「一衣帯水」は魔法の言葉か?

2005-05-06 14:59:26 | 市民A
161d791e.jpg先日、西安から来日された日本語学科の女子学生の方々、及び、随行された関係者の方から、何度も何度も何度も繰り返し発言された言葉が「一衣帯水」である。「中日両国は古くから一衣帯水の関係にあり、ともに発展していこう」というような用例である(中日ではなく日中と言われた方もいるが、本題とは無関係なので省略)。

たしか、首脳会談にも登場したことばで、新聞に解説が書いてあったような気がするが、言葉自体が日本語としてはこなれていない感じで普段は使わない。一般的に中国側のみが使うことばだ。したがって、本当は意味がよく判らないので帰宅後、とりあえず三省堂の新明解国語辞典にあたると、こう書いてあった。

 一本の衣帯(帯)のように見える水の意。
 遠くから見ると、そこに在るとも思えないほど狭い川(海峡)

「一衣+帯水」ではなく、「一+衣帯+水」だったのだ。

そして、語感に少し違和感がある。

まず、日中間は海で隔てられているので、川や海峡のように近くは感じない。ただし、尖閣列島が中国領だとなると、日中の距離は一挙に近づくし、南西諸島と台湾も近いが、別に遣唐使が命がけで海を渡った先は、尖閣諸島でも台湾でもない。

さらに、二国間の距離が近いといっても隣接している訳ではない。近ければ友達かといえば、中国の場合、隣接する全ての国と仲が悪いといっても過言にはならない。ロシア、北朝鮮、モンゴル、カザフスタン、キルギス、アフガニスタン、インド、ネパール、ミャンマー、ラオス、そしてベトナムだ。多くの国とは歴史上、一戦交えている。もともと国境線で国を分けるという行為自体、何らかの政治、宗教、経済的な落差があるから別の国になっているのだ。毛語録にも、遠交近攻の例としてアルバニアと仲良くしてソ連と戦う話が書かれているが、その後、アルバニアとも仲違いしている。

さらに、帯のように近いというのは、どういうことなのだろうか。帯は平らで薄いのでどちらかというと、川のような底が浅く、幅のあるものを指すように感じる。海でこの言葉を使うなら、マラッカ海峡のように川のように見える部分か、あるいは大陸棚のような感じだ。

そして、尖閣列島について中国政府が言っていることを思い出してしまう。それは、尖閣列島は中国大陸から延びる大陸棚の上にあるので中国のものという論理だ。そして、世界地図を見ると、南シナ海、東シナ海は一帯に浅く、すべて大陸棚のように見えないでもない。そして、韓国の済州島もそうだし対馬もそうだし、よく見ると日本列島そのものも浅瀬に浮かんでいるように見える。もちろん日本の太平洋側は一気に深くなる。となれば、一衣帯水とはとんでもなく深く危ない意味をもっていることになる。

そこで、まずNET検索すると、やはり多くの人がこのことばに嫌悪感を感じていることがわかる。ただし「大陸棚論」を疑う方は見当たらなかったが。多くの方の意見は、日中は、地理的にも、文化的にも、すべてにおいて「近くない」。というものだ。私もどっちかというと、そう思う。

次に、近くの図書館に行き、片端から国語辞典を調べてみる。調べて判ったのだが、例えば三省堂なら巨大本の「大字林」と上記「新明解」とは、ほとんど同じだ。岩波も、新潮社もそうだ。妙なことを発見したものだ。

さて、まず岩波(広辞苑)は
ひとすじの帯のように狭い川。
また、海や川によって隔てられているが近いこと。・・三省堂と同じだ。

次に、新潮社国語辞典は、
一本の帯のように狭く長い川、または海。
互いに水を隔てて距離の近いこと。・・・これも同じだ。

小学館(言泉)、
一すじの帯を引いたような狭い水の流れや海峡。
また、そのような水を間にして相対していること。・・・やや対決的な意味か?

結局、中国は「日本は近所なのだから」と言っているだけなので、それ以上でも以下でもないのである。さらに、実際はそんなに近くもないし、また、両国とも、そんなに近所付き合いが好きでもないのである。基本的に東アジア各国は、宗教も違うし、所得も違うし、言語も違うしとそれぞれバラバラであるし、基本的思考パターンは「ねたみ・おねだり・よこどり」の3原則から脱却していないのは実感の通りだろう。日本側も、もっと違う単語を探して使うべきかもしれない。

例えば、「二国隔水」とか・・