広島城は三代目

2008-04-30 00:00:48 | The 城
fd693439.jpg広島市に1時間ほど滞在することになった。そして、迷うことなく広島城に向かう。何度も広島に来ているが、記憶にない。初めてか、数十年ぶり。以前は、城や天守閣の趣味がなかったのだが、たくさん見ていると、色々と感じるところができている。

まず、大きな特徴が濠である。四方が水濠で、城内に向かう経路は南側からの一ヶ所だけ。ゴルフのアイランドグリーンみたいだ。周囲が水濠であっても、入口は二ヶ所という城が多い。一ヶ所では逃げられない。なぜ、一方だけかといえば、ここに城を築いたのが「毛利」であったからだろう。巨大海軍力を誇った毛利家は、大田川の河口の中洲に城を築き、いざ包囲された場合は、一旦篭城し、味方が周辺海上から一気に反撃に出るのを待つ、というコンセプトだったのだろう。そのため、海抜ほぼゼロメートルの土地に、周りの島々からの狼煙が一望できるように、高い天守閣を築く。初代の広島城は慶長4年(1599年)に完成したとされる。

そして、城主、毛利輝元は、翌年、関が原の戦いで西軍の中心人物の一人に担がれるが、たいして軍を動かさず、結局、西軍敗因の一つになった。思うに、新居にもっと長く住みたいと思ったので命が惜しくなったのだろうか。結局、毛利家は滅亡を免れ、長州の小藩に落ちぶれる。

江戸初期にこの地に転勤したのが浅野家。浅野長政は、豊臣秀吉の家来の時はナンバー5~10くらいの地位だった。東軍に入ったおかげで、まあ無難な地位を幕末まで確保した。さして裕福な藩ではなく、幕末の藩主の朝食の献立も、焼き味噌と豆腐程度だったそうだ(焼き味噌って何だろう?)。

今、考えれば、最大のピンチは「忠臣蔵事件」。別藩ではあるが、親戚筋の赤穂藩の小大名が、江戸城で一暴れする。色々と恨みがあっただろうが、考えられる範囲でもっとも不都合な場所で刃傷沙汰を起こす。本当に恨みがあるなら、奉行に決闘を申し出ればよかったはず(まあ、部下が引きとめただろうし、奉行所が門前払いしたかもしれない)。結果は、腰に差した二本の刀のうち、なぜか短い方を抜いたため、歴史の通りになったのが、本家浅野家は冷や汗タラリだっただろう。子会社の人事管理ミスだ。幕府も、浅野家をつぶす気はなかったようで、城の受け渡しなどを本家に依頼している。

そして、この広島城は、明治・大正・昭和とその威容を誇っていた。今は、平和都市というが、昭和20年までは「軍都広島」だった。昭和20年8月6日、原爆炸裂により倒壊する。名古屋城もそうだが、空襲の目標に天守閣が使われていたはずだ。全国の多くの天守閣は昭和20年に焼失している。

ところで、現在の城は「三代目」であるというと驚くかもしれないが、原爆で倒壊したあと、昭和26年に何らかのイベントが広島市で行なわれるに合わせ、突貫工事で組み上げられたそうだ。オリジナルの80%位の大きさ。そして、それでも超巨大な構築物は1年以内に解体されたそうだ。なんともったいない話だ。

その後、昭和32年から33年にかけて、現在の広島城が、江戸時代の城郭と外観・サイズを同一にして再建される。その時、賛成論だけでなく反対論もあったそうだ。主な反対の理由は、「多額の資金が必要」「平和都市に戦闘用の施設はふさわしくない」「原爆で消滅した、という歴史的事実の隠蔽にあたる」ということだそうだ。いずれも、正しい。が、再建された。

fd693439.jpg建物は鉄筋コンクリート造りだが、内部にエレベーターはない。それがいいのか、悪いのかよくわからない。外壁には木材が張られていて、往時の姿をできるだけ再現しようとしているが、若干の違和感が漂う。本来、漆喰で塗られていたはずの城壁の部分が、コンクリートなので、微妙な光の陰影がない。つるっとしている。手造りの感じが足りない。ちょっとした工夫で、もっと風合いが湧き出すものを、ちょっと残念だ。

この城のベストショットは、北側から水濠越しに朝夕のサイドビューだろうが、天守閣から南側へ出て、濠を半周する元気はまったくない。


しかし、「おおた流お城鑑賞法」の一つに「石垣は下から見る」というのがある。この城を取り巻く長い石垣の南側の側面が総じて黒っぽく汚れているのは、おそらく南側の原爆爆心地からの爆風の影響だろうか。一箇所、顕著に左側が黒く、右側が白い部分を発見した。この部分を遠目に、石垣の下側から「自分で石垣を築くように」眺めると、右側に違和感を感じる。おそらく、爆風で崩れたか、黒くなりすぎて鑑賞に堪えないという理由で、再建時に組み直されたのではないだろうか。

そして、大いそぎで、次の目的地、呉に向かう。

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コメの価格はいくらになるか

2008-04-29 21:50:21 | 市民A
今、実際には日本国内の米価は下がっている。実際のところ、昨年が豊作だったわけではない。それなのに約7%程度値下がりしている。結局、政府が買い込んだり、全農の持っている在庫を無理やり飼料にさせたり、作付け調整したり、PKO(price keep operation)をしている。

しかし、なぜ、価格が下がったのか本当のところはよくわからない。元々、日本の農業統計というのは、まったくいい加減で、統計上でも、税務申告上でも不明なことが多い。不透明な統計を使って色々な政策が立てられる。

一方、輸入米にはあいかわらず高額関税が課せられているので、価格下落の主因は、国内の需要供給バランスか、流通合理化による価格競争の激化かによると考えられる。

需給問題で言えば、実際には米の生産量は増加しているのではないだろうか。特に、ブランド米の産直販売がかなりの拡大をみせているのではないだろうか。ネットでもかなり簡単に購入できる。なにしろ、自宅までクロネコさんが運んでくれるわけだ。産直なので問屋マージンがない。一方、需要の方は少子高齢化やメタボ対策で小食化が進むのだから、国内だけみていれば価格上昇余地はないはず。

が、・・

ここで、標準的なコメの価格だが、まず国際価格はキロ100円程度である。これが急騰しはじめている。近いうちに150円になるだろう。しかし、日本はこれに300円程度の関税をかけている。では、国内米はといえば、キロ300円から400円くらいだ。ブランド米が400円程度で、超ブランド米が500円くらい。あまりに国際価格とかけ離れているのだから、海外価格が上がっても関係ないような気がするが、たぶんその考えは、甘い。

