市ヶ尾彫刻プロムナード『FRIENDS』

2020-05-31 00:00:02 | 市ヶ尾彫刻プロムナード
市ヶ尾彫刻プロムナード第7回は、『FRIENDS』。JUN HONMA作。青葉区役所の前にある。

平成7年に青葉区総合庁舎竣工の時から置かれたそうだ。素材は金属でアルミのダイキャストのようにも見えるし、違う金属かもしれない。ユーモラスにも見える人間型の生物の足元に、おそらく海生生物が並べられ、さらにネコ型のプレートにFRIENDSという文字が入っている。

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人間と猫と魚。

自然との共生ということだろうか。

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アーティストのJUN HONMA氏だが、なかなかわからなかったのだが、1967年に多摩美を卒業された方のようだ。最近の消息はわからないが、10年ほど前の記事を参考にすると、祖父が黒田清輝の弟子ということで、そういう関係の中で美術を目指し美大に進学。ウォホールやキース・へリングを目指して立体デザインを専攻したところ鍛金の世界に入ったそうだ。

一方で、作品には「こども心」を大切にし、こどもにもわかる芸術の制作に務めているそうだ。区役所の前の作品も、その「こども心」の延長なのだろう。

近況がわからないのが、1967年生まれであれば今年で53歳。目指した芸術家のウォホールもキース・へリングも長命ではなかった(58歳と32歳)。金属を使うのは大変かもしれないが頑張ってほしいものだ。

(なお、調べていると、知らなかったのだが山梨県小淵沢市に中村キース・へリング美術館があるそうだ。山梨には大村美術館もあるし、医学関係で蓄財された方の美術館が多いのだろうか。)

ところで、JUN HONMAを探している時に、もっとも大量に情報があったのが高円寺にある「PATISSIER JUN HONMA 高円寺アトリエ」。アトリエではなくケーキ店である。東京、フランス、ベルギーで修業した本間純氏の有名ケーキ店で、2013年4月には毎朝の番組「ZIP」でゲストの安倍晋三総理への手土産にシュークリームが選ばれたそうだ。就任間もない時で多忙と言うことで番組では食せず、手土産になったそうだ。

立体的な芸術的ケーキが売りらしく、てっきり彫刻の技術をケーキに活かしたのかと思ったのだが別人。ケーキ店の方の話だが、高円寺と吉祥寺に二店舗あって総理手土産は吉祥寺店からだったようだが、昨年末に閉店。今は高円寺店だけのようだ。

この高円寺店だが、居抜き開店の時に、曰く因縁があったという記事も目にしたのだが、真偽不明のため、深入りしない。

将棋連盟の感染防止対策が注視される

2020-05-30 00:00:23 | しょうぎ
担当していた二ヶ所の将棋教室が3月から臨時休止中で、再開に向けての準備が始まっているが、感染防止対策として、手指の消毒、換気、マスクというような一般的事項だけでは済まないわけで、頭を悩ませている。

依頼先は、将棋連盟のHPを見ていて、5月29日段階で、具体的なものがないので失望しているようだ。「奨励会員は対局のつど手を洗う」というのが特別ルールらしく、いかにも部分的対策だ。

現在、困っているのは、「駒の消毒法」と「対局距離」。駒はプラ駒と木製があって、どちらもアルコール系はOKだが、次亜塩素酸はどうなのだろう。ハイターと思えばいいわけだが・・

調べると、ヒトコロナウイルスは紫外線にめっぽう弱いようで、美理容店などになる紫外線消毒器がよさそうなのだが、すでに在庫払底のようだ。マスコミに報道される前にすでに手が回っているようだ。

結局、将棋盤(ビニール盤と板盤)の上に駒を表向きで並べ、アルコールスプレーして、次にタコ焼きのように裏返して同様作業。乾いたら箱に戻して養生テープで封印し、ついでに盤の消毒も行うということかな。こどもばかりなので、ビニ手ということも難しいし、箸を使うというのもやってみると、ほぼ無理だ。形が先細りの五角形で不都合。

対人距離も大問題で、1mも難しい。飛沫感染防止には少なくとも「布マスク禁止」は必須で、間にアクリル板のような透明ボードをおいて穴でもあけようかと思うが、こども教室だと顔が机に近いのでうまくいかないような気がする。透明なビニールカーテンを盤の真ん中に吊るすのも、敵陣に手を伸ばすためには、下部をあけないといけない。カーテン吊るすのも仕掛けが必要。


そして、二ヶ所のうち、一方の地区センターは、他のカルチャーも休止中で、ついに「おうちdemo地区セン」コンテンツを始めることになり、『わんぱく将棋』」ページ作成。問題とこたえの掲載をはじめた。3回目までは、なかなか図面の形も決まらなかったのだが、やっと形になってきそうだ。

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その他、「はじめてのラインでビデオ通話」とか「タオルを使った体操」とかコンテンツ集増殖中なので、ぜひ覗いてみてほしい。(将棋は月2回更新。小学生歓迎!)



