うそうそ(畠中恵著 時代小説)

2019-09-30 00:00:56 | 書評
「しゃばけ」シリーズ第5巻。全19巻もあるので、とりあえず5巻までと思っていたが、5巻目で大転換が。登場人物たちが江戸を離れ旅に出る。とりあえず近場の湯治地として箱根を目指す。海路、小田原まで進み、そこから山道を駕籠で登って箱根まで。途中の小田原と、箱根湯本で休みながら芦ノ湖の方まで行くのだろう。第一巻以来の長編である。



江戸時代の箱根は関所として有名で、なんらかの理由で関所破りをしようという人はかなりいたようで、山の中に入ると、天狗や追剥が待ち構えていることになっていた。

ところが、主人公の若だんなの行く先には、次々を命を狙う武士や雲助や妖怪たちがあらわれる。それは1000年昔の時代に遡って、山の神の娘を間違って生贄として芦ノ湖に放り込もうとした村人たちへの罪に原因があるのだが、自らの過ちを認めないのは世界的に人間の普遍性であるため、江戸から来る旅人のせいにして、殺してしまおうということになるわけだ(原書では、もっと複雑で魅力的に書かれている)。

ところで、『うそうそ』は第4巻『おまけのこ』同様に、死者は出ない。行方不明者もいない。シリーズの当初には、バッサバッサと様々な人間たちが多様な死に方をしていたのだが方向転換したのだろうか。次の死体は何巻目になるのだろうかとか、次の旅行先はどこになるのだろうか、といった興味で6巻目に進むのだろうか。

現在、個人的に一仕事中なので、手が空いたら、また5冊といった感じかな。
コメント

芭蕉展(奥の細道330年)

2019-09-29 00:00:10 | 美術館・博物館・工芸品
松尾芭蕉が『おくのほそ道』の旅に出立したのが1689年の春の終わり。今年はそれから330年の節目に当たる。芭蕉の出立は、心酔していた歌人である西行法師の五百回忌の年でであったからだ。その時、45歳。のちに旅に倒れたのが50歳であり、難行苦行が予想される奥羽地方から日本海沿いをひたすら夏の暑さの中を終着地である大垣に向かうというようなことを自分なりに考えれば、人生の大仕事をなすべき頃合いと思っていたのだろう。

昨年、大垣にいって「奥の細道の終着地」を見ているのだが、内陸ではあるが河川航路があり、一週間ほど休息をとってから、歩かずに船に乗って伊勢湾へ出て、ふるさとの伊賀上野に向かっている。ノルマ達成ということだろう。

もっとも、最近では「芭蕉=伊賀の隠密」という説が有力になっていて、前半生の不思議な生い立ち(つまり重要なことはよくわからず、それでいて伊賀上野から江戸に出て、水道事業者として日本橋に住むというような幸運)は、いかにも何らかの見えざる手が動いているように見える。『おくのほそ道』の旅にしても仙台伊達藩の探索に違いないとも思えるわけだ。ようするに、『証拠がないが、おそらく・・』ということだ。



今回、有楽町の出光美術館で開催の『芭蕉』展(~9/29)では、この隠密説については、まったくスルーしている。もっとも、芸術家が他の仕事と二足の草鞋を履くことは、一芸ももたない凡人の目からみればジェラシーを生みやすいわけで、例えば、幕府隠密の権力をもって俳諧集を量産して全国の大名に押し売りしたというようなことではないのだから、気にすることもないと思う。むしろ、「隠密らしく庭の池に飛び込むカエルの水音にも仙台藩の刺客の接近を疑っていた」というような評論家がいたら面白いくらいだ。

出光美術館は、文学館ではなく美術館なので、今回の中心展示は、「芭蕉自筆の自作」である。現代人が芭蕉を知るのは活字であるわけだが、芭蕉本人が、「ふるいけや・・」と書いた短冊(「発句短冊」という)などである。そもそも文学者は紫式部の時代から墨と筆と紙によりことばを紡ぎだしていたのだから、ある程度、字が巧いのは当然だが、それを書道という枠にはめると○○流というようなことになり、文学を書くどころではなくなる。ということで芭蕉の文字も書道界では評価されない。「あじわい」を感じる、と言われているようだ。つまり下手とは言わないまでも自己流と言われる。

しかし、解説にもあったが、芭蕉なりのルールはあるようで、「軽み」の表現者ではあるものの、五七五の中で、どこに重きを置いて書くかに留意していたそうだ。筆に墨を含ませ書くのだから普通は徐々に墨が薄くなる。一気呵成に読み下すべき句はそのまま書くし、下五とか中七に重きを置きたい場合、最初は薄く、強調文字のところで墨を付け直して表現しているということらしい。芭蕉ともなると、専門の分析官がいるものだ。また、私が感じたのは、くずし字ではあるものの、凡人でも間違っても読み間違いのないようにわかりやすく書いているようにも思える。そのあたりが「あじわい」と言われる所以かもしれない。


最後に、つまらない話を書くのだが、会期終了間近に訪館したのだが、ある程度の入りであり、美術館のある9階のエレベーターから降りて1000円の入場券を買おうと財布の中から一万円札を取り出してチケット売り場の列に並んだところ、前にいた銀髪の美しいご婦人から、「それならこの券を使ってください。余っているので。」と招待券をいただくことになったのだ。よほど一万円札を取り出すときの表情が貧乏くさかったのだろう。札を財布に戻した時にチケット売り場の女性と目が合ってしまい、あちらにもこちらにも頭を下げることになった。
コメント