中国の存在である。

昨年も日本からブランド米のテスト販売を行っていて、人気が沸騰している。飛行機で日本にきて、コメを大量にバッグにつめて帰る中国人がかなりいる。さらに、戦後、日本は急速に洋食化が進み、米離れが起きたが、今後、中国が洋食文化に染まるとは、とても思えない。さっさと短期間で食文化を変えた日本は、世界の例外だろう。ただし、中国は、コメの高級化に向かうだろう。それも国内で作るのではなく、日本から札束で買い付けるのだろう。つまり、日本の高級米が中国に流れ、バランス上、中国の普及米が日本に流入し、洗剤で洗ってから炊くことになる。

では、その量と価格は?といっても統計も不明だし、ミクロ経済学は、限界的(プラスマイナス数%)な変化を分析するには有効だが、大幅(2倍とか半分とか)な変化には対応困難だ。ただ、おそらくはコメの価格弾性値は0.25位ではないだろうか。価格が50%上昇しても、数量は25%減くらい。あるいは、もっと減らないかもしれない。灯油価格だって2倍近く上がっても需要は2割減だ。

そして、需要問題だが、中国の沿海部には4億5000万人の人口があるといわれる。そのうち日本の生活レベルと同じような人はどれくらいいるか。私は、日本と同じくらい(つまり1億人以上)の数字ではないかと思う。いいかえると、中国12億人の所得が上から1億番目の人と、1億2000万人の日本の1億番目の人の所得が同じくらいではないだろうか。

そう考えると、日本が二つあることになる、ブランド米の数量が同じだとすると、半分が中国に輸出されることになる。日本国内の供給量は50%減になる。仮に価格と数量の均衡点が価格弾力性0.25以下で決まるとすると、その時の価格はプラス100%(つまり2倍)以上ということになる。

つまり、キロ当たり800円以上ということになる。

ただ、あくまでもミクロ経済学は数百パーセントというようなものには不適当な感じがあるし、輸出が本格的になった場合、輸入関税は引き下げなければならないだろうから、輸入米が400円/キロ程度になり、ブランド米が800円/キロ、超ブランド米が1000円/キロということになる。そこから先のシナリオはまったく不明だ。

たぶん、庭のある人は、芝生を剥がして、芋畑にしているだろう。

庭のない人は、・・・芋畑の小作人になっているかもしれない。

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ついに始まるか、コメ騒動

2008-04-28 00:00:13 | マーケティング
4月1日から小麦価格上昇に伴い、パンやスパゲティ、うどん類の値上げが続いた際、もののわからないやや小太りの女性評論家が、「小麦が値上がりするなら米を食べればいいじゃないですか」と言っていたので、「わけわからないこと言うなあ」と、思っていた。「貧乏人は麦を食え」は有名な池田隼人総理のコトバで、辞任するほど叩かれなかったのは、かたや「所得倍増計画」を打ち出していたからで、実際に、所得が倍になれば、貧乏人が「麦飯(大麦入り米飯)」を食うことはないからだ。そして、実際、所得は倍増したのだから、「麦を食え」は「失言」ではなく「名言」のカテゴリーの方に入った。

現下のスタグフレーションに対して、現下の総理は、「なんとか工夫して耐えてほしい」と言っているようだが、まったく破滅的だ。民主党内では、小沢代表のことを陰口で、『暗い小泉』と呼ぶそうだが、現総理は『暗い小沢』とか『もっと暗い小泉』とか呼ばれることになりかねない。所得は上がらず、物価は上がり、税金も上がる。税金が上がるのは数十年前からの政策のつけなので、現下の総理が全責任を負うのはかわいそうだが、物価上昇に対して、あまりに絶望的なコトバを口にすると、いささか、あぶないことが起きるかもしれない。

世界的な穀物相場の上昇の影響が、コーン、大豆、小麦にとどまらず、コメに及んできたようだ。CNNジャパンから。

「コメは1人4袋まで」コストコなど2社が販売制限(AP)

米会員制量販チェーン大手2社のコストコとサムズクラブが、米の販売制限を実施している。サムズクラブは4月23日、「最近の需給動向」を受けた措置だと説明した。

一方、サムズクラブの親会社であるウォルマートは、米の販売を制限する計画はないとしている。

世界的な食糧インフレで米先物が史上最高値を更新する中、まずコストコが一部店舗で米のまとめ買い制限に乗り出し、これにサムズクラブが続いた。

サムズクラブの販売制限は輸入もののジャスミン米、バスマティ米、長粒白米が対象で、20ポンド(約9キロ)入りの袋は1人4袋までしか購入できなくなった。それより小さいサイズの袋には販売制限はかけていない。

USAライス連合会広報は、米国で米不足は起きていないとコメント。サムズクラブはレストランなどにも広く利用されていることから、ある専門家は販売制限について、米不足よりもレストランや小売店による買いだめを警戒した動きだと解説している。

日本では9キロ袋をまとめて4袋買う人は少ないだろうが、ことは主食。波及したらどういうことになるだろうか。

実は、コメ騒動は江戸時代以前はしょっちゅう起きていて、米問屋の倉庫がぶち壊されて、あきんどが袋叩きになり、首謀者数名が引き立てられてさらし首になる。そして、幕府お庭番にかぎつけられて将軍の耳に入ると藩の一大事になり、代官が切腹する。

そして明治以降を見ると、二回の米騒動が発生している。新しい方は1993年。天候不良で需要量の80%しか供給できず、ついに日本も農協支配から脱出できたか、と思ったが、タイ・中国などからやっとの思いで輸入した米をろくに食わずに、また元の木阿弥となる。現在でも需要量の10%程度は輸入米なのだが、サプライチェーンを農協等の既存勢力が牛耳っているため、輸入米が、どこからどこに流れているのかもよくわからない状況だ。

そして、政権基盤までゆるがしたのは1918年に起きた米騒動。大阪堂島の米先物市場は沸騰し、庶民が米を買えなくなり、ついに富山で主婦パワーが爆発。8月1日に始まった米騒動は、その後、8月末には、全国各都市に波及。ついに報道制限や大規模警察力の行使が始まり、二人に死刑判決までが下されることになる。江戸時代と同じだ。

