大盤解説で「待った」連発の新A級棋士は大丈夫?

2023-04-29 00:00:32 | しょうぎ
名人戦第二局は藤井六冠が終盤の難解局面の連続から抜け出して押し切った。

ABEMAで観ていると、メイン解説を新A級棋士の中村大地八段が行っていたが、なかなか上手くいかない。さらに、AI予測の手もなかなか主旨がわからない。大盤で色々と駒を動かして、なかなか要領を得ない。待ったの連続になる。来年は、自分が挑戦者になる可能性もあるのに大丈夫だろうか。

もっとも、藤井局はいつも解説者はこういう状態になって、少しかわいそうになるし、さらに、局後のインタビューでも六冠は、「途中からずっと苦しかった」と敗者の弁のようなことを言った後、食事がおいしかったということで締めてしまった。敗者を追い詰めるための作戦かもしれない。

中村八段を弁護するわけではないが、大盤というのは、取り扱うのはかなり難しい。

具体的には、盤と対局者の眼が近すぎる。普通の対局は縦横40センチぐらいの盤から60センチほど離れた位置から盤面を観ている。大盤は1メートルぐらいなので、同じ比率なら1メートル50センチほどの距離から見るべきなのだが、解説者は30センチぐらいのところに立っている。逆に言うと普通の盤なら15センチほどの接写モードで観ているような感じで、全体感がつかみにくい。

さらに、自分も将棋教室で次の一手の解説をすることが多いが、喋る相手は前にいるわけだ。テレビならカメラは前にある。盤に向かうのは一瞬だけで、かなりを後ろ向きに脳内の盤で行うことになる。次の一手なら事前に問題を知っているので簡単だが、質問されるとタジタジになるので、変化も頭にいれておきながら、その場でノールックで読み切ったような芝居をするわけだ。

ところで、今回のA級リーグは二人の新八段ということになったが、過去にはA級在位1期という棋士も数多い。もしかしたら、プロになった時の最終目標が「A級棋士」というような人がそうなるのではないかと推測している。それはそれでいいが。



4月15日出題作の解答。








今週の問題。



解ったと思われた方はコメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ正誤判定します。

浮世の華(描かれた港崎)

2023-04-29 00:00:23 | 美術館・博物館・工芸品
横浜市歴史博物館で開催中(~5月7日)の『浮世の華(描かれた港崎)』展へ。
幕末、日米修好通商条約(1858年)により、翌1859年に横浜が開港となった。急遽、埋め立てが行われ外国人居留区(関内)が作られ、建物も建てられる。



その時に問題になったのが駐留する外国人男性向けのサービス施設。おそらく他国の情報なども参考にしたのだろう。まだ、国内には攘夷派も大勢いたため、幕府は外国人がなるべく出歩かないように外国人専用エリアを作った。江戸には吉原という公認の遊郭があったが、格式が高すぎて、同じようにはできない。床入りまで大宴会3回というような吉原ルールは外国人に向かない。今でいう検討委員会のような組織で既存の遊郭関係者と地元のディベロッパー(吉田家)が協議して、当初は外国人居留区の一番奥(現在の横浜公園から中華街のあたり)に設置する図面が展示されている。港崎(みよざき)遊郭と呼ばれる。

町のはずれに隔離された遊戯施設を作るという概念は、本牧に作ろうとしていた消えたカジノ計画の時と同じだ。

図面上では岩亀楼、五十鈴楼といった有名遊郭は建物も大きいし遊女の数も大量だったようだ。

その後、時代を下って、何度も出火し、そのたびに場所が変化しているようだ。

明治初期の遊郭は外国人の交際の場になっていたことが浮世絵によって残されている。夫人同伴のパーティではテーブルの近くで、舞や踊りのショーが行われ、男だけの宴会の時は今でいう野球拳のようなことが行われている。未完成の原図(錦絵)が残っていてじゃんけんで負けた3人の裸女の絵が途中まで塗られている(政府の目を気にして発行自粛したようだ)。

