余計な恩返し、その後

2008-05-31 00:00:35 | しょうぎ
37b7bbba.jpg「将棋紳士録」という問題の本を古本で持っている。「将棋紳士録問題」と言うのは、この本に関わった棋士、斎藤銀次郎氏が起こした事件のことによるのだが、今回はその話ではない。この本は、昭和50年頃の全国の有段者の氏名と住所が書かれている巨大住所録なのである。まさに、個人情報のかたまり。

昨年、ある引退している九段から、「昔は、あちこちの政治家に免状をもっていったものだ」という話を聞いた。国会議員、県知事で四段とか五段だろうか。確かに、紳士録を見ると、時々、政治家の名前が読み取れる。パラパラとページをめくれば以前住んでいた県の元知事も五段と書かれている。あまり気持ちのいいものではない。無料で配られたものと、実力+免状料で手に入れたものが同列ということだ。

その中に、ある人物の名があった。

X氏。四段である。

ここからは、まったく自伝的になる。

将棋を覚えたのは、10歳の時だが、実際に、パチパチと本格的に指し始めたのは、中学になってから(このあたりで遅れをとっている)。中学の将棋クラブでクラブ活動を始めたわけだ。X氏は、その時のクラブ担当教師。そして四段だった。

それで、将棋の強い先生というのは、一般に頭脳のスマートなタイプが多いのだろうが、このX氏は、逆。結構、乱暴な暴力教師。最近、当時の同級生に聞いたら、X氏に殴られた経験があると言っていた。今でいえば、大問題だが、当時は、そういう話はよくあった。

37b7bbba.jpgさいわい、私にはパンチ浴びの危機は訪れなかったが、たぶん、物理的に相手が実行困難性を感じていたか(パンチ空振りとか逆襲とか)、既に校内の教師間の対立関係に巧みにつけこんで自分の場所を見つけていたりしていたので、より安全だったのだろう。

しかし、四段ともなれば、将棋の方は生徒で敵うものはなく、だいたいが駒落ちを指していた。そして、教師にあるまじく、生徒相手に駒落ちの指し込みなど始めて、3級まで上がった級が6級まで落とされたり。

そして、得意技は「入玉」。ああ嫌だ。たいていの生徒は、飛角落ちなのに入玉されて、ボロボロになる。そして、私はといえば、入玉した王を詰ませるのが好きなのである。当時から詰将棋大好きタイプだったので、大駒のない入玉なんて、問題にしてなく、相入玉でと金の山を作って、盤面が双方のと金で一杯になるようなことをして、何時間でも指して、たいてい勝っていた。わざわざ遠くの駒陰に飛車を打って、後で王を素抜いたこともある。

そして、卒業後、しばらく将棋を指していない時期があって、その間に、ある噂(あくまでも噂)を聞いていた。

X氏、クビになる。」

それも、得意の暴力事件ではなく、破廉恥事件らしい、という噂だった。その手の常として、詳細は闇の中。

ところが、さらに何年かして、社会人になって数年、ある将棋大会の会場で、X氏を見かけることになったのだ。やや、大きな勝負だった。まさかと思ったがトーナメントを両者が勝っていくわけだ。ついに準々決勝で当たる。

問題は、X氏が私のことを覚えているかどうか。たぶん、覚えているはずだ。そして、ついに対戦の場がめぐってきた。嫌だ嫌だ。もちろん、平手戦である。しかし、どうも知らんぷりである。勝負に私情は禁物か。

戦型は、X氏が四間飛車美濃囲いで私が居飛車穴熊という、師弟らしからぬ展開に進むが、こちらが囲う間もなく、猛攻を食らい、早々と自陣の右下に侵入されてしまう。そして抵抗むなしくボロボロと、と金で駒を取られ始める。こちらは、敵陣のすき間に生飛車1枚と持駒は桂1枚と歩たくさん。不本意ながら、奇策を捻り出す。

本局初手に突いたままの7六歩をポンと▲7五歩と差し上げてしまう。放置されれば確実に一手負けだが、余裕の△7五同歩が毒饅頭で、▲7三歩と隙間に打ち込んで、△同金に▲8五桂と7三の地点を桂と歩だけで攻略。自陣に一手スキがかからないのをいいことに、飛車も切って、食いつき成功。我ながら嫌になる逆転勝利となる。勝負の世界では、師匠に勝つのを「恩返し」というらしいが、妙な時に出たものだ。


そして、それから長い長い時間を経て、「将棋紳士録」で、その名前に再開したわけだ。さらに、その横には住所が。

ある主要駅の近くにある住所のことが気になっているうちに時が過ぎ、半年ほど前になるのだが、近くに行ったついでに地図を片手に足を伸ばしてみた。すると、古色漂う木造平屋の戸建があったのだが、門戸は、不動産会社による看板によって封鎖されていた。

管理地

ちょうど、売りに出ていた。

ある予想が頭の中に浮かんできたわけだ。そして、不動産会社に電話で聞いてみたところ、実に、その予想は当たっていたわけだ。


37b7bbba.jpg5月17日出題作の解答。

▲1三香 △1二飛(逆王手) ▲2二角 △同角 ▲2三桂 まで5手詰。

まあ、冗談みたいな問題だが、作るとなると、色々悩むところがある。3三角は銀でもいいかな、とか持ち駒の角も銀にしようか、とか・・・2五銀の代わりはとか、とっかえひっかえしてやっと決める。

動く将棋盤は、こちら


37b7bbba.jpg今週の問題は、入玉図。ある意味、入玉図は、攻め方の駒が成らないとか、一段目の合駒は制限付(歩香桂不可)とか制限条件が多く、解きやすいようにも考えられる。

ヒントは、最終型を見つけること、とか・・

いつものように、最終手と手数と酷評いただければ、正誤判断。





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暴動の輪、拡がる

2008-05-30 00:00:05 | 市民A
6147c8ca.jpg今年になって、世界各国で小規模な暴動が始まっている。

ある政党機関紙によると、ソマリア、エジプト、カメルーン、コートジボワール、セネガル、ブルキナファソ、エチオピア、マダガスカル、インドネシア、フィリピン、バングラデシュ、ハイチでは食料問題でデモや暴動が起きているそうだ。

また、NHKの衛星放送で世界の主要国のニュースを流しているのだが、先日、ぼんやり見ていたら、先進主要国でもデモ・暴動・ストライキが始まっているようだ。原因は、食料問題とエネルギー問題。

まず、ドイツでは、牛乳生産者が牛乳の出荷停止を始めたそうだ。生産者スト。生産者は飼料代のアップにより、リッター40セント以上を希望しているそうだ。5セントほど足りないらしい。余った生乳は生産者が自分で処理していると言っていた(チーズ・バター?あるいは廃棄?)。

そして、フランスではどこかの魚市場がストライキをはじめたそうだ。漁業用燃料が高騰して漁に行けない、ということで、市場や仲買人が漁民に同調したそうだ。1リッター1ユーロ(163円)以上になったといっている。漁業用燃料にも日本のガソリン並の高額な税金がかけられているのだろう。

