大大象戯発見

2016-04-30 00:00:21 | しょうぎ
大大象戯というのがある。大象戯ではない。大象戯は縦横15目、駒数百三十枚に対し、大大象戯は縦横17目、駒数百九十二枚。ちょっと想像を絶する。こうなると象戯というゲームがいつどこからきてどういうあらすじで現在に至ったのか知りたくなるが、依然としてよくわかっていない。

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巻物をみたのは、丹波篠山城のそばにある青山歴史村の土蔵の二階の展示だ。

土蔵の二階は屋根が低く、天井がなく梁が露出している。巻物の観察に没頭してしまい、梁に頭部を強打する。幸い、梁の損傷は免れた。

青山氏が城主になったのは江戸中期(1748年)なので、その頃、滅びゆくゲームとして記録にとどめたのだろうと推測。青山家では、軍事上の理由で将棋の勉強をしていたそうだが、それが実戦に役に立つとはとても思えないが、江戸時代の大半は東アジアは平和な時代だったから。幕末には将棋の勉強の効果を発揮することなく無抵抗主義で官軍に従属した。


さて、4月16日出題作の解答。

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動く将棋盤はこちら


本日の出題。

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GWの始まりに伴い、長めの問題だが、小駒が多い関係で、ちまちま感は漂うかも。わかったと思われた方はコメント欄に最終手と総手数と酷評を記していただければ、正誤判断。

青山通りを遡ると

2016-04-29 00:00:19 | たび
丹波篠山城を中心とした城下町を探索すると、青山歴史村という場所がある。青山というと青山学院大学とか青山墓地、青山通りといった東京都港区の高級住宅街をイメージするが、こちらの青山は、青山氏といって、丹波篠山城の城主である。

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「元々、青山氏の江戸屋敷があったから今の青山という地名が東京に残っている」という架空の話が本当なら面白いのだが、・・・。と思いながら念のため調べると、これが本当だった。自分ながら、すごい勘だ。

今の青山通りの北と南に屋敷がわかれていたようだ。手元に古地図がないが、後で調べてみよう。青山通りは国道246号になっているが、この道は、もともと伊勢原の大山神社に観光旅行に行く街道で、途中の三軒茶屋のところで二股に(つまりY字路)なっていて、そこに三軒のお茶屋があったことから名前が付いている。お茶を飲んでから再び歩きはじめる時に三叉路なので道を間違える人が多かったそうだ。高速道路逆走みたいな話だ。

そして、篠山では、青山氏の蔵を移転し、篠山城の近くに保存している。まあ、それほど大きな蔵ではない。大大名なら御殿並みの蔵だろうが、黒豆や栗が有名ということからして苦労の絶えない藩だったのだろう。

こういう歴史的物件というのも保存は大変で、ピカピカに磨くわけにもいかず、かといって雨風に朽ちるのを任せるわけにはいかない。

将棋好きの大名だったようで、将棋関係の資料が展示されていたが、展示品には掘り出し物は見つけられない。

m自動車

2016-04-28 00:00:51 | 企業抗争
m自動車の主力工場が倉敷市水島にあるため、地元では大騒ぎかというと、そうでもない。過去には何度もの危機に陥り、なんとか立ち直ったものの、今回ばかりは、N自動車向けが7割、mマークが3割といったところで、もはや、OEMが続くとは考えられない状況で、工場が再稼働されると考えている人は少なく、あきらめの境地。

もともと同じ車なのに、営業車とし購入しようとカーディーラーから見積もりとっても値引きはないので、m自動車関連企業や関連社員が買い支えているのだろうと思っていた。

元々のエンジンの性能のこととか、地震を理由に雲隠れした話とか、生産部門(名古屋)と東京本社が一体化していないことなど具体的に下書きしてみたのだが、落ち目の人の足を引っ張るような書き方は好きじゃないので、全部削除したのだが、ここの工場には常勤6000名(うち半分強が自社の社員)ということで、家族を含めれば12,000人の生活に影響が出るということで、行政は支援を決めたものの、なんとなく不公平感が漂う。

今後、K国やC国やX国の会社の工場になりそうな予感が漂っている。

丹波篠山大正ロマン館他

2016-04-27 00:00:09 | たび
篠山城の城下町は、そのまま明治には町となり、町役場として大正12年に洋風造りとして完成。実にこの建物は70年間も役所であり続けた。

