『1・3手の詰め将棋(王位 高橋道雄監修)』の奥の奥

2019-12-14 00:00:00 | しょうぎ
将棋入門教室の講師を頼まれたこともあり、1手・3手の詰将棋集を探していて、古書であるが『1・3手の詰め将棋』を入手。まあ、詰将棋の話を書いて、高橋道雄元王位の話を書いて今日のブログは難易度3手詰ということにしようと思っていた。高橋道雄氏の略歴には王位二期獲得で、テニス狂と書かれている。現在では「狂」の字は使用禁止だ。王位はさらにもう一期、棋王戦と十段戦で優勝している。特に十段戦は最後の十段戦の挑戦者として獲得したのだが、次の年は竜王戦に変わってしまい、防衛戦は行われないままになった。以上、終わり。



ところが、気になっていたのは「監修」という単語。以前、羽生善治監修という詰将棋本の奥付けに別の指導棋士の名前が書かれていたことがあり、念のため点検すると、やはり目立たないところに別の人物の名前が。



[執筆協力]
将棋連盟棋士・五段 藤代三郎 昭和25年入門、昭和44年四段退会 棋道普及に当る。

監修者のために執筆を協力したということだ。何かおかしな表現だ。元奨励会を退会して指導棋士ということだろうかと、うっすらと感じられる。

ということで、「藤代三郎氏」のことを調べようと、まず簡単に検索してみると、実はある方面の本を大量に出版している作家がいることがわかった。「馬券」の本だ。サンスポに今年も馬券の買い方の連載を書いている。

つまり、奨励会在籍中に馬にはまってしまい、将棋では大成しなかったものの馬券評論家として第二の人生を歩んだのだろうか。何が幸いか、人生はカジノみたいなものだ、と思ったのだが、年齢的な違和感もあり、馬券の藤代三郎氏のことを調べ始めたら、別の人物のペンネームだった。その人の通称は「目黒考二」。別のペンネームもあり、ミステリー評論家としては「北上次郎」を名乗っている。いわゆる椎名誠グループの一人だ。この二人の他、沢野ひとし氏と将棋連盟の顧問弁護士もしている木村晋介もだ。こんなところで将棋につながっているが、早い話が無関係。

では、将棋界の藤代三郎氏のことだが、まず残念ながら4年前の2015年5月に86歳で他界されている。公式戦の成績は1勝9敗。奨励会員の出場できる古豪新鋭戦と九段戦・十段戦に1960年から67年の間に出場している。ただし1勝というのはアマチュアが相手で、さらに相手が不戦敗を喫したもので、あまり大きな顔にはなれない。

棋譜が残っているのが、奨励会の時、1964年後期A組で桜井昇三段(当時)と戦い、151手で敗れている1局。なぜ、この対局の棋譜が残っているかだが、おそらく将棋世界誌に掲載されたのではないだろうか。通例では、東西のリーグの1位同士が昇級枠を争う東西決戦の棋譜が掲載されていたはず。ところが、そうではないわけだ。

1964年の前期は東が桜井昇、西が橋本三治で決戦の結果、橋本三治がC2へ昇級(数年前にC2から降級していて、復帰した)。後期は、結局東が田辺一郎、人数のバランス合わせのために西に回っていた桜井が優勝。当時の規定によって桜井は前期後期ともリーグで1位だったため後期の東西決戦は行われず、自動的に桜井が昇級し、田辺も決戦なしで昇級している。つまり、将棋世界誌に載せる棋譜がなかったことになる。そのため、期末に近い1月に行われた桜井×藤代戦の棋譜が代わりに登場したのではないだろうか。

退会後は新宿で道場を開かれていたそうだ。


さて、通例だと11月30日の出題作の解答だが、事情があって公開は先になる。

今週の問題。




細々と手がつながっていく。粘り強く追いかけるべし。

判ったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ正誤判定します。
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黒豚は誰の身代わりか

2019-12-13 00:00:21 | あじ
ふるさと納税で、黒豚が届いた。

ふるさと納税制度も、本来の趣旨からまったく離れたAMAZON商品券が登場するに至って、一罰百戒制度が適用になり、「返礼品は3割以下」というルールが登場。本当に3割だけの返礼になると、制度利用者が激減し、制度も廃止ということになるはずだが、現在のところそうではない。

