Mr.&Mrs.スミス(2005年 映画)

2024-07-17 00:00:00 | 映画・演劇・Video
ブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーといえば、離婚した後もこどもの親権を争って泥沼裁判を行ったことで有名だが、その二人が結婚したきっかけになった共演作が『Mr.&Mrs.スミス』。2005年にアンジェリーナ・ジョリーと交際を始めたブラッド・ピットは、すぐさま妻と離婚してしまうのだが、実際に結婚したのは2014年。その間の非婚期間中に子供も生まれている。不思議なことに交際から結婚までの期間が9年なのに、2年後の2016年に離婚して泥沼に浸かった。

あらすじだが、ジョンとジェーンは実は身分を隠しているのだがそれぞれ別の組織で暗殺請負業の仕事をしている。お互いに身分を隠していたのだが、たまたま、ある人物の暗殺の仕事で二つの組織が請け負ってしまい、現場で暗殺組織同士の撃ち合いになってしまう。

そして両組織とも失敗の原因を追究していくと、配偶者が殺し屋であることをそれぞれ知ることになる。

ということで、二人にはそれぞれの組織から相手を殺すように指示が出るのだが、途中で、二人は両組織が共同で二人を始末しようとしていることに気が付き、「逃亡よりは殲滅」と過激な結論を出し、あえてコストコのようなショッピングセンターの中に誘い出し、ショッピングセンターの中で銃撃戦を行った上、組織も建物も壊滅させてしまう。

つまり二人で数百億円の物的被害と百人以上の犠牲者を積み上げてしまう。それもNYだ。

こういう映画が大ヒットしたり、高校に射撃部があったりするのだから、素晴らしい国なのだろう。

ミッドナイト・エクスプレス(1978年 映画)

2024-07-14 00:00:22 | 映画・演劇・Video
いわゆる脱獄映画であるが、米国と中東諸国との緊迫した情勢が反映されている。実話をもとにオリヴァー・ストーンが偏向した脚色を加えたため、米国人が観て喜ぶようになっていて、他国の人が観ても???という感情を持つことが多いらしい。

まず、登場したのが、ビリー青年。ガールフレンドと一緒にトルコ旅行から帰国するときについ麻薬を購入。米国に持ち帰ろうとした時に、見つかってしまう。出国時の検査はあまりきつくないはずだが、米国はトルコを麻薬輸出国と批判していたため、国際世論を気にしたトルコ政府が狙い撃ちした。そして4年間の監獄生活になるが、これが稀に見る劣悪環境だ。

そして、出所日まで1年の頃に所内で脱獄計画があったが、1年我慢しようと参加しない。ところが、急に刑期が30年追加されることになり絶望的な状態になる。

ところが、面会に来たガールフレンドが差し入れたアルバムには現金が仕込んであって、それを原資として看守を買収しようとする。が、失敗。拷問部屋に連れ込まれてレイプされそうになるも、最後の力でタックル(アメフト経験があったのだろうか)し、壁にぶつかった看守は一瞬で気絶。生死不明。その後、脱出中に警備員に見つかるも看守から奪ったピストルで殺害し、衣服交換し、大脱走。隣国のギリシャに潜入して、米国に戻ることになる。

全編を通じて、実話よりもトルコ人を野蛮に表現したり、単に脱獄したのを殺人まで行ったことにして、よりトルコより米国の方が文明国であるというアピールをしている。

ということで、麻薬で捕まって脱獄するのに殺人を犯して、さらにヒーローのように扱ったり、各種映画賞で数々の賞を受賞したり、本当にアメリカ人を理解するのは難しい。

それと、料理についてはトルコの方が文明国だと思う。

カムイ外伝(2009年 映画)

2024-07-07 00:00:12 | 映画・演劇・Video
白土三平の原作漫画がアニメ化され、さらに映画になった。同じようなタイトルの『カムイ伝』という漫画もあり、こちらも白土三平作。ややこしいのには訳がある。

