竜王失冠のわけ

2013-11-30 00:00:27 | しょうぎ
昨日の竜王戦第五局二日目の大盤解説に倉敷芸文館の会議室へ駆けつける。村田智弘六段が担当。午後、ネットで観ていると、かなり長い終盤戦のような戦いで、駆けつける途中で終わりそうな雰囲気もあり、あせる。さらに、誤って大ホールの方へ入ってしまい、スーツ姿が多いと思ったら、A化成の社内の発表会だった。産業スパイ対策が今一だ。

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で、やっと目的の会議室に座って、盤面をじっくり眺めていると、すぐに「次の一手」が始まる。5択問題だったが、唯一の正解者になる。終盤は強いのです。そして、賞品は、DVD版の「棋士名鑑(一)谷川浩司」。本編62分となっている。まだ見ていないDVDがいくつもあるのにどうしよう。何がDVDになったのか今一つわからない。定価は3000円。竜王戦と関係ないような気がする。

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そして、ついに森内名人が勝ち、名人・竜王の両タイトルを独り占めする。ボクシングの統一王座戦みたいなものだろうか。免状の署名はどのように書くのだろうと、頭をかすめるが、きっと売れなくなるだろうと予感する。

そういえば、元竜王がタイトルを取りたての頃は、毎年パーティーに招待してもらっていたが、思えば最近は声がかからなかった。そのせいだろう。励ましに何か将棋グッズでも送ろうかと、つい、棋士名鑑の新品DVDを眺めてしまう。


さて、11月16日出題作の解答。

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▲1四角成 △1二玉 ▲1三馬 △1一玉 ▲2一竜 △同玉 ▲2二銀 △3二竜 ▲2三馬まで9手詰。

福井県に行っていた記念に、「フ」の字の炙りである。が、「ク」も「イ」も創る予定はないので、あしからず。

動く将棋盤は、こちら


今週の問題。

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ごちゃごちゃしているが、ある方向に向かって進んでいく。とはいえ、それを大発展させようと計画しているわけではないので、あしからず。

わかった!と思われた方は、コメント欄に最終手と手数を記していただければ、正誤判断。

ポルトガルの富士山。あと4ヶ月?

2013-11-29 00:00:35 | あじ
アクアライン、海ほたるSAの中のショップが賑わっている。平日でも混雑。お土産店のレベルもかなり高い。その中に、欧州のはずれにある小国の名を冠したパン屋さんがある。(もっとも小国とはいえ、一時は世界チャンピオンだった時期もあるが、自国民コロンブスへの出張旅費をケチったためにスペインの経済成長に後れを取り、奴隷貿易以外は経済縮小に向かうしかなかった。)

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富士山メロンパン。

本物の富士山は雪でかなり麓まで白いが、このメロンパンは粉砂糖をケチっている。ポルトガル風だ。

そして、この富士山が、今後、山麓のどの位置から溶岩を噴き出すのか、調べてみると、・・

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マグマクリームはまだマグマ溜りにはあふれていないようだ。ただし、普通のメロンパンよりは、ずっと旨い。

ところで、この海ほたるの人気だが、まもなく絶望の淵がやってくるとの観測がある。つまりアクアラインの通行料金の値上げ(というか、値引きの終了)。現在、このアクアラインの川崎~金田間は社会実験と称し、800円である。2009年8月から暫定的にこの値段になっているが、その前は2300円。その前が3000円。開通当初は4000円だった。そしてついに、2014年3月には、特別料金が終了することになっている。

実際には、2300円から800円に約1/3の単価になったものの、通行量は2倍程度になって、トータルの通行料収入はマイナスになったそうだ。一体、来年はどういうことになるのだろうか。他の道路と異なるのは、安くしたメリットは、ドライバーというよりも、地域が得ているということのように思える。800円最後の3月には、南房総一体にあふれるばかりの人が集まり、4月1日からは、南房総一体に客足パッタリ、店舗バッタリということになるように思えてならない。

それこそ社会実験なのかもしれないが。

敵艦見ゆ

2013-11-28 00:00:10 | たび
先日、東京湾アクアラインを利用し、「海ほたる」で買物&食事。晴れてはいるが、強風で、千葉県側の海上部分(橋)は40キロ制限だった。この前、福井県の東尋坊でも強風にあおられ、スマホで海を撮影するのに大苦労する。スマホは、その形態からして風に弱く。うかうかしていると木の葉のように吹き飛ばされてしまう。また特に海の写真は、水平を維持しないと水平線が傾いてしまい、小学生の腕前となりかねない。というか、水平を保つことは不可能なので、あとでパソコン上で加工しなければならない。

それでも、知人で元外航大型船のチーフオフィサーだった男性に見せたところ、一瞬にして、「東京湾」と見破られた。海の色が決めてだそうだ。

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当日は、多くの船舶が強風によって接岸できないため、湾内で投錨して待機していたのだが、高波を蹴散らしながら平然と航行している中型船があり、一目で「軍艦」と認識できた。仮に戦争状態なら、発見した時にはすぐに攻撃を仕掛けなければ手遅れになる。

