紀宮様の結婚式は11月15日に

2005-05-19 10:01:19 | 市民A
宮内庁の発表によると紀宮さまと黒田さんの結婚式は11月15日(大安)になったとのこと。当初は確か10月ということだったかと思うが、「○○れた」というのは禁句だ。

最近の一般公式「三低」をあてはめてみよう。
低依存・・うーん???違うかな。
低リスク・・これはそうだ。公務員。
低姿勢・・知るすべなし。

ところで、紀宮さまについて、JUKEさんがある法則をNET内で見つけていた。ご参考に。

Recommend blogについて

2005-05-18 10:03:09 | 市民A
ブログを書き始めて、もう少しで1年になる。そのあたりは、きちんと1年経過してから書こうと思うが、他人様のブログについて、書いてみる。といってもプラス方向のリコメンドである。というのも、

  世間にはネクラジャーナリストがいて、「ブログブームは去った」とか騒いでいる声もあるが、
  1.社会現象には波動性がある、という一般原則を知らない。
  2.自分にオリジナリティがなく、他人のブログの評論だけの人が、ブロガーの目が肥えてきて
    飽きられたことが理解できない。
  といった事情で、自分で筆を置けばいいものを、他のブロガーも道連れにしようというのだから、
  そら恐ろしい。
  集団自殺サイトではないのだから、一人で退出すればいい。

さて、リコメンドを始める前に、本稿では、おもに当ブログ右下のお勧めLinkの欄を解説予定。ただし、全てが同列に極上ブログなのだが、順序は、重要性ではなく、話の筋の順になる。もしかして、落としたら申し訳ないが他意はない。それと、どちらかというと「宝探し」的紹介なので、メジャーブログの方は、なるべく触れないことにする(あるいは1行とか)。ここに書く意味がないからだ。さらに、実際に、メジャー(アルファ)かどうかは調べるのは面倒なので、「メジャーだろう」との推定による。そして、並べてみて感じているのは、自分には、好みの長さがあるということ。1500字から2500字のブログをよく読んでいるような気がする。リズムか・・ では、さっそく、

1.職業人が、結構ゴリゴリ突っ込んでいるハード物。
 「THE EYE FORGET」、写真家、横木安良夫氏がガンガン書いている。技術論はほとんどわからないのだが、彼の美しいPhotoが毎日見られる。と極楽気分だったのだが、突如、新しいことを始めた。ベース基地のcocologの分室をlivedoorに作った。livedoorのPhoto画質が粗いことを逆利用して、自らの作品のプリント販売用のカタログとして使っている。livedoorベースの画像でも、L版くらいにPrintしてPhoto Standに入れておくなら十分だろうが、拡大して、本人の自筆サイン入りとなると、ブログを見てからメイルして注文するようになっている。しかし、本人も頭を捻られているが、作品の妥当なプライシングも難しい。

 「法と常識の狭間で考えよう」、は非常に専門的で重い。裁判について、あらためて考えるといろいろなことが見えてくる。例えば、名張赤葡萄酒事件として、死刑判決が再審となったケースでは、地裁無罪が高裁死刑となったことから、三審制は誰のためだという主旨のエントリがある。手鏡教授が裁判中にもかかわらず、大学をクビになったのは正しいのか?とか問題提起は一つ一つ重い。

 「ふじすえ健三ウェブサイト」は代議士ブログだ。彼は、”挑戦型代議士”なのでブログは熱っぽい。本人の談では、”単なる安上がりの選挙運動”と言われていたが、事態は違う方向に走っていくだろう。妙な勢力とトラブらないことを切に祈る。

 「渡辺明ブログ」。20歳、将棋の新竜王のブログだ。将来は将棋界のリーダーとなると思われている。職業ブログは一歩間違えば、業界内部の暴露型に陥るのだが、超人はなんとかしてしまうのだろう。

2.ご当地奮闘型
 「ブラジルサンパウロから世界へ、そして渋谷」さんはパワフル。サッカーフリークならさらに楽しいだろう、読んでいるとブラジルのことが見えてくる。”プロジェクトX”がブラジルでも放映されているとの段で、”暗く重い主題歌”がブラジルにまったく似合っていないとの説には深く同意。レオン監督の神戸入りの話なんか、さすがに現地である。本人は10万アクセスまでは続けると書かれていたが、よく見るともうすぐ10万になってしまう。みんなに紹介すると、逆に早く終了してしまうのではないかと心配になる。私だけが読者ならあと数年は書いてもらえるのだが・・

 「vagabondの徒然なるままにinネリヤカナヤ」さん、は都会派の管理人が突然奄美大島での生活を始めることになった。どうなるのかな。

 「puramuざつがく」さんは名古屋にこだわる。私も名古屋の味にはまっている。

3.有名人ブログ
 「finalventの日記」さんは、アルファの”極東ブログ”の別バージョン。極東ブログが左脳で書いているとすれば、finalventの日記は右脳書き。読み過ぎると、自分の文体に影響が出るほど、味が辛い。いつかおそろしいことが書いてあった。”遺書のつもりでblogを書いている”とのこと。敬服。

 JUKE Blogさんは、面白い話を形式にこだわらず書き飛ばす。

4.同好の香り
 「ある活字中毒者の日記」さんと「中原透」さんと「吟遊旅人のつれづれ」さんは気分が落ち着く。波長の問題なのだろう。どこかに似ている筋があるのだろう。

5.日記的であるような、ないような
 毎日書くことが日記であるなら、大部分のブログは日記といってもいいのだが、他人に読まれる日記というのは、エッセイであろう、というのが私の考えなのだが、「明日は明日のホラを吹く」さん、「TANEの日常」さん、「あんなこと、こんなこと、どんなこと?」さん、超長めの天声人語派だろう。日常のできごとと、自分の主観をぶつけていくという書き方は意外と定石で手堅い。

6.応援系
 「経済オンチ、日経を読む。」まずオンチは差別用語だ。毎日の日経から記事を一つ切り抜き、自分で解説を書く。書き続けるうちに、経済通になったのがよくわかる。さすが日経、続ける日経?

そして海の外日記」さま、就職内定おめでとう。「ぶまの見る世の中」は結構有名派だが、意見がしっかりしている。ちょっとハード。

7.有名系のかたがた
 リンク集にノミネートしているのに、きょう書かなかった方々は、あえて言うことなしってことでお許しを。毎日、覗いて楽しんでいるので今後とも良質ブログの供給サイドよろしく。
では・・

新聞の行方あれこれ

2005-05-17 10:03:52 | 市民A
きょうは新聞についてなのだが、話の都合上、別のドロドロした件の粗筋から始める。その件は徐々に煮詰まってきているのだが、コメントすべき段階になっていないので詳細は後日、五月の終わり頃となる。しかし、その頃は日本海海戦100周年記念(5月27日)のことを書きまくっているかもしれないが、気分次第の風任せブログだから正確な予想はできない。いや、基本ルートに戻ろう。

日本将棋連盟という社団法人がある。将棋の棋士が所属している組織だ。現役棋士は150人くらいと思うが、主に名人戦とか竜王戦といったタイトル戦のスポンサーを新聞社に頼み、事業運営している。社団法人というのがミソで、営利事業をしない個人(社員)の集合体という理由で、文部科学省の管轄である。そして、その社員(棋士)は、選挙により8人の理事を選び、理事の互選で会長、専務、常務を選ぶ。

普通の株式会社では役員を選ぶのは、株主ということになっているが、実態がほど遠いのはご存知のとおり。それからすれば、まことに民主的のように見えるのだが、人数が少なく、閉鎖的社会であることから、2年に一度の理事選挙は荒れやすい。そして5月26日の選挙に向け、定員8名に対し14名が立候補し、密談や電話などで多数派工作が進められているはずだ。さらに、ある棋士は、ある立候補者をソフト盗作で訴えたり、混乱が深まっている。

なぜ、混乱しているかという話は長くなるので、次回へ回すとして、要するに中原誠会長を中心とする人たちと米長邦雄専務を中心にする人たちの意見が対立しているからで、両者が複数の候補者を擁立して争っている。もちろん少数派は風見鶏を決めているのも政治の世界と同じだが、その混乱の中で、40才前後の二人の立候補者が、主に若手棋士を集めて「将来を考える会」を開いたのである。そして、実際のタイトルホルダーは若手ばかりなので、その会合には若手実力者を中心とし、数十人が集まると同時に数人の新聞記者が出席したそうだ(やっと新聞記者にたどり着いた)。

