原油流出防止、最終ギャンブルは?

2010-05-31 00:00:01 | 市民A
5月6日号「メキシコ湾BP海底油田漏洩で、何が始まる」の中で、原油漏洩は、コンクリートキャップで封印されたと、うっかり書いてしまったが、止まることなく、元気よく噴出を続けている。そして、その「トップキル」作戦は、最終的に失敗に終わった。

環境汚染の問題は大問題だが、その前に原油の噴出が止まらないと、話にならない。



原油流出食い止めの「トップキル」失敗、新たな作戦へ

ルイジアナ州ロバート(CNN)

米メキシコ湾の原油流出事故で、国際石油資本(メジャー)の英BPは29日、流出を食い止めるために油田に泥状の液体などを流し込む「トップキル」作戦が失敗したと発表し、別の作戦に移行する方針を示した。

同社のサトルズ最高執行責任者(COO)が記者団に語ったところによると、トップキル作戦では3万バレルの泥を3回に分けてポンプで流し込み、さらにつなぎとなる固形物を16回にわたり注入した。ポンプの作動中は流出が止まったものの、停止すると再発し、「繰り返しても成功には至らないと判断、次の作戦に進むことにした」という。

同氏によると、新たな作戦では、流出口となっている防噴装置の上部にある破損パイプを切除し、そこへふたをかぶせる方法を試みる。完全に密閉することはできないが、「大半の原油を回収できるはずだ」と同氏は話している。今後4~7日で準備が整う見通しだという。

サトルズ氏とともに対策に当たっている米沿岸警備隊のランドリー少将によると、流出を根本的に止めるためには、別の油井を掘って原油を吸い上げる必要がある。BPが2カ所で掘削を進めているが、完成は8月以降になるとみられる。


考えれば、封印方式は、最初に行うべき作戦なのだから、いまさらやっているのでは最初から失敗が予測されていたのではないだろうか。

次に予定されているのは、海底からつながる破損しているパイプを切断し、新たなパイプをつないで、原油を回収しようという方法らしい。ロボットが海底で作業するようだが、「トップキル」よりも難しそうである。

そうなると、その次の方法としては、おそらく二種類。一つは、油井に蓋ではなくダイナマイト等で地中からの竪穴を崩して埋めてしまう方法。もう、一つは事故のある油田のすぐ近く(できれば、100メートル内)に、別の油田を掘り、噴出圧を低くする方法。その後はコンクリキャップである。

問題は、爆破方式は、失敗したらもっと大量に流出する可能性があること。また別の油田開発は、最低3ヶ月は必要であることと、運が悪いと、掘っても出ないということだってある。

さらに、今までの作戦では報道されていないが、一つの井戸で垂直に1本掘りをしていたのか、最近の技術で可能になった「斜め掘り技術」を使って2本掘りをしていたかどうか。少し問題があるような気がする。

2本掘りというのは、最初が垂直でも先が斜めに地中に入っていく技術で、1つのやぐらに二つの井戸というので、原油採掘費が安くなるわけだ。

今になっても「爆破」方式が検討されないのは案外2本の井戸があって、一本を爆破した衝撃で2本目が破損流出というようなリスクがあるのかもしれない。

そして、別の油田を掘るという方式も、油田の性質上、すぐそばを掘る必要がある。

油田は、地下の池のような状態で存在しているのではなく、砂岩の中にブランデーケーキのような形で液体がしみ込んで存在している。だから、元の油田の位置から遠い場所に井戸を掘っても、そこの局地的な地面の圧力が緩和されるだけである。



ところで、「斜め掘り」の話のついでだが、普通の国では、コストダウンのための商業的必然性の中で行われるのだが、まったく異目的のために行われるケースがある。特に国境線の近くでだ。


イラクが隣国を電撃攻撃で占領したのは1990年だが、その少し前から、一方の国が斜めに国境の向こうまで油田を掘っている、という噂が流れていた。

これでは、戦争になるなあ、と思っていたら、もっとも激しい展開になった。隣国が完全に占領されるや、さっそくフセイン大統領に祝電を打とうと協議した会社もあるようだが、その大統領は既に死刑になっている。米軍がバグダッドに乗り込んだ時に、大統領府から祝電が見つかった、という記録もないようである。まあ、真相は闇の中に消えていったのだろう(調べればわかるだろうが)。


ところで、今回の事故の補償であるが、かなりが保険の対象になるのだろう。さらにリスク分散のため、再保険を掛け合ったりする。そうなると、最終的に巨額の保険金の支払いは分散され、保険会社は、翌年度の世界中の損害保険料を値上げしたりするのだろうか。今のところ不明である。
コメント

徳川家康の遺愛品

2010-05-30 09:09:45 | 美術館・博物館・工芸品
三井記念美術館で開催中(~6月20日)の『徳川家康の遺愛品』展に行く。少し前に細川家の所蔵品を拝見したばかりなので、「お家訪問」みたいだ。(彦根城に併設された博物館には、井伊家の秘宝類が並んでいて、これもまた豪勢である。どうして、こう、お宝は偏るのだろうか)

ところで、実はあまり家康が好きじゃない。もちろん彼のせいじゃないが、天下人になるまでの道のりが、自分の力ではなく信長、秀吉の統一戦略にただ乗りした感があり、最後にダッシュしたようにも見える。以前、日本には瀬古というマラソン選手がいて、トップを走る選手を風除けに使って、最後の数百メートルで逆転するという作戦を得意としていた。五輪でこういう作戦をとると厭だなあと思っていたら、五輪には行かなかった。

案外、日本の大企業が社員個人の力をいかせず、「目立たない」「仕事しない」「遅刻しない」という「三ナイ主義」を偏重するのは、その戦略が選後時代のファイナルウィナーである家康の人生と重なるからなのかもしれない。(遅刻しない、といっても息子の秀忠は関ヶ原の戦いに遅刻してしまうのだが、案外、遅刻しなければ、東軍の勢力が増加するため、事前工作は不調に終わり、小早川、毛利なども、西軍の主力として奮戦することとなって、豊臣側が勝っていたかもしれない。