さらに、スペインでは燃料代アップに対して抗議のデモがあったそうだ。

他国のことなので、冷静に見ることができるが、牛乳値上げ要求の相手は誰なのだろうか、と考えれば、牛乳会社または消費者ということになる。また漁業用燃料代のことは、政府(税額)及び産油国ということになる。スペインのデモの相手も税務署または産油国ということになる。

しかし、牛乳が値上りすれば、消費量は減少するだろう。税金を安くすれば、財源不足で別の税金が増えるだろうし、さらに最大の問題は、そういう妥協的な政策をとって、現状の原油価格の水準をこなしてしまうと、「世界は、130ドル原油を無理なく消化した」ということになり、さらに次なる高さのステージを目指しはじめることになるからだ。投機資金の影響で原油価格が高騰をはじめたものの、実需が、その価格レベルをフォローしてしまうことになれば、さらに高騰していくだろうと考えられるわけだ。(先日の日本のガソリン税騒動も、ガソリン価格を下げることによって、一番喜ぶのは産油国で、ますます原油価格のレベルに自信を深めることになるわけだ。)


つまり、いずれの国の暴動・ストライキも、「誰に対するプロテストなのか」というのが、かなりあいまいである、ということができる。

で、食糧価格暴動と資源価格暴動。どちらが日本で起きるのか。すでに、バターがなくなった。うどん屋、蕎麦屋、お好み焼き店は値上げ済だ。米屋・魚屋・八百屋は、抗議しようにも既に壊滅状態。手ごろな抗議の相手を見つけることが難しい。


ただし、ガソリンスタンド焼討ちはやめた方がいい。

防火構造で、なかなか燃えないだろうから。


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麻布学講座(1)

2008-05-29 00:00:14 | 歴史
東京港区の区民大学に足を伸ばす。今年は麻布学。区民大学といっても大学を借りて、麻布の歴史を学ぶという講座。全6回だが、たぶん2回は参加できない。会費は数千円。某氏から頼まれている原稿のことなどすっかり忘れて、麻布学に参戦する。

実は、当初、会場は東洋英和大学ということだったが、希望者が多すぎて(90人強)、東洋英和の付属の中学校の視聴覚室に変更。この東洋英和だが、女子大学。以前、「赤い靴はいてた女の子」シリーズをアップしたのだが、大いに関係あって、この東洋英和はメソジスト系の鳥居坂教会と一体化した大学である。実在の「赤い靴はいてた女の子」である岩崎きみちゃんは、その極めて短い9年間の人生を、この鳥居坂教会の付属の孤児院で終え、現在は青山墓地の鳥居坂教会の共同墓地に眠っている。

全6回の講座の中には、この青山墓地の回もある(ただし外国人について)。きみちゃんだけじゃなく、幕末の日米のはざまで生きたアメリカ彦蔵も眠っているし、忠犬ハチも一緒だ。

で、東洋英和の付属中学に向かうが、まず、最大の問題は、「女子中学」ということ。もちろん東洋英和も女子専用である。六本木の駅でトイレに行っておく。そして、厳重な守衛チェックの末、やっと会場に辿り着くと、男性も1/3はいるようだ。年齢は上下ばらばら。

f92d3f43.jpg第一回目の講座は「国際文化会館」。まず、位置関係だが、六本木交差点の近くにある「ロア(ROI)ビル」の横にある交差点を奥に入っていく。生活道路風だが、交通量はある。この道は10分くらいで麻布十番方面に抜けるのだが、まず、芸能人御用達の焼肉店、巨牛荘がある。その先が鳥居坂教会(東洋英和)エリア。さらに川崎ハウスがあって、さらに国際文化会館になる。その先は下り坂で鳥居坂と呼ばれ、左手にシンガポール大使館がある。この大使館の場所に鳥居某という旗本が居をなしていたのが地名の由来だと思ったが、講座では不明とされていた(なぜ、坂の下に有力旗本がいたかについての自分なりの仮説もあるが省略)。


で、国際文化会館の話をされるのは、この会館、そしてこの地に深い縁のある「松本洋氏」講座の中で昭和5年生まれと言われたので、今年78歳。ほぼ健康。徐々に判ってきたのだが、この方の父親が松本重治さんで、この国際文化会館の開設に大きな功績があった3人のうちの一人である。残る二人は樺山某氏とロックフェラー三世。樺山家といえば白洲家と婚姻関係にある。ロックフェラー三世は別の本を読むと、CIAが世界中に組織を拡大することに大いに協力したらしいだが、もちろん講座ではそれらの話は何も出ない。

しかも、父松本重治氏の二人の祖父だが、一人は松本重太郎といって関西の大実業家。もう一人は松方正義。薩摩出身の総理大臣であり、実業家であり、こどもが24人いたそうだ。で、閨閥の話を書き始めると終わらなくなるので、この辺で終わりにしたいが、どうも、この六本木の裏の国際文化会館の土地は、そういう系譜と切り離せないようなところがあるようだ。

1)京極家の屋敷
 江戸時代は、京極家(多度津藩)の屋敷だったそうだ。京極本家は丸亀藩である。確か、お市の方の三人の娘の一人が京極家に嫁いだはず(残る二人は、淀君とお江)。この京極家の秘伝の宝物だったのが、野々村仁清の大壺である。国宝として熱海のMOA美術館最大の貴重品(というか日本屈指の国宝)であるが、驚くことに、講師の松本さんの家に昭和6年まであったそうだ。何らかの理由で京極家が手放し、何らかの理由で松本家が手放す。講師が生まれたのが昭和5年なので、ミルク代に窮したのだろうか。

2)井上馨邸
 明治の元勲井上馨は外務大臣を経て、三井物産を創設している。この地に大邸宅を建てる。1887年(明治20年)には廃仏毀釈運動で困窮した奈良東大寺が手放した天下の名茶室「八窓庵」を移転し、天皇を招いての茶会を開いている。東大寺狙い撃ちの図だ。
 この邸宅で歴史上有名な数々の決定がなされたということらしい。歴史は夜作られたのだろうか。

3)関東大震災まで
 井上邸は、その後、皇族や実業家の手を転々とする。昭和天皇妃良子さまはこの屋敷で幼少期を過ごされたそうだ。が、1923年(大正12年)、関東大震災で倒壊してしまう。思えば良子さまは危機一髪だったわけだ。

4)岩崎小弥太邸
 三菱の創設者は岩崎弥太郎であるが、小弥太は弥太郎の甥。三菱は、財閥解体まで4人の社長がいるが、兄→弟→兄の子→弟の子という順番である。つまり小弥太は最後の社長。震災後、駿河台の本邸が焼失し、代替地を探し、ここを見つける。前所有者は赤星家。赤星某はなぜか、後に三菱地所社長になる。
 岩崎家には、もちろん金に糸目がないのだから、超巨大な館が誕生する。4410坪の土地に、またも巨大の邸宅が建つ。また小川治兵衛の手になる名庭園が完成。三菱のビジネス隆盛に大きな役割を果たす。またも夜のビジネスだ。