明治時代中期には横浜は居住区が外国人と日本人と一緒になってしまうので、遊郭も日本人にも開放された。

滑稽なのは、遊女の書いた文(手紙)が残されている。受取人は駿河屋の彦七氏。三通あって、いずれも彦七氏あてで、岩亀楼の「こと」さんと所属不明だが「花之助」さんと神風楼の「雲井」さんから、「今度来てほしい」という内容だ。駿河屋の彦七氏がどういう人か知らないが三か所巡りをしていたようだ。おそらく本人が他界した時に発見された手紙だろうが、普通なら廃棄処分になるべきところ、なぜか1世紀以上後にさらされるとは知らなかっただろう。

ある海鮮丼チェーンでのできごと

2023-04-28 00:00:18 | あじ
先日、東京と横浜の二か所を掛け持ちで移動しないといけなくなり、ランチの時間には短く、といってかなりの空腹であり、都内のある駅の近くにある海鮮丼系のチェーン店で、手早くすませようと、店外の自販機で食券を購入して、店内のカウンターに座る。

思えば、この店にはコロナ前にきたことはあるが、少なくとも3年は来ていなかった。その間に、主に物価が上がり、どこのレストランも慎重に値上げを浸透させている段階なのだろう。3年前の単価は覚えていないが、少しだけ高くなったようにも思える。

ここから先は、まったく私の感覚の話なので正しいか間違っているかは、個人的な感じということなのだが、面倒になるのは嫌なので店名を書くことはしない。

それで、しばらくして、カウンターに置かれた丼だが、食べ始めてから気が付いたのだが、以前よりもネタが1ミリか2ミリか薄くなったように思えた。いわゆるステルス値上げなのだろうか。そんなことしないで潔く値上げすればいいのに、と思ったが、もちろん口にはしない。

ところで、別のカウンターで、遠慮を知らないお客が大きな声で文句を付け始めた。

「前よりまずくなっている!」

まさに究極の一言だ。

私もムダに年齢をとっているが、飲食店で食事中に「まずい!」と言ったことはないし、誰かが口に出したのを聞いたこともなかった。

これに対して店長が返した話もどこかずれているのかもしれない。

「うちはチェーンなので、他の店と同じ味なのですよ」と言っていたのだが、なにか正しい解答じゃないように感じた。

長居は無用なので、外に出ると、食券機の前で、10名近い中国からの観光客が自販機の前でメニュー選びをしていた。あちらの国のガイドブックにでも掲載されているのだろうか。とても入りきらないだろう。

全米日系人博物館(JBNM)知ってますか?

2023-04-27 00:00:42 | 市民A
JANM(Japanese American National Museum)はロサンジェルスにある立派な博物館だ。



日系人博物館と言っても、日系人の剝製とか骨格標本とかならんでいるわけではない。縄文時代人の生活などを調べているうちに、妙な連想をしてしまった。

4月中旬に、都内の会場で開かれたシンポジウムで、博物館関係者のスピーチと、合わせてパネルディスカッションを聴いた。

日本人がアメリカに最初に移民に行ったのは明治元年。いわゆるハワイの元年組。その後、長い期間に次々に海を渡り、今、中心で活躍されている方々の多くは4世だそうだ。ほとんどの方は既に1/4、1/8ということで、社会に溶け込んではいるものの、コロナの時代の間にアジア人差別が横行し始めたということだそうだ。

手短に、日系米国人の歴史だが、日本より前に中国(大清帝国)から米国に流れ込んでいた。理由は南北戦争の結果、奴隷制が廃止になって農業や運送部門での人出不足になっていたからだ。そのため、米国内では黒人問題に加え中国人問題が起こり1900年代の初頭には日系人が重用されてきた。日本国内の数倍の賃金(今もそうだが)が稼げたわけだ。

その後、1920年代には排日運動が始まり、特に西海岸では激しい差別が、住宅や職業の制限といった形で起こっていた。

そして太平洋戦争がはじまり、日系人(主に1世、2世)はほぼ全員が荒野の中に作られた強制収容所へ送られ、バラックに住むことになる。その結果、戦争終結後は生活基盤ゼロからの再スタートになった。

