2008年の100冊目

2008-12-31 00:00:03 | 書評
今年は、いろいろな私事により、毎年の目標の100冊読破が最終日、12月31日になった。100冊目は、ぶ厚い本である。

『ロックフェラー回顧録』

8月に新潮社から頂いた一冊である。652ページで定価は2,600円×1.05である。

いただいた書物には、新潮社の某編集長の直筆サイン入りのワープロ文書で、

「・・・(前略)大部の書籍ですが、それにふさわしい読みごたえがある本だと存じます。どうぞ緑陰での読書をお楽しみください。・・・(以下略)」とのレターが挟まれていて、『読まずにBOOK-OFFに持っていってはいけない』と釘を打たれていた。



そして、652ページを読み終わった感想は、

「かなり、つまらない」ということかな。そもそも『自伝』とはそういうもので、自分のことを書くのだから、不都合なことは書かない(日本では不都合なことばかり自伝に書いた女優がいたが)。さらに、ロックフェラー一族といっても、自伝を書いたのは、デヴィッド・ロックフェラー。

ロックフェラー家を相撲で例えれば、一番有名なの横綱は、デヴィッドの祖父であるジョン・ロックフェラーである。石油王。現在の世界最大級企業のエクソンモービルの前身であるスタンダード・オイルの創業者である。

次の大関クラスが、デヴィッドの父、つまり、ジョンの息子であるジョン2世。こちらはロックフェラーセンターを完成させ、不動産事業で成功する。さらに関脇クラスは、デヴィッドの兄、つまりジョン2世の長男であるネルソン・ロックフェラー。こちらは米国副大統領になる。副大統領なら関脇じゃなくて大関ではないか、といえば、彼は共和党で大統領の席から4番目位だった。ニクソンが大統領でアグニューが副大統領だったのだが、まずアグニューが副大統領を辞任し、フォードが副大統領になる。選挙なしだ。その後、ウォーターゲート事件でニクソンが失脚し、フォードが大統領に就任。その時に副大統領の穴埋めに起用された。つまり、サブのサブ。

そして、著者のデヴィッドは、チェースマンハッタンの頭取となったのだが、本書を読むと雰囲気がわかるのだが、親の七光り、祖父の七光りということである。平幕筆頭。

上流階級以外の人間が読んでも、全然面白くないのではないだろうか。たいした努力もしないで、頭取になったことがよくわかるわけだ。


ということで、この本の話はやめて、今年読んだ本の中で、ベスト5(順不同)と奇書5(順不同)を作ってみる。(「本の雑誌」みたいだ)

ベスト5(順不同)

・サイゴン・ピックアップ(藤沢周)小説。鎌倉の不良坊主の話だ。
・ららのいた夏(川上健一)小説。青春小説。知能指数の高い人にはすすめられない。
・アメリカ彦蔵(吉村昭)ドキュメントノベル。江戸末期の漂流民で米国籍を取得した日本人。青山墓地の墓まで行った。
・犬たちの伝説(内田康夫、早坂真紀など)エッセイ集。犬バカ必読の書。
・源氏物語を読む(瀧浪貞子)文学論。源氏物語をとりまく当時の実社会の研究書。まじめすぎるのが玉に瑕。

奇書5(順不同)

・囲碁界の真相(石田章)囲碁。ここまで業界の裏側を見せてもいいのだろうか。レッスンプロになるためにプロになる女流とか。
・傷つきやすくなった世界で(石田衣良)。ひとりごと。小説界のコムロ。旬は5年間?
・日本史快刀乱麻(明石散人)。歴史。すごい珍説が並んでいる。うかつに信じて発言すると、変人扱いか。
・街場の現代思想(内田樹)。人生相談。読むと自分の人生にがっかりする。ロックフェラーのような人が読むと納得する内容だ。
・おもしろい韓国人(高信太郎)。嫌韓論。嫌韓派が読むとうれしくなるような、韓国バッシング。そこまで書かなくても・・

では、また来年・・

裁判費用の無駄ではないだろうか

2008-12-30 00:00:45 | 市民A
松本零士(70)VS 槇原敬之(39)。大の大人が長々と法廷闘争を行っている。

盗作裁判。


2006年10月に「CHEMISTRY」が歌った「約束の場所」の中の)。「夢は時間を裏切らない 時間も夢を決して裏切らない」という歌詞と、松本氏の人気漫画「銀河鉄道999」の「時間は夢を裏切らない、夢も時間を裏切ってはならない」というせりふをめぐり法廷闘争に。松本氏はテレビなどに出演し「そっくりだ」などと怒りをぶちまけていた。

一方、槇原氏も、当初は争わない、と言っていたのだが、松本氏がテレビで『盗作』を主張していたことから、『銀河鉄道999』を読んだことはないし、『銀河鉄道』という題名だって盗作(宮沢賢治?)じゃないか、と反撃。

結局、報道によれば、盗作の有無と名誉棄損がパッケージで争われることになる。

そして、12月26日、提訴から1年10か月。発端からは2年2ヶ月で東京地裁の判決があった。


判決理由で清水裁判長は「槇原さんがせりふを知っていたとは認められず、歌詞が似ているからといって、せりふに依拠したとは断定できない。テレビに生出演した松本さんが“盗作”と発言した内容は真実と認められず、名誉棄損に当たる」と指摘。松本氏側に賠償金220万円の支払いを命じた。


盗作かどうか断定できないので、「盗作」とテレビで発言したことは、名誉棄損にあたる、ということだろう。


しかし、「盗作とは断定できない」というならば、どういう状態が「盗作と断定できるのか」あるいは、盗作ではなく「盗用」「無断使用」程度の表現だったらよかったのだろうか。まあ、芸術や文芸の類は、非常にあいまいである。

また、問題となった、夢と時間の関係も、とりあえず合理的には説明できない。夢は個人の脳の中の現象であり、時間は世界全体が共有するものである。まったく異なる現象である。夢=将来の目標、時間=修行期間の長さ、ということだろうか。単に、「努力は必ず報われる」ということだろうか。そのフレーズ自体がウソではないだろうか。