話は長くなったが、家康は三河出身である。今の名古屋人と同じで、根が「ケチ」である。だから、残されたお宝も、収集のための「名物」はあるものの、どちらかというと質素なものが多い。さらに、好みのカラーも金銀ギラギラのヒカリ物ではなく、「こげ茶色」が好きなわけだ。

当時は、「茶道具」というのが大名のコレクションとして、一般的であり、本展でも、かなりのウェートを占めている。これが、まったくの「名物」と家康の日用の愛用品とわかれる。日用品のことを、「手沢(しゅたく)品」というそうである。逆説的にいえば、家康を没後に神(権現)に昇格させ、日用品まで保存して東照宮に奉るという行為を思えば、幕府というのも300年の時限装置付きだったということかもしれない。



今回の展覧会で、今まで知らなかった家康の一面がわかったのだが、晩年は、「香」とか「薬」に凝っていたそうで、各種の薬草などを小刀で削って、自分で薬や香を調合していたそうだ。その調合道具一式が見られる。

調合したまま、誰も飲まなかった丸薬も残されている。どうも、調合した薬を、家来に無理やり飲ませていたらしい。人間モルモット。たぶんEDの薬じゃないだろうか。残っている薬の分析とかすると新薬が作れるかも。



それと、歴史物では、巨大な金の扇子状の馬印が展示されていた。家康が戦国時代にこれで天下統一したメモリアル品で、その後、東照宮に保管されていたものを、幕末動乱で、将軍家茂が引っ張り出す。第二次長州征伐にかついでいったのだが、作戦は失敗し、自らも病死してしまう。なぜか、また東照宮に戻り、現在、陽の目に触れているわけだ。
コメント

熱気の中でもクールな人は

2010-05-29 00:00:17 | しょうぎ
先週末に千葉市で開催された「渡辺竜王6連覇及びA級昇級記念大会」に顔を出す。ついでに出場。午後1時に別の場所に行かなければならないので、トーナメントから適当に離脱が必要だが、・・・。

もともとは、LPSAの1デイトーナメントと共催の予定が、諸般の事情で単独開催になったイワク付きである。

しかし、何がお目当てか知らないが、会場は、当日参加のファンが続々と来場。対局机やお弁当の手配で大忙しである。これでは、最初から共催をするには会場が狭すぎるように思える。

そして、ついに開会であるが、ファンや当日参加棋士の挨拶が続くが、主賓の渡辺竜王は、まだ来ない。挨拶を聞く限り、竜王は間違いなく来年は名人位を獲得することになるようだ。それにしても、一門の宮田、伊奈川、渡辺プロは、「スピーチ」が下手というしかない。各自タイトル戦に出場することを念頭にスピーチ練習の必要があるだろう。

で、注目は伊奈川女流1級。休場中からの8月復帰をめざし、着々と準備中のようだ。プロになった時のパーティーに出席した時の印象は、「美少女棋士誕生!」だったのだが、今や美少女とは言えず「美女」に昇格。



たぶん、美少女から美女に脱皮する途中経過を秘密にしたのだろうか。

こうなると、7月に復帰する別の元女流棋士との新旧美女対決が見たいな、と思うのは男の人情というものだろう。



もう一つの注目は、もし順位戦が続くとすれば10年後のA級棋士と言われる石井健太郎奨励会三段。早くも周りにオーラを発しているが、ちょっと早すぎか。

ところで、自分の対局の方だが、一局目は奨励会を目指している強豪小学生。パターンに持ち込んだものの、久しぶりの二歩を打つ。その二歩の手を中心とした読みの組み立てをしていたので、しょうもない。二局目は、早々と馬を作って一歩得。不敗体制と油断していたら角をスキマに打ち込まれて香損に。長々と粘って馬を詰めるという、あり得ない展開に進み、予定時間が近づいたので、詰まない王様に王手ラッシュをかけて、会場から失礼する。

よく考えると、主客である渡辺竜王は、まだ会場に到着していなかったのである。

さて、5月15日出題作の解答。



▲2二角 △同歩 ▲2一金 △1二玉 ▲2三角 △2一玉 ▲3二角成 △1二玉 ▲1三竜 △同玉 ▲1四香まで11手詰。

2一金をすぐに取ると早詰になる。

動く将棋盤は、こちら


今週の問題。



読みは綿密に。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と手数と酷評を記していただければ、正誤判断。
コメント (2)

中朝友好協力相互援助条約

2010-05-28 00:00:05 | 市民A
中朝友好協力相互援助条約を読み直してみる。

1961年7月11日作成,1961年9月10日発効
[外務省仮訳]

 中華人民共和国主席及び朝鮮民主主義人民共和国最高人民会議常任委員会は、マルクス・レーニン主義及びプロレタリア国際主義の原則に基づき、かつ、国家主権及び領土保全の相互の尊重、相互不可侵、内政相互不干渉、平等互恵並びに相互の援助及び支持の基礎の上に、全力をあげて両国間の兄弟のような友好、協力及び相互援助関係を一層強化発展させ、両国人民の安全を共同で保障し、アジア及び全世界の平和を守り、かつ、強固にすることを決意し、また、両国間の友好、協力及び相互援助関係の発展強化が、両国人民の根本的利益に合致するのみでなく、世界各国人民の利益に合致するものであることを確信し、このために、この条約を締結することに決定し、それぞれ次のとおり全権代表を任命した。

 中華人民共和国主席は中華人民共和国国務院総理周恩来を特派し、朝鮮民主主義人民共和国最高人民会議常任委員会は、朝鮮民主主義人民共和国内閣首相金日成を特派した。

 これらの全権代表は、互いにその全権委任状を示し、それが良好妥当であると認められた後、次のとおり協定した。

第一条  両締約国は、アジア及び全世界の平和並びに各国人民の安全を守るため、引き続きあらゆる努力を払う。

第二条  両締約国は、共同ですべての措置を執りいずれの一方の締約国に対するいかなる国の侵略をも防止する。いずれか一方の締約国がいずれかの国又は同盟国家群から武力攻撃を受けて、それによって戦争状態に陥つたときは他方の締約国は、直ちに全力をあげて軍事上その他の援助を与える。

