オールドタイマーズ発進?

2012-01-31 00:00:29 | 市民A
都知事が芥川賞選考委員を辞退して、「今回をもってやめる。全然刺激にならないから」との捨て台詞をはいたのだが、確かに、芥川賞の歴史の中で、「太陽の季節」と「限りなく透明に近いブルー」の二作は、『衝撃作』と名付けられる、というのが定説だが、一方、有名作家の中で、「芥川賞が生涯最高の作品ベスト3賞」に入るのが、「太陽」と「エーゲ海に捧ぐ」と「海峡の光」という説もある。内2人は、まだ生涯が終わったわけじゃないけど。

新鮮で衝撃的な芥川賞受賞というのも魅力的だが、もっとじっくりと、大小説家になるという方が、もっと重要な気もする。

ところで、辞退した本当の理由は、新党構想だったのだろう。亀、平、といった人たちと新党を組むらしい。本当に考え方が近いのかどうかも、私にはよくわからない。少し違うんじゃないかと思えなくもない。都知事というのは政治の現役だが、失業中の年配者を集めただけ、という感じもするし、投票する国民の方も国政と地方自治は別ということはわかっている。

だいたい、政策不明の新党構想なんかに集まるのは、現職で落選危機にある有名高齢議員ばかりじゃないだろうかとも思える。


ところで、南イタリアの海で客船が横倒しになったが、クレージー船長が海面下にある岩礁を見落とした結果と確信している。それにしても、海図を見れば、詳しく水深情報が記されているわけで、当初から「海図なき航海」を行ったのだろうと疑っている。

政界オールドタイマーズ多数を乗せた、重量級豪華客船の「海図なき航海」。戦艦大和のように片道燃料で突撃なのだろうか。もっとも戦艦大和の最後の特攻の時には呉基地内に海軍が過去から少しずつ秘蔵していた重油をまとめて積み込んだので何往復もできたはずとも言われている。軍隊とはそういうものらしい。

漱石「猫」2

2012-01-30 00:00:49 | 書評
『吾輩は猫である』の2回目。長編の中盤に差し掛かった。

ちょうど、中ごろになって、文章のちょっとした癖で漱石らしさを感じられるようになった。ただ、猫以外の小説はほぼ読んでいて、新たに初期作品の猫を読んで漱石らしさを感じるということは、漱石文学の原点が、本作に凝縮しているということだろうか。

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しかし、古今東西の文学史にも例をみない、この猫を語り部にした文明否定エッセイ風の小説だが、ガリヴァ-旅行記がテキストにでもなっているのだろうか。

感心したことはいくつかあるが、文中に登場する「実業家の三角法」。義理をかく、人情をかく、恥をかく。三つの「かく」が必要だそうだ。

逆に、ちょっと漢方医を馬鹿にしたところがあって、当時は風邪をひくと「葛根湯」を飲むことになっていたようで、もっと科学が進歩すれば西洋医学の薬を飲むことになるだろうと、書いているが。私は、いつも風邪をひくと「葛根湯」を飲んでいる。100年で何も進歩していない。

ところで、100年以上前に書かれたこの猫だが、私はほとんど読めるのだが、もっと後世に生まれた人たちでは、たぶん意味がわからないという表現が多そうだ。若い人から見れば『漱石』を読むことは、私が『西鶴』を読むの同じようなことなのだろうか。


そして、この物語が最後にどのように終わるのか。なんとなく不安をもっている。ハッピーエンドにはならないような気がする。厭だな・・

江戸前グルメ生活

2012-01-29 00:00:59 | 美術館・博物館・工芸品
港区立郷土資料館へ三田の考古学展を観た際に常設展の方をながめていると、何回か観たはずなのに、突如、貝塚が面白くなってきた。そこに展示されていたのは、ちょうど三田あたりにあったとされる伊皿子貝塚の復元模型。縄文時代の最初の頃の貝塚らしいのだが、後期の加曾利貝塚とはちょっと貝の種類が異なるように思えてきた。