3割という怪しいルールを農産品や魚介類といった定価がはっきりしないものに適用するというあたりが、運用上のテクニックになっているのだろう。最高級品とちょっとした差のあるサクランボとか、市場に出すにはわずかに小さ目なカレイとかノドグロとか。売れなければ価値はゼロともいえる。

レタスをはじめ野菜類では市場に「カット野菜」という商品群が登場し、現在は正規サイズのレタスも使われるようになったわけだが、魚介類やサクランボのような日持ちの短いものはそうはいかないだろう。

さらに生産過剰で廃棄すべき肉類とか乳製品とか主張ができるかもしれない。その他いろいろ合理的言い訳はあるだろう。

しかも、仮に3割ルールを超えていたとしても、もらった方が訴え出るはずもないわけだし、サービスが良いからもう一回頼もうかということにもなるだろう。まあ、頭の固い人(あるいは役人)は、うまくいかないのが世の常だ。



ところで、黒豚だが、鹿児島産をもって極上とされる。東京都内にも県の直営レストランはじめ薩摩黒豚を食べさせる店もあるが、そこで食べたトンカツも美味いのだが、鹿児島で食べるトンカツにはかなり及ばない。生とか冷凍とかの差があるのだろうか。

そもそも料理が美味い県は、江戸時代に豊かであった藩が多い。仙台伊達藩、加賀前田藩、尾張徳川家、福岡黒田藩、そして薩摩島津藩。

薩摩藩の武士はそもそも黒豚を食べていたから他の藩の草食武士より強かったという説もあるそうだ。

一方で、もともと薩摩藩は、藩士を無敵の剣士にするため、死罪の決まった罪人を牢から放ち、藩士たちに捜索させ、見つけ次第、惨殺させていたそうだ。罪人は逃げ切れば放免ということで、文字通りのデスマッチだった。ところが、ある時からデスマッチは中止される。もしかしたら隣の藩からのクレームかもしれない。その後、藩士のトレーニングは野原に黒豚を放って追いかけることになったそうだ。つまり罪のない黒豚が罪人の身代わりにされたわけだ。

中央政府は、その後、育ちが早くコストパフォーマンスに優れた白豚を全国に広めようとしたのだが、薩摩では黒豚を育て続けていたわけだ。美味いからだろう。
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南北戦争の時代(貴堂嘉之著)

2019-12-12 00:00:41 | 歴史
岩波新書の19世紀シリーズ アメリカ合衆国史②である。南北戦争時代のアメリカの歴史を少し知りたくて①を読まずに②を読む。



アメリカの歴史に詳しい人の話では、アメリカの歴史は他の国よりも短いため、歴史の勉強というと、非常に濃密なことをやるそうだ。日本史では、おおむね古墳時代、奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代、戦国時代、江戸時代、明治から敗戦、戦後というように一つの時代が200~300年単位なので、細かい話は省略してしまうが、米国だと数十年単位でみなければならない。しかも民主主義で大統領と議会があり、州政府があるということで、どうしても緻密になってしまう。

この本は1812年戦争から始まり、1820年代の市場革命、1840~60年台の南北戦争前史、1861~65年の南北戦争、1865年以降の南北戦争後史ということになる。

主に、南北戦争を中心に考え、奴隷制が南部に急速に広がっていった理由や北部州と南部州の対立、さらに戦争がどのようにアメリカ人の考えを変えていったのか、なぜ奴隷解放までリンカーンは突き進んだのか(黒人を北部州の兵士にしたわけだ)。さらに滅茶滅茶になったアメリカはその後、どのように修復され、差別はなぜ続いたのかというような話なのだが、新書1冊に詰め込んでしまうと、要するにアメリカ人は政治の世界にも効率主義を持ち込み、自分勝手な論理で残虐なことを平然と行う国民ということに見えてしまう。

北部州に逃げ込んでいた奴隷については、アフリカに返そうという勝手な論理で、リベリアに土地を借りて送り出すわけだ。そして、その土地をなかば植民地にしてしまうわけだ。スペインとの戦争ではキューバ問題で争いながらフィリピンでも戦争をはじめて、結局、どちらの国も植民地のようなものにしてしまう。グアム島はスペインから奪った後200年経っても、誰にも返さない。メキシコとはカリフォルニアやテキサスを恐喝して安価で買い取ってしまうし、インディアンは殺戮したあと、フロンティアとか言い出す。