元々『カヌイ伝』は雑誌「ガロ」に連載されていた。ガロは白土三平が自分の作品の掲示場と考えていた。そのため自分の雑誌なので原稿料がないわけだ。

ということで、『カムイ伝』の主要登場人物のカムイ青年が伊賀忍者の抜け忍として別の雑誌に登場したわけだ。

『カムイ伝』は、カムイの個人史ではあるが、個人より忍者の歴史的存在価値や一般の市民の生活など広い視野の社会描写があるが、『カムイ外伝』はカムイを中心とした人間描写に重きがある。

生活の苦しさから伊賀忍者になったカムイが、忍者の非道さに精神的についていけず、忍者を辞めることにしたが、抜け忍は伊賀忍者にとっては死を意味する。Wスパイのようなものだ。逃げ出したカムイはどこに逃げても追跡される。

追うものと追われるもの。しかし、うっすら感じるのは、カヌイの仲間たちは、たいして戦闘を続けるわけではなく、あっけなく死体になってしまう。松山ケンイチが演じるカムイが強すぎるわけだ。

落ち着いて考えると、忍者たちは必死に戦い続けるのだが、なにかむなしい。明治維新の後の士族のようなことだろうか。

『光る君へ』、後半に

2024-07-05 00:00:15 | 映画・演劇・Video
1月から始まったNHK大河『光る君へ』は半年経過。次回7月7日の放送は残念ながら都知事選の開票速報のため「なしになる」ということで、顰蹙を買っている。NHKは全国の視聴者のためのもので、東京都民のものではないというのが、休回反対の一般的意見だが、さらに、開票開始後1秒で当選発表するのなら、大河を一秒削ればいいだけと思う。
 
結果について、あれこれとテレビで評論したところで、日本全体と東京はまるで違うわけだ。世界全体とアメリカのような構造で、アメリカが少しだけ自国の富を世界に供出すれば、多くの世界的課題が消えてしまうのと同様、金満都市東京の富を全国に分け与えれば、日本の多くの課題は解決するはずだが、候補のほとんどは、「もっと東京をよくする」といっているわけで、そんな都知事選のことを聞くと腹立たしいだけだろう。
 
ということで、話を1000年前の京都に戻すと、一条天皇と中宮定子の愛欲生活が政治混乱の元凶の様になっている。
 
今後のドラマの展開だが、道長が娘の彰子を入内させ、一方の定子は男子(皇子)を出産、その後、二人目の女子を出産した時に不運にも亡くなってしまう(ドラマなので、単に自然に亡くなったことにするのかどうかはわからない)。
 
そうなるとドラマ的には定子→彰子と皇后キャストが交代になる。そうなると、清少納言はどうなるかというと、引退することになる。紫式部と清少納言という知的女性の組み合わせはどうなるかだが、現在までにまったく登場していない和泉式部が出てくるのではないだろうか。和泉式部というのは、強烈な愛欲キャラなので誰が演じるのか興味がある。なお、和泉式部ではなく赤染衛門の線もある。和泉式部が登場しないままだとすると、何回か先の大河の主人公なのかもしれない。
 
そしてドラマの中でどうなるのかわからないが、「源氏物語」はいつ書き出すのだろう。この後、紫式部は女子(大弐三位)を出産し、少し後に夫がなくなる。そのため、道長が彰子の教育係に紫式部を採用してしまうわけだ。その頃から、源氏物語を書き始め、彰子と大弐三位の教育をするとともに宮廷物語を紡ぎ始めるのだ。劇中劇のように源氏物語自体の展開はあるのだろうか。
 
父の赴任の時に一緒に越前に行った時の話の中に、朝廷献上品として上質の和紙の話があったが、あれは伏線で、源氏物語を書くときに清書の前の下書きの時にも和紙が必要で、道長が不要になった公文書を廃棄せず、裏紙として使うように紫式部に渡していたとする推論もある。
 
 
そして、ドラマはどこまで歴史を下っていくのだろうか。なにしろ紫式部ぼ没年もわからない。父親の方が長生きしたという説もある。父親為時は越前守の後、暫く無役になったあと越後守となったが、任地で紫式部の弟が亡くなり悲嘆して三井寺で出家するのだが、三井寺には紫式部の異母兄が僧職として要職についていたのだが、その男のことは今まで登場していないのでたぶん父の出家はドラマの終了後と考えると、紫式部が健常なまま閉幕になるのだろうと思う。
 