第三条  いずれの締約国も、他方の締約国に対するいかなる同盟をも結ばず、また、他方の締約国に対するいかなるブロック、行動又は措置にも参加しない。

第四条  両締約国は、両国に共通の利害関係があるすべての重大な国際問題について、引き続き互いに協議するものとする。

第五条  両締約国は、主権の相互の尊重、内政の相互不干渉及び平等互恵の原則並びに友好的協力の精神に基づき、両国の社会主義建設事業において、可能な経済上及び技術上の援助を引き続き相互に与え、かつ、両国間の経済上、文化上、科学上及び技術上の協力を引き続き強化発展させる。

第六条  両締約国は、朝鮮の統一は平和民主の基礎の上に実現されるべきであり、このような解決は朝鮮人民の民族利益及び極東における平和の擁護の目的に合致するものであることを認める。

第七条  この条約は、批准されなければならない。この条約は、批准書の交換の日に効力を生ずる。批准書は、平壌で交換される。

 この条約は、両締約国が改正又は終了について合意しない限り、引き続き効力を有する。

 千九百六十一年七月十一日に北京で、ひとしく正文である中国語及び朝鮮語により本書二通を作成した。

中華人民共和国全権代表
周恩来(署名)

朝鮮民主主義人民共和国全権代表
金日成(署名)


特に問題となるのが、第二条と第七条に続く一行。

第七条に続く一行は、『この条約は、両締約国が改正又は終了について合意しない限り、引き続き効力を有する。』というもので、いずれの一国だけが辞めようと思っても、辞められないことになっている。実は、こういう契約はかなり珍しいと言えるし、実際に日ソ不可侵条約が契約期間内に一方的に破棄されても、誰も文句をつけなかったわけだから、紙屑にできないこともないのかもしれない。さらに、北朝鮮政府が崩壊してしまえば、そもそも条約を引き受ける当事者がいなくなることになる。

そして、第二条。要するに北朝鮮が攻撃された場合、無条件に中国に参戦義務が生じるわけだが、よく読むと、『いずれか一方の締約国がいずれかの国又は同盟国家群から武力攻撃を受けて、それによって戦争状態に陥つたときは他方の締約国は、直ちに全力をあげて軍事上その他の援助を与える。』と書かれている。

したがって、北朝鮮が先に攻撃を仕掛けて、その結果、戦争が始まり、戦況が不利になったといって、中国が北朝鮮と連合軍を組む必要はないことになる。そして、今や、まさにその状態に近づいていて、先に魚雷を発射したことから戦闘が始まるとしたら、既にこの条約の第二条には当たらないことになる。


では、どういうことになるのだろう。

いずれにしても、破綻に向かって走っていたわけだから、いつの日かこういう日がくるだろうとは思っていたが、ついにその時がきた、ということだろう。

仁川国際空港は閉鎖し、成田空港がハブ空港となり、また、日本海では北側潜水艇が魚雷攻撃を仕掛けるかもしれない。さらに難民が筏に乗って漂流する。

あとは、ミサイルの精度だろうか。ちょっと心配。

中国は、大量の難民流入は困ったものなので、もしかしたら傀儡政権の樹立でも計画している可能性もある。金長男主席?
コメント

ズッキーニの危機

2010-05-27 00:00:01 | 市民A
先日、「リベンジ」で紹介した各種作物の中で、小島愛一郎氏から、もっとも見込みがあるとご宣託をいただいたのが、鉢植えにしたズッキーニ。植えてから間もなく蕾が巨大化して、蕾の先端が少し開いたところで、試練に見舞われる。



思えば、高温30度が続いた時に、一気に脱水症状になったのだろう。中心部の葉が傷み、開きかけた蕾も萎れてしまった。

レンガの上に鉢を置いていたため、レンガとともに土も焼けてしまったのだろう。

あわてて、地面の上に鉢をシフトし、大量の水分補給をする。

その甲斐あって、息を吹き返すが・・

その後、大雨となり気温は急降下。ついに蕾は、そのまま地面に落下してしまった。

よく考えれば、植えてからすぐに大きな蕾が付くというのは、ちょっと荷が重かったのかもしれない。とりあえずは、体力に合わせてリストラし、まずは幹の成長からやり直しということなのだろうか。日本航空再生みたいなプロセス?


ゴーヤの方は、当初植えこんだときに、少しのびていた蔓を支柱に巻きつけてみたのだが、どうも逆巻きだったようで、一旦、蔓は支柱から離れた上、改めて巻き直してくれた。



どうも、二本目を植えて、カーテン状にネットを建物の2階部分まで広げれば涼しいらしいが、そうすると、トマトやピーマンやズッキーニが日陰に入ってしまうことに気付く。

合成の誤謬。鳩山内閣?
コメント (2)

ジャズシンガー丸山みゆきの誕生(2)

2010-05-26 00:00:23 | 音楽(クラシック音楽他)
前日から続き

ということで、1年ほど前から、元歌手の「丸山みゆき」さんについての細い糸口は、長野県内の、ある南アジアに関係する経営者という線だけになっていた。

しかし、そこから先、その同じ名前の方と同一なのか、確認するすべを見いだせない状況だった。だいたい確率が低過ぎる。そういう場合、手紙なりメールなりで質問をしても、本人でなければ、大きな失礼に当たることになる。

さらに本人であるとしても、これだけ情報が少ないということは、元の職業を外部に明らかにしていないと考えることもできる。YESであってもNOということになるかもしれない。