ということは、日本の北の方にある国も、うかうかしていると、乗っ取られてしまうのかもしれない。
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ちんぷんかん(畠中恵著)

2019-12-11 00:00:44 | 書評
しゃばけシリーズ第6巻『ちんぷんかん』は連作短編集。今のところシリーズは19巻まで書かれているが最初の5冊を読んだだけ。先は長すぎるので、どうしようかと思うが5冊で撤退では中途半端すぎる。むしろ、撤退ではなく敗退に近いだろう。とりあえず、ぼちぼちと10冊まで読もうかと思う。もっとも図書館で1巻から順に借りようというのだから多少進捗時間がかかるかもしれない。



『ちんぷんかん』の特徴だが、突如「生と死」がテーマになる。冒頭の『鬼と小鬼』は主人公一太郎が火事に巻き込まれ煙を吸って意識不明になり、生と死の境である賽の河原で目を覚ますことになる。どうも江戸時代でも貧富の差はあって、賽の河原から黄泉の国に渡るにも6文という乗船料が必要なのだが、その金がないと川を歩いて渡らなければならない。

ところが一太郎は火事に巻き込まれた時から、小鬼である鳴家(やなり)を袖の中に入れたままだったため、死ぬ必要のない彼を地上に戻すべく、脱走計画を始めるわけだ。

そもそもシリーズ物なので、生還しないといけないのだが、その仕組みが複雑なわけだ。

そして一太郎の異母兄である松之助の結婚話が始まるのが『男ぶり』。そして、『はるがいくよ』では、一太郎の家に正体不明の赤子が現れるのだが、これが妖(あやかし)。と言っても悪いことはまったく行わない。正体は桜の花びら。つぼみが膨らみ開花し、満開になったら散る。わずか半月の命だ。一太郎は、なんとか彼女の命を助けるために奔走するが、どうなるのだろうか。

今回も多くの妖が初登場。善玉と悪玉と立場不明の妖もいる。一太郎はまだ20歳になっていないが病弱。どうやって大人になっていくのだろうと心配なのだが、そうして著者は読者を徐々にクモの糸に絡めとっていくのだろう。
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高速ブレーキと酒酔い運転を体験

2019-12-10 00:00:00 | 市民A
ぶっそうなタイトルを付けてみたが、少し前に御殿場の富士スピードウェーに隣接したトヨタ自動車の「トヨタ交通安全センター・モビリタ」の安全運転プログラム『ドライバーコミュニケーション』の見学に行って、トレーニングメニューのいくつかを体験してきた。

本当は、スピードウェーのコースをF1マシンで200キロで走って、スピンターンしたかったのだが、トヨタの出資会社とはいえ、それは無理な話だ。



特徴は、スピードウェーほどはなくても、かなり広いコース(10万m2)で、いわゆる危険体験をして、いざという時に落ち着いてブレーキなどの操作ができるようにしようということ。別に急ブレーキや酒酔い運転を推奨しているわけではなく、本ブログも同様だ。

座学の話は後にして、実地の方だが、まず、車(マークX)の周りの死角の確認ということで、座席に座って見えない位置の確認から。予想の5倍ほど死角はある。クルマの周囲はほとんど見えないと思っていい。マークXは古典的なデザインだが、これ以上死角がある車の方が多いかもしれない。



次に低ミュー路ブレーキング。滑りやすい路面にさらに水を撒いてそこを60キロで走って急ブレーキ。実はABSがオンの状態では横滑りもスピンもしない。といっても止まるまでの時間はスピード次第。あらかじめブレーキを踏む位置は決まっているのだが、実際の事故ではどうしても最低0.1秒は遅れる。



