エリート対エリート。シビリアンコントロールは?

2008-02-29 00:00:18 | 市民A
イージス艦「あたご」と漁船「清徳丸」の衝突事故の件だが、特に、最近の動静について気になることがある。

まず、直接的原因からだが、あたご側が清徳丸の船影を見失っていたのは確かだろう。お互いに見張り不十分で、衝突寸前に清徳丸のみが相手船を視認し、回避行動(右転)をとったのが裏目に出て、横腹に乗り上げられた。あたご側のクルーの交代時間(4時)をはさんで、引継ぎがうまくいかなかったことが言われている。

が、詳しい人の話では、日本の軍艦は「どかない」と言われているそうなのだ。そして漁船も「どかない」。

漁船がどかないのは、漁船にぶつけると、後で大変面倒になるから相手船が避けるからだが、軍艦が避けないことについて、報道を見ているとよくわかったのだが、船橋には10人もいて、肉眼の見張(右舷と左舷)とレーダー係がいて、さらに操舵士に指示を出す上級士官(航海長とか)がいて、見張と士官の連絡要員の伝達係がいるとなれば、危険船をみつけても、舵が切られるまでには相当の時間が必要になる。

通常の商船だと船橋(ブリッジ)には二人がいて、肉眼やレーダーで見張りながら舵や速度を調整する。もちろん通常は自動操舵である。自動と言うのは、ある方向を特定し、まっすぐ航走させる機能である。見張っている本人が舵をとるから、情報伝達の時間はない。

おそらく、10人とは戦闘時の人員配置なのだろうか。そして、商船ならば、交替時間がきたからといって、さっさとタッチをして自室に戻ったりはしない。危険な状況であれば、危険がなくなるまでは、一緒に引継ぎを行う。今回の事件をみて、「やはり、自衛官は公務員だ」ということがよくわかる。

まだ、報道されていないのが、衝突した後の「あたご」の行動。救助活動は行ったのだろうか。


一方、今回の報道でかなり気になっているのが、マスコミが海上保安庁からの情報に操られていること。なぜか、海保が善玉で海自が悪玉みたいになっている。日頃の恨み晴らさんとばかり海保が張り切っているのだが、すでにかなり問題が起きているのが、イージス艦の情報が諸外国に漏れているということ。海保からの情報リークでかなり状況が公になっている。

しかし、本当にそれでいいのだろうか。イージス艦の運用的な情報は既に諸外国に漏れてしまっている。朝4時は乗員の交代時間である。6時は朝食である、衝突の後、船体が停止するまでの時間も公開されているようだ。

たとえば、近隣の国が日本にミサイルを落とそうと、発射しようというなら、交替時刻(4時・8時・12時…)前後を狙うだろう。また同時に漁船に偽装したゲリラ船を用意し日本海にいるはずのイージス艦に接近し、魚雷を発射するかもしれない。

そういうことがわかるわけだ。


海自側ではイージス艦の乗組員といえば、エリート中のエリートである。一方、海保側は三管といわれる第三管区海上保安部。この三管は本部を横浜に持つが、海保の中でもエリート中のエリートの職場である。海自バッシングの材料を次々と公開している。

そして、この海自と海保だが、どちらも日本の防衛を任されているのだが、まったく異なるパターンになっている。

たとえば、近隣諸国からの直接攻撃を受けるとなると、いくつかのパターンがある。まず自衛隊の役目は、基本はミサイル迎撃だろう。日本が攻撃されると安保条約上では、米国が参戦するのだから、日米連合軍となる。日米連合軍に本格的な陸上あるいは海上戦争を挑もうとするものがいるとは思えないのだから、やはりミサイル攻撃による奇襲だろう。こうなると、自衛隊以外には事実上、手に負えない。

一方、海保は危ない。すぐに発砲する。工作船を撃沈したことは有名だが、一歩間違えば、一発の銃弾が戦争を引き起こす例は世界に多数ある。海保にもシビリアンコントロールは必要と思われる。

それに、民主党も防衛大臣をクビにしようという気持ちはわかるが、むしろ「政権交代したら、この事件は再調査する」と言っておけばいい。隠蔽できないようにだ。防衛省の官僚や幕僚にとっては、大臣の首などまったく気にもしていないだろう。

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こぼれ話の先は?

2008-02-28 00:00:07 | 市民A
CNN JAPANのこぼれ話に『町違い』の話があった。

「ニューカッスルの混乱」、産業振興資金を別の町へ送金

ロンドン――英メディアは13日、同国地域・地方政府省が地場産業の振興資金約530万米ドル(約5億7200万円)を2年連続で「ニューカッスル違い」の自治体に送金していたと報じた。

本来は、イングランド北部の町、「ニューカッスル・アポン・タイン」に供与するはずだったが、間違って、別の町の「ニューカッスル・アンダー・ライム」に送金していた。

事務方の単純ミスが原因としている。同省は「遺憾なミス。直ぐに修正した」との声明を出した。

しかし、英紙デーリー・テレグラフによると、ニューカッスル・アンダー・ライム町は資金を返済することを拒否。町議は「地域ぐるみの産業振興が評価された結果と信じていた。返せない」と主張している。

なんとなく、単にアハハという話だが、少し考えると、いくつかの連想が浮かんでくる。

1.英国もバラマキをしているのだなあ。

2.しかし、竹下ふるさと創生事業は1億円だったのに5億7200万円とは豪勢だ。

3.しかし、ということは、5億7200万円の市とゼロ円の市があるということなのだろうか。落差が大きい。

4.仮に、どの町も少しずつはお流れをもらえるとするなら、このニューカッスル・アンダー・ライム町は二重受け取りしているのだろうか。

5.もらえなかったニューカッスル・アポン・タイン町は、2年間気付かなかったのだろうか。あるいは補助金は地元代議士がぶんどってくるものではなかったのだろうか。

しかし、こういうのは、まったくの『ごっつぁんマネー』だ。実は、かなり前だが10人で会費6000円の飲み会幹事をしたことがある、自分を含め10人から6000円ずつを現金で回収したあと、カードで決済した。

あまり有名なカードではなかったが、その後すぐに、その宴会のお店はつぶれてしまったわけだ。まさかと思ったが、いつまでたっても、本当に請求されないことになったわけだ。これぞ『ごっつぁん』。そういえばちゃんこ屋だった。

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ジャガイモを食む(はむ)

2008-02-27 00:00:11 | あじ
葉物野菜が高騰しているので、ジャガイモを食べることにして大量に買ってくる(要するに中国野菜が市場から減少して国産野菜が品薄で高騰してきたということらしい)。男爵・メイクィーンは普通品種だが、サラダ用にということで、別途新種3点セット購入。『アンデス・レッド』、『インカのめざめ』、『つがる小雪』。



三種まとめて、ゆでてからサラダにすると、『アンデス・レッド』はややコリコリ感があり、さっぱりとした味で、サラダ向きかもしれない。『インカのめざめ』は味が強く、これが一番旨味系かもしれない(もちろん好き好きだ)。『つがる小雪』は、あっさり素朴な味だが、大量に主食で食べるなら癖が無くていい。一番柔らかいので、煮物にすると煮崩れる可能性がありそうだ。

ところで、新種のネーミングにアンデスとかインカとついているが、ジャガイモの原産は南米と言われ、コロンブスの船団が新大陸から持ち出したと言われる。トマトも同様だ。日本に来たのはオランダ領インドネシアからで1600年代と言われる。日本に伝わった頃には「鑑賞用の植物」ということになっていたそうだ。これもトマトと同じだ。流入ルートがジャカルタ経由だったのでジャガイモになったのだろうが、今考えると、そんな南洋でジャガイモを大掛かりに栽培していたとは思えないから不思議な話である。