この結果、寺内内閣が崩壊し、原敬内閣がはじめての政党内閣を組閣。平民宰相と呼ばれる。

そして、今年8月1日は米騒動勃発90周年。富山県魚津市では、記念行事が行われる(ことはまったくないだろう)。一方、これから日本のブランド米を高値で買い漁るだろうと思われる隣国で五輪が開催されるのは、八月八日。米という漢字を崩すと、八十八となることはなんらかの歴史の符号であるのだろうか。あるいは今年八十七歳になる新宰相が登場し、塩爺あらため米爺とか呼ばれたり・・

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しまなみ海道、伯方島

2008-04-27 00:00:32 | The 城
91b0099a.jpg「伯方の塩」というブランドの食塩は、塩田法によって精製されるため、単なる塩化ナトリウムではなく、数多くの種類のミネラルを含んでいる。簡単に言えば、海水だ。もちろん、現在でも製塩業を営む人たちはきわめて少なく、塩田の多くは、海水を引き込んでの養殖事業になっているそうだ。

しまなみ海道は本州尾道側から四国今治に向かって6つの島が連なるが5つ目の島が伯方島だ。市町村合併によって、この島も今治市に編入されたそうだ。そして、しまなみ海道の六島は、それぞれ基幹産業が異なり、この伯方島は工業の町だそうだ。特に、造船業かな。

その他、伯方島の人に聞いたら、「○○島は農業で、○○島は漁業で、○○島は海賊だ!」と言っていたが、特に「海賊」と呼ばれている島はどういう意味かと言えば、昔はまぎれもなく海賊だったそうで、現在は「密漁」だそうだ。島をあげての密漁。

しかし、他島の悪口を言うのは世の常かもしれない。もとをたどれば、この伯方島もまぎれもない海賊島だったはず。そして、その海賊の首領は、島の高台の一つに砦を築いて、眼下の瀬戸内海を通り行く舟の弱点情報を暗号化した狼煙(のろし)で近くの島影に潜む一味の襲撃船に連絡していたとのこと。

そして、その砦を再現したのが木浦城といって高台に建てられているのだが、この建物はどうみても天守閣。どうして、歴史に存在しないものを偽造してしまうのかと言うと、偽造行為のことを海賊盤というからだろうか。本当は「ふるさと創生1億円」で作ったらしいのだ。

入場料は無料にしても人はいない。どうしたってニセモノには価値がない。海賊の砦にしては目立ちすぎる。目的からいってもアリエナイ。

91b0099a.jpg「そして、この島のもう一つのおすすめスポットは「開山(ひらきやま)」。桜の名所で山の頂上近くの斜面には隙間なく桜が咲き乱れるそうである。展望台からの眺めは最高だが、本四架橋(しまなみ海道)の3つの橋が三方向に見える。

しまなみ海道は直線ではなく、あちらの島からこちらの島へと曲がりくねっている。曲がりくねると最短距離ではなので、工費は増大する。

しかし、島の海岸部から、この開山公園までの道は、細い上に道路の周りから覆いかぶさるように木々の枝が伸びていて、遠来の観光バスの会社からは、「枝を切ってほしい」と島に要請があったらしいのだが、断ったそうだ。しかも感情的らしい。

そういうバス会社に対して、「来んでええ!」と言っているらしい。やはり排他的だ。日本は島国で、排他的な人が多いが、島国の中の、さらに島に住んでいる住民は、さらに排他的だ。

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名人戦の展開

2008-04-26 00:00:56 | しょうぎ
名人戦の話の前に、昨年度の将棋大賞。

最優秀棋士賞に羽生二冠、優秀棋士賞に佐藤二冠、敢闘賞に深浦八段、新人賞に村山五段。そして本ブログでも触れた故真部一男九段に東京記者会賞が受賞したのに加え、真部・豊島戦で盤面に現れなかった投了後の次の一手「△4二角」に升田幸三特別賞が贈られた。盤上に現れなかった手が受賞するとは故人の人徳ということだろう。

ところが、本来、この将棋大賞に名前を連ねなければならない二人がいるはずだ。一人は18世名人の資格を得た森内名人。もう一人は、孤高の竜王位を守り続ける渡辺竜王。将棋界の二大タイトル保持者。獲得賞金額も多い。よく言われているが、タイトル防衛戦以外での「手抜き疑惑」というわけだ。



今までの獲得タイトル数は森内名人は8、うち5回が名人。渡辺竜王は4回ですべて竜王。羽生二冠は68、中原氏は64、谷川九段は27、佐藤二冠は12である。

一方で、羽生将棋を研究している棋士は多いというか全員かもしれないが、森内将棋を研究するのは、なかなか難しいところがある。相手の手に合わせて、受け続けてチャンスを待つ棋風だからだ。羽生×森内戦は多くの場合、羽生攻勢、森内守勢という展開になり、そのまま攻め勝つか、緻密に受け続けた森内名人がひっくり返すか、という展開になる。


そういう意味で、今回の名人戦第一局(クリック)で後手番の羽生二冠の戦法は「森内名人に攻めさせる」という、ある意味で趣向だったような気がする。おそらく、七番勝負の後ろの方に照準を合わせていて、シリーズ前半は森内名人のペースを作らせないというところに主眼があるのではないだろうか。



ところが、実際に先手番の森内名人が思いがけず、好調に攻め始めてきたので、羽生側からエイッと飛角交換して一気に決めにいって失敗。飛角交換がいけないのか、その後の一気の攻めがいけないのかはっきりしない。羽生二冠は「飛角交換がいけなかった」との談だが、本音はよくわからない。別のところで、飛角交換はほぼ同等だ、と言っている。

そして第二局(クリック)は終始、先手の羽生二冠が攻勢を保ち、反撃の糸口も与えずに攻め勝っている。どうも、今年のシリーズは、先手が攻め、後手が受けるというのがペースになっていき、第五戦の森内先手番のあたりが最初のヤマになるのではないだろうか。



ところで、第二局の67手目に先手羽生により、▲1八角と自陣角が打たれた。古来、ここに角を打つのを天野角ともいい、幕末の棋聖、天野宗歩がここに妙角を放ったことに由来するのだが、その有名な局面と今回の羽生角を比べてみたらどうだろうか。

御城将棋は1856年というのは、日米和親条約(1854年)と日米修好通商条約(1858年)の間である。天下物騒の時代である。天野角は終局まで(クリック)、この角がはたらき続け、敵玉の死命を制したのに対し、羽生角は、鮮やかに登場したと思えば、予めプリセットされていたかのように盤上から消えていく。これが、江戸と現代の思想の差なのだろうか。