次に高速ブレーキ。最初60キロから始まり80キロ、100キロとスピードを上げるのだが、コース上に霧が垂れ込めてきた。これは練習用じゃない本物の霧。ブレーキを踏む位置が直近にならないと見えないという本番モードなので100キロはとりやめ。80キロでフルブレーキを踏んで、さらに止まれそうもない場合、ブレーキを踏んだままハンドルを切る練習もする。実はハンドルを切ると、少しは回避できる。交差点で信号無視の右折車に衝突されて交差点の園児にクルマが突っ込んだ事故があったが、ブレーキとハンドル操作と同時にできればコースが変わった可能性はあるそうだ。ただ、車の方向が変わった時に遠心力で体が左に傾きブレーキに足が届かないことも多いそうで、あの事故で何かできることがあったかどうかはわからない。運転者はテストドライバーじゃないし。ある意味、『モビリタ』は、そういう緊急時の時の練習用と思った方がいい。

そして、酒酔い運転の体験だが、富士山の霊水を用いた御殿場の地酒は数が多いのだが、好きなだけ飲んでから運転しようという企画ではなく、「酒酔い運転体験メガネ」という物が曲がって見えるメガネをかけて運転する。パイロンを並べて、その間をスラローム走行するのだが、素面でも慎重に走らないといけないが、このメガネをすると、判断が遅れるため、どうしても大回りをしなければ通り抜けできない。したがって車体も酔っ払いのような動きになる。問題は、メガネをはずしても、二日酔いのようなムカムカ感が取れないわけだ。こういうのに弱いのだ。TDLにもそういうのがあって、乗ると一日が無駄になる。今回は、普段トヨタ車に乗っていないので、イジケて、高速バスで往復したので個人的には問題なかったが、危険はどこにでもあるわけだ(酒を飲まずにメガネをかけて飲んだ気分になるという節約法も勉強した)。

座学の方だが、トヨタの安全に関する考え方を聞いたりしたのだが、統計的な話で最近の1年間の日本の交通事故死者は約3,500人だそうだが、特異的に死亡者の多い年齢があるそうだ。老人ということではないのだ。全体の40%にあたる約1,400人が7歳に集中しているそうだ。要するに小学生になって一人で通学を始めた後ということ。小学1年生で最も重要なことは勉学ではなく安全な登下校ということだ。


本題とは関係ないのだが、トヨタらしさを感じたことがある。教室が少し暗いなあと感じて、天井を見上げたのだが、天井の蛍光灯の半分に管が入っていないわけだ。さらに、どの蛍光灯も少し光が茶色だし、両端に黒い輪が見えるものが多い。ここまでは、良くある話なのだろうが、さらに目を凝らすと蛍光管には「PANASONIC」ではなく「National」という字が見えるわけだ。
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バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)2015年 映画

2019-12-09 00:00:00 | 映画・演劇・Video
奇妙な映画である。監督はアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ。メキシコ人監督で、個人的には今年は「バベル」という奇妙な映画をみた。凡人には、彼の偉大さはとうてい理解できない。すばらしいことはわかるのだが。

本作、最初は筋を理解するのが難しかった。映画なのに舞台の稽古をしているわけだ。主演のリーガン・トムソン(マイケル・キートン)はキレやすい親父だが、超能力ができる(本当にできるのか、若いときに演じたバードマン映画の時に、バードマンのゴーストが彼に取りついているのか)。

世間的にはバードマン三連作(スーパーマンのように鳥のように犯罪者を駆逐)の名声だけで生きている老醜と思われている。

一気に世間を見返そうと、ハリウッドではなくブロードウェーで逆転打を狙っているわけだ。妻はいなくなるし、娘はジャンキーになる。



そして、メインの男優が急にいなくなって代役に人気俳優を決めたことにより、誰が主役なのかわからなくなってくるし、プレヴューの舞台は大失敗続き、ついに本番の日になるのだが、自信喪失の彼を叱咤したのが、例のバードマン。都合のいいときに登場し、彼に60歳のバードマンになるように吹き込む。

そしてバードマンはリアリズムを追及する場面、つまり愛人が他の男とベッドに入っているところをピストルで脅かし、最後、自分の頭を打ち抜くところを実演する。そして、鬼気あふれる演技は頭でなく鼻を撃ち抜くも、鳥のくちばしのように恰好のいい人口鼻が取り付けられ、自殺ではなく事故だったことになり、彼は再び名声を取り戻す。そして病院の窓から空に舞い上がったわけだ。

