吉村昭の膨大な作品群の中から、一冊の戦争ものを選んでみた。
短編集で、「海軍乙事件」、「海軍甲事件」、「八人の戦犯」、「シンデモラッパヲ」の四作。
普通の軍記と異なり、著者が眼を向けたのは一味違う観点から。
「海軍乙事件」というのは古賀海軍大将が悪天候の中、ジャングルに墜落した事件で、二号機の福留海軍中将の方は海面に不時着してフィリピンのゲリラの人質となり、日本海軍の秘密作戦を記したカバンを奪われた事件で、実際に中将は陸軍の応援で救出され、カバンが敵の手に落ちたかどうかは、長い間不明であり、したがって軍法会議にかけられるかどうか、軍の内部で議論が戦わされた結果、無罪の上、さらに昇格となる。
実際には、戦後わかった事実として、そのカバンが敵の手に渡っていたことが判明したのだが、さらに著者は調査を重ねた結果、元々奪われたカバンは、もう一つ別にあったということを明らかにしている。
この昇格した中将が、後に特攻作戦を立案実行したことがさりげなく書かれている。
「海軍甲事件」では、山本五十六連合艦隊司令長官の乗った機が暗号解読された上、待ち伏せにあい撃墜された事件であるが、その事件ではなく、その時に護衛し切れず、無念にも帰還した六名のパイロットのその後を描いている。実は、著者は井伊直弼が桜田門外で暗殺された事件のその後を別の小説で調べていて、彦根藩は護衛の警護兵のうち、無傷、軽傷の者に、その後、腹を切らせている。比較したかったのか。
「八人の戦犯」というのも暗い事件で、戦後、BC級戦犯の裁判が始まる前に、連合国側に重大戦犯を見逃してもらうために、日本側で8人の容疑者を捕まえて有罪にした件である。
当然ながら、本当の重大な罪で戦犯逮捕されそうな人間の身代わりなので、本来は軽微な罪であるはずが、捕縛されたまま連合国側に引き渡され、裁判がやり直されて、8人中5人は死刑になる。生き残りの人から取材をしている。
「シンデモラッパヲ」は、ずっと古い時代にさかのぼり日清戦争の時の話。岡山県の高梁川に近い村(現在は倉敷市)の出身の白神源次郎という陸軍のラッパ吹きが平壌攻略戦の時に、死ぬまで進軍ラッパを吹き続けたという戦争美談をほめたたえられたのにもかかわらず、半年後に人違いと言われ始めた件の後日譚である。
そういえば、新倉敷駅の北側に「白神」というセルフうどん屋があるのだが、親戚かもしれない。今度、聞いてみようかとも思う。
そして著者の吉村昭は、「乙事件」を書いた後、戦争ものからは離れていく。
おそらくは、取材を続けるうちに、戦争体験を大きな声で語る人たちの、ある種の体臭と折り合わなくなったのではないかと、推測する。
短編集で、「海軍乙事件」、「海軍甲事件」、「八人の戦犯」、「シンデモラッパヲ」の四作。
普通の軍記と異なり、著者が眼を向けたのは一味違う観点から。
「海軍乙事件」というのは古賀海軍大将が悪天候の中、ジャングルに墜落した事件で、二号機の福留海軍中将の方は海面に不時着してフィリピンのゲリラの人質となり、日本海軍の秘密作戦を記したカバンを奪われた事件で、実際に中将は陸軍の応援で救出され、カバンが敵の手に落ちたかどうかは、長い間不明であり、したがって軍法会議にかけられるかどうか、軍の内部で議論が戦わされた結果、無罪の上、さらに昇格となる。
実際には、戦後わかった事実として、そのカバンが敵の手に渡っていたことが判明したのだが、さらに著者は調査を重ねた結果、元々奪われたカバンは、もう一つ別にあったということを明らかにしている。
この昇格した中将が、後に特攻作戦を立案実行したことがさりげなく書かれている。
「海軍甲事件」では、山本五十六連合艦隊司令長官の乗った機が暗号解読された上、待ち伏せにあい撃墜された事件であるが、その事件ではなく、その時に護衛し切れず、無念にも帰還した六名のパイロットのその後を描いている。実は、著者は井伊直弼が桜田門外で暗殺された事件のその後を別の小説で調べていて、彦根藩は護衛の警護兵のうち、無傷、軽傷の者に、その後、腹を切らせている。比較したかったのか。
「八人の戦犯」というのも暗い事件で、戦後、BC級戦犯の裁判が始まる前に、連合国側に重大戦犯を見逃してもらうために、日本側で8人の容疑者を捕まえて有罪にした件である。
当然ながら、本当の重大な罪で戦犯逮捕されそうな人間の身代わりなので、本来は軽微な罪であるはずが、捕縛されたまま連合国側に引き渡され、裁判がやり直されて、8人中5人は死刑になる。生き残りの人から取材をしている。
「シンデモラッパヲ」は、ずっと古い時代にさかのぼり日清戦争の時の話。岡山県の高梁川に近い村(現在は倉敷市)の出身の白神源次郎という陸軍のラッパ吹きが平壌攻略戦の時に、死ぬまで進軍ラッパを吹き続けたという戦争美談をほめたたえられたのにもかかわらず、半年後に人違いと言われ始めた件の後日譚である。
そういえば、新倉敷駅の北側に「白神」というセルフうどん屋があるのだが、親戚かもしれない。今度、聞いてみようかとも思う。
そして著者の吉村昭は、「乙事件」を書いた後、戦争ものからは離れていく。
おそらくは、取材を続けるうちに、戦争体験を大きな声で語る人たちの、ある種の体臭と折り合わなくなったのではないかと、推測する。