 が、昭和20年、空襲で焼失。庭園だけが今に残る。

5)国際文化会館
 冒頭に書いたように、戦後、ロックフェラー三世を中心に、国際文化会館が設立され、国有財産の土地の格安での払い下げが行なわれる。海外からの文化人の来日、講演を促進するために、文人ホテルとしての機能を求められ、またも当時としては巨大構築物が建設される。日本公演を行なったのは、ネルー、トインビー、バーナード・リーチ、ジョージ・ケナン、オッペンハイマーなど。

f92d3f43.jpg6)現代
 現在、国際文化会館の会員は3500人だそうだ。年会費は思ったより安い。年間数万円。入会金数十万円。会館利用料が2割引になるそうだ。カフェテラスのコーヒー650円が520円ということ。数年前にリニューアルしたということだそうだ。最近は、世界の文化を日本に紹介するのではなく、日本の文化を海外に発信することになっている(それでは、役目が終わったと言うことなのだろうか)。

 やや、あいまいな存在になっているといえないわけでもない。ホテルオークラのような高級ホテルということだろうか。一度くらい泊まってみようかな(システム的に門前払いかもしれないが)。

7)Q&Aで明らかになった六本木再開発計画
 1時間半の講座が早く終わったので、Q&Aタイムになったら、ちょっとしたハプニングが起きた(これだから講演会のQ&Aは講師にとって鬼門だ)。

 質問された方から出た話は、この国際文化会館の裏側の駐車場スペースと川崎ハウス、そして東洋英和ゾーン、さらにはロアビルまで含んだ巨大な地面が、既にあるディベロッパーに売却されていて、再開発計画が始動しているが、地元民としては絶対反対だ!という言い方をされたわけだ。確かに六本木ヒルズよりも広いかもしれない。

 与太話かと思ったら、講師の松本氏がパソコンの中を探すと、再開発後のビルのイメージ画像が現れたわけだ。以前から色々なプランが現れては消えていて、最新案だそうだ。設計者はミスターヒルズこと安藤忠雄氏。ビルのイメージは名古屋名物の外郎(ういろう)を棒のように立たせてから、上をつまんでちょっと捻ったようなデザイン。若干ねじれたビルで、水と風と緑がテーマだそうだ。

 そして賛成派の松本氏が、ちょっとしたプレゼンを行い、「怪しい商品の路上販売センターと化したロアビル周辺の健全化」論を打ち出して、時間切れ閉幕となったわけである。


私は六本木に住んでいるわけじゃないので、怪しい商品の路上販売センターを六本木から追い出すことに、あまり有意義は感じないし(別の場所に移転するだけだろう)、焼肉の巨牛荘やタイ料理店エラワンがなくなることの方が、ガッカリなのである。



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地獄のドバイ・M山政弘

2008-05-28 00:00:20 | 書評
3ff79b13.jpg一応、書評である。採図社という、あまり有名ではない出版社からの発行である。筆者のM山氏は29歳。国内の国立大学理学部を卒業したあと、どういうわけか、何種類かの仕事をしたあと、フリーター的になり、海外で就職しようとする。それも頭脳系ではなく、即席の寿司職人。実は、寿司職人など、簡単になれるわけないのだが、海外での日本食ブームもあり、一人前になるまで十年かかるというのを、僅か3週間の研修でやっつけるアカデミーがあるそうだ。

もちろん、国内で働けるわけもなく、卒業生の多くは海外に職を求める。とはいえ、海外の寿司バーにはあまり日本人職人はいない。

そして、M山氏はなぜか大産油国UAEに行く。実はUAEというのはアラブ首長国連合といって、何人かの王様が支配しているエリアの連合体である。うち有名なのが、ドバイとアブダビという二つの国。その中のドバイの方に行って、高級ホテルの『板さん』になろうとしたわけだ。

しかし、今や、ドバイは世界の金持ち達のホットプレースである。3週間のスクーリングで星のきらめくドバイレストラン戦争に参戦できるわけもなく、求職活動は不発に終わる。そのため、金策ついに尽き、あえなく日本に帰国か、という寸前に、親切な現地人が現れ、現地資本の肥料工場に就職が決まる。要はM山さんは、何でもいいわけだ。一流寿司職人への固い決意はすぐに破られる。

が、やっと肥料工場に勤めたものの、すぐにロングロング夏休みになり、オーナーは欧州方面に避暑に行ってしまい、豪華な庭園の芝生が枯れないように水やリの毎日になる。

そして、やっと、仕事が始まり、しばらく安月給で働いていると、突然、会社がなくなる。オーナーが肥料事業を清算してしまう。そして、M山さんの次なる運命は・・

拘置所送りになったわけだ。

要するに、UAEでは、特に悪いことをしたのではなくても、外国人は失業すると、捕まって拘置所に送られる。UAEにいるのが、観光か、ビジネスか。ビジネスならば、どこに勤めるか。勤めないのにビジネスで入国するのは犯罪、ということだ。

そして、劣悪な外国人拘置所内の生活が綿々と綴られる。

収容者の国籍は、主にパキスタン(200名以上)。そしてアフリカ勢、中国人2名、日本人1名だ。狭いスペース、臭い飯、不衛生、あふれる汚物、収容者同士の対立・・・

このあたりは、以前読んだシベリアでの強制収容所と同じだ。大きな違いは、それぞれの気温だろうか。

そして、何とか、劣悪な環境に適応し、やっとの思いで、大使館と連絡がとれ、脱出。(実は、僅か4日間だけ拘束されたようだ)

どうも、M山さんは、ドバイという華やかな都市の裏側に、外国人に対する劣悪な待遇を実感し、その差別性に抗議しよう、という意味でこの本を書いたのだろうか。


実は、かなり前(湾岸戦争前)の夏にドバイにもアブダビにも行ったことがある。本書を読んで感じたのは、ビルやホテルが近代化しても、本質的には当時と変ってない、というかさらに奴隷支配的な国家になってきたなあ、ということ。

そして、観光目的と仕事目的では受入国の対応がまったく違う、という世界の常識を知らないんだなあ、実は、日本でも同じなのに、ということ。成田空港には「Welcome Japan」の文字があふれるが、それは観光に限ってのことで、外国人が働こうとすると、大変なことになる。拘置所が汚いだけで、日本と同じじゃないかとも思えるわけだ。

日本は単純労働者の受け入れは行なっていないが、UAEは逆で単純労働者だけを外国人労働者として安い賃金で受け入れている。例えば、街路樹の水やリはスプリンクラーが中心だが、郊外になると、パキスタン人が水を撒いている。水が高いのだから、太い幹に育った街路樹のコストは高い。クルマを運転した場合、ぶつかるなら、街路樹ではなく水まきオジサンの方が補償金が安いと言われている。

M山氏は本書の末尾で、アフガニスタンで誘拐された大学生やイラクで殺害された学生のことに触れているが、「あなたこそ、また捕まりそうだ」とその無知を注意したいくらいだ。

UAEの隣にはもっと大きい産油国があるが、そこは、はるかに戒律が厳しい国で、首都の名所の一つが、公開処刑広場であり、また、灼熱の刑務所なのである。次作の題名が、「狂熱の刑務所、そして広場で・・」とならないように・・

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ある日本人力士の来し方行く末

2008-05-27 00:00:51 | スポーツ
e7921a81.jpg大相撲五月場所が終わり、14日目にブルガリア出身の琴欧洲が優勝を決めた。翌千秋楽、モンゴル勢同士の結びの一番は、勝負のついた後、神聖な土俵上で乱闘になりそうな味の悪さで、「白鵬もドルジと同類だったか・・」と多くの相撲ファンを納得させることになり、ますます琴欧州の善玉ぶりを強調することとなった。