基本的に喜劇なのだが、何がおかしいのかよくわからないところがある。一生懸命やればやるだけ間抜けになるようなことが続くわけだ。あるいは、今のアメリカは大いにおかしいということを言いたいのかもしれない。
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サウジアラビア-オアシスに生きる女性たちの50年

2019-12-08 00:00:39 | 美術館・博物館・工芸品
横浜ユーラシア文化館で開催中の『サウジアラビア-オアシスに生きる女性たちの50年』展に行った。文化人類学者の片倉もとこさんが、実際にサウジのオアシスの村の調査をする中で、同性であるサウジ女性との交流の中で、最近になって変わりつつある事情などを解説している。

変わりつつといっても、現在のところ男女の権利の差の違いがこれほど大きい国も珍しい。世界の潮流もあり、女性の権利が一歩ずつ増加しているのも事実だが、果たして今後どうなるのかよくわからない。



展示中で、特に中心的なのが服装。顔をマスク(ブルグア)で覆い、全身を肌を露出しないような衣装でつつんでいる。(もっとも男性も、マスクはないものの肌を出さないのは同じだ)

まず、ベールの方だが、外国人にはわかりにくいが、ベールの効果というのは外から見れば「顔をかくすなんてかわいそうではないか」ということなのだが、裏返しの意味では「顔を見せないで自分の方からは外が見える」ということでもあり、秘密を愛好するような性格の人には悪くはないらしい。もっとも、そうではなく、男子と同じように顔をあらわにして社会に参加したいという声もあるだろう。

そして衣装の方だが、外装(マハーリード)の下には上着と下着があって、全部着るとさすがに暑苦しいと思う。ごく最近では、Tシャツとジーンズという人もいるそうだ。外出する時だけ、マハーリードとマスクを付けるのだろう。

ただ、足の裾は伝統服でもジーンズでも足首にピッタリしてスキマがないように着るそうだ。理由は、サソリだそうだ。服の中に入らないようにしないといけないようだ。



女性の衣装のことしか展示されていなかったので、男性の方はよくわからないが、ずいぶん前にサウジに行った時に見聞きしたのだが、白い服を着ているのだが、綿だと汗が空気中に飛んで行って体がドライアップするので、服の内側に汗が残るように化繊の方がいいそうだ。

そして、コーヒー文化。結局、井戸端会議のようなものをコーヒーを飲みながら行う。何回か飲んだことはあるが(日本でも岡山の県立美術館の近くにアラビア珈琲の店があった)、豆を生で砕いて煮ているような味がする(違うかもしれないが)。なかなか慣れないが、口が曲がったりはしない。たぶんインスタントコーヒーは飲まれていないような気がする。
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二度目の負け越し近づく

2019-12-07 00:00:00 | しょうぎ
羽生九段が78期A級順位戦6回戦で敗れたため、今季の成績が2勝4敗となった。まだ降格の心配をする段ではないようだが、残る3戦を全勝すれば5勝4敗と勝ち越すが、1敗でもすれば負け越しになる。

そこで過去の記録をひも解くと、順位戦初参加が昭和62年の45期リーグでC2組で8勝2敗だった。以降昨年の77期までの33期のうち名人位に就いていた9期を除いた24期の通算成績は175勝50勝。勝率は7割7分7厘7毛7糸7惚7微7繊7沙7塵7埃7渺7漠・・・。つまり、7が無限大に続く縁起のよい数字だった。

しかも24期のうち、負け越したのは1回だけ。平成10年の57期A級順位戦で3勝5敗となっている。この期は村山八段が病気休場(期中に不帰の人となる)で全8局だった。この時の3勝というのも過去の最低勝利数だった。

つまり、1勝はしないと、過去の最低勝利数記録を下回ってしまうし、そうなれば降級あるいは別のことを考えることになってしまう。

余計なお世話かもしれないが、将棋と関係ない世界での講演会などで多忙を極めるライススタイルを考え直した方がいいのではないだろうか。



さて、11月23日出題作の解答。





追い詰めをする前に一枚の駒を入手しておくことが重要。

動く将棋盤は、こちら。(Flash版)