つまり、多彩なのである。あさりのむき身ばかり食べなくてもいいのだ。

多いのは、マガキ、ハイガイ(赤貝に似ている。味は不明)の二種類だが、その他、オキシジミ、ハマグリ、アカニシ、イボニシ、サルボウガイ、ツメタガイ、アカガイ、アサリ、カガミガイなどだそうだ。その他、魚類としては、クロダイ、スズキ、ボラが多いとのこと。マグロ最高値落札の「寿司三昧」もびっくりだ。もちろん、何も化石は残ってないが、イカ、タコ、カニなんかも食べていたのだろう。

焼いて食うか、縄文土器で煮て食うか。あるいは、乾燥させて保存食というか携帯食にしていたか。

縄文後期の西久保八幡貝塚では、すでに貝の種類が減っているようだ。気候変動があったのだろう。縄文後期には弥生時代人が米作をもって朝鮮半島から渡ってきて、縄文時代人を全滅させたのではなく混住していたとされる。その一つの証が、炭化した状態で発見された「おむすび」である。米飯のおにぎりをいくつか持って、男たちは一日の狩猟にでかけていたそうだ。海産物である海苔も使われていたかもしれない。

ただ、貝塚を見ているうちに、縄文時代人が農業に手を染めた(半農半漁)のは、縄文時代後期になって旨い魚介類が減ったからではないだろうかと、ちょっと思った。

数ヶ月前に、横浜の歴史博物館で、横浜の北部の縄文時代の集落のことを知ったのだが、東京湾系の縄文時代人の方が優勢になって、集落が崩壊したということになっているようだ。美味いものも食えずに滅ぼされてしまうとは、かなり悲しい。

大物指導員、現れる?

2012-01-28 00:00:15 | しょうぎ
フリーペーパー「駒doc.」2012新年特大号の「この手だれの手」で森内俊之名人登場。インタビュー記事の最後に気になることが書いてある。



これからやってみたいことは?との質問に、「来年、横浜に帰ります。・・・地元で、将棋が盛んになるように積極的に活動をしていきたいと思っています。」とのこと。



確か、田園都市線沿線で、拙宅から遠くないところだったはず。サレジオ学院の出身だったはずだ。地元の普及を始めるとなると、私の教室のライバルになってしまうのだろうか。しかし、名人のままだと多忙でそれどころではないはず。名人位失冠を前提にしているのだろうか。

それと、記事では『来年』帰るといっているのだが、『来年』とは『今年(2012年)』のことなのだろうか。

まあ、教室が競合すると考えるよりも、二日酔いで辛い時に、講師代理でも頼もうかな。


さて、1月14日出題作の解答。



▲7八銀(途中図1) △5八玉 ▲4七角 △4八玉 ▲3九角 △3七玉 ▲2九角 △3六玉 ▲3七飛(途中図2) △同玉 ▲9七飛 △3六玉 ▲3七香 △4五玉(途中図3) ▲3四銀 △4六玉 ▲4七飛 △5六玉(途中図4) ▲4五飛 △2九香成 ▲6七銀まで21手詰。

2手目同銀は6九角、8八玉、5五角まで5手詰。

10手目に▲3七飛を取らずに△4五飛の場合▲4九飛以下、19手詰め。

初手に動いた駒が最後にもう一回動く。

動く将棋盤は、こちら


今週の問題。



LPSAの詰カレ1月21日に登場。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と手数と酷評を記していただければ、正誤判断.。

あずき抹茶クリームフラペチーノ

2012-01-27 00:00:13 | あじ
スターバックスの季節の商品。あずき抹茶クリームフラペチーノ。

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アメリカにはないメニューのようだ。アメリカ版のメニューを見ていると、フラペチーノに関して言えば、「全然メニューが異なる」といってもいい。ダークモカチップフラペチーノもマンゴークリームフラペチーノも、あちらにはない。

そういえば、ハーゲンダッツで、小倉アイスを発売しようとした時は、米国の本部から、なかなかメニューに入れてもらえなかったと聞いたことがあった。早い話が昔からあるカキ氷の抹茶小倉ミルクと親戚の味である。小倉というのは豆を甘く煮たもので、いかにも外国人は食べない。

