ロシアの源流(三浦清美著)

2024-01-31 00:00:24 | 書評
図書館の電子書籍の新刊の中から『ロシアの源流』(副題:中心なき森と草原から第三のローマへ)を借りて読んでいたのだが、電子書籍を気軽に借りると困ることもある。つまり、本の分量がよくわからないということ。借りてからAmazonなどでページ数を調べて、長すぎれば読まずに返すという冷徹なやり方もある。相手が人間じゃないのだから、冷徹でも怒られない。カーナビの指示を何回無視しても親切に最善解を教えてもらえるのと同じだ。同乗者に道を聞くと、そうはいかない。ともかく長い(感じがする)。



ということで苦労しながら読んだので理解度には自信がない。地名や人名になじみがないのもある。

そして、ロシアの源流というのだが、「モスクワ」が歴史の中に登場するのはそう古いわけではない。そして本書はモスクワが帝政ロシアとして皇帝の独裁の元、大きくまとまったのは1500年代の始め頃と言うことで、一部の記載を除き、そこで終わる。あくまでも「源流探し」ということ。

元々はモンゴル帝国が東欧まで進出して、一族がいくつかの国家を作り、残虐な処罰や暴力によって支配していた。そこにいたのは各地にいたまとまりのない多くの共和制都市国家と力のない王国。モンゴル人の手先になって生き残ったり、バランス感覚が必要だった。といっても何かあるとモンゴル人に呼び立てられる。指導者は生きて帰れないことも多い。

その中で、トヴェーリとかノヴゴロド、ブスゴフといった共和制の国が権謀術策にはまり次々に陥落。その中で後から登場したのがモスクワ公国。王を中心とした独裁国家だった。モンゴル人と共和国群との間を泳ぎながら生き延びて、そのうちモンゴル勢が自己破綻した後、イワン三世(雷帝)の頃からロシア正教を諸国に押し付けながら勢力を拡大。副題の「第三のローマ」というのはローマが陥落し、ビザンチンがキリスト教の第二の砦だった時代にロシア正教はキリスト教扱いされていなかったが、ビザンチン陥落後、キリスト教の中心と自己主張をはじめたということによる。

対抗していたのは西にはドイツの騎士団、南にはリトアニアということでリトアニアは今では九州と四国の合計ほどの面積だが、最盛期はロシアを凌ぐ勢いがあった。ある意味宗教戦争で、当時のリトアニアは独自の宗教があり、日本の古代信仰のような特異性があり、敵国の戦争捕虜は、重装備の武具を身に着けさせ、生きたまま火をつけていたそうだ。もっともモンゴル人の残虐さはそれを上回るわけだが。

この本、極端なロシア好きな人と極端なロシア嫌いの人にお勧めということにしておく。

バンディダス(2006年 映画)

2024-01-30 00:00:00 | 映画・演劇・Video
『バンディダス』はウエスタン・コメディというジャンルの映画だ。いわゆるウエスタンはインディアンを白人が迫害して打ち殺したり追っ払ったりして、逆に駅馬車をインディアンが襲撃して、白人の頭の皮を剥ぎ取ったりする趣向だが、そのうちインディアンがいなくなったため、メキシコ人を略奪の対象にして、土地を巻き上げようとして、戦いになったわけだ。

メキシコの銀行をニューヨークの銀行が乗っ取って、さらにメキシコの地面をタダ同然の価格で買い取ろうとした一団の白人がいたわけだ。抵抗するものは殺し屋が始末する。

その殺し屋に父親を殺されたり瀕死の重傷を負わされた二人の娘が手を組んで銀行強盗を始める。次第に協力者も増えてきて、大規模な銃撃戦が始まる。

銀行強盗を演じるのはペネロペ・クルスとサルマ・ハエック。この二人だが顔が似ているので画像で区別することが難しい時が多いが、やることが銀行強盗の共犯なので、見分けがつかなくても構わない。

若干だが、安っぽい感じがある映画でメキシコ・アメリカ・フランスの三か国の合作。なぜフランス人が製作費を払ったのか、わかりにくい。フランスとメキシコ、似ているのは国旗のデザインくらいかな。

大安売り(落語)