そして、1年ほど経った今月、あれこれ考えた結果、NOの場合でも失礼に当たらないように、その業界に関する参考情報などを集めて、やっとメールを送ろうという段になる。

そして、1週間ほど前のある夜、そのメールを女性経営者に送ろうとしたのだが、添付ファイルが逆に邪魔になって送信失敗。手直しするには深夜過ぎたこともあり、翌日の仕事にする(ロケット発射みたいだ)。

が、翌日、そのファイルの手直しをした後、念のため、再度、丸山みゆきさんの最新検索をしてみると、大きなヒットがあったわけだ。

KANEKENさんという長野市に住まわれている方がツイッターに、メッセージを書いていた。

4:58 Mar 21st
ギター教室終了。丸山みゆきさんていう長野出身の元歌手さんが遊びにキター。


つまり、長野市のギター教室に遊びにきたのが、丸山みゆきさんということならば、何か「音楽」に関係する場所にいるような感じである。無理のない話。メール送信は延期。


この今年の3月21日の「遊びにキター」の一行で、展開が広がることになる。

次に見つけたのが、「社会起業で世界が変わる」というブログの2010年1月21日号。ここに、近影があった。

この方によれば、彼女は、引退後、結婚、出産ということになり、現下は長野市界隈で音楽業界とは程遠い某業界で経営者になっている、とのこと。異業種交流会で知り合ったのこと。その会では、「FIRE」の熱唱まであったらしい。

そして、これから音楽関係の仕事をはじめるということで、手始めにミュージックスクールを開校ということだそうだ。(つまり、ギター教室には、遊びにキターではなく、仕事にキターなのだろう)

さらに、



既に、ジャスシンガーとして自分自身の活動を始められたようである。

長野県育児シンポジウム」には、6月20日には、あるお蕎麦屋さんでライブが開催されるという情報もある。


そして、ついに彼女自身の、できたばかりのブログを発見。これによると、1年前からシンガーとして活動を開始、ということだそうだ。

ジャズシンガー 丸山みゆきHP。2010年5月11日開始。まだコメントも拍手もゼロ。

メールを送ろうと思っていた経営者と同一なのかどうかは、もうどうでもいいことになってしまったが、一安心ということで、ついに、長かったテーマは終了。本当は、最初に発見して、カラオケボックスでデュエットでも頼もうと思っていたのだが、ちょっと遠くから、今後の事態の進展を眺めていることにする。(そのうち、聴きに行くかも知れないけど)
コメント (2)

ジャズシンガー丸山みゆきの誕生(1)

2010-05-25 00:00:59 | 音楽(クラシック音楽他)
歌手であった丸山みゆきさんのことについては、弊ブログ2008年11月18日「『丸山みゆき』さんのこと(1) 」および2008年11月19日「『丸山みゆき』さんのこと(2) 」に書いた。さらに、そのエントリに対していただいた情報により、さらに2008年12月24日「20年前のCD」に発展した。

詳細は、読んでもらえばいいが、簡単に書くと、彼女は長野市出身、1969年生まれ。地元の高校を退学し、歌手になるため上京する。

そして、1985年頃、TDKに所属し、何曲か発表するも、1988年に、何らかの権利関係の問題が発生し、今までのシングルが、すべて廃盤になる。最初の不運。

その後2枚のアルバムを出している。私が聴いていたのは、その後の3枚。つまり3枚目から5枚目までだった。そして、毎年、1枚ずつ秋に発表していたアルバムが、何らかの事情で、1993年に途絶える。24歳。

所属をトーラスへ移し、1994年、6枚目のアルバム完成。そしてその後2枚のシングルを出したあと、1995年から1996年9月まで、地元の信越放送でラジオ番組を持つが、番組終了。その後、引退。



ヒット曲は、FIRE、TOKYOなど。

なぜ、その時代のメジャーになれなかったかというのは、一言では言えないだろうが、所属会社の問題や、もっと若い世代が登場したりという、言わば不運が重なったということかもしれない。自分のスタイルができた時には、小室風の表層的メロディが流行りだす。

実際の彼女の動画は、特に最近になってYOUTUBEに多数登場しているのだが、それは本当は、著作権的には、?なことに違いないので、一応、URLにリンクしておくので、各自確認してもらえればいい。


 僕はムーンライト

 

 FIRE

 天使のラブソング

 Tokyo



どうも、バルーンコンテストにゲストで出演して、野外で歌ったりしていたようだ。努力が報われたとは言い切れないところが、ちょっと辛い。




そして、そうなると第二の人生が心配になってしまうのであり、「今は、どこで、何をして・・」ということになるのだが、引退した女性歌手の行方というのは、かなりわからない。

生年月日でいえば、41歳になる。本名は、丸山美由紀さんといって、同姓同名はかなり多いだろう。さらに、結婚して名字が変わった可能性も、それなりに高い。

ネットを軽く検索しても、手掛かりはどこにもない。推理と勘と根気ということになる。

とりあえず、名字が変わらないと仮定して、「丸山みゆき」または「丸山美由紀」でネット上の検索をしてみると、大量の同姓同名の方がいる。当初は、芸能界またはその周辺、長野関連ということも意識していたが、その想定にも根拠がないので、結構こつこつと少しずつだが長い時間をかけ調べていた。

たとえば、「富山在住のピアニストは、明らかに年齢が違う」。「オートレーサーの丸山さんは、美由紀ではなく美由貴だった」「ブリザードフラワー(花のミイラ)の権威の丸山美由紀さんは、高校生の時からその道一筋だった」。いくつかの人が間違っているのだが声優の原ミユキさんは、一時丸山みゆきという芸名を使っていたのだが、やっと顔写真を見つけたところ、全くの別人(どちらが美人というような話じゃない)だった。

その他、大学の先生や、陸上競技の選手や、松本市の主婦で、ある会社の景品に当たった方(もしかしたら本人かもしれないが)。DJの女性もいたが、人違い。

ところで、その頃、「もしかしたら苗字は、『K森』ではないか」、という淡い推測を持っていた。「Kもり」さんという方から、このブログに、ちょっと意味ありげなコメントがあった。もしかしたら本人?という予感が、きわめてうっすらとあった。ということで、「Kみゆき」さんも探していたのだが、芸能界に同名の人物がいた。