日本において、海軍力が貧弱だった明治初期に、軍港をどこにするのか新政府内で議論した結果、西日本は呉となった。呉みたいに瀬戸内海に基地があったら不便なような気がするが、当時は外国からの攻撃を受けた時に、瀬戸内海ならなんとか関門海峡で応戦して瀬戸内侵攻は免れるだろうということだったらしい。

東京湾も、敵から見ると、一見、袋のネズミみたいな地形だがペリーは平然と領海侵犯をしたわけだ。軍艦外航。

もっとも、脅かす気があったのかどうか不明なのは、もともと軍艦は、相手船がいても国際法なんか守ったりしないで、回避せずどんどん走ってしまうわけだ。最近の国内海運の話でも、業界内では「4G」というのがあって、航海に関して法律を守っている善良な船長を泣かせているらしい。

4Gとは、外国船(GAIKOKUSEN)、漁船(GYOSEN)、ガット船(砂利船)、そして軍艦(GUNKAN)ということになる。

衝突するのは、だいたいこういう人同士で、どちらも、「あいてが避けるだろう」と思い込んで直進するわけだ。もっとも陸上の運転でも、これらの相手には近寄らない方がいいだろう。

漢字って、本当に怖いわけ

2013-11-27 00:00:53 | 書評
岩波新書『漢字(白川静著)』を読む。漢字検定の参考書ではない。漢字発生初期の頃の話。とはいえ、その漢字が延々と引き継がれ、中国や日本の文化を作ってきたわけだ。表意文字など使っている国は、本当に世界では少数派なのだが、その他の国でもあったらしいのだが、民族ごと消滅したり、他国に占領された間に言語を失ったり、あるいは漢字よりも機能が落ちていた場合もあるだろう。

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日本語にしても表意文字の漢字の他、表音文字のカタカナやひらがなにしても漢字の一部や崩し書体を代用しているわけだ。もっとも最近の学生にはカタカナとひらがなの区別がつかない人もいるらしいが、そのうち「ひらがな検定」とかできるかもしれない。

まず、漢字の前には言葉があるはずで、その言葉を記録すべき必要があって文字が登場したということだ。だから、漢字も「特定の用途」のために使われ、その後、使用する範囲を拡大することによって、大きな体系が完成したらしい。それでは、いつ、何のためだっただろう。

漢字が登場したのは、殷の時代と言われている。そして、その目的の一つが、「神話」の記録。もう一つは「呪術」のため。

もっと簡単化すると、神話は妖怪の世界で、その妖怪の世界と人間の世界をつなぐ橋のような世界が漢字で、人間と妖怪の戦いを起こすため、異民族と戦い、相手の首を門の周りに100個、並べたり、血なまぐさいことを公的儀式化することにより、安寧を得ていた。だから、文字に潜んだ恐ろしい意味の中にはそれぞれ千人をも超える人間の阿鼻叫喚の絶望が含まれているわけだ。

例を示す。

文:刺青を意味する。死体を聖化する儀式で胸に刻んだ。
殺:相手からの呪術攻撃を弱める行為で殺人とは違う。「相殺」に近い。
伏:地中からの妖術攻撃を防ぐために、犬を大量に地面に埋めた。
道:道にするには。地面に首を埋めてお祓いをした。
京:首都を作る際。異民族の死体を高く築いて門をつくり、その景色が京という。
県:木に首を掛けたようす。
自:しゃれこうべになった鼻を意味。みずからという意味は、敵の鼻をさらすこと。
流:当時は、初産のこどもは川に流すことになっていたらしい。
宰:神へのいけにえを刀で殺す役目。後に大臣を意味するようになる。
南:南方の異民族。人身犠牲の意味でもある。またそれらの人の楽器。

そして、その後、殷が滅び、周の時代になり、政治が神の手から人間の手に渡ったことから、漢字が言語としての位置付けに変わったということだそうだ。


そういえば、『今年の漢字』。昨年は「金」だったのだが発表は12月12日ということ。ちょっと探りに・・

お詫びの構造

2013-11-26 00:00:02 | 市民A
PRESIDENT誌2013年11月18号は、『謝り方のお手本』特集だった。一冊の半分以上が、「ごめんなさい」の正しいやり方について書かれている。(残る誌面は。ハウスメーカーと腕時計の広告といった感じだ)

ただ、「ごめん学」というような分野は学問として独立しているわけでもないし、研究テーマとしては面白いのだろうが、たぶん、体系的にするのは厄介だろう。多くの人が謝罪についての一般論を書くが、決定打はないような気がする。

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しかし、実際、謝罪会見、あるいは謝罪コメント発表というのは、ずいぶんと続くものだ。本誌は編集の関係で10月初旬あたりまでの事例を列挙しているが、

東電:汚染水漏洩
カネボウ:白斑被害
JR北海道:手抜き検査及び虚偽報告
みずほ銀行:反社会的融資

ということだが、その後も
秋田書店:アンケート景品数量虚偽
阪急阪神:食品虚偽表示
みのもんた:バカ息子問題
都知事:不明朗資金導入
ぴあ:発行数過小計算による印税不払

