渡辺竜王就位式

2009-01-31 00:00:42 | しょうぎ
今週、都内のホテルで開かれた渡辺竜王の就位パーティに招待された(というより無理やり?)。



今回の竜王戦七番勝負は、挑戦者の羽生名人の3連勝の後、渡辺竜王が4連勝して逆転防衛。●●●○○○○は、将棋界では始めてということ。

しかも、連続5期(5年)の竜王ということで、「永世竜王の称号を手にした」ということになっている。しかし、永世竜王の称号を名乗るのは、引退後ということになるそうだが、まだ20代の渡辺明竜王が引退するときに、「竜王戦」が存在すると考えるのは、やや現実的ではないのではないかとも思える。それなら、すぐに引退してしまえばいいのだろうが、うっかり1年以内に引退すると、5期目を全うしていないということになり、権利喪失。もう一つの可能性は、1年以内に竜王戦がなくなってしまうこと。この場合も5期目を全うしていないことになる。

どうして、めでたいお祝いの席でそんな不吉なことを考えたかと言うと、気のせいかもしれないが、パーティでのスピーチの多くに、主催者の読売新聞へ対しての、「永続的開催を希望」というような陳情メッセージのように聞こえる部分があったこと。

将棋連盟の米長会長も、渡辺竜王も、そして来賓の梅田望夫氏も、「ずっと続いてほしいなあ」という意味のことを揃って口にしていたし、読売代表の滝鼻社長は、「いつまでも続けていきたい」とはしゃべらなかったような気がする。

先日、王座戦の就位式に行った時は、日経の社長が「羽生さんが王座でいる限り、私も社長を続けられるような気がする」という主旨のジョークを言われていたのとは、少しニュアンスが異なるような気がした。

後日、耳にしたのだが、将棋連盟は、この就位式と同日、渡邊恒雄読売グループ会長に、アマ八段免状を贈与したそうだ。それも現状維持対策の一環だろうが、どうせなら、読売になじみのある「十段」にすればよかったのではないだろうか。あるいは自社文化部の記者より上の段でなければならないということだったのだろうか。


渡辺竜王のスピーチでは、「最初の3戦は調子悪かったが、その後、調子が上がって連勝できた」。いう意味のことを淡々と語り、いたってあっさり。



梅田望夫氏は、今回の竜王戦のサイトに対して、世界中から7600万ものアクセスがあったことについて、「ネットの時代とはいえ世界に例がないほどのイベントだった」、というようなことと、渡辺明竜王が自分のブログの中で、対局後直ちに勝因・敗因などを公開することを褒め称えすぎたことに気付いて、壇上の主催者席の滝鼻社長に「今後も渡辺竜王のことを応援してもらえると信じています」ということにしてしまった。

もちろん、梅田氏のスピーチ中、滝鼻社長の顔はこわばったままだったように思えたのだが、新聞経営もうまくいかないものだ。それでも、あらかじめ決められた優勝賞金3200万円に加え、5期連続のお祝金が上乗せとなったそうであるが、上乗額については明らかにならなかった。

想像するに、上乗せの趣旨が「勤続5年表彰」なのか、「退職功労金」なのかということの違いではないだろうか。会社員などでは、勤続5年表彰なんか金一封5万円くらいだろうし、定年退職なら、在籍年数×月給くらいかな。(中央官庁からの天下りならノンキャリさんでも、在籍年数×1000万円強だったように覚えている。公務員の天下りの「わたり」が問題化しているが、わたろうが一箇所に長くいようが、どちらでも退職金の総額には差がないと思う)

だから、上乗せお祝金が、少額だった場合は勤続表彰ということで、竜王戦もずっと続くだろうし、思わぬ高額だった場合は、竜王戦の会社都合退職金みたいなものだろうか。

乾杯の挨拶は、最終第七戦の舞台となった、山形県天童市の「滝の湯」の女将。最初から七戦目があるとは思っていなかったそうで、「宿の宣伝」のつもりで引き受けたものの、実際に七戦まで行われることになって、天童中がひっくり返ったそうだ。

多くの人は、0勝3敗になった時に、「第7戦はないだろう」と思ったはずだが、この女将は最初から七戦目がないだろうと思っていたそうだ。どちらが勝つと思っていたのだろうか。日頃の宿泊予約も「どうせ来ない客がいるだろう」と重複受注していることだろう。

先日の日経の王座戦パーティの時は、あっという間に食事がなくなってしまったが、さすが世界最大部数の新聞社である。会場に設置された寿司の出店には、次々に新鮮なマグロが補充され続けたのである(会場のホテルが建て直しのため、まもなく休業に入るから?)。