また聞きの話なので、ニュアンスまでは伝えられないのだが、新聞社が囲碁・将棋のスポンサーから降りようとしているとの噂がある。実際、タイトル戦はインターネットで中継され、新聞の解説は結果を知ってから、ぼちぼちと10日間位に分けて連載されるわけだから、価値は低い。囲碁・将棋欄は新聞紙面の下のほうに載っているが、そこを広告用のスペースにすれば、経営的には、マイナス(棋戦スポンサーというコスト)からプラス(広告収入)になるのだから部分的には、うまい話だ。

そして、そのおそろしい質問を記者に対して行ったのは、さすがにリーダーである羽生善治氏なのだが、羽生氏は「再販制度が崩れた場合、どうなるのか」という本質的な質問をしたそうだ。まあ、新聞社側から、再販とか価格カルテルとかの話が出るわけはないのだが、実際には、カルテルを突破したのは夕刊を廃止した産経くらいだ(産経販売店は折込広告が激減して、不平たらたららしいが)。そして、記者からは、「価格下落により、採算が悪化した場合は、将棋欄はなくなる」という結論とのことだ。そうなると将棋界は大混乱となるのだろうが、それも次回ということにする。

問題は、新聞社側の話として、「価格維持できない」→「収益悪化」→「コストダウン」というような原始的サイクルで、低位均衡点が見つかるかどうかだが、均衡しないだろう。結局、全新聞が値下がりを始めれば、新聞界に入る収入の額が減り、部数が減れば広告収入も下がり、例えば、紙面を減らせば読者は去り、さらに値下げ競争に陥ると考えられる。そして問題は、二大新聞はコストの中の固定費部分が多いと思われる(決算不明なので単なる想像だが、ダウンストリームにかなり投資しているはずだ)ので、安値競争は苦手なはずなのだ。

とすれば、M新聞あたりは逆に、「フリーペーパー」というような戦略に向っていく可能性があると思える。韓国ではスポーツ新聞のほとんどがフリーペーパーになったのだが、日本の新聞の場合、一見「新聞は生鮮食品」と言っても、半分くらいは、きょう読んでも明日読んでも、1ヵ月後に読んでもかまわない記事も含まれている。逆に、必要回転数の違う記事が同一紙面に載ることから、ゆっくり読むべき記事も、読まれずに廃品回収行きになっていることも多いだろう。

そうなると、ニュース性という分野は、ネット+フリーペーパーのように展開するのではないだろうか(宅配の場合は有料だろうが、利用者がいるかどうか不明だ。コンビニでもらってくるというようなことになるのではないだろうか)ニュースそのものはネットで速攻し、それの解釈とか意味付けという部分が紙面ということになるのだろうか。

そして、毎週まとめて読むような記事は、クロネコさんに有料で届けてもらえばいいのだろう。読まれるか読まれないかわからない記事を書く記者にとっては、有料で記事を買ってくれる読者は、逆に、大きな励みになるはずだ。もちろん、いい加減な不勉強記者が追い出されるメリットもある。

ところが、歴史が示すように、道は曲がり易いものなのである。それは、二大新聞は過去の寡占メリットをたっぷり余剰金として社内に蓄積しているからなのだ。新聞社の自己資本比率はよくわからないのだが、出資しているテレビ会社はどこもキャッシュリッチになっている。親会社が経営危機になれば、直ぐに子会社から献血(吸血)可能になっているわけだ。そういうことで、採算度外で安値販売に乗り出して、M新聞やS新聞を排除しようという作戦をとって、成功する可能性もあるわけだ(潜水競争)。そうすれば、またいずれ、競争状態を緩和させ、完全寡占状態を作ることができるのだろう。何しろ、ほとんどNHK的押し売りというのが、新聞販売の現実だからなのである。そして、正しい販売部数を明らかにすると折込広告収入が減るために、わざわざ足し算が不得意になる販売店側の事情も大きいし、その販売店に融資したり、社有の建物を貸したりしている新聞社の方は、引き算が苦手なのである。

雅楽はガガクと読む

2005-05-16 10:04:46 | 美術館・博物館・工芸品
8a9d77b1.jpg雅楽について書くほどの知識はほとんどないのだが、旧江戸城内にある”三の丸尚蔵館”に行ってみたら、「お宝」があった。「雅楽-伝統とその意匠美」展である。展示スペースの関係だろうが、前期、中期、後期とわかれ、4/16から7/10までの間に行われている(休館日は宮内庁HP等で確認が必要)。

実は、欧州でも音楽は宮廷音楽時代に大きく発展を始めた。バロックがそうだし、モーツアルトの映画を見てもよくわかる。一方、同時にコンサートという形で広くホール音楽が発展していき、宮廷の没落とともに、音楽は大衆化していったわけだ(簡単すぎる言い方だが)。

ところが、日本では宮廷音楽である雅楽が、現在でも宮廷音楽のままであるというのは、江戸時代の宮廷の窮状が大いに関係しているのだと思われる。バロック音楽と雅楽を比べて、いずれが勝るとかいうようなものではない。使われる楽器は、笙、箏、龍笛、神楽笛、和琴、琵琶、太鼓と種類は多い。ただし、基本は管楽器ということで、弦楽器は少ない。ブラスバンドというと怒られてしまうかもしれない。

雅楽展の間、三の丸尚蔵館に入ると、かなり音質のいい雅楽を大音量で聴くことができる。建物の中で佇み、手入れのいい装束や絵画、楽器などの鮮やかな色彩を漠然と眺めていると、ジャパニーズ・ゴージャスの気分になる。西洋芸術は20世紀初頭の「憂鬱と混迷と困難」な時代をくぐりぬけた結果、「迷走と不条理と虚無」へ向ったともいえるが、雅楽は、Ancient Asiaの力強さをまったくとして失っていないだろう。

しかし、現在、雅楽は宮内庁の楽部という部門の方が演奏されている。公務員ということだ。また、洋楽も兼務されているということだ。そして、雅楽は年間数回の宮殿内の儀式と園遊会をもって継承されているのである。外部へ公開されるのは、春と秋の公演会の時と地方公演2回、国立劇場1回ということだ。

ところで、もしかと思うのは、皇太子妃雅子さまも、こういう宮廷内の「しきたり的行事」とか、そのための従属的な仕事を受け持つ楽師たちのことを気遣って、あれこれ深く考え過ぎてしまうのかもしれない。しかし、だからといって、雅楽を廃止してしまおうとか考えるのは、向きが違うのだろう。逆に、もっと広く打って出ていいのではないだろうか。女子十二楽坊の例もある。それに楽師は公務員であり、憲法で基本的人権は確保されているのだから、気にすることはないのである。失業保険も年金もあるはずだ。

追記:最後の行に書いた、公務員の失業保険、勘違いです。着地失敗!
公務員には失業保険(正確には雇用保険)がない。という指摘を受けたので驚いたのですが、日本の常識だったようです。それでは、出向先の第三セクターが破綻したり、少子化で不要となった学校教員の問題とか、市町村合併で合理化すべき場合などは、困ると思ったら、それらは「これからの課題」のようです。
 さらに、雇用保険法と公務員法ではちょっと不整合があるみたいで、ここにも大きな穴があるようです。もちろん、雇用保険があるからといっても、たいした額ではないのですけどね。

一国家二制度というのは、隣国の話かと思っていたら、日本にもあったわけですね。「国民」と一言でいうけれど、分解すると、国=公務員、民=民間人ということだったわけですね。「人民」とでもいうべきかな??