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平成5年に大正ロマン館としてリフレッシュ開業。なかなかの建物であるが、外観はよくみると傷んでいる。ペンキの厚さで勝負している。交差点のはす向かいが建物の撮影ポイントだが、電線がじゃまだ。

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ところで、丹波と言えば、「黒豆」と「栗」。大正ロマン館では、黒豆ソフトクリームを販売している。近くの商店では栗入りソフトも売っていて、そちらの方が美味そうだが、黒豆入りはしばらく食べられないだろうから、そちらを選ぶ。

黒豆は完全にすりつぶしているようだったが、後で画像を見ると、粒が残っている。黒豆が入っているせいかどうか、すぐにソフトは溶け始める。大慌てになる。

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そして、誓願寺楼門を観にいく。これも古そうだ。見るからに不安定で、地震が来れば必ず倒れるだろう。しかし、不思議なことに地震の時に寺院や神社の建物の下敷きになる人は意外に少ない。

やはり、神仏の御加護があるのだろうか。仮に軽傷であったら、仏陀さまの御加護があって軽傷ですんだ、と考えるだろう。また重傷を負った人は、御加護があって命だけは助かった、と考えるだろう。そして、不幸にも身仏の世界に行った人からは、文句は付かない。

篠山城大書院

2016-04-26 00:00:50 | The 城
篠山城が完成したのは、1609年。その当時からあったのが、巨大な大書院である。実に1944年1月に焼失するまで335年の間、使われ続けてきた。

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そのため、構造がわかっていて、2000年に再建されている。床面積は739m2ということで、かなり広い。

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部屋は正方形をタテヨコに9分割したような構造で、入口にあたるのが西側の虎の間。全体の9分の2の面積だ。設計した藤堂高虎の虎だろうか。孔雀の間、葡萄の間、源氏の間、手毬の間とかよくわからない。襖絵などの特徴なのだろうか。

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闇りの間(くらがりのま)。9分割の中心には、窓がない。城主が落城の時に切腹する場所だったのかもしれない。いずれにしても畳みに座るには体力がいる。暑いし寒いし、足はしびれる。トイレも風呂も付いていない。台所もないので、お茶を飲むにも大苦労だ。

戦前、古い建物は公会堂にも使われていたようだ。今回も手毬の間では手作り甲冑の展示が行われていた。盛大に将棋大会でも開いたらどうだろう。

ちょっと微妙な篠山城

2016-04-25 00:00:16 | The 城
篠山城は「しのやま」ではなく「ささやま」と読む。読みの「ささやま」が先にあり、それに対する漢字が何通りかあって、一番間違いやすい「篠山」に落ち着いたようだ。

実は、以前から使っているガイドブックには、外堀と高石垣が残るとされ、古城址としての価値は日本有数と思っていた。残された石垣によじ登っての眺望は最高ということで、そういう服装ででかけたのだ。もともと二条城のように天守閣なしの大書院造りということで、油断していたのだが・・

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2000年の春に巨大な大書院が復元されていた。と同時に街が観光地に一変していた。もはや、400年前の武将の感慨を味わうことは困難だ。石垣は整備された一方、石垣の上に登ることなどまったく不可能になったわけだ。

で、簡単にこの城だが丹波の国という現代ではやや交通不便な場所にある。福知山線で西宮から内陸に入るか、新神戸から、あるいは京都からという方向だ。それこそがこの城の目的で、関ヶ原の合戦のあと、大坂城に残る豊臣家の殲滅作戦の一環として、ここに天下普請(つまり「指名された大名の現物出資」)の城を作った。

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ちょうど、京都と大阪と篠山の距離を見れば、ほぼ等距離。山の中で人口は少ない一方で平地であり、豊臣家に対する恐怖感を高めるために大急ぎで築城するには絶好のポジションであるわけだ。沖縄の米軍基地みたいなものだ。南沙諸島の人工島のようなものだ。そのため、建設時間のかかる天守閣は省略ということ。

といっても、防御は必要と言うことで石垣、外堀と城内に至る複雑な経路と櫓を中心に防御網は完璧で、思った通り藤堂高虎の縄張りだった。

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しかし、石垣を組むのに手間取り、結局、藤堂高虎本人と穴太衆(あのうぐみ・熊本城復旧でも話題になっている石垣業者)という滋賀県コンビが現場指揮して完成させている。