会場には、大勢の男性棋士にまじり、石橋女流王位の姿も見られ、地味っぽいネクタイの男性と、何かを話しているようだった。





さて、1月17日出題詰将棋の解答。

▲1六馬 △同玉 ▲3四角(途中図) △2七玉 ▲3八金 △3六玉 ▲3七金 △3五玉 ▲3六金 △3四玉 ▲3五金 △3三玉 ▲3四金 △3二玉 ▲3三金 △3一玉 ▲3二金まで17手詰

4手目で△1五玉は▲2四銀不成 △同玉 ▲2五金以下15手で詰む。この変化の場合、玉方の4一歩は4二歩に配置した方がよさそうである。

初手に馬を捨てて生角に置き換えるのが、常識的には考えにくい手。題意に気付けば簡単だが、目が慣れるまで、最初はとまどったかもしれない。

動く将棋盤はこちら



今週の問題は、以前、同じような図を公開したように思えるが、少し改造。「軽薄(軽快)な手筋か重厚な手筋か」。

わかった、と思われた方はコメント欄に、最終手と手数と酷評をいただければ、正誤判断。

ジョン・アップダイク、ペンを置く

2009-01-30 00:00:35 | 書評
米作家アップダイク氏死去「走れウサギ」著者(CNN)
戦後の米文学界を代表する作家の1人、ジョン・アップダイク氏が1月27日午前、肺がんで死去した。76歳だった。関係者が明らかにした。

ペンシルベニア州出身。早くから文学方面の才能を発揮し、奨学金を受けてハーバード大学に進学した。卒業後は1年間、英オックスフォード大学に奨学研究者(フェローシップ)として留学。23歳には米誌ニューヨーカーから執筆を依頼され、半世紀にわたって同誌に寄稿した。

59年に「プアハウス・フェア」で小説家デビューし、60年には平凡な男ハリー・アングストロームの生活を通じて世相を描いた「走れウサギ」を発表。「ウサギ」シリーズは90年代まで合計4作執筆され、後半2作「金持になったウサギ」、「さようならウサギ」はピュリツァー賞を受賞した。

その他の代表作にアフリカを舞台にした「クーデタ」、シェークスピアの「ハムレット」が下敷きになっている「ガートルードとクローディアス」、ジャック・ニコルソン主演で映画化された「イーストウィックの魔女たち」がある。今年出版予定の短編集「My Father's Tears and Other Stories」が遺作となった。




代表作を列記してみた。

 『プアハウス・フェア』The Poorhouse Fair 1959年
 『同じ一つのドア』The Same Door 1959年
 『走れウサギ』Rabbit, Run 1960年
 『鳩の羽根』Pigeon Feathers and Other Stories 1962年
 『ケンタウロス』The Centaur 1963年
 『農場』Of the Farm 1965年
 『一人称単数』Assorted prose 1965年
 『ミュージック・スクール』The Music School 1966年
 『カップルズ』The Couples 1968年
 『ベック氏の奇妙な旅と女性遍歴』Bech 1970年
 『帰ってきたウサギ』Rabbit Redux 1972年
 『日曜日だけの一カ月』A Month of Sundays 1975年
 『結婚しよう』Marry Me 1976年
 『クーデタ』The Coup 1978年
 『メイプル夫妻の物語』Too Far to Go 1979年
 『金持になったウサギ』Rabbit is Rich 1981年
 『イーストウィックの魔女たち』he witches of Eastwick 1984年
 『美しき夫たち』Trust Me 1987年
 『さようならウサギ』Rabbit at Rest 1990年
 『ブラジル』Brazil 1994年
 『ゴルフ・ドリーム』Golf Dreams 1996年
 『ガートルードとクローディアス』Gertrude and Claudius 2000年
 『テロリスト』Terrorist 2006年



以前、アップダイクの作品をずいぶん読んでいた。列記した作品のうち、『帰ってきたウサギ』まで読んだのだが、そこまで。書棚を探したら4冊残っていた。ウサギシリーズが有名だが、個人的には『ケンタウロス』が圧倒的に好みである。

大別すると、「ウサギ」シリーズや『カップルズ』のような純然と米国国内的な作品群と、『ケンタウロス』のように米国にこだわらず人間の普遍性を描いた作品群に別れるように思える。米国国内向け作品が多かったことがノーベル賞をとれなかった理由だろうか。