海辺のポリス

2005-05-15 10:07:36 | 市民A
96d88104.jpg皇帝のいる近隣国に在住している友人から写真が届いた。先代の皇帝が自分のこどもたちを集め、海の対岸にある敵国の崩壊を予言し、明るい未来の物語を教えている銅像である。

というのは、まったくのウソだ。歴史的建造物の立ち並ぶ、横浜大桟橋のすぐそばの海岸に建っているある高層ビルの前にあるブロンズ像だ。そしてその歴史的景観保存条例違反(ではない)の高層ビルを一人で使用しているのは、神奈川県警本部である。桜田門の警視庁よりは小さいが、それでも迫力だ。まず、このビルの定員を埋めてから各警察署に人員を配置するせいで、派出所に警官が足りなくなることがあるのかもしれない。あるいは、事件が多すぎて警官が足りないのだろうか。

実は、神奈川県警は本部ビルも立派だが、各地の警察署も立派で大きい(例外もあるが)。しかし、大きい敷地を確保するために駅から遠いことが多い。いくら権力があっても、駅前の一等地を没収したりはできない。クルマなら便利でも徒歩では行くのに苦労することがある。

先日、運転免許証の更改のため、勤務先を早退けして電車で向かったのだが、最寄り駅から遠く、近道のつもりが遠回りになったりして、たどり着かない。そして、やっと警察署の建物に着いたのだが、どうも建物の裏の方らしく、あちこちの窓に鉄格子が取り付けられている。まずい!?。駐車場の入口からやっと敷地内に入ったのだが、よくみると、駐車しているのは、パトカーばかり。中にはパトカーの運転席で眠ってるのも一人。社用車駐車場だ。しかし、一応どのクルマも鍵が掛けられているようには見える。しかし、車庫のように見える建物は、よく見ると、整備工場になっている。パトカー専用整備だ。こちらは、よくみるとボンネットが開いている。ボンネットが開いていれば、たぶん簡単にエンジンはかかるだろう。そっと持ち出せば、1時間くらいのサイレンドライブは楽しめそうだが、ぐっとガマンする。見つかれば、サイレンパトカー同士のカーチェイスという、楽しい企画になるのだろうが、トラブルに巻き込まれると困るので見て見ぬふりとする。

あまりウロウロしていると、本当に捕まるので、敷地内散策をやめようとしても玄関がわからないので、その辺の通用門から入ってしまうとトイレや給湯室があり、廊下を突き進むと、正規の玄関からの通路に出て、通常コースに戻った。しかし、結構、無警戒なものだ。通用門ですれ違って、足早に立ち去ったスニーカー男は誰であったのだろうか。

ところで、県警本部前のブロンズ像の制服警官の指差す方向には何があるのだろうかと、考えると、とりあえず、神奈川県庁があり、横浜スタジアムがあり、JR関内駅があるのだが、その指のずっと先は日本の北西方面を指し示しているし、さらにそのずっと先には佐渡があり、さらに海を超えた隣国はやはり皇帝のいる国になってしまうのだが、そこにはなにか楽しいものがあるのであろうか?

分別収集・NYタイムズ

2005-05-14 10:08:58 | 市民A
a48e53ab.jpg横浜市民の期間が長くなっているのだが、4月1日からゴミ回収システムが変更になった。10種類以上の種類分けをして、指定の日に指定の方法で処分しなければいけない。事前に説明会があり、品質の悪い再生紙で作られた小冊子が送られてきたが、よく読んでも、現実的にはよくわからないことが多く、質問電話はなかなかつながらない。

まじめにやっていると、大変なのだが、個人的感想をまとめようと思っていたら、驚いたことに5月12日号のニューヨークタイムズ(Web版)のトップ記事に「How do Japanese Dump Trash? Let Us Count the Myriad Ways」という記事が出ていた。どうもMyriad Waysというのは、色々なゴミ処理方法という意味だけではなく、色々なことをことをやった行く末は?というようなニュアンスが若干含まれているようだ。そして、記事は極めて長いが、人口350万の横浜市と2,200の徳島の上勝(カミカツ)というゴミの出ない町の比較をしていたりする(それは無理な比較だ)。小冊子の一部まで紹介されている。

最初に思ったのは、なぜ、こんな記事が世界のジャーナリズムの看板のようなところに登場してしまったのかということだが、私が読んだ時間は夕方であり、Web上に掲載されたのは、NY時間で午前03:42ということ。確かにアメリカ人で読む人間は少ないだろう。日本人が最大の読者になる時間帯かもしれない。そして、NYタイムズ風に、「同盟国日本のゴミ処理方法を米国は見習った方がいいが、やりすぎると問題だね」というようなところへ落とそうとしているのだろう。
常識的に、よその国の1都市のゴミ問題の記事を長々と最後まで読む人間は少ないと思うし、NYタイムズに言われるまでもなく、破れた靴下とかラーメンのツユに浸かったりシュレッダーに巻き込まれたネクタイなんかを、洗って乾かしてからリサイクルゴミにする人間はいないから心配要らない。

さて、まずは横浜のゴミ問題。実は、どこの自治体でも環境問題の仮面をつけてはいるが、それぞれ問題の根が違うわけだ。ゴミ焼却場の数が足りない場合もあれば、最終処理場が足りない場合もある。予算の問題もあるだろう。人員の問題もある。処理の仕方だって、それぞれ事情が違うわけだ。そして、その本質はなかなか明らかにされないので、ゴミ処理の入口での処理方法も微妙に異なる。横浜市の当面の問題は、最終処理場の問題らしい。だから、ゴミの量が課題になる。5年ほど前は、分別は一切無しで、すべてのゴミを燃えようが燃えまいが気にしないでガスで焼いて穴に埋めたり海に捨てていた。数年前から、ビンとか缶とかダンボールは別回収していたが、大部分は各種まざったまま、毎週3回の回収日に出していた。

今回の変更は、大ざっぱに言えば、3分割のようなものだ。「家庭ごみ」「プラスティック」「紙」だ。やっと慣れてきたが、多くのものは、この三分類の組合わせでできているので、捨てる時が大変になる。レトルトカレーを買ってくると、外箱は「紙」で、レトルトパックは一応「プラ」。食べ残せば「家庭ごみ」になる。ただし、レトルトパックは「プラ」だが、カレーで汚れている。洗ってから「プラ」にするか、洗わずに「プラ」にするか、「家庭ごみ」にするか悩む。本当は、用途から言えば洗わずに「プラ」でいいはずだが、「洗ってから出すこと!」と冊子には書いてあるし、説明会では「家庭ゴミ」に出せばいいと言われているし、結局、各自の判断だ。

「紙」の問題の一つは、シュレッダーだ。自治体によっては、シュレッダーゴミは繊維が短く再生できないからといって再生しないところもある。確認したら、横浜は「紙」でいいのだが、裏にシールがついているのは困るとのこと。さらに、紙袋に入れて出すようにということ。これも厚い小冊子には書かれていない。シュレッダーは3月に旧型の手回しソーメン型から、中国製の電動裁断方式に交換していたのだ。ところがよく考えると、DMの処理が困る。はがき型の場合、住所と名前と変なコード番号が印刷されたタックシールが貼ってある。これをこのまま、シュレッダーにかけると、シールごと切り刻んでしまうからNO!だ。したがって、シールの部分をはさみで切り抜くのだが、そうするとシール部分の処理が問題だ。結局、シュレッダーが2台必要だということに気付くのだが、前のシュレッダーはプラスティックゴミの回収日初日に捨ててしまった。はさみで細かく切る。

つぎに、封筒だ。最近は窓のところに紙質の透明素材を使ったものが増え、そのまま紙ごみに入れられるが、某C銀行は、オーストラリアの事務センターから旧型の窓に透明フィルムを貼ったものを送ってくる。その結果、窓を切り抜かなければならないが、裏側にフィルムを貼った糊がついているため、1.窓を大きめに切り抜く(紙)。2.内側のフィルムの部分だけ切り抜く(プラ)。3.窓枠の部分は紙とプラが糊で合わさった状態になる(家庭ゴミ)。と3分割しなければならない。C銀行を解約したくなる。

ところで、ゴミは生ゴミ、プラゴミ、紙ゴミと3種類がまざると、極めてかさ張るが、バラバラにまとめると非常に小さくなる。紙とプラは遠慮なく圧縮することができるが、中に生ゴミが混じると圧縮するわけにはいかない。逆に生ゴミは生ゴミだけだと形態不明のアメーバ状なのでかさ張らない。ゴミ置き場は整然としてきて、カラスには気の毒としかいえない。隣の川崎市へ引っ越してもらうよりない。

一方、ここまでは家庭内からみたミクロ的な視点だったのだが、NYタイムズを読むと、おそろしいことが書いてある。「ゴミ村八分現象」だ。

分別していないゴミは、市側の業者が回収せずに、ゴミ置き場に置き去りにするため、地元のリーダー(自治会長?)がゴミの袋を開き、持ち主を特定して自宅に注意に行くということだ。しかし何度言っても言うことを聞かない人もいるとのこと(余談だが、リーダーになる人の例として、大学教授とか日本航空の社員とか書いてある)。さらにGuさん(めずらしい名前)はゴミ袋に書く名前の色が薄かったと怒られ、ゴミを捨てられなくなり、ご主人が会社までゴミ袋を持って出勤しているとのこと(本当か?袋に名前を書くところもあるのかな。Guさんの勤務先も大変迷惑だろう。あるいはこれは在日民族問題かな?ありえないありえない)。そして、NYタイムズに書かれた最後の挿話は、ゴミの分別収集を口うるさく言われて、アパートから引越ししてしまった若い家庭の話なのだ。