一方、以前、千葉市の幕張というところに住んでいたことがあり、その駅のそばに昆陽神社というのがあった。ちょっとした丘に神社と記念碑があった。江戸時代の農学者である青木昆陽がサツマイモの栽培実験を行った記念の地である。(最近までは、地元小学生の遊び場となっていて、地元に住んでいた椎名誠も神社で遊ぶのが大好きだったと述懐している。が、超最近、道路財源の餌食になった。)サツマイモの栽培は特に水田の作りにくい関東の畑地でも安定した収穫を期待できるという目的であり、実験は成功し、千葉はサツマイモの産地にもなっている。

ところが、同じ芋でも寒冷地向きのジャガイモはどうだっただろう。ドイツは今ではポテト王国だが、寒冷地の有効利用ということで、国王自らが毎日ジャガイモを食べ、国民に栽培を奨励したそうだ。

実は、数年前、青森県に行き、弘前から五所川原、そして太宰治の故郷である金木を訪れたのだが、津軽半島の突先である龍飛崎から弘前に至る国道339号線は、天候不順により飢饉の年は餓死街道といわれる凄惨な状況になっていたとの記録があるそうだ。なぜ、津軽藩は米作のみならず馬鈴薯作に挑まなかったのか。私は、単に藩主の無能さではないかと思っている(誤解かもしれないが)。

津軽小雪食みて哀しき
太宰読みさらに哀しき

ところで、ジャガイモというのは最下層の主食ともいわれ、豊作になると価格が暴落するのと同時に、家計に余裕が生じ、ジャガイモ以外の高級食材(例えばベーコンとか)に需要が逃げていき、さらに価格が下がるという経済学用語で言うギッフェン財として知られている。半導体みたいな話である。

ロス疑惑を構成する三つの事件

2008-02-26 00:00:51 | 市民A
テレビ局が、保管倉庫から古いビデオを取り寄せて勉強会を始めたのと同様に、古い記憶をネット情報で補完してみる。時代を経てこの事件を回想すると、主に三つの事件から構成されていることがわかる。



1.ジェーン・ドゥ88事件
 1979年5月、ロス郊外でミイラ化した東洋系の女性の死体が発見される。

 1984年、「疑惑の銃弾」として文春が公開した情報で大騒ぎになった過程で、この死体が白石千鶴子さんであることが判明。白石さんは、三浦氏が社長をしていた宝飾店「フルハムロード」の取締役になった後、1977年に失踪。白石さんの口座から三浦氏は現金を引き出していた、とされる。

 この事件は今のところ、迷宮入り。

2.一美さん殴打事件(殺人未遂)
 1981年8月、ロス市内のホテルニューオータニに三浦氏と妻の一美さんが宿泊中、三浦氏がロビーで雑談中に、東洋系の女性が袋に入ったハンマーで一美さんを襲撃し、傷を負わせている。

 後に、三浦氏と交際中のポルノ女優Yが自首。
 
 この事件のみが有罪になり、殺人未遂として、Yは2年6ヶ月、三浦氏は6年の実刑を受ける。

3.ロス銃撃事件
 1981年11月、ロス郊外の駐車場で二人組の男が三浦夫妻を銃撃、一美さんの頭部を撃ったあと三浦氏の足を撃ち、1200ドルを奪い逃走。三浦氏は軽傷だったが、一美さんは意識不明の重体となる。その後、日本搬送後、伊勢原の東海大学病院で治療を続けるも1年後に亡くなる。

 その約1年後、1984年1月、文春が「疑惑の銃弾」キャンペーンを張り、三浦氏が一美さんに掛けていた保険金が1億5500万円になることを報道。悲劇の主人公が一転、疑惑の主人公に変わっていく。

 そして、日米捜査当局やマスコミ各社の捜査により、1988年、事件後9年、三浦氏と実行犯として駐車場経営者のO氏が逮捕される。そして裁判。

 1994年3月、東京地裁はO氏は証拠不十分で無罪、三浦氏は実行犯不詳としながら無期懲役の判決を下す。

 しかし、1998年、東京高裁は、実行犯とされる「氏名不詳者」と三浦氏の接点を見つけることは困難、として三浦氏に無罪判決(O氏にも無罪判決)。

 2003年5月、最高裁で無罪確定。


今回の、米国側による逮捕は、新たな証拠の発見によるものと考えられている。特にDNA捜査によって明らかになる新事実により、過去の未解決事件を次々に明らかにしているそうだ。

しかし、ロス銃撃事件について言えば、二人いたという共犯者の一人または二人が特定され、その人物の証言が得られたのだろうか。

あるいは、DNA鑑定で立件されるのは、第一の事件「ジェーン・ドゥ88」の事件の方ではないか、とも思えるのである。


後記1
当時の事件簿などを見ているうちに思い出したのだが、当時、同種の保険金関係の事件が3件あった。

「ロス銃撃事件」「モルジブ疑惑」「石垣島トリカブト殺人事件」

このうち、「モルジブ疑惑」は立件できず。「トリカブト」は有罪が確定し、無期懲役(亡くなった三人の妻のうち、最後の一件が立件)。実は、石垣島に行った際、事件のあった高級リゾートビラ「フサキリゾート」に泊まったのだが、事件以降、リゾート客が減少し、地元も高校生がモーテル代わりに利用しているとの話だった。


後記2
このエントリを書いていて思い出したのだが、きょう、管理している出資会社の経理担当役員から「社長が業務上亡くなった時のため、労災代わりに保険を掛けるから」と報告があった。受取人を聞くのを忘れていたので、明日確認しなければ。それで間に合えばの話だが。

アイムソリー法

2008-02-25 00:00:02 | 市民A
『Excuse me』と『I'm sorry』。似ているのか、似て非なるものなのか。これは難しい問題である。エレベーターの中で後ろの人の靴を踏んだ場合、たいていはExcuse meだろう。誰かに押されて、自然と足を踏んでしまったという感じだ。しかし、踏んだ足がイメルダ夫人で、100万円の靴だったらそうはいかないかもしれない。いや、それこそ『I'm sorry』とは言えないかもしれない。また、止まっている車に後ろから追突して、『Excuse me』というのも難しい。

要するにsorryというと自分に非があるように思われるので、後々法廷闘争になると不利になるということが、頭に反射的に浮かんでくるわけだ。実は、『Excuse meとI'm sorry』と検索サイトで調べると、その用例の差が色々と書かれている。

おおざっぱに言うと、「Excuse me=すみません」「I'm sorry=ごめんなさい」という感じで、発言する側からすると、謝罪の気持ちがあるかどうかということになる。

客観的には、偶然的なできごとで、自分に非がないのに迷惑をかけたらExcuse me で、自分が悪ければI'm sorryというわけだ。

また、もっと徹底して、100%自分に非がある場合のみ、I'm sorryと言う、という意見もある。しかし、100%というのはなかなか考えにくいので、どんな悪人でも法廷に出てくれば、「社会が悪い」とか「こどもの時の環境が・・」「会社でいじめられて・・・」「日頃から体調が悪く・・・」「もともと二重人格で、もう一人の私が犯罪を・・」というように、情状酌量を狙って、『100%悪いわけではない』、という言い訳が登場する。