さて、4月12日の出題の解。

▲2七角 △同と ▲同銀 △1五玉 ▲1六歩 △同桂 ▲1四飛 △2五玉 ▲3六銀まで9手詰

ちょっとわざとらしい点が、嫌。

短編で大駒を活用しないと、地味系に陥ってしまう。

少し異なるが、同趣向の動く図はこちら。




さて、今週の問題。手の流れに注意すること。王手を続ければ、それだけで解ける可能性は50%くらいか。

わかったと思われた方は、コメント欄に、最終手と手数をいただければ正誤判断。
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消費者庁新設で、官民対決表面化へ

2008-04-25 00:00:29 | 市民A
ほぼ、何もしない福田内閣が任期中、最大かつ最後?の英断で、新たな省庁を新設するようだ。「消費者庁」。nikkei netから引用。

首相、消費者庁設置を表明・人員、他省庁から振り替え

福田康夫首相は23日午前の消費者行政推進会議で、消費者行政を一元化する新組織として「消費者庁」を来年度に新設する方針を表明した。内閣府の外局として相談窓口から他省庁への是正勧告、被害者救済まで強力な権限を持つ「消費者行政の司令塔」と位置付ける。行政の肥大化を防ぐため、法律や権限を移管する他省庁から機構・定員を振り替える原則も明らかにした。

首相は冒頭、消費者庁の具体像として(1)消費者の安全・安心にかかわる問題を幅広く所管、政策全般にわたり監視する強力な権限を有する(2)従来の生産者重視の考え方から脱却し、縦割り行政の弊害を除去する(3)地方の消費者行政の強化に向けて、国の支援を含めた抜本的な対策を講ずる――の三点を挙げた。

同時に「行政機構の肥大化を招いてはならず、むしろ各省庁の重複や時代遅れの組織を整理することにつながるものでなければならない」と指摘した。消費者庁の組織・人員は既存省庁からの振り替えを原則とし、政府全体の規模は拡大しない方針を打ち出した。 (4月23日 11:49)

以前、ある社にいた時に、ある大型中央省庁の担当をしていた。上は部長から担当官まで幅広く付き合っていた。メインはキャリアの班長(課長補佐)あたりだった。その後、仕事が変わったら、またも別の大型省庁の担当になり、やはり同じようなレベルの人たちと付き合うことになった。お役人と付き合うと、つい、かっとするような無神経なことを言われることが多いのだが、それを顔色に出さずに受け流す技が必要になるのだが、将棋を長くやっていたせいか、動揺を顔に出さないテクを持っていて、「ガマンにガマンを重ねて」各種の無理難題をこなしていた。

その無神経なことの一つに、彼ら高級官僚がよく使う言葉があった。

「この役所の建物も、私達がすわっている椅子や机も、皆さん国民の物です。私達は国家公務員ですから。」

というもの。

「皆さん国民の物」であれば、庁舎に入るに当たって、一々身分証明書を提示したり、カバンの中を見せなければいけないのも不愉快だが、それはガマンするとして、「皆さん国民」と「われわれ国家公務員」を対立的に表現することが問題なのである。

つまり国家公務員は、「国民」ではなく国家公務員という「別種人間」である、といわんばかりなのである。公務員だって平民だって、身分平等の日本人と思っていたから、役所の建物は、「皆さんのもの」ではなく「皆さん平民とわれわれ役人の両方の国民のもの」というべきはずだ。


そして、わざわざ「消費者庁」をつくるということは、一見、消費者優先に思えるかもしれないが、「消費者」がないがしろにされていることを政府自らが認めたということになる。消費者ではない国民はいないわけだから、言葉を代えれば「国民保護庁」ということになる。

そして、その消費者庁が新設されれば、既存省庁は「国民の味方というふり」さえやめてしまい、露骨に既存勢力(利権企業、農業漁業団体、外郭団体)の代弁者と化し、ますます行政は、「官民対決構造」になるような気もする。

が、よく考えれば、その消費者庁の人員自体、新規採用ではなく既存省庁からの横滑りであるのだから、「官」対「民」ではなく、「官」対「民もどき官」ということになるのだろう、と悲しく推測。


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バスタブのなぞ

2008-04-24 00:00:33 | 市民A
ここ何日も、西日本のある都市にいる。とある輸出のためなのだが、大問題が発生。

つまり、輸出の準備はすべて整ったのに、輸出先が取りにこない。おカネも払わない。そして、現場には、私しかいない。

こういうのって、経験的には、たまにはあるけど大変なわけ。あの手この手で押したり引いたりしている。

また、同時に、契約書を読み直したり、ノーティス・オブ・レディネスという準備完了通知を相手に送ったり・・・


で、いつまで出張先にいるかわからないことになっている。いちおう、都市銀行の支店とかサティとか見つけたので、金欠とか下着不足とかにはならないのだが、・・・

時間的退屈にまかせてブログネタは収集しているものの、実は本格的なIT設備一式は持ってこなかったため、きわめて短いネタで書くしかない。

それで、きょうの題目は、・・


今まで数百回出張で使っていて、いまだにわからないこと

ビジネスホテルの狭いバスタブで体を洗う方法

一応のルールは知っている。

バスタブにお湯を張るのは、体を温めるためで、バスタブのシャワーは体を洗うため。

しかし、先にシャワーで体を洗ってからお湯を張ると、お湯がたまるまで15分ほど「立ったまま」で、高校の英語の時間の宿題忘れのペナルティみたいだし、逆にお湯で温まってからの方法だと、体の上から洗っていくと、足はまだ水中で洗えない。お湯は石鹸がまじって白濁して、そのまま湯から出ると、足に石鹸が残ったままだ。

まあ、私はほとんど翌朝お湯につかるのが出張の唯一無二の楽しみなので、どうでもいいのだが、正式はどうなのだろう。シャワーが先か、お湯張りが先か。


ただし、ラブホテル愛好者の方は、まったく別の話だ。何しろ、「体を温める」、「体を洗う」という二つの用途の他に、浴室の利用には別の目的の場合があるからだ。バリエーションは多数だ。が、くれぐれも常識の範囲で・・