現代の横浜は、このようにゴミで首が回らなくなってきているのだが、歴史上、過去にも追い詰められたことがある。それは関東大震災のあと、市内中が倒壊家屋になった時だ。結局、廃材は集められて、海に捨てられることになったのだが、その廃材で埋められた場所が、現在の山下公園なのだ。広く平らな海辺の公園には、建物が建っていない理由があったわけだ。公園はいつも若い男女で溢れているのだが、運悪く、もう一度関東大震災が起きたら、残念なことになってしまうかもしれない。地盤が崩れて海の一部に戻るかもしれないわけだ(そして、またすぐに廃材埋め立てで元に戻るのだろうが)。もちろん日中、山下公園にいるのは、正々堂々とした普通のカップルであるだろうし、深夜にクルマで集まってくるのは、ちょっとアブナイ目的の男女達ではあるのだが、地震の神様がどちらの時間帯を選ぶのかは、よくわかっていない。

ナマ乙葉はお疲れ気味だった

2005-05-13 10:10:06 | 映画・演劇・Video
0be7d780.jpg5月11日の夜、東京都内某所での試写会に行く。「炎のメモリアル」、ジェイ・ラッセル監督、主演は消防士役のホアキン・フェニックス。5月21日からロードショー開始。勇敢な消防士を描いた映画だ。

ところが、会場には、なぜかマスコミ用エリアがあり、テレビカメラ7台が並ぶ。ちょっと大げさな感じがする。トークショーに突然の大物がくるのかなと思い。色々想像するのだが、監督と主演がわざわざ来日したのかな?とか、考えていると開演となり、トークショーの出演者が発表されると、どっと盛り上がった。ナマ乙葉登場だ。若干の説明があったのだが、この試写会に現れた必然性は、全然わからなかった。それならもっと前の方に座ればよかった。左側に座っていた、おばさま方二人は、「オトハって誰なの?」とか小声でしゃべっていた。「黙れ!黙れ!」。カメラは堅く禁止ということだが、最近、東京でも多くの場所が撮影禁止になってきた。1980年代の中国に近づいてきたのか。好き勝手に撮影するのはブン屋だけだ(知的暴力組織)。

そして、乙葉への質問は、藤井タカシのことかと思ったら、「危険な消防士の方と結婚したら、ご主人が心配ですか?」などと信じられない設問。ところが、何か優等生の答えが返ってきたところを見ると、質問も回答も婚約発表前に完成していたものを喋っているだけなのだろう。タレントには自由がない。即興で好きなこともしゃべれないのだろう。そして、”そこに乙葉がいた”という以上の発言は何もないし、本人、相当お疲れのご様子。過労で倒れたりしなければいいのだが・・


さて、映画の方の内容をここに書くのはマナー違反なのかもしれない。アメリカでは2004年10月に公開されているから、既にネタバレしているとも言えるのだが、やはり持っていくべきハンカチの枚数は書かないことにする。ただし、米国の火事の場合、建物がレンガでできているので、消防士が火の中に突っ込んで救出したりするというシチュエーションがあり、レスキュー要素が強いことは予備知識だ。

そして、一つ残念だったのは、映画の中で結婚パーティーがあるのだが、ダンスミュージックが「サタデイ・ナイト・フィーバー」ではないことだ。なにしろ助演で消防隊長を演じるのは、ジョン・トラボルタなのである。

そしてトラボルタは年齢とともに太ってきて、今やアントニオ猪木と同じサイズで同じ顔になってしまったのだが、まだダンスは大丈夫だろう。同じステップを切るなら、スロー再生に合わせればいい。ただし、その場合、ビージーズも2オクターブ下がってしまい、レイ・チャールズになってしまうのだが。

浅田次郎の環

2005-05-12 14:46:48 | 書評
7d1ada3a.jpgブログ仲間の間に、ごくごくごく小さな「浅田次郎の環」がある。”ある活字中毒者の日記”管理人さまと”中原透”さまが本家であるのだが、二人だけだと環にならず線になってしまうので、下段の間の端っこに潜り込むことにした。しかし、困ったことに浅田本を一冊も読んでいなかった。そして、二人のブログ上のコメント交換を読み、エッセイ「勇気凛々ルリの色」を読むべきということに当たりをつけ、読み始める。

「勇気凛々・・」はタイトなエッセイだ。ことばの口当たりがきつい割りに、文節が長い。一文節読むごとに、息継ぎをしながら読むのが(あるいは書くのが)私のリズムだが、息継ぎできずに窒息しそうになる。”ジョイスのユリシーズ”や”金井美恵子の小説”の場合は、アクアラングをつけて読むので構わないのだが、浅田次郎は肺活量を頼りに読み進むことになる。「窒息リズム」だ。

そして突然、一篇が終わった。ショートエッセイ集だ!。なんとなく、浅田次郎というと、長編イメージだったのだが、このエッセイ、リズムがきついはずだ。文字を確認してみると、一篇は、3,500字位だ。
浅田次郎さまと比較するのは何だけども、私の「しょーと・しょーと・えっせい」は2,000字位だ。たぶん、これもタイトで苦しいかもしれない。息を詰めてキーボードを叩いているからだ。3,500字仕立てにすると、書く方はのんびりして楽だろうが、blogの領域を突破しているような気もする。

さて、「勇気凛々」、割と、基本に忠実な構成で、起承転結型で、一回ごとにちょっと捻った着地をさせている。結構、こういう技術は難しいだろう。そして、このエッセイ集は書き始めてから書き終わるまで2年間(1994年-1996年)をかけている。ちょうどバブル崩壊後の不安な世相の中を突き進んでいくわけだ。崩壊感覚の過去の歴史の中に作者自身をピエロ化させて、そのピエロを作者が読者と一緒に箸でつついてみるという書き方だ。”中原透”さまが指摘する「太宰治と共通項だがネガポジ関係」というのはこういうところかもしれない。浅田は自己の過去を箸でつまんでおどけるが、太宰は過去を許さず焼けた鉄串で刺してしまう。

しかし、「瑠璃色」だけでは、まだ浅田次郎の姿は見えない。次に「鉄道員」に進む。

これまた、長編と勘違いしていた。映画の影響だ。全八篇の短編小説集だった。そしてこの短編集に共通していたのは、シックスセンス(映画)だったのだ。ただし、作家が優しいのか、幽霊はそおっと出てくる。ごく自然にあるべき場所にやってくる。シックスセンス(映画)に登場する亡霊は、亡霊側の都合(在世中に言い忘れたことを伝えにくる)で、こっちが頼まないのに出現するのだが、この短編集に登場する幽霊は、むしろ生者の側からの、「会いたい気持ち」が連れてくるものだ。幽霊の描き方もさまざまだ。

しかし、幽霊を登場させると、小説は少し甘くなるのではないだろうか。会いたいものに会えない悲劇が人生の不条理命題の一つだとすると、小説の表面には登場しないで登場人物たちの心の中の”死者の魂”を引きずる村上春樹の「ノルウェーの森」や「海辺のカフカ」などの方が構造的に深い。と思う。もちろん官民総出でノーベル賞を狙う先生とは違うので小刻みに正確なパンチで、8ラウンドまで戦えばいい。文部科学省から外務省に出向した、英語に堪能な職員に、ストックホルムの大使館で工作活動をしてもらうのは、順番に一人ずつだ。そして、三冊目、「プリズンホテル」。

これは、代表作ではない感じだ。一応長編仕立てではあるものの、映画化とかドラマを意識して作ったのかもしれない。まあ、小説家にも遊びがある。古くは「我輩は猫である」もそうだし、村上龍なんか遊びの方がずっといい。「テニスボーイの憂鬱」「走れ!タカハシ」「368Y Par4 第2打」この3作は楽しい。「プリズンホテル」は楽しくない。作家が力自慢をしているのがちょっと気になる。短編が上手な作家が長編小説を読ませられるかは別問題だ。

さて、次に進まなければならないのだが。何を読むべきなのだろう?”浅田次郎の環”上段の間からの適格な指示を待つことにする。

ただし、「全部読め!」は勘弁してほしい。寡作の大作家で、ほぼ全部読んでいるのは結構いるのだが、現代作家は読みきれない。赤川次郎をモーレツに読み始めたことがあったが、私が読む速度より、彼が書く速度の方が上だったので、振り切られた。永倉万治には、やっとの思いで追いついたが、途端に本人が筆を置いてしまった。