サンズというプロダクションの共同経営者。巨乳タレントを集めたイエローキャブや山田優、はるな愛などが所属している。らつ腕社長は野田義治氏。その右腕として活躍していた。なんか、それっぽい感じである。場所は表参道。

ところが、突如、社長の野田氏は経営上の問題で、サンズ社長を解任される。そして、K森さんも野田社長と、はるな愛や山田優と一緒に、あらたに独立してサンズエンタテインメントを起す。調査中に、なんてことだ。

しかし、実は、この筋も消えていくわけだ。K森さんは、別途、有名な宗教政党を支持する宗教団体で、ある地区の幹部も兼ねているのだが、何かゴタゴタがあって、経歴などが暴露されたりしているようにも見えるわけだ。そのゴタゴタは、私には何の関係もないのだが、経歴からみて、はっきり他人である。


大きな回り道をしてしまったのだが、このあたりで、実は二種類の筋を持っていた。

その一つは、かなり途方もない話なのだが、「別の歌手になっているのではないか」という説である。どうも、丸山みゆきさんとそっくりな声として、「小松未歩」さんという意見があった。でも、そういうのはあるのだろうか。と思って、小松未歩さんの初期のCDを4枚買ってきて声を聞き分ける。やはり似ている。ただ、高音部の抜け方が、どちらも僅かに個性的に特徴があり、違うようにも思える。

しかし、夭折したZARDの坂井泉水さんのように、「人前に出ない」ことをコンセプトにしていたそうで、ジャケットの写真は丸山さんと鼻の形が異なるのだが、ちょっと画像に妙なところも感じる。

この小松未歩のことは、かなり不思議なことが多いので、明日、本件の整理が終わったあと、しばらくしてから、そちらの方のことも書いてみたい。

そして、最後の筋である。

同姓同名の方が、長野市ではないが長野県の南部で、南アジアに関係する健康産業の経営者になっているということがわかったわけ。また、その日本での元締めの仕事にも関わっている(いた)ようにも感じる。

ということで、これ以外の糸口は既に出尽くした感もあり、ここで行き詰ったような感じになる。
(続く)
コメント   トラックバック (1)

5冊まとめ買い

2010-05-24 00:00:27 | 書評
本が届く。宅急便だ。まとめて5冊。全部、新潮社である。

別に、1Q84と一緒に注文したわけじゃない。新潮社の社員でもない。1Q84はどこの書店でも入口のところに山積みされているが、どんどん売れているのか、売れ残っているのか見ているだけではよくわからない。

新潮社の社員じゃないと書いたが、同年代の社員も知っているが、何年か前に年収を聞いたら1.4倍以上だったので、がっかり(いや、がっくり)した。その後、1Q84の1、2、3が発売されたのだから、年収も1Q84になっていることだろう。やれやれ。
と村上春樹風に。



新潮新書はイマイチと思っているが、新潮選書は良書が多いと思っている。新潮文庫もいいし、「とんぼの本」は玉石混交か。

というようなことで、今回届いたのは5冊。

1.ギリシア神話の世界観(藤縄 謙三著)新潮選書
2.『十五少年漂流記』への旅(椎名 誠著)新潮選書
3.利休入門(木村 宗慎著)とんぼの本
4.LOVE(古川 日出男著)新潮文庫
5.高島易断を創った男(持田 鋼一郎著)新潮新書

1は、ギリシア神話。
久しぶりにギリシアが世界の中心であることを認識させられている今日この頃、結構、神話の話が漂っていて、「そうか、欧米のトレーダーの頭の中にあるギリシアの近未来の運命は、神話の中に書いてあるのだろう」と思えてきたから。

2.学校の遠い先輩の著作。

3.もっと、利休の世界に近づいてみようかな、と無駄な抵抗。

4.古川著にもちょっと箸を伸ばして・・

5.高島嘉右衛門の伝記?
彼のことは詳しいのだが、どうも誰かが調べていて出版準備をしているという感じを受けていたのだが、それがこれかなと・・

ギリシア神話が1400円。十五少年が1000円と、ずいぶん価格が違うなあと思って、ページをぱらぱらすると、文字の大きさがずいぶん違った。ギリシア神話の方を読み切れるかどうか、かなり心配。

たぶん、軽いほうから読むだろうと、自分の性格を分析。
コメント

正岡子規と明治の鉄道

2010-05-23 00:00:43 | 美術館・博物館・工芸品
shiki1新橋の旧新橋停車場(鉄道歴史展示室)で7月19日まで開催中の「正岡子規と明治の鉄道」展。

正岡子規は明治の文学者である。夏目漱石とは、「東大及び松山つながり」で親交が深かったそうである。

しかし、漱石はその後、うまいことやって英国留学を果たしたのに対し、子規は結核に冒されていく。しかし、その闘病の中で韻文学の第一人者への道を、少しずつ固めていた。

そして迎えた明治26年(1893年)夏、子規は新聞「日本」の記者として、奥羽地方に1ヶ月の旅に出る。綴った紀行文が「はて知らずの記」である。

おそらくは、偉大なる先人である松尾芭蕉の「おくのほそ道」を大いに意識したのだろうが、芭蕉と子規の決定的な差は体力。忍者説まである芭蕉は一生歩き続けて、旅に果てるという漂泊者の鑑であったのだが、残念ながら子規は病弱。

もっとも、それで子規がコンプレックスに悩んでいたかというと、たぶん違う。鉄道の開通で、体力がなくても芭蕉の旅を復元できることの方が嬉しかったのではないだろうか。弱者の論理である。




