復筆したトマス・ハリス

2019-08-21 00:00:23 | 書評
新潮文庫からトマス・ハリス(79歳)著『カリ・モーラ』が刊行される。13年ぶりの新作。

過去45年にわたり、一連の不気味な小説で読者を震え上がらせてきた。さらに、それらはことごとく映画化され、累計5000万人の彼の読者の何倍かの数の人間に恐怖と「ハンニバル・レクスター」という小説史上に名を刻む悪漢を記憶させた。

彼に運悪く狙われたものは、恐怖の限りを味わわされた末、皮を剥がれたり、脳みそを生きたまま食われたりするわけだ。いわゆる「猟奇」をはるかに通り越している。

さらにデビュー作『ブラック・サンデー』以降、公式のインタビューはいっさい受付けず、周囲の人たちしか彼の実像を知らなかったことから、さぞ気持ちの悪い生活を毎日続けているのだろうと思っている人も多いだろう。朝昼晩の食事には動物の生き血がかかせないとか・・



ところが新潮社の書評誌『波』には、新作『カリ・モーラ』の刊行記念のインタビューが公開されている。本作のクライマックス・シーンの舞台はマイアミ。インタビューはマイアミで行われた。場所は、動物保護センター。傷ついた動物たちが運ばれる場所を、彼はよく訪れるそうだ。

インタビューを読むと、どうも質問は、新作にハンニバル・レクターが登場しないのはなぜか、ということにこだわっているようだ。というのも、今回は麻薬王の話だそうだ。さらに地下金庫に眠るはずの金塊争奪戦があるようだ。ただ、臓器密売業者も登場するので、何らかの臓器狩りに話があるかもしれない(たぶん、心臓だろうと予感)。カリ・モーラは邸宅管理人の名前で、善意の人物。麻薬と金塊と臓器をめぐる戦いの中で、彼の運命がどうなるかということらしい。



怖くてしょうがない著者だが、結果として彼の小説は全部読んでいるわけで、どうなるのかな・・

なお、インタビューに今まで応じなかったのは、インタビューしなくても本が売れていたからということらしい
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『帰艦セズ』(吉村昭著 短編小説集)

2019-08-15 00:00:00 | 書評
先週、『戦艦武蔵』を読んだあと、続けて同じ著者の『帰艦セズ』を読む。7編の短編小説集で、7編合計ではずいぶんたくさんの人が死んでいく。ある意味、死体ゴロゴロ小説。

最初の3編は戦争とは関係ない小説で、市井の人たちの様々な死に様を書いたもので、概ねやり切れない気持ちになる。人間と運命の戦いのようなテーマだ。「鋏」は殺人罪で服役も刑期短縮で出獄した男の行く末をめぐる話で、料理を作るのに包丁を使わずに鋏を使うのはなぜなのか、というのがテーマだ。「白足袋」はある経営者の入院とその男が認知した愛人の娘の両方が瀕死の重体になり、遺産相続をめぐってどちらの側も死なせるわけにいかず延命措置を続けるという喜劇である。



4編目の「果物籠」は中学同窓会の席に紛れ込もうとする元教練の鬼軍人とそれを嫌う元生徒たちの心の行き違いが書かれる。現代のパワハラ問題と同じで、ハラスメントした方は気にかけてなく、された方がいつまでも恨んでいるという構造だ。

5、6、7編が本格的な戦史小説で、「銀杏のある寺」は戦時中、潜水艦の事故で沈没寸前に脱出して助かった2名のうち一人が、引き揚げられた他の遺体の遺骨のうち、引き取り手のない1柱をその兵士の故郷の寺に預かってもらうのだが、月日が流れ定年退職した後、その遺骨の行方を追いかける話だ。「飛行機雲」は昭和16年の対英米戦争開始直前に、極秘指令を日本から中国の部隊に運んでいた軍人の飛行機墜落と、その後の軍人の消息について。小説家(つまり著者)が調査を進め、軍人の妻は、大陸で生きているのではにないかとのかすかな希望を小説家の調査によって打ち崩されてしまう。