ところで、「鉄道員」を読んでいる頃に、浅田氏の顔写真を見ることになったのだが、ヘルメットだった。作家にしては異例だ。若い頃の、自衛隊での修行の結果、ヘルメットをはずせなくなったようだ。日本最高のヘルメット作家となるのだろうか。いや、瀬戸内先生もいるから、日本男性最高のと言い直すべきだろう・・

明治の時刻表は鬼のように正確だ

2005-05-11 14:51:47 | 日本最古鉄道
b5f0bd41.jpg時刻表が2つあった。

一つ目は、鉄道運航開始の日の時刻表。明治5年5月7日、駅が横浜と品川の2駅。単純だ。
まず、横浜駅を08:00(八字と書いてある)発、品川駅08:35着。
次に、品川発09:00で、横浜着09:35。
ずっと時間があいて横浜発16:00、品川着16:35。
そして品川発17:00、横浜着17:35。1日2往復。
まあ、最初はこんなものだろう。列車が遅れても何も起きない。逆に乗客は、乗り遅れたら1日がフイだ。

そしてもう一枚の時刻表は本格的だ。明治7年。駅も増えて鶴見駅まである。順序は、
 横浜(現桜木町)→金川(現東神奈川)→鶴見→川崎→品川→新橋だ。

1日12往復で、横浜=新橋間を「58分」で結ぶ。横浜駅と新橋駅とも朝07:00が始発で「1時間15分刻み」で発車する。つまり列車は両端の駅で「17分の停車時間」があり、その間に「機関車の向きを180度回転させたり、石炭や水を補給しなければならない」のだから相当忙しい。(機関車の向きをどうやって変えたのかは全く見当がつかない。誰か教えてくれないだろうか?)そして夕方の19:30発のあと2時間半あいて「22:00発22:58の最終列車」があることなど、現代の終電車的だ。酔っ払いばかりだったのだろうか?

そして各駅ごとに細かく着時刻と発時刻が決まっている。駅ごとの停車時間は、新橋行きは神奈川2分、鶴見1分、川崎2分、品川1分だ。横浜行きは、品川、川崎各2分、鶴見、神奈川各1分だ。

そして、最大のポイントは単線であること。すれ違わなければならないのだ。そのすれ違いに利用されたのが、川崎駅だったのだ。横浜=川崎間は12.6Km・26~28分(平均時速約30Km/h)。川崎=新橋間は16.3Km・30~32分(平均時速約35Km/h)。つまり川崎は中間点より横浜よりなのだが、本当の中間点は多摩川の上になる都合でここを使ったのだろう。そのため、横浜=川崎間には駅を二つ(金川、鶴見)おいたり、ゆっくり走ったりしていたのだ。時刻表で確認すると、まず横浜からの到着車両が川崎駅に到着。2分間停止していると、新橋方面からの列車が到着し、停車すると同時に、今まで停車中の車両が走り出すことになる。

計算上は、2台の列車で往復していたものと思われるが、予備車両があったのかどうかよくわからない。いずれにしても、ほとんど時間の余裕はなかったものと思われる。こういうのが過密ダイヤという日本の悪癖につながっていったのだろう。

さて、この時刻表の左側に細かな文字が記載されていて、実はここが情報の宝庫なのである。現代語訳ではこういうことが書かれている。

1.旅客の列車はこの表に示す時刻の発着にて、東京、横浜の間を往復します。

2.乗車したい者は、遅くともこの表示の時刻より10分前に駅に来て、「切手」買入れ、
 その他の手続きをして下さい。そして、「賃金」の定数を、おつりのないよう、あら
 かじめ用意するよう願います。ただし、発車ならびに着車とも、必ずこの表示の時刻
 と違わないようにすることは請け合えませんが、できるだけ遅滞ないようにします。

3.旅客は出札所の窓口を離れる前に、その「切手」ならびに釣り銭などを改めてくださ
 い。あとで間違いなどを申し出られても、聴き入れできません。

4.「手形」は、その日限り、乗車一度にしか使えません。

5.四歳までの子どもは無賃です。それより大きく十二歳までは半額です。

6.旅客はすべて、鉄道規則にしたがい旅行してください。

7.「手形」検査のときは「手形」を出して改めを受け、また、「手形」取り集めのとき
 は「手形」を渡してください。

8.旅客の日用に欠かせない旅具、すなわち、小包・胴乱などは無賃ですが、もし損失が
 あっても、自ら責任をとってください。そのほかの手回り荷物は、東京・横浜の間、
 重さ三十斤までは二十五銭、三十斤以上六十斤までは五十銭を払い、その中間の駅は、
 いずれもその半賃銭を払い、荷物係へ引き渡し、引き取り証書をもらっておいてくだ
 さい。もっとも、一人につき重さ六十斤までとします。

9.手回り荷物はすべて、姓名かまたは目印を記してください。

10.旅客が乗車できるかできないかは、車内に場所があるかないかによります。

11.犬一匹につき、東京・横浜の間、賃銭二十五銭、その中間の駅は、いずれもその半賃
  銭を払ってください。しかし、旅客車に載せることを許しません。
 「犬箱」或いは「車長の車」で運送します。首輪・首綱・口綱を備えて渡して下さい。

12.発車時限をきちんと守るため、時限の三分前に駅の戸を閉ざします。

13.喫煙車以外ではたばこを許しません。

注目点は、まず、「2.必ず表示の時刻とは請け合えない」って。(遅延による損害賠償不可)そして2と12をあわせ読むと、「07:00の電車に乗るためには06:50までに、お釣りのないように小銭(現在価値8,000円位か。米15kg分)を準備して切符を買い、06:57までにホーム(といっても高くなっていないようだ)に入って待っていなさい。」ということだ。それにもかかわらず10に書いてあるように、「満席だと乗せてもらえず」に、かといって「切符は当日限りだし」困ったな・・・ということになる。
一方、「ペット持込と禁煙の話はやたらに現代的」だ(木製の客車だったから火に弱い)。
3と6と9は「余計なお世話」ということだ。

しかし、これを見ていると、鉄道ダイヤの正確性は単線時代からの産物なのかもしれない。これだけきっちり時間が決まっていると、運転士や機関士の精神的プレッシャーは相当あったのではないだろうか。しかも現代のように正確な時計もないし、事務所や対向車との連絡方法もない。

しかし、意外なことに現代は、また単線の時代ということでもあるのだ。IT技術により、在来線の複線区間のうち、片側を狭軌から標準軌に交換して、単線X2というスタイルで新幹線を走らせていることが多いと聞く(フランスの超特急も単線運転をしながらもう一本の点検整備を行っているそうである)。もちろん、すべての車両の現在位置や将来の予想位置が把握できることが前提である。しかし事故の常として、無数の予見しずらい危険ファクターの組合わせに起因することが多いことを思い起こすと、すべての危険要因に対応して超高速運行しているのだろうか?万に一つということ以上に億に一つも事故は起こりえないように考えられているのか?少し怖い。

おカネの儲かる読書??

2005-05-10 14:53:20 | 書評
64a99ea2.jpgGWの連休中に読みかけの本をずいぶんと読み切った。私の読書法は、常に何冊かを読みかけにして、少しずつ前進する。そして、時々、まとめて一気読み(一気飲みではない)して、気分を新たにする。同様の手法を女性に対して使うと、徐々に破綻に近づいていくのだが、本は無言でおとなしいから安心だ。まずは、経済(?)書、3冊の感想。

1.金持ち父さん 貧乏父さん(ロバート・キヨサキ)
 以前、読み始めたところで、あちこちで書評だらけになってしまい、読み終えなくてもなんとなく判っていたのだが、続きを読む。

 「金持ちはお金のためには働かない」ということだ。言うことはよくわかるのだが、人生を通しで考えると、アグレッシブであるべき時期や、ディフェンシブであるべき時期があるのだが、その時期を見誤って、借金まみれになるという例がザラにあるというのが現実だ。そして、彼の論理はよくわかるのだが、米国と日本のシステムの違いや、ゼロ金利のため、日本の経済マーケットが機能していないのが悩みどころなのだろう。