などが続いている。

で、「お詫び」という脈絡のない社会的事象を体系化するために、本誌を参考に考えてみると、ます「お詫び(あるいは謝罪)」は“コミュニケーション”であると位置づけてみたい。本来のコミュニケーションはAとBが貸し借りなしの対等な立場であるはずなのだが、「お詫びコミュニケーション」はそうではなく、バランスの崩れたコミュニケーションである。

AからBというお詫びのAは、ほぼ単数である(個人または法人)。Bについては、単数の場合と複数の場合がある。単数というのは、特定の個人または団体ということで、一般的にはほとんどがこの場合で、マスコミ対応で謝罪会見を行ったりするのは、不特定多数に対する謝罪ということになる。

もう一つのカテゴリーは、謝罪する内容についてである。まず、一般的には交通事故などでもそうであるが、一方的に悪いばかりではなく、少し割り切れない部分がある場合。「合理的な言い訳」が存在するものの、謝罪しなければならない場合ってあるわけだ。AがBに謝罪するも、本当に問題はCであるとか。

もう一つのケースは、「誰がどう見ても悪い場合」。企業の謝罪で叩かれるのは、主にこういう場合だ。といっても、こういう場合だから謝罪会見をするのだろうけど。」

で、こういう低レベルの謝罪は、はっきりいって学問にならない。「自供」のようなものだからだ。隠していても発覚し、もっと罪が重くなるから、さっさとゲロってしまおう、というだけ。

問題は、「なんらかの事情があって、こういう事態になったので、謝罪して、とりあえず問題を固定化して解決しよう」という、いわばネゴシエーションのスキルの部分だ。

本誌では、相手別に6タイプに分類して、それなりの対応策を紹介している。

1.お説教オヤジタイプ (定年退職後の60代男性に多い)
2.ヒステリックタイプ (女性はわめく。男性は暴言を吐く)
3.弱い者いじめタイプ (世間に対し不満。モテない男に多い)
4.理詰めタイプ (できるビジネスマンや米国人)
5.手のひら返しタイプ (内気な人や黒幕登場型)
6.ごね得タイプ (不相応な金額要求あり)

それぞれに特徴があるわけだ。まあ、やっかいなのは2と4と5かな。ヒステリックな人には、まず「ガス抜き」から。理詰めタイプには、「今後の対応策」。手のひら返しタイプには、まず「メモの作成」とか「黒幕のあぶり出し」とかだろうか。お説教タイプには「話を聞くだけ」でいいだろうし、ゴネ得タイプには、「相手に具体的金額を先に言わせる」というようなことなのだろう。

というか、どのタイプかを見間違えると、大炎上してしまうのだよね。外交でもそうだけど、いつまでも謝罪にこだわるK国は、2と6の混合型だろうか。米国などは、4タイプで未来志向なので、総理が変わるたびに「真珠湾に対する謝罪を求める」などとは言わないわけだ。河野談話は、要するに「ガス抜き」のつもりだったのだろうが、ガスの油田は1000年物みたいに奥が深かったわけだ。まあ、現大統領みたいにガスの大噴出を続けてもらえば、ガスがなくなるのも早いかもしれない(もっとも着火したら大変だが)。

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そして、現代では究極のお詫びの形と言われる土下座だが、正しい土下座マナーが紹介されている。どうも現代の土下座は、コミックの世界みたいで、効果はゼロになっているようだ。

もともとは、究極のお詫びに印としては、責任者の首の塩漬けを届ける(戦国時代)。切腹(江戸時代)。指詰(明治以来のアウトロー社会)。そして土下座とか坊主刈り、というように代わってきているのだろうか。

「予州銅水一件」のこと

2013-11-25 00:00:03 | 歴史
本来は、書評らしく、「岩波新書『日本の自然』を読んで」というように書けばいいのだが、「予州銅水一件」という文政2年4月に起きた一件に心が引っかかることになり、調べてもよくわからないという状態になった。

『日本の自然』は中野尊正氏と小林国夫氏の共著。昭和34年(1959年)発行され、よく読むと、最近の自然の猛威に関しても的確な予言がなされている。火山、温泉、地震、山、平野、気団、海、河、湖などについて日本の特徴を述べていくわけだ。

たぶん、この一冊があれば、日本全国の地理は完璧だろう。昭和30年代の自然に関しての問題は、解決されないまま、そのままキープになっている。

そして、気になる記事は、人間の所業により自然が変えられた時に公害が発生するということについて、江戸時代から事件が起きていたそうだ。

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かつて、こんな事件があった。別子銅山の排水が、吉野川の支流、銅山川に落とされていた。このため、銅山川はもとより本流の吉野川も鉱毒水で汚染させていったのである。徳島藩では、下流部の藍作に害があるので、銅山からの流水さしとめ方を幕府に願い出たのである。幕府は落合豊後に調査を命じたのだが藩は叱責を受け、窮余の策として藍を鮎といいつくろったが申訳がたたず、藩の重臣が切腹して事件の終結をつげたのである。