そして短編集の題名にもなっている『帰艦セズ』だが、著者の傑作長編戦記小説である『逃亡』と表裏一体の関係にある。『逃亡』の主人公は、海軍の基地でのちょっとした失敗から米国側スパイの日本人に取り込まれ、航空機を爆破したあと逃走した。見つかれば死刑になるため、偽名をつかい北海道で働いていて終戦を迎える。そしてスパイと言われないように東京郊外に引っ越し公務員の生活を送っていたが、ある日、小説家から「体験を聞きたい」と連絡を受け、動揺するということになるのだが、この『帰艦セズ』は、その戦後まで生き延びた脱走兵が、北海道で海軍を脱走し、数か月の山籠もりの末、餓死した海兵のことを調べ始める。そして、今回も真実に突き当たると、残された遺族に心に大きな傷を与えることになるわけだ。

吉村昭氏の手に限らず、逃亡小説は読み物としては面白いことが多い。というのも逃亡者が逃亡に成功したからこそ作家は事情を聴きとって小説を書けるわけで、失敗した場合、事情を聴けなくなるため小説は書かれないはずだ。本作は逃亡失敗ということで、本来はわからないはずだったのだが、さらに深く調べることにより知るべきではなかった事実を掘り返してしまった。

吉村昭氏の本は記録によると26冊読んでいるのだが、第二次大戦を中心にしたものも多い。その特徴というと、戦前のできごとは、きわめて淡々と書くこと。時に膨大な記録を披露する。一方、戦後の視点で戦前の出来事を書く時は極めて手厳しく批判する。そもそも著者は悲劇的な題材が大好きなのだった。
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戦艦武蔵(吉村昭著)

2019-08-14 00:00:55 | 書評
1966年に吉村昭が世に問うたドキュメントである。この作品で著者はプロ作家として地位を確立している。戦艦と言えば「大和」が有名だが、全く同じ設計図で2号艦として造船されたのが「武蔵」である。「大和」が呉の海軍工廠で造られたのとは異なり、民間の三菱重工長崎造船所で密かに造られることになる。

といっても戦艦が完成するまでは長い年月が必要だった。昭和12年から計画が始まり、竣工したのは昭和17年である。すでに太平洋戦争は始まっていた。2号艦の次には、3号、4号と建造予定はあったものの、すでに航空戦力の重要性が増していたため、超巨大戦艦は2号で打ちどめになり3号、4号は空母に変更になっている。



実は航空戦の口火を切ったのは日本海軍そのもので、真珠湾攻撃でその威力を証明している。戦略的矛盾があるのだが、「武蔵」はどちらかというと防御的発想で造られたというのだから人間というのは怖いものだ。敵に攻撃されないように遠くまで届く大砲は大きいし、それを乗せる戦艦も大きくなるし、速力も必要で、相当量の重油を消費することになる。

実は、大きい船を作るという意味だけでなく、長崎という狭い町の中に情報が漏れることにより米国、英国に知られることになることを極度に恐れたわけだ。その情報管理について膨大な資料から調べている。もともと米国英国とも高台に領事館があり、造船所が丸見えだったわけだ。

著者は本作を書いた1966年当時は、特に強く戦争に反対していたわけではない。その後、様々な小説を書いているうちに、弱者の立場から戦争を見ることが多くなり、徐々に反戦側に重心を移していったようだ。


ところで、本書から離れて、大戦中の日本軍の戦略だが、いきなり航空機の量産をしなかったことの原因の一つとして「米国の兵隊は、すでに米国では自動車の運転をしていた」のに、日本の陸海軍の兵隊は多くが農村出であり、「自動車の運転すらできない者が多数」という状態だった、という説を読んだことがある。戦力化できなかったわけだ。
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革命前夜(須賀しのぶ著 小説)

2019-08-07 00:00:00 | 書評
須賀しのぶの作品は「夏の祈りは」という高校野球をテーマとした汗と涙の小説を読み、もう少し読んでみようと思ったわけだ。それで、「革命前夜」を読み始めた。実は、何の革命なのかよくわかっていなかった。

主人公の眞山柊史はドレスデン(東ドイツ)の音楽大学でピアノを学ぶ音楽留学生。共産圏の国なので、同級生はハンガリーや北朝鮮、ベトナムといった国の学生が多い。音の溢れる都市であるドレスデンは第二次大戦時に空爆で破壊され、復興もそれほどすすんでいないなかで、政府は民衆の統治のために市民のスパイを続けている。