そして、明治26年7月19日。子規は上野駅を出発。同日、宇都宮で下車。
「みちのくへ涼みに行くや下駄はいて」

『下駄』というのは比喩なのだろうと思うが、本当に下駄だったとすると、芭蕉に失礼な気がする。

一方、松尾芭蕉は、元禄2年3月27日、自宅前から舟に乗り、千住から歩き始める。日光についたのが4月1日。
 「行く春や 鳥啼(なき)魚の目は泪」
 さらば、江戸の町という感じが伝わる。その旅ごとの死を覚悟していた芭蕉の「軽み」と感じるべき句だろう。

その後、子規は列車を乗り降りしながら北上する。7月20日白河、21日郡山、24日福島。そして東北最大の都市仙台に7月27日到着。そして松島遊覧の船に乗ったのが7月29日。出発後11日目である。

一方、芭蕉は黒羽、那須、白河の関、多賀城と踏破し、松島に着いたのは5月9日。一月と十日余り。

ここから奇しくも両者とも日本海を目指す。
子規は、果敢にも列車を降り、下駄を脱ぎ捨て、たぶん靴に履き替え岩切、作並温泉、大石田と歩く。ここで、くたびれたか、川下りの舟に乗りこむことになる。そして到着した酒田まで、5日間。ずいぶん頑張る。さらに、日本海沿いに北上し主に徒歩、一部馬車という行程を選ぶ。秋田には8月14日。上野を出てから26日。

一方、芭蕉のコースはちょっと異なり、松島から北上し、平泉の金色堂で。「夏草や」の一句を詠む。その後、山形(山寺)、新庄、出羽三山と難所を通り、鶴岡、酒田に到着は、6月14日。旅は2ヶ月半である。

子規は秋田から再び内陸に向かう。ついに人力車も登場である。たぶん足のマメがつぶれたのだろう。大曲、湯田温泉を経て、ついに再び鉄路にたどり着く。黒沢尻に8月17日着。花巻のすぐ南だ。ここでついに帰路に着くが、水沢駅で8月19日に乗車した夜行列車は、翌日には上野駅に到着したわけだ。

一方、芭蕉は、酒田からさらに日本海を歩き続け、金沢を経由し、大垣に到着したのが8月21日。5ヵ月の旅が妙な場所で終わる。そして、江戸に戻らず、ふるさとの伊勢の方向に歩き始めたのが9月6日である。

芭蕉は、この旅の後、5年後に満50歳で亡くなる。子規は9年後34歳で亡くなる。

その後、夏目漱石が、小説を書き始めることになる。
コメント

猫裁判

2010-05-22 00:00:41 | しょうぎ
林葉参戦問題は、まだ対局までに時間があるので、後回しとして、加藤一二三元名人の猫裁判のこと。

餌付けの 中止と慰謝料など645万円の賠償を求めた訴訟で、東京地裁立川支部(市川正巳裁判長)は13日、餌付けの差し止めと3万6000~30万円の支払いを命じる判決を言い渡した。


慰謝料は合計204万円とのことだが、双方徹底抗戦とのことで、控訴、上告ということになるのだろう。

裁判は2008年12月に始まり、2009年12月に初公判。ここまで1年半である。

報道は一審の判決だけだが、特に愛猫家の人たちの注目を集め、初公判も大いに盛り上がったようだ。

まず、「愛猫家VS嫌猫派」の対立。「マンション内の少数派へのイジメ」。「変人VS常識人」の対立。といった、本来の訴状とは異なる対決軸が水面上に浮き上がっていたそうだ。

猫そのものについては20匹程度いたものが、避妊、去勢手術の結果、すでに数匹まで減少していたことが明らかになり、管理規約といっても、コリーを室内で飼っていた家庭もあるとの事実があきらかになる。さらに、元名人は「猫にかこつけたイジメである」との大演説をぶっていたようだ。

さらに野良猫の地域猫化を推進するグループが、加藤支持を打ち出したりして、さらに、混乱は続くものと思われる。シー・シェパードは犬なので、登場しないだろう。

いずれにしても、裁判を三回受けられるというのは一流国の証明なので、現段階で、どちらがいいとか悪いとか書くのはやめておく。

ところで、2CHの将棋板に囲碁板から出張してきた方の感想があった。

82 :名無し名人:2010/05/13(木) 19:50:18
普段「囲碁板」に生息しているものです。
NHKみて「将棋板はどうなっているのか?」と気になりきました。
加藤支持がおらず、よかったような面白くないような・・・

しかし、将棋は色々とメディアに取り上げてもらっていて「囲碁板」連中は
羨ましいですよ。

83 :名無し名人:2010/05/13(木) 19:51:51
>>82
囲碁界にも、結構問題人物はいたようなw

86 :名無し名人:2010/05/13(木) 20:12:48
82です
すみません。大変誤解を生むような感じになってしまって。

囲碁でも詐欺があったり、棋士どうしで酒のんで流血おこす喧嘩で
訴訟があったりといろいろあるのですが、一般に報道されず、
囲碁のマイナーな感じを痛感するのです。

羽生といえば誰でも知ってると思うけど、囲碁の名人だれ?
と聞かれてほとんど誰もしらなかと。

「よかれ悪しかれ報道される」というのが囲碁からは羨ましいのです。


確かに、将棋界って、三面記事になりやすい事件が多いわけだ。闇に消えた事件もあるだろう。

たぶん、将棋の方がプロ棋士になる敷居が高いため、一般常識を勉強するよりも将棋に徹した方が勝るということなのだろう。

だから、非常識人間比率が高いのだろうか。

さて、5月8日の出題作の解答。



▲1五角 △1七玉 ▲3七角 まで3手詰。

4八の角は不要駒じゃないか、という声が聞こえてきそうだ・・

動く将棋盤は、こちら

今週の問題。なんだか、もやもやしながら詰む。これでいいのかなあ、という感じがあれば正解だろう。



わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と手数と酷評を記していただければ、正誤判断。(同様の問題を以前出題したような記憶もかすかにあるのだが、確認作業が膨大なので、そうであれば、ごめん)
コメント (2)

「はなたれ」を飲みながら方言のことを

2010-05-21 00:00:41 | あじ
「はなたれ」は「初垂れ」と書く。

焼酎は蒸留酒である。ウィスキーやテキーラ、ブランデー、ラムなどと同じように一端、蒸留して気体に変化させてから液体に戻す。その工程の中で、蒸留の最初の段階で出てくるのが、この初垂れである。科学的に言うと、沸点が低い物質が最初に気体になる。アルコール類は低い温度で沸騰するが、水分は100度付近である。したがって、初垂れはアルコール濃度が高く、さらにフルーツ的な香りがする。エステル臭である。



さっそく、飲んでみると、これは高級な感じがする。が、本当はたいして高級ではない。

で、読み方の方だが、「初」を「はな」と呼ぶのは、「はなからできない」というように「はじめ」という意味もある。しかし、それではなぜ「はじめ」が「はな」なのか、というとよくわからない。もしかしたら方言?