2024-01-29 00:00:00 | 落語
大相撲初場所も終わり、13勝2敗とハイレベルな優勝決定戦の結果横綱照ノ富士が優勝した。13勝2敗というと勝率87%。あの将棋の藤井八冠の勝率とほぼ同じだ。かなり高い数字が求められる職業ということだ。横綱は降格しないということになっているので弱くなるとクビになる。横綱以外の力士は負けが込むとどんどん地位が下がっていき、十両から落ちると無給になる。タダ働きとなると労働基準法に完全に違反しているわけだ。

今回の落語は『大安売り』。八百屋の話かと思っていたら相撲の噺。終わってもなぜ題目が『大安売り』なのか調べないとわからなかった。元々は上方で演じられていたようだ。

町内出身の力士と町の衆の会話である。

先場所の成績を聞かれた力士は、「勝ったり負けたり」だったというわけだ。

それで、初日から順に取り組み内容を語るのだが、「勝ったり」の日の取り組みは技を出して相手が勝つことを意味し、「負けたり」というのは自分の技が決まらず負けることを意味していたわけだ。つまり、全部が黒星ということ。

芸としては、15日分の取り口を立て板に水の様に話さないといけない。念のため、忘れた時のために2,3日分の予備ネタも用意しているのだろうか。

それで柳家権太楼師匠の「大安売り」はこれで終わるのだが、時間があれば、「その前の場所は、全日、土つかず」という展開に進む。これも詳しく進むと「休場していた」ということになる。

それで、相撲部屋では、ちゃんこ係として働いているので、クビにならないわけで、親方は力士の四股名を「大安売り」にしてしまったというオチになるそうだ。


相撲ネタといえば、この演目を得意にしている噺家に三遊亭歌武蔵という真打がいるそうだ。力士から転身したと言われるが、ケガにより半年で廃業というか脱走したようだ。

文豪と菓子

2024-01-28 00:00:00 | あじ
羊羹で有名な「とらや」には虎屋文庫があり、和菓子の歴史の研究がまとめられている。その中で、「文豪と菓子」という切り口で取り上げられているので、紹介してみる。

夏目漱石:甘い菓子が大好きだった。そのため、様々な菓子の贈り物があったそうで、大正3年1914年にかつての主治医の森という人から越後の笹餅をもらったあと、礼状を書いているが、

大して美味とは思はれませんが、珍奇な物には相違ありません。

礼状としては、なんという言い草だろう。ただ、漱石は1900年からのロンドン留学の時、何らかの精神疾患にかかっている。また1910年には胃潰瘍が悪化し、何度も入退院を繰り返したり痔の手術も行っている。1914年には笹餅をもらった半年後に四度目の胃潰瘍と徐々に命を縮めていた。笹餅なんかを胃潰瘍の人間に送るなんて、まして医者なのに非常識だ、と漱石は思ったのかもしれない。

斎藤茂吉:14歳の時に、医術を学ぶため、山形から親戚を頼って東京に移る。
上京の途中に仙台で「最中」を食べたことと、東京で蕎麦を食べた時にはただの掛けそばではなく、肉、卵、天ぷらなどを入れた種そばに驚いている。

仙台の旅舎で最中といふ菓子を食べて感動したごとく世の中にこんな旨いものがあるだろうかと思ったが、程経て、てんぷら、おやこ、ごもく、おかめなどという種蕎麦のあることを知って誠に驚かざるを得なかった。

仙台の旅舎の最中というのは、いまでもホテルや旅館にある置き菓子だったのだろうか、まあ14歳の旅だから、何もかも驚きだったのかな。親子蕎麦で「誠に驚きを得なかった」という表現では出身地の山形の人が読んだら赤面するだろう。

室生犀星:斎藤茂吉とは逆に、東京よりも文化レベルの高い金沢から上京。五月に柏餅を食べた時の感想。

菓子と言へばお茶のはやる故郷にあんな、柏の葉っぱにつつんだ乱暴な菓子などは見たくともなかった。

そうでしょうけど。

池波正太郎と「夜の梅」:
「夜の梅」とらやの代表的製品。絶賛している。

「夜の梅」という羊羹を始めて食べて、私は、その旨さに目をむいたことがある。
『これが羊かんなら、いままで、俺が食べていた羊かんは、うどん粉のかたまりみたいなものだ』と思った。