一方、ペレストロイカの波は、ひたひたとロシアから周辺の衛星国に広がってきていた。



そういう矛盾だらけの国が崩壊していく直前というのは、往々にして悲惨なことが起きる。友人やその家族が連行されてしまったり、眞山にもスパイが張り付くことになる。

そして町では、連日のように抗議デモが起こり、ついに隣国のハンガリーは西側の国との国境を開放してしまう。

小説は、ベルリンの壁が崩壊した時点で終わる。

著者はライトノベルの世界から普通の小説家になったのだが、高校野球だけでもなく、こんなにシリアスな小説を書けるのかと、ただ関心するのみだ。


ところで、小説の中に東ドイツの選挙制度の記述がある。一応、民主主義であることを偽装するための選挙が行われるのだが、その方法が現在の北朝鮮と同じようである。有権者は投票所に行くと、テーブルが二つあって、一つは政府推薦候補に投票するテーブルで、そこにいって投票用紙をもらう。もう一つは、政府推薦候補に投票しないテーブルで、住所氏名を記帳してから反対投票用紙をもらって投票するそうだ。そして、めったにいないが第二のテーブルに行ったものは、そのうち勤務先を失い、家族がバラバラになって、どこかへ行ってしまうということだった。

しかし、壁の崩壊の前に行われた選挙では、10%ほどの人が第二テーブルに向かったそうだが、政府の発表では反対票は1%ということで、それも暴動の原因になったようだ。

つまり、北朝鮮で同じようにそういうことが10%程度起これば、おわりの始まりということなのだろうが、困ったことに隣接する国の中で、「こういう国の国民」になりたいという願望がわくのだろうかと、少し懐疑的になる。
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今月号の『波』は

2019-07-23 00:00:42 | 書評
新潮社の書評誌『波』2019年7月号を手に取って、まず最初に驚いたのが表紙だ。ブレイディみかこさんという女性の『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』という新刊が出るというのだが、実はこの雑誌に連載中のはず。『波』で連載して、終了後単行本として出版されるというのが普通なので、連載が終わる前に単行本が出るのかと、とまどう。



みかこさんの男の子が英国のブライトン(ロンドンから1時間のところにある海浜リゾート地・鎌倉みたいな町)の公立中学に通っていて、そこで起きている崩れかけている英国の社会をこどもの行動から描写している。

実は、今月号にも第19回の連載があるのだが、どうも第16回までをまとめて刊行したとのこと。ということは、連載は第32回までつながるのだろうか。そして続編か。

そして、雑誌にはさまれていたペーパーに赤松利市氏の『ボダ子』について書かれていた。3.11以後東北地方で土木作業の労働者になった父と境界性人格障害者の娘を中心に「金」によってケダモノのように変貌する醜い人間が描かれている。読者からは「最悪の読後感」「悪夢にうなされ寝つきが悪い」と酷評を受けているそうだ。編集部から、作者渾身の一冊なので、1550円(税別)でも「絶対に損はさせません」と書かれている。損をしない本などという言い回しは、実に初めてである。

新潮社、大丈夫なのだろうか?
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もう一つの放浪記『浮雲(林芙美子著)』

2019-07-18 00:00:19 | 書評
林芙美子と言えば事実上のデビュー作である『放浪記』が、その後の彼女に期待された作風を既定していたのかもしれない。『放浪記』は自己の半生をもとに第一次大戦後の世界に広がっていった社会不安の中で底辺を放浪する主人公(ほぼ自分の分身)が描かれていた。

そして大戦を経て、彼女は女流の第一人者として次々に舞い込む出版社やジャーナリズムからの原稿依頼をこなしていく。ただ、それらは小説の長さや筋立ての中に「期待される林芙美子らしさ」を求められ、自作の自由度を制限されていたようだ。その中で持病の心臓病は徐々に悪化をしていったわけだ。

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そしてマイナー雑誌から引き受けた長編小説の中で、彼女の意図する構造の中で、「ゆき子」と「富岡」という生々しい二人の主人公を書き上げるわけだ。それが『浮雲』である。大戦中にゆき子は農林省のタイピストとしてベトナムの奥地に向かうのだが、赴任する道中で、農林省の官吏である富岡と運命的な出会いをするわけだ。その後、二人は現地で関係を持つことになる。