「観る将」向けのオンライン解説も希望があるようなので、「藤井棋聖の最年少タイトル獲得棋譜」とか「最年少タイトル妨害した某氏棋譜」とか30分編集でやってみたいが、棋譜使用権について少し調べてみようかと思っている。対局終了後は「棋譜解説記事には権利が発生するが。公開された棋譜には使用権も含めて権利は発生しない」と思っているのだが、どうだろう。棋譜は報道であり、解説は著作物であるという解釈。


さて、5月16日出題作の解答。

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9手目から13手目までが、ややこしい手順で、省略しやすい手が混じっている。大駒を捨てることで、地味ながら形を作っている。

動く将棋盤は、こちら。(flash版)

gif版。
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今週の問題。

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ストーリーを思いついてから考え進めた方がいい。そのうち初手は見えてくるが・・

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ、正誤判定します。

同一問題を半年ほど前に掲載していたので、追加で軽作を掲載します。

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珍客の引っ越し失敗

2020-05-29 00:00:21 | 市民A
自宅が動物園状態で、数年ら、蛇(青大将)、アシナガバチ、アルゼンチンアリ、アマガエル、カナヘビ(とかげ)、ムクドリ、野生インコと続々登場していて、今度は、・・・

ヤモリ。



実は数年前まで、時々出没していたヤモリがいたのだが、不慮の事故を遂げてしまった(本人の名誉のために原因は伏せるが)。その後、別のヤモリが裏口のドアの網入りガラスに貼りついていたのだが、1年ほど見ていない。「家守」と書くぐらいで、小型昆虫を主食にしているらしいので、家の外にいる限り歓迎すべき存在だ。

しかし、今回出会った場所が困った場所だ。駐車場の中。いつもはシャッターが閉まっているが、ヤモリにとっては隙間から潜り込むのは難しくない。しかも天敵のカラスや蛇は入れない。しかも、自粛期間中は、あまり車を動かしていなかった。

といっても、駐車場の壁や天井にいる時は安全でも、床面は危険だ。踏むのは嫌だし、引っ越ししてもらおうと、大型の雪かきシャベルを用意して、家の裏の落ち葉が溜まっているエアコンの室外機の後ろに引っ越ししてもらおうとしたのだが、逃げ足は速いし、哺乳類と走り方が違って予測できない。

結果として前輪の下という、最悪の場所に逃げ込まれる。

ということで車での外出は中止になってしまう。

タイヤの下でまったく動かなくなったので、不吉なことになったのではないかと、後で見に行ったが、ヤモリの姿は消えてしまっていた。捕獲方法を思慮中。こどもヤモリのようにも見える。

「悪」と戦う(高橋源一郎著)

2020-05-28 00:00:10 | 書評
『「悪」と戦う』、といっても検察庁内の暗闘とは、何の関係もない。単に、本を読んだ時期が麻雀発覚と同じになっただけだ。

さらに「悪」と戦うのは新聞記者かと思っていたら、日本の新聞記者は「あんなものか」と知らしめられることになった。そういえば、デイリー・プラネット紙の記者だったクラーク・ケント氏こそ、本職の記者としても、趣味の格闘技の世界でも「悪」と戦っていた。

当時は「悪」は明解な存在だった。例えば、不法活動を続けるギャング、資本主義の破壊を狙っている共産主義者、白人の権益を狙っている有色人種、無神論者、国境にトンネルを掘ってやってくるヒスパニック、麻薬密売人。

ところが、ベトナム戦争が終わり、中東で戦争があったり、9.11があったり、ソ連がなくなったり、共産党のはずだった中国が超資本主義に走ったり・・



本書は、人間にとっての本源的な「悪」について、少年少女の世界観をもって夢と現実の境目に読者を連れていき、そこで放り出されるわけだ。進路を暗示してくれるのは、現実世界に生まれなかった少女。

2010年に発表された本書だが、著者自体浮遊中の状態のようで、「悪」の実像はチラリとしかみせてくれない。

折から、「自粛破り」「麻雀」「特例定年」「マスコミとの癒着」の複合事案発生中だが、「悪」なのか「善」なのか。国民が自粛したのに、自分の政策が成功したと思い込んでしまう政治家は「悪」なのか「善」なのか。もはや、問うこと自体が的外れのような気もしている。

小説家は無力なのか?

チェバの定理とは

2020-05-27 00:00:52 | 市民A
今、読んでいるのが永田和宏氏の『あなたと出会って、それから・・・・・・』の途中稿である。永田和宏氏は、歌人であり、また細胞生物学者でもある。また亡くなった歌人である河野裕子氏の夫でもある。連載の第五回目は、京都の嵯峨野高校から京都大学に合格した頃の話だ。大学の部活探しに苦労してアメフト、合気道、バスケと転々とし、たどり着いたのが「京大短歌会」。