我田引水かな。

藤井対決を観たい

2024-01-27 00:00:00 | しょうぎ
王将戦七番勝負は藤井八冠が先に2勝。事件が起きやすい王将戦らしく、一局目は感想戦なし、2局目は夕食省略と意外な盤外戦になっている。

八冠に居飛車穴熊に組まれると、もうダメ!ということになっている。

となると、「藤井システム」。

王将戦の後に「藤井対決七番勝負」でも企画してほしいところだ。途中で三連敗すると藤井交換で藤井奈々女流初段に交代と言うことでどうだろう。


1月13日出題作の解答。








今週の問題。

当初出題図に欠陥がありましたので、以下の図に交換します。申し訳ありません。




解ったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ正誤判定します。




黒胡麻担々麺2回目

2024-01-26 00:00:00 | あじ
港北ニュータウンの中にある担々麺を中心にしたダブルハピネスダイニングで食事。「喜喜」ということだろう。



看板メニューは『黒胡麻坦坦麺』。スープの色が黒っぽい。といっても富山のブラックラーメンのような真っ黒ではなく、黒胡麻をすり潰してスープに混ぜこまれているのだと思う。

白胡麻だとうどんのようになるのかもしれない。

前回は、見栄を張って、野菜のトッピングを頼んだが、野菜はない方が、味がストレートのように思って、単独、ノートッピングにした。



担々麺は通常は激辛のことが多いが、ごまのせいかどうかはわからないがマイルドな味になっている。ゴマと知らずに食べると、泥水のように見えるが、泥水を使った料理は食べたことはない。泥臭い鰻を四国方面で食べたことはあるが。

担々麺についていえば、激辛は苦手だが、すこしは辛く、色が赤いのもいいな、とは思う。行きつけのゴルフ場の人気メニューに「担々麺」があって、一番安いメニューなのだが、2回に一回はそれを食べている。

担々麺から卒業して、麻婆豆腐と水餃子でも食べてみようかな。

掛取万歳(落語)

2024-01-25 00:00:00 | 落語
柳家さん喬師匠による『掛取万歳』。オーディオで聴く。枕の部分で「年の暮れという設定の演目」ということを鈴本の観客に確認すると、笑いが飛ぶ。どうも夏の終わりにこの題を選んだようだ。場面は年末恒例の掛け売り残高の精算のこと。

演題から察すると、金を払わないお客から何とか満足いく額を回収して、万歳をするように思えるが、なぜか逆だ。不払の方が万歳をするわけだ。

そもそも、万歳=バンザイ!ではないのだ。

噺は四話に分かれる。つまり、長屋住まいの貧乏人の八っつぁんのところに四人の債権者がやってくるわけだ。共演はこの四人に加え、おかみさん。昨年の大みそかは、棺桶を用意して死んだことにして逃れたが、同じ手は使えない。棺桶を買う金もない。

一人目の厄災は大家。家賃滞納だ。かみさんに聞くと狂歌好きと言うことで、狂歌の話題をしてから金にまつわる歌を詠み合って、延納合意に辿り着く。

二人目は酒屋。これは芝居好き。役者のようにセリフを決めながら忠臣蔵に持ち込み、秋口まで猶予を得ることになる(ただし大石内蔵助は討ち入る前に借金は返済していた)。

三人目は魚屋。困ったことに喧嘩好き。「払う/払わない」で口喧嘩になり、暴力沙汰になる前に、言い負かして買掛金そのものをゼロにしてしまう。

四人目が三河屋。三河漫才に嵌っている。掛け合い漫才で、調子よく「待っちゃろか、待っちゃろか」ということになり、最後は「百万年たったら払おうか」というオチになる。実は、この落語の演目はこの三河漫才に因んで、『かけとりまんざい』ということ。万歳=漫才=まんざい。

演者や持時間に合わせて四つやらなかったり、創作物といくつか入れ替えるということらしい。特に、三河屋の段は三河漫才を知らないと上手くできないため、省略されることが多々あるそうで、その場合は、単に『掛取』ということになる。