GIF版。



今週の問題。



最終手は香打。

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マンガロール風ビリヤニ

2019-12-06 00:00:16 | あじ
「世界三大炊き込みご飯」というのがあるらしい。

「パエリア」と「松茸ご飯」と「ビリヤニ」だそうだ。それでは鳥釜飯とか赤飯とかどうなるのだろう。個人的には、「あさりめし」を入れてほしい。

この中で、ビリヤニだが、なじみが薄いだろうか。インド料理である。香辛料をたっぷり含んだ炊き込みご飯。米はタイ米のように細長く粘り気はない。いわゆる長粒米。南部の港町マンガロールは魚介類やココナッツを使った料理が多いそうで、マンガロール料理専門店のバンゲラズキッチンでビリヤニをいただく。



実は、ネットや本で調べてもビリヤニの製法はバラバラ。要するに「釜めし」といった一般的単語なのだろう。

適度な辛さとカレーの匂いである。まったくビールを飲みたくなるわけだが、まだ午前11時半ごろだ。くせになる味だ。日本国内ビリヤニ探索の旅に出ようかな・・

インド通の方にごちそうになったのだが、現地のコトバでコック長と話をしたかったらしく、話しかけていたがうまく通じなかったようだ。相手が英語で話し始めた。逆に変な言葉で話しかけた我々のことを日本人とは思わなかったようだ。コック長も日本語が話せるのだから。

ところで、インドは人口大国だが、地域によってまったく違う文化や言語をもった多様性国家だ。が、こと宗教についていうと数の多いヒンズー教徒がイスラム教徒を圧迫しているらしい。インドネシアではこの逆になっているわけで、表向き宗教の自由がある国でもなかなかうまくいかないことが多いようだ(含む欧米)。
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一才柚子に柚子一つ

2019-12-05 00:00:00 | 市民A
数年前に苗木を買って鉢で育てていた一才柚子(いっさいゆず)だが、水やりが面倒なので、空き地に下ろしていた。調べると、温暖な場所では下ろしてもいいことになっている。さらに臨家にも2軒先にも種類は知らないが柚子の大きな木があって無数の実がなっている。

温暖かどうかではなく、水やりが面倒という邪悪な考えがもとだったせいか、1年目はまったく成長せず、ドライアップしてしまったような状態だった。2年目は春になって急に若葉が噴き出してきたと思ったら、すぐに青虫の餌食になり、若葉は全滅。3年目は嫌というほど薬を振りかけ、青虫、毛虫の類は箸でつまんで除去したところ枝がたくさん出始めたのだが、夏の終わりに台風が太平洋を通り過ぎる時に、大量の塩水を振りかけられてしまい、一気に元気がなくなる。



そして、本年は春先に、一つだけ白い花が咲き、その後、豆粒のような実がなっていたのだが、すっかり失念しているうちに柚子の正体が現れた。本当は一切柚子というメモが一枚あっただけで、それがこの木かどうかすら怪しんでいた。

それで、一個だけの柚子だが、調べてみると、一才柚子は毎年結実するのではなく隔年ごとに実がなり、間の年は実が落ちるということだそうだ。だから一才というらしい。まったく怪しい果樹だ。地球の公転速度が2年だった頃に誕生したのかな。つまり臨家や2軒先の家のように毎年無数に収穫があるということにはなり得ないわけだ。かなり残念だ。

で、この一個、どうしようかと思案中。
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Jリートフェア2019に行く

2019-12-04 00:00:00 | 投資
Jリートの価格が上がってきたと思ったら、株価が少し上がって、その裏側でJリートが下がり始めたので素早く売り払ったのだが、株価の方が上がり続ける要因はあまりなさそうだ。花見、ミサイル、香港。やっかいな問題ばかりだ。解決したのは文ちゃんだけだが、単なる一人相撲(あるいはパントマイム)が終わっただけか。そういえばラグビー発祥の地はどうなるのだろう。

となると、リートの方に転換点があって上昇するのかどうか。五輪投資の終了とか関係があるのだろうか。なにしろ先週末に日本橋で開かれたJリートフェアには43社のリートが参加した。定員50人位の会場が5カ所あって、1会場35分で5会場でぐるぐる説明会が開かれて、「当社のリートが一番優れている」ということを宣伝するわけだ。