この博物館は、特に今まで公式的には明らかになっていなかった強制収容所の歴史を無口になった当事者に代わって調査、展示をしている。

1世、2世が当時の状況について語らないため、3世、4世は自分のルーツを知ることなく漫然と生活していて、各種のデータベースによって先祖が強制収容されていたことを知るわけだ(基本的には日系人はほとんどが収容されたので、調べれば、当然そういうことになる)。


今回のスピーカーは、全米日系人博物館の館長のバロウズ女史(日系人ではなく南ア国民で反アパルトヘイトの闘士で投獄経験があるそうだ)、同博物館の渉外ディレクターの三木女史、日系4世で東京在住で日系企業の米国内での活動のアシストをしているサカナシ氏の三人とモデレーターはNHKの報道部長の飯田香織さん。

内容の詳細はいずれ報道されると思うので控えるが、アメリカは差別の国で、ますます国民が二極化しているので、もっと積極的に差別と闘わなければならないというような、まさに米国的な展開となる。オバマ政権時代に黒人大統領誕生で、差別が解消の方向に向かうと油断したのがトランピズムの台頭を招いた、というのが一致した意見だった。

強制収容所や日系人部隊(442連隊)の件は、日本でもTBS『99年の愛』、NHK『442連隊』で報道されたことがあるそうだ。442連隊は強制収容所の中から米国に忠実を誓う成年男子を集い、欧州戦線の最前線に送り、ファシストと戦わせたそうだ(関ヶ原の時の藤堂高虎軍のような話)。

なおパネリストの一人の4世のサカナシ氏は、熊本から渡米した1世までの米国内での足取りは資料を追跡してわかったものの、熊本でのもっと先祖代々のことは調べようがないと言っていたのだが、NHKの飯田さんは司会の仕事をすっかり忘れて、NHKには『ファミリーヒストリー』という番組があるから、と言い出してしまった。

1年以内に『ファミリーヒストリー』にサカナシ氏が登場したなら、「企画は経団連ビルから始まった」ということになる。

街の灯(1931年 映画)

2023-04-26 00:00:20 | 映画・演劇・Video
チャップリンの映画の中でも「黄金狂時代」と1,2を争う名作。

ホームレスのオジサンが盲目の花売り娘を助けようと、ボクシングの八百長試合に出場してKOされたり、たまたま川に飛び込んで自殺を図った富豪から借財したものの、富豪宅の押し込み強盗を撃退したのに警察からは犯人扱いされる。逃走の上、なんとか花売り娘に視力が戻る治療代を渡し、そのまま逮捕され、無実なのに獄中生活へ。刑期満了で出獄後、再びホームレスとなるも、視力を取り戻した娘と再会する。

ストーリーとかボクシングシーンとか、チャップリンの天才性が発揮される。無声映画でここまで表現できるというのも凄い。

映画の最後でホームレスのチャップリンと視力を得た娘が再会するのだが、この後、ハッピーエンドになるのか、そうではないのか。映画は何も教えてくれない。

大方の評論家は、その後、不幸な気持ちになったチャップリンは娘の前から姿を消すだろうと予測するが、答えはわからない。


現代日本では、犯罪者が主役の映画も少ないし、ホームレスが主役の映画もほぼない。「万引き家族」でも主人公は万引一家総動員だが、ホームレスにあと一歩のところを頑張る。

少し引いて考えると、いずれにしてもすべての価値観が「おカネ」ということが、アメリカ的でもある、ということだろうか。

善人長屋(西條奈加著)

2023-04-25 00:00:25 | 書評
ある雑誌で、高島礼子氏がドラマ出演作の『善人長屋』を紹介していた。著者の西條奈加作は読んだことがなかったが一昨年は直木賞受賞と活躍中なので、手に取ってみた。時代小説ではあるが。

時代小説の中でも、ミステリー色が強い作、エンタメ的である作と思った。江戸の長屋といえば町人や浪人が1Kのような箱に住んでいて、いわば長屋全体が大家を中心とした共同体の観もある。(そこが幕府の共同監視策の付け目だったのだが)