ところで掛け取りと言えば、毎月末にNHKの集金人が走りまわっていた時期があった。以前、勤めていた会社は貸ビル内の同じ階にNHKの集金隊が入っていて、月末近くになると、ドアを閉め切って、目標達成のパーティをしていた。ドアを閉めることからすると、後ろめたいのだろうと感じていた。途中で万歳の声が聞こえていたが、その場合は、バンザイ!ということになる。

NHKにしても新聞の押売にしても、ジャーナリズムの信用を落とすようなことが平然となされるわけだ。

麗しのサブリナ(1954年 映画)

2024-01-24 00:00:00 | 映画・演劇・Video
70年前のロマンティック・コメディ。監督は、ビリー・ワイルダー。主演はオードリー・ヘプバーン。アメリカの実業家で大富豪のララビー家の専属運転手の娘のサブリナ役。ララビー家の長男(演:ハンフリー・ボガート)。は、仕事に夢中で事業を次々に成功させている。一方、次男は単なる遊び人で次々と彼女を交換して遊びまわっている。

となると、サブリナは派手な弟(ウィリアム・ホールデン)の方を好きになってしまうが、心配した父親は、パリの料理学校に留学させてしまう。ところが、フランス人は米国人とは価値観が違うので、2年間の生活で手に入れたのは料理の腕前ではなく、美貌と奔放な精神だった。

一方でララビー家は別の財閥との事業統合を目指していて、弟を統合予定会社の令嬢と結婚させる段取りを進めていた。

ということで、愛情と欲望、打算の入り乱れた展開になっていき、思わぬ展開になっていくわけだ。

実際には、観客は二人の兄弟の雰囲気から、おのずと結末は分かっていただろうから意外感はないだろうが、コメディというのは、そういう受け入れ易い筋になっているのが常道で、いきなり20年前の殺人事件の容疑者が登場したりはしない。また結末の後に起こるシナリオ上の面倒な後始末とかも気にしない。

本映画の一年前に『ローマの休日』でアカデミー賞主演女優賞を得た彼女は本作が主演二本目ということで、これ以降も数多くの出演作がノミネートされるが、当時は大女優が賞を割拠する時代で主演女優賞をとることはできなかった。

1960年代から70年代になると、映画にもなんらかのメッセージを求めることが多くなったが、彼女は意図的にメッセージ作品を避けていたと思われる。幼年の頃、欧州の大戦下でナチスドイツによる蛮行を日々目撃し、偽名まで作って転居を続け生き延びた彼女にはメッセージ性の高い映画への出演は受け入れ難かったということらしい。

『歴史の本棚』(加藤陽子著)

2024-01-23 00:00:00 | 書評
本書は、「本」であるが、カテゴリーで言うと「書評」ということになる。書評ということは、加藤氏以外の方の主に近現代史の研究書について、手短かに紹介しているわけで、ここで私がその書評としての本の書評を書くというのは、いかにも重ね着的になってしまう。



著者は安倍政権によって学術会議から追放されたことで有名だが、専門は1930年代の日本歴史。要するに戦争に突入するときの経緯などに詳しい。本書にはやはりその時代を中心として活躍した人の著書や、それらの人を研究した研究書が書評の対象になっている。

全57冊を「国家」「天皇」「戦争」「歴史」「人物と文化」という5章にわけている。

そもそも、日本は戦争で負けたわけなのだから、良きにつけ悪くにつけそういう大失敗に学ぶ必要はあるのだが、氏は思想家ではなく歴史家であるのだから90年前とは異なる政治状況の研究者を現在の政権が毛嫌いしたのはなぜなのだろうと考えながら氏の書評を読んだのだが、特に特定の方向の思想に傾いているようにも読めない。

ただ、取り上げた書籍のそれぞれの著者の目線の違いによって、歴史と言うのは大きく異なるものになるという点は何回か記されている。


ところで学術会議については、政府から独立した立場で運営するべきという意見が強まっているようだが、そういう当たり前の方向に進むはじめたのも、例の暗殺事件からの一連の方向転換なのだろう。

和菓子の<はじめて>物語(2)

2024-01-22 00:00:00 | 美術館・博物館・工芸品
和菓子といっても、純粋な和菓子と言うのは、古代の日本から存在する団子類が代表のようだ。黍団子(きびだんご)が代表。