乱闘騒ぎをサッカーに喩えれば、勝負がついた後のドルジのダメ押しは、アフタータックルのようなもので、イエローカード相当。それに対して、白鵬が報復行為を行えばレッドカード。その一歩手前で終わったのだから、やはりイエローカード相当なのだろうか。いいバランスだ。

ところで、優勝の決まっていた琴欧洲に、千秋楽に14勝目を献上した日本人力士がいる。

大関・千代大海

今場所不調で5勝10敗となり、翌場所は自身12度目の大関カド番である。

しかし、関脇で初優勝して大関昇進を決めたのが、平成11年初場所。以後、大関の座に座ること既に56場所である。第2位は昭和の名力士、故貴ノ花の50場所。幕内通算成績は541勝327敗107休。勝率6割2分3厘。優勝は3回である。

昭和51年生まれの32歳。本名は廣嶋龍二。「廣」も「嶋」も「龍」も難解書体の方なのだから、「二」も「弐」であれば完璧だったのにとつまらないことを考えてしまう。

さて、彼は中学生の頃は、九州一円に悪名の通った大変なワルガキだったそうだが、卒業後、九重部屋の門をたたくと、剃りこみ金髪頭を直ちに一括されたそうだ。なにしろ、親方はウルフ。かなうわけもない。(それに、金髪で剃りこみでは、ちょんまげが似合わないではないか)

まあ、それから彼自身の長い精進があり、驀進があり、そして挫折があり。成績を見れば大関55場所で12回のカド番が示すように、特に最近5年は耐え忍ぶ人生が続く。人間も相撲もすっかり丸くなる。すでに貴ノ花の在位記録を抜いてから1年近く。後は自分の最長不倒距離を伸ばすだけである。しかし、この3場所の成績は、0勝8敗7休(初場所)、8勝7敗(春場所・カド番脱出)、5勝10敗(五月場所)と近年になく低迷している。

なんとなくXデイが近づいているようにも感じるのだが、最後の力を振り絞っている現在の姿は、一つのタイプの力士像であり、また美しい。希望に燃えていた新大関の時代は短く、後輩の外国人力士に次々を追い抜かれ、それでも黙々と大関を勤める姿は、世のロートルサラリーマンの悲哀と似ているような似てないような。

だからといって、彼の生き様に感動して、千代大海引退の日には、「私も会社に辞表を提出し、燃え尽きよう」などと考える意味はまったくない。7年も前に年寄株「佐ノ山」を入手ずみ。しっかりしているわけだ。それに、本来、辞表を出すべきは、ロートル社員の方ではなく、公務員からの天下り役員の方に違いないからだ。


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「老人いじめ」の次は「こどもいじめ」

2008-05-26 20:27:58 | 市民A
小中学生に携帯電話持たせないで…教育再生懇が第1次報告(読売)

政府の教育再生懇談会(座長・安西祐一郎慶応義塾長)は26日夕、首相官邸で会合を開き、第1次報告を福田首相に提出した。

子供を有害情報から守るため、小中学生が携帯電話を持つことがないように関係者に協力を促している。また、英語教育の強化を掲げ、国に小学校3年から英語を必修化するように求めた。


こどもの教育水準を向上させ、有害情報を守るためには、「吉本興業解散命令」の方がいいと思う。

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メタボ検診へ

2008-05-26 00:00:41 | 市民A
2008年4月からメタボ検診が始まった。

まず、20歳から74歳までの「国民の義務」である。

実は、日本では、国民の義務というのは、そうたくさんあるわけではなく、「納税」「社会保障費(年金・健保・介護保険)の支払い」くらいだ。古くは、男子には徴兵検査というのがあったが、現在の義務は、おカネを払うことばかりだ。

そして、新たに加わったのがメタボ検診。ようするに、予防治療により健保制度の破綻時期を先延ばしにしようということ。

実際には、企業などでの検診の時に、メタボ及びメタボ予備軍を発見し、その改善度合いによって、企業の保険料を引き上げたりということらしい。改善度が悪いと、メタボじゃない同僚の保険料まで値上がりするというのだから、かなり全体主義的だ。

基準値としては、

まず、腹囲を測定して、ウエストが男85センチ、女90センチ、または体脂肪率が25%を超える場合、次の3項目のうち2つ以上が超えていれば真性メタボ。1つが超えていればメタボ予備軍に分類される。

1.血清脂質異常(トリグリセリド値150mg/dL以上、またはHDLコレステロール値40mg/dL未満)


2.血圧高値(最高血圧130mmHg以上、または最低血圧85mmHg以上)


3.高血糖(空腹時血糖値110mg/dL)

その後、このメタボの大群が、どういう運命になるのかよくわからないが、たぶん経済的に痛い目に会いそうなのは予測できる。

で、5月のある日、人間ドックに行ったのである。これは、安っぽい会社の検診ではないので、もしや、メタボ検査すり抜けもあるのではないかと思ったのだが、甘かった。

まず、受付で、ピロリ菌検査や何種類かのマーカー検査も追加する。「検査のしおり」には、追加検査を受けないと、いかにも重病を見逃しそうな脅し文句が並ぶ。「癌は一日にしてならず。気づいた時には進行癌」、「ピロリ菌を除菌することで、消化性胃潰瘍のほとんどは治ります」「BNP検査では心電図ではわからない心臓の負担度合いが分かり心不全の早期発見に役立ちます」とかだ。

落ち着いて考えれば、人間ドックに行くということは健康の証のはずだが、150円うどん店でレジまで続く長い列の途中に積み上げられた天麩羅やいなり寿司を前後の客につられ、見栄で500円分追加購入するようなものだ。


そして、検査は、普通の尿検査や血液検査、身体測定と続く。最初の関門の身体計測では腹囲測定はなかった。

握力検査では、右手から測ったら28キロ。超微力だ。次に左手を測ったら33キロ。いつも左手の方が強い(たぶんゴルフの影響)。左利きではないかと聞かれて、右利きといったら、右手再検となって35キロ。左手の方がいつも強いから、といって左手を再検したら37キロ。もう一回右手を検査しようとしたら、もういいです、と言われてしまった。

そして、肺活量、眼圧と眼底検査と心電図、そして内臓超音波。次はX線か、と思っていたら、突然のように、

「おおた葉一郎さん、おなかまわり測ります」と宣告が・・・



何と、個室があるわけだ。ドアの上には「腹囲計測室」と書かれている。

ドアを開けると、正面には巨大な二階建てベッドのようなものがあって、カーテンがかかっている。例に喩えると、寝台列車とかカプセルホテルみたいな形状だ。カーテンをあけてベッドに寝転ぶのか、と思ったら、違った。

洋服店でズボンを買うのと同じだ。ナースさんが巻尺でおなかの周りを測るだけ。0.5秒。

○○センチです。(二桁のある数字)

