図書館の電子書籍の新刊の中から『ロシアの源流』(副題:中心なき森と草原から第三のローマへ)を借りて読んでいたのだが、電子書籍を気軽に借りると困ることもある。つまり、本の分量がよくわからないということ。借りてからAmazonなどでページ数を調べて、長すぎれば読まずに返すという冷徹なやり方もある。相手が人間じゃないのだから、冷徹でも怒られない。カーナビの指示を何回無視しても親切に最善解を教えてもらえるのと同じだ。同乗者に道を聞くと、そうはいかない。ともかく長い(感じがする)。
ということで苦労しながら読んだので理解度には自信がない。地名や人名になじみがないのもある。
そして、ロシアの源流というのだが、「モスクワ」が歴史の中に登場するのはそう古いわけではない。そして本書はモスクワが帝政ロシアとして皇帝の独裁の元、大きくまとまったのは1500年代の始め頃と言うことで、一部の記載を除き、そこで終わる。あくまでも「源流探し」ということ。
元々はモンゴル帝国が東欧まで進出して、一族がいくつかの国家を作り、残虐な処罰や暴力によって支配していた。そこにいたのは各地にいたまとまりのない多くの共和制都市国家と力のない王国。モンゴル人の手先になって生き残ったり、バランス感覚が必要だった。といっても何かあるとモンゴル人に呼び立てられる。指導者は生きて帰れないことも多い。
その中で、トヴェーリとかノヴゴロド、ブスゴフといった共和制の国が権謀術策にはまり次々に陥落。その中で後から登場したのがモスクワ公国。王を中心とした独裁国家だった。モンゴル人と共和国群との間を泳ぎながら生き延びて、そのうちモンゴル勢が自己破綻した後、イワン三世(雷帝)の頃からロシア正教を諸国に押し付けながら勢力を拡大。副題の「第三のローマ」というのはローマが陥落し、ビザンチンがキリスト教の第二の砦だった時代にロシア正教はキリスト教扱いされていなかったが、ビザンチン陥落後、キリスト教の中心と自己主張をはじめたということによる。
対抗していたのは西にはドイツの騎士団、南にはリトアニアということでリトアニアは今では九州と四国の合計ほどの面積だが、最盛期はロシアを凌ぐ勢いがあった。ある意味宗教戦争で、当時のリトアニアは独自の宗教があり、日本の古代信仰のような特異性があり、敵国の戦争捕虜は、重装備の武具を身に着けさせ、生きたまま火をつけていたそうだ。もっともモンゴル人の残虐さはそれを上回るわけだが。
この本、極端なロシア好きな人と極端なロシア嫌いの人にお勧めということにしておく。
ということで苦労しながら読んだので理解度には自信がない。地名や人名になじみがないのもある。
そして、ロシアの源流というのだが、「モスクワ」が歴史の中に登場するのはそう古いわけではない。そして本書はモスクワが帝政ロシアとして皇帝の独裁の元、大きくまとまったのは1500年代の始め頃と言うことで、一部の記載を除き、そこで終わる。あくまでも「源流探し」ということ。
元々はモンゴル帝国が東欧まで進出して、一族がいくつかの国家を作り、残虐な処罰や暴力によって支配していた。そこにいたのは各地にいたまとまりのない多くの共和制都市国家と力のない王国。モンゴル人の手先になって生き残ったり、バランス感覚が必要だった。といっても何かあるとモンゴル人に呼び立てられる。指導者は生きて帰れないことも多い。
その中で、トヴェーリとかノヴゴロド、ブスゴフといった共和制の国が権謀術策にはまり次々に陥落。その中で後から登場したのがモスクワ公国。王を中心とした独裁国家だった。モンゴル人と共和国群との間を泳ぎながら生き延びて、そのうちモンゴル勢が自己破綻した後、イワン三世(雷帝)の頃からロシア正教を諸国に押し付けながら勢力を拡大。副題の「第三のローマ」というのはローマが陥落し、ビザンチンがキリスト教の第二の砦だった時代にロシア正教はキリスト教扱いされていなかったが、ビザンチン陥落後、キリスト教の中心と自己主張をはじめたということによる。
対抗していたのは西にはドイツの騎士団、南にはリトアニアということでリトアニアは今では九州と四国の合計ほどの面積だが、最盛期はロシアを凌ぐ勢いがあった。ある意味宗教戦争で、当時のリトアニアは独自の宗教があり、日本の古代信仰のような特異性があり、敵国の戦争捕虜は、重装備の武具を身に着けさせ、生きたまま火をつけていたそうだ。もっともモンゴル人の残虐さはそれを上回るわけだが。
この本、極端なロシア好きな人と極端なロシア嫌いの人にお勧めということにしておく。