その後、中国(唐)の時代に砂糖を使ったものが輸入される。

さらに、鎌倉時代には禅宗というキーワードでお菓子や郷土料理が中国の南部から流入。

その後、南蛮貿易で長崎でポルトガルやオランダから入ってくる。

そして、明治以降は最初は欧州から、また、第一次大戦のドイツ人捕虜(青島在住の菓子職人)からもバウムクーヘンなども流入。

この五段階流入というのが学説になっている。



その中の四番目の南蛮渡来菓子の一つがカステラ

カステラというのは、ポルトガル語でスペインのことを、カスティリアということからだそうだ。なんとも複雑。スペイン語ならエスパーニャだから、前々違う。スペインではなくスペインの一部なのかな。1600年前後に長崎の代官が作ったそうだが、天火(オーブン)がないので苦心したし、卵の白身を泡立てるということがなかったようで、もっと硬い物が焼き上がったはずとのこと。本格的な長崎カステラは意外にも明治以降だそうだ。

和菓子の<はじめて>物語(1)

2024-01-21 00:00:00 | 美術館・博物館・工芸品
昨年暮れに、和菓子で有名な虎屋の赤坂本店で『和菓子の<はじめて>物語展』が開かれていて、資料を頂いてきた。改装前の虎屋文庫でも同種の展示を観たことがあったが、さらに研究が進んでいるようだ。



今回は、いくつかの和菓子の「初めて物語」について紹介。もちろん詳しい方もいるでしょう。

1. 羊羹
羊はヒツジのこと。中国では羊頭狗肉(羊の頭を展示して、実際は犬の肉を売る精肉店)という言葉もある通り、高級な肉。日本でも新宿に羊肉の水餃子が売りの店があったがどうなっただろう。ともかく羊肉のスープを羊羹と言っていた。日本に入ってきたのは禅宗の渡来僧によるのだが、最初から羊ではなく小豆などだったが菓子ではなく、ちょっとつまむ点心だった(注:そもそも日本は1日二食制だったので、お昼になるとつまみたくなる。点心とおやつは一体化していた)

本格的な菓子になったのは茶会の茶菓子ということ(これは多くの和菓子に共通だが)。当初は蒸し羊羹だったそうだ。18世紀の末(1790年頃)練羊羹が完成したそうだ。

2. 饅頭
まず中国の現実だが、よく知られているようなのが中国では中に餡が入っていないのが饅頭(まんとう)で、餡が入っているものを包子と呼ぶとされるが、ことはそう簡単ではないようだ。台湾や香港では中に餡が入っていても饅頭と言われることが多いそうだ。包子というのは1920年頃からだそうで、もしかしたら共産党とか日中戦争とか関係しているのかもしれないが、あえて調べる人はいないだろう。

饅頭の発祥は、生贄の人間の代わりというのだから恐ろしい。諸葛孔明が暴れる大河を目の前にし、占い師から49人の人間の生贄が必要と言われ、人間の頭をかたどった饅頭に肉を詰めて代用したことから始まる。ということで、最初から肉まんだった。

日本に渡来したのは羊羹と同様に禅宗の僧による。当初は餡のない饅頭で、その後は餡(おそらく小豆)が入り、さらに砂糖が加えられた。江戸時代は広く茶店で供されていた。

その他、最中、大福、金鍔(京都では銀鍔)、どら焼、水無月、上生菓子など、それぞれにヒストリーがあり、丹念にそれぞれの諸説が紹介されている。残念ながら、生八橋の発祥秘話は書かれていない。

和菓子のルーツ調べで難解なのは、文字情報で製法が古文書で発見されても、完成の写真があるわけではなく今一つ菓子の実態が掴みにくいことのようだ。

詰将棋解答選手権2024に大問題が

2024-01-20 00:00:00 | しょうぎ
過去4年間コロナ禍によって開催が中止されていた詰将棋解答選手権が復活する。2024年のチャンピオン戦は、3月31日に東京と大阪で開催される。最後の大会は2019年大会で、2015年に小学生として初優勝した藤井聡太氏が5連勝したままになっている。再開後の大会でも優勝して6連勝となるのかどうかが注目と思われていたのだが・・・

実は開催日の3月31日には現在進行形の王将戦七番勝負の七回戦が予定されていて2日目となっている。場所は東京都豊島区の白瀧呉服店となっている。呉服店に足を踏み入れたことはないので店内の構造は知らないが、和室があるのは間違いないだろう。