というのも娘の大弐三位の有力な力添えは紫式部しかいなかったはずで、それでも文芸に秀で、藤原一門の中で夫を持ったことから考えると紫式部はそこそこの寿命を保って、娘のコネ開発をしたのではないだろうか。また、遺伝的には父も娘も長寿だったし。
 
実は男系女系の入り混じった家系図を研究している方が調べると、紫式部から7代下がった子孫の一人が土御門天皇だそうだ。つまり今上天皇につながっているわけだ。

雨あがる(2000年 映画)

2024-07-04 00:00:01 | 映画・演劇・Video
「気は優しくて力持ち」という表現がある。力持ちだと相撲の力士のような表現だが、時代は江戸時代といえば、心優しき剣豪というべきか。

三沢伊兵衛(演:寺尾聰)はある藩を脱藩し、江戸の道場で剣術を鍛える。その腕前でいくつかの藩で剣術指南の役を得るが、その無欲さゆえ、官僚化した武士(役人)の組織では、周囲となじめず、役を失い、妻(宮崎美子)と一緒に股旅生活だ。旅先で困った者がいれば浄財を与えるために、道場で賭け試合をして賞金稼ぎをしたりする。

そして、大雨で川止めになった宿場に逗留中に、けんかの仲裁をしているところを藩主に見られ、その縁で「剣術指南」の職を得ることになるのだが。

古手の家臣からは、賭け試合などするものから剣術を教わるわけにはいかないという声が上がる。


本作、原作は山本周五郎の小説。脚本は黒澤明となっていて、監督もやる予定だった。が、途中で入院し、その後、亡くなってしまう。そのため、助監督の予定で脚本作りに携わっていた小泉堯史が映画を仕上げることになった。

ところで、原作者の山本周五郎だが、藤沢周平のように作品の多くが映画化されている。小説よりも映画化の方が感動できるような気がする。

故人の文体を分析するのははばかられるが、小説の文体が「説明っぽい」ということではないだろうか。

旅立ちの時(1988年 映画)

2024-06-28 00:00:45 | 映画・演劇・Video
『旅立ちの〇』という映画はいくつかあり、主人公がなんらかのグループを離れて違う生活を始めるというパターンが多いのだが、本作は、そう簡単な話ではない。主人公の青年がどこかに行くというより所属していたグループの方がどこかにいくわけだ。

なぜ、そんな転倒的展開かというと、青年の父母は十数年前は反政府的なテロリストで、工場爆破の時、無関係の第三者を失明させてしまい、FBIの指名手配者だった。そのため、捜査の手が近づいてきた感じを察すると、すぐに高跳びし名前も変えてしまう。秘密を抱えたままの青年は、ある土地でピアノの腕前を高校の音楽教師に知られ、ジュリアード音楽院へ推薦されることになったが、そうなると、父母は逮捕される確率が高まるわけだ。

さらに音楽教師の娘との恋愛が始まり、さらに事態が複雑化する。このあたりは「逃げる者シリーズ」の実話集のようになる・

そして、身近に現れた元同志が銀行強盗に失敗し射殺されるに至り、逮捕の危険が迫ることを怖れ、またも一家で町を脱出することになるのだが、彼だけは町に残るわけだ。

だから旅立ちするのは逃亡者夫妻の方だ。主人公目線でいうと、旅立たない時ということになる。

なお、主演のリヴァー・フェニックスは、この映画の2年前の『スタン・バイ・ミー』の中心人物をも演じていて、期待の星であったが23歳が薬物中毒による旅立ちの時になってしまう。弟のホアキン・フェニックスは息子にリヴアーと名前を付けている。

かえり道(2017年 映画)

2024-06-25 00:00:29 | 映画・演劇・Video
舞台は福島県浪江町の帰宅困難区域。福島第一原発の炉心融解事故により町を出ることになった一家の家庭内ドキュメンタリー映画。