まあ、かなり雲をつかむような裁判だっただろうとは想像がつくが、松本氏側は控訴を準備中とのこと。


しかし、はっきりいって、税金(公判費用)と時間の無駄遣い、と思えてならない。220万円をめぐる裁判じゃないことは明白。盗作かどうか。この一点について、「断定できない」というグレー判決を出してみたものの、結局、延長戦か。

夢=勝訴、時間=公判期間、と考えれば、どちらの態度もまったく滑稽な気がする。

ところで、「『銀河鉄道』は宮沢賢治の盗作」という槇原氏の発言に対して、名誉棄損と提訴はしなかったのだろうか。それもパッケージになっていれば、「宮沢賢治の盗作とは言い切れない」、と槇原氏側に220万円の賠償判決を出し、「これにて、一件落着!」と相殺してしまえばよかったのだろうが、裁判所慣れしている方が一審では有利になった、ということなのだろうか。

蟹蒲鉾は「消えない入墨」か

2008-12-29 00:00:06 | あじ
「蟹工船」のことを考えていたら、「蟹工船」という蟹缶の生産スタイルは、かなり合理的な方法で、今も残る大手水産業者が日本の周りのの海洋資源と、国内で余っていた労働力を組み合わせて、欧米の金満国の富裕層の食卓から外資を獲得していたことに気付く。



問題は、その海の上に浮かぶ「漁船に対する法規制」も「工場に対する法規制」も届かない空間で、権的な労働搾取が行われていて、それでもしょうがないと、社会の底辺や裏側からわけありの人間達が集まっていたことである。

さらに、その背後には大きな世界があるのだが、きょうの話は、その時代のことではないので、歴史考察は、ここで終わり。

現代では、日本近海の蟹は、まさに貴重品。大型船でかき集めて高い労働力で缶詰にできようはずもない。

そこで、いつの時代か登場したのが代用品である「蟹蒲鉾」。通称、カニカマ。

説明する必要はないだろうが、一般的には、白身魚から蒲鉾を作る過程で、蟹風味を加え、細い糸状にし、糊で棒状に固めて、赤く着色してビニールで包んで完成。

ところが、このカニカマのおかげで、来年の正月用の紅白蒲鉾や伊達巻が品薄になり、価格が上昇しているそうだ。

なぜ?

別に、日本の正月の儀式(おせち)で、紅白蒲鉾の代わりにカニカマで代用する家庭が増えたわけじゃない。さらに、カニカマダイエットなどがはやって「蟹工船入隊ブーム」になったわけじゃない。

原因は、欧米の食卓で「カニカマ」が人気になっているからだそうだ。

まあ、70年前に欧米向けの蟹缶詰を作っていた蟹工船と繋がるような話ではある。そのため、白身魚のすり身が減少。日本の正月を影響が襲ったようだ。むろん、正月に限らず、「おでんや」を夜の常駐事務所にしているオヤジ達にも厄災は振りかかっているはずだ。

ところで、このカニカマだが、究極の「イミテーション」である。食品偽装行為。なにしろ英語で「イミテーション・クラブ」という製品名まで付けられているらしい。蟹と偽って正体不明の白身雑魚を使っている。あるいはサメ?。

思えば、このカニカマが地球上に登場したころは、日本もイミテーション製品をどんどん作っていたのだろう。まあ、多くの国民もそういうことは覚えているものの、その後、すっかり忘れたフリをして、現在は中韓両国をイビッテいるわけだ。


ところが、すっかり清廉潔白な身になったと思っていたが、今になって綻びが生じたわけだ。昔の悪事の結果が徐々に世界に広がり始めているわけだ。

江戸時代の刑罰で、死罪にするほどは罪が重くないが、棒で10回殴って放免するほどは軽くない犯罪者の腕に、切り取り線のような場所に入れ墨を入れて所払いする制度があったのだが、そんなものなのだろうか。つい、長袖シャツから見えてしまった黒い線。

まあ、「カニカマ」の出所が、「日本ではない国」に偽装するしかないだろうか。「上海蒲鉾」とか。

ひろしま・ヨコスカ(石内都展)

2008-12-28 00:00:52 | 美術館・博物館・工芸品
2008年の美術館散策の最後は、目黒区美術館で開かれている(~1/11)写真家、石内都(1947~)展。



実は、ブログを書き始めたここ数年前から、なぜかしょっちゅう石内都の展覧会と遭遇している。それは、偶然というよりも、彼女が積極的に作品を創り、どんどん個展を開いているからだろう。

そして、彼女の作品の評価が高まることによって、美術館側の誘致熱が高まり、入場料も高くなる。 彼女の創作歴をみると、30歳でデビューして、「絶唱:横須賀ストーリー(1977年)」「アパート(1979)」「連夜の街(1981)」の初期の時代に木村伊兵衛賞を受賞している。その後、渡米し、長く沈黙。「1・9・4・7(1990)」で復活し、最近は、「キズアト(2005)」「マザーズ(2005)」と。問題作品を現代社会に提示。そしてことし(2008年)に「ひろしま」を発表。

初期三部作は、基地の街、老朽アパート、売春街といった人間の醜い居住空間を冷たくとらえ、「1・9・4・7」からは生身の人間を写す。自分と同じ1947年生まれの米国人の肉体を写したのが「1・9・4・7」。そして、「キズアト」では、人間の「老」を正面からとらえ、肌に刻まれたさまざまなケロイド状の傷跡を写していく。 さらに「マザーズ」では84歳で亡くなった母の遺品を写すことによって、さらに新しい分野に進み始めた。マザーズ以降、モノクロからカラーに移行したのだろうか。


そして、「ひろしま」では、原爆投下の時にさまざまな市民が身につけていて、ちぎれたり、燃え残ったり、あるいは無傷のまま、亡くなられた方々の身につけられていた最後の衣類を題材にしている。