そういえば、「愛のモラルは『インモラル』である。」といったのは渡辺淳一先生だったか、あるいは、私だったか。それは不明だ。

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ついついの発言・山藤章二

2008-04-23 00:00:13 | 書評
今、勤めている東京港区の会社が引越しする。原因は家賃の滞納。ということではなく、家賃を払っているのに、例のヒルズ会社の古ビルを立て直すためらしく、表向きは「耐震強度に問題があって、地震の時に安全を保障できない」と、まるでヤクザのような話だ(というかヤクザそのもの)。しかも、立て直した後は、年商1000億円以下の会社には貸さない方針らしく、やっとの思いで次のヤドカリ先を見つける(議員宿舎を建てるから民間には貸せない、という説もある)。そして、もうすぐ引越しだ。



引越しは面倒なので、また退職しようかと思ったが、もうちょっとで退職金の料率が上がりそうなので、思いとどまって荷物の整理をする。ただし、個人的にはほとんど荷物がない。手提げの紙袋に資料と私物を入れて終わり。私物のほとんどは、今までもらった名刺。ぜんぜん整理していないのでどうでもいようなものだが、まあ、他人の名刺を捨てるのが好きじゃない、ということだけ。

ところが、・・・社長室に呼ばれる。

この会社の社長は、実は別の大企業から天下ってくる人ばかり。ほぼ2年に一人のパターン。だいたい社長室にいて何か書類を読んでいるのが常だったのだが・・・

「おおた君、整理したら書籍がたくさんでてきたのでどうしようか・・」

書棚の整理をしたら、奥の方から大量の書籍がでてきたそうだ。つまり、任期中に読みふけっていた本をみんなそのままにして、次の社長に席を譲ってしまうため、どんどんたまってしまう。

で、何を読んでいたのかといえば、経営の入門書と時代小説、そしてミステリ。さらに実用書。これじゃ、こまっちゃうねん。

「捨てたらどうでしょう」

まあ、今更『戦略会計入門』なんか読んで、どうするつもりなのだろうか。会計手法だけを戦略化すると粉飾決算になるので要注意だ。また、『チーズはどこへ行った』なんか読んでる暇はなく、いまや『バターはどこへ行った?そうか乳牛さんはお肉にされたのか』なのだし・・

「君、少し持っていったら・・」

とは言っても、京太郎さんや次郎さんは、趣味じゃないし時代小説はウソばっかり過ぎるので嫌いだし。結局、山の上の方の2冊をとって、失礼する。1冊は、ダカーポ「日本人の恥意識/怖~い小説案内」。もう一冊は、山藤章二「ついついの発言」。まったくシュールな選択だ。

それで、「ついついの発言」というのは有名人の失言集なのである。約200人が登場。

が、失言というのも、「失言としての名言」であることが、時代を超越することがよくわかるわけだ。この本に書かれている多くは、聞いたことがあっても、ほとんど忘れていたことば、忘れていた有名人になってしまい、本当の歴史的失言は少なく貴重だ。そして、その多くはきわめて短い。

「青天の霹靂 三木武夫」

「相撲はけんかだ 小錦」

「ベンチがアホやから 江本孟紀」

「これからは普通のおばさん 都はるみ」

「貧乏人は麦を食え 池田勇人」


そして、この本を読んでいると、有名人の忘れてほしい過去とか色々登場。みのもんた氏の愛人疑惑とか、逆噴射して「ああ、やっちゃった」と言った日航機長の名前とか、野茂入団の時の契約金1億円に対するバッシングとか。

なお、「兄はうわばみ 礼宮皇太子」 というのは、どういう意味なのだろう?
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大草原の贈り物??

2008-04-22 00:00:21 | 市民A
現在、モンゴルからの最大の輸入品は、何といっても「相撲取り」だろうが、個人の家庭で購入するわけにはいかない。

もっとも、江戸時代の大名の奥方たちは、江戸暮らしにもかかわらず、旦那は定期的に江戸を不在にしなければならず、安心して「男漁り」をしていたという説もあり、そのお相手として、「一に役者、二に力士、三四がなくて、五が噺家」と言われていた。もっと俗に言うと「おしろいち○こにすなち○こ、三四がなくてせんすち○こ」という言い方もある。力士が購入商品だったわけだ。



で、話を戻すと、モンゴル製商品を最近買い始めた。商品名「ナチュラル・ワン」。

ワンは「ONE」だが、また「ゥワン!」でもある。ドッグフーズ。馬肉の煮込みである。

もしかしたら、犬屋のオヤジに騙されているのかもしれないが、馬肉は鳥肉よりもローカロリー、ローファットの健康食品。また、牛や豚よりも体温が5~6度高く寄生虫が付きにくく、さらに内蔵が弱いので抗生物質などの薬物も使われていないそうである。また、モンゴルの馬は、草原の草を食べているので汚染されていないそうである。

そして、その肉を細かく切って、煮込むとどういう匂いになるかというと、これが強烈なコンビーフの匂い(馬肉の煮込みの匂いがコンビーフということは、コンビーフはほとんど馬肉ということなのだろう)。元々肉食獣である犬にとってはたまらない興奮を与えるわけだ。鰻屋の煙みたいな話だ。たぶん、一度でも犬に与えれば、病み付きになるだろうという犬屋のオヤジの罠にはまったわけだ。「ワンちゃんが喜びますよ」「毛並みがつやつやと光ってきますよ」など。

しかし、1袋は100グラムで200円。レトルトカレー並だ。3回に分けて与えているけれど、カロリーが低いからペットフーズを減らすことはないので出費純増。もともと、大草原で死にそうになった老馬じゃないか、と思ってしまうが、やはり風の噂で聞けば、馬肉の塊をブロック買いして自宅でまとめて煮込んで、小分けして冷凍しておく人もいるそうだ。ただし、調理中に、どういう匂いが発生するのかは、およそ想像できる。

そして、ふと考えれば、それほど健康にいいのならば、犬ではなく人間が食べてもよさそうなものだと思うのだが、どうなのだろう。学校給食でこどもたちに食べさせれば、日本人も相撲が強くなるのかもしれない。足も速くなるかもしれない。傍若無人の無礼者になる可能性もある。
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世界最大の仏教国で、やっと・・

2008-04-21 00:00:27 | 市民A
五輪はスポーツの祭典であると同時に、開催国の国力を誇示するという副次効果もあるのだろうが、北京五輪は大会の前段階の開会式や聖火リレーの段階からメチャメチャだ。国力を見せ付ければそれだけぶざまになっていく。世界中で混乱している中で、聖火リレーはついに仏教国ゾーンに近づいてきた。