中島敦氏はなぜ、天野宗歩を並べたのか

2019-09-28 00:00:16 | しょうぎ
中島敦(1909-1942)は作品数の少ない作家である。一方で、一年間に書いた作品が多いことでも知られる。生涯の代表作である『山月記』や『李陵』を含むほとんどの作品が昭和17年(1942年)に発表あるいは執筆され、同年の12月4日、33年の人生を宿痾喘息で散らした。

彼の短い年表を読んでいて気が付いたことがある。22歳の時に史上最強棋士ともいわれることがある天野宗歩の全棋譜を並べたことになっている。ということは、彼は、作家になるのを諦めて棋士になろうとしたのだろうか。あるいは棋士になろうと思っていたが、結局作家になったのだろうか。ひも解く資料は今のところ見つけていない。

一方で、天野宗歩の人生で言うと、文化13年(1816年)生まれで、安政6年42歳で亡くなっている。史上最強棋士ともいわれ、名人家に生まれなかったため名人を名乗れなかったが棋聖と言われている。安政3年11月17日の江戸城内でのお城将棋の席で、有名な遠見の角(▲1八角)を打っている。(日本将棋体系の『天野宗歩』の巻で、中原誠元名人は「他に手はないので、私でもそう指す」というような意味の場違いな意見を書いている)



さて、中島敦が全棋譜を読んだというのは、おそらく明治10年に伊藤宗印が編集した『将棋手鑑』のことと思われる。実は、その本には棋譜が書かれているだけで図面がない。『将棋手鑑』に生涯の全棋譜が掲載されているかはわからないが、日本将棋体系によると120局が明らかになっているとのことである。相当の将棋好き、あるいは何らかの意図がなければ読み切れない。



しかも、彼が棋譜を並べたのは昭和6年(1931年)の3月頃とされている。22歳の時で、前年の4月に一高を卒業し東大文学部国文学部に入学(彼の学歴は飛級だったり、病欠で一年遅れになったり色々だ)。特筆すべきは棋譜を並べた3月は春休みということで、新婦と結婚している。新婚旅行に行かないで古棋譜を並べていたわけだ。

彼が文学方向に進んでいったのは、祖父(漢学者)や父(中学教師)の影響もあるだろうが18歳頃からである。21歳の夏休みに永井荷風と谷崎潤一郎の作品をほとんど読んでいる(荷風も谷崎も戦後も執筆しているので、中島敦が読める範囲の話だろう)。そして次が天野宗歩であり、そのあと上田敏、森鴎外、松岡子規と全集を読んでいる。その後、全集には手を伸ばしていないようで、ますます将棋の本を読んだのが不思議になる。



鷗外全集を読んだことは「山月記」の主人公が「どうにもならない人生のあきらめ」をテーマにしているということと通じるように思うのだが、中島敦にも「名人記」という短編があるが、将棋の名人ではなく弓の名人の話だ。天野の角といわれた矢のような名手▲1八角から着想を得たというのは、いかにも論理のジャンプだろう。(川端康成の「名人」は囲碁の名人の話だが、書き始めた時、すでに中島敦はいないのだから無関係だ)

昭和6年に戻って将棋界を見ると、大正の終わりに阪田三吉の乱があって、その後、昭和10年に実力名人戦に移行する間の過渡的な混乱期だった。各新聞社が独自棋戦を立てて、とりまとめることができなかった。少し気がかりな情報としては、この実力名人戦が成立する過程でとりまとめの中心人物が、日本将棋連盟顧問の中島富治(号・融雪)。中島姓である。敦より一世代上の人物である。親戚という可能性も考えられる。

あとは、中島敦の評伝が数冊あるのであたってみるしかないだろうが、評伝をまとめた人物が天野宗歩を知らない場合、当然ながら得るものはないだろう。


さて、9月14日出題作の解答。





入玉されないように注意しながら,角と銀を遠くで操る。駒が余らないように玉方は逃げないといけない。

動く将棋盤は、こちら

GIF版



今週の問題。



詰将棋的な手や、そうではない手を織りなしている。どちらかというと、着地優先作。合駒選択あり。

わかったと思われた方は、コメント欄に、最終手と総手数とご意見をいただければ、正誤判定します。

コメント (4)

『波』9月号

2019-09-27 00:00:57 | 書評
新潮社の書評誌『波』を読んでいる。一冊100円だし、連載が多く、後で単行本を買うよりもずっとお得だ。ただし、本を買うなら好きな本が買えるが、雑誌の連載は新潮社が決める御仕着せになる。



9月号で気になったのが川本三郎氏の『荷風の昭和』の第16回。好きな著者ではないが永井荷風は興味深い人物なので、まず先に読む連載だ。16回と回を重ねるにつれ、文学史的書きかたから時代史的に変化してきた。もっとも『昭和』を書くことになっているのだから目的に近づいているのだろうか。

今月は『犬』の話。荷風は犬が好きだった。といっても自分で飼うのではなくお妾の飼っている犬が好きだった。あるいは犬好きのお妾がいたということか。

有名な愛人だった関根歌が犬を飼うときの日記は、「小星数日前一口阪電車通にて・・・」と犬を拾った経緯が書かれている。後で書くが「小星とは愛妾のこと」と川本氏は書いている。さらに数か月後、この犬が病気で獣医の手当ての甲斐なく亡くなってしまい、巣鴨志村にある家畜埋葬地に送り出す。巣鴨志村とはかなり狭い場所で、そこに家畜埋葬地があったとは初耳。いずれ調べてみようかと思うが、まさか今は?