ところが、当時は前衛短歌全盛時代で、塚本邦雄や寺山修司をもって神とされていた。万葉集の世界から這い出してきたような若者は、心を傷つけられていたそうだ。

もっとも塚本邦雄も寺山修司もずいぶん読んだことはあったが、この二人、あまり共通点はないように感じる。

少し話を戻すが、京都大学の受験は昭和41年(1966年)のこと。英数国の他、理科2科目、社会2科目の計7科目、3日間にわたる試験だったそうだ。

その数学の試験で出題された問題で、永田氏が手も足も出なかったのが『チェバの定理』だったそうだ。

実は、私も数学は得意分野だったのだが、高校の途中で熱意を失ってしまい、受験科目からもはずしてしまったのだが、実際には各種の幾何学の定理などは高校入学時にはほとんど知っていたのだが、この定理の名前は記憶にないわけだ。



ということで、ネットで調べると『7分でわかるチェバの定理』というようなのがYouTubeで見ることができる。1分見て思い出した。美しい定理のわけだ。比較的簡単に証明できる。三角形の面積計算を応用するはず。(すごろく一周で1と覚えるらしい)

ところでチェバ氏だが、本名はジョバンニ・チェバ。ミラノ生まれで、ピサ大学の教授として1678年に定理を公開したそうだ。実は、この約100年前にピサ大学の教授だったのが、ガリレオ・ガリレイ。地球が太陽の周りを回っていると主張し、酷い目にあった。美しい幾何学の定理を研究したのは、痛い目に合わないためだったのだろうか。



ついでに有名な三角形の公式が『ヘロンの公式』これは11分でわかるそうだが、『チェバの定理』より十倍くらい難しい。驚くべきは、このヘロン氏のいた時代だが、紀元前2世紀から紀元3世紀まで500年ほどの範囲のいつか、とされている。ギリシア人だがローマ時代なので地位は低くアレクサンドリアで技師として働いていた。こんな難解な公式を証明するとは、たいしたものだ。

ところで、前の方に戻って、数学に飽きてしまった話だが、高校の時に良い教師に恵まれなかったと他人のせいにしておく。かすかな記憶をたどると、数学オリンピックというのがあり、世界大会を行っていたのを知っていて調べたところ、日本は参加していなかったということがわかってがっかりしたように覚えている。今、調べてみたところ、1959年から毎年行われる国際大会に日本が参加したのは1990年からとのこと。60年の歴史の半分は参加していなかった。高校の数学教師は、噂では京都大学をレッド・パージで追われた人物と言われていたのだが、奇遇だが永田和宏氏は京都大学の教授だった。

調べ始めると、色々なことが見つかるもので、数学オリンピックの日本人メダリストたちのその後の進路だが、色々とおどろくようなことがある。人生いろいろ。数学よりも難しい。

問題は、緊急事態中か、マージャンか、特例定年か、マスコミか

2020-05-26 00:00:02 | 市民A
新型コロナウイルスの一個のサイズは0.1ミクロン。1万分の1ミリ。細菌はその10倍、1千分の1ミリだ。口から出入りする飛沫は1千分の4ミリ。不織布マスクの目は1千分の4ミリ対応。布マスクの目は肉眼で見える程度だ。

細菌は生物なので、1→2→4→8と倍々に増えていくが、ウイルスは1→たくさん→たくさんのたくさん、というように増えるので、増殖が進むと急速に体が侵されていく。だいたい1兆個くらいに増えて病院に行くことになる。両肺が同時に侵されてしまうので呼吸ができなくなる。

そんな中で突如浮上したのが黒川検事長の定年延長問題。コロナとは関係ないはずだったのが、コロナ緊急事態宣言中の麻雀出動で関連事案の一つになってしまった。

世間の争点は、「緊急事態中」「麻雀」「特例定年」「退職金」「マスコミと同穴」といったところだが、実際には、この5点について、決定的に×というものはない。グレーが重なっても黒にはならない。辞任したのは柔道の合わせて1本ということだろうか。

緊急事態と言っても戒厳令ではないし、対策委員でもないし、知人宅でなにをやっても法律には触れない。緊急事態中の行動を取り締まっているのは「自粛警察」で、これには反感を持つ人も多い。

麻雀で逮捕されるのは、常習性とか高額レートとか。常習性といっても目安がない。そもそも60歳になっても牌を打つって、40年ぐらいやっているということ。そうなると、趣味と常習者の区別も難しい。一番多いのは同僚とだろう。

定年が延びたのは、自分の意志でもなく、本来なら弁護士として活躍していたはず。

退職金でも利益を上げている大会社なら副部長くらいの金額だろう。(実際は生産性の悪い会社が多いのだが)

今回の組み合わせが、産経と朝日という右サイドと左サイドの呉越同舟だったことで少々意外だったが、そもそも事実の報道で大きく捻じ曲げて報道するわけにはいかないわけで、本質的には同じ記事なのだが、歴史的に右サイドと左サイドの購読者がそれぞれに集まってしまい、いまさら方向変えられないので、購読者が好きな色に少しだけ着色して記事を書く、ということなのだろう。もとより、麻雀が好きな記者なのだろう。


ふりかえって、なぜ彼の定年を特別に延長しようということになったかというと、政権交代後に、今までモヤモヤしたままになっている各種疑惑が捜査対象になったときに、韓国のように元トップが逮捕されるというようなことにならないようにということなのだろうか。

まあ、罰に特例はよくないが、韓国方式はいかにも「国家のマイナスイメージ」であることから、首相経験者(任期1年未満は除くとして)は、逮捕されても島流しにするくらいで許されるような法律を作ればいいのではないだろうか。ナポレオンでも島に住むことになったし(それも2回)。天皇だって流されたり、寺に送られたりしている。奥さん連れてっても好都合だし。元検事長を弁護士に雇えばいい。

言語が影響?