ところで、世界一の仏教国はといえば、順をつけずに言えば、日本、中国、タイだろう。公式的には、日本、中国には約1億人の仏教徒がいて、タイは6000万人と言われる。もっとも中国の1億人は全国民の1割以下なのだから少ないともいえるが、一方、宗教活動を激しく制限している国での1億人は、信仰心から言えばかなり篤いと思うべきなのだろうか。一方、タイは人口のほとんどが仏教だし、日本でも一応国民のほとんどが仏教徒ということになっている。

すでにタイでは、王家の家系のアスリートが、聖火リレーから辞退したり、既に「チベット政策反対運動」の余波を受けている。

そして、日本では、あろうことか聖火リレーのランナーではなく、出発点の信州善光寺が辞退してしまった。1億人も仏教徒がいて、はじめての抵抗者である。

もっとも、空海・最澄よりも古い時代からの無宗派寺院であるそうで、寺の歴史に傷をつくるようなマネはできない、と思ったのだろう。

本音は「最初から受けるんじゃなかった・・」ということだろうか。プリンスホテルみたいに、親中ジャーナリストから非難されなければいいが。

国内でこそ、仏教を基にした新興宗教は花盛りだが、世界的に見ればキリスト教(特にカソリック)とイスラム教の隆盛にはさまれ、仏教は消滅寸前。仏教界も仲間割ればかりではなく、少しは、世界の「宗教弾圧史」のことを考えてもいいのではないだろうか。


チベット問題の展望だが、これを、「宗教問題」と考えているチベット民族と、「経済問題」と考えている漢民族のどこまでもすれ違い続けるはずの摩擦が、中央政府による「混住政策」により、さらに複雑になっていくのではないだろうか、と深く心配。


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横浜開港資料館で

2008-04-20 00:00:39 | 美術館・博物館・工芸品
c963d2f1.jpg横浜関内の横浜開港資料館で「横浜開港150年周年記念・ハマの謎解き展」が行われていたのは知っていたが、多忙に終われ、閉幕(4月20日)1日前にすべりこんだ。

150周年記念だから、150の謎解きかと期待していたが、謎は9つだけ。期待はずれというか、事前にチラシをよく読めば解読できたのだから文句はつけられない。しかも入場料は200円なのだから(本当は、別の展覧会に行ったついでなので)。

9つの謎は、「なぜ、関内というのか」とか「伊勢崎町の名前の由来」とか「中華街の町はなぜ、街路の向きが他の地区と違うのか」などであるが、答えにサプライズはない。あまり新しい研究はしていないようだ。

横浜は開港150周年記念行事だらけで、地方公務員の手に余るのだろう。5月にはアフリカ月間。

そして、この150周年の元になったのは、日米修好通商条約(1857年)だが、それに先立つこと3年。日米和親条約が、この開港資料館の敷地で調印された。順番に言えば、ペリー黒船で登場(1853年)、翌年(1854年)和親条約、1857年修交通商条約、そして10年で、幕府崩壊となる。

c963d2f1.jpgだいたい、モスクワ五輪の10年後に体制が崩壊したことを考えても、外国との交流拡大から国内体制崩壊までの期間は10年ということだろう。次は・・(もっとも、中国が民主化して政治的安定を得たとすると、さらに10年後には「アメリカよりも大きなアメリカ」になっていて、ちょっと困ることになるかもしれない。その時、日本もロシアも「EUのドア」を叩いているのかもしれない。)


そして、なぜ、この場所で調印が行われたかと特定される理由は、建物の中庭にある「玉楠の大樹」。条約締結を描いた絵図に、この玉楠の大木が描かれている。しかし、実際に描かれている大樹は、現在の幹よりも太いのである。その理由は、関東大震災。この一帯も横浜市内からの大火のせいで建物は崩れ、そして焼けてしまう。この玉楠も根元からすべて焼失してしまったのだが、何しろ、燃え残ったのがほとんど切り株状態だったのだろう。それが幸いして、放置されている間に、若葉が芽生え、現在の姿にまで復活。

ただ、この玉楠、素人目にも樹勢がイマイチである。幹の表面には亀裂が目立っている。遺伝子的に寿命に近づいているのかもしれないが、むしろ建物の中庭という日当たり、風通しの悪い場所という条件のせいではないだろうか。天災を生き残って、人災で斃れるというのでは本望ではないだろう。

ところで、人災といえば「日米和親条約」の日本語原本は焼失してしまったそうである。幕末の江戸城火災が原因といわれる。しかし、日米修好通商条約の方は現存している。この差は何だろうか、というのは、昨年から考えている謎である。幕末の江戸城の火災の原因はほぼわかっているのだが、うかつに書くと、鹿児島県出身者から怒られそうである。


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惨敗!

2008-04-19 00:00:10 | しょうぎ

ddb1719d.jpg4月13日、急遽、将棋職団戦に出場する。二つのチームに補欠登録しているのだが、一チームから頼まれる(クラスは秘密)。まったく準備していなかったのだが、詳細を聞くと、場所は千代田線の綾瀬の東京武道館。遠い。確か、綾瀬と千駄ヶ谷と春秋交互に開催しているはず。前回補欠出場したのも綾瀬。遠いから正選手が集まらないのだろうか。

しかし、結果からいうと、「惨敗」。「さんぱい」と言っても二敗だけだが。言い訳は色々あって、

 1.突如の出場なので、花粉症の薬量の調整をしていなかった。
 2.会場まで遠く、電車の中で詰将棋パラダイス誌を11手詰まで解いてしまい、脳内疲労に陥った。
 3.座った席が副将席で相手が強かった。

まあ、情けない理由ではなく、まともな理由を挙げると

 4.最近、大会に出場してなくて、真剣勝負の勘が鈍っていた。

そして、補欠なので遠慮してしまったあるできごとがあった。

一回戦の相手が、開始20手くらいで、8一の桂馬を跳ねたのだが、何と△6三桂!。あわてて1秒後に7三に置き直したのだが、「反則勝ち!!」と宣言すればよかったのだが、補欠なので、ちょっと気後れしてしまった。まあ、それで勝とうというのも虫がいいのだが、その後、ちょっと気分的に・・


そして、本当の理由は「弱くなったからではないか」と、引責辞任しようと思っていたのだが、野茂投手も復帰したみたいだし、さらに、数日前に、ある強豪の職団戦情報が入る。

