風船(2017年 映画)

2024-02-29 00:00:09 | 映画・演劇・Video
2018年のPFF(ぴあフィルムフェス)の入選作。ちょっと風変わりな人間の記録。風変りと言っても犯罪性はゼロ。人畜無害だ。



若い男が主役で、彼は自宅である植物を育てている。最初は「ほうづき」ではないかと思っていた。オレンジ色の袋状の果実と言うか種と言うか。ただ拾ってきた種を育てているとどんどん伸びていく。東京の愛宕神社のほうづき市でみたものとは異質な植物。後で調べると「フウセンカズラ」という植物だ。風船のような果実を鑑賞するために海外(熱帯)から持ち込まれ、外来植物となった。

さらに彼は金魚を飼っていて、その金魚に卵を産ませ、稚魚の金魚を増やしている。どうも彼の夢は、フウセンカズラに紙のゴンドラをぶらさげて中に金魚を入れて、空飛ぶ金魚を空想するのが趣味のようだ。

空に飛ばすのは金魚だけでなく別の動物もあり。

さらにツバメの巣をみつけたり、身近なものを顕微鏡で眺めたり、食べるものはうどん一択。

まあ、趣味の世界は、ほどほどに・・・ということだろうか。

ゾロ(1975年 映画 アラン・ドロン主演)

2024-02-28 00:00:28 | 映画・演劇・Video
アラン・ドロン氏(88歳)の状態が良くないそうだ。数年前に脳卒中で倒れて以来、療養中といわれていたが、今年1月に近況が明らかになり、認知機能に大きな問題があり、すぐではないだろうが、来るべき時がくるのは近いらしい。

数多くの映画に出演し、影のある青年役から老獪な老人役まで、なんでもこなしている。時間を共にした女性たち(ロミー・シュナイダー、ニコ、ナタリー・ドロン、ミレーユ・ダルク)はすでに他界。

本映画『ゾロ』は同名の映画が多数ある。もともとは米国人作家の書いた『怪傑ゾロ』が、それぞれ勝手な解釈で世界中で氾濫しているわけだ。ということで、区別するため『アラン・ドロンのゾロ』と言われている。

スペインの占領地の提督になった(本当は友人がその役だったが、殺されてしまい友人が替玉になった)ディエゴ(演:アラン・ドロン)は任地に行くと、スペイン軍の大佐が住民から搾取をしていて暴挙の限りの悪政を行っていた。この映画は、イタリアとフランスの共作で両国民ともスペイン人を野蛮人と認定しているので問題なしだ。

ディエゴは無能な提督を演じながら、黒ずくめに変身してスペイン軍と戦う市民の味方として馬に乗って大暴れする。パターンはスーパーマンとか暴れん坊将軍、水戸黄門と同類だが、異なるのは表の顔がマヌケを演じていること。

城の中で剣を振り回して戦う時間が長い。最後は屋上から大佐を突き落として終了。そして、颯爽と馬に乗って去っていくのだが、提督役はどうするのだろうといささか心配になるが、単に映画なので気にしなくていいだろう。

一輪の胡蝶蘭

2024-02-27 00:00:05 | 市民A
今年も再生胡蝶蘭がつぼみを付け、ついに一輪の花を開いた。



昨年、再生胡蝶蘭として頂き、シーズン終了後もう一回仕立て直したもので、昨年よりは小振りの感じで、これからつぼみを付け続けるのかどうかは不明。

一輪だけでは全体写真も様にならないので、株の全貌はもっと先になったら公開できるかもしれない。

とにかく3年目のお勤めになる。肥料は不要で、暖かくて日当たりのよい場所に置くことが重要なのだが、日当たりがいいということは、窓の近くということになるが、窓に近いところは寒いということになる。

ともかく、日本は暑くなったということなのだろう。

花園神社は、もともと花園だったが

2024-02-26 00:00:58 | 美術館・博物館・工芸品
新宿付近に行った時に、立ち寄ったのが花園神社。多くの都内の寺社が貸ビルを建てて風情をだいなしにしているが、今のところ古典的な神社の姿のままだ。