2020-05-25 00:00:21 | 市民A
日本では新型コロナウイルスの被害が、拙策の割には他国より少ないということで、その要因「X」は何か?ということが推論されている。

よくでる話が、BCG、手洗いなどの生活習慣そしてマスク習慣(結果的に唾液の中のウイルス量が多いということがわかって、マスク習慣が必要だったことが見えてきた)。一つの仮説だった「弱毒だった第一波武漢ウイルスで国民に免疫ができていた」という珍説はすでに退場した。

実は違う要因を考えていたのだが、誰も言わないことを書くのは恥ずかしいので書かなかった。口ではしゃべっていたのだが。

考えている原因は、「言語」。最近、言い出した人が少し現れた。


あまり唾液を吐きださない言語のように思える。裏を返せば、夜の飲み会などで酒を飲むと、急に大言壮語になる人は多いのだが、宴会自粛の効果があるともいえる。

現象的には二つあって、

一つ目は、声が小さいということ。そもそも木と紙の家に住んでいると外国人から蔑まれているように、われわれの先祖は遮音性の低い家に住んでいた。また狭い。狭いのは今でもだ。電車は混んでいて囁けば隣の人と会話できる。大声を出すのは痴漢が出現したときぐらいだ。さらに言うと、例えば英語や中国語は、声を大きくしたり小さくしたりして喋る。英語なら、強弱強弱強弱強と発音すると、上手に聞こえるし、中国語は同音が多く発音の種類で区別する。

さらに自己主張(というほどのものでもないが)をする人が多く、おおげさだ。帰国子女や日本に帰化した人は日本語なのに大きな声でしゃべったりしている。


二つ目は発音。特に子音。ローマ字を書けばわかるが、日本語は母音が5つで子音は50音表と濁点、半濁点付きの追加があるが14。

英語は26文字で母音は同じくらいだが、子音はX以外はだいたい使う。特にPとかRとかJとかVとかTとか唾液付になりそうだ。Thというのもある。イタリア語は母音まで大きな声で発音する。ギリシア語はP音の連発だ。ギリシア人女性弁護士と仕事をしたことがあるが、英語を中断して国際電話でギリシアと話をしている時は、どうみても脅迫のような話し方だった。

もっともギリシアは直接民主主義発祥の国であり、市民が集まった大きな野外劇場で、政治家が政策をぶちあげるわけで、オペラ歌手のような声量が必要になる。

そして、きわめつけがアラビア語。右から文字を書くのだが、文字は28なのでABCと大して変わらないが。母音は3つで、AとIとU。日本の方言と同じで、I→E、U→Oと発音する地域が多い。というか共通語はコーランだが、欧州でのラテン語みたいな感じだ)。子音はたくさんある。

子音の種類だが、英語的に表現すると、KとかDとかRとか英語と同じような種類なのだが、KHとかDHとかというように「カハァ」とか「ダハァ」とか聞きなれぬ発音の子音がたくさん必要になる。かなり前に日本が権益を失ったアラビア石油の油田は、カフジ油田と日本では言っていたが、英語表示では「Khafji oilfield」となっていて、「カハァフジ」という感じである。

どうやって発音すればこの音が出るかだが、コツがあって、喉の奥に痰がからんだときに吐き出すときに出る音「カハァ」というようにするわけだ。発音練習を続けると喉がつぶれるはず。さらに、強く何かをするという時は、動詞を強く発音することになっている。叩くというのは、ダラバというのだが、強く叩くは、ダッラバと言うわけだ。


ところで、日本ではあまり大声で話す人は少ないのだが、帰国者、帰化者を除き、特にムキになって早口でしゃべりまくる有名人は誰かと言うと、たぶん現職の総理大臣ではないだろうか。時々、寡黙になるのだが。

市ヶ尾彫刻プロムナード『田園ふあんたじい』

2020-05-24 00:00:27 | 市ヶ尾彫刻プロムナード
市ヶ尾彫刻プロムナードの第6回目は、宮内淳吉氏と関孝行氏の合作になる『田園ふあんたじい』。区役所の裏口に並んでいる(駅に近いのが裏口であるので事実上は表口と言ってもいい)。合作というのも珍しいが、市ヶ尾の彫刻プラムナードには全11作あるのだが、宮内氏は本作の他、第11作にも名前をつらねている。関孝行氏は、第一作の『本を読むネコ』につぐ二作目。今回もネコである(たぶん)。