Fクラスに出場した知人からメールがあったのだが、初出場の「日本女子プロ将棋協会」と対戦したそうだ。相手は強豪がずらりと並んで、知人は、その中でも有名な、元学生棋界の星で元奨励会三段、週刊将棋元編集長のK氏と対戦。中盤で龍を取られたにもかかわらず、121手で逆転勝ちしたそうだ。そして、あちこちに、近く開かれる『打倒K氏記念祝勝会』への招待状をばらまいているようだ(もちろん勝ったのは、チームの中で知人だけだったそうなので、勝ったと言い切れるかどうかは若干微妙)。

つまり、K氏も最下位クラスのFクラスで負けることもあった、ということ。私も引退は延期しておく。


ddb1719d.jpgさて、4月5日出題作の解答。


▲5三金 △4四玉 ▲3三角 △4五玉 ▲5四角 △3四玉 ▲4三角成 △4五玉 ▲5四馬 △3四玉 ▲4四馬引 △2五玉 ▲3五馬 △1六玉 ▲4三馬まで15手詰。

作った時(約1年前)には新鮮な気持ちだったのだけど、今見ると、ちょっとやぼったい感じが漂う。切れ味がイマイチ。

動く将棋版はこちら


ddb1719d.jpg今週の出題は、実戦型。手順も実戦型である。実戦型は、いくら手直ししてもたいして変らないものである。1一にいるのが香ではなく龍であることを忘れてはいけないが、それはヒントではない。実戦で龍が1一に引くような軟弱な相手には、無理に詰めなくても勝てるだろう。

前半部と後半部の間に転換点がある。2手目にやや長い変化(紛れ)手順があるが、正解はさらに長い。



コメント欄に最終手と手数をいただければ、正誤判断。


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680円を固辞

2008-04-18 00:00:51 | 市民A
昼休みは貴重だ。時間があれば、やることはたくさんある。しかし、勤労者の多くが12時から1時までの間に昼食をとるため、昼休みのかなりの時間が外食に費やされ、時間効率を低下させる。お客の方もお店の方もだ。

そして、私には、このちょっとした外食時間に関して、具合の悪い特徴がある。

オーダーをよく忘れられてしまうということ。

たぶん、『風景に溶け込むのが上手い』のではないだろうか。人混みで目立たないというのは、ある種の仕事では必須条件。スパイとか・・

しかし、昼休みの短い時間に、注文した醤油ラーメンがいつまでもこないで、後でカウンターの右隣に座った男の前に味噌ラーメンが置かれたりすると焦る。さらに、もっと後で左側の席に座った男の前に大盛りチャーシューメンが置かれたりすると、ついに文句を言う。

「遅いんだけど・・」

まあ、ここから色々と想定外の展開になるわけだ。

お客の方も、お店の方も。サービス業の泣き所の一つだ。実は、毎月1回はこういう展開になる。たぶん、席に座ると、直ちに注文してしまうからこういうことになるのだろう。いつまでも注文しないで、店員がイライラしてから発注すれば、忘れられることはないだろうが、逆に、注文していない客であることすら忘れられる可能性がある。

そして、つい数日前に、同様の展開になった。やや有名なラーメンチェーンのカウンター席でのこと。

680円の醤油ラーメンが通ってなかったわけだ。オーダーミス発覚が12時40分。ちょっと厳しい。

実際、そんなことで喧嘩するつもりもなく、また、他のお客様の発注品を横取りするようなことは望まないので、しばらく待つことにする。内心では、「しばらく出入り禁止処分だなあ・・」と思いながら、待っていると、ご丁寧にタマゴサービス付きで遅れて出てくる。コレステロールが高いので、あまりラーメンにタマゴは乗せないのだから余計なサービス。

ともあれ、食べ終わって、恐縮する店員に勘定680円を精算して店を出ようとすると、「ちょっと待ってください」の声。カウンターの下から「次回、無料券」を出して、手渡そうとするではないか。そこまでは、ちょっと受け取れないと、硬く固辞したのである。

しかし、後で考えてみれば、次回680円無料券を渡すならば、『きょうの680円を無料にしてくれてもよかったのではないか』と、頭の片隅を流星のようによぎって、すぐ忘れた。

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船の科学館(下)数奇な運命の船

2008-04-17 00:00:03 | 美術館・博物館・工芸品
b3fb6af2.jpg船の科学館には、別館として、南極観測船宗谷と青函連絡船羊蹄丸がある。古い船は館内の上下移動は階段だけであり、船内の展示コーナーを歩き回ると、非常に疲れる。船の科学館本館も階段が多い。二隻の展示船。その前は東京ビッグサイトで二つの展示会を歩く。さらに前日は、愛宕神社の出世階段を登って、境内の有名レストランに行く。暑い夏になったらこうはできない。

そして、現地の表示では何もわからないようになっているが、南極観測船宗谷には、数奇な運命の歴史があった。

まず、この船が建造されたのは日本国内の造船所なのだが、発注したのはソ連。1936年に起工(作り始めた)。その後、1938年にソ連船として進水。次に砕氷船として艤装工事が進む2年間の間に世界情勢が変化。世界大戦のニオイが立ち込める世界情勢の中、ソ連への引渡しが中止される。結構でたらめな話だ。まだ、戦争は始まっていない。手付金とかあっただろうに、どうなったのだろうか。そういうちょっとした疑問は、表にはでてこない。

b3fb6af2.jpgその後、この砕氷船はあろうことか戦時中に南方に進出。実際に被弾したり魚雷が命中したりしている。ガダルカナルにも出撃。終戦時には室蘭港にいた。そして、戦後の初仕事は樺太からの引き揚げ船。樺太と小樽を往復。

そして、ついに本来の出番が回ってくる。日本が南極観測の第一歩を昭和基地で踏み出す時だ。自国船ということで、宗谷が登場。1956年。翌1957年には昭和基地が完成。

ところがいきなり躓いてしまう。南極からの帰国時に氷に囲まれてしまう。そのままいくと、氷の拡張で船体がつぶれてしまう。たまたま、タイミングが合ったソ連の砕氷船オビ号が救助に向う。その時、20年前の日本による船体没収のインネンをつけられたかどうかはわからない。宗谷と北方領土を交換してしまったかどうかもよくわからない。さらに宗谷は翌年1958年には米国船、1960年には再びソ連船の救助を仰ぐことになる。要は、設計が古いということだろう。

b3fb6af2.jpgその後、1962年には「ふじ」が後継、さらに「しらせ(初代)」、「しらせ(二代目)へと続く。「ふじ」は名古屋港で公開中で、「しらせ(初代)」の行き先はまだ決まっていない。