新宿には元々、桜で有名な高遠藩内藤家の江戸屋敷があったが、1699年に甲州街道の第一番の宿場町ということになる。それまでの第一番は高井戸だったが、東海道の品川、中山道の板橋に比べ日本橋から遠すぎて不便ということで開設された。ところが、19年後の1718年には宿場指定から外されてしまった。享保の改革の一環で、宿場機能よりも岡場所機能が充実してしまって吉原筋からの取締り要請の声に押されたという説もある。

そうなると、町は徐々に寂れてしまう。そもそも甲州街道を通る人は少なかったのだ。復活開始は国鉄や地下鉄の駅の開業まで待つことになる。

一方、花園神社は徳川氏が江戸に入った1590年より前に、今の伊勢丹のあたりに吉野(奈良)から分かれてきたと言われる。先住者はそれなりに強いもので、幕府による江戸市中の区画整理によって、場所が僅かに移動して、徳川尾張藩下屋敷の一角を与えられた。現在の場所である。

ところが、その場所には美しい花が咲き誇っていたそうで、それが花園神社の名称に繋がった。神社に花園を造ったのではなく、花園を整地して建造物を建てたのかも知れない。現在でも花園は見当たらない。

土地柄、家内安全とか縁結びとか万事融通とか病気・学業・合格など身の回りのさまざまな具体的な願望を祈願する平和的な神社で、世界平和とか選挙必勝とかは荷が重いだろうか。

各種犯罪行為の成功祈願は、住所氏名と具体的な行為を記入して絵馬に書いておくといいかもしれない。

ついでだが、

花園ということばは、本来はプラス方向の単語のはずだが、最近は「頭の中が、お花畑」というようにネガティブな使われ方をしている。そういうことを言う人間ほど軽薄というしかない。花の命は短いわけで、花園を管理するというのは並外れた努力や精神力が必要なわけで、全国各地にある「花のテーマパーク」等を訪れる際は、そういった裏方の人たちのことを思い起こしていただきたいと、思う。

大名茶人 織田有楽斎展

2024-02-25 00:00:00 | 美術館・博物館・工芸品
サントリー美術館で開催中(~3/24)の織田有楽斎の歿後400年展は、相当の準備の末に開かれたのだろう。今では二刀流人生は珍しくもないが、400年前に大名と茶人の二本立てはすばらしい。



まず、展示の最初にあるのは、壊れた瓦だ。京都府の重要文化財。文化財と言うか遺跡と言うべきかもしれない。あの日本史上、最大のクーデターとも言える本能寺の変で焼け落ちた建物の瓦だ。今もって、動機不明、信長の遺体不明という事件だ。

織田有楽齋は武家としての本名は織田長益。織田信秀の十一男。つまり織田信長の弟。本能寺の変の時は、信長の嫡男の織田信忠とともに二条御所に籠ったが、明智軍に包囲され、信忠は自害したが、長益は脱出。このため卑怯者と呼ばれたが、その後は豊臣、徳川家の間を行き来し、調停案の模索を継続したが、功を奏せず隠居して茶道に励む。師匠は千利休。

日本史の中ではアンチヒーローの方に属するのだろう。

茶器収集は大量に行い、孫の織田長好(茶人:三五郎)が亡くなる時に遺品整理簿を残していて80人以上の名前の下にお宝の分配一覧表が残っている(展示されている)。今でいう遺言状のようなもので、遺産を80人以上に配ったことになる。結構、交際範囲がわかって、おもしろい。