そして初登場の宮内淳吉氏だが、フレスコモザイクの第一人者ということ。(小さなタイルを貼るということ)。

『田園ふあんたじい』は三作の連作だが、中央の巨大な石の本はタイルが張られているので宮内氏の作だろう。背表紙には「DENEN FANTASY」と縦書きに入っている。気になったのは、「ファンタジー」ではなく、「ふあんたじい」というタイトル。特に「あ」の字が大きい。「ふあん」という意味なのだろうか。



「田園」というのは東急田園都市線を意識したのだろうが、なんとなく「都会のはずれ」という場所だったのだが、最近は「田園そのもの」になってしまい、アーバン感がなくなってきて少し心配である。ビリー・ジョエルではなくジョン・デンバーが似合う町(村?)。



そして右側の伏せた猫だが、猫の部分が関氏作で台座の部分が宮内氏作だろうか。市ヶ尾は猫の似合う町なのかな。そういえば、猫関係でいずれ散策してみたい場所が下北沢(もちろん行ったことはずいぶんあるのだが)。シモキタに住んでいた詩人の萩原朔太郎の代表作『猫町』にちなんでいる。文学者多数が居住していた世田谷に対抗して、市ヶ尾のある横浜市青葉区を代表する作家が村上龍だ。地元のテニスクラブをモデルに書かれた『テニスボーイの憂鬱』という名作がある。



そして、問題作が、何かご機嫌な耳のない動物像。これも合作なのかな(よくわからない)。上の方の動物はなんなのだろう。田園に棲む耳や手足のない動物といえば、あれしかいない。

つまり、『へび』。

へびがゴキゲン顔なのはどういう時なのか。おそらくご馳走にありついて満腹になった時だろう。何を食べたのだろう。鳥か魚かウサギか人間か。それこそ、「ファンタジー」ではなく「ふあんたじい」の持つ浮遊感の源泉なのだろう。

将棋ウォーズのレーダーチャート

2020-05-23 00:00:25 | しょうぎ

2か所で担当していた将棋講師だが、当面、休業中となっている。その代わりにホームページ掲載用の問題を提供しているのだが、月3回、初級・中級・上級別に「次の一手」と「詰将棋」を出題(および解答)している。図面のサイズ問題とか調整を重ねていて、次回(第四回)あたりで、やっと形がまとまりそうだ(HP担当の方も出勤日調整中なので、なかなか時間がとれない)。つまり1回に6問の問題と解答をJPGの図面にまとめている。

といっても、将棋連盟の著作権問題もよく実態がわからないので、自作で作らないといけない。ということで、実戦図面制作のため、教えていた少し強い子に聞いた情報により「将棋ウォーズ」に参戦。「無料版で1日に3局できる」と親切な情報も教えてくれた。小学生に講師が教わるというのは、現代ではありふれた状態なのかな。

とくに詳しいルールを知らないまま、10分切れ負けルールで参戦して、二段までスイスイ上がったところで、なぜか急ブレーキ。

それで、ちょっと意外だったのが、「棋力レーダーチャート」。棋譜を分析して『攻撃力』・『守備力』・『終盤力』・『芸術力』・『戦術力』・『早指力』の6分野で、各5点満点で採点し、レーダーチャートで表すようだ。

採点基準はよくわからない。おそらく棋譜分析で点数評価をしているのだろうが、自分なりの予想順をつけると、

「終盤力」>「攻撃力」>「芸術力」>「戦術力」>「早指力」>「守備力」と思っていたのだが、判定はまったく異なっていた。

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「守備力」>「終盤力」>「攻撃力」>「早指力」>「芸術力」>「戦術力」。

特に「守備力」と「終盤力」だけで指しているような結果で、そういえばいつも攻められているような気もする。

結局、問題作成も「守備的な手」というのではなく、「一発逆転の手」みたいなのが多くなってしまうが、そういう手の方が楽しいということでもある。


結構、飽きてしまったので、「戦術力」や「芸術力」に重きを置いた指し方をしてみようかな。「自陣角」とか「中合いの飛車捨て」とか・・強くなるには、なんとか合法的に藤井君の全棋譜を入手して将棋ソフトで解析した方がいいと思う。(やり方は知っているのだが)


5月9日出題作の解答。





飛車を捨てて、禁断の入玉型に追い込む。最後は角が働く。3九の歩を省いて持駒に桂を追加して9手詰でもいいが、軽作なので7手詰を選ぶ。

動く将棋盤は、こちら。(flash版)

Gif版。



今週の問題。

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前述による実戦から。ほぼ実戦と同じ(金と銀の入替等はある)。一瞬では詰みが見えなかったが、成り行き上、無理やり王手を掛けたら詰んだ。

しかし、実戦詰将棋というのは、あまり難問にはならない。実戦詰将棋という単語を含んだ詰将棋集は無数にあるが、あまり終盤力には関係ないだろうと思う。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ正誤判定します。

もし僕らのことばがウィスキーであったなら(村上春樹著)

2020-05-22 00:00:11 | あじ
村上春樹が、ウィスキーの会社から受託した仕事として、本場のスコットランドのアイラ島とアイルランドの旅の記録として書かれている。

