紫式部日記を新旧で読む

2024-07-15 00:00:05 | 書評
約2日かけて『紫式部日記』を読む。まず古語、そして注釈、そして現代語訳。困ったことに現代語訳から読むと、注釈が読めない。



それでも原文を少し読めば「源氏物語」と同じ、どこかに恐怖感がわきあがるような文体が迫ってくる。「おどろおどろしい」と表現されるような圧迫感がある。


この日記だが不勉強で、完全なのか、一部散逸なのかよくわかっていない。大部分(8割程度)が歴史的記述でその中の一部には、紫式部の個人的見解が書かれている。また、1割は紫式部の意見、そして残り一割は個人的なぼやきのような感じだ。

まあ、一行ずつが研究者泣かせなのだと思う。

気になる道長との関係だが「親しすぎる」ことが解る。中宮彰子の女房になったのは道長の彰子陣営強化策だったそうだし、道長が源氏物語の清書前の下書きを読んでいたり・・・

道長チームの一員であったのは間違いない。

出るわ、出るわ、平安文学

2024-07-12 00:00:03 | 書評
少し、松尾芭蕉のことを確認したく、自宅の書棚の中を捜索したが、見つからず。



そのかわり、平安文学の本がたくさんあることに驚く。記憶にあったのは。「百人一首」大岡信と「和泉式部日記」。かすかな記憶が「枕草子(岩波文庫)」。残りの3冊は難解な本で、本当に自分でよんだのかな?書棚の1/4を捜索しただけなので、まだあるかもしれない。

折からのNHK大河「光る君へ」にちなんで全部を読み直そうかと思ってみたが、横浜市の電子書籍図書館に『紫式部日記』を見つけてしまい、一瞬で貸出し(というか借入の方が正しい表現)完了。

貸出し期間は2週間だが、1ページも開かないまま早くも4日間が経過。

芭蕉の本は、しょうがないので3冊をブックオフに注文することに・・

摩周湖紀行(林芙美子著)

2024-07-10 00:00:30 | 書評
夏の暑さに耐えかねて、涼しい本を読もうと思って、図書館の電子書籍を探すと、林芙美子著『摩周湖紀行』をみつける。



著者が北海道を旅行したときの紀行だが、意図的なのだろうが、なかなかいつの時の話かわかりにくい。何日目かに釧路にいるときに6月16日と書かれているが、それだけ。いつの頃なのかも明示されない。読むのに苦労する。

1日目は滝川駅から始まる。そのうち、彼女が樺太から帰る途中ということがわかってきた(樺太旅行のことも別に書いている)。つまり稚内から南下してきて、滝川駅で釧路行きに乗り換えようとするが、便はなく。三浦華園で一泊。そして翌日は釧路へ。20時間の移動。

実は釧路には知人がいて、その方に連れられて三日目(つまり6月16日)がはじまる。摩周湖だ。

その後、屈斜路湖、ライト式と書かれている近水ホテルに泊まり、川湯温泉を経て戻っていく。また釧路に戻り、滝川経由で函館に向かうわけだ。

ただの紀行ではないのは、あまり所持金がなかったようで、安い旅館を好んでいるように見えた。熊の毛皮に驚いたこととか、北海道の宿屋の食事は、牛乳と鮭と蕗ばかりと本音が出ている。

前段で書いたように、この旅行は樺太から北海道に来てからの話だが、樺太の時に話は別の機会に。

離陸(絲山秋子著)

2024-07-02 00:00:18 | 書評
昨年から寡筆の小説家である絲山秋子著作を読んでいる。年一作弱なので、追いつくこともできる。もっとも読者が作家に追いついても褒めてくれる人はいないだろう。



今回は『離陸』。その前に読んだ『薄情』とともに彼女の中期の作。(中期というのは私が勝手に分類しただけで、故人じゃないのだから、「初期の後半」となるのかもしれない。

主人公は20代中盤の男性で国交省の役人。たぶんキャリアなのだろうが、全国各地のダム湖とか山の中の施設の管理などをしている。本省と地方を2年刻みで往復しているのだが、過去に付き合っていて、行方が分からなくなった舞台女優の思い出から逃れられない。

その女優から逃れられないのは彼だけではなく、フランスには元夫と男児が残され、中東にもいたことが確認されている。それぞれの関連は解らない。どこに行ったのか探し始めたのが、フランスの元夫の友人。わざわざ日本の山奥に主人公に会いに来る。