武士としての展示品には多くの書簡が含まれるが、戦国時代末期を生き抜くために、手紙作戦を行っていたということだろう。

ともかく、見どころが多すぎて時間がいくらあっても足りない感じだ。

駒テラスに行ってきた

2024-02-24 00:00:33 | しょうぎ
将棋連盟の研修会があって、駒テラスに行った。前々から覗いてみたかったが行きにくい場所だったので、つい足が遠のいていたが、最寄駅は小田急線の参宮橋。普通電車しか止まらない。渋谷から山手線で新宿へ行って小田急の普通電車に乗り換え、参宮橋駅から数分歩くという感じだ。地図をチラ見するとガード下のような感じで、すぐわかるかなと油断していた。

そもそも渋谷と新宿と言うラビリンス型の駅で乗り換えるというところから面倒だ。特に新宿駅は工事をしていて構内の歩行が一方通行になったりしていた。そして普通電車の本数は少ない。

参宮橋の駅は代々木公園側の出口と反対側と二つあって根拠なき二者択一となっていて、公園と反対側に出る。○だった。しかし出口から右へ行くのか左へ行くのか。線路の下にガード下というようなスペースは存在しない。ただ、左側が参宮橋商店街となっていて、『駒テラス』を歓迎というような表示物が数多く見受けられるので、そちらへ歩く。×だった。スマホで位置を確認しようと思ったが、道幅は狭く、人通りも多く、さらに女性警官がある店に入っていこうとするところだった。どうも万引発覚のようだ。周りの住宅を見回しながら地図検索をする行為を目撃されると、ヤバイ。しかたなく少し歩いてから調べると、逆方向で、鉄道ではなく首都高速のガード下だった。

その後も目的地の道路の反対側に行ってしまい横断歩道が遠く、無駄歩きするしかなかったり。



首都高の高架下にボックス型の四つの建物があり、そこが『駒テラス』。会議室のような感じで、その一つの箱が目的地。40人入ると息苦しい感じがある。行ったことはないが予備校ってこんな感じなのかもしれないな、と。

帰りは、道路の反対側まで歩いて、渋谷駅行きの京王バスに乗ると渋谷の京王線の前まで10分ほどで到着。二度目に行くのはたやすいが、その機会があるのか不明。


2月10日出題作の解答。








今週の出題。



解ったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ正誤判定します。

はにたん最中

2024-02-23 00:00:01 | あじ
先週の日曜に行われた横浜市の障がい者将棋大会に審判長で行ったのだが、帰り際に参加者へのお土産として『はにたん最中』が配られた。担当の方の説明だと、1年前の高槻市で行われた王将戦の第二局(藤井×羽生)で二日目のおやつに出たものだそうだ。一日のおやつが二回で二日制で対局者が二人なので全部で8つのおやつが必要。地元の9社から取り寄せたそうだ。最低でも1社がお茶を引くことになる。

そして、大会には急遽欠席者が出ていて、成り行き上、その余った分を審判長に追加してもらえることになるのだが、合わせて一つのお願いを受けた。

職員なので、経費で購入したお土産を食べるわけにはいかないので、食べた後に食レポしてくれないかとのこと。

ということで、段階的に撮影してからGIF画像にしてみた。



最中なのに、餡と皮が別々に包装されている。食べるためには、餡を皮の中に詰める必要がある。簡単ではない。力を入れ過ぎると、皮が破れる。そして完成。

直ぐに気付いたが、皮が乾燥している。餡を詰めてしまうと、水分で皮の新鮮さがなくなる。異次元の最中だ。

なお、はにたん最中のはにたんだが、市内の古墳から埴輪が出土したことによるそうだ。

抜け雀(柳家さん喬演 落語)

2024-02-22 00:00:08 | 落語
『抜け雀』はサゲが少し難解ということはあるが、話が濃厚なので、結構有名だ。

小田原宿の三流旅館に無一文の絵師の男が泊る。何日分かの酒代を支払うように亭主に迫られ、逆に居直って払う払わないということになる。そして宿のついたてに雀五羽の絵を描いて、これが酒代と言い残していなくなる。