さらに関根歌は別の犬(ポチ)を飼うが、7匹の子犬が産まれる。ポチというのはメスだったようだ。そして荷風は「小星の愛狗七疋子を生みたり」と書いている。

ここで、また妾のことを小星(しょうせい)と書き、犬のことを愛狗と書いている。少し気になって調べてみると、小星とは「星くず」の意味で、妾が自分の身分をへりくだって言う場合に使う言葉で、自分以外の他人が使う言葉ではないそうだ。もっとも荷風は妾よりも犬の方がかわいいと思っていたのかもしれない。もう少し後になって歌が病気になると別れてしまい、別の芸者との関係を始める。しかし、歌の病気は快復してしまうわけだ。

次に、はらだみずき氏の『やがて訪れる春のために』。主人公が若い女性なので、若い女性作家かと思っていたが、若くもなく女性でもないことがわかった。たいへん読みやすい小説なのだが、毎回、連載の最後に『了』と書くので、ついに完結したのか、「だが話が中途半端だ、もしかして夏目漱石の『明暗』のように未完に終わったのか」と心配になるのだがいつも次号で続編が読める。念のため他の連載を確かめると『つづく』と書かれている。

千葉県の出身ということもあるだろうが千葉市と成田方面を結ぶ道路について『成田街道』と呼ばれるが、以前は『佐倉街道』と呼ばれていた、と書かれていたのだが、私は千葉から脱出した口だが、時々自動車でそちら方面にいくと、佐倉街道のあった場所に成田街道があるので、並行してもう一本道を付けたのだろうと長い間勘違いしていたことがわかった。

ミニ特集として『吉田修一の20年』。21世紀を代表する作家だそうだ。

『東京湾景』『パレード』『パーク・ライフ』から、わたしたちの21世紀は始まった。柔らかくて、寂しくて、熱い彼の小説ができるまで、そしてこれから―――。

だそうである。
コメント

万宝料理秘密箱前編「卵百珍」について

2019-09-26 00:00:27 | あじ
畠中恵氏による人気の『しゃばけ』シリーズに登場するのが江戸時代の料理書である『万宝料理秘密箱前編(卵百珍)』卵料理を集めたレシピということになっている。

少し不思議に思ったのは、「前編」ということばと「卵百珍」ということば。前編ということは、後編もあるのだろうか。また前編が卵料理なら後編はなんだろうという疑問だ。調べてみると、意外な話だった。

まず、その本は実在するのか、著者の創造物なのかというと、実在している。

実際に以下に紹介する画像をここに掲示することにどれくらいの知的財産権があるのかどうか、よくわからないことがある。古文書、現代語訳料理写真付き、本の表紙、クックパッド・・ということで、こういう本があるということがわかる程度の画質に落しておくので、原文を読みたい人や現代語訳を読みたい人、料理を作りたい人は、各自、詳しく調べていただくと、容易に先に進めることができる。



まず、本書は『萬寳(まんぽう)料理秘密箱前編』となっている。天明5年(1785年)に京都の器土堂が発行している。さらに寛政7年(1795年)に再版されているようだ。また、現本やその写しが何セットか実在する。5冊5巻である。別名は「玉子百珍」となっている。これにて調査終了ということにはならない。

「卵百珍」ではなく「玉子百珍」。細かいように思えるが、実は、「卵百珍」というのは別の本に付けられた通称である。それも同じ年の別の書物だ。誰かが混同している。

もう少し、前段の話がある。

三年前の天明2年(1782年)に大阪の春星堂から『豆腐百珍』という本が出版されている。豆腐料理百種だ。これが大当たりしたようだ。そして、触発されたに違いないだろうが京都の器土堂が、3年後の天明3年に、続々と料理本を出した。その一つが、『萬寳料理秘密箱前編』であるが、その他は何かというと、

『萬寳料理献立集(別名:卵百珍)』
『鯛百珍料理箱』
『柚珍秘密箱』

その他にもいくつかの出版元が百珍物を出版している。器土堂というのが版元なのか、名前から言って皿や茶碗を作っている店のようにも思えるが詳細は不明。

そして、『萬寳料理秘密箱前編』に後編があるのかについては、見つかっていない、あるいは存在しない。実際、そう簡単に売れる本なのかということがある。卵は高級品だったし、この本を買う層は大衆ではない。

さらに玉子百珍といっても玉子料理だけではない。5巻の最初は鶏料理集だそうだ。そして最後は川魚料理集だそうだ。その中で最多が卵料理で103種(寛政版は107種という説あり)。



そして、この現代語に翻訳されたものが教育社から豪華本で出されている。原文は、ほぼ文字だけだが(一部調理器具の説明図が使われる)、現代語訳(奥村彪生訳)には完成した料理の写真が使われている。なお原著者は「器土堂主人」となっていて、本名はわかっていないようだ。



料理を作ることに特化して調べるなら、クックパッドやキッコーマンでもレシピが公開されている。

いうまでもなく、現本通りに作った場合でも、その料理を食べた結果、身体や頭脳に何らかの異常が発生しても責任は持てないので、よろしく。
コメント

おまけのこ(畠中恵著 時代小説)

