明日から令和元年になる。きょうまでが平成。実は明治時代が始まった明治元年は年の途中からなのだが、その年の正月から元年だったことになり、慶応4年は正月に遡り、無かったことになった。
そして、改元が話題になるのだが、そもそも天皇譲位に伴って改元になるのだから本来は嬉しいとか悲しいという問題じゃないはず。
ところで、最近、皇室では様々な問題が起きている。
真子さまの結婚問題については、父親は多くの国民の喜ぶ形でなければダメと言っているが、何パーセントの国民が賛成すればいいのかよくわからないが、半数以上の国民は、本人が貧乏でも構わないのではないかと思っているだろう。すぐに金持ちになるだろうし。
悠仁さま脅迫事件については、今のところ意味不明なのだが、学習院に行かないことが気に入らない勢力によるものだろうか。高校進学の時はどうするのだろう。そして大学は。秋篠宮家は新しい皇室像を描くというなら、真子さま問題も含めて旧習にとらわれず自由にやれば良いのではないだろうか。もっとも東大や早稲田のように学生が多いキャンパスに進むと、警護困難とも思えるし、N高校から放送大学とか・・
脅迫事件の容疑者は、戦前だったら、「容疑者逮捕の時に激しく抵抗され、やむなく発砲するしかなかった」ということにするのだろうが、現代では重罪にならないような気がする。まだ罪名も決まっていない。
そして、驚いたのが時の総理大臣が米国大統領に「スーパーボールの100倍も重要」と言って訪日要請したこと。これは天皇の政治利用にあたると思われる。過去に小沢一郎氏が民主党政権の時に習近平氏を天皇に割り込み面会を画策したのも政治利用に近いが、まあ順番の繰り上げ程度はいいだろうとしても、今回の発言はおかしい。そもそも天皇の政治的利用の最たるものは明治維新の薩長軍。官軍と称していた。
しかし、天皇の政治的利用を禁じるという規定は、憲法には見当たらないのである。天皇の政治参加の禁止は憲法に規定があるが、天皇を利用する方の規制は見当たらない。利用してもいいのだろうか。
それと気になるのが、天皇陛下の年齢と内閣総理大臣の年齢。総理大臣が天皇を利用しようとしても自分の方が年下だとなかなか言いにくい。これからは自分が年上になるのだ。
この天皇と総理大臣との年齢問題だが、明治以降の関係を調べてみると、実は、明治・大正の御代では、すべて天皇が年下だった。さらに昭和になっても年上総理大臣が続き、昭和47年に田中角栄が初めて年下の総理大臣になった。以後年下総理が続いたが、平成になって天皇の代替わりで、再び、宇野、海部、宮沢と年上総理になったが、細川内閣以降、一期(村山内閣)の例外を除き年下総理大臣となっていた。総理大臣の今後の暴走が心配だ。
そして、改元が話題になるのだが、そもそも天皇譲位に伴って改元になるのだから本来は嬉しいとか悲しいという問題じゃないはず。
ところで、最近、皇室では様々な問題が起きている。
真子さまの結婚問題については、父親は多くの国民の喜ぶ形でなければダメと言っているが、何パーセントの国民が賛成すればいいのかよくわからないが、半数以上の国民は、本人が貧乏でも構わないのではないかと思っているだろう。すぐに金持ちになるだろうし。
悠仁さま脅迫事件については、今のところ意味不明なのだが、学習院に行かないことが気に入らない勢力によるものだろうか。高校進学の時はどうするのだろう。そして大学は。秋篠宮家は新しい皇室像を描くというなら、真子さま問題も含めて旧習にとらわれず自由にやれば良いのではないだろうか。もっとも東大や早稲田のように学生が多いキャンパスに進むと、警護困難とも思えるし、N高校から放送大学とか・・
脅迫事件の容疑者は、戦前だったら、「容疑者逮捕の時に激しく抵抗され、やむなく発砲するしかなかった」ということにするのだろうが、現代では重罪にならないような気がする。まだ罪名も決まっていない。
そして、驚いたのが時の総理大臣が米国大統領に「スーパーボールの100倍も重要」と言って訪日要請したこと。これは天皇の政治利用にあたると思われる。過去に小沢一郎氏が民主党政権の時に習近平氏を天皇に割り込み面会を画策したのも政治利用に近いが、まあ順番の繰り上げ程度はいいだろうとしても、今回の発言はおかしい。そもそも天皇の政治的利用の最たるものは明治維新の薩長軍。官軍と称していた。
しかし、天皇の政治的利用を禁じるという規定は、憲法には見当たらないのである。天皇の政治参加の禁止は憲法に規定があるが、天皇を利用する方の規制は見当たらない。利用してもいいのだろうか。
それと気になるのが、天皇陛下の年齢と内閣総理大臣の年齢。総理大臣が天皇を利用しようとしても自分の方が年下だとなかなか言いにくい。これからは自分が年上になるのだ。
この天皇と総理大臣との年齢問題だが、明治以降の関係を調べてみると、実は、明治・大正の御代では、すべて天皇が年下だった。さらに昭和になっても年上総理大臣が続き、昭和47年に田中角栄が初めて年下の総理大臣になった。以後年下総理が続いたが、平成になって天皇の代替わりで、再び、宇野、海部、宮沢と年上総理になったが、細川内閣以降、一期(村山内閣)の例外を除き年下総理大臣となっていた。総理大臣の今後の暴走が心配だ。