 低金利で土地を買って、値上がり収益を得よ、といわれても日本では短期譲渡収益には多大な税金が課せられる。また自分のビジネスを持て、といわれても、最低資本金制度や税金の面で有利にならないケースが多い。また超低金利やハリネズミ銀行が投資判断の尺度を曲げている。株式市場は相変わらず妙な論理が往来しているし、国債や郵貯だって、破格の規模で教科書の想定外だ。

 一方で、日本だけでなく、米国でも学校ではおカネの教育はしないというのは意外であった。資本主義の構造なんかは、基本文法のようなもので、親が教えるものなのだろう。それなので、米国では投資信託が隆盛になってしまうのだろう。日本では、高校生がハマっている日経や証券会社の提供しているシミュレーション株価投資ゲームなんかが親代わりになるのだろうか。

 読み終わった後、著者に少しだけ文句をつけたくなって、思わず次の著書を買ってしまうというのが戦略のようなので、その罠にははまらないことにする。

2.得する生活(橘玲)
 ローンやカードや金券ショップの使い方を書いてあるのだが、9割方知っていた。私の方がケチなのかな?。それにしてもカネ儲け本は、よく売れるらしい。迷える羊が多いのだ。

 借金のことだが、どこか無名の新興宗教の人の説なのだが、霊界側から見ると、地上に巨額な借金を残したまま霊界入りした「マイナス人間」は、あっち側に行くと大変な資産家になるとのことだ。バランスシートの右上の負債が帳消しになるから、バランスシートの左側の資産合計が右下の資本とイコールになる。なるほどとは思うが、唯一の問題はその宗教の教祖殿は、まだ人間界の方にいて、壺や絵画をローン付きで販売していることだ。

3.おてんばOL負けないもん!(三条雅子)
 この本は、いわゆる暴露本だ。しかし法律上の不正を暴いたわけではない。大手町の都市銀行本店に勤務する女子社員が自行内の女性の封建制度を「大奥」に喩えて、表現。19~20世紀型企業ではどこでもある話だろうが、紙に書くとなぜか気持ち悪くなる話ばかりだ。因習、慣習、無批判。男子行員も女子行員もどっちも狂っている。早く閉店しろ!!といわれる前に、来年にはなくなっているはずだ。

 しかし、この本は、一見、日々の愚痴の連続なのだし、作者の原意も「私的な怒りの爆発」だったのだろうが、当事者らしく軽快に書き連ねている日常の不条理を読み進むうちに、私の周りにもべトっとつきまとわり続けている、輻輳的な閉塞感に連なっていることに気がついてきた。結構、重い気分になるのだが、そういう気分にならない人も多いだろう。

品川駅は、ほとんど海だった。

2005-05-09 14:55:24 | 日本最古鉄道
f4364f41.jpg品川駅の古写真を2枚見つけたのである。ちょっと著作権とか心配だが、鮮明ではないので許してもらいたい。上の写真は相当古い。単線である。一方、下の写真は明治30年代らしい。写真右側が海ということは、東京の方を向いて写しているわけだ。着物に袴にパナマ帽で肩に鞄をかけている。結構奇妙な服装だが、よくみるとプラットホームはない。気をつけないと列車に触れそうでかなり危険だ。遠景の先に丘が見えるが、愛宕山かもしれない。山の上にNHKの放送博物館があったり、楽天の三木谷社長が毎年元旦に社員と一緒に登る愛宕神社の「出世階段」がある。

しかし、品川駅は本当に海岸だ。ソニーのビルもNTTの病院も、日航も三菱自動車も海の中だ。ついでに手鏡教授の逮捕現場も海の中だ。ある意味で、東海道も海岸道路だったことがわかる。線路のすぐ内側が第一京浜(旧東海道)だし、薩摩藩下屋敷のあったパシフィックホテルもこのすぐ脇だ。東海道の最初の宿場ではあるが、江戸発の旅人が、実際にここにとまることは少なかっただろう。いや、江戸に入る前に寄ったのかもしれない。最新江戸情報を仕入れたり、旅の汚れを落としてから大都会に入ったのだろうか。よく、品川の飯盛り女というのが有名だが、実際にそんなところで遊ぶシチュエーションは、よくわからない。

次は、川崎駅だが、どうも今の位置にあったようだ。そちらはかなり内陸に位置していて周りは水田だったそうだ。そして、なぜこんな位置に駅ができたかは、次のエントリに書く。

もしかして、川崎駅がもっと南側にあったとすると、日本有数のおフロ地帯の中になってしまうので、困ったなと思っていたが、違った。おフロシリーズ実録blogはもっと若年層に任せよう。

突然のF1 BARホンダの処分。

2005-05-08 14:57:18 | スポーツ
サンマリノGP(グランプリ)での車両重量オーバー問題でFIA(国際自動車連盟)が国際訴訟裁判所(パリ)へ提訴した件で、BARホンダに対して、2試合(バルセロナ、モナコ)の出場停止処分が発表になった。もちろん、サンマリノGPのバトン選手の3位と佐藤選手の5位の入賞も取り消しになった。これに対して、バルセロナで行われるスペインGPの第5戦を5月6日に控え、BAR側はスペインの裁判所に処分取り消しの民事訴訟を起こすと言ってはみたもののとりやめた。一方、FIAは処分が甘過ぎると息巻いている。

詳しい話は当事者達だけの秘密なので、よくわからないが、サンマリノGPの後、ずっともめていたらしい。およその話を書いてみる(もちろん後で、間違いがあるかもしれない)。その前に、BARはブリティッシュ・アメリカン・タバコがスポンサーで、名門ティレルから1997年にチームを買取り、ホンダがエンジンチームを送っている。BARはブリティッシュ・アメリカン・レーシングチームの略だ。

まず、車体重量はガソリンを抜いた車体本体が、605?以上とルールがあるそうだ(ルールブックには確認していない)。もちろん軽い方が有利だが、軽くし過ぎると事故の際の危険が増す。普通の乗用車は1000?から1500?だから、ずいぶん軽いものだ。そして、サンマリノのレースのあと、通常の抜き打ち検査があり、BARのバトン選手の車体が検査されたのだが、ガソリンを15リッター残したまま検査したため、検査に合格したのだが、後で、BARは車体にサブタンクを持っていることが関係者の情報で明らかになり、15リッターのガソリンがサブタンクから発見されたらしい。密度は0.7位だから約10?になる。これを差し引くと605?を下回るということがわかったため、FIA側は1年間の出場停止にしようとしたらしい。それに対しBAR側はサブタンクがあっても通常は使わないのだから、車体重量の方に含めるべきだし、サンマリノGPではサブタンクのガソリンは使っていないので、問題はない。という見解を示していたわけだ。

要するに、グレーゾーンの判定だ。おそらく、その辺のグレーさのせいで、2試合出場停止という曖昧なジャッジメントが出たのかもしれない。そして、私見だが、本件にはおそらく、今年の第一戦でBAR側が使った作戦に対する、FIA側の不満があったのではないだろうか。第一戦は、今シーズンから始まった新ルールの一つである、1エンジンを2試合以上使わなければならない、とする条項があったのだが、レースの形勢不利と見るや、BARは2台ともリタイアさせてしまったのだ。第一戦を走り切らない車はルール適用外、として第一戦での結果をリセットして、第二戦に新エンジンを投入してしまった。ルールのスキマを見つけたようなやり方は、かなりダーティなイメージを与えたはずだ。

そして、また今回もグレーゾーンを狙ったやり方だったため、FIAもついに怒ったのだろうと想像する。

一方BAR側も弁護士が登場し、スペインの裁判所に訴えようとしたらしい。FIAは法律家の専門組織ではないので、規定が若干甘くなっていたのかもしれない。だからといってグレーゾーンを攻めるというBARの態度はスポーツパースン精神としてはちょっとおかしいかもしれない。これでは各チームともツアーに弁護士の同行が必要となる。無論、弁護士資格を持ったドライバーを雇えば安くつくのだが、今度は報酬交渉で高くつくかもしれない。