2019-09-25 00:00:07 | 書評
『しゃばけ』シリーズ第4巻は『おまけのこ』。短編5作である。

第三巻までと決定的に異なる点がある。

第三巻までは、長編にせよ短編にせよ、ほぼ各小説の中で人が死んでいること。人ではなく猫が死ぬのもあった。しゃばけに登場する妖(あやかし)は寿命が1000年以上(場合によっては3000年)なのだから比べようもないが、人の命ははかない。殺されなくても病気で早死にすることなど茶飯事の時代、推理小説で殺人事件が起きないというのは画期的ではないだろうか。というか、現代においても殺人事件が続いているのだから、殺人のないミステリって刺激が足りないのではないだろうか。

もしかしたら著者の実生活上、身辺に不幸があったのだろうか。“喪中につき、一年間は殺人は扱いません”とか。本短編集では、せいぜい殴られて一時的に意識不明になるレベルまでだ。



短編は、『こわい』、『畳紙(たとうがみ)』、『動く影』、『ありんすこく』、『おまけのこ』。

こわいは『孤者異』と書き、貧乏神の親戚のようなタイプだが、この怪にかかわると大不幸が起こってしまう。恐いという言葉の語源とも言われるらしい。

『畳紙』。厚化粧女に薄化粧を勧める話だ。素顔を見られるのが恐怖という気持ちで、化粧が塗り壁のようになった女性の心理的回復プロセス。

『動く影』。主人公の一太郎が幼少の頃に体験した事件である。妖怪退治で大活躍の図。

『ありんすこく』。「ありんす」とは吉原言葉である。吉原の禿が心臓病であるということで、なんとか足抜けさせ、治療させようというストーリーだが、そう簡単には事は進まない。深く読むと、吉原という矛盾だらけの存在を著者が、ややネガティブに考えているということだろうか。江戸の矛盾は解決されず。

『おまけのこ』この題名が何に由来するのかは知らない。この短編の主人公は、一太郎でもなければ、手代たちでもない。鳴家(やなり)と言われる小さなあやかしだ。必至の思いで、宝物を守る。川でおぼれかけたり、カラスの餌にされそうだったり、・・


なんとなく思うのだが一冊の本の中の5から6編の短編は、江戸を様々なアスペクトで切り出して読者を飽きさせないようにしているのだろうと感じてきた。次の5冊目を読んで、とりあえず「しゃばけ地獄」から抜け出せるかどうか。

本作中で、後で調べるべき単語として「胡椒飯」という料理が出てくる。病弱な主人公である一太郎のための特別メニューだ。

胡椒は確かアフリカ原産で、西洋人が腐りかけた肉を食べる時に腐臭に気が付かないような強烈な刺激臭を求めたことから重宝された。洋風カレーと同類だ。大航海時代が始まる一つの原因物質。白い米に胡椒の粒を入れて炊くのだろうか。むしろ麦飯の方が合うかもしれない。
コメント

木と市長と文化会館/または七つの偶然(1992年 映画)

2019-09-24 00:00:13 | 映画・演劇・Video
フランス映画。ロメール監督はハリウッドの百分の一の予算で映画を作るそうで、本作もスタッフも俳優も最小の数人。政治的映画でもある。

主人公のジュリアン・ドゥショールは大地主でありながら社会党に属し、小さな市の市長である。郊外にある緑多い市からは若い人がどんどん流出し、農家も牧場も後継者が減って、さびれている。そのため、地元に文化会館を誘致し、野外シアターやメディアセンター、映画館、プールを付属させて、市内の若者たちと近隣の地域から集まった若者の交流の場にして、働き口を作ろうとした。費用の大部分はフランス政府持ちだ。もちろん社会党なので、環境対策も設計に取り込んでいる。



一方、地元の小学校の校長は、開発反対派。エコロジストである。できうれば人間が住めなくなるまで田舎化が進んで、フランスだけでなく世界中の進歩が止まるのが良いことだと信じている。

つまり、さまざまな対立軸があるわけだ。「都会×田舎」「進歩×後退」「金持ち×貧乏」「若者×老人」「保守×社会党×緑の党」「未来×現在」

日本に似ているというか韓国に似ているというか。

フランスの国民性は「心は左、財布は右」といわれるが、まさにこの市長はフランス人の典型だった。韓国人は、「心は左」の人と「財布は右」の人が別々に存在する。日本は、「心は左、財布は右」の人と、「心は右、財布も右」の人が同じぐらいいる。

そして、市長と校長の争いは、校長が勝ったわけだ。というのも雑誌の特集で、駐車場予定地の柳の老木を切り倒すかどうかという議論にすり替えられてしまうわけだ。老木で危険なので3年以内には切り倒す予定だったのに。

フランス映画と言えば、最後に一ひねりや二ひねりがあって困惑するのが一般的だが、本作についていえば半ひねり、という感じだ。考え込むことはないだろう(理解不足かもしれないが)。


主役の市長は、郊外に城と森を含む巨大な庭を持つ大地主であり、ドゥショールという姓だが、本来のショールという姓を祖父が貴族出身に見せかけるために、ド・ショールと「ド」を付けたものの、ニセ貴族的なのは嫌だと、「ド」と「ショール」を連結した姓に代えたそうだ。単に「ド」を捨ててショールに戻さなかったところがフランス的発想なのだろう。

日本だと、無産階級でも市長になると、市内のすべての公園が自分の物だと錯覚して、城の建て替えを命じたりすることもある。ただし、江戸時代に名古屋城が完成したときには、名古屋では最も最新鋭の建物であっただろうが、現在復元する名古屋城は、現在では最も古い形態が考えられている。エレベーターの設置という設計問題が議論になっているが、思想的観点で言うと、「復古主義」を設計の中心とするのか、「観光資源(金儲け)としての価値」を中心にするのかという原点の議論が必要だと思う。
コメント