この小説の特徴として、ゆき子も富岡も多情人間として描かれ、三角関係や四角関係が次々に登場するのだが、それらの記述の中に二人のバックグラウンドが挟み込まれ、二人とも過去の男女関係を引きずっていることがわかってくる。なにしろ林芙美子は小説のストーリーが巧いのだ。

そして敗戦。二人は東京に戻るが、富岡は病気がちの妻のもとに帰ったのだが、何しろ仕事もお金もない。ゆき子も富岡にしがみつき妊娠したり一緒に死のうと温泉にいったりするが、ぐずぐずになる。ある意味、どちらもダメ人間なのだが、すべて戦争のせいなのだ。

さらに、別の男たちや女たちが登場し、脇役は次々に病死したり殺されたりして、ついに二人とも首が回らなくなり、富岡は屋久島の森で働くことになり、ゆき子はバイト感覚で勤めていた新興宗教の金庫から現金を着服して富岡に「自称妻」として付いていくことになる。(以下省略)


すさまじい力作である。そして、林芙美子の筆は冴えわたっているように思える。1948年から3年越しに書かれた本作が単行本となったのは1951年4月。その2か月後6月に彼女は他界した。人生のおまけとして、葬儀委員長の川端康成が文学史上有名になった弔辞を述べている。
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キッチン・ブルー(遠藤彩見著 小説)

2019-07-04 00:00:46 | 書評
書名からいって、専業主婦が台所でむしゃくしゃした気持ちをアルコールにぶつけるような陰惨なストーリーを予測したのだが、そうではなかった(短編集の中にはそういうのもあるが)。



6作の短編集。

『食えない女』
 会食不全症候群という奇妙な心の病を持つキャリアウーマンの話。人前で食事をすることができないという奇妙な症状のため、仕事も恋愛も相当無理がある。昆虫を食べるのが好きという男性に巡り合うのだが、今後困難が予想される。

『さじかげん』
 料理が得意な姑とからきしダメな嫁の話で、仕方なく生徒として料理教室に行くが、そこにいたのは、料理の腕前は講師並みなのに自分が下手だと思い込んでいる生徒で、講師があまり教えてくれないと騒ぎだすわけだ。
 確かに、料理というのは食べる立場でいえば、複雑な調理の方が好ましいが、作る立場でいえばまったく逆。人間が野生の肉食動物でないことの宿命として、料理の腕前という話がなくなることはないだろう。
 嫁と姑問題もなくならないような気がする。姑がリタイアしたとたんに張り切りだして、いままでのぐうたらは仮病ではなかったのだろうかとの疑問を国民に抱かせることになった例も最近あった。

『味気ない人生』
 気に入ったマンションだったのに、階下の隣人が夜中まで大騒ぎすることによる不眠によってストレス性味覚障害に陥った女性の話だ。
 実際、騒音問題というのは困った問題なのだ。夜は静かにするといっても、昼は外出している人にとって、掃除や洗濯の音はどうしても自然に発生してしまう。また昼は眠って夜働く人もいる。本作では最後に民事調停をあきらめて引っ越しすることになるのだが、またも引っ越し先で騒音問題が起こることだってあるわけだ。もっともそこまで書いたら読者が不快を感じるかもしれないから、引っ越し=問題解決ということにしたのだろう。

『七味さん』と『キャバクラの台所』
この2作はよくわからない。『七味さん』はストーリーが平凡すぎるような気がする。狭い世界での女の争い。といっても殺人事件のようなことはおきない。口喧嘩のレベル。『キャバクラの台所』。キャバ嬢のランキング上位の女性が、酔いつぶれて客に失態を見せる事件が、ちょくちょく起きるようになる。ちょっとしたなぞ解きになっている。

『ままごと』。
 社会とつながりの弱い女性が、ある時、自分の作った料理をブログで紹介したところ、コメントがあり、これに励まされて次々と手の込んだ料理の撮影を続けるのだが、大問題は、その料理を食べる人。特定の男性のために料理を作るから熱意がこもるという理論の元、ボーイフレンドの家で大量の料理をつくるのだが、きれいに盛り付けて撮影が終わるまで食べてはダメ。