実は、測る場所がズボンと違う。へそ回りである。だからズボンのウエストと、数値が異なるわけだ。

では、なぜわざわざ個室があって、二段ベッド状の物体があるのか?たぶん、次なる医療関係者の仕掛けた儲けの秘密機器が既に隠されているのだろう。

ところで、実際、メタボ判定を受けたらどうしようかと思っていて、予防的にゴルフの会員権の相場リストなどを調べていたわけだ。何しろ、先日、AT&Tクラシックで苦節15年、PGAツアー初優勝した今田竜二(31)選手だが、身長、体重が私と同じなのである。というか、他のすべての数字はまったく異なるのだが。


そして、現在、結果表の郵送待ち状態なのであるが、既に検査現場で確定していることがある。

ピロリ菌陽性。

いつも、慢性胃炎と言われていたのは、このせいなのだろうか。治すと、胃腸が丈夫になって、メタボになるのではないだろうか(まだメタボになってないとしてだが)。

南蛮風ワインカップ

2008-05-25 00:00:25 | あじ
074b7ea9.jpg時々物入れの整理をすると、思わぬものに出会うことがある。

ワイングラスと言うとガラス製だが、これは陶器製。陶器製ワインカップとか言うのだろうか。図柄は南蛮渡来的なポルトガル風だが、間違いなく現代作であろう。もちろん、私の家に、例えば本物の野々村仁清作の壺があっても、誰も本物と思わないだろうから現代作でいいのだが。

ところで、わずかに移転して、さらに高級化した赤坂のスペイン料理店、ロス・プラトスは、ワインを陶器のカップで飲むことになっていたと記憶するが、実際にスペインに行ったらガラス製の普通のグラスだった。もちろん赤坂の数千円のワインもスペインでは数百円だろうから、気取って陶器製など使わないのだろうか。

逆に、日本酒は通常、瀬戸物のお猪口で飲むものを、木製の升や、コップで飲んだりする方が高級そうなのだから妙なものだ。

実は、飲み物の容器には、主にガラス、陶器、金属の3種類である。冷えた金属製のビアジョッキも魅力的だ。そして、同じ飲み物でも容器が異なれば、味の感触が異なるというのは、誰しも感じたことがあるだろう。

しかし、容器と飲み物の種類と味の変化などを科学的に調べたという話はあまり聞いたことがない。

一方、最近はペットボトルという容器が新登場して、結構なシェアを持っていると思われる。が、味は最低レベルなのではないだろうか。カフェなどで使われている紙製カップも、今一と思える。

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近代将棋休刊

2008-05-24 00:00:34 | しょうぎ
サザン・オールスターズが活動休止宣言をした。個人的には、「いさぎよくないなあ」と思う。普通は、一旦、解散するものじゃないだろうか。あるいは、メンバーそれぞれに今の所属会社と再契約するのだろうか。解散ではなく休眠ということに、何か裏事情を感じないでもない。あえて書かないけど。

ところで、将棋ファンにとって、残念なニュースがある。「近代将棋」誌が休刊宣言した。こちらの「休刊」はサザンと比べれば、再開の可能性は限りなく少ない。事実上の廃刊であるだろう。

5月18日発売の2008年6月号は、掲載中の「団鬼六面白談義・天国と地獄」の中に、近代将棋誌の追い詰められた内実が垣間読めるだけで、その他の部分には「突然休止」の予兆は感じられない。連載コミック「名人義雄」では、まだ木村義雄は青年である。結果的には答えが明かされないままとなった詰将棋も多数掲載され、解答を募集している。

最終ページ奥付には、こういうように事務的に書かれている。

近代将棋休刊のお知らせ

平素は弊誌をご愛読いただき、誠にありがとうございます。昭和25年の創刊以来、59年間の長きに渡りご愛顧いただきました「近代将棋」ですが、誠に勝手ながら2008年6月号をもって休刊とさせていただきます・・・・・

何か、愛読ブログが突然、閉鎖した時のような文章である。59年間で748号というのは計算上1年に12冊以上になる。昔のことはよくわからないが、月に二冊の頃もあったのだろう。

そして、前述の「団鬼六面白談義・天国と地獄」の中に、近代将棋の実態の一部が記されていた。

現在の発行元のナイタイ出版はオーナーが圓山氏という方で、フーゾク王で、様々な黒字分野を経営しているそうだ。(ナイタイ出版というのは内外タイムスと関係あるのだろう。)一つくらい赤字部門があってもいいじゃないか、と、11年前、前身の近代将棋が破綻しそうになった時に、団先生がオーナーに紹介した経緯があるそうだ。実は団先生は、以前、「将棋ジャーナル」誌を再建しようとして、自分の預金通帳の金額5000万円が△5000万円になった痛い経験があったそうで、うすうす、近代将棋の困窮に気付いていたらしい。

圓山オーナーは、近代将棋の運営については、前編集長に任せていたのだが、ある日、崩壊への第一歩が始まる。雑誌に寄稿していたある執筆者が編集長を飛び越え、圓山オーナーに手紙を書く。

「原稿料、払え!」という内容だったそうだ。

ようするに、払いたくても払えないということになっていたそうだ。累積赤字11年で5億円(実際には他部門の利益で埋めていたのだろう)。

そして、オーナーが怒り出し、「雑誌廃刊」か「無償奉仕の執筆者をさがすこと」ということになる。

結果、編集長が辞任し、無償報酬雑誌(援助執筆とでもいうのか)となったのだが、これらのドタバタが外部にも漏れていくことになり、印刷所が受注拒否をしたりして、先月号の発売日が毎月1日から18日に後ズレになったそうだ。そしてついに・・


まあ、売れないのだと思う。日本将棋連盟の発刊している「将棋世界」誌が残ったわけだが、こちらも数十年来、ほとんど紙面の変化を感じない。雑誌の中で記事の並び替えは感じられるが、自分が読むのは、ほんの一部だけだ。将棋ファンにもいろいろなタイプの人がいて、それぞれ、この雑誌の一部だけを読むというのでは750円は高い。つぶれた近代将棋は680円だったが、「将棋世界」とは、ターゲットがかなり異なるようなので、残存者メリットが「将棋世界」の方にあるとは、思えない。


ところで、多くのマスメディアでは、将棋雑誌は、ついに一誌になったと、書かれているが、実は、もう一誌ある。「詰将棋パラダイス」。書店では全国3店しか取り扱っていないので入手困難だが、郵送してくれる。残念なことに詰将棋専門誌なので、名人戦の結果などは、書かれていない。

実は、詰将棋の世界では、この「詰将棋パラダイス」と双璧をなすのが、潰れた「近代将棋」であり、多くの有名詰将棋作家がこの二誌を発表の場としていた。

このため、今後は詰将棋パラダイス誌の入選ラインがさらに難易度を上げるものと予想できる。誰も解けない難問ばかり並べた結果、投稿者は充実するも読者がいなくなって廃刊というようなことにならないことを祈っておく。

実は、個人的には、数年前から詰将棋パラダイス誌への投稿を続けていて、たまに自分の名前を発見することはあるのだが、そろそろ「近代将棋」への投稿を始めようか、と、余った年賀状に問題を書いて送り始めた矢先であった。「余った年賀状」というのが、いかにも縁起が悪かったのではなかったか、とちょっと非科学的に心が痛む。