そして、問題は世界最高の法治国家である米国の話。最近、アイムソリー法というのが多くの州(29の州、4つの州は検討中)で成立しているそうである(ミレア損保情報誌より。原典は07年4月30日、ナショナル・ロー・ジャーナル)。これはアイムソリーを言ったものを捕まえるための法律ではなく、まったく逆の話。そして適用範囲は医療過誤訴訟のこと。

どういうことかと言うと、患者が不幸にして手術(治療)中に亡くなった場合など、遺族に対して、思わず「I'm sorry」とsorryの本来の意味である哀悼の念を伝えたりすると、そのアイムソリーを逆手に取られて、裁判で高額補償を求められたりするので、現在は、めったなことではsorryと言わないわけだ。(かわりに、どういうのかよくわからない。”He was dead.”とか言うのかな。これでは、手術前から死んでいるような感じだ。)

そして、実際には、医者がソリーと言わないがために遺族が感情的になって、訴訟が多発する原因になっているそうだ。

そのため、アイムソリー法では、アイムソリーと言っても、それが証拠にはならない、という法律なのだそうだ。

要するに被告側(医師)に有利な法律ということで、原告側(遺族)が反対している点は、

 1.もともと、アイムソリーだけでは勝てるわけない。証拠が必要なのだから。
 2.アイムソリーの後に続いて出た医師の発言まで証拠能力がなくなるのはおかしい。
 3.アイムソリーで原告の勝率が高い、ということは証明されていない。
 4.陪審員への印象はアイムソリーと言っておいた方が良いのではないか。

ということだそうだ。

しかし、いずれにしても米国では、医療過誤訴訟のほとんどは医師側の勝利に終わっている、というのが事実だそうだ。


本当のアイムソリーの念は、実際に冒した医療ミスを、腕利き弁護士の活躍によって勝訴で乗り切った後、医師の心の中に、つかの間わき上がって消えていく悔悟の一瞬だけなのかもしれない。

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国吉康雄の魅力

2008-02-24 00:00:54 | 美術館・博物館・工芸品
8c567796.jpg国吉康雄は日本人なのか米国人なのか。芸術に国籍はないのだから、どちらでもいいのだろうか。本来、画家という職業に国籍なぞ、どうでもいいはず。

しかし、思いのままにならない彼の芸術家人生は、二つの祖国の間で揺れ動いていく。世界のどこにも根のない、文字通りなんら根拠のない国吉康雄という岡山で生まれた子供が、米国を代表する画家となるまでのことが、おぼろげに見えてきたのが「国吉康雄展」。東京竹橋の国立近代美術館で3月20日まで。常設展の料金の内数なので。

実は、展覧会をみてから、少し調べ始めたので、さわりだけなのだが、ロートレックに似ていたり、フジタに似ていたり、シャガールのようでもある。その誰よりも色彩は落ちついている。抽象画のようで具象的。ピカソのようでもある。彼の芸術は、どこからきたのか。

1889年(明治22年)、国吉康雄は岡山市出石町に生まれる。出生の地には記念碑があるらしい。両親は比較的豊かだったが、どうも康雄が生まれてからは貧乏になったらしい。岡山の工業系の学校に17歳まで通ったあと、中退する。そして、突如、米国へ移民の旅に出たのである。1906年。ヴァンクーヴァーからシアトルへ、そしてロス・アンジェルスに彼は流れていく。工事現場の土木作業員や靴磨き、そしてレストランの皿洗いなど、典型的な日系移民の姿だった。特筆すべきは年齢を13歳と偽っていたことだ。

8c567796.jpgこれらの彼の画家になる前の歴史は本人はまったく公の席では話したことがなく、後に(1919年)結婚し、やがて離婚した妻キャサリンの証言によるそうである。こども時代のことには話したくないことが多かったのだろうから、妻も多くは知らないのだろうか。(もちろん、私もまだよく把握していない)

そして、彼は4年間のロスでの生活の中で、「画家になろう」と固い決意を持つ。そして、当時、米国の唯一の国際都市だったニューヨークへ向かう。ナショナル・アカデミーという美術学校に入り、腕を磨いていくわけだ。そして、一気に省略してしまえば、いいスポンサーにめぐり合い、さらにパリに留学し、米国に戻りついに1922年に個展を開催。その後、フランスと米国で画家活動を続けるが当時の米国はバブル景気のさなか。そのため、芸術家も景気がよかったようだ。そして運命の1929年10月24日からの大恐慌が始まったわけだ。

ニューヨークは成金の町から一年後には浮浪者の町にかわるのだが、幸い国吉は株はやっていなかったようだ。彼の絵画に投資していた人はいたようだ。

1930年代に4ヶ月だけ日本に戻ったことがあったようで、親友のフジタから右傾化した日本での言動についてアドバイスをもらったりしているようだ。日本は、まったく水に合わず逃げるようにニューヨークへ戻る。

その後、第二次大戦となり、西海岸の日系人が収容所に送られる中、東海岸の日系人は、なんとか手を回して収容を免れていたようだ。同じ米国邦人芸術家協会仲間のイサム・ノグチは収容所から脱出するのに多くの苦難を強いられた。この苦い体験は彼を日本だけでなく米国までも嫌いにさせたようだ。亡くなった1953年の直前まで、彼は米国国籍を申請しなかった。法的には日本人でありながら米国を代表する大画家になった彼の人生を思うと、心が痛くなる。

8c567796.jpgそして、絵画についての話だが、彼の絵画の多くが研究されていないのをいいことに、勝手に書けば、ユダヤ系の妻キャサリンから、多大なスピリットの影響を受けていると思う。絵画の中の物語性、神秘性。背景にうっすら描かれる影に潜むさまざまな謎。シャガールも同じ線上だ(国吉の方が先だ)。きっちり輪郭を黒い線で描くのはパリ時代にフジタと影響し合ったのだろう。

そして、シャガール絵画のベースカラーが深い青であるのに対し、国吉絵画のベースカラーは薄い陶土色である。私は、国吉の出自など知ることなく彼の絵画を観たのだが、一瞬、関東にはない西日本の土の色のようだ、と感じたのだが、後に彼が岡山出身ということで、納得した。まさに薄茶色の岡山の土の色が、彼の絵画を支配しているベースカラーになっているのではないだろうか。


さらに、日米両国の間にまたがる不幸に翻弄された彼の絵画は、没後ふたたび不幸な状態に陥っていく。日本人コレクターの存在である。彼自身は日本が嫌いだったのに間違いないはずだが、1980年代の日本人コレクターは彼の絵画が大好きになってしまったわけだ。そのため、本来、米国人画家になり切ったはずの彼の作品が大量に日本に流れていったわけだ。そして秘蔵されてしまう。そうなると、芸術家としての評価も立たないし、優れた作品も世間から消えていってしまうわけだ。

しかし、その所在のほとんどはある個人というか法人の元に集まっていたことがわかる。岡山に本拠地をおく福武書店。今はベネッセ・コーポレーションである。こういうコレクションの多くと同じように、ついに個人所有の手を離れ、現在は岡山県立美術館に移管された、ということだそうだ。そのうち多くは、近代美術館に出張中なのだろうから、その後、時期をみて、岡山に行ってみようと思うわけだ。

それまでに、もう少し、彼の個人史の謎をうめられたらいいのだが。

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順位戦最終局

2008-02-23 00:00:00 | しょうぎ
b4e7c3cf.jpg3月になると、将棋棋士の頭の中は順位戦でいっぱいになる、ということを聞いたことがある。まあ、わからないでもないが、実際にリーグ戦は1年を通し、ほぼ月1局のペースで行われるので、3月の1勝も6月の1勝と代わる訳でもない。第一、自分の目前の試合に全力を出すというだけであって、それ以外のことをするというのでは『疑惑の構造』ということになる。が、長く同じリーグにいるには、付合いが大切という声もあるのだろうか。まあ、そういうこともないのだろう。