本展覧会は、石内都のデビュー後の作品を少しずつ均等に紹介している。社会派路線と全部まとめてくくれば、それまでだが、徐々にその指向性(題材)も変化していることが感じられるわけだ。 今後、どこに行くのだろうか。というか、現代の社会は様々な問題が噴出しているのだから、題材に困ることはないのだろう。

ところで、2005年に発表した「キズアト」からの作品を見ていて感じたことがある。 誰でも、人生の半分を過ぎれば、自分の体の外や、見えないところにキズができるものだ。手術痕だったり、火傷のあと、愛犬にかまれた痕や、間接の不具合。曲ったオヤシラズや肋間神経痛。結構、その傷や痛みの原因を覚えていたりする。結局は、そういう不完全な体を自分で大切にしなければならないことがわかってくるわけだ。

個人的には、今まで体にメスを使ったのは、虫垂炎と足の指のウオノメだけであるが、手には多くの傷がある(手首にはない)。 とりあえず、自分の手を写すだけなら、モデル料ゼロ円であるのだから、一眼で、「わが傷ついた手」作品集でも作ってみるか、と考えているが、実際には、結構、撮影技術が必要になるのだろう。

「山手線内回りのゲリラ」&一応、年賀詰

2008-12-27 00:00:23 | しょうぎ
平成19年に将棋連盟から出版された「山手線内回りのゲリラ」を軽く。著者は先崎学八段。つい最近まで、将棋世界に『千駄ヶ谷市場』という名文を寄せていた。本著は、彼が、週刊文春に短いエッセイ仕立てを連載したものを単行本化したもの。全、60編である。まえがきに書かれているが1編の長さは1600字ということ。



ちなみに、この「おおた葉一郎のしょーと・しょーと・えっせい」も同じ位の長さである(毎週土曜の将棋関連は、詰将棋コーナーがあるので、その分が長い)。だいたい、「WORD」の1ページとか「メモ帳」でノートパソコンの画面一ぱいになると、それ位になるので、そこでエンディングのジョークを書きはじめると、2000字以内になる。もっとも、個人のブログだから、もっと長かったり短かったりは自由だが、雑誌の連載となると、どうしても枠にはめなければならない。

そして、この著は一般の出版社ではなく将棋連盟から出版されているが、やはり将棋界のことが中心で、「やはり、棋士の世界は、ある考え方の枠の中をぐるぐるしているのかなあ」ということを感じたので、60編の中で、2つの話。

第29話「公邸占拠下の詰将棋」。

プロ棋士が対局で負けが込んだりすると、「詰将棋」でトレーニングするといいらしい。野球の投手が、走りこみをするようなものらしい。その際、決して「実戦型詰将棋」とかは手に取らないそうだ。実戦で負け続けてうんざりしているのに、さらに実戦の終盤もどきなんて、余計気が滅入るのだろうか。

そういう時に、先崎八段が手にするのが、竪山道助さんの「千夜一夜」(全日本詰将棋連盟刊)だそうだ。実は私は持っていないのだが、実戦型とは逆の珍型ばかりだそうだ。そういうのが負けて疲れた頭にはいいらしい。

そして、この竪山さんは、元外交官だそうで、ボリビア大使を務めていた時に、隣国ペルーで「ペルー日本大使館占拠事件」が勃発。人質となった大使が青木盛久氏。ところが、この青木大使が大の将棋好きで、わざわざ日本から将棋世界誌を何らかの方法で空輸し、購読していたそうだ。

多くの人質と共同生活中にも将棋を指していたそうで、竪山氏は、なんとか将棋雑誌を差し入れようとして、医療品や食料の中に、自作の載った「詰将棋パラダイス」誌をしのばせることに成功した。ということで、先崎八段は「いい話だ」と結んでいる。

ところが、世間では、「赤十字が奔走してやっと差し入れができたのに将棋雑誌なんて」という声や、人質奪回作戦の時に「大使なのに人質のしんがりではなく先頭の方で逃げてきた」とか「『日本に帰って、蕎麦と寿司が食べたかった』と発言した」とかさんざんバッシングを受けることになったわけだ。

しかし、ある筋からの裏声情報で、「差し入れられた『詰将棋パラダイス』の中に、突入作戦の秘密情報が書き込まれたいた」という説を聞いたことがある。

もちろん先崎著には、そんな話はどこにも書かれていない。単に「いい話」で終わりある。

そして、幸か不幸か、青木元大使が思わず口に出した「寿司が食いたい」であるが、個人的に元大使の行きつけの「寿司店」を知っているわけだ。まあ、ミシュランには秘密になっているが、予算柄、年に2回しか行かないので、次がいつのことになるのか不明だが、「ペルー詰パラ」の秘密について、若女将に頼んで、情報漏洩を画策しておこうかな。


それと、超手短かに第48話「ブログの流行に思う」。

最近、棋士のブログが増加している件。全然IT的な話じゃないけれど、「将棋界を羽生さんだけで背負って立つのは、本人はその自覚があるものの、荷が重いだろうから、ブログを通して、多くの棋士が外の世界とコンタクトを取ることで、羽生さんの負担を軽くしてあげよう」という主旨のことが書かれている。

まあ、そうなのだろうか。ブログでだけでなく、実際にもタイトルの重荷を肩代わりしてあげようという人がいるようだ。





さて、12月13日出題作の解答。

▲7五角 △6四桂 ▲同角 △4一玉(途中図) ▲3一金 △5一玉 ▲6二銀 △同玉 ▲7四桂 △5一玉 ▲5三飛成 △5二金 ▲同龍 △同玉 ▲5三金 △6一玉 ▲6二金まで17手詰。

7二香の効きをあらかじめ遮断して、7三飛車を横に展開させようという基本構想で、初手は▲7五角。

ここで、後手の巧手△6四桂の逆王手。これは取らざるを得ないが、次の問題は4手目の△4一玉に対して、▲4二銀から角を交換して再度▲7五角と打つと、二回目の△6四桂が待っていて失敗する(失敗図)。