もし王将戦が七局目まで進行したらどうなるのだろう。あるいは七局目までなくても、予定会場で行事が行われることも多い。王将戦か詰将棋解答選手権か。将棋を取るか詰将棋を取るか。踏み絵のようなものだろうか。


1月6日出題作の解答。








今週の問題。



解ったと思われた方はコメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ正誤判定します。

宮沢賢治童話全集1

2024-01-19 00:00:00 | 書評
岩崎書店が出版元になって、宮沢賢治の童話を12巻にまとめている。今年は、宮沢賢治を読んでみようと思い立ち、図書館の電子書籍で読み始めた。

第一巻は代表作の一つである『ツェねずみ』を含む11作を集めている。

「ツェねずみ」は偏屈な精神のネズミに大きな不幸が訪れる話だが、偏屈な人間だって生きる権利はあるはずなのに、憲治は結構冷たいやつなんだな、と思ってしまうが、童話というより寓話に近い感じで教訓的に書いたのかな、と感じた。

「月夜のけだもの」は中でも一番好きな童話だ。森の中のライオンや白熊やキツネやタヌキや象の世界が描かれていると思っていると、最後に粋なオチがある。話の構成は、まるで落語の定番のようだ。落語が好きだったのだろう。

第一巻だけの感想だが、宮沢賢治はイメージよりも少し捻った人格のように感じた。ただし、『(本物の怖い)グリム童話』とか『ラ・フォンテーヌ寓話集』を読んだ後では「おおむね平和的」かなと思ってしまう。もっとも、多くの童話に登場する弱者としてのネズミ=庶民、強者としての猫=国家権力(戦前の天皇制)と読み替えると多くの作品の真意が見えるということなのかもしれない。

高い壁が待っていたダイハツ

2024-01-18 00:00:00 | 市民A
弊ブログ2023年9月10日『ベルリンの壁に絵を描いた画家』で紹介した横浜某所にあるドイツ系の会社の前庭にある本物のベルリンの壁の一部だが、なぜここにあるのだろうかと、微かに疑問を感じていた。



ところが、ダイハツによる不正検査と再調査によるリコール発生、さらに3車種の型式認定取り消し記事を読んでいると、この横浜の会社が登場した。

テュフ・ラインランド・ジャパンという世界的に著名な認証会社の日本法人だそうだ。新横浜に本社があり、そこから車や地下鉄で30分ほどの場所にテクノロジーセンターがあり、その前庭に、この壁が立っている。

ダイハツはこの会社に第三者認証を依頼し、不正検査を指摘された市販車の試験を行い、安全性を確認するそうだ。

とはいえ、世界最高水準のドイツの認証会社が手抜きや忖度をするわけはない。

「ベルリンの壁」の意味は、前衛的な壁画が描かれた西ベルリン側からみた『自由の回復』ではなく、コンクリートむき出しの東ベルリン側から見た『突破困難な厳格な検査』だったわけだ。ダイハツは超えることができるのだろうか。ちなみにベルリンの壁は倒されるまで28年かかった。


ところで、この地区ではドイツの方々を多く見受ける。ボッシュがあるし、校庭がサッカー場のドイツ学園もある。クリスマスも華やかだ。


たまたま、シュトーレンと言うお菓子が手に入ったのだが、砂糖がふんだんに使われている。白ワインも甘いし、ドイツ人は頭の中が激辛なのに口に入れる物が甘いというのは、それで人生のバランスを取っているのだろうか。

水屋の富

2024-01-17 00:00:00 | 落語
『水屋の富』(演:柳家さん喬)は落語の演目だが、その前に本日1月17日は何の日かということから。

歴史上の1月17日を調べると、1995年に阪神淡路大震災が起きている。思えば、この日から連鎖的に大地震が起き始めた。

1966年同日に大事故が起きていた。地中海上空で米軍機同士が衝突し墜落。そのうち一機には水素爆弾4発が搭載されていた(4つも一緒に積むな)。海中に一発が沈み、残る三発がスペインの陸地に落下。一発は無傷だったが二発は起爆用のTNT火薬が爆発していた。水爆の構造上、核融合反応を起こすための高温を得るために原爆を使う。その原爆を爆発させるためにTNT火薬をつかうわけで、火薬が爆発した以上、原爆が爆発し、その結果水爆が炸裂したかもしれない。しかも全部で原爆二つと水爆二つ。不発だったもう一つの水爆(&原爆)も誘爆したに違いない。