スケジュールによれば、3月3日がA級、4日がC2級、7日がB2級、11日がC1級、14日がB1級。その他奨励会が10日、女流育成会がすべての最後で3月16日である。

A級最終日は、例年、NHK衛星放送で生中継されるのだが、多くの場合、相撲中継とか国会中継の犠牲になって深夜だけになったりする。今年は、相撲はないようだが、暫定税率問題で国会紛糾は間違いないところなので、朝と深夜だけの放送になるかもしれない。解説者にとっては、終わった将棋を並べてみせるだけという「おいしいお仕事」になるのかもしれない。深夜にやっとテレビを観ると、贔屓棋士が負けていて、さらにガソリン代も下がらないという結果になっていても怒らないことだ。

そして、このA級順位戦の解説陣というのも選定が難しい。強い人気棋士の大部分が仕事中だからだ。となると、まず「森内名人」が当確。そして、B1組はまだ最終戦が残っているので、気楽な人がいるかどうかだが、早々と昇級を決めた「深浦・鈴木」両八段。そして、最終局が意味の少ない「渡辺竜王」ということになる。女流棋士の方は、いつものようにややこしいのだろう。

そして、全クラスを俯瞰すると、いくつかの個人的興味はあるが、それは別として、A級のこと。今年度序盤は白星組と黒星組が二つに分かれて互いに独走を続けるという、意外な展開になり、特に谷川・佐藤という強豪がそろって陥落方向に向っていた時には、将棋ファンの誰しもに不吉な思いがあったのではないだろうか。

まず挑戦権の方だが、羽生二冠が7勝1敗、三浦八段が6勝2敗。羽生二冠が負け、三浦八段が勝つと決定戦に持ち込まれるのだが、今年度の勝率が7割2分の方が2連敗する率と5割2分の方が2連勝する率を考えると、おそらく・・

問題は、降級の方で、既に1勝7敗の行方八段の降級が決まっているが、2勝6敗で並ぶ佐藤九段と久保八段の争いになっている。しかし、順位の関係で同星(互いに勝ちあるいは互いに負け)の場合は順位下位の久保八段が降級することになる。「これが順位戦だ。」ということなのだが、もう少し遡ってみると、例えば、昨年の結果を見ると、両者ともに最終的に4勝5敗だった。つまり現在の順位が決まったのは、さらにその前の年(2年前)に遡るわけだ。その時、順位3位だった久保八段が3勝6敗。順位4位だった佐藤九段が5勝4敗ということで、順位が入れ替わっている。2勝差ではあるが、その年の第6局の佐藤×久保戦で、久保勝ちであれば、最終的に両者4勝5敗ということになって、今の順位が逆になっていたはずだ。

しかし、実は、昨年の順位戦第6局の郷田×久保戦の方が問題だったかもしれない。時間切れ疑惑である。対局中の郷田九段の指し手が「時間切れだったのではないか」というクレームが終局直前に久保八段から提起され、深夜、中原副会長の電話ジャッジメントにより、「対局進行後のクレームは無効」という解釈が出た(中原副会長は深夜に自宅にいたのだろうか?という点も興味があったのだが)。

その後、記録係の奨励会員には、秒読みは公正に、「1、2、3・・・9、10」と遠慮しないで「10」ということ、というお触れが出たそうだが、いまだ、その効果はない(というかあるというか)ようだ。

ところで、前半不調で、やっと第9回戦で残留を決めた谷川九段だが、ごく一部で、「降級したら去就は?」というような話題があった。もちろん、そういう事態ではないので、話題は発展しないで終わったのだが、いまさらながらの私の観測では、もし降級したら、その年、あるいは翌年に復帰できなければ「フリークラス」または「引退」したのではないだろうかと想像している。

それは、別に連盟会長を狙うとかいう意味ではない(そちらの方はもう一人の関西系大物も意欲があるようだし・・)。私が想像するに、谷川さんは、著書の中でもかなり羽生さんのことを意識していると見ている。”いずれ羽生さんが同じ立場になった場合、たぶん引退するだろうな”と予測し、先んずる自分の進退を決めるのではないだろうか、というのが私の推測である。もちろん、もう1度、2度と名人戦の盤上で羽生×谷川戦を堪能したいので、そういうことが起きないことを祈るだけなのであるが。

b4e7c3cf.jpgさて、2月9日出題作の解答。

▲3九飛 △2八玉 ▲2九金 △1七玉 ▲1九香 △2七玉 ▲1八金 △1六玉(途中図1) ▲2八金まで9手詰

b4e7c3cf.jpg飲み屋の将棋大会に顔を出して、この問題を出題したところ、だいたい同じ思考パターンをたどるようだ。

まず、▲1八飛 △2九玉 ▲2八金 △3九玉 ▲3八金 △4九玉・・・▲9八金 △8九玉(失敗図1) ▲8八飛成(反則)まで。

次に、▲3九飛 △2八玉 ▲2九金 △1七玉に▲1八香と香をダイレクトに打ち失敗するパターン。さらに正解と同様のコースで途中図の一手詰を見落とし、▲1七金以下、飛車を入手する(失敗図2)。

なお、攻め方2七桂はなくてもいいのだが、6手目に中合いの場合、金の前進で詰むようになっている。そのため、最終手の金開きが読みにくいのかもしれない。





b4e7c3cf.jpg今週の出題は、『日めくりカレンダー』2月19日に掲載されている問題。

わざわざ、難易度の低い問題を投稿したのに、中には、わざわざ難易度の高い問題を出題された方もいる。日めくりなのだから、一日の最初に、解けて嬉しいという気持ちが持てるような問題にしている。

コメント欄に最終手と手数と酷評いただければ正誤判断。






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シージャックされかねないイージス艦

2008-02-22 00:00:43 | 市民A
イージス艦『あたご』は、なぜ事故回避できなかったか。



日本は以前、海洋王国だった。今は違う。そのため、元船員の多くは陸上に上がり、職種替えをしている。そのため、今回の事故についても、大方の予想をつけている方が多い。もちろん情報は、真偽不明のまま、意図的にリークされたり隠されたりしているが、大破した清徳丸に二隻の僚船がいて、正確な位置関係が明らかになるにつれ、海自が当初公表した事実の矛盾が表面に浮かんできた。視認時期も当初衝突した04時07分の2分前と言っていたのが12分前というように変わっている。

誰しも400キロも上空のミサイルを捕らえる能力のあるイージス艦に、電子的な航行記録がないなどとは信じないだろうし、場合によっては船橋(せんきょう)内の会話の録音も残っているのではないだろうか、とも思うわけだ。



そこで、実際に、過去に航海士だった二人の方に、事故のポイントを聞いてみた。

1.現場までの航路が遠因ではないか
 『あたご』はハワイ沖から横須賀に向かっていたのだが、最短コースの場合、かなり北回りのコースをとるはず。遊び半分で暖かい南側のコースをゆっくり走っていたのではないか(想像)。日数もかかり、燃料も多く必要になる。そして、ずっと暖かい海にいて、急に2日ほど前から北上を始め、冬の海域に入ったため、注意散漫だったのではないか。