段々とブログに熱が入って行くにしたがってボーイフレンドは引いてしまうことになり、その結果、ボーイフレンドの交代ということになる。

そもそもブログがいけないのではなく、一日に料理一品だけ紹介程度にすれば大したことにはならないはず。

同じようなことをしていた人物が江戸時代末期の大名の中にいた。井伊直弼だ。茶道の達人で、井伊邸で毎年行われる大茶会では、すべてその年の新製品の茶菓子が並べられたそうだ。日本の多種多様な種類の和菓子は、井伊直弼の茶会がルーツであったりするらしい。

6編ともライトノヴェル的なスピード感や軽さがあるのだが、人生の深淵とか地球の危機とかの巨大問題とは無縁である。
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『噂』(荻原浩著 ミステリー)

2019-06-25 00:00:14 | 書評
ミステリー作家ではない著者が書いたミステリー。

ということで、ミステリー的な伏線を広げるのではなく、淡々と連続殺人が続いていくわけだ。被害者は若い女性で靴のサイズが23センチ。両足が切断されて見つからない。足のない死体は主に目黒区内に放棄される。



刑事(男女)の捜査によって、事件の前に「殺されて足を切られないための香水がある」という噂が意図的に拡散されていたことがわかってくる。ようやく犯人捜しをすることができるようになる。

少し、ずるいのは「脚フェチ」が趣味の男が真犯人だったこと。少しホラーが入ってくる。実は、足首だけがなくなる意味だが、もしかしたら「羊たちの沈黙」の中の人皮スーツを作る話に似ているのではないかと気が付いていたのだが、その通りだった。

そして、いかにも犯人は、この女だ、と思わせて、実は違うのだが、小説の中でも犯人を勘違いして、勝手に濡れ衣を着せて復讐(殺した上、まだ生きたまま足を切断)が行われる。

なんとなく感じていたのだが、「この人物は、何のために小説に登場したのだろうか」というような人間がいて、周囲から少し浮いていた。まあ、意味のない人物は登場しないのだろうとなんとなく予測がつくわけだ。
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ベルリン飛行指令(佐々木譲著 小説)

2019-06-20 00:00:02 | 書評
本著を勧めてくれた人の談では、「私には、あんな勇気はない」ということだったので、てっきり「翼よ!あれが巴里の灯だ」というような飛行機黎明期の小説かなと思っていたが違っていた。昭和15年、日独伊三国の軍事同盟が結ばれた頃、すでにドイツの英国空爆計画が挫折していた。爆撃機を守るべき戦闘機(ユンカース)の実力が英国のスピッツファイヤー機の能力に後れを取っていたからだ。


そのため、ドイツ帝国中枢部は、当時、中国戦線に登場した日本のゼロ戦をコピーしてドイツで作ろうと考え始める。そのため、実機を2機日本から取り寄せたいと言い出すわけだ。実力もわからず米国からF35を100機以上まとめ買いしようというのとは異なる。ドイツ人の考え方はいつでも合理的すぎる。

ところが、日本とドイツの間には敵国が展開している。特に英国である。当時の日本の制空権はベトナム北部までで、その先は、インドとイランとイラクという英国の牙城がある。北から行こうにもソ連を刺激するわけにはいかない。

この大役を果たそうというのが安藤啓一中尉と乾恭平一空曹の二人。両名とも腕は一級だが、そもそも海軍の方針に懐疑的だったため、干されていた。

本著は文庫で630ページもあるのだが、この乗員の決定とか途中のルートで2000マイルごとに必要な中継飛行場を現地の反政府勢力から確保したり、ゼロ戦の装備の追加とか、さまざまな困難を乗り越えるための事前準備や下工作に延々と惜しげもなくページを使っていく。三分の二を超え420ぺージを過ぎて、二人はやっと横須賀の基地を飛び立つわけだ。