いくつかのピースを組み合わせるもさらに深みに嵌っていく。彼女の年令すらわからなくなっていく。前の世界大戦の時にすでに成人だったのか。

400ページもある本なのだが、3日で読み切ろうと思っていたが、4時間で読み切ってしまったのだが、ミステリーの様に中盤で謎を散りばめたのに、あまり解決しないまま、さらに関係者が何も語らないまま、次々に亡くなっていく。結構な大不幸小説だ。

著者の初期の小説と中期の小説の間の作品を読んでいけば、この不連続感が埋まるのかもしれないと思うが、ちょっと休む。

C線上のアリア(湊かなえ著)進行中

2024-06-14 00:00:10 | 書評
朝日新聞朝刊の連載小説『C線上のアリア』が面白い。第71話まで進行。著者の湊かなえさんは「イヤミスの女王」といわれているそうだ。読んでいて嫌な気持ちになるミステリーということらしい。もちろん今や大家であり、連載小説のツボを心得ていて、ストーリーの展開に意外性が多く、読者の期待を膨らませる。

主人公の女性は、推定50歳位。幼少の頃に両親と死別し、叔母(弥生さん)が母親代わりで育ててくれ、成人後はそれぞれ独身のまま自分の人生を歩んでいたが高齢の叔母の住んでいる自治体から、認知症で家がゴミ屋敷になっていると連絡があり、叔母の家に戻るところから始まる。

展開としては、このあと、

  • 叔母を施設に入所させ、ごみの片づけを始める。
  • ゴミの中に思い出の品々を発見し、レースの編み物が趣味だったことを思い出し、面会に通う。
  • 開かずのダイヤル式金庫があり、弥生さんに聞くと、重要なものが入っていると言われるが、開け方がわからず、専門家に依頼し、数日で開けられたが、中にはコード付きのコンセントが入っているだけ。
  • 元々自分の部屋だった場所は、ほとんどそのままだったが、一冊の本『ノルウェーの森 下巻(村上春樹著)』が見つかった。高校三年の時のベストセラーで上巻の表紙が赤一色、下巻の表紙が緑一色だが、下巻だけだった。
  • 記憶を辿ると高三の時にボーイフレンド(邦彦)が『ノルウェーの森』を買ったと言っていて、弥生さんのもっていたビートルズのレコード(ノルウェーの森収録)と貸借交換したことを思い出す。ところが邦彦が渡したのは下巻だけで、上巻は自分で買ったのだが、しかし、下巻は確かに彼に返したはず。
  • 邦彦のことをSNSで検索してみると、妻や子供との家庭写真が並んでいて、暗い気持ちになったが、もう一回本を調べると、一番後ろのページに一枚のメモが挟んであって、「このメモを見たら本を返しに来てください」と書かれている。
  • なぜ、返したはずの本が部屋にあるのか不明ながら、主人公は「その場所」に向かうのだ。

というように、1週間ごとに新たな話が持ち上がってきて、飽きが来ないのだが、少し気になるのは、展開のつど、なにか未解決の伏線のようなものがあらわれ、放置される。金庫のところでも、なぜコンセントが入っていたのかとか、読者には関係がないような、ダイヤルの番号とか綿密に書かれていたり。ミステリ作家だけに、まったく先が読めないわけだ。

そもそも『C線上のアリア』というタイトルだが、読み始めた頃は、バッハの『G線上のアリア』と同名だと思っていたが、よくみるとGではなくC。

G線上のアリアはバイオリンの4本の幻の中の一番低音のG線だけで弾けるということなのだが、バイオリンの線はE線、A線、D線、G線なのでC線は存在しない。ヴィオラとチェロではC線が最低音を担当するので、イメージとしてはストーリーの全体が低音域の中で動いていくということを示しているのだろうか。そうなるとイヤミスの女王の本領発揮で死体がゴロゴロ、悲劇のどん底ということになるのだろうか。


本作の前の連載小説は歴史小説家の方の『人よ、花よ』だった。楠木正行(楠木正成の嫡男)の一生を書いたもの。歴史小説は自ずと歴史を大きく歪めて書いてはいけないので、なんとなく筋の展開に期待感が少なくなる。連載小説には向かないような気がする。

小説小野小町 百夜(高樹のぶ子著)

2024-05-24 00:00:04 | 書評
小野小町(おののこまち)といえば世界三美女といわれ、小倉百人一首の「花の色は・・・」は百首の中でも有名度ベスト3に入るだろう。絶世の美女といわれ、百夜(ももよ)伝説というのは、小町に短歌で愛を百回伝えると本懐を遂げるというもので、実際には本懐ではなく呪い殺されるというようなものだったような気がする。