2.船橋内に10人もいたこと
 通常の商船では見張りは2人。狭い海峡とか通過する際は臨時に3人。10人とは多すぎる。360度監視するとすると、一人の受け持ちは36度ということだが、人間の視界とはまったく異なる。夜間はレーダー監視が基本なので、多くても意味がない。また報道を見ると、見張りの者は、何か発見した場合、操舵管を持った士官に報告し、士官が舵を切ることになっていたそうだが、緊急の場合に船橋内でそんなことしていたら間に合わない。

3.視認時刻の差には大きな問題が隠れている
 当初事故発生時間04時07分の2分前(04時05分)に視認した、といっていたが12分前(つまり03時55分)に視認したように変わってきた。しかし、そうなると、大きな問題がある。『あたご』では10人ずつ3チーム(つまり計30人)にわけ、4時間毎に操船を交替していた。0時から4時、4時から8時、8時から12時・・・と一日を6つに刻み、4時間交替。となると、最初に視認した3時55分というのは前のチームの見張りが見つけた時間である。となると、交替時に紙や口頭でその船の存在の引継ぎを行うか、あるいはその当該船を交わすまでは前チームが受け持つのが普通である。引継ぎが行われていなかったのではないだろうか。

4.なぜ10ノットだったか
 本当に10ノット(時速約18.5キロ)かどうかも、GPSの調査で判明するだろうが、遅すぎる。軍艦の性能は不明だがおそらく30ノット(約55キロ)は軽くでるだろうと思うわけだ。ではなぜ10ノットか?一つの理由は、本当は10ノットではないという可能性がある。これも科学的調査で判明するだろう。もう一つは『時間調整説』。いずれにしても2~3時間程度で横須賀到着ということで、6時に朝食の予定だったそうだ。朝食のあと、横須賀入港で下船?こうなると、交替した前のチームは、各人、下船準備のために私物をスーツケースに詰めたりするためあわただしく、引き継ぎもおろそかにしたのではないだろうか。また事故の7分前に交替勤務に入った10人は、明るい部屋で荷造りをした直後に当直に入り、暗い海に目が慣れていない状態だったのではないだろうか。いくつかの商船会社は引継ぎ5分前昇橋を実施している。

5.軍艦は避航しないもの
 そもそも、軍艦は衝突を避けたりしないもの、というのが相場になっているようだ。軍艦が近づくと、民間船の方が避けるそうだ。今回は清徳丸が『あたご』に気付くのが遅れたために接近してしまったが、要は軍艦は操船が下手だ、ということ。実際に第二次世界大戦中は多くの民間船が民間船員ごと徴用され、軍人を乗せたまま多くが撃沈されている。軍人の多くは民間人を船に残したまま、先に救命ボートで逃げたため、戦死者の比率は圧倒的に民間人側に多く、その割、千代田区の神社には祀られない。

6.事故直後、適正な対応だったか
 説明では、事故の1分前に後進(アスターン)に切り替えたが、減速が間に合わなかった、とされる。後進というのも、プロペラを逆回転させる方法と、回転はそのままで複数の舵を組み合わせる方法があるが、いずれにしても事故後はプロペラに人が巻き込まれないように回転を止めてしまう。そして船上にある救命具などをぼんぼんと海に放り投げ、遭難者がとりあえずつかめるようにし、一旦現場から離れたあと、向きを変えて戻ってくる。どうも、この救命具をつかった形跡はないし、なにしろ船はすぐに横須賀に向かったのである。

7.無保険と思えるが・・
 例えば、連日捜索を行っている漁協の船60隻なども、ただではないわけだ。休業保障で大きな金額をいわれる可能性がある。もちろん軍艦を加盟させてくれる保険会社があるとは思えない。今後、全額、国家負担となるだろう。

8.海賊船が現れていたらどうなるか
 当初、小さな船がすぐ近くに接近したらレーダーで見えないというような話があったが、もともと、レーダーは2台以上はあるはず。ロングレンジとショートレンジの二種に使っていればいいはずだ。それに、戦闘に入ったり、海賊が現れたりした場合、多くは高速の舟艇で近づいてから攻撃するはずである。接近してきても、『気付かない』では、遠からずイージス艦そのものをミサイルともどもシージャックされる可能性すら感じるのである。

江戸管理社会反骨者列伝(童門冬二著)

2008-02-21 00:00:32 | 書評
この本がおもしろい。ぜんぜん歴史を書いたようには思えない。江戸時代はまったくの管理社会だったのだが、その中で個性を発揮した変わり者たちの人生と、彼らをとりまく当時の社会をリアリティをもって描いた、と書くと大豪のようだが、少し違う。ちょっと書き過ぎというか、若干の誇張をもって書いている。なぜなら、著者の童門冬二は歴史学者ではなく、歴史家だからだ。そう、ローマを描く塩野七生と同業というわけだ。



実際、勝海舟と山岡鉄舟、西郷隆盛の絡みなど、ちょっと違うんじゃないのかなあ、という部分もあるが、まあ、「語るに勢い」というものだろう。登場する人物は、大久保長安、堀主水、大久保彦左衛門、中根正森、新井白石、松平定信、大塩平八郎、林子平、間宮林蔵、遠山金四郎、調所広郷、三舟(海舟、鉄舟、泥舟)、原市之進、徳川慶喜。

大別すると、時代の変化についていけなかったタイプ(大久保彦左衛門のように家康に仕えていて、後に嫌われ者となる人たち)、単に頑固者(新井白石他)、自信過剰(大塩平八郎など)、利己主義者(間宮、勝、慶喜など)。

この中で、童門氏がもっとも評価を高く書いているのが、「遠山金四郎」。町奉行だ。次に「調所広郷」。日本一の貧乏藩だった薩摩藩の財政再建に取り組む。逆に最低評価が徳川慶喜。上司としては最低男と評している。勝の評価も低い。だいたい、江戸町民の気持ちは、城を枕に戦うことだったのに、肝心の武士の方が腰抜けだった、と手厳しい。(まあ、150年も経てば、なんでも好きなことがいえるから)。

この本がおもしろいのは、人物評価を一人ずつ行っていることで、まあ、章によっては、気に食わない部分もあるが、それはそれで、痛快に斬っている人物もいる。実際、彼が高得点を与えている、遠山の金さんと調所広郷については、それほど知っているわけでもないので、そのうち調べてみようと言う気を起こさせる。

ところで、この童門氏が本格的に文筆活動を始めたのは50を超えてからということで、その以前は東京都庁の重職についていたそうだ。実際、管理社会を守るのがリアルな仕事だったのに、反骨者列伝を書くことが、面白すぎる皮肉だ。

また、別の興味を呼び起こしたのが、林子平の書いた「海国兵談」という奇書だが、幕府の禁にもかかわらず、多くの知識人が隠れ読んだ、幕末騒乱のバックボーンの一冊なのだが、本書によれば、刷られた冊数は、わずか30冊。コストは208両。一両10万円とすると、30冊で2000万円の自費出版ということになる。原本30冊の行方はどうなっているのだろう。

と、書いてから気になり、日本の古本屋というサイトで検索すると、嘉永4年版というのが何冊も売られていて、全十巻で25万円程度。ちょっと安いので30冊のものとは異なるだろう。

経済産業事務次官の思惑は・・

2008-02-20 00:00:57 | 市民A
経産省次官が、デイトレーダーのことを競馬・競輪をやめて市場に来た、という趣旨の発言をしたことを今さら批判しても出し遅れの証文みたいなので、たまたま現在発売中の雑誌『財界』に北畑隆生次官の意見記事があったので読んでみたのだが、まあ、偉大な勘違いという気がした。(財界の表紙に登場しているのは任天堂の方であり、次官とは無関係)