ところがこの絵師の書いた雀だが、衝立から抜け出して、外で餌を食べた後、部屋に戻って衝立に貼り付く。

それが噂になり、旅館は千客万来状態に。そこに現れた老人は、この衝立の雀だが、籠も止まり木もなければ雀は疲れ、もうすぐ死ぬ、と予言する。

そして、衝立に鳥籠の絵を描くと、立ち去って行った。

その後程なく雀を描いた絵師が戻ってくるが、小田原藩主に衝立を売ってもいい、とうことになるのだが、老人が鳥籠の絵を描き加えたことを聞き、はたと驚く。老人は絵師の父親だったわけだ。

そして、親を「かごかき」にしてしまったということでサゲる。

つまり、親をかごかきという身分にしてしまったということだが、かごかきといえば今はタクシードライバー。職業差別だ。

もっとも、本来の上方落語では、親の担いだ籠に乗ったというイメージだったそうだ。遊女が乗ったかごを担ぐのが親だったということ。風俗嬢の前に父親が客として現れたというシーンかな。いや、違うな。

大倉山梅園で菅原道真の歌を思い出す

2024-02-21 00:00:00 | 歴史
梅の季節になった。手近な場所にある大倉山梅園に行く。



大倉山という地名は、横浜の他にも神戸や札幌にもある。ホテルの名前にもなっている。すべて大倉財閥が起源になっている。横浜の大倉山には、立派な洋館もある。洋館の裏手が梅園となっていて様々な梅が花開いている。

昨年は、一月にコロナ感染して、体力温存のため年の初めは出歩かなかったのだが、それまでの記憶の中では梅の匂いが漂うはずなのに、ある一本の紅梅の匂いしか気が付かなかった。コロナの後遺症なのかもしれない。一本の紅梅は梅園の中ではなく、梅園に向かう途中に咲いていた『唐梅』。



そして、梅の香で思い出したのが、菅原道真の一首。

東風(こち)吹かば にほひおこせよ梅の花 あるじなしとて 春をわするな

左遷先の大宰府で、京都の自宅に植えていた梅の木のことを思い出し、詠嘆した一首だ。



伝説では、この歌を詠むと京都から梅の木が空中遊泳して大宰府に着陸したとされ、『飛梅』として境内に今でも生えていることになっている。また歌を知った人物が京都の梅の木の根の一部を大宰府に運んで再生したとも言われる。

自分の過去アルバムを調べると、2004年の2月28日(つまり20年前)にこの飛梅を撮影している。道真は901年に左遷され、食べ物にも困窮し、903年に亡くなっているので、梅を見たのも2回だけだろう。命日は2月25日。梅の匂いとともに現世から消えていったのだろうか。

わたの原(2018年 映画)

2024-02-20 00:00:34 | 映画・演劇・Video
主人公の蛍は、会社務めの人間関係に病み、富士山のふもとにある母の実家でしばらく過ごすことにした。そして、今は空き家になっている家の庭の手入れを始める。といっても、新人監督の映画らしく、庭の手入れと言っても植木のトリマーとか草刈り機で雑草を刈り取ったりの軽作業ばかりだ。



そういった仕事の合間に、彼女は会社で起きたことを振り返り始める。先輩の男子社員との不定形の恋愛とかそれを妨害しようとしている年上の女性社員とか。よくある話だ。

振り返れば、その男子社員の趣味は無線。蛍の祖父も無線が趣味で、富士山のふもとの家にも無線機があり、彼女は無線機のスイッチをONにして、どこかの誰かと通信しようと試みるが、うまくいかないし、たぶん無資格だと違法行為なのだろう。敵国のスパイみたいだ。

そして、ついに彼女の携帯に元カレからの着信があり、彼女は荷物をまとめて山を下りていくわけだ。

行く先は都内なのだろうか。ハチ公前とか。まさか、樹海ではないだろう。あるいは、単に無線機の操作法を聴くためなのだろうか。その前に試験を受けないといけない。

映画の筋とは関係ないが、蛍が庭作業をする時に、私服の上に上下がつながった白いつなぎを重ねて着ていたが、上下が繋がっていると、女子はトイレに行く時に大苦労になるので、上下が分かれる作業着を着た方がいいと思う。

