既に終わってしまったが、国立公文書館で、江戸幕府の中核的な土台となっていた、「旗本御家人-江戸を彩った異才たち-」の特集があり、のぞいてみた。
旗本は将軍にお目見えできる身分であり、御家人はそれ以下。とはいえ、地方大名に仕える田舎侍は、ただの「家来」と呼ばれる。家来は文字通り、家に来るわけだから、単に使用人みたいな意味だ。
それに対して、御家人は、「家の人」であり、さらに「御」がつくのだから、プライドの塊である。まさに、国家公務員。旗本がキャリアで御家人がノンキャリといったところだろうか。そして、その数は二万人強といわれる。
ところが、二万人も国家公務員がいても、それだけ重要な職がない。職探しや、要職へのステップアップを狙って、さまざまな画策がめぐらされていたらしい。そういうものは公式記録にはないのだが、役人個人の日記などを解析して研究すると、幕府の裏側が見えるようである。
もちろん、この展覧会の主要テーマは、旗本・御家人の中でも秀でた功績を上げた者たちの特集なのだが、むしろ、幕府の裏側で暗闘する役人たちの日々を想像するほうが楽しかったのだ(現代にも通じるし)。
1. 奥右筆(おくゆうひつ)
要するに、記録係というか書記というか、数多くの陳情書や報告書を、とりまとめてレポートにして、重要な案件を幕府の上層部に報告する係だが、エリート役人の仕事ではなかった。
しかし、この奥右筆の気分一つで、案件が上層部に届くか届かないか決められてしまう。箱が二つあって、将軍向けの書類箱に入らないものは、別の箱に放り込まれてしまい、「ボツ」となる。この箱を称して「地獄箱」と言っていたそうだ。
そのため、次々に山のような「付届(つけとどけ=わいろ)」があったそうだ。
2. 老衰場(ろうすいば)
いわゆる閑職のことを老衰場と読んでいたそうだ。ほとんど仕事がないが格式が高いお役目で、それなりの実績がある人物の最後のお勤め用である。有名なのが、「御旗奉行」と「御槍奉行」。江戸城の武器保管庫にある、武器や軍旗の管理をする仕事である。戦争なんてしないのだから、どうでもいいような役だが、一応、「奉行格」である。たとえば、「勘定奉行」となると、配下には数多くの組織があり、全国の金山、銀山の管理から始まり、歳入のすべてと歳出のすべてを取り仕切るのだから超重要役職である。それにくらべて、同じ奉行でも、御旗奉行と御槍奉行には下部組織ゼロ。槍や旗の数を毎日数えても変わるわけがない。
3. ミミズの調達も
江戸城内の大奥、中奥では、城内で捕獲した動物、主にネズミと猫とヘビの処分や、飼育している小鳥や鯉の餌の調達まで役人の仕事だった。奥坊主小道具役。
記録(言贈帳)によれば、動物は殺さずに所定の場所に放すことになっていて、野良猫は佃島、そしてネズミは回向院に放したそうである。鼠小僧の墓があるからだろうか。猫は佃島へ船で護送したのだろうか。またヘビはどこへどのように放したのだろうか。次々に疑問が湧き上がってくるが、詳しく聞こうにも数百年前の話だ。
そして、餌の調達。中蚯蚓100筋(中型のミミズ×100匹)と茶碗一杯の生きたボウフラを一日二回集めなければならないとか書き残されている。ミミズのサイズまで決まっているので、大ミミズをはさみで3つに切って3匹に仕立てるわけにはいかない。かなり困難な仕事のように思える。
ところで、江戸時代にはミミズは「匹」ではなく「筋」と勘定していたようだ。俗に言う「ミミズ千匹」も、「ミミズ千筋」という方が、もっと気持ちがよさそうである。
旗本は将軍にお目見えできる身分であり、御家人はそれ以下。とはいえ、地方大名に仕える田舎侍は、ただの「家来」と呼ばれる。家来は文字通り、家に来るわけだから、単に使用人みたいな意味だ。
それに対して、御家人は、「家の人」であり、さらに「御」がつくのだから、プライドの塊である。まさに、国家公務員。旗本がキャリアで御家人がノンキャリといったところだろうか。そして、その数は二万人強といわれる。
ところが、二万人も国家公務員がいても、それだけ重要な職がない。職探しや、要職へのステップアップを狙って、さまざまな画策がめぐらされていたらしい。そういうものは公式記録にはないのだが、役人個人の日記などを解析して研究すると、幕府の裏側が見えるようである。
もちろん、この展覧会の主要テーマは、旗本・御家人の中でも秀でた功績を上げた者たちの特集なのだが、むしろ、幕府の裏側で暗闘する役人たちの日々を想像するほうが楽しかったのだ(現代にも通じるし)。
1. 奥右筆(おくゆうひつ)
要するに、記録係というか書記というか、数多くの陳情書や報告書を、とりまとめてレポートにして、重要な案件を幕府の上層部に報告する係だが、エリート役人の仕事ではなかった。
しかし、この奥右筆の気分一つで、案件が上層部に届くか届かないか決められてしまう。箱が二つあって、将軍向けの書類箱に入らないものは、別の箱に放り込まれてしまい、「ボツ」となる。この箱を称して「地獄箱」と言っていたそうだ。
そのため、次々に山のような「付届(つけとどけ=わいろ)」があったそうだ。
2. 老衰場(ろうすいば)
いわゆる閑職のことを老衰場と読んでいたそうだ。ほとんど仕事がないが格式が高いお役目で、それなりの実績がある人物の最後のお勤め用である。有名なのが、「御旗奉行」と「御槍奉行」。江戸城の武器保管庫にある、武器や軍旗の管理をする仕事である。戦争なんてしないのだから、どうでもいいような役だが、一応、「奉行格」である。たとえば、「勘定奉行」となると、配下には数多くの組織があり、全国の金山、銀山の管理から始まり、歳入のすべてと歳出のすべてを取り仕切るのだから超重要役職である。それにくらべて、同じ奉行でも、御旗奉行と御槍奉行には下部組織ゼロ。槍や旗の数を毎日数えても変わるわけがない。
3. ミミズの調達も
江戸城内の大奥、中奥では、城内で捕獲した動物、主にネズミと猫とヘビの処分や、飼育している小鳥や鯉の餌の調達まで役人の仕事だった。奥坊主小道具役。
記録(言贈帳)によれば、動物は殺さずに所定の場所に放すことになっていて、野良猫は佃島、そしてネズミは回向院に放したそうである。鼠小僧の墓があるからだろうか。猫は佃島へ船で護送したのだろうか。またヘビはどこへどのように放したのだろうか。次々に疑問が湧き上がってくるが、詳しく聞こうにも数百年前の話だ。
そして、餌の調達。中蚯蚓100筋(中型のミミズ×100匹)と茶碗一杯の生きたボウフラを一日二回集めなければならないとか書き残されている。ミミズのサイズまで決まっているので、大ミミズをはさみで3つに切って3匹に仕立てるわけにはいかない。かなり困難な仕事のように思える。
ところで、江戸時代にはミミズは「匹」ではなく「筋」と勘定していたようだ。俗に言う「ミミズ千匹」も、「ミミズ千筋」という方が、もっと気持ちがよさそうである。