ねこのばば(畠中恵著 時代小説)

2019-09-23 00:00:52 | 書評
『しゃばけ』シリーズ第三巻の『ねこのばば』。一応、全19巻の5冊までは読もうと思っている。あとはその時の気分次第。『ねこのばば』は5編の短編集。

『茶巾のたまご』。『花かんざし』。『ねこのばば』。『産土』。『たまやたまや』。

nekonobaba


茶巾のたまごとは、『万宝料理秘密箱』前編『卵百珍』という料理の秘伝書にレシピがある料理名だそうだ。後で、実在の本かどうか確認したい。「貧乏神」が登場する。ちょっと陰気なキャラでシリーズの雰囲気と異なるのだが大丈夫だろうか。

思い出すと、最初に入った会社の経理部に『貧乏神』というニックネームをつけられた先輩がいた。コスト削減ばかり言うから、そう呼ばれているのかと思っていたが、マージャンをしているときに、彼に後ろに立たれると「必ず振り込む」と毛嫌いされていた。いつの間にか、会社から消えたらしいが、人間ではなく本物の貧乏神だったのだろうか。小説の中に出没していたわけだ。

『花かんざし』。ちょっと笑えない話。狐に憑かれた母が娘を殺そうとして乳母を殺してしまう。あまり笑えるシーンはない。



『ねこのばば』。猫又の話や、女犯僧、寺院の中で密かに行われる不正会計。猫又は妖(あやかし)の仲間であり長寿である。したがって飼い主からすると猫が長寿なのはいいのだが、二十年も生きていたら、「猫にしては長寿すぎる。もしかしたら猫又ではないか」と疑われることになる。

『産土』。奇妙な展開だ。いつも妖(あやかし)と行動を共にする主人公は、自身が大店の商店を継ぐことが決まっていたが。大問題に巻き込まれ、土人形に取り込まれる。父親の借金のかたに少しずつ命を失っていく。助けに行った番頭(実は犬神)が万策尽きて火事を起こす。店も主人も灰燼に・・・ありそうでなさそうだ。大がかりで奇妙なストーリー。

『たまやたまや』。一太郎の幼馴染の女性が、結婚することになり、関係者一同の身分調査のような話になる。あやうく切り殺されるところだったが、この幼馴染の嫁ぎ先の夫が、怪しいまま次作に向かうことになる。

本作で登場する江戸情緒だが、中条流というのが出てくる。中絶のこと。妊婦に水銀を飲ませる方法だ。前巻に登場した『石見銀山』。ヒ素を使ったネズミ殺し薬だ。ネズミを殺す目的か、なんらかの理由での殺人事件が目的なのか二つに一つだ。密殺、秘殺。当初は石見銀山のヒ素が使われたが、そのうち別産地品が使われることになる。ジェネリックであっても石見銀山と呼ばれた。

読後調査が必要なのは『卵百珍』だろうか。
コメント

腰掛稲荷神社で座ったのは

2019-09-22 00:00:07 | 美術館・博物館・工芸品
文京区の名所の一つに「腰掛稲荷」がある。正式には「腰掛稲荷神社」である。無論、腰掛に関係する。

ところで、「腰掛神社」という神社が神奈川県の茅ヶ崎市にある。茅ヶ崎と言えば加山雄三とかサザンとかのイメージがあるが、まったく山の中。隣が慶応湘南藤沢キャンパス。うっそうとした樹木の中にある神社で、いかにも神様が大木の陰に隠れていそうな場所だ。この茅ヶ崎の腰掛神社には1メートル近い大石があって、そこに日本武尊が東征の旅の時に腰掛けたとされている。その石も現存しているが、関東の場合、川から離れている場所に大きな石があるとすると、それは、「何か理由がある」ということになるのだが、ここに大石がある理由はわかっていない。

気を付けないといけないのは、よく山道の途中にベンチのような大きさの石のテーブルがあって、ハイキングの人たちがそこに座っておいしそうに弁当を広げたりするのだが、70年前には普通だったのだが、山奥の共同墓地に土葬するため棺に入れられたご遺体を運ぶ途中で一休みするために、そのために先祖代々伝わるベンチのような石のテーブルの上に棺を置いたそうだ。



一方、文京区の腰掛稲荷だが、こちらで腰掛けたのが徳川家光。三代将軍だ。鷹狩りの途中で、ここにきて切り株に座ったそうだ。そして、何か大願成就を祈ったそうだ。その結果、家光は250年間続いた江戸時代の基礎を作ったとされている。実際には、もっと通俗的なことを祈ったのかもしれないが、通常、祈りは心の中で行うので解明されることはない。

その後、「腰掛」という言葉に含まれる「停滞感」と「徳川家の大願成就」が結びつき、ちょっとした人生の停滞期にもかかわらず躍進のための充電期間を意味することになり、「腰掛け就職」で転職機会を狙っている「腰掛社員」たちが、次なる門出に期待して訪れるようになったようだ。



なお、境内には、菊石と言われる菊の御紋の入った大石がある。くれぐれも座ったり大きな荷物を置いたりしないように。
コメント

『3月のライオン後編』(2017年 映画)

2019-09-21 00:00:39 | しょうぎ
前編から1か月後に上映される。新進棋士の桐山零は新人王を獲得した後、記念対局で時の最強棋士である宗谷冬司と対局するが、一手の緩みから押し切られてしまう。宗谷に負けた先輩棋士の島田の迫力をみて、島田研究会に入ることになる。