登場人物たちの住む長屋は、オーナーは質屋で、その他の住人は一見は義理人情に篤い紳士淑女を装っているが、全員が犯罪者。表向きの善人顔のため「善人長屋」と言われている。凶悪犯はいないようだが、住人は盗品買取業に情報屋に文書偽造家、美人局の兄弟、巾着切り。ところが、新たに錠前破りが転入することになっていたのだが、偶然、何も知らない錠前職人が入居してしまう。転入予定の錠前破りが江戸潜入前に捕まってしまったので気が付かなかった。

この錠前職人は根からの善人で、人助けばかりをして、長屋に連れてきてしまう。そうなる住人たちは自分たちが悪人であることを隠したまま、小賢しい犯罪を重ねながら問題を解決していく。


似たような展開は畠中恵氏の「しゃばけシリーズ」であるが、「しゃばけ」は善人と悪人が二分割されている。西條奈加氏は「しゃばけ」を意識してさらにヒネリを加えたのだろうか。

実際には『善人長屋』シリーズは3冊あるそうだが、「しゃばけ」は毎年1冊ということで20冊を超えている。むしろ、西條氏は時代小説の中で、ファンタジー→ミステリー→アドベンチャーと域を拡げた上、現在は社会派になっているようだ。直木賞はその延長にあるのだろう。

つつじの名所を発見

2023-04-24 00:00:48 | 市民A
つつじはよく道路脇の植え込みとか庭園の空きスペースとか、なんとなく軽い気持ちで植えられているように感じる。本当は咲き終えると間もなく花芽が出てくるので、剪定に相応しい時期は短い。花芽が出てから剪定すると、翌年の花付きは激減してしまう。意外にも手入れが難しい。

公共施設では、剪定の業者も入札で決めるだろうし、新年度予算は4月から始まるので、ぐずぐずしていると手遅れになる。



今回、発見したのは、横浜国際プールという大型のスポーツセンターへのエントランス。水泳のアジア大会も開催されたこともある。水泳の大会以外では、バスケットボールの横浜ビーコルというチームの本拠地になっている。プールの上にボードが乗せられてゲームが行われるが、詳しい仕組みはわからない。実際には成績に特筆すべきものが少ない。外国人選手頼りで、外からの3ポイントが主な得点で、インサイドに入れないので、3ポイント失敗するたびに、ボールを奪われ、確実に2点ずつ積み重ねられていくような展開になる。



咲き揃ったつつじは赤、白、ミックスと豪快に斜面を覆い尽くしているのだが、この丘の上に国際プールがあり、長い長い急階段の下に横浜市営地下鉄の北山田(きたやまた)駅がある。国際プールのホームページでは駅から6分と書かれているが、この急階段に加え、駅から地上までは長いエスカレーターに二回乗らないとならない。6分でプールに到着できる人間がいたら無条件でオリンピックに出場させないといけない。(別の駅からは、バスもある)

この駅、2019年には、いい部屋ネット「住みここち」ランキングの駅部門で首都圏3位、神奈川県内では1位に選ばれている。あえてお勧めスポットといえば、ケーキガーデン「YUJI AJIKI(ユウジアジキ)」かな。駅から平地で徒歩1、2分といったところだ。

港北ニュータウン内の駅は本駅も含め、毎年「住みここち」ランキングではおおむね県内ベスト10に4~5駅が選ばれている。特徴といえば、ショッピングモールが不必要に多いことや交通警察官が不必要に多いこと、坂道が不必要に多いこと、市営地下鉄の駅が不必要に立派なことなど。

空と大地の歴史館/唯一無二の闘争展示か

2023-04-23 00:00:26 | あじ
東総方面の小旅行の最終稿は、成田空港の南側にある『空と大地の歴史館』。国内唯一の航空科学博物館とは駐車場をはさんだ位置関係だ。



外観は、きわめて目立たない建物だが、一歩、室内に入ると赤色と黒色の展示物があふれている、傷ついたヘルメットや火炎瓶、凄惨をきわめた三里塚闘争の写真展示などが広がる。