著者がどうやってこの事件を調査したのかは不明なのだが、実際に事件が起こり、幕府が調査したのは事実らしい。ただし、藩の言い分が認められた、という記述と、認められなかったという説がある。徳島と切腹といえば、明治2年になってもお家騒動が起こり、中央政府は10人に切腹を命じている。これが、日本の切腹の最後となっているそうだ。これと混同したのだろうか。

なんとなく、記述の具体性からして徳島藩が正論を述べていたのに通らず、重臣が犬死したというのが正解のような気もする。今も昔もだ。

ところで、鉱毒水問題といえば足尾銅山の田中正造。天皇直訴したあとの家族への迷惑を考え、直訴に当たり離婚していたそうだ。それに比べ、今回の山本太郎議員の原発作業員の窮状直訴。彼は妻と離婚ではなく、妻の存在を隠していたというのだから、人生いろいろだ。

消えたミュージアム(1)

2013-11-24 00:00:40 | 美術館・博物館・工芸品
美術館、博物館、名所旧跡、これらのパンフレットを大量かつ無秩序に持っていた。ミュージアム歩きをはじめて数十年も経っていて、途中からパンフレットを残すことにしていた。ただ、ざっとみて行った場所の半分以下だと思う。なにごとも徹底してやることは難しいし、特にそういうことが苦手な性格なのだ。「毎日、同じことを繰り返す」というのは、簡単すぎてミスを犯す原因とされているのだが、私の場合、同じことを繰り返すこと自体が苦手なのだ。

それで、どうしても整理が必要な状態になってきたので、思い切って数時間掛かりで、全部を床にぶちまけて、重複しているものとか、特別展の入場券の片端とかを捨てて、とりあえず、「美術館」「博物館」「名所旧跡」の3ジャンルに分類し、北海道から南に向かって並べ直してみた。ファイルを買おうかと思ったが、「整理をした結果、もっとかさばることになる」という愚を冒すことになりそうなので、単に紙袋に詰めただけ。

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そして、これらをもう一度回顧してみるというのが、正しいアプローチだろうが、そういう当たり前のことはしないわけだ。

「消えたミュージアム」という角度でまとめてみようと思ったわけだ。それなら数は少ないだろう。ただし、消えてしまったものの調査というのは、恐竜の骨にしろ、元歌手の行方にしろ、甲子園優勝投手の第二の人生にしろ、「データ不足」という壁にぶちあたることが多いので、どうなることなのか不明だ。


さっそく北海道だけ着手してみる。函館、札幌、釧路などのパンフレットがあるが、やはり消えたものがあった。

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「金森美術館 バカラコレクション」。

函館市の観光地の中心部にある「金森(かねもり)美術館」が閉館したことがわかった。1989年に開館した当時は、仏バカラ社の高級クリスタル製品を常設展示する仏国外唯一の美術館として注目され、年間約3万人が訪れるなどにぎわったが、国内でバカラ社製品を扱う店が増え、近年は来館者数が伸び悩んでいた。(6/17付 読売新聞北海道版)


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どうも2009年の5月か6月に閉館になったようだ。この美術館、金森商船という海運会社が旧金森船具店を改造し、「バカラ」専門のガラス美術館を開いていた。現在は、旧金森美術館になったようだ。

もっとも、ここにあった展示物だが、ルイ15世、ニコライ皇帝、エチオピア皇帝メネリク2世など、消えた王様たちに愛されたものが多く展示されていた。天国(または地獄)から、展示中止の要請があったのだろうか。


なお、消えたミュージアム特集は、ネタが細い時に突然登場するのだと思う。

最近、目につく将棋世界

2013-11-23 00:00:30 | しょうぎ
今や、将棋雑誌といえば、「将棋世界」と「NHK講座」と「詰将棋パラダイス」しか思いつかない。そのうち、「将棋世界」について、どこの本屋でも見なくなり、さらに図書館にも置かれていないことが多いと思っていた。第一、ジャンルというかカテゴリーがよくわからない。

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「将棋」というカテゴリーを作っても種類はない。男性誌というにも女性ファンが皆無になってしまう。本当は、サッカーとか野球といった専門誌の仲間なのかもしれないが、そういうところにも、ああいうところにもどこにも見つけることができなかったのだが、最近、あちこちの書店におかれていることがわかってきた。

急に読みはじめられたというよりも、こまめに営業を行っているのだろう。

久しぶりに購入して、まず詰将棋コーナーをみると、少し変わっているように思える。というか、以前よりも易しいのではないだろうか。さらに、以前は右上の方の限定エリアで作図するように書かれていて、さらに入玉や双玉は毛嫌いされていてペンネームは不可だった。

ということで、詰パラだけでなく世界の方にも応募しようかと思い始めている。


さて、11月9日出題作の解答。

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▲3五飛 △2六玉 ▲2五飛 △同玉 ▲2六歩 △1六玉(途中図1) ▲4三馬 △2六玉 ▲5三馬 △2五玉 ▲3五馬 △1六玉 ▲3四馬 △2五飛(途中図2) ▲1七歩 △2六玉 ▲3五銀(途中図3) △1五玉 ▲2五馬 △同玉 ▲3四銀直 △3五玉 ▲4五飛 △2四玉 ▲2五飛 △1三玉(途中図4) ▲1四銀成 △1二玉 ▲1三成銀 △1一玉 ▲2一飛成 △同玉 ▲2二金まで33手詰。