まだ、年賀状の余りは残っているので、「将棋世界」の方に送ってみようかな・・


1f5b8f2e.jpgさて、5月13日出題分の解答。

▲3三馬 △同桂 ▲2一角成 △同玉 ▲3三玉 △2五と ▲2三香 △1二玉 ▲2二香成 △1三玉 ▲2三成香 △1四玉 ▲2六桂 △同と ▲2四成香まで15手詰。

双玉問題を作る時に、「玉の意味」ということがある。例えば玉でなくても金でいいような場合は誰も双玉を評価しない。本題は、自玉の腹を成香が這っていくような収束で、金だと、最後の一手ができないわけだ。

さらに、双玉問題で「王を動かす」というのはなかなか難しい技なのだが、作った人でないと理解してもらえないだろうか。

実は、初代大橋宗桂の有名な香歩銀合の図を双玉に仕立てた何題かの一つである。

動く将棋盤は、こちら


1f5b8f2e.jpg今週の問題は、後半、地味な手が続く。着想が先にあっても、作ってみたら、平凡だった漫画家の家みたいか?(横縞とは何の関係もない)すばらしい好手はない。

わかった、と思われた方は、最終手と手数と酷評をコメント欄に記していただければ正誤判断。







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アメリカ彦蔵(吉村昭)

2008-05-23 00:00:29 | 書評
2006年に体内につながったチューブを引き抜き、自ら病床とサヨナラした作家、吉村昭氏にも、また、幕末1850年代に太平洋を何往復もした播磨出身の孤児、彦蔵にとっても、私なんかに絶賛されて、いい迷惑かもしれないが、新潮文庫で550ページを超える長編小説は、読み進むにつれ、読み終わりたくないという思いが嵩じていくのである。私にとって、忘れられない一冊になった。



吉村氏の特に歴史物はカバーする時代が江戸の末期から昭和20年代まで。おそらく、この範囲の史実と言うのは、「相当多量な」資料が残されている。「アメリカ彦蔵」も1837年生まれの彦蔵が13歳にして両親を失い、見習い船乗りになり、回送船に乗り込むところは、まだ本著の20ページ目である。

その後、17人の船員を乗せた永力丸は、紀伊半島沖で暴雨風に襲われ、転覆寸前になり、投げ荷を行なったり、帆柱を自ら切り倒し、転覆だけは免れる。しかし、遭難場所は太平洋。帆柱のない船はただ海流に身を任せるだけの運命となる。

仮に、時代が1700年代であれば、永力丸の運命は事実上、そこで終わり。いずれ食糧が尽きるか再度の大時化があれば、それが命日となるはずだった。しかし、彼らが漂流したのは1850年。日本周辺には日本開国を狙う欧米各国や衰えた清帝国に群がり、富を得ようとする外国船が多数存在していた。

幸いなことに、永力丸はそれらの中の一隻の商船にピックアップされるわけだ。オークランド号。そのまま、カリフォルニアに向かうわけだ。実はまだ全550ページの57ページ目だ。

そして、一命をとりとめた彼らの帰国物語がこれから始まるのだが、当時の日本は、まだ鎖国中(鎖国ということばの定義は難しいが、とりあえず無許可外国船は大砲で追い払い、キリスト教徒は火焙りにしていた)で、一旦外国に行ったものは、帰国拒否、あるいは死罪になると考えられていた。(まるで昭和20年の日本兵みたいだ)

その後、彼らの他にも難破船の乗組員大勢が主に米国船に救助され、帰国を狙っていることを知るわけだ。彼らは、時代の潮目をどう読むか、自ら判断せざるを得なくなり、考え方の違いから数グループに別れ、独自に帰国の道をさぐることになる。考え方の違いというのは、イデオロギーとか帰国戦略の差というようなものではなく、情報も見えず、不確定な国際情勢の中で、生と死というギャンブルをどう張るか、という戦術的な差と考えるべきだろう。

彦蔵はどう考えたか。

彼は、日米の国力の差を肌で感じ、遅かれ早かれ、日本は開国されるだろう。その後、日本に帰国し、日米間の交易で働く仕事があるだろうから、それまで米国で勉強しよう、と考えたわけだ。ある意味、彼にはすでに両親はなく、帰る場所もないわけだ。まだ200ページ目あたり。

そして、慎重な彼にしては、一つのミスがおきる。クリスチャンになり、洗礼を受けたわけだ。思えば、それが彼の人生に一つの方向性をつける。キリスト教徒になった彼が、日本人として早期に帰国することは、とうてい困難となった。そして選んだのが、米国籍の取得である。米国帰化第一号である。米国人として、日本に上陸することになる。

実は、このあたりでまだ、小説の分量の半分くらいなのだから、本著は大変だ。海洋冒険小説と幕末政治小説の合作のようなもので、ここからは日本と米国の狭間で生きる彼の苦闘物語になる。リンカーンを含む三人の米国大統領に会ったこと、横浜で日本初の新聞を発刊したこと、米国公使館に勤めたこと、横浜で輸出入の仕事をしたこと、長崎でグラバー商会と協力したこと、などが続く。

そして、明治になり、数々の名声に奢ることなく、彦蔵はあくまでも彦蔵スタイルを通し、明治30年、61歳で亡くなる。青山墓地に眠る。幕末の多くの人たちと同様、波乱の前半生に人生のほとんどのエネルギーを使い、後半は自分スタイルで流したのだろう。

実は、本著には著者自らが「あとがき」を付している。膨大な資料を読み解く苦労について、軽く書いてある。誰がどうみても軽い仕事のはずがない。それが吉村昭のスタイルなのだろう。


仕事師、吉村昭の著作は、毎年1、2冊のペースで読んでいる。何か、一冊を読むとその衝撃と言うか余韻というか、打ちのめされてしまい、すぐ、次に取り組めないのだ。既に筆をおいた好きな作者の作を全部読めないとしたら、それは愛読者の怠惰なのだろう。

さあ、次は・・

地頭力を鍛える

2008-05-22 00:00:42 | 市民A
著者の細谷功氏は東大工学部かた東芝を経てアーンスト・ヤングコンサルティングに入社、主にメーカー中心のコンサルティングをされているそうだ。



まあ、彼のことや、その著書の内容を細かく触れる気はまったくない。

主たる論題である「地頭力(じあたまりょく)」について”フェルミ推定”を例にとって、「地頭って何だ?フェルミ推定力のことだ」という仮説を展開されているが・・

まず、地頭力というのは「論理思考力」「直観力」「知的好奇心」の3点セットになっているそうだ。「ロジカルシンキング」ということばが流行しているが、「考える力=論理思考」と思われているが論理だけでは不十分ということらしい。

そしてフェルミ推定というのは「日本に電信柱は、およそ何本あるか推定しなさい」というような問題を、さまざまな方法で推定する方法(プロセス)である。著者は「日本の面積と電柱間隔から都会と地方別に推定」している。この方法だと、約3000万本となる。

私なら、「一家に一本=世帯数の数だけ」つまり3300万本と推定。あっという間に計算終わり。正解は3300万本だ。

同じように、「世界にサッカーボールは何個あるか」とか、「私が東京都知事選挙に立候補したら何票とれるか」というようなことを計算する力だそうだ。


しかし、ケチをつけて何だが、人間の頭脳って、もっと生来優れていて、既存の勉強をすることで、逆に型にはまってしまっているように思えてならない。すばらしい仕事を残した人の頭脳を考えても、決して教育によって生み出されたとも思えない。