一方、そんなに有名であっても生没年も親子関係も、さらに存在すらも確証がない。小野小町作という短歌の多くは、そうではないと思われていて、紀貫之らが編んだ古今和歌集18首は紀貫之を信じるとして彼女の作ということになっている。

本作にあるように彼女が何かの機会に詠んだ歌が京都の市井に流布している間に少しずつ変化しているということだろうか。

ということで本作では小野小町は小野篁(おののたかむら)の娘ということになっている。一説では、(本作では篁の弟と言われる)篁の子の小野良実の子とも言われるが、篁と小町の推定年齢の差は25歳ぐらいなので孫としては近すぎるかな。

その当時の京都は藤原良房(北家の事実上の始祖)が謀略を持って朝廷を支配していく時代で、文化人は生きにくい時代だったようで、小野篁も世間から引き込みがちで、あちらの世界に通じている人間と恐れられていた。

そして、本作には当時の魅力的な人物が次々に登場している。

そして、意識的なのだろうが、著者の高樹のぶ子氏の文体が、まさに源氏物語風で、小説の語り手がめまぐるしく変わる。物語を語る第三者だったり、小町の心中のことばだったりだが、あまり気にならない。というのも、ほとんどの場面に小町がいるわけだからだろう。

数か月前に紫式部の史跡を京都で巡った時に、雲林院の近くにある紫式部の墓はすぐそばに小野篁の墓があり、どうして時代が100年も違うのに近接しているのかという疑問があった。一説では小野篁は地獄の使いとして思われていて(体も巨大)、紫式部は源氏物語の中で嘘をたくさんついたので地獄に送られたということが共通しているといわれているそうだ。小町の晩年は伝わっていない(小説では生誕地の秋田へ向かう途中、白河の関で亡くなったことになっている)。

著者はあとがきに、今に伝わる小野小町像は男性中心の視点なので、・・・というように小町の名誉回復といようことが書かれていたのだが、そもそも実像が明確に判らない人物の小説なのだから、あえてそういう方向性まで書かない方が良かったかもしれない。

地名の謎を解く(伊東ひろみ著)

2024-05-20 00:00:14 | 書評
新潮選書のことだが、内容とタイトルが食い違っていることがある。本書もそういうところがある。

日本中には数万ではきかないほど多くの地名がある。できたてのものもあれば、千年以上前からの地名もある。地名とその語源は、多くは物語でつながっている。あるいは、つなげるために物語が作られることも多く。混在していて見分けることは難しい。嘘でも1000年経つと真実になったりする。



さらに、実際には千年どころか、日本が統一国家になった頃に留まらず、弥生時代やその前に1万年続いた縄文時代からの地名もあるようだ。

そして、縄文時代論になっていく。そもそも、依然考えられていた縄文時代人と弥生時代人の混血によって日本人が作られたというような簡単なことではなく、縄文時代人の段階でいくつものルーツがあったと考えられていて、それらのルーツにはもはや源流(アジアのとある場所)が絶えてしまったものもあるそうだ。結局、日本から先は海なので、西の方から何らかの理由で日本に来たものの、そこから先には行けない(行けると信じて丸太船で漕ぎ出した家族はいるかもしれないが)。民族の墓場なのかもしれない。

そして一部の語源のわかっている地名と、よくわからない地名がたくさんあるということのようだ。つまりタイトルの『地名の謎を解く』ではなく『地名の謎が解けない』の方が正しいような気がする。

無人島に生きる十六人(須川邦彦著)

2024-05-14 00:00:44 | 書評
実録小説。『無人島に生きる十六人』は1899年にハワイ諸島の東側、ミッドウェー島の西側にある。パール・エンド・ハーミーズ岩礁に乗り上げ、座礁、大破して沈没した龍睡丸から脱出し、ボートで無人島に漕ぎついた16人の船員の生存記録である。



16人の船員だが、龍睡丸は通常は千島列島への輸送船なのだが、冬季は本土で係船され船員も解散していて、それでは夏も働いてもらおうということでハワイ方面の水産資源(クジラなど)の調査に出たわけだ。