ところで、MIXI上で横浜の方言の品評会が行われていた。横浜には150年しか近代文明はないが、さまざまなルートで、文化と一緒に方言がやってきた。

「じゃん」というのが有名で、これはあらゆる市民が使っている。
「首相、辞めたじゃん」のように使う。

どうも、大別すると横浜の歴史から言って、大きく4分割されるそうだ。

1.ネーティブ(三浦半島方面より)

2.東海道方面(三河~静岡)

3.シルクロード(山梨、八王子、群馬方面)

4.外来語(タンマというのもある。)


MIXIで紹介されていたもの(名称)を羅列すれば、

・チガクナイ?(それは違う)
・押さまえる(押さえ込む)
・うちんち、オレンチ
・さびっ(寒い)けっぱくる、
・ショッペー(塩辛い)、おっかねー(怖い)かったりー
・あさっぱら(早朝から)ケッパクる
・あんまし、やっぱし
・横入り(割り込み)

要するに、長い眠りから覚めたら猛スピードというのが横浜なんだろう。文化のるつぼ。
コメント

野島崎、天気晴朗、波もなし、地震もなし

2010-05-20 00:00:36 | 市民A
村上春樹の『1Q84 BOOK3』を読み終えたのは深夜だった。そして、翌朝、知人から、「千葉県の千倉の病院で療養中の母親が亡くなった」旨の連絡が会社に入っていた。葬儀は、千倉の隣町である安房白浜の葬場で行われるとのことだった。

しかし、千倉と言えば、読み終えたばかりの『1Q84』の中で、準主人公である天吾の父親が亡くなった場所でもある。謎のナース安達クミ。そして猫の町。

天吾は1984年には、特急電車で館山に行き、ローカル線を乗り継いで千倉の駅まで行くのだが、現代では、東京駅からバスに乗る。そうすると、羽田沖からアクアラインで木更津へ抜け、片側1車線の有料道路で、2時間弱で千倉に着く。



バスの車窓から千倉駅を写してみたが、画像の左側が心霊写真のように白ボケに写っていた。気味悪いなあ。

目的地は、安房白浜。つまり房総半島の先端なので、バスはさらに海岸道を走るのだが、房総半島南部の海岸にしては平坦な土地が続く。そして、時間をもてあましてしまい、徒歩5分のところにある野島崎を散策。野島崎灯台は、夕方なので侵入禁止だ。

そして、磯というか浜というか歩いてみる。



この野島崎、海の難所である。東京湾の出口でもあり、ここで日本列島がほぼ直角に曲がるから、東西方向の潮流と南北方向の潮流がぶつかる。江戸時代も、野島崎と銚子の犬坊崎という二つの難所を回避するために、利根川経由の水運もあったほどだ。

明治になっても、横浜港から外国に向かうのも、米国方面へは、ここから左に針路をとることになる。右に行くのか左に行くのか、歴史の方向を間違えたのは、一見穏やかな海を選んだからだろうか。

さて、後で知ったのだが、この野島崎だが、江戸時代初期は島だったそうだ。そして迎えた元禄16年11月23日。朝2時に、ここを震源地とする巨大地震が起きる。M8.1。元禄大地震である。野島崎は3メートル以上隆起して房総半島と陸続きになる。死者は2300人と推定されるが、江戸市中よりも熱海や九十九里に巨大な津波が押し寄せる。熱海では7メートルと言われている。



この年の春、昨年暮れに起きた吉良上野介暗殺事件の犯人46名に死刑(切腹)が執行されたことから、たたりではないかと信じられていたようだ。(忠臣蔵の話を数日前に書いた気がするが・・)

小説『1Q84 BOOK3』の中では、天吾は、葬儀の後、父親の納骨を謎のナース安達クミに気軽に任せ、一人東京に向かうが、こちらの方面では、一般に骨壷を火葬場から直ちに墓地に納めるようである。しかし、天吾が当日、納骨まで行えなかったのは、墓地の手配をしていなかったためなのだろう。あるいは、安達クミは、天吾の母親の転生ということなのだろうか。
コメント

リベンジ

2010-05-19 00:00:28 | 市民A
弊ブログ2010年5月6日『野菜全滅!!』で書いたように、日本国の国債デフォルトによる通貨破綻が、輸出入での基軸通貨であるドルとの交換停止の憂き目に至り、結果として食糧の輸入ストップといった事態になっても大丈夫なように、野菜作りのトレーニングを開始したのだが、あえなく大失敗である。

まず、ピーマンを植えてみた。



微妙。



さらに、トマトの苗を購入。サマーキッスという品種。大玉である。できがわるければ、ミニトマトということで妥協が可能か。



沖縄純白ゴーヤを購入。純白だと、いつ熟れたのかよくわからないかもしれない。


さらに、鉢にズッキーニを植えてみた。



なんとなく、キュウリとオクラがうまくいかなかったから代替品という感じも漂う。

最後に残るのは・・?
コメント (2)

まもなく100年になる大逆事件だが

2010-05-18 00:00:46 | 歴史
明治時代末期に関する書物を読んでいたのだが、明治43年(1910年)5月25日に発覚した大逆事件(幸徳事件)から、あと1週間で100年になる。