一方、親しくしていた川本家には出奔していた三姉妹の父親が戻ってきて、川本家は混迷することになる。また、イジメ問題やひきこもり問題なども同時発生。少年時代に競い合った姉弟子がA級棋士との不倫を始め、将棋以外の雑事が次々に桐山に迫ってくる。

実は、この映画、思いのほか不発だったそうだ。そもそも二本立てにして収入を倍にしようとしたことも割高感があったし、漫画で表現されたコミカルな部分がなくなって全編が暗く重い世界になったのが原因かもしれない。そもそも棋界というのは暗い社会ということもある。一握りの成功者と大量の敗残者という結果になる。

もう一つの不発の原因だが、主人公の桐山零(神木隆之介)よりもそれを取り巻く棋士群、宗谷(加瀬亮)、島田(佐々木蔵之介)、後藤(伊藤英明)の演技が素晴らしく、役負けしているように見えるということがある。

しかし、ラストシーンの獅子王戦で、桐山×宗谷が対局を始めるところで映画は終わるのだが、7番勝負ともなればその間に様々なことが起こるものだ。原作の漫画とは少し違っても、獅子王戦の結末をつけてもらいたかった。


さて、9月7日出題作の解答。





中空にクモの巣を張るような問題。クモの巣は張れても、残念ながら屋根のブルーシートは張ったことはない。

動く将棋盤はこちら

GIFで試作中。





今週の問題。



嫌われ者の双玉問題。実は合駒問題でもある。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数(11手)とご意見を記していただければ正誤判定します。
コメント (4)

李陵・山月記(中島敦著 小説)

2019-09-20 00:00:22 | 書評
中島敦のほとんどの小説は昭和17年(1942年)に書かれている。そして、同年12月4日に彼は宿痾喘息により、33年の人生に終止符を打つ。

よく「山月記」が国語の教科書に使われることから、同種の「李陵」や「弟子」が有名だ。今回は文春文庫で読んだが、ほとんどの文庫発行の出版社が、中島敦を文庫コレクションに加えている。著作権が既に消滅しているからだろうか。



文春文庫では、「光と風と夢」、「山月記」、「弟子」、「李陵」、「悟浄出世」、「悟浄歎異」の六編を収録している。

実は、「山月記」も初めて読んだのだが、もっと難しい話かと誤解していた。もっとも作家が何を言おうとしていたか、本質的にはよくわからないことがある。中国の李徴という博学の秀才の話で、中央省庁の役人でありながら詩歌に長け、二足の草鞋は嫌だと言って、退職して文学にいそしむが、芽が出ない。働かないわけにはいかず、地方公務員に再就職したが、ついに発狂して行方知らずになるが、虎に変身してしまう話だ。実に悲しいと言わざるを得ないが、どうすればよかったのだろう。

「弟子」は孔子の弟子の話。不器用な男が孔子の弟子になり、儒教をそのまま政治の世界に持ち込み大失敗する図である。「李陵」は漢の忠臣だった李陵が無謀な戦いをしなければならなくなり、敵の捕虜になった以降の話。以上の三篇は、思いもかけない偶然により、不運の連続のような人生(一人は虎になったが)を送ることになった話という共通性がある。どうにもならない人間の運命がテーマなのだろうか。

悟浄シリーズ2編だが、西遊記でカッパ役の沙悟浄の話。「悟浄出世」は臆病者だった沙悟浄が、川に住む1万3千の性悪な妖怪の中で生き抜いて、自我を確立させ、やがて三蔵法師一行のヒッチハイクの旅に加わるまでのことが書かれる。その後編である「悟浄歎異」は、そのツアー中の同行者に対する冷めた感想である。要するに沙悟浄は、ごく普通の人(人ではないが)なのである。

そして問題は「光と風と夢」。読み始めて最初はよく理解できなかったが、登場人物はスティーブンソン。「宝島」・「ジギルとハイド氏」の作者だ。彼は中島敦より半世紀ほど前の英国人で、中島敦と同じように喘息に苦しんでいた。地球上で唯一健康を得られる場所は、彼が人生の最後に辿り着いた南太平洋のサモアという島だけであった。そのサモアで、白人と原住民との紳士的ではない関係を書いたり、批判したりをスティーブンソン氏に成り代わり行っている。

他人の日記を書くというのは、あまり例がないだろうが、芥川賞の候補作になったのだ。しかし選考会では川端康成氏以外はまったく受賞に否定的だったそうだ。

要するに、実験作なのだろう。作家として長く書き続けるための様々な小説を書いてみたのだろう。もっと長く小説を書く健康を取り戻したのなら、時代小説家になったのだろうと推測できる内容である。

一つ書き加えれば、中島敦は33で呼吸器系の病気で亡くなってしまったのだが、命日は12月4日の明け方ということだ。彼が、小説を書く前に調べただろうスティーブンソンの命日は1894年の12月3日。1942年の日本は南洋諸島に多くの信託統治領を得ていたのだから、小説が売れればスティーブンソンのように転地できないだろうかと思っていただろうことを思えば、12月3日を超えたことが残念ながら中島敦の最後の満足だったのだろうと想像する。
コメント

ぬしさまへ(畠中恵著 時代小説)

2019-09-19 00:00:22 | 書評
『しゃばけ』シリーズ第2作。読み始めると止まらないという悪魔のシリーズの第2作目。たぶん途中で止めると思うが、19巻の1で終わりにするのは、あまりではないかと思って突入。たぶん5冊位でやめると思うが、源氏物語と異なり、読むこと自体の難易度はゼロなのでこの先不安なのだが、もともと年間100冊ほど読んでいるのでスラスラ読める19冊などたいしたことはないかもしれない。