そして、入手した桂を使って▲7四桂と、やっと香筋遮断に成功し、▲5三飛成以降12手目金合い限定で解決。

仮に、後手側の8一龍を8一金に変更すると、12手目に飛車合いが可能(というか詰まない)。この飛車合いにして、再度組み立てなおす構想も考えたが、くどいのでやめた。



なお、今週の出題だが、年始が近いので、一応、「年賀詰」。とはいっても、詰め上がりが牛になったりする曲詰は不得意なので、牛の歩みをイメージした問題とした。

本来は、玉型の2一の歩は2二にあるべきだが、新年の縁起を考え、最後の一手に、ほんの小さな景気よさをあしらった。

わかった、と思われた方は、コメント欄に最終手と手数を記入していただければ、正誤判断。

ビトウィン(川上健一作)

2008-12-26 00:00:49 | 書評
「蟹工船(小林多喜二)」が少し前、売れていた。低賃金長時間労働という派遣社員の日常とオーバーラップして、派遣社員を雇用している人たちが読んでいたようだが、いまや、「蟹を食う人がいないのだから、蟹工船自体が存在しない」ことになって、派遣の解雇が相次いでいる。蟹工船の時代は終わった。



川上健一のビトウィンは、エッセイなのか自伝小説なのかよくわからないが、1991年から長い休筆に追い込まれた作者が、10年間の困窮生活の末、2001年に「翼をいつまでも」で復活するまでの田舎住まいを題材にしている。山梨か長野かそのあたりである。

貧困にあえぎ、娘をディズニーランドにも連れて行けず、本来はホビーのはずのイワナ釣りを、家族の貴重なタンパク源にしなければならないわけだ(一応、作者は小説家なので、信じ切らないほうがいいと思うが)。フィッシングや選挙運動といった田舎らしい題材の中に家族の絆を描いた作品で、最初の大感動の場面は、妻が東京に同窓会に行った帰りに、一泊の予定を変更し、普通電車で帰ってくるのを夜の駅で待ち受けるシーン。娘と二人分の駅の入場券を買おうとすると、窓口で駅員に見破られ、「タダでいいよ」ということになる。出迎えの喜びが倍加される。

そして、結末。「翼をいつまでも」を書き終えた作者宅に編集者が東京からハムの詰め合わせを手土産にやってくることから始まり、「本の雑誌大賞」に選ばれるまでの展開になっていく。

実は、川上健一は結構保守的な作者だと思っていて、今まで読んだ作品では、いつも最後に爽快な結末を用意している。読者を人生の暗闇に突き落としたり、荒野に置き去りにしたりはしない。

もちろん、結末が事実としてあるのだから、この作品は、「翼をいつまでも」より後、2005年の作である。二回目のスランプに入る前に、予防注射の一作だろう。なんとか、2年に1作で書き進んでいる。


読後、amazonの書評を読んでみると、「(涙が止まらないので)電車の中で読んではいけない系」というような評が多いのだが、そう思い切れなかったのは、現下の経済状況からなのだろうか。

1年前までの、世界同時進行バブルの中での「貧乏物語」は、「夢と感動」物語として完全に成り立っていたのだろうが、シンデレラ城崩壊後の現在では、「イワナ釣りの日々」は、結構リアリズムなのである。蟹工船以下。つまり、経済小説なのかもしれない。

もっとも、経済は循環性、波動性を持っているのだから、いずれ、また再び景気回復&資源高バブルになり「極貧物語」に人気が回帰することも、あるのだろうか。

しかし、景気が回復してバブルになると、資源価格もバブルになって、結局景気が破裂するという、バブルの自動調節機能が発見された現在、・・

カウンターから日本が見える(伊藤洋一著)

2008-12-25 00:00:47 | 書評
いつも12月になると、年間100冊読破の壁が近づいていて、大慌てで軽い本を読み、重い本の在庫が残り、翌年の初めの読書数が減るという、二流会社のシーズンキャンペーンみたいになる。



ということで、軽い本。というと著者に怒られそうなのだが、本格的に調査して軽く読ませるというのも技かな。

別に、伊藤洋一氏の専門が、「料理店の店舗設計」というわけじゃないけど、日本には「カウンター文化」がある。

といっても、カウンターカルチャーじゃない。(カウンターカルチャーのこと知っていますか?)

鮨店や天麩羅店のカウンターのこと。そう、メニューに「時価」と書かれていて、板さんに、

「おまかせっ・・」というと、予想金額の約2倍に納まるように調理してくれるシステムである。

海外にはないそうだ。

日本では、これが大繁盛で、先週末にも、イタリア料理のカウンターに座ることになった。その前の週には焼き鳥屋のカウンターに座った。

著者は、このカウンターの起源を大調査の末、大正13年の大阪であると、断定する。

「浜作」。大阪新町。

どうも、花街の女性と外で食事をするための場所だったらしい。

大当たりして、一般に普及。


また、カウンターを挟んで、向こうでは板さんが、研ぎ澄まされた包丁の刃先をこちら側に向けながら仕事をする。よく考えれば、実生活では他人である客がまったく無防備で酒を飲みながら凶器の前に平然と座るなんか、外国じゃ考えられないそうだ。

以下、そういう事象的な解説が書かれているのだが、ちょっと自分で考えてみる。


板さんと客が向かい合うという状況は、カウンターの向こうとこちらで、対等の立場にあるということを意味する。あるいは、構造上、板さんの方が位置の高い場合もある。これを江戸時代の士農工商制度にあてはめれば、客は士である。麻生太郎氏の場合だってある。板さんは工である。その店舗システムは商。

こう考えれば、日本は世界でも例がないほど身分制度が大きく崩れている国であることがわかる。

同様なことを伊藤さんも書かれていて、小学生の将来なりたい職業のベスト5に男子なら大工さん、女子ならケーキ屋さんがランクインするなんて、世界のどこでも考えられない、というようなことが書かれていて、日本はマニファクチュア国家であるということでまとめられている。