それと、富士山麓の家から、都内に戻る時、嬉しくて忘れたのに違いないが、玄関に鍵を掛けてないように見えた。

麻布演劇市『があでぃあんず』

2024-02-19 00:00:00 | 映画・演劇・Video
劇団GAHによる『があでぃあんず』を六本木の麻布区民センターホールで観劇。麻布演劇市には実はコロナ後初の観劇。


劇は大河ドラマのように7部作になっていて今回は5回目。途中参加の人のために人物相関図とか、ストーリーの流れの説明から入る。

エピソード1では、主役は5人の小学4年生(男3、女2)。その時、地球に巨大隕石が近づいてきて、秘かに世界を裏で支配する黒幕機関の要人はロケットで避難してしまう。ところが5人のうち一人の男の子は超能力を持っていて隕石の方向を変えてしまう。しかも黒幕たちが人類を見捨てて一時逃走していたことを5人は知ってしまう。

その後、超能力の子はウイルスを注射され死んでしまう。

そしてエピソード2は、15年後の25歳。4人は再開し、暗黒勢力の支配が世界に拡散しはじめたことに危機を感じて団結して戦う決意を固める。2名の男女は日本を離れ、暖かいタチツトット国に移住し結婚し娘が生まれる。名をブンコという。

エピソード3と4は日本に残った男女一人ずつが主人公。

そして、エピソード5が今回。主役はブンコ。冒頭、2074年の青山墓地にあらわれたブンコは60歳。父母の納骨に訪れ、クスノキの古木の中に水が流れている音を聞きだす。

次のシーンはブンコが9歳。つまり51年前なので2023年。ほぼ現代だ。タチツトット国にいたブンコとその両親は、世界を支配する黒幕に命を狙われるというストーリーになっている。彼女たちを守ろうという者があらわれる。人型のアライグマと人型のネコ、ロボット、天使だ。

2074年にブンコ60歳なら両親は86歳で亡くなり、逆算すると隕石が近づいてきたのは1998年、エピソード1の時の5人の小学生は1988年に生まれたことになる。(その年は年末に日経平均が30,000円を超え、翌1989年の12月29日に38,957円に達し、その後、富士山の斜面のように下がり続けた。)

カナガワビエンナーレ国際児童画展

2024-02-18 00:00:03 | 美術館・博物館・工芸品
2023年7~8月にJR本郷台駅近くのあーすぷらざで開催され、その後、神奈川県内13カ所で巡回展示されている『カナガワビエンナーレ国際児童画展』の9回目の会場である川崎市国際交流センターで拝見することができた。



59か国からと日本国内の外国人学校からの作品の中で優秀作が展示されていた。少し気づいたのは、年齢。5歳と14歳というのがポイントのような気がした。着想や技術の上達は、5歳のところと14歳のところに変曲点があるのだろうか。大賞受賞の「母犬と子どもたち」はタイ人の5歳。非の付けようがない。



それと、タイの子どもは特に絵が上手いように思った。

会場の川崎市交流センターは東横線の元住吉駅から徒歩10分程度だが、途中のブレーメン通り商店街は、なかなか趣と賑わいのある店が並んでいて、寄り道時間が少し必要だ。

棋王戦、持将棋の件

2024-02-17 00:00:42 | しょうぎ
棋王戦第一局(先手:藤井棋王×後手:伊藤匠七段)が僅か129手で持将棋になったことで、後手の伊藤匠七段が批判の嵐にさらされているようだ。王将戦挑戦者の菅井八段も「感想戦が手抜きだ」と批判されているが、そちらは「態度が子供っぽい」というような筋の批判だが、持将棋の件の批判は「将棋ゲームの本質」に関する部分だ。