当初は、その作品の長さからして、一冊の本ではなく、別の短編などと束ねて出版しようと思っていたものの、こういう目的がはっきりしていた仕事と組み合わせるような巡りあわせがこないので、独立させ、写真満載の本になったということだそうだ。



もしものことを考えて、多めに写真を残したという計画性はすばらしい。ウイルス対策の司令塔に推薦したいぐらいだ。


内容は小説ではなく、旅行記なので、とやかく評論するようなものではないが、シングルモルトの王様のアイラ島の人たちの状況には、やや危機的な人口減少がおきているらしい。いずこも同じだ。

アイルランドのウィスキー(いわゆるアイリッシュウィスキー)も様々で、著者が推薦するのは、食事前に飲むキリっとしているのは、ジェイムソン、タラモア・デュー、ブッシュミルズ。食後は、まったり系のパディー、パワーズ、ブッシュミルズ・モルトだそうだ。

そういえば20年ほど前によく通っていた虎ノ門のバーにタラモア・デューをキープしていたのだが、そのうち、「これを飲むのはおおたさんだけだから」と言われて仕入れてくれなくなり、呪いをかけた結果、閉店となった。


それなら今どきながら、春樹氏推薦の6種のアイリッシュウィスキーをまとめて6本大人買いしたらいくらになるのか。通販サイトで700mlボトルのプライスを調べてみる。

まず、食前お勧めの3本だが、おおむね1800円~2200円程度。そして食後のキリっと系の3本は3500円前後だ。税込みで2万円弱。ゴルフ自粛中なので、買えないわけではない。といっても非課税の10万円入手後だろうか。



ところで6本の中の一本である「パディ」だが、ラベルにアイルランドの地図が描かれているのだが、英領北アイルランドは存在しないことになっている。アイルランド人は、英国からスコットランドが独立するタイミングを慎重に見計らっているのだろう。(スコットランドの独立で大混乱→時に乗じて北アイルランドをアイルランド領にする。怒ったイングランドがアイルランドを攻撃。手薄になったイングランドをスコットランドが征服する)

輪掛本青鸚哥の登場

2020-05-21 00:00:26 | 市民A
多くの人がSTAY-HOMEをしていて、街が変わってきているのかもしれない。

雨の合間に家の前でギャアギャアと賑やかな声が聞こえる。見ると一羽の緑色の鳥が電線にとまって鳴いていると、仲間がやってきた。あわてて近くにあるデジカメを構えるが、逆光だし、それほど拡大できないし、画素数もイマイチ。

何枚か撮影して、色の補正などしてなんとか種類の見分けがつきそうな限界か。

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飛んでいるところを見ると30センチぐらいで中型鳥だ。インコのようだがセキセイインコとは違ってもっと天然に近い感じがする。

Googleの画像検索を利用すると、同じような画像が国内でかなり撮影されていて、「オナガ」と書かれているのもあるが、それは間違いだ。尾が長くて嘴が曲がっているのがオナガの特徴とはいえるが、一部を知って全体を見ずというところだ。

そして、不確かな情報をつぎ足して考えると、漢字の難しいある名前の鳥に行き着いた。

輪掛本青鸚哥。これが読めて書けたら漢検一級だろう。

ワカケホンセイインコ。雄の個体の首の回りに黒い輪が見えることから、この名前になったそうだ。

ところが、四羽には黒い輪は見えないのだが、雌には輪がないのだが、雄でも若いときには輪がないとされる。成鳥は40センチということで、まだ若い鳥なのかもしれない。ちなみに寿命は30年。

もともとは、インド、パキスタン、スリランカという野鳥の天国のような場所に生息していたのをペットとして輸入したものが、大量に逃げ出したことがあったらしい。関東一円の森に野生化して生息しているそうだ。直接的に人間や他の動物に害があることはないが、インコが森にすむと、別の鳥が住むところがなくなるということが考えられるそうだ。といっても森を伐採するから場所が減るので、インコよりも人間の方が有害なのだ。ハシブトカラスの方が問題のような気もする。

カヤの木の上の方に巣をつくることが多く、樹木の空洞とか大好きで、ある程度の数が近くにかたまって営巣するそうだ。そういえば、有名なご神木というカヤの古木があって、台風の時に樹頂の方が折れたのだが、そこにも住んでいたのだろうか。

繁殖期は今ごろのようで、それでギャアギャア鳴いていたのだろうか。雨の前後は鳥が多くみられることに気が付いたのは、餌の問題かもしれないし、濡れた羽根を乾かすために、パタパタと空を飛ぶのかもしれない。

一言、付け加えると、特にたくさんのコトバを覚えるので、思わず近づいてしまいがちだが、襲われて大けがを喫することがあるらしい。


今回も、間に合わなかったカメラ問題だが、いつも一眼に望遠レンズを装着して自宅内でも持ち歩くことにしたのだが、そういう時に限って、ゴキブリが現れたりするのだよね。

海辺のリア(2017年 映画)