実は、ギャンブラー発言の時の講演も、テーマが「会社は株主のものか?」ということだったそうだが、それについて彼の意見が詳しく書かれている。といっても別に新しい考え方ではなく、普通の経営学の本によく書かれていること。

要約すると、法律上は会社は株主のものとなっているが、労働者を含めて会社を丸ごと買い、解体して転売するというようなことについて、所有者は責任があるはずだ。経営者や労働者は30年以上会社と運命をともにしているのだから、会社は、株主・経営者・労働者・取引先といったステークホルダーのものである。ということが書かれている。

実は、この考え方は一般に「ステークホルダー・キャピタリズム」と言われ、大陸系のドイツ・フランス的考え方で、英米系の考え方である「シェアホルダー・キャピタリズム」とよく対比されるわけだ。日本は従来はもっと関係者多数のステークホルダー・キャピタリズムに陥っていて、前述の株主・経営者・労働者・取引先に加え、銀行、労働組合、各種役所、OB会とかそれぞれ相矛盾する関係者に取り囲まれ、にっちもさっちも行かなくなり、例えば日産自動車やカネボウみたいになってしまったわけだ。

それと、「会社を買ってから解体して切り売りする」ことを否と言いたいようだが、日本の産業全体が数十年にわたって相似形で拡大したならばともかく、成長分野や衰退分野があって経営資源の移転を行いながら会社経営が行われているわけで、廃れた産業分野を整理するのは当然であるだろう。さらに、次官ともあろうものが、「経営者と労働者」という言い方をすること自体、違和感があるわけで、労働者と話したこともないだろうし、どうしてその気持ちがわかるのだろうと言わざるを得ない。ダメ経営者を冠する企業の従業員であれば、『外人経営者の方がいい』と言う声も聞こえるだろう。

そもそも英米系が嫌いなようだが、日本の産業構造はまさに米国的であり、ありとあらゆる分野に展開しているわけである。欧州ではEU化が進むにつれ、国別分業化に向かっているようだが、日本がそうなるかどうかよくわからないが、少なくても日中韓台分業構想などに賛成する人はいないだろう。つまり英米系と大陸系の中間より英米系に近いところにスタンスを置くしかないのである。

さらに言えば、いまや経産省は補助金をばらまくこと以外に目的があいまいな役所になってしまったのだが、一見好調に見える日本企業の業績も、連結決算で海外子会社の利益によるものが多く、結局、日本の本体企業の従業員の賃金に回す必然性がない、ということになるわけだ。


さて、北畑氏は『財界』の中で、日本は代替エネルギー開発で世界に貢献できるはず、と書き、石炭液化技術は原油価格40~50ドルで採算に合い、カナダのオイルサンドは60ドルで採算に合う。原油価格が90~100ドルというのは投機マネーに押し上げられていて、実際は60ドル以下が適正であると言い続けている。と書いてある。

しかし、60ドルの時期はあっという間に終わり、40ドルからいきなり80ドルくらいになったわけだ。60ドルが妥当なんて意見は聞いたことがないのだが、本当にいい続けていたのだろうか。さらに、実際、投機マネーではなく実需として90ドル以上の原油がどんどん売れているわけで、「ガソリン値下げ」というようなことを言う先進国はない。日本が貧乏になったというだけのことと考えた方がいい。なにしろ15年ももたもたしているわけだ。

さらに、石炭が40ドル(たぶん原油換算で、という意味だろうが)というようなことはありえないのであり、原油価格に連動して、石炭や天然ガス、さらにウラニウムの価格なども上昇していくのは間違いないところである。エネルギーの世界には、カロリーパリティという概念があって、同一カロリーを得るための燃料価格は均衡していくという考え方である。だいたい、日本国内でも石炭液化など行われていないのにどうして他国で協力できるはず、などと考えるのだろうか???


ところで、この次官は何年か前に、定年退官後はスペインに移住して余生を楽しみたい、という意味のことを言われたそうなのだが、スペインに住む、というのは、主に2パターンである。一つは、マドリードかバルセロナといった都会に住んで、「闘牛」と「オペラ」と「サッカー」にのめり込むというアクティブライフ。もう一つは、いわゆる太陽海岸地域(コスタ・デル・ソル)という地中海の保養地で過ごすスティルライフである。各種発言から類推すると、おそらく次官のご希望はコスタ・デル・ソルではないかと想像する。

実は、贅沢にも、その海岸に1週間ほどブラブラしていたことがある。コトバはなんとかなる。5つ位知っていれば十分。ウーノ(1)、ドス(2)、アミーゴ(ともだち)、アディオス(さよなら)、そしてバル(飲み屋)である。バルに行って片言のスペイン語と英語を組み合わせていれば10%くらいは意味が通じる。ところが、バルにいるのがスペイン人と日本人だけなら気付かないのだが、そこにアメリカ人とかドイツ人がやってくると感じるのが『人種差別』。スペイン人>ドイツ人>アメリカ人>日本人というような序列を感じてしまうわけだ。

また、日本人の移住については、公的年金手帳をスペイン国に預け、振り込まれたおカネから、税金等各種必要経費を天引きすることになっているらしいのだ。つまり年金を受け取るまではスペインには行けないらしいのだ。

さらに、本場のスペイン料理は、確かに旨いのだが、1週間すると、料理が一巡してしまうわけだ。

こちらの中国製海老餃子は?

2008-02-19 00:00:27 | マーケティング
企業破綻には色々なパターンがあるのだが、この会社の場合は、きわめて妙な事態に向かっている。おおむね、破綻の場合は3パターンであり、『破産による清算』、『会社更生法による再建(倒産)』、『同一経営陣による再建計画(民事再生法)』。ところが、この社の場合、民事再生法の適用を申し立てたのは、従業員なのである。

帝国データバンクの大型倒産情報より、


(株)テレマート(資本金1000万円、大阪市中央区博労町1-3-10、代表○○○氏)は、2月14日に従業員から大阪地裁へ民事再生法の適用を申し立てられ、同日、保全管理命令および弁済禁止保全処分を受けた。

 申請代理人は○○弁護士(大阪市○区・・・)ほか。保全管理人には○○○弁護士(大阪市○区・・・)が選任されている。

 当社は、1991年(平成3年)6月に(株)日南の商号で設立、93年8月に現商号へ変更。食料品、健康食品、化粧品、日用雑貨等を扱う通信販売業者で、ラジオ・テレビ・新聞を媒体に一般個人向けに販売。94年2月から開始したラジオ通販が好調で、2004年3月期には年売上高が100億円を突破。特にラジオ媒体では、全国45のAM局、39のFM局を網羅し番組本数も1日に約250本を提供(ピーク時)、この間の2000年7月には東京支店を開設するなど急拡大していた。ピーク時の2005年3月期には年売上高約155億2900万円を計上していた。

 しかし、実質創業者で当時代表であった○○○○○氏が、2007年2月に債権回収会社設立を虚偽登記した容疑で大阪府警に逮捕されたことなどを受けて、対外信用が失墜。一部テレビ・ラジオ局での通販番組が打ち切られたことから業績が大幅に低下し、以降は、景品表示法違反による排除命令を受けるほか、従業員への給与遅配など資金繰り悪化が表面化していたなか、今回の事態に至った。


要するに、テレマート社は経営者のワンマン会社だったのに、経営者が別件で逮捕され、会社の運営が困難になった、ということなのだろう。業態はラジオやテレビでの通販ということで、ジャパネット・タカタのような業態なのだろう。別途、インターネット上でもネットショップを開いているようだが、どうもホームページでは注文できないようになっている。注文できないならページを閉鎖するか、事情を説明したページを用意するべきだろうが、おそらく会社が大混乱していて、どうやったらいいのかもわからないのだろう。