それに、同じ地頭力教育を受けて、同じような人間を効率的に大量生産したとするなら、それはまさに「人間のロボット化」としかいえない。思考に弱い部分と強い部分があってもそれは個性で、またちょっと違ったセンスの人間ということでいいのではないだろうか。学問でも実社会でも文化でも多様性はきわめて重要だ。

もっとも、だからといって勉強が無意味と言いたいわけでもないけど・・

パンダレンタルの違和感は・・

2008-05-21 00:00:23 | 市民A
上野動物園のパンダ、リンリンが亡くなったのは4月30日の未明。そして、その後、外務省が中国と交渉したのだろう。5月4日、胡錦涛主席は来日直前の北京でのインタビューで新たな二頭のパンダの貸与を公表する。

実際、両国間には次々に実務的懸案事項が山積になっていて、原則友好論だけでは片付かないわけだ。来日の成果も、具体的な話はパンダだけだった、といってもいいぐらいだ。パンダの話は突発的に発生したのだから、その話がなければどうしたつもりだったのだろう。

そして、パンダレンタルの話を持ちかけたのは、日本なのか中国なのかははっきりしないが、どうも日本側だったのではないかという気がする。

そして、その後の「不要論」の嵐が始まる。そして、パンダの故郷、四川省を大地震が襲ったことで、パンダレンタルの話は凍結状態になっている。しかし、いずれ、パンダレンタルの具体的な条件の協議が始まるのだろう。そして、賛成論や反対論が飛び交うはずだ。

まず、反対論からだが、主に石原知事が代弁しているが、

1.レンタル料(つがいで1億がベース)が高い。

2.いまどき、パンダでもない。

3.見に行きたければ、上野以外に行けばいい。(神戸・和歌山・中国など)

4.パンダで諸問題をごまかされそうだ。

 など


一方、賛成論は複雑だ。

1.単にかわいい。

2.親切心を断ってはならない。(シルバーシート論?)

3.1億は安い。

4.中国からの貢物と思えばいい。

 など

いずれの説も、完全に正しいとも完全に間違っているとも言えないのだろうが、思うに、今回の話の最大の違和感は、「時期が早すぎる」ということではないだろうか。

何か、20年間連れ添った妻が腹膜炎で病没したら、直ちに結婚紹介センターに足を運んで再婚相手を決めた、というようなものに感じるわけだ。確かに公的機関の宗教活動は禁止なのだから喪に服したりしないとは言え、おそらくどこの宗教だって、人が亡くなれば葬式になる。リンリンの場合は4月30日に亡くなった後に、5月5日に偲ぶ会が小学生によって行なわれている。パンダレンタルが決まった後だ。

実際、仮に次世代パンダのことを考えるなら、一旦、パンダのいない動物園として3年ほど経過したあと、「やはりパンダが欲しい!」と多くの都民が感じるようになってから「オネダリ」した方がよかったのだろう。

本当は「オネダリ」ではなく、交換できる動物がいればいいのだが、中国にいなくて日本にいるという珍獣は、あまり派手なのはいない。正規版「ドラえもん」くらいだろう。

ところで、強権知事が「みたけりゃ、いるところに行けばいい」と言った先の一つが、神戸の王子動物園である。新神戸駅からタクシーで1000円以下らしい(あるいは阪急電車)。こちらにパンダがきたのは2000年だそうだ。1995年の大地震のあと、復興する神戸のためにと、大目的をもって来日。現在、四川大地震の復興募金を行なっているようだ。また、王子動物園では今年4月10日に65歳の象「スワコ」が亡くなった。4月19日にお別れ会が行なわれている。

神戸王子動物園の方は、まったく正統的のように思える。手順とタイミングが重要なのだ。

亡くなったら直ぐにパンダの跡継ぎを決める、というのでは江戸時代の大名家の「末期養子」のようなもの。当時は、跡取りがいないと、お家断絶、家来全員失業という最悪の事態が待っていたのだが、パンダがいなくても、急には何も起きないはずだ。


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都会と田舎

2008-05-20 00:00:36 | 市民A
最近、色々な事情で、東日本の都会と田舎、西日本の都会と田舎という4つの体験ゾーンを行きつ戻りつしている。暇にまかせてブラブラできる年齢じゃないので、すべて何らかの必然がある。だから、そのつど現地の人と話したり、食事をしたり、その他いろいろ・・

その話の前に、「東日本と西日本ってどこでわける」ということがある。別に、法律で決まっているわけではなく、各自各様に考えればいいし、ある線から右と左で何かが変わるということでもない。中日本という概念を入れて、箱根の関で分けるという考え方もあるが、実際、名古屋は東日本だと思う。特に、現代の名古屋駅前は丸の内と同じだ。また、関が原で東軍と西軍が戦ったことによって、関が原を東西の境と考える人もいるようだが、それもあいまい感がある。



私の個人的な考え方だが、金沢を基点に仙台と伊賀上野に直線を引いて、北日本、東日本、西日本と三分割してみた。なぜ、金沢、仙台、伊賀上野か、と言うと、そこには江戸幕府の開闢時に徳川家康が、「一目おいた外様大名」が配されていたから。前田、伊達、藤堂である。この件は本文とまったく関係ないので、おわり。

で、西日本の田舎。やはり異文化の匂いがした。過疎が進んで、どこの家も老人になり、農業をやめたりして、ますます寂しそうだ。稲作から畑にかわり、さらにハウスで果樹を作っていて、とうとう、果樹を切って、桜でも植えて、花でも見るかな・・ということらしい。

一方で、過疎が進みながらも公共投資がどんどん行われて、貯水池の堤防工事とか、畦道の舗装とか・・

公共事業がないと、田舎が不便で人口がますます減るというけど、人口が減るのと、公共事業はあまり関係なさそうだ。世界の田舎のことは熟知していないが、日本の田舎は海外の田舎よりも既に便利なような気がする。

例えば、首都直下型地震で犠牲者は10万~30万人とか聞くと、それでも地方の道路に優先権はあるのか?と思わざるを得ない。あの時、道路特定財源を廃止し、渋谷駅の耐震工事をしていれば・・ということにならないことを祈りたい。というか。いくら祈っても地震は来る。

そして気付いたのだが、特に西日本の田舎の人は、他人との距離感をとりたがる。もしかすると、「都会の孤独感」というコトバは西日本の田舎から東日本のマンションとかに転居した人の距離感じゃないかなって感じ。

さらに、物価がえらく安い。だんだん感じてきたのだが、田舎では供給者側(農家や個人事業者、個人商店)も消費者側(労働者、個人商店、農民)のどちらも、ほとんど税金払ってないのじゃないかなって勘付くわけだ。デューティー・フリー・ゾーンだ。


ところで、あちこちに移動していると、ホテルを利用することになるが、最近、怖いことがある。「硫化水素」。たまたま、西日本のある都市に泊まったときには、地元の新聞に、前日、市内のホテルで硫化水素自殺があったことが載っていた。が、ホテルの名前は秘されてわからなかった。さぞかしホテルは新聞広告料を払うことになったのだろう。