2020-05-20 00:00:27 | 映画・演劇・Video
仲代達矢主演のおそらく最後の映画になるだろうと思われた彼自身をリア王に重ね合わせた作品。実際には、その後にも時代劇で主役を張られている。2020年現在87歳。不死身である。

演じるのは、往年の名優で俳優養成所も持つ桑畑兆吉。老人の域に達し、ついにセリフを覚えることができず引退。認知症が進むと、遺産狙いの長女(演:原田美枝子)により老人施設に押し込まれるが、脱出に成功。近くの海岸を彷徨しているところを通りかかった孫のような(30歳前後)伸子(黒木華)に見つけられる。実は伸子は桑畑長吉の婚外子で、かつて長吉から家を追い出されたことがあった。


このあと、この海岸を中心に、長女の夫(阿部寛)と謎の運転手(小林薫)が登場するが、キャストはこの五人だけ。エコノミークラスだ。阿部寛は、いつになく大熱演するのだが脇役だ。小林薫は原田美枝子の愛人という設定だが、ほとんど劇を演じない。脚本通りだったら彼のせいではないが、撮影よりも深夜にさがしまわるレストランの方に気を取られているように見える。

実は、この映画、あまり評判が良くなかった。もっとも、老俳優の実生活と、シェークスピア劇のリア王のプロットと、さらに認知症の患者というテーマを組み合わせたのはどうだっただろうか。リア王が彷徨ったのは、荒野であり、認知症ではなかった。とにかく認知症というテーマは観客の側からすると重すぎるわけだ。映画はリアルな現実ではないが認知症は現実であり、もしかしたら自分の未来かもしれない。必死に認知症を演じれば演じるほど観客の気持ちが暗くなるところもある。もちろん、リア王はシェークスピアの代表的悲劇で、わたしも好きなのだが、もちろんリアルではない(近くの半島には同じような王様がいるが)。

そして、リア王にしろ、マクベスにしても、まったくの悲劇なのだが、最後にほんの一粒の砂のようなやすらぎをシェークスピアは我々に与える。例えば、主役は死ぬが名誉は回復されたとか・・。(ロメオとジュリエットには救いはない。本当の悲劇なのだが、四大悲劇からは、なぜかはずれている。)




ところが、この映画、安らぎが与えられることがないような雰囲気で流れていく。二人の主役(仲代と黒木)は救いようのない悲劇に向かって歩き出してしまう。

そして、映画のフィナーレに本映画の最大のシーンが待っていたわけだ。

個人的には、そのシーンを冒頭にみせてくれた方が、心安らかな気持ちでいられたのにと、意気地なく思ってしまう。


ところで、この映画、ほぼすべての屋外ロケが能登半島で行われている。

羽咋(はくい)という読みにくい市の海岸にはUFOが来るとも言われるし、老人ホームには元国民宿舎が使われている。3月の上旬に能登半島に行っていたのだが、この映画を観た後だったら、海岸に足を伸ばしたかもしれない。

が、記憶の深層に美しい海岸風景を残してしまうと、自分が認知症になったときに、無意識に金沢行きの新幹線に乗ってしまうかもしれないから、やはり行かなかっただろうと推測する。

オヤジギャグの華(バリー・ユアグロー著/連載中)

2020-05-19 00:00:07 | 書評
新潮社の書評誌『波』は、新刊書の紹介の他、連載をもっている。現在、6本である。ブレイディ・みかこさんの「ぼくは、イエローで・・・」の連載が終り単行本で出版されることになり、パワーと華のある連載に食傷気味なのだが、連載中のものでお気に入りが二つある。

一つは『にっぽん怪虫記(小松貴著)』。さまざまな希少昆虫を追い続ける著者による昆虫採集の奮闘記。もっとも虫が嫌いな人には向かないかもしれない。昨今、公園で小学生たちが集まって、遊んでいるのだが、たまたま公園の端の方を歩いていると、はるか昔に見た光景が復活していた。『バッタ取り』。こういう時に虫取り上手の子が現れて、ともだちに指導している。「素手でつかめ!」とか。まだ5回目なので、先が長いだろう。



そして、現在、進行中の連載でもっとも面白いのが、「オヤジギャグの華」。作家は、外国人のバリー・ユアグロー氏で和訳は柴田元幸氏。13回目だ。

東京の街を舞台とし、ガールフレンドのコジマと東京に滞在中で、一ヶ月の予定が、日本の魅力に憑りつかれてしまい既に一年にもなり、エッセイまで書いている。ところが、今回の東京は戒厳令下にあり、なかなか筆の運びに苦労している。上野公園には人がいないので盛り上がっていると1964年の東京五輪の時のバレーボールの選手が現れる。ようするに幽霊も登場。三島由紀夫も太宰治も登場する。

実は、バリー・ユアグロー氏など実在しないだろうと思っていた。なにしろ日本の過去のエピソードに詳しすぎる。東京五輪の女子バレーの決勝の相手チームの選手なんか知るはずはないだろう。日本文学や日本映画は詳しすぎる、政治家のエピソードとか、純日本人しか知らないと思われることが続々と書かれている。なんとなく、文体が村上春樹に似ているように思うし、翻訳の柴田元幸氏は村上春樹本の英訳で有名な方だ。おそらく村上春樹氏が偽名で書いているのだろう、と思っていた。