しかし、納豆好きな外人も増えてきたようなので、本当に外国人の口に合わないかどうかはよくわからない。

それで、個人的に味の感想を述べれば、ちょっと迫力に欠けたような味に思える。

ところで、この会社の株は決算期(3月)には、配当や株主優待を狙った個人株主が増加し、株価があがる傾向があるのだが、上がったところで大部分を売ってしまったりする。2月にはABCマートの決算期、4月にはHISの決算期と、このあたりが腕の見せ所になる。

ツキを落とす

2012-01-26 00:00:40 | 市民A
大晦日に近くの寺院に鐘を撞きに行ったのだが、その際、除夜の鐘のお札をいただいた。何か証明書みたいな感じだ。(もっとも寺院側でも人数を確認して、お賽銭の平均単価を調査する必要があったのかもしれないが)

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そして、新年会のつど、その「お札」を取り出しては、話題が盛り上がっていたのだが、・・・

中華バイキングの席で、その「お札」がテーブルを一周する間に、事故発生。

ひらり、人の指の間から墜落したわけだ。墜落した先は、・・

八宝菜だった。

もちろんフカヒレスープだったら二次災害発生というところだが、あいにく2500円のバイキングにフカヒレは登場しない。

落とした人が、一生懸命、オテフキでこすってくれたものの、ほんのりとクリーム色になってしまったものは、元には戻らないだろう。紙なんだから、そのうちカビが生えてしまう。

家に帰ってから、シュレッダーに入れてご冥福を祈ることになった。

鐘撞きに語呂をつなげれば、「ツキを落とした」とも言えるが、「ツキモノを落とした」とか「運のツキが終わった」とか考えることにした。

それに、鐘撞きって、去年の運なのだから・・

モンゴル・アマゾンの葬式のこと

2012-01-25 00:00:44 | 書評
椎名誠が新潮社の書評誌『波』に「ぼくがいま、死について思うこと」という連載を始めて、新年号で第五回なのだが、第一回の時に自分が人間ドックに行ったことを書いたので、自分の死生観について書き続けるものと思ったのが間違いだったようだ。今のところ、世界の葬式紹介シリーズになっている。

12月号ではチベットの鳥葬についてであったが新年号ではモンゴルの風葬を取り上げる。まことに新年号にふさわしいテーマだ。次回の予告がさりげなく書かれているが、ジャングル葬とかやぐら葬らしい。

まず、風葬というと心地良げに聞こえると思うだろうが、実際には鳥に喰わせるわけじゃなく、荒地に置き去りにすること。簡単に言うと、「野ざらし」。訳した時のコトバのあやみたいなもので、原語では「テングリド・オルショーラハ」といって天に葬るということらしい。鳥だけじゃなく獣も葬儀に参加OKということらしい。

さらに、幼児や胎児がなくなった時には袋につめて馬に乗って草原の中の道の十字路などに、ちょっとだけ袋の口を開けておいてくるらしい。大人にならなかったこどもには、そういう方法で天に返して再生を待つということのようだ。

最後にアマゾンのインディオの家族の話。こどもはたくさん産んで、おとなになるまでに兄弟の何人かは、川に流されていなくなるそうだ。川は、ワニや巨大ナマズやアナコンダの世界で、「精霊につれていかれた」ということになる。

さらに奥地に行くとヤマノミ族という保護地があるそうだが、そこでは一夫一妻制度は存在してなく、多産系の女性による妊娠はひっきりなく繰り返され、母親は一人で産む。出産の時が来るとジャングルの中に一人で入っていって産み落とした赤ん坊を、ながめてから、自分で育てるか精霊にまかせるか一人で決める。

精霊にまかせると決めた場合はシロアリの巣の中に赤ん坊を置き去りにする。そして何日か経ってからシロアリの巣に火をつけて、天に返すということ。


日本でも、姥捨て爺捨ての風習はあったが、生きたまま捨てるのだから風葬以下ヤマノミ並みということなのだろう。

あしたの私のつくり方(映画・2007年公開)