そのため船員は広く集められ、小笠原諸島でルーツを米国に持つ者やオホーツク海で難破経験のあるものなど多彩だった。結果として、多彩な才能としっかりした船長を中心としてチームワークで、水の確保のための井戸掘りや貴重な食料とするためのアオウミガメをたくさん捕らえて牧場を作ったり、近くにある島にいって食用植物を確保したり、島に流木でやぐらを建て、視界に船が見えたら直ちにのろしを焚いて救助信号を出そうと24時間交代で仕事をしたり・・・

この小説だが、船長の中川倉吉がその後に商船大学の教員となっているころに若い教官だった須川邦彦氏が聞き取って、昭和23年に講談社から出版されていた。それを噂に聞いて調べ始めたのが、作家の椎名誠氏だ(私の小学校の大先輩)。そして講談社に一冊だけ残っていた単行本が発見された。

本書は、講談社から発行されていたが、復刻は新潮文庫から。青空文庫にも収録されているが底本は新潮文庫になっている。椎名氏は数多くの無人島漂着記を読んだ中で、一番と評価をされている。私も漂着記は好きで何冊も読んでいるがやはり一番だと思う。

惜しむらくは、孤島生活が三ヶ月で終わったことだろうか。多々ある漂着記の中でもきわめて期間が短いと思う。もちろんそんな不謹慎なことを16名の方々に読まれたら大変だが、まあ、そういうことはないだろう。

著者の須川邦彦氏だが東京商船学校の校長も歴任していて、文章もわかりやすく、専門用語はなるべく避けていて、現代の文章と同じである。講談社から出版されて8ヶ月後に69歳で他界されている。



なお、島国であったからだが、日本には漂着小説が多い。晶文社から出版された『にっぽん音吉漂流記』(春名徹著)も素晴らしい著作であるので画像を紹介しておく。

終活シェアハウス(御木本あかり著)

2024-05-10 00:00:08 | 書評
『終活シェアハウス』 著者はシニアレディの方で、本作が二冊目ということで、どちらかというと本作は社会小説というのかな。作家の名前よりも推薦者の坂東眞理子氏や樋口恵子氏の文字のサイズが大きいのが不思議だが、出版社の余計なお世話なのだろう。



小学校の同級生四人が68歳になり、それぞれ別の理由でシングルレディになっていて、150平米の神奈川県東部の富士山の見えるマンションに同居している。(神奈川県内の100平米のマンションに住んでいたことがあるが、上の方の階は富士山だけではなく新宿の高層ビルや房総半島まで見えていたので、特にそこに感想はないのだが。)

それぞれには、68歳に至るまでに壮絶な黒歴史があり、同居するようになってから、次々と過去や現在から疫病神のような男たちが現れるわけだ。つまり全体的な流れは喜劇のようで悲劇のようで、最後はどうなるの?というような流れが4人分楽しめるわけだ。喜劇が好きな人も悲劇好きな人にもマルチ対応ということ。

販売価格は税込み1980円と、マーケティング的価格だが、コストを下げるためにページの余白を少なくして文字数を増やし、288頁に収めている。背表紙も表紙と統一デザインで華やかなので書棚の色どりにも最適と書いてみる。

太陽の子(三浦英之著)

2024-04-25 00:00:33 | 書評
元朝日新聞記者の著者によるドキュメンタリーに近い著作でいくつかの賞を受賞している。



本書の上梓の少し前に「太陽の子」という同名の映画が公開されている。先の戦時中に秘かに原爆開発をしていた人たちのドラマで、公開時期は本の出版の前なので、いかにも混同しやすいが、違う話だ。

アフリカのザイールにある銅鉱山を開発するため、日本の金属会社が鉱山技師を大量に現地に送り込み、10年経って不採算になり引き揚げた際に日本人と現地人の女性の間に多くのこどもができていたのに、帰国時に置き去りにして連絡も来なくなったという件を追いかけている。

で、会社自体は、現在は別のエネルギー会社の傘下になっているので、そちらに行っても資料を探すだけでよくわからないというところから、現地調査を始めているのだが、聞く人ごとに少しずつ違う内容で、真偽がどこにあるのかも不明瞭で、誰を信じていいのかも確信が持てないというような中で動き出すわけだ。

つくられた縄文時代(山田康弘著)

2024-04-23 00:00:08 | 書評
『つくられた縄文時代(山田康弘著)』は2015年の発行。約10年前。縄文時代論のさきがけの様な本と言えるかもしれない。


縄文時代の名前の由来は、縄文式土器にある。世界を見渡すと、土器文明というのはレアで、普通は石器時代の中に含まれるそうだ。石器時代となると文明もなく火打石で火をおこし、いのししの肉を食べるイメージだが、縄文時代というのも、それほど生きにくい世界ではなかったのではないだろうか。