第一巻『しゃばけ』と異なり、第二巻『ぬしさま』は全6編の短編集。



『1. ぬしさま』。『2.栄吉の菓子』。『3.空のビロード』。『4.四布の布団』。『5.仁吉の思い人』。『6.虹を見し事』。

それぞれの短編で、およそ一人が死ぬことになる。人は死なないが猫がたくさん死ぬのもある。自分の因果応報で死ぬ場合、無関係の人が死ぬ場合、自死の場合もある。被害者をパターン化すると読者にストーリーを読まれるからだろう。

主人公の一太郎が大店の跡取り息子でありながら病弱から回復中というのも、シリーズ全体の基調が「暗から明」という流れなので読者受けがよいのだろう。バブル崩壊、失われた30年の逆用だ。

一方、江戸中期を舞台としていながら、封建制度の中で大店の番頭になったところで、たった一つの失敗で、店から追い出され、翌日から口入屋を何十軒も歩き回らなければいけない時代の不条理も描かれている。

第一巻でチョイ役であらわれた一太郎の異母兄である松之助が本作の中で正規メンバーに加わった。ということは、この第二巻の中に何気なく登場した誰かが次作でレギュラーの座を得るのかもしれないが、見当がつかない。(というか、こういう罠が読者を第三巻に導くのだろう)

もう一つの新鮮さだが、江戸の話で新鮮なテーマがいくつか登場する。その一つが「石見銀山」。世界遺産にもなった島根県の銀鉱山だが、本作の中では『石見銀山のねずみ取り』という商品のこと。いわゆる毒饅頭だ。なぜ毒薬の商品名が石見銀山なのだろう。

もう一つの真偽は、湯島天神の「富くじ」。ようするに宝くじだ。胴元の湯島天神が大勢から金をあつめて、一等当選者に100両を渡す。江戸市内に家が買える程度と言うのだから現在価値は3000万円ほどか。そして100両のうち、10両は湯島天神に渡し、10両は、再度、富くじを買うことになっていたそうで、手取りは80両だったそうだ。「坊主まるもうけ」ではなく、「神主まるもうけ」ではないだろうか。さすがに学問の神だ。経営学か?
コメント

平成31年コインセット

2019-09-18 00:00:24 | マーケティング
予約していた記念コインが造幣局から届いた。といっても、『東京五輪記念の50万円金貨・金メダルデザイン』とか『真子さまご成婚支援の限定100枚4万円記念コイン・夕食会付き』とかではない。現行流通コイン6枚セット、おまけつき2000円である。500、100、50、10、5、1の6種で、すべて「平成31年製」である。もっとも造幣局が売り出すので、コインを集めるのには何の苦労もないだろう。



聞くところによると、通常の硬貨をケースに入れる前によく磨くそうだ。つまり、通貨6枚+磨き料+付属メダルやケース代+送料の合計だ。まさか通貨には消費税はかからないだろうから、2000円から666円を引いて1.08で割ると通貨以外の税抜き金額が計算できる。

長い間、数字が書かれている方が表だと思っていたら、逆だそうだ。



しかし、通貨の大きさとかデザインとかあまり統一感がない。500円と1円とはどちらが高額かはわかるだろうが、5、10、50、100の4種はそれぞれに個性的なので外国人には優しくない。カードもあまり使えない国だし。それでいて、どのコインも平均的に使われているので、小銭入れは油断しているとすぐに破裂しそうになる。

他国を見ると、USAは少額コインしかない。1セント、5セント、10セント(小さい)、25セント。あまり使われない50セントと1ドル。以前、日銀の方に聞いたところ、1ドル札があるのはチップ文化のせいで、コインは好まれないということだった。そのあたりの感覚はよくわからない。日本の最低紙幣は1000円札なので、チップにするには高すぎるのかな。最低時給単価だ。

韓国やユーロには「2」とか「20」とかあるし、米国でよく使われるのは20ドル紙幣、であるが、日本では2000円札の失敗で、当分「2」はあらわれないだろう。本当に1年に1回も2000円札を見ることはないが、廃止するのも難しい気もする。国民のほとんどが2000円札のデザインを忘れたとき、通貨としての機能はなくなるのだろう。

ところで、平成31年度硬貨だけではなく「令和元年硬貨セット」も予約販売が行われたのだが、こちらの予約は抽選になるそうだ。これからコインを作るのだから無制限に売ればいいのだろうが、意味が分からない。もしかしたら記念硬貨以外の鋳造は行わないのだろうか。それを期待したいところだが、値打が上がるとしたら令和の次の時代になるだろうから、それを楽しみにするのは、まずいような気もする。
コメント

ミックス。(2017年 映画)

2019-09-17 00:00:51 | 映画・演劇・Video
『MIX(ミックス)』というのは野球漫画。『タッチ』の後継作のようだが、本作『ミックス。』は卓球映画。ミックスの後に「。」がついているのが、見分ける方法だ。

実は、ストーリーはスポーツ映画によくあるパターンで、昔、活躍したのに何らかの理由で競技から離れている主人公Aが、何らかのきっかけで蛮勇を奮って再挑戦し、頂上に近づいていくというパターンだ。その何らかの理由というのが、別の主人公Bがなにかの目的でチャレンジしているのを応援するといったことが多い。複数でできる団体戦になり、野球だったり、駅伝だったり、カルタ取りだったり。主人公が一人だと選べるスポーツは増えるが、ストーリーが単純になりがちだし、「ロッキー」という名作が基準になる。

mix。


スポーツ映画だと、主人公Aも主人公Bも16歳以上22歳未満ということが多いが、本作はもっと上だ。主人公Aは女性(新垣結衣演)で28歳ということになっている。Bは元男子ボクサー(瑛太演)で30歳位かな。