個人的には、さらにマニファクチュアを伝承するティーチングシステムがあると思っている。(別途、そのうち・・)


ところで、たまに顔を出す鮨屋が、あちこち数ヶ所にあるのだが、どこも板さんの身分が高くて、私なんかカウンターに座らせてもらえないのである。腹いせに、先日、そのうち一軒のカウンターから遠く離れたテーブル席で、カンバン間近な時間に

「きょう、残りそうなもの握ってね」

と、意味の深い注文をしたところ、単純に大喜びされ、ヒカリモノが山盛りで登場。サバオ君にされてしまった。逆効果だったか・・

20年前のCD

2008-12-24 00:00:13 | 音楽(クラシック音楽他)
1990年頃に活躍していた女性歌手、丸山みゆきさんのことを、11月18日と11月19日に書いた。6枚のアルバムと何枚かのシングルを発表し、1996年か97年頃に引退。1969年生まれということなので、アラフォー世代。

そのエントリに最近、「こもりまり」さんという方から丁寧なコメントがあった。


管理人さん、はじめまして。丸山みゆきさんの情報をお探しとのことで、参考までに、わたしの手持ちの情報をお知らせいたします。

まずは音源から。

☆「タイトビートで呼び出して」は、非常に入手困難で、ある意味「幻の作品」です。

「涙ながすその前に」はアナログ盤なら根気よく探してみると脈ありです。

★アルバム「あの頃の君に…ありがとう」「夢を見てますか」は、神保町の「タクト」に在庫があると思います。通販もやっています。

☆トーラス時代のシングル「素直に愛せたら」「風になりたい」はレンタル落ちのものなら、ヤフオクで粘り強く探していけば脈ありです。

長文すみませんでした。(^^;

健闘をお祈りいたします。

さらに、


>トーラス時代

実は、95年秋ごろをメドとして、アルバムをリリースする予定で予定が動いていたそうです。

それが延期・・・そして立ち消えになってしまった一因に、

「素直に愛せたら」の苦戦がおそらくは響いたのでは?

・・・と、個人的には思っています。

管理人さんのような、熱心なファンに巡りあえた丸山みゆきさんは、とても幸せな方ですね☆

まず、音源探しについては、ずいぶん具体的なアドバイスというか、どこに何があるか、よくわかっているなあ。と思ったわけだ。神保町の「タクト」って有名なのだろうか。何か手取り足取り懇切丁寧なアドバイスに感じた。

さらに二通目のコメントは、かなり内部情報的と思ったわけ。アルバムリリース予定が中止になった話なんか、外部からはわからないと思う。

また、二通目の最後の一節である「管理人さんのような、熱心なファンに巡りあえた丸山みゆきさんは、とても幸せな方ですね☆」という文節が、やたらに気になったわけだ。つまり、「管理人(つまり私)が丸山さんの音楽に出会った」というならかなり正しいけど、「管理人のような熱心なファンに巡り合えた丸山さん」という表現は、何か不思議な響きを感じた。

となると、この「こもりまり」さんという方は、どういう方なのか、と思って、つい検索してしまうと、あるミュージシャンが管理している掲示板に投稿されているようだ。そのミュージシャンは、

 太田美知彦さん。

おおた違いである。作詞家でもあり、本田美奈子の幻の曲、「つばさ」の作詞家である。そして、現在、東京、沖縄、名古屋などで活躍中。なぜか長野出身。長野と言えば、丸山さんの出身地。さらに、丸山さんの曲にも「つばさ」というコトバは中心的によく登場する。とはいっても、推測はここまで。

そして、「こもりまり」さんの暗示的なサジェッションを信じて、「タクト」のホームページを調べると、彼女の1stアルバムの「あの頃の君にありがとう」が在庫にあるではないか。6枚のアルバムのうち、どうしても入手できなかった1枚である。そして店舗のある神保町までは、地下鉄で片道15分。会社のお昼休みに直撃してみる。



ところが、イメージと異なり、ずいぶん小さな店である。間口は3メートルくらいで、奥長ではあるが、左右の壁に棚があるだけ。「女性歌手」は向かって左側の棚で、アイウエオ順になっているので、マ行を探すが見当たらない。マルシアとか丸山圭子はいるのだが丸山みゆきは見つからない。

まあ、探し物とはそういうもので、実際にはなかったのか、5分前に売れちゃったかとか、20年前のCDが簡単に見つかるものじゃないだろう、とあきらめて、右回りで踵を返すと右の棚に「アイドル」のコーナーがあった。既に聴いていた2枚目から6枚目のアルバムからは「アイドル」というイメージは希薄だが、まあ棚を探すだけなら10秒もあれば十分。

そして、見つけたわけだ。松本伊代の次に並んでいた。踵を返すのが右回りでなく、左回りだったら、見逃していたと思う。



確かに、ジャケットは「アイドル風」。何か、そのあたりの微妙なずれが、彼女のその後にも少しずつ影響したのかな、と漠然と感じる。

ところで、実は、まだCDを回していないのだ。ちょっとほっとしたような。

「こもりまり」さんのアドバイスによれば、アルバム未収録のシングルについては、ヤフオクで根気よく探すべし、ということだそうだが、なんだか、ネットの向こう側からくもの糸で操られているような気もしないではないが。

たぶん、合計8曲が未収録ではないかと思っている。

東京タワーの運命は?