日本の縄文時代の生活や社会構造について、本書では詳しい。発掘される住宅の広さから言うと一軒に5人位が最大だったらしい。つまり家族。そして建物が数軒しかない部落や集団で生活している部落もあり千差万別といったところだ。

意外に思ったのが関東の縄文時代と関西の縄文時代の差。

東日本の縄文時代の方がコロニーが大きく、西日本の方は、場合によっては一軒単独住宅もある。

縄文時代のことについて、書いてあることは大部分理解できるが、それではどういう時代なのか。その世界を頭の中に復元することは難しい。もうよくわからないのだろうと思う。

ところで、あとがきを読むと、著者は鶴見川の周辺に居を構えていることがわかった。となると、広めにいえば私の住所とあまり離れていないことになる。著者は縄文時代がご専門ということだが、このあたりの古代の謎は弥生時代の初期の遺跡が皆無らしいこと。海の底だったのだろうか。

中国はなぜ軍拡を続けるのか(阿南友亮著)

2024-04-18 00:00:47 | 書評
『中国はなぜ軍拡を続けるのか』は2017年に出版された書で、当時話題になって、いくつかの賞を受賞していて、自分の「そのうち読もうと思っている本」になっていて、おそまきながらページをめくりはじめた。


前半は中国共産党史になっていて、その結果、国内外の敵が増えてきて軍拡に向かっているという筋書きなのだが、全339ページの中で軍拡の話が及ぶのが266ページと言うことで、いささかバランスが悪い。

私のような年配者は前半の部分は良く知っている話なので、かなり退屈なところが多い。林彪事件の新解釈とかあれば良かったが、軍拡の話とは別筋なのだろう。

少し気になるのは、遠い昔の話ではなく、第二次大戦の後、現代に至るまでに中国は隣接する多くの国と軍事衝突している。ソ連とかインドとかベトナムのように、本気を出すと相当強い国とも戦っている。結構、無謀な戦略のわけだ。なぜか、本書ではどういうきっかけでそれらの戦いが始まり、収まったのかの具体的な経緯は読み解けない。


そして、本書が登場したころには、うすうす予感されていた独裁家がますます独裁を強めていて、まさに皇帝シーザーを目指しているかのような現実だが、ローマ時代は皇帝の独裁と同時に、経済の繁栄と軍事強国化が並行的に進行したため帝国の寿命が長持ちしたのだが、今の状況はいびつな資本主義による貧富の差の拡大とか汚職構造とか、個人も法人もバブル経済だし、一方で全ての周辺国(日本もそうだが)は用心のために軍備増強するため、疑心暗鬼に陥り、ますます軍事費を増やさなければならない。

ロシアの味方のようにも見えるが、過去の両国の態度から、到底そんなことは思ってないだろうし、地球上にこれまでないような巨大な人口の国の行方は、あまり予想したくないわけだ。風船と同じで、しぼむか破れるかということだろうか?????

妖精が舞い下りる夜(小川洋子著 エッセイ)

2024-04-15 00:00:00 | 書評
小説家の小川洋子氏のエッセイ。

相性の良い文体というのがあり、その一人が小川洋子氏の小説。いかにも小説という凝ったシチュエーションの設定でも抵抗なく読める。しかも単語の選択で余計な先入観を持たせないように使用されるので、小説を読みながら、ストーリーの展開の先読みをするのが難しい。つまり、次の展開を期待してしまうわけだ。

エッセイを読むと、好きな作家として金井美恵子氏の「愛の生活」と書かれていて、少し驚く。まったくの寡作家で、生涯、10冊以上の小説を書かないようにしているかのように感じてしまう。私も金井氏の初期三部作「愛の生活」「夢の時間」「兎」は愛読書だ。なぜか本を読むと、立ち上がって遠くに行きたくなるように心がザワツク。

小川氏の愛読作家として、ブローティガンとか村上春樹とか山田詠美とか川端康成とか。それ、自分と同じわけだ。

それと本書を読んでいるときに、わかってきたのは本書の書かれた1997年当時、倉敷市の玉島乙島という地区に住まれていたということ。かなり近くの会社にいたことがあるので知っていたのだが、乙島というのは、平安時代には島だった。そのあたり一帯を水島と呼んでいたのだが、そこが源平の戦の激戦地になった。