山手線を挟んで、西側には皇居東御苑で大嘗宮に集まる人がいて、東側には日本橋の地下二階の特設会場に集まる人がいる。

Jリートフェアに行くと、各社とも大量の資料を押し付けてくるので、カバンがはちきれそうになるのだが、そのまま皇居にいくと、手荷物検査があるわけだ。ということで、途中にあるビルのトイレ数か所に寄って、少しずつ資料や書類袋を処分してしまうわけだ(ゴメン!)。



一応、方針を立てたので、株価がピークを打つ頃(12月の早いうち、あるいは今だろうか)に乗り換え作戦を狙っている。基本的には配当狙いなのだが。

ホテル関係のリートの話を聞いたところ、韓国の影響があるようなホテルはほとんど組み入れていないということだったが、逆のリートもあるのかもしれない。インバウンドと言っても、どこの国でも近くの国からの訪問者が多いわけで、A国がだめならB国、B国がだめならC国とかそういうものでもないようだ。

それにホテル宿泊客の増加率を見ると、インバウンドよりも国内宿泊者の方が、客数の伸びが大きいそうだ。モノ消費からコト消費だそうだ。訪日外国人の増加を自らの手柄のように吹聴するというアベノミクスの偽装が、ここにもあるのかな。
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蝉しぐれ(2005年 映画)

2019-12-03 00:00:00 | 映画・演劇・Video
1986年に山形新聞に連載が始まった藤沢周平作の同名の時代小説を黒土三男監督が映画化した。構想から15年がかかったそうだ。

思うに、新聞小説としてはまったく不向きな小説だったような気がする。毎回、少しずつ小さな山や谷を書くべき連載小説だが、かなり長いスパンの主人公たちの時代を描いている。東北の小藩の武家に起きた悲劇がこの物語のスタートとなる。藩内の抗争に巻き込まれ当主が切腹を命じられる。主人公、牧文四郎(演:市川染五郎)はその当主の息子。臨家の娘、小柳ふく(演:木村佳乃)とは幼馴染であったが、罪人の子で下級武士に格下げになった牧文四郎とは会うことができず、ふくは江戸の屋敷に勤めることになる。



そしていつしか、殿様のお手がついて、妊娠するのだが、殿の跡目を巡って、争いが激化する。そして、最初の妊娠の時は反対派によって流産してしまうが、二度目の時は、密かに国元に戻り出産。そして、そのあと両派にわかれて殺人事件が繰り広げられ、リアルに血が噴き出すわけだ。

そして、勝利したのは牧文四郎が属する派の方になり、ふくの息子が殿の跡目と決まり、20年ほどの歳月が流れ、殿の死去に伴い代替わりとなる。といって文四郎が家老になれたりするわけではないので、殺人事件以来二人は会うこともなかった。

そして、ある日文四郎のもとに、ふくから呼び出しの手紙が届く。ふくは、代替わりに伴い、尼寺に入る決心をしたわけで、その前に文四郎に会って、幼年時代からの二人の思い出話を語り合うわけだ。

現代なら、元カレと復縁するのに、なんら法令に違反することはないのだが、さすがに江戸時代では無理なのだろう。尼寺に向かう駕籠を文四郎は見送るだけなのである。


実は、原作では、ふくは呼び出した文四郎と思い出話をするだけではなく、肌を合わせてしまうらしいのだが、映画ではそうはならない。原作の重大な変更なのだが、すでに藤沢周平は1997年に他界している。長生きしたもの勝ちだ。

実は、本作を観る前に読んだのが、アリス・マンロー作『イラクサ』という小説。この小説の中でも幼馴染の男女が数十年後に出会い、ゴルフ場の傍らで、事をいたしてしまうのだが、何かの見えない符合なのだろうか
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イラクサ(アリス・マンロー著 小説)

2019-12-02 00:00:00 | 書評
今年の100冊目の読了は『イラクサ』。

9編の短編小説集。アリス・マンローという女流作家だが、本名なのだろうか。いかにも小説家的な名前だと思う。カナダ人作家で、ノーベル文学賞を受賞している。本書は、実によくできているのだが、それが原因で読むのが非常に大変なことになる。9編のすべてのことではないが、女と男のささやかな、どこにでもある普通の感情のもつれが複雑なプロセスで書かれていく。