そして小説としては予想通りに事前工作の時の様々な無理がほころびを始め、味方のはずのインドや中東の首長から無理難題を突き付けられ、徐々に悪い方向に進んでいく。結局、二機のうち一機は、そういうゴタゴタのつけによる整備不良の結果、英国機から逃げきれないこととなり、最終的にベルリンには一機だけが到着。実は、その後ドイツはミサイルを作って英国攻撃を始めることになり、ゼロ戦複製計画は極秘のうちに記録のすべてが抹消され、現代に残るのは尾翼に日の丸をつけた飛行機を見たことがあるという数名の元兵士の記憶だけなのだ。



本書を読んでいるうちに、うすうす感じていたのは、こんなフィクションのようにできた話が記録や記憶から消し去ることができるのだろうかという疑問だった。ところが、読後、色々と調べると、本書の内容というのは、ほとんどすべてが完璧なフィクションなのだ。調べようにも手掛かりすらない。いわゆる歴史IF小説だったわけだ。どうもまいった。
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夏の祈りは(須賀しのぶ著 小説)

2019-06-17 00:00:13 | 書評
野球小説である。甲子園を目指す埼玉県立北園高校野球部の1988年から2017年までのクロニクル。

不思議なことに、著者は女性だ。しかも女子高出身のようなので、仮に女子野球部員だったしても甲子園にはいかないだろうし、男子野球部のマネージャーであるわけでもない。それなのに高校野球をテーマにした小説を何冊も書いているし、かなり高校野球に詳しくないと書けないような裏話も書き込まれている。


もともとはライトノベル(コバルト文庫)系作家であったそうで、10年ほど前に一般小説を書き始めて毎年のように秀作を並べているようだ。野球以外は様々な分野をテーマにしているようで、何冊か読んでみようかと楽しみに思っている。

さて、本書は5部形式になっているが1958年に県大会準優勝というのが最高成績で、その後は並みいる私立強豪校との差を詰めることができず、甲子園が遠い存在だった。といっても10年に一回程度、優秀生徒が集まることがあり、そのたびにOBをはじめ高校は盛り上がる。その都度、チーム内にはいろいろな問題がおきてくるわけだ。チームスポーツの特徴といってしまえば月並みだが、選手は、スタメン、レギュラー、ベンチ外と分かれてしまうわけだ。

そういった葛藤を乗り越えながらチームはもがき続け、何人かは悔しい気持ちを持ったまま監督になったり、種々のアドバイザーとして何十年の単位で応援を続ける。



そして、・・

一試合ごとに細かな逆転劇のストーリーが書かれている。私が書くなら、1回表に5人連続ホームランを打ち、相手チームは戦意喪失で5回裏まで連続三振を積み重ね、あっという間にコールド勝ちを続けたとか、手抜きして書くような気がする。
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パプリカ(筒井康隆著 小説)

2019-06-12 00:00:16 | 書評
パプリカというと米津玄師がNHKのために作った五輪応援ソング(ダンスミュージック)だが、本書は20年以上さかのぼって1993年に出版された未来小説。SF作家筒井康隆氏の著。

精神分析の一つである夢判断を具体的に画像化する装置が開発された。被験者の夢を正確に解析して、その意識下の人格形成にたどり着き治療しようということ。


他人に夢を見られるという行為だけでも気持ちが悪いのに、研究者は他人の夢の中に自分も潜りこむことができるようになる。そういう危険な治療法を行うのが千葉敦子。治療中の名前は『パプリカ』。実年齢は29歳らしいが18歳の少女に扮して患者の夢に侵入する。

一方、科学者としての千葉敦子の評価は高く、ノーベル賞候補と言われている。当然ながら所属する研究所内には敵が増えてくる。

そして、さらに千葉の共同研究者である時田が、DCミニという名前は冴えないが、高性能の夢の共有装置を作ってしまうのだが、実はDCミニには様々な新機能が考えられ、しかも夢と現実が混とんとしてしまうという副作用があることがあきらかになってくる。

小説の後半は、このDCミニが敵に奪われ、それを奪還しようという話になるのだが、奪還はなかなかうまくいかない。



ところで、本書が公開された1993年から数年間、著者は断筆をすることになる。断筆というのは、しばらく出版行為をしないことになっているが、どうも著者の場合は単に創作行為に行き詰まる、ということではないそうだ。抗議の断筆だったいう人もいる。原因は、氏の文章が差別的という理由で批判があった時に、出版社が勝手に「ごめん!」をしたということに、ご立腹。