*余談だが、滋賀県(近江)グループとしては「甲良組(こうらぐみ)」という建築業者があり、江戸城の管理、整備を行っていた。おそらく築城で有名な藤堂高虎の背後には、この二つの業者がついていたのだろうと推測している。

しかし、古城址のままでは観光地にならないからだろうが、復元された大書院は、かなり立派で、とまどうばかりだ。

武者小路実篤が描く日本の春(羽田美術館)

2016-04-24 00:00:54 | 美術館・博物館・工芸品
武者小路実篤といえば志賀直哉をはじめとする「白樺派」の中心人物である。文壇における「白樺派」の評価は、○もあれば×もある。○の部分としては、「自己の個性を生かすことが存在価値である」ということで、その裏返しとしての「自分勝手で独善的で、結局つまらない」というのが×の部分。

その白樺派に近かったのが細川護立氏で、実篤氏に屏風絵などを発注していたようだ。思えば、白樺派の美術館構想もあり、ゴッホのひまわりシリーズの中でも人気が高かった一枚を購入し芦屋の自宅の壁に飾っていて連合国軍の空襲で焼失させたのも白樺派のパトロンだった人だ。

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武者小路実篤は、年齢が進むにつれ小説から絵画に移っていったようで、野菜の図などを描くことが多い。

ところが、羽田美術館の展示品を見ても、実篤氏の作品はあまりなく、細川家のお宝が多いような気がした。

ところで、実篤と署名がある色紙は、無数にあるはずで、確かこの前、旧家にあったのを捨ててしまったような気がする。次に行ったときに再確認したい。

熊本県出身ではなかった棋士

2016-04-23 00:00:18 | しょうぎ
熊本県出身の棋士を調べてみようと検索すると、WIKIPEDIAの熊本出身の有名人として、棋士として二代伊藤宗印となっていた。本人も五世名人だが、有名なのはその息子たちで、特に詰将棋界では高名な宗看、看寿の兄弟の父親である。

自身でも名人襲位の前に「将棋勇略」を献上。生前には刊行されなかった「将棋精妙」、別名「不成百番」を完成している。なぜ、没後刊行までにかなり長い期間がかかったのか、私の推測だが伊藤家の内部資料だったのではないだろうか。幕末に近づき伊藤家の財政難により刊行したのではないだろうか。

仮に、そういう仮説を立てると、宗看も看寿もそれを見ていたことになるし、伊藤家の秘伝となると宗看も看寿も生涯に百題しか作らなかったこともないだろうし、それらも伊藤家の秘伝になっていたのではないだろうか。と、推理してもそれ以上のことは思考停止だ。

ところで、伊藤宗印だが、将棋家に生まれたわけではなく、地方の英才だった。そして養子として伊藤家を継いでいる。しかし、WIKIPEDIAには、熊本県出身となっていながら肥前国唐津の出身となっている。これはおかしい。肥前は今の佐賀県だし、唐津も佐賀県の海岸だ。

一方、佐賀県出身の有名人には、そもそも棋士というカテゴリーがない。要するに存在感がない県なのだろう。佐賀駅を通るJRだって、JR長崎線と呼ばれている。

今、手元に日本将棋体系がないので、調べようがないが、WIKIPEDIAに書きこんだ人が、佐賀県の存在を知らなかったのだろう。福岡の次が熊本で鹿児島、そして沖縄。東側が大分と宮崎、横の方に長崎があって、とか覚えているのだろう。「佐賀県?あっ、朝鮮半島との間の島のこと・・」とかなのだろう。


さて、4月9日、出題作の解答。

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動く将棋盤はこちら


本日の出題。



根気よく考えることかな。

今度は、修正です。色々すみません。

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わかったと思われた方は、コメント欄に、最終手と総手数と酷評を記していただければ、正誤判断。

カップ麺を探す

2016-04-22 00:00:36 | あじ
被災地に援助物資を送る依頼があり、まず輸送方法を確保したのだが、頼まれた食品で困る。

「ポカ○ス○ェッ○」24本×10箱
「カップ○ー○ル」20個×5箱
「ど○べい」12個×5箱

この中で、カップ麺10箱が、見つからない。問屋に聞いても売ってくれないし、近くの総合スーパー、ドラッグストアなどに電話しても、見つからない。

ついに、買いだし隊を出動させる。そして入手したのだが、意外にもホームセンターにあった。

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過剰在庫を抑えるため、大手のサプライチェーンでは少量在庫で運用しているのだろう。そして在庫の多くは生産者側に近いところにあり、ジャストインタイムで各店に送られるのだろう。