2012-01-24 00:00:31 | 映画・演劇・Video
今年は、映像を観ることも少しやりたいなあ、と思っていて手始めは、『あしたの私のつくり方』。成海璃子主演。助演は前田敦子(AKB)。

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簡単にいうとアイデンティティ探し。小学校6年から中学、高校1年までの短い期間に、本当の自分と、別人格の自分との葛藤に揺れ動く少女たちの心のゆらぎを表現しているのだが、成海璃子って、そういう細かな表現がうまいよね。平清盛なんかにチョイと出演している場合じゃないのではないだろうか。

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何しろ、友人に謎のメールを送り、「あしたのあなたの作り方」を教え続ける仮称「ことり(成海璃子)」とそれを演じきる仮称「ひな(前田敦子)」の物語。一方で、高校の文芸部で、そのストーリーを小説にまとめてしまう「ことり」。

最後は、なにげなく終わるのだが、実は、まだなにも始まっていない。少女たちの本当のストーリーはこれから始まるということなのだろうか。

ところで、若い女性キャストたちはともかく、男優陣が情けない。

石原良純、高岡蒼甫、田口トモロヲ。全部、大根風だ。女性陣を引き立てるために、わざと大根を演じているのだろうか。

それと、途中で離婚する夫婦役を演じるのが、石原良純と石原真理子。同じ姓なのが笑える。どちらも映画以外に実生活で目立ち過ぎのため、どうもそんな人間に見える先入観にとらわれてしまう(お天気オジサンとゴシップ女)。

シンシュレイトを勘違い

2012-01-23 00:00:51 | 市民A
極寒の冷蔵庫のような日が続いているが、そうなると欲しくなるのがホカロン(商品名だけど)とマフラーと手袋。家中を探し回り、以前、寒かった年に買ったホカロンを探し出すと、有効期限が2002年になっていた。10年以上前に寒かった年があったのだろうか。ちょっと固くなっている。食べ物じゃないので、捨てないで使うと2時間くらいはほんの少しだけ暖かい。もしかしたら事前に電子レンジで余熱しておくといいのかな。

で、マフラーは既に着用していたので、そうなると手袋だが、時々使っているのが毛糸の手袋。皮の方が高級なのだろうが、それほど暖かくないし、最大の問題は手に合った形のものがない。掌が大きく過ぎて、指が短い(本当は短くないが)ので掌に合わせると指が余るし、指に合わせると入らない。ゴルフだってグローブなしでやっている。

ということで、変形自由の毛糸製を使うのだが、何年か前に買った元々中綿付きで二重になっているグレーのものが気に入っていた。

thinslate


しかし、残念なことに昨年、右手側の中綿の一部が表の毛糸からはずれてしまい、脱ぐたびに中綿が裏返しになってしまうので、切り離して捨ててしまったわけだ。だから左だけが二重を保っていたわけだ。こういうものって、なかなか同一ブランドって見つからないわけだ。

ところが先日、通勤電車の中で、ほぼ同じようなデザインの手袋をしている男性を発見。

私のものと同じ「Thinsulate」というラベルが付いている。そこで、さっそく、新品に買い替えようと思ったわけだ。

で、「Thinsulate」というブランドの商品を売っている店舗を捜索しようと検索してみると・・

どうもようすが変なわけだ。種類豊富に商品があるし、様々な会社が販売しているわけだ。

どうも、素材のことをいうらしいことがわかってきた。

つまり手袋の中綿に使われている繊維のことらしい。つまり綿ではなく「Thinslate」という物質だったということ。

つまり、右手の中綿は既に捨ててしまったので、左手だけが「Thinsulate」で右手はただの毛糸の手袋ということになる。

amazonポイントで購入しようかな、とか思っているうちに、春になるような気もするし・・

慶応大学を掘ったら・・

2012-01-22 00:00:38 | 美術館・博物館・工芸品
港区三田図書館内にある港区立郷土資料館で開催中の「三田の考古学(慶應義塾校内地発掘成果)」を覗いてみる。