船内の医務室では、盲腸の手術ができるようになっていたそうだが、船は揺れるのだから、実際に手術台に乗るには大きな勇気が必要だ。第二次大戦で被弾した時には、この医務室は血染めの修羅場だったのだろうか。致命傷を負った水兵に対して、あまり考えたくない想像もできる。

次に、青函連絡船羊蹄丸。こちらは、船の歴史というよりも昭和前半部の青森と函館の現代史という観点だ。青森の市場を模したコーナーでは、新巻鮭1本が180円、毛蟹は500円で売られている。一方、タマゴは一個18円。青森駅の改札口には、青函連絡船の時刻表が掲げられて、1日5便が朝0時35分から夕17時10分まであったことがわかる。

b3fb6af2.jpg有名な洞爺丸遭難(1954年)は、この青森発函館行きの第三便(つまり三回目ではなく二回目の6時半の便)が折り返し函館から青森に向う14時40分が4時間遅れて18時39分に函館を出航した後、深夜に沈没する。洞爺丸と羊蹄丸は同型船と書かれていたが、ちょとした錯覚を起こすのは、展示されている羊蹄丸は当時の連絡船とは別物で、二代目の退役後のアルバイトである。

しかし、洞爺丸遭難が、その後の青函トンネル(1988年完成)の重要な着工理由となったという話を読むにつれ、では何が原因で東京湾アクアラインを作ったのだろうかと、いくら考えてもその理由はわからないのである。ガソリン税の一般財源化が濃厚になるにつれ、三浦半島と房総半島を結ぶ新たな東京湾横断橋の構想が立ち消えになったようだが、むしろアクアラインより有用だったのではないだろうか、と思っても、いまさら・・




b3fb6af2.jpg船の科学館を後にする前に、売店で二冊の小冊子を発見。おもわず購入してしまった。『黒船来航』『咸臨丸』。二冊とも透明な袋に入ったままなのだが、何か中を読むと、次なる探究心のパンドラの箱を開くのではないかと、ちょっと気がかり。まあ、豪華客船でシアトルまで船の旅をしようとは思わないだろうけど・・



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船の科学館(上)恐妻家への遠慮?

2008-04-16 00:00:16 | 美術館・博物館・工芸品
81770727.jpgお台場の東京ビッグサイトのコンヴェンションが、ややアテハズレだったのだが、わざわざ運河を渡ってむざむざ帰るのも残念。台場バラバラ事件の現場検証に行こうかと思ったが、いずれ湾岸署の捜査がテレビや映画で公開されるだろうから、そちらに任せることにして、いつも『ゆりかもめ』の上から見下ろしている船の科学館に寄ってみる。船の科学館には付属施設として、「南極観測船宗谷」と「青函連絡羊蹄丸」があり、全部歩くと、かなり疲れそうだ(そして全部歩いてしまった)。

まず、本館の正面には、「笹川良一先生、母を背負うの像」がある。同じものが虎ノ門の消防会館(ニッショーホール)の前にもある。自宅が火事の時に、金庫ではなく母親の方を背負ったという美談の噂があるそうだが、老人は無理にでも歩かせないと、足腰が衰えて立てなくなり、結局は大変な親不孝になる可能性があるから注意が必要だ。

81770727.jpg博物館らしく、展示は「船の歴史」からだが、もともとの船の起源はよくわからないそうだ。人類が丸太につかまって河を渡ったのがその起源とも言われ、丸太船ができたのが最初となっているが、丸太をくりぬいて中に人が座れば、丸太以上に、くるっとひっくり返りやすいように思える。丸太船には荷物を積んで、人間が泳ぎながら船を押し進めたのではないだろうか。

その後、船は、商業目的、軍事目的の両面で発達していく。内燃機関が発明される前は、動力は主に二つ。風力と人力。帆船とガレー船である。奴隷が必死に漕ぐ行為に美しさが生まれようもないが、帆船は美しい。自然環境との調和があるからだ。とはいえ、大航海時代と言っても船の長さは数十メートル。商船と軍船と海賊船がいたわけだが、海賊船や軍船に負けないように快速船と優れた操船術が発達した。

81770727.jpgこの船の科学館には、そういう歴史的な美しい帆船のミニチュアモデルが展示されている。たとえば1765年の竣工の戦艦ヴィクトリア号。トラファルガーの戦いでは、ネルソン提督が指揮。1869年竣工のカティーサーク号。クリッパー船として中国と欧州間を航路にしていたらしい。美しい姿とは別に、美しくない商品も運んでいたのだろう。

ところで、こういった歴史的な名船は、英国や米国では、そのまま現物を保管展示したりしているそうだ。海洋国日本といっても、そういう文化は希薄だ。横須賀の「三笠」くらいだろうか。それは軍艦だ。過去の遺産が少ないというのは、戦争に負けたというのが物理的、精神的な理由なのだろう。今更悔やんでも遅い。

そして、日本国内の話では、船の歴史に大きなダメージを与えたのが徳川幕府の閉鎖的貿易政策。ようするに遠洋航海がなくなったのだから、船の構造も沿海船タイプで十分。さらに、江戸初期には各藩の持っていた大型船を幕府が没収してしまう。そして将軍用には特に装飾に凝った御座船というのが作られたそうだが、幕末には「無用の長物」ということが判明し、廃船。その時、徳川幕府は軍艦を買い集めたのだが、かたや薩摩藩は大商船船隊を抱えていた。結果は歴史の通りだ。


81770727.jpg一方、西国の大名は、徳川時代の中期からは、参勤交替費用をセーブするため、自国から大坂までは、海路をとっていたそうだ。船の上では宿場代もかからないし、馬の餌代もいらない。そのかわり、豪華な船にしたところで、風呂には入れないので、汐風に吹かれて体がべとべとになっていたのではないだろうか。しかし、コストセーブならば、何も大坂でなくても名古屋とか小田原あたりまで船に乗ってもよさそうなものだ。なぜ、海上参勤交替ルートが大坂までだったか。またも余計なところに頭を突っ込みそうになるのだ。

ただ、少し気になったのは、日本の海上交通史の記載が、古代からいきなり近世に飛んでいるように感じたこと。鎌倉時代や室町時代のことは、かなり簡単に記載されているに過ぎない。仮説ではあるが、その時代の研究については、千代田区に住まわれている恐妻家である次期後継内定の方の学術研究範囲であることから、遠慮したのではないかとも勘ぐるのである。


そして、展望台からはレインボーブリッジ超えに東京タワーが小さく見え、次の展示がある『南極観測船宗谷』に向う。

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