1991年同日、米軍がクウェートに侵攻していたイラクに空爆を開始し、湾岸戦争が始まった。空爆と同時に原油価格が暴落。当時石油会社にいたので大忙しの数年間だった。

2008年同日には、英国ヒースロー空港で北京からの到着便BA38便が空港直前でエンジン停止、なんとか空港直前の平地まで滑空して胴体着陸。機体は大破したが乗客は全員生存。当初事故原因は不明だったが10ヶ月後に同じ北京発のアトランタ空港行きが着陸前にエンジン不調。出力を調整しながら復調させ難を逃れる。この時の調査で、給油したジェット燃料に少量の水分が含まれていて上空で細かな氷粒が発生し、着陸前に出力を上げた時に一気に詰まったものと判明。1月の事故も同原因とされた。世界のどこでもジェット燃料の水分対策には何重にも気をつかっているのだが。

ということで、1月17日はそんなにめでたい日ではないのだが、前段はおいて、今日は年賀はがきの「お年玉抽選」の日。年賀状には縁のない人も多いだろうが、対人関係の個人史的位置づけに関わる問題なので人それぞれだろうか。数十枚なので下二けたの四等当選率は百分の三なので、通常は2枚程度なのだが、今までに三等に2回当たっている。三等は下四桁で何枚かであり、一万分のいくつといった確率なので一生当たらないはずだが、10年に1回程度当たっている。そろそろ3回目の時期なのだ。(後記:抽選が終ってから調べると、今は二等が廃止になって、一等確率は100万分の1で30万円、二等は1万分の1で通販商品(5000円?)、三等は100分の3で切手シートになっていた。お年玉廃止も検討中で、郵便料金の大幅値上げ「ハガキは63円から85円へ38%アップ、封書は84円から110円へ31%アップ」も報じられている。雪崩を打つように事業が崩壊するような予感がする)

いつまでたっても落語の話にならないが、『水屋の富』だが、「水屋」というのは江戸で飲料水を売っている商売だ。説明が必要だが、教科書的に言うと、江戸時代初期には井の頭公園あたりから神田川を使って川の水を江戸市内に供給していた。いわゆる神田上水(多摩川からは玉川上水)。松尾芭蕉も幕府公認の水道業者だった。ところが江戸中期になって関西から最新の井戸掘り技術が江戸に伝わると、市内に井戸がたくさん掘られ、供給量の点では上水より多くなっていた。このあたりが統計的な話だが、神田上水より東側(山手線の東側)は海が近く埋立地だったりして、井戸水は出るが塩分を含んでいて、洗い物や入浴用にはいいが、飲み水としては不適切だったそうだ。そのため、神田上水側の水を甕や樽に入れて売る職業があった。それが水屋だった。ところが水は重い。若い時は難もないが四十にもなると重労働に感じてくる。

そこで一攫千金をもとめて富籤を買うわけだ。売っているのは寺社奉行からの免許を得ている特定の寺社だが、無届の闇籤もあったようだ。現在価格の3万円程度だったようだ。そして水屋の男は、大当たりを出して、別の職業の株を買おうとしたわけだ。

そして1等の一千両をあててしまう。胴元の寺などが2割を中抜きにするため手取りは八百両。それでも大金だが、長屋に持ち帰っても隠す場所もない。仕事にも行けないし、銭湯にもいけない。あれこれ苦心惨憺、床下に隠すことにしたのだが、それでも不安は募り、毎晩落ち着いて眠ることもできない。悪夢を見るわけだ。それも強盗に刺されるとか、長屋の仲間から長屋の立ち退き通告が来ているので長屋を買い取って欲しいとか。睡眠不足で体調不調となる。要するに小市民なのだ。裏金造りに良心の呵責を感じない某政党議員とは正反対だ。

そして、ついに床下の八百両を留守中に盗まれることになった。「これでやっとぐっすりと眠れる」ということになる。ある意味で八百両で自分の命を買い戻したようなものだ。