しかも、著者先生は、自分を批判するものには容赦なく反撃を行うらしい。ということで私の筆も伸びないわけで、とりあえずここまでとする。
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ジャズ大名(筒井康隆著 小説)

2019-06-04 00:00:27 | 書評
筒井康隆原作小説で、唯一映画化されている作品。小説はやや長めの短編小説で、短編18編を含む『エロチック街道(新潮文庫)』に収録されている。南北戦争直後の米国と幕末の日本が、ほぼ近い時代であることを利用した展開で、アメリカで自由民になった色の黒い奴隷のうち、アフリカに帰りたいという人がいた(あくまでも小説だから)。ところが臨時船は悪徳業者が仕立てたため、運賃を巻きあげた上、船はフィリピンに向かうわけだ。



このままでは、またも奴隷になると恐れた色の黒い人たちは、嵐にあって救命ボートが流されたドタバタに紛れ、一隻だけ残った救命ボートで脱出。そして運命の黒潮は、彼らを幕末の日本のある小大名の領地に運ぶわけだ。実際、幕府もとっくに鎖国を諦めていて、小大名の相談にも乗ってくれず、かといって街中を歩かれても困るということで城内に缶詰にするのだが、そこで音楽、つまりジャズを始めるのだが、これが殿様のお気に召し、城内はジャムセッション状態になる。

『エロチック街道』には表題作と『遠い座敷』という夢の中の不思議な世界を描いた作品があるし、主に実験小説集といってもいい。『ジャズ大名』と同じように、本格的な作品としては『かくれんぼをした夜』というのがあって、子供の頃、大人になってからのこと、老人になってからのことと三つの時代に同級生たちが、それぞれかくれんぼをするのだが、いつもかくれんぼが未完になってしまい、一人一人寿命を満了していくなか、最後の一人が、未完になったかくれんぼを残念に思うという、素敵な小説だ。構造的には「スタンド・バイ・ミー」をしっとりと書いたような感じだ。

そして、筒井康隆氏といえばSFご三家(星新一氏、小松左京氏とともに)と言われるが、本編にはSF小説は入っていない。科学技術がこれほど進化というか深化してくるとSFの場はかなり窮屈になっていくのだろうか。自分としては、「人間FAX」というようなものができないかなと思っている。東京でFAX機械に入って人間の構造データを読みとき、1秒後に大阪の3Dコピー機械から出てくるというもの。飛行機も自動車も要らなくなる。最初の実験台にだけはなりたくない(というか実験台になる前に、自分のコピーをクラウド上に残しておかないといけない)。
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リトル・リトル・クトゥルー(東雅夫編 神話)

2019-05-29 00:00:54 | 書評
「リトル・リトル・クトゥルー」は800字以下で書かれた短い神話のことで、もともと米国でコミックとして神話をアマチュアから集めて優秀作を発表したのと同じ。その時にクトゥルー神話という名前で知られるようになった。そして日本では超短編クトゥルー神話として募集され250余編から111作が選ばれた。ちなみに800字の刻みだが、弊「ショート・ショート・エッセイ」は1000字前後で書かれていて、それくらいの分量。(きょうのブログは500字強)



言っては何だが、面白くないものもある。企画倒れのような空振り作品もある。

そもそも、米国には神話はないはず。あるとしたら先住民の貴重な昔話だが、白人の横暴の犠牲者になる。クトゥルー神話は、どちらかというとどこかにオチのある話でなければならない。

水槽の中で、カツオ節他の食材を利用して新しい生物を作って、少し大きくしてから生きたまま味見をする人が書かれていた。それなりの味らしい。それならと、材料に少しお金をかけるともっと旨い食品に変わるのではないかと、考え付くわけだ。やってみたい。
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金谷上人行状記(自伝 藤森成吉現代語訳)

2019-05-22 00:00:53 | 書評
東洋文庫である。箱入りで、時に難解な内容で手も足も出ないような書物もある。時間をかけて読むことになるだろうと覚悟していたのだが、実は原文ではなく現代語訳である。