歴史館であることを失念すれば、そこは1960年代後半に各地で勃発していた全共闘と日帝の走狗といわれた機動隊の戦場が再現されている。

今なお、空港の運営に影響を与えている「建設派」と「反対派」の抗争の歴史を残そうということで、展示内容は「FACT中心」になっている。

つまり、「History」の中の「FACT」はあっても「Story」は書かれていない。関係者によってさまざまなストーリーがあるはず。もともと、「国際空港」そのものに反対の人もいれば「騒音」に反対の人もいれば、「候補地の中で、突然にここに決まったこと」に反対の人もいる。養鶏場を持っている人は、飛行機の機影が鷹などの猛禽のように見えることで鶏が卵を産まなくなったことを怒る人もいる。

10年少し前に、空港関係の仕事をしていて、報道されていないが地元ではよく知られている実態などを関係者から聞いているが、解決困難な問題が色々あるようだ。

成田空港建設の後、人口の集積地にある空港の新設や拡張は、関空、中部、羽田第四滑走路と海上に人工島を作る方法に移っていく。

ところで、50年前には確実に全国各地にあっただろう各セクトのアジト的な展示だが、ここにしかないのではないだろうか。鉄道とバスで行けば都内からでも半日。合わせて航空科学博物館も隣接している。どちらの館も、激しく刺激的だ。

なお、館内は撮影禁止。おそらく人物写真も多く、それらの方の多くは今や次の人生を選んでいるだろうからだろう。ただ、撮影禁止の掲示は目立たないので、かなりの数の人がネット上に貼り付けているようだ。

本因坊戦の縮小を外野が考えると

2023-04-22 00:00:38 | しょうぎ
囲碁界の三大タイトルの一つである本因坊戦が廃止寸前まで追い込まれた結果、賞金は1/3に、リーグ戦は廃止、2日制から1日制へ、持ち時間も8時間から3時間へと大幅縮小になった。共同スポンサーが現れれば、再度、拡大も検討するということだが、どうだろう。

早い話が、新聞社の経営が悪化していたり、囲碁人口が減ったりしたことだろうが、少し離れたところから考えると、将棋の主催問題にも関係があるように思える。

その前に、本因坊戦だが、将棋でいえば名人戦のようなもの。しかし囲碁にも名人戦がある。実は江戸時代には将棋にも囲碁にも世襲制の「名人」が置かれた。将棋は、大橋家、大橋分家、伊藤家の三家の中から名人が選ばれた。囲碁は四家の中から名人が選ばれた。
本因坊家は四家の一つだったが、本因坊算砂という大人物が最初の名人ということもあり、筆頭家であった。

そして幕府がなくなり混乱の中で、将棋界は実力名人戦が始まる。囲碁も同様なのだが、その時にちょうど引退した名人が本因坊家だったこともあり、本因坊という名跡を日本棋院に任せた。

それでは、本因坊戦を将棋の名人戦のようにしようということになったのだが、囲碁界は棋聖、名人、本因坊と読売、朝日、毎日の新聞社と棋戦が一対一の関係なのだが、将棋界では竜王戦は読売だが、名人戦は朝日・毎日の共催で王将戦は毎日の子会社のスポニチが主催している。つまり、毎日が過分に主催しているわけだ。

本当なら、名人戦につぐ権威のある王将戦だけに絞ってブランドアップして、名人戦共催権を手放して、負担していた金額を本因坊戦に回せばいいものだが、合理的にはいかないものだ。


さて、4月8日出題作の初形「バ」の解答。








今週の問題。どんな字にもなりません。



解ったと思われた方はコメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ正誤判定します。

ウオッセ21で市場丼

2023-04-21 00:00:02 | あじ
銚子へ行って、魚を食べない手はない。当初計画(単に頭の中にあるだけだが)では、大枚を使ってイルカ、あるいはホエールウォッチングをした後、勢いに乗って有名な「一山いけす」で豪食と思っていたのだが、海が荒れて出航中止ということで、大枚浪費がなくなると、意気消沈ということで海の見えない店でもいいかという気分になる。

浪費は浪費を呼び、倹約は倹約を呼ぶという人間の一般的な心理だ。

もっとも、銚子でまずい魚介を提供する店に入るというのは、チェーン店以外には考えにくい。ということで自己納得して、土産物センターのウオッセ21の二階レストランに入る。行かなかった銚子ポートタワーと屋根が繋がっているようだ。