動く将棋盤は、こちら


今週の問題。

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あれこれ動き回ってから、最後は手筋で決める。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数と酷評を記していただければ正誤判断。

トライ、西条柿

2013-11-22 00:00:06 | あじ
広島や岡山、鳥取の人には珍しくないだろうが、柿の一種に『西条柿』という古種がある。西条の名の由来については、広島県の西条市のあたりという説が強いが、愛媛県の西条市あたりという異説もある。なにしろ1000年前から細々と歴史の中で生きていた。もともと、広島の西条に来る前には鎌倉の永福寺の境内に自生していたという記録もある。

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この鎌倉の永福寺(ようふくじ、と読む)だが、源頼朝が奥州藤原家と弟の義経with弁慶を征伐したあと、気まずくなって、戦没者慰霊のために建立したもの。平泉の中尊寺を模したものともいわれる。西条柿が広島に伝わってから100年ほど経った1405年に焼失してしまった。西条柿の木も現在は残っていない。

そして、この永福寺跡は国の指定史跡となっているのだが、鎌倉の世界遺産申請の動きの中で、にわかに、再建プロジェクトが動き出しているような話があるようだ。その際は、古来より続いている西条柿を境内に戻してみたらどうだろう。と、前書きのはずが後書きみたいになってしまった。

さて、西条柿を中国地方以外で食べるのは難しい。というのも、最大の理由は「渋柿」だからだ。さらに、渋抜きをした場合、まったく日持ちしないこと。1日か2日で、溶けはじめる。干し柿ならば日持ちするが、それではこの糖度の高い柿の価値が見いだせない。戦国時代には毛利軍は戦場用の非常食にこの干し柿を使ったようだが、肝心の関ケ原の戦いのときに、優柔不断で自滅した。いつも美食家だった総大将が、たまに干し柿を食って腹でもこわしていたのかもしれない。

そして、この柿の形状的特性として、ピーマンみたいに縦に4つの大きなひだがある。だから皮をむくのに普通の柿のようにはいかないわけだ。皮をむく前にひだにそって縦四つに割り、それから各々の皮をむけばいいのだが、実際には工業製品じゃないので、きちんとはいかないし、渋抜きした途端に溶解が始まるので、少し柔らかいわけだ。

ただ、非常に甘い。柿はやはり甘い方がいい。渋抜きしているから、熟れていないという『はずれ』はない。さらに、1個約100円と安い。

しかし、この西条柿が渋抜き生食用として出回り始めたのは古い話ではないそうだ。それは新たな渋抜き法が発見されてからだそうだ。従来の焼酎を使った渋抜きでは渋が抜ける7~10日後には柿が柔らかくなり過ぎることから考案されたのはドライアイス法。要するに水溶性のタンニンが渋さの原因物質なので、それを不溶性にすると、舌で渋さが感じられなくなる。それを低温処理して実現するのがドライアイス法。要は柿そのものに直接触ることなく冷やして処理しようということらしい。

それでも、処理後2日ほどで食べ時が過ぎてしまうので、やはり中国地方以外ではかなり食べにくいのだろうと思う。

ところで、このドライアイスでの渋抜きを家庭で実行しようという人がいるらしく、ネット上で紹介されていた。1個100円のものをわざわざ大がかりにチャレンジしようというのはどういう人だろうかと思いを巡らせると2種類の人が浮かぶ。1種類目は、「庭に柿の木がある人」。もう1種類は、「柿泥棒」ということになる。

そして自家的ドライアイス渋抜き法の最大の問題は、安く大量のドライアイスを入手する方法のようだ。手っ取り早い方法として、「近くの葬儀社から購入」というのが紹介されていた。

くれぐれも未使用品を購入した方がいいと思う。

特別な一日(映画・1977年)

2013-11-21 00:00:41 | 映画・演劇・Video
1938年のローマを舞台とした映画『特別な一日』。この「一日」には、二つの意味がある。

1938年のイタリアは、まさに第二次大戦直前だった。ヒトラー率いるドイツはこの年にオーストリアを併合し、次の獲物であるチェコスロバキアを狙っていた。そして、その次の狙いはフランス、・・・。同じくファシズムの国となったムッソリーニ率いるイタリアとの同盟関係はさらに強化され、相互首脳の訪問という史実を生んでいる。先に相手国を訪問したのがムッソリーニで1937年9月に訪独。その返礼というべきヒトラー御一行様のローマ訪問が1938年の5月3日。その翌日、二人の独裁者が並んでパレードを行った1938年5月4日こそが、本映画の当日である。

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そして、もう一つの特別な一日の意味は、そのパレードを見に行く夫と6人のこどもを送り出した妻(ソフィア・ローレン)が、ふとしたことで近所の中年の男(マルチェロ・マストロヤンニ)と親しくなり、夕方、大家族が帰ってくるまでの間に、不倫関係を完成させてしまうわけだ。人妻は、蜜の味に溺れ、翌週のアポイントを取りつけようとするが、中年男は、同意したようなしないようなあいまいな態度で応じる。