まず、何よりの驚きは、慶應ボーイ(あるいはガール)なる高貴な人たちが、考古学なんてダサい分野に乗り出したこと。どうも文学部に考古学の分野があるらしい。もしかしたら、中高一貫校なので、勉強しないで大学まで上がっても行きたい場所(英文学とか)に入れず、穴掘り仕事になったのだろうか。

考古学というとアカデミックに聞こえるが、要するにドカチン仕事だ。ただただ穴を掘る。それもシャベルカーやダイナマイトを使うわけにはいかないので、基本は手掘りだ。戦争中の工兵隊と同じだ。ひたすら汗を流して地面と格闘するわけだ。雨の日はお休みだが、その後の作業は泥んこになる。顔や髪が土で汚れないことはないだろう。

で、想像で恐縮だが、手始めに校内を試掘したのではないだろうか。いきなりエジプトやメソポタミアってわけにはいかないだろうし、校内なら、ほぼタダだ。失敗しても自己責任だし。

で掘った場所は2か所。三田二丁目中等部敷地と三田三丁目南別棟敷地。中等部の方は会津藩(保科家)下屋敷跡で、南別棟の方は、武家屋敷群に挟まれた町屋だったそうだ。町人の街である。

まず、会津藩下屋敷の方だが、説明文によると、各藩の上屋敷の発掘は結構進んでいるが下屋敷の発掘例は少ないとなっている。上屋敷は普通は大名屋敷で、下屋敷は部下のアパートという感じなのだが、実際には、場所や広さによって下屋敷を好んで生活していた大名もいるので、いちがいに決めつけてはいけないところだ(なんとなく考古学の指導教授みたいな言い方だけど)。

で、この保科家というのは、いわゆる筋金入りの佐幕派である。元のルーツは二代将軍秀忠が、正妻のお江の目を盗んで生涯一度だけの浮気をしたときに、運よく生まれた子供を隠し子にしたことに始まるのだが、幕末の最後の最後に薩摩藩下屋敷に放火したところから最後の大戦争が始まった。この焼討された薩摩屋敷も三田にあるのだが、ずいぶん近いところにある。思えば、慶應の敷地内には旧薩摩藩屋敷も含まれるので、そういうことも興味深い(これは考古学とは関係ない)


で、お堅いはずの会津藩だが、敷地内には山のような割れた陶器があるそうだ。会津から運んできたものが多く、宴会ばかりやっていて、その都度食器を大量廃棄していたようだ。

よく江戸時代はリサイクル社会と言われるが大名屋敷の敷地は掘ればゴミだらけというのが多く、江戸時代がさらに続いていたらゴミの捨て場がなくなっていたらしい。それと、新品の陶器を捨てるとも思えないので、たぶん宴会の都度酔いつぶれて、徳利や猪口や料理の小皿とか投げたり踏んだり大暴れしていたのだろうと想像がつく。学生以下のマナーだったのだろう。

一方、南別棟の町屋跡からは、当時の庶民の生活をしのばせる美品が出土している。特に、独楽や面子(泥面子)といった遊具、そして子供用と思わせる小さな下駄など。本来の考古学とは違うのだが、一つの独楽から江戸の生活を想像する空想力をもつことが文化史としては重要なのだ。

敗北の余波

2012-01-21 08:17:59 | しょうぎ
電王戦で、引退棋士が将棋ソフトに負けたのは1週間前だが、とばっちり発生。

近隣の地区センターでボランティア的に小学生用の教室を開いているのだが、近く、そこで受講生の大会を開く予定で、将棋連盟会長名の表彰状を、1位から3位までに使うことになっていた。