チェスや象棋は先手の勝率が高いため、先後交代の二局パッケージ制があるが、将棋はそれほど差がないし、なにしろ一日に二回も指すなんて、対局料が上がるわけもないし、棋士は全員反対だろう。

そして、後手なら千日手指し直しもやむなしという戦法はあるが、持将棋やむなしという思想はなかった。そういう定跡もないし。

同じ持将棋でも互いに受けたり守ったりして200手位指して、深夜11時というなら誰も何も言わないだろうが、たいした戦いもなく途中から持将棋に向かってしまったところが異次元の感じだったのだろう。

おそらく24点法ではなくアマチュアでよくある「27点法+同点は後手勝」とか25点とか26点というようにハードルを上げると、違った展開になると思う。



もう一つ、本局の持将棋確定図で思ったのだが、持将棋を持ちかけたのが伊藤匠七段で藤井棋王が同意とのことだが、この局面では、藤井棋王の入玉駒+持駒の点数は23点。伊藤七段の方は16点。どちらも達していない。藤井棋王の9九香はたやすく成れるが伊藤七段は1六歩を取り3六の角が成ることは確実で22点。まだ一汗必要だ。駒が少ない方が持将棋提案してもいいのだろうか。

図から△7九竜、▲9八金、△2七角成として、次に△7一桂、▲同竜、△6三馬!というような入玉阻止の肉薄をみせてもらいたかった。


2月3日出題作の解答。








今週の出題。



解ったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ正誤判定します。

美しくないおばさん発言を検討すると

2024-02-16 00:00:06 | 市民A
先月28日に麻生副総裁が上川陽子外相のことを「そんなに美しい方とは言わんけれども、・・・」とか「俺たちから見てても、このおばさんやるねえと思った」という発言を福岡県の後援会で語り、批判され、後日撤回した。また言われた上川外相がきちんと反論しなかったことから非難された。

撤回しようが、麻生氏がそう思っていたからに違いないわけだ。落語家ではないのだから一度サゲてから褒めるなんてやめた方がいい。そもそも彼女の方が副総裁よりも仕事をしているように思う。

「おばさん」という言葉は、それ自体に小ばかにしたような感じがあるのだろう。年代別にいえば、「お嬢さん」には悪意や底意はないが、「おねえさん」には若干影が入っている。ここからが問題で、以前は「奥さん」とか「おかあさん」とかの時代があったのだろうが、既婚か未婚かは一目ではわからない。こどもがいるかどうかもわからない。英語の様にミズというわけにもいかない。消去法で「おばさん」かもしれないが、言われてうれしい女性はいないだろう。せめて「おばさま」ならバッシングの熱量は半分になっていたかもしれない。実際には外相は70歳なので、「おばさん」より一段上の表現をされる可能性もあったのだが、さすがに副総裁もそこまで言うと「うるさい!ジジイ」と逆襲されると思ったのだろう。

問題とすべきは、「おばさん」の前の文節で、「俺たちから見てても・・」というのは誰のことなのだろうか。俺たちというのが共犯と言うことになる。

ところで、以前、知人たちと「日本政治の老害人物」というのを話したことがある。具体的には6人。自民党からは3人。元総理のA(83)とM(86)。それと派閥死守しているN(84)。与党第二党からは、当時入院中で少し前に別の世界に行かれたI教祖(没94)。クラシックな名称の政党の元党中央委員会議長のF(94)、それと某新聞社のN(97)ということだった。

鼠穴(落語、演:柳家さん喬師匠)

2024-02-15 00:00:19 | 落語
鼠穴とは屋敷や土蔵の隅にネズミが齧って穴をあけた状態を指す言葉だ。ようするに内側と外側をつないだ空間(トンネル)のようなもの。もちろん、ネズミより大きい物は通れない。