さらに、ホームページで探してみると、『手作り海老餃子200個セット(さらに+100個がおまけ)5040円』というのがあった。はっきり中国製と書かれている。気になるのは、餃子を300個も注文するというのは、どういう人なのだろうということ。業務用ということだろうか。一皿に7個ずつのせたとしたら、42人分だ。一皿350円としたら14,700円の売り上げ。原価率34%。いい数字だ。

しかし、いずれにしても、注文できないわけだ。代金を払ったまま、商品未着というケースもあるのだろうか。たぶん、まだ気がついていない人が多いのだろう。餃子ぐらい、自宅で作ろう。

二人の偽札作り

2008-02-18 00:00:20 | 市民A
まず、驚愕の犯罪から。2月15日のSANKEI WEBから、


偽の1万円札約490枚を作ったとして、秋田県大館市の大館常盤木町(おおだてときわぎちょう)郵便局長、S容疑者(48)が通貨及び証券模造取締法違反の疑いで逮捕された事件で、S容疑者が大館署の調べに「郵便局の金を使い込み、穴埋めのために偽札を作った」と供述していることが15日、分かった。同署は業務上横領容疑でも追及する。

調べでは、偽札は100万円ずつ5束にまとめられ、それぞれ表と裏の1枚は本物だった。記番号は3種類で透かしはなく、同郵便局内の金庫に保管してあった。13日に郵便局内での不正防止のため来ていた別の郵便局長が偽札と知らないまま大館郵便局に送金、14日に発覚した。現在までに外部で使った形跡はないという。

いや~・・・・。いわゆる特定郵便局のことだろう。こういう人間が、なぜ、郵便局長をやっていられるのか、それが大きな疑問だ。ちょっと特徴のある眉毛の形と同様に、祖父、父の代から身分を譲り受けたということなのだろうか。

要するに金庫の中に常備している準備金のうち、500万円に目をつけ、100枚の札束の上と下を本物にして、中の98枚を自家製品にすり替えたわけだ。98枚×5束=490枚という計算なのだろう。自家製でなければならないのは『手作り餃子』であって、万札ではない。実際には、ただの見せ金のつもりだったのだろうが、他局の局長が来て、見せ金と知らずに本局に送金してしまったので発覚。郵便局の民営化の結果、監査システムが強化され発覚したとするなら、さぞ、前前首相を恨んでいることだろう。



本局に送金されてから発覚まで1日。このS容疑者は、送金されたことに気付いていたのだろうか。発覚までの1日の心中いかに。それにしても、いつまでもわからないままでいられるはずもないのだが、いずれ、どういう決着をつけるつもりだったのだろうか。狂言銀行強盗とかだろうか。中の98枚が偽札でなく白紙であった方が結果としては罪が軽かったはずだが、偽札の最高刑が無期懲役ということを今頃知って、後悔しているのかもしれない。

ところで、現在公開中の映画『ヒトラーの贋札』。実は、原作者がいる。というか、これは原作者当人の実体験によるノンフィクション『悪魔の工房』に基づく。スロヴェキア人、アドルフ・ブルガーさん(90)。25歳の1942年から3年間、ナチスドイツのユダヤ人収容所で贋ポンド札を作り続ける。”きょうの贋札か明日のガス室か”という極限状況を生き延びられたのは、たまたま彼が14歳から印刷工だったこと。現代の郵便局長のようにスキャナーとプリンターで素人でも量産できる時代であれば、彼の後半生の65年分は存在しない。



『悪魔の工房』は、こう締めくくられる。

私が生きているのは、現在も、あるいはまた形を変えて現れる、殺しを正当化するイデオロギーに対して警告を発するためなのだ。それが私の責任だ。だから私は生きている。

郵便局長も、そのうち釈放されたとしても、元の職業に就けるとは思えない。檻の中で新たな技能を磨いてみたらどうなのだろう。たとえば、印刷工とか・・

ところで、ナチスドイツが贋ポンド札を作っていたのと同様、当時の大日本帝国も中華民国札を刷っていたと考えられている。特殊工作部隊が、現在の明大生田校舎で贋札作りをしていたらしい。ところが、中華民国(蒋介石)側は、当時、戦費に終われ、紙幣を印刷する紙の工面にも困窮していて、日本の贋作作りを密かに歓迎していたらしいのだ。贋札の分だけ発券枚数を減らしていたらしい。

そして、歴史上もっともスマートな贋作作りとして知られるのが、1920年代のポルトガル。当時、紙幣の印刷はアフリカにあるポルトガル領の植民地で行っていたそうだ。そして、大蔵省がその植民地の工場に印刷する枚数を指示するのだが、そこに贋者の関係者が登場し、大蔵省の印刷依頼書の方を偽造して、印刷を発注する。そして、指定の日に受け取りにきた贋札グループがまんまと本物とまったく同じ札を手にすることができたそうだ。同一の金種の20%もの贋作(というか本物というか)がその後、出回ることになった。

見せ金を贋札にした郵便局長のケースは、栄えある贋金史の1ページに名前を残すことができるだろうか。いや、無理だろう。

小杉小二郎展(~2/17)

2008-02-17 00:00:33 | 美術館・博物館・工芸品
7cf23084.jpg損保ジャパン東郷青児美術館で開かれていた小杉小二郎展のこと。東郷青児賞受賞記念。

小杉小二郎は1944年、東京に生まれる。父は美術史家の小杉一雄、祖父は画家小杉放菴。画家一家である。また、叔父である小杉二郎はインダストリアルデザイナーということ。

美術とは関係ない話だが、まず苗字が小杉と「小」の字が入っているのに、名前にも「小」二郎とは重複もいいところだ。さらに父、一雄からすれば弟(と思うが)が二郎というのだから、小二郎では弟のこどもみたいな名前である。さらに、9才の頃、他家に預けられていたとか、小二郎が、大学卒業後、一旦、インダストリアルデザイナーを目指したことからして、何か深い理由があるのではないだろうか、と考えたところで、前に進まない。

24歳のとき、画家に転向し中川一政画伯に弟子入りする。そして、26歳になり、フランスに渡り、以後、日本とフランスをベースにし、作品を発表し続けている。パリ郊外のサン・レミに一時住んでいたということで、今回は「サン・レミのダリア」という作品も出品されている。無論、サン・レミはゴッホが亡くなる前年1889年を過ごした町で、月星夜などの大傑作多数を描き上げた地であるが、小二郎は画家の卵の時に先回りしてしまった。

7cf23084.jpg会場には、多数の絵画が並ぶが、どちらかというと「へたうま画法」というか、あまり高く売れるような絵画ではないかもしれない。仮に小中学校の美術の時間にこういう絵を描いたら、教師から注意されそうだが、そこは画家一家のご威光で、この画風を守れたのかもしれない。

7cf23084.jpgしかし、一見、紙芝居風であっても、じっくり見ると裏に何かが隠されているような意味を感じるのが、この人の画風であるのだが、その隠れている何かについて、その正体を実感することは、私には難しかった。ただ、何かが隠れているのだが、感じる糸口が見つからない・・

ところで、彼はフランスの田舎(たぶんサン・レミ)で、こう言う。

絵描きは、孤独の仕事だから、一人が好きでなければ絵が描けない。しかし、人が好きでなければ絵が生きない。そして自然をこよなく愛せなくては絵心は沸くまい。絵を描くには結構こみいった条件がいるものだ。