2008-12-23 00:00:13 | 市民A
東京タワーが築後50年である。以前は、エッフェル塔の優雅さに負けるような気がしていたが、なんとなく、細身の東京タワーもいいなあ、と感じるようになった。エッフェル塔が「安定の象徴」であれば、東京タワーは「挑戦的」という感じがする。もちろん「太陽の塔」の方が好きだが、あの形で300メートルは無理なのだろうか。



そして、人間でも50歳になると様々な問題を抱えることになるのだが、この塔は大きく二つの問題を抱えている。

ひとつは、この塔の所有者である日本電波塔が金策のかたにこの塔を担保に差し入れたこと。

そして、さらに大きな問題は、もうすぐ東京の東側にライバルがあらわれることだ。2011年のテレビのデジタル化に合わせて、600メートル超の東京スカイツリーが完成することだ。そうなれば、東京タワーの営業的役割は激減する。まあ、実用的には、「なくてもいいもの」、あるいは「邪魔なもの」になってしまう。

もちろんほとんどの素材は、鉄なのだから防錆処理をほどこして、塗装しなければ腐食が進んでいき、下手をすると隣接する増上寺の墓地に倒れこんでしまうかもしれない。そこには江戸将軍とその正妻の方々のうち何名かが安眠しているのにだ。

生き残るためには、最善な方法は、スカイツリーに対して密かに「妨害電波」を発射して視聴妨害をすることかもしれない。

しかし、スカイツリーについては、当初から東京都知事が、600メートルの塔などなくても放送には支障がないはずだ、と主張していたのだが、計画が決まってしまった。いかにも都知事が科学に弱いような印象になってしまう。

ところが、よく考えれば、デジタル化するのは2011年の7月である。このスカイツリーは、いろいろな遅れが重なり、今のところ竣工し実用に供されるのは2012年春といわれている。半年以上、東京ではテレビが見えないことになるのだろうか。まったくいい加減な話である。

そして、ごく一部の意見なのだが、600メートルの塔に飛行機が激突した場合、その衝撃ニュースをテレビで見るためには、今の東京タワーを残しておかないといけないのではないかという声もあるらしい。

ピロリ菌退治

2008-12-22 00:00:04 | 市民A
5月に人間ドックで、胃袋にピロリ菌を発見されていたのだが、放置していた。思い立ったようにピロリ菌退治を始めた。ピロリ菌の正式な名称はヘリコバクター・ピロリ。ヘリコプターみたいな名前だが、関係ないわけじゃない。後述するように1983年に発見された。通常、胃の中は強酸性で、菌が生息することは不可能とされていたのだが、そこに思考の空白があったわけだ。



胃の粘膜の下に潜り込んで、胃袋の中の酸性度の低い方へ、べん毛をヘリコプターのように回転しながら移動するそうだ。

現在のところ、胃潰瘍・十二指腸潰瘍の原因になっていることは確定していて、さらに胃癌にも関係しているようだ、といわれている。

まあ、最近、胃癌で友人が亡くなったりしたので、ついにはじめることにした。、勤務先の近くで、ピロリ菌退治を宣伝しているある美女医師のところに向かう。美女といっても、年収4000万円以下を相手にしない西川某じゃない。

そして、最初の関門は、治療を「保険扱い」にしてもらうこと。ある種の条件のもとで保険扱いになり、それ以外の場合、「予防治療」とみなされ保険適用にならない。

詳細は書かないが、あれこれ「ハーバード流交渉術」を駆使して、美女攻略に成功。保険適用。ヒントは、WIN=WIN関係の構築だ。

退治法だが、とりあえずはごく簡単。武田薬品からピロリ菌退治セットが出されていて、朝夕、5個ずつの錠剤を飲む。主に抗生物質である。それを一週間。副作用は軟便ということだが、そういうことはなかった。最初に薬を飲んでから10分後に、胃の中で格闘競技が行われている感じがあった。最初だけだが。さらに、飲んでいる間、体に疲れを感じ、夜中に水が飲みたくなったりしたが、薬のせいかどうかはわからなかった。通常、抗生物質は発熱の時などに飲むので、もともと健康な状態で飲んだときの影響はよくわからない。

そして、この1週間飲み終わった段階から1ヶ月後に再度、検査を行いそこでシロならば退治成功ということになる。成功率は60~70%ということで、失敗した人は次なる第二段階に入ることになる。結構、一次成功率が低い。第二次作戦は、生き残ったピロリ菌に効く抗生物質を使うらしい。それでもダメな場合、どうなるのかよくわからない。胃の中のピロリ菌がより強力になるだけ、とも考えられるが、深く心配するのは、現段階ではやめておく。


ところで、このピロリ菌を発見したのはオーストラリアの二人の医師、ウォーレンとマーシャル。この功績で2005年にノーベル医学・生理学賞を受賞。この二人の関係も微妙で、ウォーレンは病理学の大家で、1979年から、この研究を続けていた。一方、マーシャルは14歳年下で、1981年に、研修医としてウォーレンのもとに行ったのだが、成り行きでこのピロリ菌の研究に参加する。



そうしているうちに1983年にピロリ菌を発見。さらに若いマーシャルは翌1984年に暴挙に出る。ピロリ菌を大量に飲み込み、胃炎になることを証明。科学の発展に犠牲はつきものだ。自分で菌を飲むとは、自分のこどもに種痘を打ったジェンナーよりも、いさぎよい態度だ。

その後、マーシャルだけは、明治乳業のLG21というヨーグルトのコマーシャルに登場。コンビ解消である。ただし、ウォーレンさんが別のメーカーと契約したわけではなさそうである。

アーツ&クラフツ(汐留ミュージアム)

2008-12-21 00:00:36 | 美術館・博物館・工芸品
アーツ&クラフツの二つの展覧会が開かれる。汐留ミュージアムで1月18日まで。東京都美術館で、その後開催されるようだが、入場料金の安い(500円)汐留の方に行く。



このアーツ&クラフツというのは、簡単にいうと、19世紀末から20世紀初にかけて、身の周りの生活用品が大量生産されるようになった初期段階に、その反動として、手作りのデザインを取り入れていこうという運動である。英国で始まり、米国に拡がる。そして、フランスでは、アール・ヌーボーに発展していき、日本では、アーツ&クラフツもアールヌーボーも、いずれも中途半端に終わった。

運動の中心人物は、ウィリアム・モリス(1834-1896)。そして日本でも有名なフランク・ロイド・ライト。



英国で活躍したモリスは、布や椅子という身の回りの品々が多く、比較的柔らかい線が特徴。アール・ヌーボーの原型と見た。フランク・ロイド・ライトは日本で帝国ホテルを設計したり、大がかりなものが多く、会場に展示することができないため、玄関のガラスドアのデザインが展示されていた。