海鮮丼にするか市場丼にするか迷ったが、市場丼にしたが、その差はよくわからない。



特筆すべきは、海老を除き、ネタがそれぞれ二枚ずつであること。さらに厚い。厚くて二枚だから普通の市中の海鮮丼より3倍位ということ。盛りがいいということ。

話は一瞬、横に飛ぶが、高知市ではネタが大きいことを、ネタが「太い」というようだ。かつて、高知に行った時に、あらかじめ紹介された寿司店に行こうとして道が判らず、恥を忍んで交番で尋ねたところ、「ネタが太い店」と教えてもらった。しかし、その5年ほど後に、再訪した時には「細くなって」いた。

ただ、銚子でもネタがいいといっても、おそらくは解凍しているように思った。今やしかたないのだが、アニサキス対策としては、冷凍するか、目視で除去するということになっているようだ。

銚電「ぬれ煎餅」は一味違う

2023-04-20 00:00:33 | あじ
経営危機が続いている銚子電鉄を踏切で一目見てしまった。とはいえ、駅に行って時間もないので、後で寄ったウオッセ21という海産物やお土産を打っているセンターで、「ぬれ煎餅」を買った。



ぬれ煎餅といっても様々な種類があって、大手が大量生産しているものは、総じて薄焼きで全面的に醤油の中に浸けられていたような均一感があり、少し小振りが多い。

銚子電鉄の製品は、逆に一部に、もしかしたら手製で醤油がかけられている。そして二回りほど大きい。好き好みもあるが、大きくしていることから、全面が醤油色だったら塩分摂りすぎというか、力強すぎるような感じになってしまうのだろう。かといって薄口過ぎたら中途半端になる。

ぬれ煎餅と言っても一口では言えない感じだ。いずれにしても糖尿病になったら食べられない。

銚子電鉄と遭遇

2023-04-19 00:00:47 | たび
日本一のエンタメ鉄道を目指しているのが銚子電鉄だそうだ。「ぬれせん」「まずい棒」に続き、昨年は「電車を止めるな」という映画を作って、全国巡回で上映しているようだ。

そして、偶然にも犬吠灯台に向かう途中の踏切で遭遇。



思っていたよりも大きな車両だ。都電とか路面電車のサイズじゃない。

駅は全部で10。JRの銚子駅から引き継ぐ形で、犬吠埼の先まで伸びている。現在の電気料金の値上がりが心配だ。1923年の開業ということで今年の7月で開業100年。もっとも100年続けばいいというような問題ではないだろう。(今年は「令和5年」ではなく、「昭和98年」という人もいる)

今さらながらだが、電車でなくてもディーゼル(軽油)車でも良かったのではないだろうか。遅れているようにも思えるが、軽油の品質の低公害化もあるし、今後、充電型や燃料電池型のような架線レスの汎用車両に切り替えることもできるはず。



ところで、先頭車両に続く後続車両だが、内部は風船等でデコレートされているのだが、車両の側面の一部にはグレーの塗装が使われている。本塗りの下地になる錆止めの塗装ではないかとも見える。上塗りするペンキ代がないのだろうか。7月の開業100年をめどに、頑張って運行しようというようにも見える。融資先に疑われないように、上塗りしておいた方がいいと思う。

彼方に屛風ヶ浦を眺める

2023-04-18 00:00:04 | たび
銚子から南へ10キロにわたって、断崖絶壁が続く。日本のドーバーと呼ばれるらしいが、屛風ヶ浦という地名だ。屏風など見たことがない人もいるだろうが、長い崖だ。

実際には、屛風ヶ浦を観るには北側の銚子マリーナ海水浴場の駐車場から遊歩道を歩く必要がある。かなり遠いのは一目瞭然。そして近づくと全体像が見えなくなると思われる。崖の下から眺めることになるのだろう。



突然思い出したのは、大阪の梅田スカイビルの空中庭園。駅からビルに向かって歩くとしばらくして他のビルに隠れてしまい、方向を失って迷ってしまう。また、台北の509mの台北101ビルでは近づきすぎて入口がわからなくなった。