窓を開けて眠るべきかどうかは、ちょっと問題がある。窓を開けていたからこそガス流入という危険がある。空気の重さを1.0とすると、硫化水素は1.19と少し重い。ホテルの最上階に泊まれば、窓をあけておけば安全度が高いかもしれない。普通の階に泊まる場合は、少なくても「腐った卵の匂い」がしたら、窓を開けられるように、あらかじめ窓の開閉点検をしておくことだ。

「腐った卵の匂い」がどういう匂いかわからない人は、あらかじめ家庭で実験しておくといいかもしれないが、近所の通報でパトカーが飛んで来ても知らない。

まあ、硫化水素はすっかり悪者になってしまったが、石油精製所や製鉄所、火力発電所では、なくてはならない物質で、石油製品中のイオウ分を除去するため、水素とイオウが化合し硫化水素になることで、脱硫反応をおこなっている。水素(H)とイオウ(S)と結合した硫化水素の化学式は、H2Sである。

H2Sはそのままじゃどうにもならないため、H2とSと分離する必要がある。結構珍しい化合で、まずH2Sの1/3程度を部分燃焼させる。

 2H2S(硫化水素)+3O2(酸素)→2H20(水)+2SO2(二酸化イオウ)

次に、残った3/2の硫化水素が、生成されたSO2(二酸化イオウ)と化合して、きれいさっぱり純粋なイオウと水とに分離される。

 2H2S(硫化水素)+SO2(二酸化イオウ)→2H20(水)+3S(イオウ)

だから硫化水素を自分で生成して何かやろうという人は、コトが1/3ほど進行した段階で燃焼実験に切り替えると、後の空気がきれいになるかもしれないが、その場合は初期の目的は満たされず、水びたしの黄色の固形物の後始末をしなければならなくなるはずだ。さいわいなことに純粋なイオウは無臭である(実際、イオウは水と反応すると激しく発熱するので、硫化水素の燃焼実験など、絶対に素人はやってはいけない。やらなくても結果は教科書に書かれている)。

二つの災害のこと

2008-05-19 00:00:49 | 市民A

四川大地震のこと。

マグニチュードが7.8から8.0に訂正になった。7.8にしては、被害が広範囲で、さらに山崩れなど自然環境まで深刻なダメージがある、と思っていたので、やはり人災だけでなく、天災であるということがわかる。

中国の地震については、あまり詳しくないが、もともと地球の大陸移動説では、アフリカ大陸と繋がっていたインド大陸がプレートごとインド洋の上を移動していってアジア大陸と衝突し、南から北へを常に圧力をかけている。8000メートルのヒマラヤ山脈は、インドと中国のサンドイッチで上空に地面がはみだした状態である。中国南部は、そういったプレートの押し合いで歪ができやすい場所である。今回の地震による断層のズレは1.5メートルと言われている。

そして、5万人もの犠牲者の多くは、建物崩壊による圧死。特に、午後2時半ということもあり、学校の校舎が崩壊し、大勢の生徒が生き埋めになってしまった。災害当初から気付いていたが、崩れた建物はほとんどが煉瓦積みである。鉄筋や鉄骨を使っているようには見えない。欠陥建築と言われるが、そもそも地震のことなど考えていないのだろう。

日本でも手抜きマンションは大問題になり、首謀者は服役中だが、それ以前の問題なのだろう。

日本も、大きなことを言える身分ではなく、M8.0程度の地震では、つど大惨事を起こしている。家屋倒壊と火災。関東大震災の時は、家屋倒壊で1万人がなくなり、火事で9万人が亡くなった。江戸時代の最後の安政期にはM8.2クラスが多発した。

上海・北京でも、裏町に入れば、煉瓦作りの古民家は相当残っているように思えるし、中国の抱える課題は大きい。といっても、日本でも耐震強度アップの工事はなかなか進まない。必ず来年、大地震が起きるとわかっていれば、年金や健保を後回しにして全予算をつぎこむのだろうが、いつ地震が起きるのか、それはわからない。

ところで、復興と言えば各国からの国際支援である。誇り高い中国でも、今度ばかりは支援を受けるのだろう。ただ、支援する方が、「将来の関係」に期待するようではいけないだろう。あまり有効じゃない。関東大震災の時も、特にアメリカ国民は赤十字を通じて多大な寄付を日本に贈ってくれたのだが、その善意の効果は20年もたなかった。


次にミャンマーのサイクロン。

こんな話を書いていいのかどうかわからないが、半年前に、あるビジネスでミャンマーの商社の日本支社とワークしたことがある。契約寸前までいったのだが、国政不安定ともう一つの理由でまとまらなかった。

その理由は、不透明なコミッション。高額を正体不明な人に払わなければならないことになりそうだった。結局、あまりに不透明な話では怪我をしそう(各種法律上)なのでスルーしたのだが、最近、別件で電話をしてみると、驚いたことに、日本支社の幹部(日本人)が自殺していたそうだ。そして、サイクロンのあと、超多忙になっているとのこと。

理由は、日本からの援助物資である。どうも、公的ルートで援助すると、軍政府がすべての物資を自分のものとしてしまい、転売して稼ぐそうだ。そのため、民間商社経由の支援物資ルートが必要ということで、この商社が浮上したそうだ。不透明な高率のコミッションなど、かわいいものなのだろう。

特に、医薬品メーカーが厚生労働省の指示で多大な被災地援助をしているようだ。メタボ特需のお返しなのだろうか。

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エジプトの小さなガラスの円盤

2008-05-18 00:00:15 | 美術館・博物館・工芸品
fd693439.jpg横浜で、意外に面白い展覧会があった。「エジプトの小さなガラスの円盤」。横浜ユーラシア文化館で5月18日まで。

何が、どう面白いかというと、ちょっと説明しにくいが、10円玉位のガラス製の円盤(ボタン型)がたくさん展示されている。グラス・ウェイトというものでエジプトのスーク(市場)で使われていたとのこと。では、形がコイン状だからといって通貨かといえば違う。

実は、このグラス・ウェイトだが主に計量に使われていたのだが、結構、頭が痛くなるほど複雑な方法だった。

まず、簡単なのは、ガラス製の計量カップに貼り付けられるタイプ。よく現代の呑み屋で、「日本酒、一合!」と頼むと、どうみてもその半分くらいの徳利が出てくるのだが、ガラス製の徳利に『公認・一合』と刻まれたガラスのボタンがついているようなもの。高価なオリーブ油などの液体を量り売りする時に、用いられる。


fd693439.jpg次に、重さをはかるためのもの。面白いのは、肉とか穀物とか量るものによって違うデザインのものが用いられたようだ。金属性の錘ではなく、ガラス製が用いられたのは、長く使っても磨耗しないからだ。

そして、金貨などの金属通貨をはかるためのウェイト。金貨については、さらに純度を確認する方法も考えられていた。

まあ、エジプトでは、なかなか厳しく正確に取引が行なわれていたということだろう。裏を返せば、量目詐欺というのが、売る方にも買う方にも蔓延していたのだろう。

よく考えれば、現代でも商取引の基本は度量衡と通貨の信頼性。うかうかしていると、船場吉兆のように一つの料理で二回売り上げを立てるようなつわものも現れるわけだ。

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