実は、当事者によるこういった記録はなかった。記録を撮影し続けたのはまだ十代だった娘。事故から5年経って、住むことのできない元の住宅の状態、墓参り、そして、家族はそれぞれの新しいポジションの都合で別居中。

ラインでの連絡で家族は繋がり、それぞれの忙しい時間に追われて、震災の記憶を捨てようとしているのだが、5年や10年で記憶がなくなることなんかないわけだ。

父親は元々原発で仕事をしていて、仕事に戻っているし、母親は一時避難した郡山に留まり、娘は大学に進学。

一家は、もう住めないと思われる自宅を解体しようかと悩み始める。家を壊すことは故郷を捨てることを意味するわけだ。

映画が公開されてから7年が経ち、やはり浪江町の大部分は帰宅困難区域のままで、娘は映画監督になった。

19歳(2018年 映画)

2024-06-18 00:00:49 | 映画・演劇・Video
道本咲希監督(&脚本&主演)が21歳の学生の時に制作した映画。PFFで審査員特別賞を受賞している。20日で死ぬだろうと思っていた少女が就活もしないで(もちろん終活もしないで)カメラを趣味にして、毎日を、なんとなく過ごしているうちに、他者との関係の中で、少しずつ社会の重みを感じていく姿が見えてくる。

みかけによらず重い荷物を背負っている人が多いのが見えてくるのだろう。

しかし、監督、脚本、主演を全部というのは、勉強になるだろうが、どんな感じなのだろう。映画のことならなんでもできるというのは大したものだ。

その後、ドラマやCMの仕事をしていたようだが、ついに今秋、長編映画『ほなまた明日』が公開されるそうだ。怖い映画だといやだな・・

The Memory Lane(2022年 映画)

2024-06-10 00:00:22 | 映画・演劇・Video
2022年のぴあフィルムフェスティバルの審査員特別賞の受賞作『The Memory Lane』。コロナ禍で大学が閉鎖になり、いつもスケートボードで遊んでいた通学路やキャンパス内が使えなくなる。

同好の学生が集まり、大学に侵入し、さらに一般道を夜中に走ったりして楽しそうに盛り上がる。そんな映画だが、なんとなく微妙に反社会的なのがいいのかもしれない。

スケボーといっても五輪に出るような人たちは、そもそも楽しいというより、苦しいと思っているかもしれない。なんの目的を持たずに生きるのは、ある意味難しい。

暴走族とか実は同類なのかもしれない。しかしヤンキーもスケボー学生も自分達の勝手で時の流れを意識せず動きまわっているのだろうが。もっと根源的に言えば、来るべき時間の流れの中で人生を徐々に追われているわけで、いずれ、自分の運命とカーチェイスしていることに気が付くだろうか。

人に非ず(2014年 映画)

2024-06-06 00:00:52 | 映画・演劇・Video
『人にあらず』は2014年のぴあフィルムフェスティバルで審査員特別賞を受賞。

自然豊かな小笠原諸島(父島)を舞台に繰り広げられる理由のない凶行を描いたサスペンス。ただ、サスペンスは最後には謎解きするのが普通だが、いくつかの重大な謎(動機とか刑事事件として解決されるのか)は解けないままになる。

 小笠原諸島の父島にある観光客向けホテル・ホライズンにやって来た新人従業員の男。少し暗めな性格。海と山に囲まれた島は平和そうに見えたが、のどかな日常の裏には陰湿な人間関係が渦巻いていた。ホテルの中の人間関係にも裏表がある。

さらに山中では頻繁に害獣退治の銃声が続く。

そして重大な犯罪が始まるが、完全犯罪とは程遠いし、何しろ島は閉鎖空間。

前半は人間関係の重苦しさが描かれ、後半は銃弾やナイフが活躍する。

矢川健吾監督は、本作の前後に、ノアール系の映画を数本撮っていて、現在は映画制作会社を創っているような話。まあ、監督というのも経営みたいなものだし。

レベッカ(1940年 映画)