日本でアーツ&クラフツもアールヌーボーも中途半端になった理由を少し考えてみたら、その時代(明治末期)は、ちょうど日本が苦しい時期で、国内に人があふれて海外に移住が始まったころだった。「生活に芸術」どころじゃなかったのだろう。




実は、学生の頃、ウィリアム・モリスを勉強したことがあり、彼のようなハンドクラフターなろうと思ったことがあった。が、周囲の理解が得られず、人生の方針を変更したのだ(と、ひとのせいにしてしまう)。

勝負服にこだわった棋士

2008-12-20 00:00:58 | しょうぎ
竜王戦7番勝負は、渡辺竜王が、●●●○○○○で防衛。7番勝負の後半は、毎週連続の対戦になり、ゴルフトーナメントみたいに調子が出てきた竜王が、そのまま走ってしまった。二週間おきというのなら、違った結果になったかもしれない。



全体をみて、「はっきりした悪手」が見あたらないシリーズで、むしろ、「気合」とか「粘り」といった古典的な要素が強く出ていたように思う。そういった、アナログ的な話の一つが、「勝負服」について。



以前、何回目かの竜王防衛パーティに行ったおり、渡辺竜王御用達の白滝呉服店の社長がスピーチの中で、「勝負羽織」の話を明かしていた。竜王お気に入りの一着がある、ということ。そして重要な一番では、この羽織を着用するらしいのだ。

羽織の柄については、まったくの門外漢なので、ここでは「虎斑」ということにしておく。本物の虎斑は最高級の駒の素材となるツゲ材の紋様であるが、そういうまだら柄である。



最終第7局が、まさにその虎斑羽織である。もちろん3勝3敗で迎えた最終局。勝つと負けるとでは数千万の差が出る。ここで出なけりゃいつ出ればいい、という当然の登場である。

そして気になったので、7番勝負の写真を念入りに見ていると、第3局でもこの勝負羽織が登場していた。その時は竜王2連敗。そして先手番の第3局。ここは絶対負けられない、と気合を入れたのだろう。

が、敗北。

その後、ずっとカド番が続いていて、勝負羽織はオクラ入りだったのだが、幸甚にも3勝3敗までこぎつける。二度目の登場になる。

もし、7局目に竜王が負けていたら、勝負羽織2連敗ということになり、たぶん、羽織は渡辺家から永久追放になったのだろう。あるいは別の棋士へのプレゼントか。振袖火事みたいな話だ。



さて、12月6日出題分の解答。

▲3六銀 △5四玉 ▲6四金 △4三玉 ▲5三金 △3四玉 ▲3三角成 △同玉 ▲4五銀まで9手詰。

空中詰めである。

二間右に寄せてもいいのだが、そうするとちょっとつまらない。




今週の問題は、ある種類の駒で玉を挟む形になる。手順はいたって平凡で、その「はさむ形」の意外性が主題である。

わかった、と思われた方は、コメント欄に最終手と手数を記入していただければ、正誤判断。

偏愛文学館(倉橋由美子著)

2008-12-19 06:38:47 | 書評
2005年7月に発表された彼女の文芸評論。その後、文庫化されたものを読む。

文芸評論といっても、小林秀雄や江藤淳みたいのではなく、ずばり「読書感想文」。その読書感想文の感想文をここに書いているのだから、妙だ。



読書というのは、一応、文化的な市民(と自覚している人)には、数ある趣味の中の一つに加えておかなければならないものの一つだが、結構、好き嫌いがはっきりする分野である。案外、小説などの場合でも、『ストーリー』の拙稚よりも、『文体』の好みという方が大きいように思っている。『文体』のよってくるところを書くと、いわゆる『文体論』の世界に入って、とんでもないことになるが、思い切って一言でいうと、『作家の体臭』みたいなものだろう。

よく有名人の離婚の原因に『性格の不一致』とか法律用語が使われるが、あれも本当は『体臭が鼻に合わない』というようなことではないかと想像できる。婚姻関係では、だからといって、すぐに離婚したりしないで、別のまっとうな事由が発生するまでじっと我慢するのだろうが、こと書物を手にする、という読書の第一歩について言えば、「嫌いな作家の本は読まない。だから書評もない。」ということだろう。まさに本著は、倉橋由美子が、自分の好きな本だけを取り上げているのだから、否定的な話は書かれていない。

ネガティブな酷評がなければ、面白くないじゃないかといえばそうでもなく、好きな本を列挙している中に、あちこちに、嫌いな作家や文豪への嘲笑が読み取れる地雷や毒汁が含まれている。

彼女に斬られた作家は、

石川淳=浅薄、夏目漱石=弟子にとりまかれた文豪などならず、大学教授になればよかった、カミュの異邦人=翻訳が格調高過ぎ、パトリシア・ハイスミス=容姿は怖いオバサン、日本には元作家で政治家になって、また元作家になった人が一人いる(?)、元大蔵省の役人で大作家になれたかもしれない人(MISHIMA?)。

作家という同業者のことを、こんなに侮辱的に書いてもいいのだろうか。こんなこと言っていたから、なかなか文学賞にありつけなかったのだろう、と思うのだが、後で考えれば、この本が上梓されたのが2005年7月。長く心臓の難病と戦っていた彼女はその一ヶ月前に69歳で他界している。晩年は、もう長編を書くことはなく、一冊ずつを人生のハードルのように跳んでいたようだ。

それにしても、そういう状況下で、『無人島に持って行きたい一冊』とか『5年に一回は読み返したい一冊』とか、そういう表現がよくできるなあ、というのが実感なのだが、初期の太宰より晩年の太宰に共感できるというのが、思わず表出した彼女の心の無念なのかな、と勝手に思うことにする。