そして、こういう状況では、向け先が被災地用に変わるのだろう。カップ麺が店頭になくなって食べられなくなっても、被災地じゃなければ困る人はいないだろう。

というのも、カップ麺というのは比較的賞味期限が短いので、長期保存しておくわけにはいかないからだろう。長期保存するためには、麺の水分を少なくしなければならず、一方でスカスカの麺では、湯で戻しても味や舌触りが今一なのだろう。

JR桃太郎線?

2016-04-21 00:00:40 | 市民A
先日、新幹線から岡山駅で在来線に乗り換えようとしていたら、車内放送の乗り換え案内で、聞きなれない路線名が聞こえてきた。宇野みなと線は○時○分○番乗り場で、桃太郎線は○時○分○番乗り場で・・・

宇野みなと線とは、たぶん宇野線のことだろうと推測がつく。元々瀬戸大橋の完成前は、宇野と高松間は客船だった。橋ができても宇野と高松の間に島があるのでフェリーはあったのだが、その航路がにわかに注目を浴びているのが、「直島」。アートの島で、ベネッセが安藤忠雄氏と組んで作った地中美術館を中心として観光客で賑わう。お土産には「うどんスナック」がエコノミックだ(話がそれた)。

宇野線が宇野みなと線に変わるのは小変化なのだろうが、桃太郎線とは大変化だ。桃太郎像は駅前にあるので、駅前から出ている市電をJRが買収したのだろうか。

後で調べると、JR吉備線が桃太郎線に呼称変更したようで、反対意見も多数あるようだ。

ここで再び話がそれるが、岡山駅は多数の線が乗り入れている。山陽本線、山陽新幹線、赤穂線、吉備線、宇野(みなと)線、瀬戸大橋線、伯備線、津山線。そして市内電車が2系統である。確か全国で一番多いのかな。ただし、駅長は一人だ。(駅長が多いのが横浜駅で、JR、東急、相鉄、横浜市営、みなとみらい、京急の六人)

その中で岡山から北西に向かって進むのが吉備線で、いわゆる吉備路を進み、伯備線と再び合流し、米子、出雲方面に。

確かに、桃太郎=吉備津彦と岡山では言われていて、出雲の勢力と大和朝廷軍が、そのあたりで古代に大戦争をおこなって大和朝廷の勝利に終わったといわれていて、その大和軍を率いていた陸軍大臣が吉備津彦=桃太郎と言われていて、猿、雉、犬というのは出雲軍から寝返った卑怯者たちということなのだろう。寝返りの報償は、団子のはずはなく、カネか土地か奴隷か。

しかし、それらはすべて仮定の話だ。吉備だんごだって、吉備ではなく植物の黍というのが通説だ。

一方、最近読んだ古い本の中には、日本の古代から伝わる話の中でも「桃太郎」というのは怪しい記載が多いそうで、特に出だしの「おじいさんは山に行って、おばあさんが川に行く」という部分は、子捨て風習を思い起こすということらしく、日本の古代には、「要らない男の子は山に捨て」「要らない女の子は川に捨て」ていたということらしい。

そうなると、桃太郎の話は、『(男の子が欲しかったのに)女の子が生まれたので、川に捨てに行ったら、山に捨てられた男の子が運よく流されてきたので、拾ってきて育てた』というような戦慄的な話になる。

ところで、吉備線が桃太郎線なら、御殿場線は金太郎線になるのだろうか。米子=境港間は、境線から鬼太郎線に?