しかし、実際にサブタンクに燃料を入れておくのは、有利なのだろうか?それともあまり関係はないのだろうか。いくら考えてもよくわからない。

しかし、相互の不信感を言い立てれば言い立てるほど、FIA・BAR・ホンダ、そしてF1そのものに対するイメージはどんどん悪化するだろうという意見もある。

一方、今年は不成績のホンダが、F1撤退する口実に使ったりしなければいいのだが、すでに来年用の小型エンジンは完成済みとの情報もあるので、大丈夫とは思うのだが・・・

なかなか額面通りには考えにくいのが、この世界の特徴であり、コースの中のレースよりコース外がヒートアップするのは、某国のプロ野球みたいだ。

そして、サブタンクの存在を告発したのが、BARを退社した元社員だったということも普遍的な話だ。

迷路を突破するには

2005-05-07 14:58:11 | 市民A
efd5bd88.jpg地下鉄(東京メトロ)車内の広告で、迷路本「右脳を鍛える大人のための迷路」と「左脳を鍛える大人のための迷路」各650円の2冊が、それぞれ例題1題とともに掲示されていた。右脳迷路は3秒、左脳迷路は5秒で解けた。あまり簡単なので本を購入する気にならないのは、元来、私がかなりの右脳派だからだろう。一方、論理ゲームは大の苦手だ、「Aさんは3人姉妹の何番目かなのだが、長女には5人のこどもがいて、次女はこどもは一人だが犬を3匹飼っていて、三女は弁護士だが離婚してこどものうち二人はアメリカにすんでいて・・さて、犯人は誰だろう?」とかいうクイズだ。1題に1日考えてもできない。それと、こどもの頃からトランプの神経衰弱が苦手だ。結局、記憶系はまったくできない。その都度、考える方が実用的なので論理ゲームは不得意で、迷路は得意ということになる。

そして、迷路のコツはといえば、出口から逆に道を探すことだ。
卑怯とか言うなかれ。そういうものだ。世間はカラい。

では、なぜ出口から迷路を解明すると簡単なのか?こんなことでも左脳派と右脳派とでは考え方が違う。

左脳派ならこう考えるだろう。
迷路は、二又選択の繰り返しで、最初一つの道は徐々に枝分かするトーナメント表のようなツリー構造なので、逆に出口から道を辿れば容易に入口まで戻れるはずだ。

右脳派はこう考える。
もし、完成した迷路の入口から解く場合より出口から解く方が難しかったら、編集者は迷路を180度回転させて出口の方を入口に変えてしまうだろう。だからいつも出口から出発した方が簡単なのだ。

二つをくらべると、なんとなく右脳派論理の方がチャランポランのようだが、よく考えると、それの方がいつでも正しいとも言える。

それでは右脳派でも苦戦する迷路はどうやって作ればいいかということだが、こうすればいい。まず普通の入口から入ると難しい迷路を一つ作る。次に同じように入口から入ると難しい普通の迷路を用意し、入口と出口を逆にして、出口から入るような迷路を用意する。そして、その二つの迷路を合併させればいいのだ。そうすると、難しいところから入って難しいところへ抜ける形ができる。ただし、二つの迷路の継ぎ目を見抜かれたら終わりだ。

それで、今、同じような迷路問題で頭をひねっているのが日本だ。国連安保理常任理事国問題だ。韓国は大反対で反対パーティ展開中だし、中国の対応も不鮮明だ。今後の外交戦略の可能性は多岐である。まさに道の多い迷路状態だ。こういう時はどうすればいいのかと言うと、まさに出口側であるべき姿を考えてみればいいのだろう。となれば、常任理事国である中国に拒否権を使われないようにすることがもっとも肝心なことになる。隣国の反対など、どこの国でも起こるだろうが既存常任理事国には配慮が必要だ。国連本部の誘致でもいい(沖縄なんか最適だ)。

猿芝居と呼ばれようが、呼ばれまいがかまわないが、ここまできたら日・独・ブラ・イン連合で突っ走るしかないだろう。低姿勢が必要だ。案外、問題はアフリカから選ばれる常任理事国かもしれない。エジプト・南アフリカ、ナイジェリアのうち一つだろうがいずれも隣国は心優しくはない。

とりあえず、首相は財布を握ってアフリカ歴訪へ行かなければならないだろう。さらに最近はブラジルがアルゼンチンに攻められているようだ。サッカーの試合で逮捕者まででている。アルゼンチンとブラジルは長いライバルだったのだが、勝ち抜けは許さないということらしい。5年で年利5%のはずだった国債を35年間塩漬けにしてくれた国に言われるとは情けないが、ブラジルはじっとがまんしているようだ。

首相は、南アメリカにも財布をもって行かねばならないだろうが、間違ってもアルゼンチン国債の仕組みを勉強してきては困る。そして、もはや常任理事国プレゼント投資の途中で降りるわけにはいかないのだ。

「一衣帯水」は魔法の言葉か?

2005-05-06 14:59:26 | 市民A
161d791e.jpg先日、西安から来日された日本語学科の女子学生の方々、及び、随行された関係者の方から、何度も何度も何度も繰り返し発言された言葉が「一衣帯水」である。「中日両国は古くから一衣帯水の関係にあり、ともに発展していこう」というような用例である(中日ではなく日中と言われた方もいるが、本題とは無関係なので省略)。

たしか、首脳会談にも登場したことばで、新聞に解説が書いてあったような気がするが、言葉自体が日本語としてはこなれていない感じで普段は使わない。一般的に中国側のみが使うことばだ。したがって、本当は意味がよく判らないので帰宅後、とりあえず三省堂の新明解国語辞典にあたると、こう書いてあった。

 一本の衣帯(帯)のように見える水の意。
 遠くから見ると、そこに在るとも思えないほど狭い川(海峡)

「一衣+帯水」ではなく、「一+衣帯+水」だったのだ。

そして、語感に少し違和感がある。

まず、日中間は海で隔てられているので、川や海峡のように近くは感じない。ただし、尖閣列島が中国領だとなると、日中の距離は一挙に近づくし、南西諸島と台湾も近いが、別に遣唐使が命がけで海を渡った先は、尖閣諸島でも台湾でもない。

さらに、二国間の距離が近いといっても隣接している訳ではない。近ければ友達かといえば、中国の場合、隣接する全ての国と仲が悪いといっても過言にはならない。ロシア、北朝鮮、モンゴル、カザフスタン、キルギス、アフガニスタン、インド、ネパール、ミャンマー、ラオス、そしてベトナムだ。多くの国とは歴史上、一戦交えている。もともと国境線で国を分けるという行為自体、何らかの政治、宗教、経済的な落差があるから別の国になっているのだ。毛語録にも、遠交近攻の例としてアルバニアと仲良くしてソ連と戦う話が書かれているが、その後、アルバニアとも仲違いしている。

さらに、帯のように近いというのは、どういうことなのだろうか。帯は平らで薄いのでどちらかというと、川のような底が浅く、幅のあるものを指すように感じる。海でこの言葉を使うなら、マラッカ海峡のように川のように見える部分か、あるいは大陸棚のような感じだ。

そして、尖閣列島について中国政府が言っていることを思い出してしまう。それは、尖閣列島は中国大陸から延びる大陸棚の上にあるので中国のものという論理だ。そして、世界地図を見ると、南シナ海、東シナ海は一帯に浅く、すべて大陸棚のように見えないでもない。そして、韓国の済州島もそうだし対馬もそうだし、よく見ると日本列島そのものも浅瀬に浮かんでいるように見える。もちろん日本の太平洋側は一気に深くなる。となれば、一衣帯水とはとんでもなく深く危ない意味をもっていることになる。

そこで、まずNET検索すると、やはり多くの人がこのことばに嫌悪感を感じていることがわかる。ただし「大陸棚論」を疑う方は見当たらなかったが。多くの方の意見は、日中は、地理的にも、文化的にも、すべてにおいて「近くない」。というものだ。私もどっちかというと、そう思う。

次に、近くの図書館に行き、片端から国語辞典を調べてみる。調べて判ったのだが、例えば三省堂なら巨大本の「大字林」と上記「新明解」とは、ほとんど同じだ。岩波も、新潮社もそうだ。妙なことを発見したものだ。

さて、まず岩波(広辞苑)は
ひとすじの帯のように狭い川。
また、海や川によって隔てられているが近いこと。・・三省堂と同じだ。

次に、新潮社国語辞典は、
一本の帯のように狭く長い川、または海。
互いに水を隔てて距離の近いこと。・・・これも同じだ。

小学館(言泉)、
一すじの帯を引いたような狭い水の流れや海峡。
また、そのような水を間にして相対していること。・・・やや対決的な意味か?