そして、その夜、中年男は雰囲気の悪い二人の男の訪問を受け、港から出航する船に乗ってどこかに行ってしまうのだ。つまり、たった一日の関係。

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というのは、物分りの鈍い観客の感想なのだが、後で思い出すと、あちこちに映画の謎を解く鍵は残されていて、まず、この男は同性愛者(つまり二刀流だった)である。さらに、ムッソリーニは、同性愛者が嫌いで、見つけ次第、サルデーニヤ島に島流しにしていた(イタリア人にとっての暗い歴史的過去である)。一方で、人妻は男性ホルモンあふれるムッソリーニのファンだった(当日のお昼頃まで)。

そして、中年男が連れて行かれた先は、当然ながらサルデーニヤ島ということになる。


しかし、この映画は1977年に名監督エットーレ・スコラによって撮られている。ソフィア・ローレンとマストロヤンニはイタリアでは超大スターで共演は何本もあるが、本作は役柄が微妙である。何しろ、ムッソリーニの三男はソフィア・ローレンの姉と結婚したわけである。ムッソリーニ家と近いわけだ。その娘はアレッサンドラ・ムッソリーニ。モデルから歌手に転進し、さらに現在は政治家になっている。そして、彼女は、本映画にもソフィア・ローレンの娘役で登場して、地のまんまの我儘を通している。つまり、そういうイタリア人にとっては公然の秘密みたいなもので成り立っているような部分もあるようだ。

さて、この映画はソフィア・ローレンとマストロヤンニがベッドで絡み合うところまで進展してしまうのだが、なんとなく既視感があると思ったら、日本人で彼らによく似ている役者がいることに気付く。最初のソックリさんは、マストヤンニ→水谷豊。次のソックリさんは、ソフィア・ローレン→杉本彩。そう考えると、本作の二人の絡みの結論は必然と言えるのかもしれない。

ところで、サルデーニヤ島に島流しになったマストロヤンニは、その後、自由の身になったに違いないだろうが、人妻であるソフィア・ローレンとの未完のアポイントを果たすべくローマに戻って再会を成功させたのだろうか。しかし、映画「ひまわり」の中では彼女はイタリア兵の妻として、ロシア方面で行方不明になった夫を待っていたのではなかっただろうか。しかし、そのなかなか帰らない夫はマストロヤンニその人ではなかったのだろうか。

となると、それほど何度も共演している二人は、実際に何らかの関係を持ったことがあるのかないのかなどと考えてしまうのだが、二人ともイタリア人なのだから、考えるまでもないのだろうか。

日本語の起源(大野晋著)

2013-11-20 00:00:56 | 書評
この岩波新書の一冊『日本語の起源』は、1957年に発行されたのだが、実に挑戦的であった。言語学者大野晋の38歳での渾身の一冊。

ところで、言語学って大変な学問であることに気付いていたのだけど、あらためて本書を読めばそのすさまじさが実感される。たとえば、言語といっても日本語の研究に特化してしまえば、言語学とはいわず、ただの国語学ということになる。英語が得意だと英語学にしかならない。早い話が沢山の言語を知っていて、それを色々な角度で比較して、ああだこうだと議論することになる。たぶん最低10か国語は知らないと話にもならないだろう。といって、自分の知人で10ヶ国語解る人間は知らない。3ヶ国語位なら少しいるが。

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まず、大野晋先生のことだが、1919年、東京深川生まれ。江戸っ子。そして88年間強活躍され2008年に88歳で他界されている。本書は1957年の初版だが、38歳の時である。そして、その37年後、1994年、75歳の時に、やはり岩波新書で『日本語の起源 新版』を出版している。57年版を新たに書き直しているわけで、結論が異なっているようだ。

57年版では日本語の起源を南方(インドネシア方面)に求め、しかし弥生時代に支配階級として朝鮮半島から渡来人がきて、日本を支配したものの、半島から持ってきたアルタイ語系の文法に南方系のは在来単語が混じり日本尾が形成されたように読める。

一方、1994年の新版では、日本語の起源をインドにまで広げているわけだ。しかし、これには賛同者多数ということではないらしい。

実は言語の起源というのは、民族大移動が大いに影響するのだが、だからといっても、A民族がB民族を征服したからといって、言語がAになるわけでもないわけで、人類の移動経路と言語の経路は密接につながってはいるものの、同じものではない。ある民族が他の民族に溶け込んでも、言語だけが残ったりする。


最近、遺伝子の分析で、人類(個々の人間の先祖すら)がアフリカ大陸からどのルートを通ってきたかがわかりつつあるが、だからといって、その移動した経緯がわかるわけでもないのだが、「日本人(日本語)の伝わったルート」と「縄文時代人と弥生時代人の混住の可能性」など、現代において次々に解明されていく内容を、ほぼ正確に予見していた本書はすばらしい、と思うわけだ。

ザッケローニの深慮遠望は

2013-11-19 00:00:48 | スポーツ
オランダ、ベルギーと続く国際試合の最初のオランダ戦の先発から、香川・遠藤の二人がはずれ、結果として、前半はオランダ有利に展開し、後半はこの二人が入ったことにより日本有利に展開したのだが、ザックは何を考えていたのだろうか?