2024-05-29 00:00:25 | 映画・演劇・Video
ヒッチコック映画の一つ『レベッカ(1940年)』を観る。ヒッチコック監督が英国からアメリカに主戦場を変えた第一作になる。2年前に刊行された同名の小説の映画化ということで、原作に忠実に作られていて、監督の腕を見せるというタイプの仕事ではなかったようだが、それでも評価は高かった。

あらすじ
ヴァン・ホッパー夫人の付き人としてモンテカルロのホテルにやってきた「わたし」は、イギリスの大金持ちの貴族であるマキシムと出会い、2人は恋に落ちる。マキシムは1年前にヨット事故で前妻レベッカを亡くしていたのだが、彼女はマキシムの後妻として、コーンウォール地方マのンダレイにある彼の大邸宅へ行く決意をする。

美しい自然に恵まれ、多くの使用人がいる邸宅の女主人として、控えめながらやっていこうとする彼女だったが、人に使われたことはあっても使ったことのない「わたし」には、戸惑うことばかりだった。以前からの使用人、特にレベッカ付きの使用人で、今なお邸宅を取り仕切るダンヴァース夫人にはなかなか受け入れてもらえない。

屋敷の調度は前妻レベッカの趣味で整えられ、新参の「わたし」は内心不満に思いながらも、その中で暮らしていたが、少しずつ「わたし」は前妻レベッカの、見えない影に精神的に追いつめられていく。

中盤になると、レベッカやダンヴァース夫人の関係者たちが現れ、複雑な人間関係になっていく。さらに、後半では前妻レベッカの事故に関してマキシムの隠された過去やマキシムですら知らなかったレベッカの一面が次々と明らかになっていく。

最初はラブ・コメディのようで、ミステリアスになったりオカルト的になったり、警察小説になった末、ラブコメディとして落ち着くことになるのだが、最後は大邸宅が放火で炎上し、死者が出たストーリーがコメディとなるのだろうかと少し考え込む。

ヨット遭難の筋書きを思い出すと、レベッカが一人で乗っていたヨットが暴風で流され、数か月後に発見され、その遺体を夫のマキシムが妻のレベッカと確認している。ところが実際には妻を殺したのはマキシムでヨットに穴を開けたり船底の水抜きバルブを開き沈没させ、自分はゴムボートで逃げ出している。その沈没船がひょんなことから発見され、船内からレベッカの遺体が発見された。実際には悪妻で浪費家のレベッカは末期がんと宣告され、自殺する動機があったということになり、マキシムに無罪が転がり込むのだが。最初のヨットで見つかったご遺体は誰だったのだろうか。

21グラム (2003年 映画)

2024-05-23 00:00:18 | 映画・演劇・Video
『21グラム』の監督、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥの作品は、いくつか見ている。『バベル』と『バードマン』。いずれも一筋縄ではいかない。本作は、生きるか死ぬかのようなテーマで、いささか重く暗い。

しかも、何組かの男女の物語が絡まっているのだが、時間軸が逆転していたりするので、なかなか難しい。時間軸が正しければ、理解しやすいが、原因なのか結果なのかが判然としない。

それに主演が誰なのかも決めかねる。心臓病で余命いくばくもないのに煙草を辞められない大学教授と体外受精して子をうもうとしている妻(しかし薬物中毒)、夫と二人の娘と暮らしていた女性、前科者だがキリスト教の加護を信じている男とその妻子。

この三つの家族が実はつながっている。

キーワードは、心臓移植、交通事故、ピストル。すべてが不幸に向かって進んでいく。並みの不幸の場合、怒りの矛先は悪役に向けられるのだが、本作では悪役はいない。なので、怒りをぶつける先も見当たらない。文句のない不幸映画だ。真のテーマは多分違うだろうが。

テルマエ・ロマエⅡ(2014年 映画)

2024-05-16 00:00:23 | 映画・演劇・Video
2012年に第Ⅰ作が上映され、2年後に第Ⅱ作になる。ラッセル・クロウが主演のローマ史劇『グラディエーター』を観た後に、そういえば『テルマエ・ロマエ』の第Ⅱ作を観ようと思って忘れていたことに気付いた。