結局、中国は「日本は近所なのだから」と言っているだけなので、それ以上でも以下でもないのである。さらに、実際はそんなに近くもないし、また、両国とも、そんなに近所付き合いが好きでもないのである。基本的に東アジア各国は、宗教も違うし、所得も違うし、言語も違うしとそれぞれバラバラであるし、基本的思考パターンは「ねたみ・おねだり・よこどり」の3原則から脱却していないのは実感の通りだろう。日本側も、もっと違う単語を探して使うべきかもしれない。

例えば、「二国隔水」とか・・

最古鉄道と薩摩藩邸の関係

2005-05-05 15:13:09 | 日本最古鉄道
29bb6c22.jpg明治5年5月(旧暦)に横浜=品川間で日本で最初に暫定開業された鉄道は、数ヶ月後に品川=新橋間まで延伸した。それでは、その品川=新橋間の開業が遅れた理由を調べてみると、いくつかの発見があった。一つ目は幕末の薩摩藩の藩邸の問題である。二つ目は海上敷設技術と発注先である。そして、それには若干の関連がある。

まず、駅の数は5ヶ所である。新橋、品川、川崎、神奈川、横浜。このうち神奈川駅は現在の東神奈川の近くである。そして横浜駅は、現桜木町駅とほぼ同じ場所である。品川・川崎は現在の位置とほぼ同じであることは写真が残っているから間違いない。総延長は29Kmだ。そして種々の文献をNETで調べると、総延長29Kmのうち約10Kmが海上を走っていたと記載されている。実は、以前に書いたが横浜=神奈川間は入江になっていて、直線的に海上に堤をつくって、鉄道を走らせている(その内側はその後、埋め立てられ、現横浜駅周辺になっている)。地図で測ると横浜地区で約4Kmだ。そして、神奈川=川崎=品川は内陸を通っているようだ。鉄道は水田の中を通っていたとされるので海から離れている。仮に多摩川にかかる六郷橋を海上と認定すれば約1Km、残るはあと5Kmということになるが、現在の新橋=品川間は4.9Kmである。つまり品川=新橋間は、ほとんど海上敷設であったことになる。

そして、書物によれば、海上を選んだ理由としては、「薩摩藩の藩邸を回避するため」と軽く書いてあるのだが、それで済ませないのが「しょーと・しょーと・えっせい」である。薩摩藩邸と言えば、幕末の西郷・勝会談で江戸無血入場が決まった場所として有名だったり、薩摩藩邸焼き討ち事件でも有名。それと同じ場所なのだろうかという素朴な興味がある。そして何か奇妙なのは、藩邸があると鉄道が敷設できないということは、海岸線の一部を薩摩藩が所有しているということだろうか(プライヴェートビーチみたいなもの)?という疑問である。そして、現場に行く前にNETや図書館で調べてみる。諸説があって信用できないものが多いため、いくつかの仮説をもってから足を運ぶ。

最初に向ったのは、JR田町駅だ。品川=田町=浜松町=新橋=有楽町=東京が山手線の順番だ。駅の西口を出ると、第一京浜国道、旧東海道である。都心の方向に歩くと数分で西郷・勝会談の場所に出る。(多くの資料には三菱自動車ビル前と問題企業の名前が書いてあるが、数年前に三菱自動車は品川駅港南口の三菱ビルに「様々な秘密事項とともに」移転していた。)

そして、そこには古地図をもとに各藩邸の位置と鉄道の位置が書き込まれているが、ちょっと怪しい。古地図の上に無理やり鉄道の線と田町駅を書き込んであるのだが時代が混ざっている。この藩邸跡は「蔵屋敷」と記載されていて、海岸に面していて砂浜から物資が陸揚げされていたようだ。そして、敷地の一方は東海道に面している。つまり物流基地として海と陸を繋ぐ絶好の立地になっているのだ。プライヴェートビーチであったのだ。大胆不敵だ。

次に、その蔵屋敷前は三叉路になっていて、日本橋に向う東海道と現在の芝公園方面に抜ける日比谷通りの交点がある。日比谷通りの方を都心方面に50m進むと、日本電気(NEC)の巨大なロケット型のビルとセレスティンホテルが並ぶのだが、その一帯がまた、薩摩藩の藩邸跡とされ、小さな記念碑が建っている。私の調べでは、そこは薩摩藩の上屋敷なのである。上屋敷とは上京中の殿様が在住する場所で、外様中の外様である薩摩藩は、やはり江戸城から遠いところに屋敷を構えていたわけだ。そして、二つの屋敷はすぐ近くではあるが、間に東海道があるため、別の敷地であったということがわかった。

ここで、幕末の江戸の歴史なのだが、江戸市中で薩摩藩が操る浪人による暴力事件が多発したため、幕府は佐幕派の庄内藩に頼み、この薩摩藩上屋敷を焼討ちしたのだ。1867年12月のことだ。しかし、わずか数ヵ月後には鳥羽伏見の戦いで幕府軍が破れ、薩長軍は1968年の3月には一気に江戸に押し寄せたわけだ。つまり、西郷・勝会談の時は、まだ上屋敷の方は焼けたままになっていたことと思われる。そして、この焼討ちの犠牲者は約90人と言われる。正確な屋敷の場所は、なんとNECのロケットビルの立っている場所らしい。不吉だ。ビルの形も、ロケットではなく、墓石と言われたらそう思うような形でもある。あるいは屋敷が燃え上がる炎と煙の形をイメージしたのだろうか。もっともホテルニュージャパンの跡地も外資系の高層ビルが建ち、外資系の会社がたくさんテナントになっている。不吉さにも時効はある。

ところが、調べると、勝海舟はいきなり西郷隆盛と手を握ったわけではないのだ。1868年の3月13日に一旦、薩摩藩下屋敷で予備会談をしたあと、翌3月14日に薩摩藩蔵屋敷で無血開城に合意している。勝と西郷が腹の探り合いをして、勝が自分の責任で合意したように思っていたのだが、即決ではなく、3月13日に薩長から提示された条件を幕府内で検討した結果、翌日、受諾したのだろう。

そして、3月13日の会談場所である下屋敷の場所は、現在は、品川駅前のパシフィックホテルということだ。(薩摩屋敷を3つも見つけてしまった。この辺を曖昧に書いてある歴史物は非常に多い。というか正確に書いてあるものはほとんどない。)1日かけて、西郷は品川から田町まで1駅分前進して圧力を強めたわけだ。そして、さらに雑学だが実際に無血開城だったのは、町人と幕府の高級役人の話で、下っ端の御家人たちは、見つかり次第、首をはねられていて、あちこちに首が転がっていたという目撃証言を読んだことがある。そして幕府側の残党が最後に集まって大量虐殺されたのが今の上野公園で、その場所で140年後の現代人は花見をして酔いつぶれる。ここにも不吉の時効がある。

さらに薩摩藩には中屋敷なるものがあったのかという問題は、未解決だ(普通は、上屋敷、中屋敷、下屋敷と三つ揃える。田町の蔵屋敷はこの中屋敷に相当するのか、あるいは別の場所に中屋敷があったのかは未発見である。あるいは歩いてみると上屋敷が大きすぎるように感じるので隣接して二つあったのかもしれない。)。


次に、海上に鉄道線路を敷設する方法についてだ。実際、薩摩藩だけではなく、この品川から新橋方向には東海道と海岸線が近く、ほとんど隙間がないために、海上に逃げるしかないと考えられるが、一方、薩摩藩のように港湾として利用しているものもいるので海上交通は確保しなければならないわけだ。その結果、海岸から沖合い50mに高さ4mの石垣の堤を作り、その上に鉄道を敷いたとされている。ミニ運河だ。

古い写真があった。結構な大工事なのだが、その辺が最初の鉄道敷設が英国技術で作られた理由なのかもしれないと思う。競い合っていたのが、アメリカとロシアであるが、その二国は海の上の線路とかトンネル技術なんかの経験が少ないだろう。大陸横断鉄道派である。アメリカの技術供与では新橋と横浜に同じ設計の駅舎を作ることは行ったし、北海道ではアメリカ人が鉄道を持ち込んだのだが。この本州の基幹区間を英国任せにしたことが、それ以降、日本の国鉄が狭軌鉄道という危険な宿命を背負った原因となったことは先日書いた。

鉄道シリーズblogはあと、品川駅と川崎駅のあたりを書いて終わる予定だが、どうも日本の列車が過度に定時正確性を追求する問題は明治5年からあったようなのでそれにもふれてみる。

追記:幕末当時、薩摩藩は江戸に7つの屋敷を構えていたことが判ってきた。しかも、現在の慶応義塾大学三田キャンパスは旧薩摩藩邸を払い下げしたものらしいのだ。となれば、薩摩藩は江戸の入口に巨大な勢力を持っていたことになる。さらに、京都の薩摩藩邸跡は同志社大学になっているそうだ。