この演目は結構長い。ストーリーが長いので途中で端折ることが難しい。火事のシーンや兄弟げんかのシーンも迫真性が求められる。

主人公は竹次郎。親から任された身上(現金や田畑)を兄と二人で折半にしたのだが、コツコツと働いて元手を増やしていく兄と異なり、竹次郎は悪友と遊び惚けて無一文になってしまった。

しかたなく兄に泣きついて使用人にしてほしいと願い出るが、兄は他の従業員への悪影響を怖れ、現金を紙につつんで竹次郎に渡して、「これを元手に一旗上げるように」と追い払う。ところが、表に出て包を確かめると、たったの三文。二束三文ということばがあるように、わらじ代にしかならない。

とりあえず、米屋に行って、「さんだらぼっち(後述)」を買い、銭を通すサシ(財布)を作って売り歩く。この段階で、米屋で売っている「さんだらぼっち」とは何か見当がつかないが、流れに乗るしかない。小銭が溜まったところで、またも米屋に行って米俵を買って、これでわらじをたくさん作って、売り歩くことにした。なかなか大変だ。その後、朝は納豆、昼は豆腐、夜は稲荷寿司と売り歩くことになる。いわゆる「棒振り稼業」だ。

そして十年経ち、竹次郎は働きに働きを重ね、蔵前に三戸前の店を出す。三戸とは蔵の扉が三枚という意味で商いの量が多いことを意味する。江戸時代の商売は掛け売りが主流だが、在庫は資金繰りの一環と認識されていた。妻をめとり、幼い娘も育っている。

そして竹次郎は、ついに兄の店にあの時の三文の礼に行くことにする。しかし、当時、江戸市中には火事が頻発していて、竹次郎は店を離れる時に、ある胸騒ぎを覚えていた。蔵にいくつかも鼠穴が開いていたことだ。その鼠穴から火の粉が吹き込んで、蔵が燃えてしまったら商売はできない。破産になる。ということで、番頭に、外出中に鼠穴を塞ぐように命じたのだ。ところが番頭はすっかり失念してしまう。

このあたりで、聞いている身としては、「大不幸が訪れるのだろう」と予想するわけだ。番頭の怠慢のため、全財産を失うストーリーだ。まるでシェークスピア劇だ。

この後、竹次郎は兄と再会し酒を酌み交わして鼠穴が気にかかるものの、ぐっすり眠りこんでしまう。

そして、予想通り不幸の連鎖反応が始まる。

火事を知らせる半鐘が始まり、場所は蔵前。慌てて戻った竹次郎の目の前で一つ目の蔵からは火柱が上がり、二つ目、三つ目の蔵と順に焼け落ちてしまう。

無一文になり使用人に払う給金も出せず、最後は全員が辞めていく。泣く泣く兄に無心に行くが、掌を返したように追い返されてしまう。

途方に暮れた竹次郎は娘から「わたしを吉原に売ってください。まだ幼いので客を引くまでに借金を返してくれればいい」と言われ、実際にそういうことになり、二十両を借りて吉原大門を出たところで、スリに二十両全部を盗まれてしまう。

そして手ごろな高さの松の木を見つけ帯をほどいて首に巻いてしまうわけだ。

この後は、省略。

結局、この噺は何を意味しているのだろう。

・鼠穴の修理は、思い立ったら直ぐに塞ぐ。
・修理箇所は店主が自分で確認すること。
・そもそも悪友と付き合わない。
・草鞋の編み方ぐらい覚えておくこと。
・他人の家で飲み過ぎて寝込んではいけないこと。


ところで、「さんだらぼっち」だが「桟俵法師」と書く。「桟俵(さんだわら)」と同じ。それでは「桟俵」といえば、米俵のふたの部分の平面のことだそうだ。要するにドラム缶をイメージしてもらえばいいが、天と底の平な円の部分が桟俵で、胴体の部分が俵となる。つまり草鞋を作るには長い縄が必要だが、桟俵には長い縄がないため、銭を通すほどの長さの縄しか作れないということなのだ。