冊だ。

まず、忠臣蔵の確立を歴史的言うと、3つのできごとに分類できる。

1.第一の事件 浅野内匠頭の殿中での切り付け(失敗)。原因と結果。
2.第二の事件 大石内蔵助を中心として吉良上野介の襲撃(成功)。準備と結果。
3.浄瑠璃、歌舞伎化により最終的には仮名手本忠臣蔵の成立。ストーリー確立まで。

本来は歴史なのだから、1→2→3と順に追えばいいのだが、まず1の事件の事件発生前の事情がよくわからない。喧嘩両成敗とはいうが、そもそも片側が何らかの勘違いで喧嘩を始めたのかもしれないし、それを両成敗するわけにもいかない。

そして1の事件がスピード解決されたため、正確な事件の背後要因が巷間に伝わらなかった。赤穂藩士にも同様に状況がわかっていなかった。そのため、噂に尾鰭がついて処罰を決めた綱吉ですら「即日切腹」という処理が正しかったのかどうか自信がなくなっていた。

そして第二の事件は、江戸時代中期以降より学者により調べられて、ほとんど明らかになっている。討入側には二派あって、最初から仇討ちを主張したグループと、とりあえず殿の弟が家を再建できる許しが出るのではないかとの期待を持ちながら、ダメなら仇討ちという両面作戦派である。そして弟(浅野大学)は本家の浅野家に預かりとなりお家再興は認められなかった(皮肉なことに、討入の後、旗本扱いとして家は残ることになった)。

一方、すべての関係者が他界してから『劇場版忠臣蔵』が完成したが、かなりの部分は事実とは異なるようだ。

つまり、第一事件について深く調べることなく当事者が切腹や暗殺ということで、動機や事実関係がわからなくなった(ケネディ大統領暗殺事件のように)。そのため、色々な解釈が発生し、第二の事件が起きたり様々な演劇が京都を含む様々な場所で発生した。事件現場から一人別行動をとり本家の広島の浅野家に報告に行き、切腹を免れた寺坂某の死去によって関係者すべてが他界したのち、忠臣蔵はイメージの世界のできごとになっていく、ということのようだ。その後の江戸時代後期の研究で、少しずつ真実に近づいていくも、結局は第一の事件の真相は明らかにならないままになっていき、例えば戦前であれば忠臣に対する評価は〇であったものが、現在では△から×に近づいているということだろうか(共謀罪適用)。

忠臣蔵第二事件について共謀罪がどの段階から適用になるのかというのは、わかりやすい例になるかもしれない。

なお、本で知った新しい話としては、吉良上野介は天皇家と上皇家の両方の使者をもてなすプロデューサーであり実際のもてなし係(御馳走掛)のうち天皇家の使者の担当は浅野内匠頭だった。つまり身分上は正規の大名の浅野の方が上だが、仕事の上では吉良の方が上司だった。

また、襲撃された吉良は下打ち合わせのため、老体ながら京都を往復していて、江戸にもどって本番のもてなしの日まで、10日間ほどしかなく多忙を極めていて、留守中に浅野が何も準備をしていなかったことに驚くと同時に慌てていたそうで、強く叱責したのかもしれない。

浅野からの賄賂が少なかったという説もあるが、確かに赤穂浅野家は先代が赤穂の塩を全国ブランドにして全国一の塩の生産量だったそうで、その割にケチだったのかもしれないが、だからといって目前の仕事のパートナーだったのだから、存在を否定するほど吉良が叱るとも思えない。

つまり、処分を決めた綱吉自体、何が原因なのかも知らないままで、色々と原因についてあやふやな話が後で出てきたため、綱吉も敵討を見て見ぬ振りをしたのではないだろうか。

清須会議(映画 2013年)

2017-02-15 00:00:00 | 映画・演劇・Video
三谷幸喜監督と主役を演じるのが大泉洋と役所広司となればコメディに違いないのだが、監督はコメディではなく人間喜劇だと言っているそうだ。どこが違うのかよくわからないが、ヨシモトの仲間ではなくシェークスピアとかアリストパネスの仲間だと言いたいのかもしれない。