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といっても、著者の横井金谷(きんこく)は江戸後期の僧であり、現代語に訳され、同時に注釈も充実して初版が1965年である。50年以上前ではあるが、現代語訳は十分に通じる。読み始めると一気に読めるのは、この自伝は荒唐無稽の金谷の半生というものが、主に旅(というか逃亡)と遊芸に関係するもので、読者の刺激を満たす内容だからだ。

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例えば東海道中膝栗毛とかドンキホーテとか同種の書物は数多くあるのだが、本書の特徴は、内容がほぼ事実であることと、自分で書いたということ。多芸多才の金谷だからこそ、全国各地で歓迎されて歩き回れたのだろう。思えば江戸の後期でも、まだ封建制度は厳密に残っていて彼のような優秀な頭脳は使い道もなく、博打や色事といった悪所通いにのめりこんだりしたのだろうか。

本書の最大の謎は、人生70余の金谷が本書を書いたのが40代中ごろと推測されているのだが、残りの人生のことはよくわかっていない。ある日を境に急に大人しくなるということもないと思うのだが、「その後の金谷」がないのが、少し残念である。
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千年の時を超えて、というが

2019-05-13 00:00:51 | 書評
競技かるたの世界の漫画を実写映画にした「ちはやふる三部作」を見終わって、この作品にかかわった多くの人たちの『百人一首愛』がよくわかったのだが、三部作のほぼ最後に、限りある命の人間が、千年の時をはさんで一瞬で情景をわかりあえるのが「百人一首」という意味が共有されることになったのだが、本当に千年なのだろうかと調べたくなった。

というのも、昨年(2018年)11月23日の夜、東の空から上った満月が、藤原道長が「望月のように欠けたるところがない」と自画自賛の和歌を詠んでから1000年目の月だったのだが、うっかり見逃してしまったからだ。もっとも自分は欠けたるところばかりなのだから今更月を見てもがっかりするだけなのだろう。

そして、調べるといっても、それぞれの一首が、何年何月何日に詠まれたかは、ほとんどの場合に特定されていない。しかし、編者の藤原定家は、彼なりに調べた結果、それぞれの歌人毎に生年順に並べたそうだ。ということで、およその推定はできる。例えば1番は天智天皇、2番が持統天皇という大化の改新親子である。

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ところが、肝心の天智天皇の『秋の田の・・・』というのは、近代の研究により万葉集巻十にある作者不詳の一首が平安時代に変化して天智天皇御製ということになったらしい。となると天智天皇より少し前の時代600年代前半ということで1350~1400年前ということになる。

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一方、定家は自らを97番にし、99番後鳥羽院、100番順徳院とこれも天皇二人を並べている。後鳥羽院も順徳院も承久の乱に加担し二人とも島流しとなった。順徳院の歌は承久の乱以前であり1220年頃と思われる。つまり800年前。

ではちょうど1000年前、1020年頃は誰の時代かというと、歌は下手だった藤原道長の絶頂時代で、清少納言、和泉式部=小式部親子、紫式部=大弐三位親子など女流作家が華々しく活躍した時代だった。清少納言の父の清原元輔が42番、清少納言が62番。このあたりの順番は、近年の研究では順不同になっているらしいが、ほぼ100首の中央付近であるので、おおまかにいえば百人一首から千年というのは正しいと言える。

そして、「ちはやふる-結び」の中にも登場するが、収録首の中の二首が同時に詠まれたことがわかっている。

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しのぶれど色に出にけりわが恋はものや思ふと人の問ふまで 平兼盛

恋すてふわが名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひそめしか 壬生忠見


村上天皇の天徳四年(960年)3月30日の歌合せの席に登場。どちらも片思いの悶々とした気持ちが詠まれている。判者の藤原実頼も甲乙付けられず、天皇の方を見ると、小声で平兼盛の一首を口ずさんでいるように見えたため兼盛の勝ちと判定した。こういう行為は「忖度」というのではなく「天気を見る」というそうだ。そう、天気予報である。

現在に至るまで、この二首の優劣は人それぞれということで、この争いに敗れた壬生忠見は、身分も低く、歌合せの席に出向く着物すら満足に揃えられなかったとされ、かるたの絵札でも貧相に描かれている。負けたことで鬱病を発症し、まもなく亡くなったとされる。こういったことを1000年後に言われるなら、服だけは借財してまでも整えるべきだった。
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