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が、例の敗北である。

さっそく地区センターに表彰状の画像を送って、電話で説明。

この将棋連盟会長のところに書いてあるのが、「米・・・」


「この人が、負けたのです・・」

「ああ、パソコンに負けた人ですね」

「まあ、そんなものですね」
     ・
     ・
     ・

結局、地区センター館長名の手作り表彰状を使うことになりそうだ。

まあ、私が教えているような定跡を指さなかったから、いいかなって・・


さて、1月7日出題作の解答。

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▲5四銀 △4四玉 ▲4五銀(途中図1) △同玉 ▲3四銀 △3五玉
▲3六歩 △同玉 ▲6六飛 △5六桂(途中図2) ▲同飛 △3五玉 
▲3六飛 △同玉 ▲4八桂 △3五玉 ▲3六香 △4四玉 ▲5六桂まで19手詰。

動く将棋盤は、こちら

ただし、この問題は3手目▲4五銀(途中図1)に対して、同玉ではなく△3五玉と逃げてもよく、8手目で同型に戻るというキズがあることが発覚。修正難しく、最初の3手を省くことで作り直すことにする。


今週の問題。

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しばらく短めの図を用意する。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と手数と酷評を記していただければ正誤判断。

何かに似ている「冬物語」

2012-01-20 00:00:50 | あじ
缶ビール売り場で驚いたことがある。

サッポロ「冬物語」というビール(本物)のデザインが、サントリーの「金麦」という第三のビールに似ていること。

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それで、調べてみると、「冬物語」は1988年に登場した商品だが、缶のデザインを毎年変えている。サッポロのHPの中に冬物語の歴代の缶が並んでいるが、今年のデザインが最も「金麦」に似ている。大丈夫なのだろうか。

本物ビールが第三のビールのまねとは。

それで、サントリーだがビール事業が躍進した原因は、プレミアムモルツと金麦である。商品の絞り込み。一時のアサヒビールと同じだ。

ただ、個人的にはプレミアムモルツよりも普通のモルツの方が好きなのだが、カタログには記載されていても、ここしばらく店頭でみたことがない。旧来からの固定客をないがしろにした戦略は、いずれ廃れるだろう。

ところで、「冬物語」という商品名にふさわしいデザインだが、トウガラシ入りとかカレー粉入りにして、デザインも目から日が出るような赤や紫にすればいいのではないだろうか。

「吾輩は猫である」を読み始める

2012-01-19 00:00:54 | 書評
漱石のデビュー作である「吾輩は猫である」は近代日本文学の出発点のような作品だが、読んでなかった。漱石が嫌いということではなく、他の漱石の小説はほぼ読んでいるので、読まなかった理由は、「長い」からだ。

で、長くても構わないという気持ちに最近なってきて、ついに読んでみようかということにする。その他にも日本文学を語るためには必須小説をいくつか読み落としているので、それはそのうち。

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実際、書店で探すと、新潮文庫と岩波文庫があることがわかったが、新潮の方にする。しおりがついているからだ。本文545ページ。明治のコトバなので、なかなか読みにくいが1日当たり50ページ読めば11日で読了できるのだが、11日間ブログに読書感想文を書き連ねたりはしないので、念のため。3回くらいかな??

で、書き出しは、

吾輩は猫である。名前はまだ無い。
 どこで生まれたか頓と見当がつかぬ。なんでも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見た。然もあとで聞くとそれは書生という人間中で一番獰悪な種族であったそうだ。

実は、ここまでは何回か読んだことがあった。ここまでで挫折していたわけだ。

そのため、大きな勘違いをしていたのだが、猫の飼い主は書生だと思っていたのだが、実際には書生は、猫を捨てに行ったわけだ。そして実際には137ページまで読んだところで、これを書いているのだが、いくつかの興味、あるいは特徴がある。

1.吾輩には依然として名前が無いのだが、小説の先の方では正式な名前をつけられるのだろうか?「野良」とか「先生(飼い主の職業)」とか呼ばれている。
2.小説は、一、二、三、と章別に分かれるが、一つの章が50ページ位と非常に長い。
3.最初の方は、動物小説的なところもあったのだが、途中から人間小説であることが明確になる。携帯屋のテレビコマーシャルみたいだ。
4.137ページ段階では、漱石が、何のためにこの小説を書いたのか、不明である。

時々続く

日本人の戦争(ドナルド・キーン著)