世界でもっとも短いゴッホ論かもしれない。

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低姿勢は駒だけ

2008-02-16 00:00:57 | しょうぎ
63b9f51a.jpg先日、「とらばいゆ」という女流棋士界をモデルにした映画(VIDEO)を観た。主演の瀬戸朝香さんが対局するシーンでは、将棋盤を前に、慣れぬ手つきで、駒を動かしていたが、どうにか形にはなっていた。

この駒を動かすという手つきでも、将棋を覚えてから1年くらいは格好がつかないものだ。基本は親指と中指で駒を掴んで、人差し指の上に乗せ、最終的には人差し指と中指を縦に重ねて、その間に駒を挟んで、盤上に打つ瞬間に人差し指を引っ込めて、中指だけの力で、「ピシッ」と升目の中央に置く。これが基本だ。

ところが、現実の世界は、そのようになっていない。

テレビ将棋などで見ていると、多くの若手棋士は、流儀が違うわけだ。まず、駒音が小さい。「ペチャ」という感じ。さらに、升目の中央ではなく、五角形の駒の下の線を枡目の下側の線に合わせて揃えるわけだ。もともと駒はそれぞれ大きさが異なって、王と歩ではかなり大きさが異なる。本来、枡目の真ん中に置くべき駒をを枡の下に合わせて置くものだから、相手側から見ると、駒の頭が相当の不揃いとなる。

早い話が、みっともないからやめてほしいわけだ。

では、なぜ、そんなデファクトスタンダードが蔓延っているかといえば、単に「プロは勝負に辛い」ということなのだろう。もっと、一般的に言うと「プロはおカネに辛い」ということ。

最初にこの方法を始めたのは、ある有名棋士だったのではないかと思うが、定かではないので書かないが、駒を線に合わせて置く、というのは相手に次の手を読まれないように、という用心らしいのだ。

つまり、攻撃を考えている駒は、無意識に枡目の前の方に置いてしまったり、右に進もうとする駒は僅かに右に傾いたりするという微妙な駒の位置の変化で、心の動きを悟られる可能性がある、という理論らしい。だから、常に、線の上に合わせておけば、相手からそういう察し方ができないということのようだ。

さらに、駒音を高くパシッ!と指していると、その駒音の変化で、無意識下の心の中を見透かされてしまう、ということらしいのだ。だからいつでもペチャ。

実は、若い棋士の多くが、このペチャ指しをする背景には、プロ養成所である奨励会の入会試験を受ける前に、出身地のアマ強豪や、師匠となるプロ棋士が、タマゴ少年少女を矯正するかららしいのだが、私見だが、「なんでも勝てばいい」というものでもないだろう、と思うのである。

アマチュアの対局でも、時にこういう指し方の人もいて、ペチャペチャ指しているくせに、こちらが負けると、突然、居丈高な大声で感想戦で威張ったりするので、本当に嫌になる。対局に来る前に、「美しい日本」とか「品格シリーズ」とか読んでからにしてくれ、といいたくなる。


将棋ファンあってのプロなのだから、対局スタイルも重要なのだろう、と思うのだが、やはり、「世の中おカネが一番」ということだろうか。

というか、そもそも普及活動と職業棋士というのは、まったく別物で、野球界のように、普及はアマ球界で、ショービジネスはプロ球界で、というように二分化するべきなのだろうか。もちろん公益法人ということにはならないだろうが(伝統文化を利用してビジネス化しているわけだから)。


63b9f51a.jpgさて、2月2日分の解答。

▲4五角成 △2三銀 ▲4三玉 △1三玉 ▲4六馬 △同と ▲1二飛打 △同銀 ▲2二飛成 △1四玉 ▲2四龍まで11手詰。

初手の王手は、本譜か、玉を移動しての空き王手かだが、例えば▲5一玉には△4ニ銀 ▲同飛成 △同龍と王手掛け合い負けになる。2手目に△2三金合は▲同香成△同桂に▲1ニ金という好手があり、△1ニ同玉▲3三玉以下早詰。

63b9f51a.jpg7手目に2三銀を移動させて、▲2二飛成以下、香筋を利用して龍回しで詰める。ただ、最終手は▲2五龍 △1三玉 ▲2四龍という怪しい手(余詰?)がある。

そこまで許容できない潔癖症ではないのだが、念のため、改作図も作っておくが13手詰となる。


今週の詰将棋は、難易度よりも「逆算式詰将棋って、こういうものかな」という方向に特化してみた。

ヒントは、バブルの時代に六本木で万札ばらまいて夜更けまで遊んで、よく覚えてないのだが、朝起きたら自宅のベッドの中だった、というノリかな。

解ったと思われた方は、コメント欄に最終手と手数と酷評いただければ、正誤判断。


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サイゴン・ピックアップ(藤沢周)

2008-02-15 00:00:36 | 書評
dc5dd3ba.jpg藤沢周と藤沢周平を混同していたので(JOKE)、軽視していた作家なのだが、ひとたび手にすると、この小説『サイゴン・ピックアップ』、面白すぎる。

主人公の俗名は稲川京介。サラ金取りに追われ、鎌倉の禅寺に潜り込み、修行僧、白童となる。とはいえ、要はナマクラ坊主である。さらに、山に入山しているのは、いずれもおかしなマエを持つ欠陥人間ばかり。漱石の坊ちゃんみたいな個性的な人間たちである。修行の合間に、俗世界の桃色遊戯にふけったりしているうちに、黒塗りベンツのヤクザが山に押しかけたり、本来は解脱しているはずの高僧たちの、陰険な派閥抗争を垣間見たりする。

寺院ではありえない自殺未遂があったり、放火があったり。

そして、白童本人の知らない、大きなトラップが待つ托鉢の旅に出るのだが・・・

そこに待っていたのは、自分の本名である稲川京介という名前を騙り、殺人事件を犯して、自首した脱走僧。そして、連日連夜、謎の誘惑で迫る慈光尼。

実は、作家は、ミステリと同様、これらの謎をすべて疑問の余地無く解き明かす。かなり、きちょうめんな作風である。若干、表現に繰り返しがあってくどいところもあるが、読み終わってから、「あれ、あの女性はどうなったのだろうか?」とか思うことがないようにすべての登場人物の退場場面にも責任を持っている。

すぐれた小説は、虚実入り混じることにより、さらに虚実が見えなくなるように仕掛けられるが、例えば、この小説には、よく横浜駅のまわりが描写される。そういえば、実際に、その近くで働いていたことがあるのだが、何回か黒縁メガネの禅僧を見たことがあった。黒縁メガネの謎も本書で明らかにされている。彼らは、本当はナマクラだったのだろうか。


ところで、藤沢周は、このサイゴン・ピックアップを書いた1997年に芥川賞候補になっている。そして翌年、次作である『ブエノスアイレス午前零時』で芥川賞作家に加わっている。

そして、実は芥川賞に関してだが、彼の母校である、新潟明訓高校だが、藤沢周で二人目の芥川賞作家の輩出である。最初の受賞者は新井満氏。1988年の受賞である。実際には、新井満は小説を書くことよりも、「千の風になって」の翻訳あるいは関連ビジネスで大儲けしているようだ。

これから、藤沢周にはまりそうな予感もするが、芥川賞作家の多くは、賞の重みに押しつぶされて、いずれ愚作を並べたあげく、政治家に転職したり女優のマネージャーになる例があるのだが、彼はどうなのだろうか(最近は、女流作家の夫という転進パターンもある)。

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