実は、源平の戦いは、ほとんどが源氏側の勝利だったのだが、ほぼ唯一の例外が「水島の戦」。源氏側は頼朝軍ではなく、木曽義仲軍で、屋島にいた平家の勢力を討とうとしたのだが、平家軍に敗れる。一説では、当日は皆既日食の日で、あらかじめそれを知っていた平家により、日食を知らなかった源氏軍が世界が暗くなったことに驚いて逃げ出したとも言われる。

よく言われるのがノーベル文学賞候補。たぶん違う。ノーベル賞の目指す方向性とは異なっていると思う。それでいいのだが。

人よ、花よ、(今村翔吾著 歴史小説)

2024-04-04 00:00:00 | 書評
朝日新聞の連載小説『人よ、花よ、』が3月末で完結した。全576話。歴史小説で、主人公は楠木正行(まさつら)。幼名は多門丸。



連載開始の時に、驚いたのは、楠木正行の父は楠木正成(まさしげ)。今も皇居に銅像があるように、後醍醐天皇の親政を行うために鎌倉幕府と戦い、その後、足利政権に移行する中で、天皇側について戦うことになり、少人数でも奮闘し、最後は戦死している。その子の正行も、機をとらえ南朝の後村上天皇の時代に北朝と戦い、敗死している。

ついに朝日新聞もここまで変わったのかと思ったわけだ。

実際には南朝側は後村上天皇の周りには北畠親房という狸がいて、天皇も正行も南北朝統一の時期と考えていたにもかかわらず、戦いを始めてしまう。

全編を通して正行は冷静に行動をするので、小説としては面白くない。小説を読む方は、まった極端な性格の人物の方がおもしろいということになのかもしれない。

こいごころ(畠中恵著)

2024-04-01 00:00:16 | 書評
しゃばけシリーズの第21作目。



第一作から読み始め、かなり追いついてきた。本作は5編の短編集になっている。本シリーズの構成は大きく三種類に分かれる。

1. 長編
2. 連作短編(短編集だがそれぞれの短編が連続、あるいは関連している)
3. 短編集(それぞれの関連がない短編集)

21作目『こいごころ』は3にあたる。表題作「こいごころ」は2編目。主人公の一太郎が恋心を覚えたとすると事件だ。以前作で、許嫁が発表されている。まだ年少なので小説の中で大活躍はしていないが、どうしたものだろう。

ところが、タイトルの意味がよくわからないまま終わってしまう。ある妖狐の話で、妖(あやかし)は無限の寿命を持っているように考えられているが、実は妖力を失ったときに寿命を迎える宿命があるそうだ。徐々に力を失っていく狐のために一太郎の仲間たちが行ったことは・・

本シリーズで妖が消滅するのは2回目だそうだ。桜の花びらの妖には僅かな時間しか与えられなかった。それと空を飛べなくなった天狗は、かろうじて寺の僧として存在している。とはいえ「こいごころ」の意味はふにおちない。

1編目は、「おくりもの」。相手に喜ばれる贈り物は何か、探し。

3編目は、「せいぞろい」病気がちの一太郎の誕生日に薬種問屋の父親がパーティをする話だ。取引相手などの人間を集めたパーティの他に、一太郎の妖仲間が集まる裏パーティが計画されるが、裏パーティには江戸市内から続々と参加表明が。参加費無料なので裏金造りには役に立たない。

4編目は、「遠方より来たる」。一太郎の主治医が高齢を理由に引退する。大富豪の主治医となれば後任は高い名声を得ることになり、業務繁盛ということになるので、多数の怪しい医師が押し掛ける。それとは別に、主治医が長年書留めていた医術のハウツー書が盗まれる。

5編目は「妖百物語」。江戸時代にあったとされる会合のこと。何人かが集まり、怪談を語り合う。そして百題語ると、その時に怖い妖怪が登場するというので、それにチャレンジするわけだ。実際には主催者が九十九までで終了宣言するか、三つほど語った後、宴会に入るということが多かったようだが、・・・

読んだ後、amazonの書評を読むと、ややネガティブ意見が多いように感じた。「ネタが軽い」とか「ネタ切れではないか」というようなのが目についた。

個人的には特にそうは思わないし、以前作で明治時代に舞台が飛んだ時は驚いた。一つのアイディアではあるが、時制を「2025年」にし、畠中恵という作家が、しゃばけシリーズを書くために古書を調べていると「一太郎」という人物にたどりついた、というのはどうなのだろう。

もっとも既に第22作が発刊されていて、これは純粋の長編小説らしい。