実際、ワールドカップの本番では、退場や負傷などで中心選手が欠場する可能性は十分あるだろうが、わざわざ二人ともはずすということは、考えにくい。しばらく考えているうちに、浮かんだのがザッケローニの深慮遠望。

つまり、キックオフの時に二人をはずしてみたのは、次のベルギー戦への布石ではないのだろうか。

本田はずし。

なんとなく思うのだが、ザックはなかなか自分の考えているとおり動いてくれない本田を煙たがっているのではないだろうか。そして、できれば長い時間、使いたくない。確かに彼のフリーキックによる特点は魅力だが、フリーキックが直接ゴールしても、監督の評価にはつながらない。キッカーが誉められるだけだ。中村俊介も、監督からの評価が低かったような気がする。

ところが、無暗に「本田はずし」を行うと、問題が起きる。一つは、はずしたからといってすぐに良い結果が出るという確証はない。よくわからないわけだ。もう一つは、はずした時の世間の反応。うかうかしていると監督批判が盛り上がる。

ということで、何気なく本田をはずす実験を行うために、オランダ戦前半で香川・遠藤をはずしてまず世間へのカムフラージュを作っておき、ベルギー戦前半に「本田はずし」を実行してみて、結果を確認しておきたいのではないだろうか。結果がまったく出ないなら、「本田はずし」はあきらめることにし、そこそこうまくいくなら、次の作戦を実行するのではないだろうか。

そして、本田自身が、深慮遠望に気付いているかどうかだが、気付いているような気がする。

とはいえ、この勝手な憶測だが、日本時間明日の朝5時には、推測の正誤がわかるわけで、かなり無謀なことを書いているような気がする。

ソースカツ丼と越前そば

2013-11-18 00:00:45 | あじ
福井シリーズ最終回は、ソースかつ丼と越前そばのこと。

ソースかつ丼は福井発祥らしい。そして越前そばはコシのあるのが上とされているようだ。二つセットになったメニューで、一挙に名物征服してしまおうということにする。ただし細かく言うと、ソースカツ丼をミニサイズにして、そばを普通サイズにするか、逆にソースカツ丼を普通にしてそばをミニにするか選ぶ必要あり。もちろん両方とも標準サイズを頼むことは簡単だが、体重管理の点で愚策だ。ソースカツ丼をミニにする。

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そして、ソースカツ丼を食べて驚いたのだが、東京他で食べるソースカツ丼とは異なっている。

薄切りの一口サイズのカツをソースに浸け、白米の上に直接並べる。さらにタレとしてソースをかけるので、ソースがライスにしみ込んでいる。東京のソースカツ丼は、白米の上にキャベツの千切りを並べ、その上に普通のトンカツを6~7切れに切ってから並べ、上からソースをかける。とんかつ定食を並べ替えたものである。岡山のデミカツ丼は、その東京ソースカツ丼のソースがデミグラソースであること。

では、福井版から全国版に拡散した時に、いつ、誰が、どこでキャベツの千切りを使ったのだろうか。福井をコケにしたのは誰か?

そして、調べてみると、一筋縄ではいかないことがわかってきた。

まず、普通の卵とじカツ丼だが、定説では大正10年(1922年)。早稲田の学生である中西敬二郎氏が考案し、その後、数ヶ月で日本橋、銀座といった都心部のレストランに登場したことになっている。

しかし、最近の研究では、大正2年(1913年)福井県出身の高畠増太郎氏がドイツへの料理修業から帰国し、ウスターソースにカツを浸すという、現在の福井式ソースカツ丼をレストランで供していたことがわかってきた。店の名はヨーロッパ軒。場所は早稲田である。しかし、ヨーロッパ軒を襲ったのは関東大震災。レストランは灰燼となる。そして失意の氏が向かったのは、故郷の福井。再起をかけて福井で再出発したのもヨーロッパ軒という店名である。

つまりカツ丼進化の第一幕は、福井式ソースカツ丼レストランを早稲田に開店。その味をパクって卵とじカツ丼を考案したのが早稲田学生。ソースカツ丼は、都内から姿を消し、福井で再興したのだ。

そして、キャベツ敷き型ソースカツ丼だが、発祥のいわれはよくわからない。ただ、ソース漬けにしない場合、カツから油が流出するだろうから、それを吸着するためのフィルターのような役目をキャベツに持たせたのかもしれない。となると、ソースカツのキャベツは、単に油吸着フィルターということになり、食べずに捨てるものということになる。刺身のツマの大根と同じだ。

そして、そばについて。かなり美味いそばだ。ここ数年内に食べたそばのうち上から3番目には入る。ただ、ソースカツ丼と越前そば。大阪あじ文化と東京あじ文化の接点のような場所だ。そういえば、北陸新幹線は東京から金沢へつながり、その後、福井につながるのか、京都方面から福井に繋がるのか、よくわからない。最初に繋がった方の文化に連なっていきそうだ。