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そして、原作も三谷幸喜氏が小説仕立てで書いている。器用な人だ。

で、清須会議というのは、歴史上れっきとした会議である。信長が明智光秀の謀反により本能寺で亡くなった後、岡山県で戦っていた秀吉が踵を返して光秀を滅ぼしたあと、信長亡き後の織田家の跡目を誰にしようかと、信長ゆかりの清州城で関係者が集まった会議である。日本史の時間に居眠りを続けていた場合、その会議で秀吉が後継者に決定し、怒った柴田勝家が福井に帰り、軍をまとめて秀吉と戦ったと勘違いする可能性もあるが、昔の人は、そう野蛮なことはしない。秀吉も勝家も織田家の有力候補3人の中でそれぞれ1名を後継者として推挙し、会議出席者の多数派工作を行う。会議出席者は織田家の有力家臣だった四将と秀吉の5人のはずが、一人が遅刻するしかなくなる。つまり四人で多数決となる。

秀吉(大泉洋)も勝家(役所広司)も多数派工作をするのだが、そういうことに関しては秀吉は天才だ。見事に3対1で、幼少の信長の孫を跡継ぎに担ぐことに成功する。

実は、その裏工作などは歴史に残らないわけだが、三谷監督はなんとなく合理的な筋立てを考え付くわけだ。もちろん史実とは異なることもいくつか書いてある。ただ、信長の数えきれないほどの子供のうち、まともなのは本能時の変のあと光秀軍に殺された信忠だけで、あとは無能だったとされていて、秀吉の選択が受け入れられなかった場合、再び戦乱の世に逆戻りした可能性が高い。

映画では、秀吉は金ぴかの羽織袴を身に付け、三河弁でみゃーみゃーしゃべるため意味がわからないこともあるのだが、秀吉って本当にそういう人物だったと思わせることに成功している。また役所広司の柴田勝家も単純人間(戦闘マシーン)であることがことさら強調されていて、笑える。

本来は、喜劇の要素なんかないはずで生きるか死ぬかの人たちが集まると、喜劇的なできごとが様々起ってしまうということを監督は言いたかったのだろう。そして人間の行動は、どこか第三者的には喜劇的であるのだが、その結果、悲劇になることがある、ということだろう。

*なお、本作では清須という書き方が用いられるが、清洲城というように須ではなく洲の字を使う場合もあり、清洲城の公式HPでも両方の記載が見られる。このあたりになると現地調査しないとよくわからない。

「見たこともないほど大きな船」には笑った

2017-02-14 00:00:58 | 市民A
トランプ氏の発言について、真実か虚構かということがよく分析されるが、ちょっと角度を変えて考えたいものがあった。1月23日に日本の自動車輸出に関する発言で、色々やってみたが、英語の原文が手に入らないのだが、日本で報じられているのは、

「我々が日本で車を売る場合、彼らは販売を難しくしているが、日本は見たこともないような大きな船で何十万台もアメリカに輸出し販売している。これは公平ではない」

ということ。

この中で「みたこともないような大きな船」というのは、the big ship never seen というようなパターン的言い回しなのか、the big ship I have never seen というように本当に見たことがないというような言い方なのかはあるのだが、実際に自動車運搬船というのは、そんなに大きな船ではないわけだ。実は、自動車運搬船やもっと大きな船を日常的に見る仕事をしていたからなのだが、

自動車運搬船の大型のものは、60,000トンで全長は約200メートル。たとえば原油タンカーは30万トン以上で全長300メートル以上。鉱石運搬船もタンカーとほぼ同じサイズ。また小麦などの穀物運搬船も自動車運搬船より少し大きい。

メキシコとの壁の話でも、壁なんか梯子をかければ乗り越えられるので、こんどは数百メートルに一人ずつ、壁の監視者が必要になるような気がする。こういう意味からいってもリアリティを感じない人だと思っていたが、港で眼に入るのは、豪華クルーザーだけなのかな、と感じる。