ところが、よく調べるとバリー・ユアグロー氏というのは南アフリカ国籍で米国に居住している作家だそうだ。(なぜ、日本のことを知り尽くしているのかは、ますますわからない)

ところで、通常は『波』に連載されたのちは単行本化するのが通常だが、本作は単行本にならないのかもしれない。新潮社の『波』のHP(https://www.shinchosha.co.jp/nami/barry_yourgrau/index.html)に8回目までの連載が全文掲載されている。

つまり、読むなら、『今』ということだ。

やけっぱちのアリス(島田雅彦著)

2020-05-18 00:00:02 | 書評
この小説だが、もともとは『流刑地より愛をこめて』という題名だったのが、文庫化したときに『やけっぱちのアリス』と改題したそうだ。二冊買った人もいるだろう。

題名から言うと、元の方は、007の『ロシアから愛をこめて(From Russia with Love)』のマネっぽい上、イアン・フレミングの持つ、なんとなくどんよりした倦怠感とは違う方向の小説だからだろうか。とはいっても『やけっぱちのアリス』とはなんとなく安っぽい感じがある。作者がやけっぱちだったのだろうか。そんなに悪い小説ではないともいえるし、最高作の方だと思う。



舞台は、般若学園という自由奔放な高校。帰国子女の砂山アリスを取り巻く同級生たちの生態が楽し気に書かれている。本人たちは楽しくないことも多いので、あくまで作家が楽しそうに書いているということ。

アリス、蔦麻呂、小夜吉、押切花代。この4人が物語の中心人物で、それぞれ倒錯した関係が入り混じる。その他の登場人物も空也、雪姫、なぞの中国女性など準レギュラーとしての立場をわきまえて、ポイントごとに登場する。映画だと、脇役なのに張り切って目立ってしまう若手俳優とかいるのだが、小説の場合は、登場人物はすべて作家の手の中にある(手からこぼれそうになると編集者が修正する、ともいえる)。

最後は、アリスと蔦麻呂は、学園を脱走してどこかに行ってしまう。行った先はどこでも流刑地と彼らは表現するのだが、この小説の10年後の続編を読んでみたい、と思って計算してみると、既に25年が経っている。

市ヶ尾彫刻プロムナード『緑の朝(あした)』

2020-05-17 00:00:03 | 市ヶ尾彫刻プロムナード
市ヶ尾彫刻プロムナードの第5回目は、中野滋作『緑の朝』。区政20周年の花壇の中に立つブロンズ像だ。実は、このプロムナードの中では、もっとも普通の彫刻といっていい。普通過ぎるぐらいだ。等身大にかなり近いサイズだ。



といって、彫刻家が普通の人であるとは限らないので、少しだけ情報を調べてみたのだが、・・

中野滋という名前で活躍している芸術家は二人いることがわかった。

実は、当初は勘違いをしていて、1967年生まれの中野滋さんのことをブロンズ像の製作者と思っていた。理科大の建築学部を卒業後、まもなくイラストや紙製品を中心に前衛的な絵画を造られている。立体的な作品もあるので、ある時、彫刻に手を伸ばしたのかと思っていた。

しかし、そのうち、違和感が出てきて調べ直すと、1951年生まれの芸大卒の彫刻家の中野滋さんという方がいることがわかった。彫刻一筋の方で、横浜美術大学の教授(学長補佐)で彫刻を教えているようだ。こちらの方で間違いないだろう。

そう、ブロンズ像というのは、作るのが大がかりなので、簡単に余芸で作れるようなものではないわけだ。

それで作品の方だが、『緑の朝』となっている。この『朝』だが、「あした」と読むようだ。ということは、モーニングという意味なのか、トゥモローという意味なのか。

これも「朝」という字の意味を調べてみると、主に三つあることがわかった。
1つ目は、文字通り一日の初めである。反対語は「夕」。説明は要らないだろう。2つ目は「天子が政を行う場所」という意味。「朝廷」とか「清朝」とか。反対語は「野」。三つ目は「朝鮮の略語」。反対語は「韓」だろうか。いや同義語かな。反対語は「日」かもしれない。

で、これでは「朝(あした)」の説明にならないが、「朝」と書いて「あした」と読む場合は、あしたのあさ、という意味だそうだ。

この彫像の美形のモデルだが、よく見ても年齢不詳である。もっとも、多くのすぐれた裸体彫刻は男女を問わず年齢不詳で、見る側の心理状態で若く見えたり熟年に見えたりする。といって、「あしたのあさ」というようなタイトルは若い人にしか使わないはず。未来のない人には使わない。禁断の女子高生?そういえば、青葉区は誕生した当時は若い人の区だったのだが、居住者の年齢は上がり、めでたいことに男女とも全国長寿ランキングのトップを争っている。ブロンズ像はいつまでも若いままだ。右手に持っているのはオリーブの枝に見える。