2012-01-18 00:00:38 | 書評
ドナルド・キーン氏は89才だそうだ。ついに日本に永住することにしたそうだ。被災後の日本としては、ありがたい限りである。

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2009年に発表された「日本人の戦争」は、副題を「作家の日記を読む」となっている。昭和20年8月15日をはさんで開戦の時から占領後の日本まで、作家たちが何を考えて日記を綴ったのか、代表的文学者として、永井荷風、高見順、伊藤整、山田風太郎を特に選んでいる。

永井荷風は日記にかなりの軍部批評を綴る。そのため、没収されたりしないように常に日記を持ち歩いていたそうだ。戦後、日記を売り物として発表したのだが、発表するにあたって多少柔らかく書き換えたようで、そのためキーン先生の受けが悪い。

高見順は母親一人で彼を育てたのだが、戦争中は母親と喧嘩ばかりしていたようだ。いわゆる転向作家だが日記も景気がいい。ただ、再び官憲につかまった時の没収を恐れ、本音で着されたかどうか。

伊藤整。こちらも右寄りである。英米思想を非難しているが、彼の生涯の最高の仕事が「チャタレ-夫人」であることは、いまだにわからない大きな矛盾だった。

山田風太郎。玉音放送ありとの情報を得て、これから国民全体で一人残らず玉砕するまで戦うのかと思っていたのかな。ただ、戦後日本の未来像を少しは見通していたのだろうか。
戦後日本の精神構造をもっとも多く記載している。

ところで、本書は文春文庫であるのだが、今度新潮社で全集が発売されるようだ。

タイタニックの呪いと教訓?

2012-01-17 00:00:17 | 市民A
イタリアの地中海クルーズ客船「コスタ・コンコルディア号」が、座礁し横倒しになった。

ちょうどタイタニック号沈没から100年の記念の年だった。あっち方面から呼ばれたのだろうか。

事故の現場は北大西洋ではなく、イタリア海岸のすぐそば。それも沈没ではなく、横倒しとなった偶然が被害者数が少なかった原因だろう。

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報道によれば、通常のコースよりも海岸に近い場所を通ったということや、救命ボートの一部が錆びついて使えなかったとか、救命ボートには乗員たちが先に乗り込んでいて乗客の場所がなかったとか、船長が真っ先に逃げ出してしまったというようなことが書かれている。飛行機から機長がパラシュートで脱出したようなものだ。

一言でいえば、船長がイタリア人だったということかもしれない。船に残るよりも刑務所の方がいいと思ったのだろう。タイタニック号の映画も観ているのだろう。

海岸近くを走った時に、「海図」を使ったのだろうか。海面から下の岩礁などは船からは見えないので海図の確認が必要である。なんとなく「海図なき航海」をしたのではないかとの疑いを持つ。

タイタニックの時は、美観的問題で、救命ボートは大幅に数を削減されて定員を乗せきれなかったうえ、救命ボートを満員にするとボートが沈んでしまうので、ボートに隙間があっても、勝手に船から離れて行ったそうだ。今回はボートの数は、ほぼあったのだろう。

それと、乗員の方はよく緊急脱出訓練をしているようだが、乗客の方は、乗船後24時間内に行われる緊急訓練を受ける前に事故が起きてしまったそうだ。


船舶事故もう一軒。

韓国仁川沖でタンカー爆発。

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最初ニュースを聞いた時、てっきり北朝鮮の機雷(または魚雷)がさく裂したのかと思う。

南北でもう一度戦争が始まるのだろうと思った。それで、防衛大臣は変わったばかりなので、「初仕事」というお題名でブログを書いているうちに写真が手に入るようになり、どうも機雷ではなく上から爆発したように見えた。

積荷がガソリンということで、ガソリンの爆発限界に入った時に何らかの静電気で大爆発となる。その時の濃度は、1.4%から7.6%の間である。おそらくもっと濃度が高いので、何らかの作業を行っているうちに自然とその範囲に達したのだろう。とにかく戦争にはならなかった。