そもそも、『グラディエーター』はシェークスピアの史劇群のようなスペクタクル映画で、戦闘シーンとコロシアムでの剣闘士の殺し合いのシーンが売り物なのだが、いうまでもなく『テルマエ・ロマエ』シリーズはタイムスリップを使った大喜劇で、比べるのはおかしいが、戦闘シーンは互角。コロシアムでの剣闘シーンは、迫力はグラディエーターよりもエグイ。地下にはライオンの檻まで用意されている。

要するに、日本の温泉や、健康ランド、力士部屋の大浴場、銭湯、といったレジャー設備をローマ時代に持ち込むわけだ。主演は阿部寛で助演が上戸彩。第一作と同じだ。

一応、ローマの歴史に乗っかって脚本が書かれている。戦争の時代、そして平和の時代。ローマは元老院と皇帝という対立軸が長く続き、民衆がいずれを支持するかというニセ民主主義に陥って、滅びていった。公衆浴場というのも人気取り政策の一環だったわけだ。民主主義の欠陥(衆愚政治化)は改善されることなく現在に至っている。

公衆浴場という概念は、古代ローマと日本以外には聞かないが、他の国にとってはホテルのプールのようなものだろうか。主演のローマ人ルシアス(阿部寛)は上戸彩が現代日本に帰る前に「3ヶ月後に温泉工事中に落石事故で亡くなる」と予言されたにもかかわらず、古代ローマに留まることを選ぶ。三作目はお断わりということなのだろう。

グラディエーター(2000年 映画)

2024-05-07 00:00:27 | 映画・演劇・Video
ローマ時代の後半、最後の賢帝マルクス・アウレリウスの晩年にドイツと戦って勝利した時の総司令官マキシムをラッセル・クローが演じる。賢帝は後継者にマキシムを指名したが、賢帝の息子のコンモドゥス(演:ホアキン・フェニックス)は遺言をもみ消すために父親を殺し、さらにマキシムと妻子を殺そうとするが、マキシムだけは脱出したものの奴隷とされて剣闘士として働くこととなる。

そして、コロッセウムでの剣闘士大会に出場し、チャンピオンとしてコンモドゥスと決闘することになるが、相討ちになってしまう。

なんとなく、面白い反面、この映画がアカデミー賞をいくつかの部門で受賞したというのがアメリカ的なのだろう。西部劇とたいした変わらないストーリーではないだろうか。

歴史に基づいているようで、まったく違うし、奴隷制度を否定的に考えているわけでもないし、ドイツ人を蛮人扱い、登場人物のほとんどは嘘つきで偽善主義。


ところが、今年の秋(2024年11月)にグラディエーター2が公開されるようだ。シチュエーションは前作から20年後。今度はライオン対人間かな?

サンセット大通り(1950年 映画)

2024-04-24 00:00:07 | 映画・演劇・Video
ロサンゼルス市サンセット大通りにある邸宅のプールで男が撃たれて死んだ。

この映画は、その死んだ男が、主人公として語るわけだ。

男(ウイリアム・ホールデン)は売れない脚本家で、借金取に追われていた。逃げ込んだのが大邸宅だが、住人は往年のサイレント映画の女王だった(演:グロリア・スワンソン)。彼女はサイレント映画の時代が去った後、すっかり忘れられてしまったのだが、本人だけは、昔の栄光の中にいた。

そして、自分の書いた「サロメ」の脚本を映画会社に送って、来るはずのない出演依頼を待っていた。

そして売れない脚本家は、事実上、サロメの書き直しを女王に命じられる。

一方、若くして脚本を書いているベティと共同で脚本を書くことになる。深夜に邸宅を抜け出して仕事をするわけだ。


こうなるとよくある、金持ちの老女と若く貧乏な女性のどちらがいいか、というところに落ちていく。

そして最後はサイレント映画の女王から銃弾を浴びせられることになる。残念ながら、銃弾の音はサイレントではなかった。

アメリカ映画だが、日本のある諺を思い出す。

二兎を追う者は一兎をも得ず