原色の街・驟雨(吉行淳之介)

2016-04-20 00:00:24 | 書評
先日、岡山市にある吉備路文学館に行った時に、吉行淳之介のことが色々と書かれていて、いわば昭和の作家の典型みたいだなと思い、かつて読んだことがある2冊を買い置きしていて、古い方から読んでみた。5作の短編集。

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『原色の街』、『驟雨』。いわば娼婦小説。この分野の先輩であるのが永井荷風だが、荷風の場合、娼婦街という社会の中に沈んだ客や娼婦、町並みや人間像を描くことによって、何かもっと大きな世界を描こうとするのに対し、吉行はあくまでも娼婦を描き、客を描く。その人間の内面に切り込んでいく。

一方で、緻密な描写や小説の中に使われる比喩は鋭く的確であり、よほど執筆のための実地取材につぎこんだのだろうと思われるが、本人は別のところで、「ほとんど色街には行っていない」と書いている(信じるべきかどうか)。

この2作を合わせて芥川賞を受賞したというべきだろうが、行為についての描写は、まるでない。

『薔薇販売人』。二作を書くための準備的な感じがある。ちょっと小説の練習をしているような感じもある。

『夏の休暇』。なかなか変わった小説だ。父親と男の子が1週間ほど東京を離れ、静岡の方に旅行にいくと、父親と仲のいい若い女性が登場する。そのシチュエーションについて、結局、明かされることはない。書かれている部分だけでは、小説としては成り立っていないと言ってもいいのだが、不思議に納得できる。

「漂う部屋」。吉行は結核で入院することになるのだが、入院中に院内でおきる人間模様について書く。こういう小説を読むのは初めてのような気がするのだが、よく考えるとこの本を読んだことはあるはずだ(記憶が遠い)、

『驟雨』でもそうだが、他人の気持ちを探って、紙の上に再構築するのが吉行は長けている。長い病気で入院したら、そうやって院内の人間関係をブログに書けばいいのだろう。

「辺野古だけはあり得ない」という説

2016-04-19 00:00:22 | 市民A
地震関連の話で恐縮だが、中央構造線の活断層の話ではない。というか、茨城から関東北部、長野から伊勢湾に抜け、和歌山から四国を横断して大分県のどこかから熊本県のどこかにつながる中央構造線について、九州地区では火山灰に覆われて、どこを通っているのか特定されていないらしい。つまり、この後、東方面にバリバリ割れていくと、かなり多くの人が痛い思いをするわけだ。そんな場所にも原発がいくつかあるが、もっといい場所はなかったのだろうか。

そして、もっと短期間に繰り返し発生しているのが南海トラフなどのプレートのひずみの解消による地震。これは本州、四国の南部沖だけでなく、九州東部沖から沖縄沖までつながっている。M9.0クラスの巨大地震で津波付きだ。

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そして、突然、米軍の辺野古への移転計画だが、日本総研主席研究員の藻谷氏によれば、「辺野古しかない」のではなく「辺野古だけはあり得ない」のだそうだ。(THE21:4月号)

東日本大震災では自衛隊の松島基地で津波に襲われ戦闘機が大量に流されたのだが、沖縄の東海岸の海上は南海トラフにつながる琉球海溝の正面。地震があれば必ず津波が来る。滑走路は、西海岸か丘の上に作る必要があるとのこと。

同じ沖縄でも石垣島では1771年の八重山地震に伴う明和の大津波は、最大85.4Mもあったという。


氏の論は、その後、東日本大震災で無傷だった女川原発と福島第一の差に及び、驚くべき記載がある。福島第一の建設予定地は、もともと30Mの高台にあったのだが、わざわざ地盤を削って10Mまで掘り下げたということだそうだ。なぜだろう?

こういうのは、理由を知っている人が口を開かないので、困るのだよね。

熊本城崩壊?

2016-04-18 00:00:37 | 市民A
地震被害によって、天守閣の瓦が落ち、石垣が崩れ、築城後400年の間、そのままだった多くの櫓が壊滅した。

人命被害が多数発生し、多くの住宅が倒壊した状況で、再建計画を考えるのは、いささか違うのだろう。ただ、天守閣は鉄筋コンクリートの復元天守であるので、修復はそれほど時間がかかることはないだろう。

また、堀の石垣や櫓は、やや弱そうな構造と見受けられ、復元の方式の決定も含め、かなりの時間がかかるが、じっくり考えた方がいい。現存12天守の一つである福井の丸岡城は、福井地震で倒壊した後、くずれた材木をなるべく多く使用し、使用困難なものは新材を使っている。

築城した加藤清正だが、城作りの名人で藤堂高虎と人気を二分している。代表作は名古屋城と熊本城。天守閣の特徴は武者返しといわれる石垣の傾斜。一説には朝鮮半島で戦った時に、朝鮮の石垣をコピーしたとも言われる。また一説では地盤が悪いことを知っていて、底面積を確保するための苦心とも言われる。