本著で紹介された作品は以下のとおりだが、なぜかその多くは読んだことがある。もちろん、読んだものの、ほとんど覚えていないのだから、彼女がいうように5年毎に読み直せばいいのだが、読んでいない作品を手にすることからはじめようか、と、思っている。

◎夏目漱石『夢十夜』
◎森鴎外『灰燼/かのように』
◎岡本綺堂『半七捕物帳』
◎谷崎潤一郎『鍵・瘋癲老人日記』
◎上田秋成「雨月物語」「春雨物語」
◎中島敦『山月記 李陵』
◎宮部みゆき『火車』
◎杉浦日向子『百物語』
◎蒲松齢『聊斎志異』
◎『蘇東坡詩選』
◎トーマス・マン『魔の山』
◎『カフカ短篇集』
◎ジュリアン・グラック『アルゴールの城にて』
◎同『シルトの岸辺』
◎カミュ『異邦人』
◎コクトー『恐るべき子供たち』
◎ジュリアン・グリーン『アドリエンヌ・ムジュラ』
◎マルセル・シュオブ「架空の伝記」、ジョン・オーブリー「名士小伝」
◎サマセット・モーム『コスモポリタンズ』
◎ラヴゼイ『偽のデュー警部』
◎ジェーン・オースティン『高慢と偏見』
◎『サキ傑作集』
◎パトリシア・ハイスミス『太陽がいっぱい』
◎イーヴリン・ウォー「ピンフォールドの試練」
◎ジェフリー・アーチャー『めざせダウニング街10番地』
◎ロバート・ゴダード『リオノーラの肖像』
◎イーヴリン・ウォー『ブライツヘッドふたたび』
◎壺井栄『二十四の瞳』
◎川端康成『山の音』
◎太宰治『ヴィヨンの妻』
◎吉田健一『怪奇な話』
◎福永武彦『海市』
◎北杜夫『楡家の人びと』
◎澁澤龍彦『高丘親王航海記』
◎吉田健一『怪奇な話』

なお、この中で私のベストスリーを選べば(順番はないが)、『高丘親王航海記』 、『海市』、『恐るべき子供たち』だろうか。

いかカツ丼って・・

2008-12-18 06:48:36 | あじ
今年が創業50年になる定食チェーンの「大戸屋」の新メニュー。

どうも「新メニュー」ということばに弱い。別に注文しなくても、味について、大方の予想が可能なメニューを、つい頼んでしまった。

その名も、「いかカツ丼」。文字で書くうちは、そうでもないが注文を中国系の従業員に伝えようと発音すると、舌がもつれる。「いかかつどん」と発音すると、「か」が二重になっていて「いかかかかか」とかどもってしまう。「大岡山」ほどではないけど。560円である。



ついでに、ジャコおろし180円を注文。つごう740円。

この「いかカツ丼」だが、構造は簡単。ご飯の上にキャベツの千切りをまぶし、その上にいかフライを置き、ソースをタップリとかける。

要するに、最近、じわじわと人気上昇中の「ソースカツ丼」とほぼ同じ。ソースカツ丼はとんかつを使うが、いかカツ丼はイカフライを使う。トンカツとイカフライの好きな方を選べばいい。(個人的にはチキンカツを使うのが好きだ)

そして、味は・・・

まったく、想像通りである。

米国からギリシア経由で日本にきたアーモンド

2008-12-17 00:00:40 | あじ
イタリア・ワインには瓶詰めの「アーモンド入りオリーブ」というのが、私の食卓の方程式なのだが、しばらく切らしていた。ヴィーノ・ノヴェッロ(新酒)をまとめて買った店で、いつも注文していたのだが、11月に問い合わせたところ、「今、品切れで12月になったら入荷します」ということだった。



ところが、12月に問い合わせたら、「残念ながら、入荷しませんでした」と他人事のような冷たい言い方をされてしまった。来年はワインの注文先も考えなければならないだろう。

そして、ネット検索で「オリーブ アーモンド入り」を探すと、僅かに入手できる店舗があった。以前は、瓶詰め1ダースで5千円位で買っていたのだが、一瓶で1,000円くらいだ。見た目、内容量も少ないような気もする。とりあえず、3個だけ買ってみる。

そして、注文後、4日目に到着。

ギリシア産だった。イリダ(ILIDA)というブランド。そういえば、アテネ五輪の時には、日本でも、このオリーブ・アーモンド入りがミニ・ブームになっていたが、日本人は飽きやすい。というか、大して味もわからないのに、ブームに乗せられて動くから激減したボジョレ・ヌーボーみたいなことになる。その陰で、忘れられた食品が「アーモンド入りオリーブ」。



そして、瓶を見れば、オリーブはギリシア産だが、アーモンドは米国産。アーモンドをギリシアに輸入して、オリーブに詰めるのだろう。

いつも食べながら疑問に思うのは、どうやって、アーモンドをオリーブに詰めるのだろうということ。今回の瓶詰めは、比較的オリーブの外側にアーモンドが飛び出しているが、昨年までの製品は完全にオリーブの中にアーモンドが埋め込まれていた。詰めるタイミングはオリーブの種を抜き取る時だろうから、かなり大きなオリーブ粒にアーモンドを詰め、塩水に漬けると、アーモンドが収縮するのだろうか。


後日、気付いたのだが、「オリーブ アーモンド入り」で検索すると、ギリシア産が表示されが、「オリーブ アーモンド詰め」と検索すると、ギリシア産とトルコ産が表示されることがわかった。イタリア産とかスペイン産とかも現地にあるそうだが、どうしてこの互いに仲の悪い二国のものしか日本にこないのか、よくわからない。要は、日本ではあまりたくさん売れないから、イタリア・スペインといた高級品では割が合わないのだろう。

では、なぜ、チクワにチーズやキュウリを詰めるのが好きな日本人がこの製品をあまり食べないかだが、アーモンドをオリーブに押し込むのが、その形状からして、ピストルに弾を込めるようなイメージだから平和的国民の好みに合わないからだろうか。となると、わざわざ探し出してまで食べる人間は・・。