分別収集・NYタイムズ

2005-05-14 10:08:58 | 市民A
a48e53ab.jpg横浜市民の期間が長くなっているのだが、4月1日からゴミ回収システムが変更になった。10種類以上の種類分けをして、指定の日に指定の方法で処分しなければいけない。事前に説明会があり、品質の悪い再生紙で作られた小冊子が送られてきたが、よく読んでも、現実的にはよくわからないことが多く、質問電話はなかなかつながらない。

まじめにやっていると、大変なのだが、個人的感想をまとめようと思っていたら、驚いたことに5月12日号のニューヨークタイムズ(Web版)のトップ記事に「How do Japanese Dump Trash? Let Us Count the Myriad Ways」という記事が出ていた。どうもMyriad Waysというのは、色々なゴミ処理方法という意味だけではなく、色々なことをことをやった行く末は?というようなニュアンスが若干含まれているようだ。そして、記事は極めて長いが、人口350万の横浜市と2,200の徳島の上勝(カミカツ)というゴミの出ない町の比較をしていたりする(それは無理な比較だ)。小冊子の一部まで紹介されている。

最初に思ったのは、なぜ、こんな記事が世界のジャーナリズムの看板のようなところに登場してしまったのかということだが、私が読んだ時間は夕方であり、Web上に掲載されたのは、NY時間で午前03:42ということ。確かにアメリカ人で読む人間は少ないだろう。日本人が最大の読者になる時間帯かもしれない。そして、NYタイムズ風に、「同盟国日本のゴミ処理方法を米国は見習った方がいいが、やりすぎると問題だね」というようなところへ落とそうとしているのだろう。
常識的に、よその国の1都市のゴミ問題の記事を長々と最後まで読む人間は少ないと思うし、NYタイムズに言われるまでもなく、破れた靴下とかラーメンのツユに浸かったりシュレッダーに巻き込まれたネクタイなんかを、洗って乾かしてからリサイクルゴミにする人間はいないから心配要らない。

さて、まずは横浜のゴミ問題。実は、どこの自治体でも環境問題の仮面をつけてはいるが、それぞれ問題の根が違うわけだ。ゴミ焼却場の数が足りない場合もあれば、最終処理場が足りない場合もある。予算の問題もあるだろう。人員の問題もある。処理の仕方だって、それぞれ事情が違うわけだ。そして、その本質はなかなか明らかにされないので、ゴミ処理の入口での処理方法も微妙に異なる。横浜市の当面の問題は、最終処理場の問題らしい。だから、ゴミの量が課題になる。5年ほど前は、分別は一切無しで、すべてのゴミを燃えようが燃えまいが気にしないでガスで焼いて穴に埋めたり海に捨てていた。数年前から、ビンとか缶とかダンボールは別回収していたが、大部分は各種まざったまま、毎週3回の回収日に出していた。

今回の変更は、大ざっぱに言えば、3分割のようなものだ。「家庭ごみ」「プラスティック」「紙」だ。やっと慣れてきたが、多くのものは、この三分類の組合わせでできているので、捨てる時が大変になる。レトルトカレーを買ってくると、外箱は「紙」で、レトルトパックは一応「プラ」。食べ残せば「家庭ごみ」になる。ただし、レトルトパックは「プラ」だが、カレーで汚れている。洗ってから「プラ」にするか、洗わずに「プラ」にするか、「家庭ごみ」にするか悩む。本当は、用途から言えば洗わずに「プラ」でいいはずだが、「洗ってから出すこと!」と冊子には書いてあるし、説明会では「家庭ゴミ」に出せばいいと言われているし、結局、各自の判断だ。

「紙」の問題の一つは、シュレッダーだ。自治体によっては、シュレッダーゴミは繊維が短く再生できないからといって再生しないところもある。確認したら、横浜は「紙」でいいのだが、裏にシールがついているのは困るとのこと。さらに、紙袋に入れて出すようにということ。これも厚い小冊子には書かれていない。シュレッダーは3月に旧型の手回しソーメン型から、中国製の電動裁断方式に交換していたのだ。ところがよく考えると、DMの処理が困る。はがき型の場合、住所と名前と変なコード番号が印刷されたタックシールが貼ってある。これをこのまま、シュレッダーにかけると、シールごと切り刻んでしまうからNO!だ。したがって、シールの部分をはさみで切り抜くのだが、そうするとシール部分の処理が問題だ。結局、シュレッダーが2台必要だということに気付くのだが、前のシュレッダーはプラスティックゴミの回収日初日に捨ててしまった。はさみで細かく切る。

つぎに、封筒だ。最近は窓のところに紙質の透明素材を使ったものが増え、そのまま紙ごみに入れられるが、某C銀行は、オーストラリアの事務センターから旧型の窓に透明フィルムを貼ったものを送ってくる。その結果、窓を切り抜かなければならないが、裏側にフィルムを貼った糊がついているため、1.窓を大きめに切り抜く(紙)。2.内側のフィルムの部分だけ切り抜く(プラ)。3.窓枠の部分は紙とプラが糊で合わさった状態になる(家庭ゴミ)。と3分割しなければならない。C銀行を解約したくなる。

ところで、ゴミは生ゴミ、プラゴミ、紙ゴミと3種類がまざると、極めてかさ張るが、バラバラにまとめると非常に小さくなる。紙とプラは遠慮なく圧縮することができるが、中に生ゴミが混じると圧縮するわけにはいかない。逆に生ゴミは生ゴミだけだと形態不明のアメーバ状なのでかさ張らない。ゴミ置き場は整然としてきて、カラスには気の毒としかいえない。隣の川崎市へ引っ越してもらうよりない。

一方、ここまでは家庭内からみたミクロ的な視点だったのだが、NYタイムズを読むと、おそろしいことが書いてある。「ゴミ村八分現象」だ。

分別していないゴミは、市側の業者が回収せずに、ゴミ置き場に置き去りにするため、地元のリーダー(自治会長?)がゴミの袋を開き、持ち主を特定して自宅に注意に行くということだ。しかし何度言っても言うことを聞かない人もいるとのこと(余談だが、リーダーになる人の例として、大学教授とか日本航空の社員とか書いてある)。さらにGuさん(めずらしい名前)はゴミ袋に書く名前の色が薄かったと怒られ、ゴミを捨てられなくなり、ご主人が会社までゴミ袋を持って出勤しているとのこと(本当か?袋に名前を書くところもあるのかな。Guさんの勤務先も大変迷惑だろう。あるいはこれは在日民族問題かな?ありえないありえない)。そして、NYタイムズに書かれた最後の挿話は、ゴミの分別収集を口うるさく言われて、アパートから引越ししてしまった若い家庭の話なのだ。

現代の横浜は、このようにゴミで首が回らなくなってきているのだが、歴史上、過去にも追い詰められたことがある。それは関東大震災のあと、市内中が倒壊家屋になった時だ。結局、廃材は集められて、海に捨てられることになったのだが、その廃材で埋められた場所が、現在の山下公園なのだ。広く平らな海辺の公園には、建物が建っていない理由があったわけだ。公園はいつも若い男女で溢れているのだが、運悪く、もう一度関東大震災が起きたら、残念なことになってしまうかもしれない。地盤が崩れて海の一部に戻るかもしれないわけだ(そして、またすぐに廃材埋め立てで元に戻るのだろうが)。もちろん日中、山下公園にいるのは、正々堂々とした普通のカップルであるだろうし、深夜にクルマで集まってくるのは、ちょっとアブナイ目的の男女達ではあるのだが、地震の神様がどちらの時間帯を選ぶのかは、よくわかっていない。