今回、調べながら気付いたのだが熊本城はKOREAと奇妙に関係があるようだ。

まず、前述の加藤清正の石垣だが、朝鮮半島で見てきたものなのだろう。そして近世の城郭が実際に戦闘用に用いられた例はきわめて少ないのだが、その一つが熊本城。征韓論を主張し、野に下った西郷隆盛が西南の役で、この地で大暴れしたが、城を落とすことができず、再び鹿児島県に追いもどされる。

ある意味、西郷隆盛にとどめを刺した城ということができる。朝鮮半島を蹂躙した清正に、征韓論者の西郷が負けたということになるのだろう。

江戸時代の大半は細川家が統治していたが、江戸幕府は開府以来、徳川政権の次は島津政権と想定していて、島津が江戸に進撃することを想定し、途中に大城を配置していた。

ミュオグラフィ‐21世紀の透視図法

2016-04-17 00:00:02 | 美術館・博物館・工芸品
東京大学の博物館の一部にあたるインターメディアテク。東京駅前のKITTEビルの2階と3階にある。

現在、日本とイタリアの協賛でミュオグラフィ関係の展示を行っている。

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このミュオグラフィ技術だが、21世紀の透視図法と呼ばれている。透視と言えばX線が相場で、人間の体の悪いところを探したり、金属のひび割れを探したりしている。またソナーとか電磁波などを使って色々なものの内部を探るというのは特に医学の世界ではおなじみだ。

といって、実際には直接目で見るのに勝るわけでもなく、胃の健診だって、バリウム方式と胃カメラ方式がある。

一方、X線は便利ではあるが、大きすぎるものには使えない。たとえば火山の内部のどこにマグマが溜まっているかとかだ。あるいはピラミッドのような巨大構造物のどこに秘密の通路や小部屋が隠されているかとか。X線でも音波探知機系でも歯が立たない。

そこに登場したのが「ミュオグラフィ」。ルーツは昨年のノーベル賞の梶田教授の研究の様に、素粒子(ミューオン)の利用。もちろん裏側にはスーパーコンピューターのような高速な計算能力が必要だろう。素粒子の速度変化とか方向の乱れとかの情報をつかんで内部の構造を明らかにしようということらしい。

イタリアと日本という妙な組み合わせのカギは『火山』ということで、火山の中のマグマの位置を知るのには有効ということらしい。

その前はピラミッドの内部の解析を調べたらしいが、こちらはうまくいかなかったようだ。呪いが掛けられているからだろう。そして火山国日本には、もう一つこのミュオグラフィを利用したい目的がある。崩壊した原子炉内部の構造調査だ。

ということで、X線がその必要に応じて急速に普及したのと同様、ミュオグラフィも急速に進化していく予感がある。極端にいえば地球の内部構造だってわかるだろうし、鉱山や油田の埋蔵量なんかも正確にわかるのだろう。

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本展示のロゴの一番上の部分は、火山の解析結果らしい。不可間近の火山だ。富士山に似ているが、イタリアにある山らしい。

なんとなく、頭の中に怒りがこみあげてきた図のようにも見える。

ところで、KITTEビルだが、東京のビル家賃の基準値になっているそうだ。入場料は無料なので、この上なく損益は赤字だろう。心配になる。

妻を失い、七冠を得る

2016-04-16 00:00:24 | しょうぎ
同じ日に生まれ、同じ日に結婚し、昨年末の同じ日に離婚した妻(室田将棋二段)のいた井山囲碁六冠が七冠を得ることになった。

結婚した時には、生まれた日(1989年5月24日)が同一であることが海外で報道されていたのだが、1年に2回はあるはずの誕生会が年1回しか開けないので、さびしいのではないかと思っていたが、やはりすれ違い生活で誕生パーティが1回も開けないということが理由のようだ。

といっても、七冠の年収は1億を超えるのだから、妻が我慢できなかったのは他にも理由があるのかもしれない。また、結婚後、夫の成績は上がり、妻の成績が下がったように思うのだが、深い詮索はやめよう。


さて、4月2日の出題作の解答。

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せまいところで、駒を動かす。電話ボックスの中で着替える要領だ。

動く将棋盤は、こちら


今週の問題。

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できた時(約1年前)にはいい感触だったが、今見ると、並べ詰みのようにも感じる。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数と酷評を記していただければ、正誤判断。