屛風ヶ浦は離れていても十分に全体像が見える。双眼鏡を持ってくればもっと良かった。

実は、このマリーナからイルカ・クジラのウォッチング船が出ていて、今回の旅の大目標だったのだが、1日目、2日目は雨が降っていて、3日目は雨は上がっていたのだが、早朝に確認すると、波が高いので欠航ということであった。銚子の海はことさら荒いので無理はできないということだろう。海に投げ出されればライフジャケットがあっても黒潮に乗って永い旅になるだろう。念のため記しておくが、クジラコースは4時間、イルカコースは1時間ということ。

ところで、遠景ではなく近景。浜辺にいる人達だが、どうも地元の方たちで、砂浜を掘っている。何をしているのかはよくわからないが、地声が大きいからだろうか「アサリ」とか「ハマグリ」とか「チッセエ」とか聞こえてくる。

ここではほとんどの市民のご先祖が漁業従業者のはずで相続財産として漁業権を持っているのだろう。縄文時代、いやそれ以前から続く不滅の産業だ。

灯台へ!

2023-04-17 00:00:44 | たび
ヴァージニア・ウルフの有名な小説に『灯台へ』というのがある。20世紀前半の英国社会に大きな影響を与えた女流作家だった。灯台へ行くとか行かないとか家族旅行の話で家庭不和が起こり、あれこれあって10年経ってから、やっと向かうのだが、「たかが灯台へ行くだけで」と思うが、灯台の立地が違う。

英国の灯台は陸地の近くで島が点在しているような場所で船が座礁しないように点灯しているものが多く、小説の家族は、最終的には海上の小島まで船で行かなければならない。つまり非常に危険なわけだ。躊躇う気持ちにもなる。

日本の場合は大きな灯台というと岬のような場所に高い塔を立てて遠くから見えるようにする。転針点といって、岬から岬に目印を作って航海すると最短ルートになる。灯台に行くだけなら危険はない。

ということで、千葉県の形状的に南端の野島埼と東端の犬吠埼(途中の大東埼にも灯台はある)に大きな灯台がある。



犬吠埼灯台の完成したのは明治7年(1874年)ということで、今年で149年にもなる。白亜の姿は煉瓦作りで、内部階段は99段ということで、実感的には今まで登った灯台の中では一番高いように思える。



展望スペースから眺める海の先にはアメリカ大陸まで何もない。犬が吠えると名付けられた灯台だが、犬はどうして吠えたのだろうか。毎晩眺める月が、なぜか見えない新月の日に吠えたのだろうか。それなら朔太郎より賢い。



犬吠灯台の光が届くところに住んでいて、地元の高校から同音異義語の大学に入った知人がいるが、実際に灯台に来てみると、近くにはめったに人が住んでいない。本当は只者じゃないのか、単なるジョークで言ったのか。いずれ聞いてみたい。

伊能忠敬記念館で国宝展を観る

2023-04-16 00:00:48 | 美術館・博物館・工芸品
佐原に行き、川舟に乗り、旧宿場町で食事をし、伊能忠敬の旧家を拝見し、夏、秋の祭りに使われる巨大な山車を観覧し、最後に伊能忠敬記念館で展示中の国宝展を観覧する。



なにしろ国宝だ。それも2010年。2345点もの資料が重要文化財から国宝に指定された。

地図・絵図類、文書・記録類、書状類、典籍類、器具類にわかれる。

まず、地図の作り方など、日本人の知らない技術を習得したわけだ。さらに、全国の地図を作ったということは、日本の海岸を全部回ったということ。足を踏み入れるのも困難という場所もある。

脚力も重要だ。

海岸は曲がりくねっている。



会場のほとんどの場所は撮影禁止であったが、旅先で使わる地図作りの一行が持ち運んだ机が出品されている。畳とのサイズ感から、かなり小さな机だ。



記念館の裏地にはブロンズ像が建てられている。頭の形がアインシュタイン博士に似ている。天才脳なのだろうか。銅像のサイズが実物大なのかよくわからないが、身長は150センチ程度。当時の日本人は背が低かったので、等身大かもしれない。