最近の日本にはいないタイプの作家のような気がする。最近の日本の小説は、たいがいが大きなストーリーを持っていて、最初は、道端の一枚の紙を拾うとか、一本のありふれた電話から始まるかもしれないが重大なことが次々に起きていって、家族はバラバラになったり、丸く収まったりする。あまり心理描写に重きを置いたような小説ははやらない。あえて言うと、夏目漱石とかノルウェーの森とか・・



この9編の小説は、ほんの小さな幸せや不幸をささやかに書いて、ささやかに終わるわけで、最後にオチが付いたりするのだが、そのオチを確認するために、もう一度、遡って読まなければならなかったりする。

表題作の『イラクサ』だが、最初は少年少女向けで、少女の前に期間限定で登場するカッコいい男の子があらわれる。数か月間、少女の自宅に井戸を掘るための工事人がくるのだが、そのこどもだ。そして井戸ができると、親子はどこかへ行ってしまい、淡い恋は終わり。その後、数十年の間に少女は大人になり結婚したり離婚したりとなるのだが、ある時、元少年に出会うわけだ。元少年には妻と子供が二人いて、家庭内には共有された秘密がある。

再会した二人はお決まりのように、秘密の行動に走るのだが、その場所は郊外のゴルフ場。豪雨の中でプレーは中断され、雨宿りに入った林の中で続きの別のプレーが始まるのだが、そこには毒を含んだ棘のあるイラクサが生えていて体が傷だらけになるわけだ。そして無事に帰宅したあと、家で待っていたこどもたちには、雨宿り中にイラクサで傷ついたと言うのだが、実は服を脱がなければキズつかないような部分まで赤くなっているわけだ。

じゃあ、具体的には何をしたのだろうかと遡って読み直しても決定的なことはよくわからない。さらに二人と同じような時間にゴルフ場にいたと思われる駐車場にいた車はいつの間にいなくなっていて、それは著者は何を伝えたかったのだろうかと考えて再度読み直しても、結局よくわからないし、著者はさらに、本当はイラクサではなく別の植物だったと書くのだが、さらに理解できなくなる。ネット上のネタバレ書評をいくら読んでも解読できないわけだ。
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大嘗宮を参観

2019-12-01 00:00:00 | 美術館・博物館・工芸品
皇居東御苑に設置された大嘗宮(だいじょうきゅう)が公開されている。といっても宮の中に入れるわけではない。あえていうと、靴を脱いでも入れないから。

皇室のしきたりは知らないので、自信をもって書くことはできないが、天皇が変わって最初の新嘗祭を行う時に参るのが大嘗宮というそうだ。神に今年の収穫物をささげ、天皇自身も全国の名産を食べる。

場所は天守台の前、つまり江戸城の最も奥にあたる場所だ。つまり大奥。ここから天守台の東側を含んだ場所に位置していた。

江戸城内の秘め事が行われた場所で新天皇の秘儀も行われた。



そしていつものように遠目にも人があふれていることが見える。そして近づくと、結局、ほとんどの人がスマホとかカメラとかiPADで正面の鳥居から奥を撮影している。しかたなく、追随してみたが、画像の下半分は、アマチュアカメラマンの頭部が写る。髪のない人が多いようだ。木材は欅かと思っていたが、杉のようにも見える。しばらくすると、全部撤去されるそうだが、材木は寄付されるのだろうか。



下取りして、和食の菜食主義レストランとして建て直すといいかもしれない。

下取りと言えば、伊達藩では江戸城が建て直される時に仙台の城の再建に使うという名目で廃材の引き取りを願い出る。ごますり行為だ。結局は内密に捨ててしまったらしい。



出口は大手門になるが、その直前に鯱が展示されている。1657年の明暦の大火の時に焼失し復元されたものらしい。その際、天守閣をどうするか議論があり、天守台を作るおカネを復興支援にまわそうということになったとされる。しかし、私は大奥の女性たちが「天守閣が建つと陽当たりが悪くなる」と反対したのではないかとも思っている。

ところで、大嘗宮を撮影するスマホ群の中に、裏側のカバーに旭日旗のシールを貼ったオジサンがいた。撮影するフリをして、旭日旗のアピールをしているような感じだったが、元軍人という年には至っていないだろうし、日本が勝ったと錯覚しているのかな。戦死した父親の息子だったら許せるが、ちょっと悲しい。
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