恐竜博物館(福井県立)はかなり充実

2013-11-17 00:00:38 | 美術館・博物館・工芸品
福井といえば、恐竜のメッカらしい。もちろん日本国内の話。恐竜がいた頃には世界中が一つの大陸で、だから世界中で恐竜が発掘されるのだが、そのうち北半球の動きの方が早く、南半球の大陸が分離し、さらにアメリカ大陸が分離し、その後、南半球の移動速度が速くなり、地震が起きるようになった。

日本列島も大陸の一部だった頃、多くの恐竜が生息していたが、奇跡的に日本の南と北とで植生が異なり、南側の亜熱帯植物組と北側の温帯植物組の両方の恐竜がいたらしい。

その頃、現在の福井駅から、えちぜん鉄道で1時間も内陸にいったところにある勝山(現地語では、かっちゃまと読むらしい)は盆地だったそうで、ここから多くの恐竜化石が発見される。

そういう意味で、福井県は、県立恐竜博物館を設置し、さらに恐竜研究者の育成も行っているそうだ。

そして、銀色のドーム状の建物の内部に入ると、これがかなりの規模であることが一目でわかる。首都圏で夏休みに毎年開かれる恐竜展とは違って、ここの恐竜はかなりリアルだ。相当、本物らしく動くわけで、年甲斐もなく、恐い。ああいう爬虫類的動きが苦手なのだ。




そして、この博物館の特徴は、そういう「こどもいじめ」的展示と合わせて、最新の研究成果をビジュアルに説明していること。恐竜絶滅の原因にしても、「小惑星衝突説」が主流であったものの、やはり疑問ありという学説が盛り返していることとか、さらに鳥類は恐竜である、と断定して、「恐竜は進化して空を飛ぶようになった」と公式的に解釈している。

カメ、ワニ、トカゲ、ヘビといった地面にへばり付いて「冬眠」という手段で生存するグループと、空を移動して気象変動に対応して動き回るグループにわかれたわけだ(ガメラは例外だろうか)。

そして、日本の恐竜がいくつか展示されていた。


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フクイサウルス・テトリエンシス。あまり見かけぬ体型だ。かなり足が速そうだ。短距離走のスタートみたいな格好している。


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そして、小型恐竜のニッポノサウルス・サハリネンシス。大型犬位の体長だ。表情も愛想がある。今、手に入るならペットとして人気が出るだろう。食われても補償できないが。

南樺太が日本領土だった1934年に発見され、ニッポンの名前を残すことになった。化石返還要求や呼称変更問題は起きていない。


当日は、特別展で『ボクらの恐竜・怪獣時代』が開催されていて、あやうく入場10,000人目として地元テレビに登場するところだった。ホッ。

おもちゃコレクターとして「鑑定団」にも出演している北原照久氏の怪獣コレクションの一部が公開されていたが、「ちょっと場にふさわしくないような」感じが漂っていた。

逆に見る

2013-11-16 00:00:23 | しょうぎ
詰将棋が実戦力向上につながるとしたら、その可能性がもっとも高いのは、相手の王将を詰ませるときだろう。その次に重要なのは自分の王に詰みがあるかどうか判断する技術だろう。本来はこの二つは同等の価値があるのだろうが、実際には相手の詰め棋力が劣る場合、自分の王の詰めを見逃しても相手も見逃してくれて難を逃れることもある。

ということで、最近は短編詰将棋を逆さ持ちして詰まして、いや、詰まされている。

sogyoku


が、詰ますよりも詰まされる方が難しいわけだ。見慣れていないせいか、なかなか難解なのだ。特に双玉型。つい、相手の王に王手をかける筋から読んでしまう。

そういえば、加藤九段は対局中、相手が中座して部屋を離れた時に、こっそり相手側に回り、相手の心理を探ろうとする悪癖で有名で、矢倉戦後同型でもやってしまうらしい。

外交関係でも同様で、近隣国との紛争でも相手側の立場で考えれば、交渉の勘どころが見えてくると言われている。何かご立腹のK国の女性大統領にも、ご来日いただき、一日総理大臣でもやってもらったらどうだろうか。ただちに自衛隊を出動させ、竹島奪還作戦とか決行してもらえるかもしれない。


さて、11月2日出題の酔象問題の解答。

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▲2二銀 △同酔象 ▲2一金 △1二玉 ▲2二金 △1三玉 ▲2三酔象打 △1四玉 ▲3四酔象成(太子になる) △1四玉 ▲1五歩 △同と(または1三玉) ▲2三太子まで13手詰。

12手目の玉型変化を避けるため、改作図も作成。

相手の手駒に酔象がある場合でも、酔象を敵陣に打って一回動かさないと太子(第二の王将)になれないので、連続王手をする詰将棋には支障がない。しかし、必死問題は相手に酔象があると、成り立たないので、酔象品切れ問題図を作らないといけない。


今週の問題。

1116


最近、福井特集を行っているので、関連問題(朝倉駒とか無関係)。

手数のヒントは、先週出題問題の約27.3%の長さ。(先週問題のヒントみたいだが)

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数と酷評を記していただければ、正誤判断。