母のスパルタ教育で天才少女と言われた女子が母の病死により卓球から離れ、普通に生きようとするが、人生なかなかうまくいかない。そんな時、偶然に卓球のトップ選手の男子と知り合うことになる(偶然というのは映画の中の設定で、出会わなければ映画は「元有名選手の平凡な一生」ということになってしまう)。

ところが、しばらく付き合ったあと、この有名選手は、ある女子選手と試合でミックスを組むだけでなくベッドでもパートナーになってしまう。怒り狂ったヒロインAは東京から郷里へ戻るが、待っているのは、父親が経営する閉鎖間近の卓球練習場で、そこに現れたのは、主人公B。なぜか左利きなのに、不器用な右手でラケットを握る超初心者。

ということで、素人と組んでミックスに出場するという無謀な一年目が終わり、再び奇跡が起きる。卓球場のそばの味のまずい中華料理店の調理人と配膳係の男女は、中国チームの代表に惜しくも選ばれなかった超強豪だった。

この二人が変装して替玉出場するのだろうと確信してみていたのだが、そうはいかず、二人の主演のコーチになり徹底的に鍛えるわけだ。

そういう中心的ストーリーの周りに脇役の抱える周辺的問題が絡んでくる。不登校、外科医の妻の憂さ晴らし、早世した卓球少年の両親。そして、主人公同士の仲違いによって映画自体が2年目の大会の直前に強制終了しそうになるが、事態好転し、大会で勝ち進む。

基本的に何が起こるかわからないという映画ではなく、次の展開は、パターンXか、パターンYかZかというようにいくつかに絞ることができ、当たったとか、外れたとかを楽しめばいいのだろう。

ところで、水谷隼、石川佳純、伊藤美誠の三選手が映画の中に登場するのだが、卓球選手というのは個性的な顔付きの方が多いように感じる。ラケットを置くと同時に性格俳優でデビューできると思う。
コメント

醤油会社の話は難しい

2019-09-16 00:00:39 | 企業抗争
ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクションを訪れた後、運営しているヤマサ醤油の歴史を調べてみると、なかなか興味深いことが多かった。

一方、現在、国内の醤油の会社別生産量でいうと、キッコーマン、ヤマサ、ヒゲタの順になっている。キッコーマンは千葉県野田市、ヤマサとヒゲタは千葉県銚子市の会社だ。さらに現在はキッコーマンとヒゲタは資本提携している。

この三社はそれぞれ歴史を持つ会社であって、ライバルである一方で、資本的つながりを持ったことがあるようなのだが、それぞれのホームページに社史が書かれているのだが、しっくりこない。まあ、社史とは不都合なことは書かないものだから、同業各社を並べれば差異があるのは仕方がないのだろう。ということで、決定的なことはわからないので、サラッと書くしかないようだ。

まず、ヤマサから。

創業は1645年。元々紀州(和歌山)で溜り醤油を作っていたのだが、知人の勧めで銚子にわたり、そこで醤油作りを始めた。当初から浜口家の家族経営だった。そして、紀州では鎌倉時代に遡り、由良にある禅寺で径山寺味噌を作っているときに、製造ミスで醤油ができてしまい、「これはうまい」ということになったのが日本最初の醤油作りで、ヤマサ醤油もその流れである、ということだ。

浜口家は、代々、銚子と紀州と二ヶ所に住んでいて、八代目の当主である浜口梧陸が紀州にいるときに、南海トラフが動き、1854年12月23日と24日にそれぞれM8.4 の安政の大地震が発生した。23日の地震は朝9時ごろ、24日の地震は16時半頃なので、この24日の地震の時に和歌山に津波が押し寄せたわけだ。ちょうど日没の頃で、浜口家のある高台からは遠くの津波が見えたそうで、海岸に住む住民に避難を知らせるため、自宅付近から海岸までの間の刈り取ったばかりで乾燥中の稲に火を放って急を知らせると同時に山に登るように合図を送ったということで、元々は小泉八雲が英語で書いた話を日本語に訳して、戦前は教科書に使っていたそうだ。これを「稲むらの火」というらしい。12月24日に刈り取ったばかりの稲が干してあるだろうかと疑問もある。

次に、ヒゲタ。

こちらの創業は1616年ということだそうだ。シェークスピアが亡くなった年だ。田中玄蕃という人物が創業者ということになる。つまり、ヤマサより古いと言いたいのだろう。だからヤマサは鎌倉時代の味噌の話を書くのだろう。ところが大正3年(1914年)銚子の三つの醤油醸造会社、田中家と浜口家、深井家の三蔵が合弁して銚子醤油という会社を作り、その後、ヒゲタの社名になる。

浜口家といえばヤマサであり、ヒゲタの母体の一つになった浜口家とヤマサの関係はよくわからない。さらに昭和12年にキッコーマンと資本提携するが、昭和22年に経営分離するも2004年(平成16年)に再びキッコーマンと資本締結をはじめた。

そして、キッコーマン。

創業は1661年ということ。三社の中では最も遅い。沿革はごく簡単に記載されているだけだ。

三社とも自分の会社の記念館を持っていることは共通である。
コメント