いつか、本ブログでも取り上げた売春防止法50周年は、結局、誰の騒ぐところにもならなかった。日本海海戦100年はかろうじて中曽根氏を囲む会みたいになったようだが、残念ながら「日本疑獄史のトップ3」に入るだろうというこの事件。まったくニュース性がないみたいだ。

しかたがないので、軽く事件を振り返ると、「明治天皇爆殺計画」ということ。天皇の乗る馬車に手製の爆弾を4人が順に投げつけようという計画で、5人が計画の中心だった。そのうちの一人である管野須賀子というのが社会主義者幸徳秋水の愛人だった。この5人の中心メンバーだった宮下太吉が長野で爆弾製造中を逮捕される。

宮下は幸徳秋水に事前に計画を相談していたようだが、明確に賛成とは言われていなかったようだ。

しかし、時の明治政府の中心人物は、山県有朋。この山県こそ、のちの大東亜共栄圏につながる日本の防衛ラインを東南アジアまで設定し、進軍ラッパを吹いた大責任者だろうと思うが、自分の意を推し進めるために、社会主義者の壊滅を目指すことになる。

刑罰が「死刑」しかない大逆罪の容疑で26人を起訴。うち24人に死刑が言い渡され、12人が刑を執行された。

大逆罪そのものの法律的是非はともかく、実際に作戦に関係していた5人以外に大逆罪を適用するのはかなり難しいはず。幸徳秋水が狙われたのは、社会主義の理論的中心であったことと、実行犯である管野須賀子の愛人であったことで、合わせて一本ということなのだろうか。

なお、管野須賀子は、秋水の愛人になる前には、もう一人の社会主義者の中心であった荒畑寒村の妻だったのだが、ちょうど赤旗事件というのが起こり、二人とも逮捕されたものの、荒畑は入獄し、須賀子は釈放される。そして荒畑の服役中に須賀子は秋水に走り、二人とも1910年に死刑となる。

荒畑寒村は71年後、1981年、93歳を全うした。社会党の衆議員議員を二期務めている。
コメント

三軒茶屋で道に迷うと(極めて私的な『1Q84 BOOK3』)

2010-05-17 00:00:28 | 書評
19843『1Q84 BOOK3』をやっと読み終える。BOOK1とBOOK2は発売直後に西日本に出張があり、新幹線の下りで1冊、上りで1冊読んで、一気に片付けたが、『BOOK3』はまとまった時間がとれず、ロングランになる。眠る前や電車の中など、小刻みに読むのだが、特に眠る前にこの種の先の読みにくい小説を読むと妙なことになる。

おそらくレム睡眠の時だろうが、小説の先が、夢に現れるわけだ。それもコトバとして現れる。要するに、今後の展開を勝手に頭の中で組み立てて筋ができあがるわけだ。そして、朝になると、すべて夢だったことがわかる。そして、少しずつ読み進むと、そういう日が連続するわけだ。だから結果として何通りもの1Q84の結末を知っているわけだ。

おおむねその通りの小説になっている。

ところで、読み始める前に、うっかり朝日新聞で、この『BOOK3』についての解説を眼にしてしまった。内容に触れることはなく、文芸部員によって書かれていたのだが、中で気になったのは、「150ページほどのところで、おやっ、そっちの方になるのか、と思った」というような記載があったこと。

そのため、150ページのあたりを慎重に読むことにしていたのだが、特に、どうってことは感じなかった。『BOOK2』の段階で、そっちの方になるだろうと確信していたので、驚くことはない。ただ、150ページを読んでいる時に、激しく戦慄を感じたことがあった。本を読んでいる場所である。

東急田園都市線という地下鉄に乗っていた。その地下鉄のちょうど上が国道246号線。その上が首都高3号線になっている。三重構造。場所は三軒茶屋駅付近。つまり、この小説の最大主人公である青豆が首都高を走るタクシーから非常階段で地上に降りた場所なのである。

さらに、歴史的に、この場所は「迷い道」なのである。

現在(江戸時代でも)、都心方面からそこまでが青山通り(大山街道)。この三軒茶屋で南側の246号(大山街道)と北側の世田谷通りになる。つまり三差路である。大山詣(伊勢原)というミニ旅行の通過点だった。

この三差路の三又の3か所に三軒の茶屋があった。都心方面からくると、ちょうどここらでお昼時。当時の日本は朝夕の二食制なので、ここで茶屋に入ってお茶と団子を口にする。そして、いざ旅の続きを始めるときになって、同じ太さの三又で行き先を間違える。そうすると、まったく別の旅になってしまうわけだ。


次の戦慄。450ページ付近で天吾と青豆がすれ違ってしまう場面がある。ちょうど、地方都市の駅前のカフェで読んでいたのだが、ふと数十年前に、この場所で運命的なすれ違いをした記憶がよみがえる。

最後の戦慄。南房総の千倉。猫の町である。天吾の父親が、ここで亡くなる。そして、ナースである安達クミが登場するが、その役割がよくわからない。そして、実はこの本を読み終わるやいなや、翌日に突然、千倉にいくことになった。

なぜ、千倉なのだろう?

村上春樹が南房総に住んでいるという風の噂を聴いたことがあった。あるいは、千倉やその先の安房白浜だったのだろうか。本書を書くためだったのか、あるいは住んでいたから書きやすかったのか。そして、次の長編を書くために、既に次の引っ越しをしたのだろうか。南房総には猫抱きカフェもあるようなので、猫の町のヒントになったのだろうか。


ところで、今回の小説には、数多くの老醜が登場する。「ノルウェー」と「ダンス」は青年のストーリーであり、「ねじまき鳥」は中年への入口のストーリーとすれば、老人が多数登場した今回の小説の、「次」は、どこに行くのだろう。

あるいは、今回、多くの登場人物が輪廻転生を遂げたので、再度、少年少女小説から書き始めるのだろうか。
コメント