また、アップダイクは、雑誌「ザ・ニューヨーカー」を発表の場にしていたことも有名であり、1954年に詩作で登場。最後の出稿は、昨2008年5月に『The Full Glass』という小説を発表しているそうだ。独特の、都会的な比喩を多用した修辞法がニューヨーカーの著者たちの特徴だが、彼の死で、世代替わりなのだろうか。



ざっと俯瞰した限り、どこにも書かれていないが、彼は花粉症が持病だった。そのため(そのおかげで)、徴兵制度下の時代、ベトナムに送られることを免れていたそうだ。暗闇の密林でのゲリラ戦で、くしゃみがとまらなくなったら、所属部隊ごと全滅してしまうからだろう。

本の処分

2009-01-29 00:00:25 | 書評
愛読ブログの「余丁町散人の隠居小屋」に「くだらない本をどんどん『燃えるゴミ』として出すと、すっきりする」とあった。

くだらないかどうかは別にして、同じようなことを始めている。以前から何度も大量処分をしていて、基本パターンは、古書店に運び込んで、換金できずに残った本は、公共図書館に寄付(ぜんぜん嬉しそうな顔はしてくれないが)ということだったが、まあ、そういう時代じゃなくなっているようだ。

余丁町散人さんは、残す本の例として、「辞書などリファレンス関係」、「全集もの」、「古典」、「翻訳もの」、「岩波文庫や新潮文庫」を挙げられている。

まあ、「特定の趣味の本」なども残しておきたい。悩ましいのは、押売りされた高価な本。例えば、出身学校の有名OB一覧とか元の上司が書いたサイン本とか。

そして、そんなに熱意をもって一挙に処分しようとも思ってないので、とりあえず毎月10冊から15冊程度、本棚のはじから整理している。一応基準はあるが、散人のような高尚な基準ではない。Amazonの古本で、100円以下は捨てる、ということ。

そして、気がついたのは、「文庫」はたいがいが1円なのだが、「古い新書」は思わず高価になっていることがわかる。「1000円」とか「3000円」とか。30年前の本で、東京の将来とか、日本の農業の未来像の本が3000円もしたりする。現実の世界がまったく違う姿になっているからだろうか。科学技術の本で、将来(つまり今ごろ)、アラスカとシベリアの間(べーリング海峡)は埋め立てられていて、北極の冷たい水は太平洋には流れず、大西洋に流れることになり、太平洋側は温暖になるだろうと、予言されていたり(大西洋沿岸が北極になる)。


しかし、本当は要らない本が、3000円となると、換金したくなる。どういう方法が一番いいのか、考えてみる。あまり思い浮かばないのだが。オークションで売却できるとも思えないし・・

そして、捨てる前に、毎月何冊かは、再度読んでみることにしている。まあ、2度読んで面白い本は、3度目も面白いだろうから、残しておいてもいいかな、とか思うし。今後、「二度目に読んだら面白かった本」というカテゴリーができそうだ。



ところで、散人は、本を捨てる動機として、「オヤジはこんな本を読んでいたのだと子供に思われては、とても恥ずかしい」ことを挙げられているが、見られたら恥ずかしい本をお持ちなのだろうか。一般に『秘本』という分類だろうか(”ひほん”で漢字変換すると「日本」になる)。


実は、私が、書棚に隙間を作っている理由は、まったく異なっている。最近、岩波から復刊されつつある「ギリシア悲劇全集」「ギリシア喜劇全集」をダアーッと棚に並べたいからなのであるが、それと、最初の方で書いた、古い新書が3000円というのが財源になれば、なお、嬉しいのである。

瀬戸内少年野球団を観る

2009-01-28 00:00:13 | 映画・演劇・Video
近く、瀬戸内海方面に出向くこともあり、名作映画「瀬戸内少年野球団」を観る。



いわずと知れた夏目雅子主演作。終戦直後の日本の田舎の混乱と、そこから日本が再生していった道を原作者阿久悠の自伝的小説を篠田正弘が監督。淡路島が舞台。1984年公開。25年前になる。


夏目雅子は学校教師役だが、地元の大網元に嫁いでいる。夫を演じるのが郷ひろみ。戦死したと言うことになっていて、できの悪い弟役を渡辺謙が演じ、実家を乗っ取るついでに、兄嫁の乗っ取りも企て、文字通り、半ば成功。ところが、死んだはずの兄が、片足になって復員。

その後、夏目雅子は教え子たちの脳みそがアメリカナイズされるのは不可避的であることを察知し、将来、大阪などに行ってヤクザ化しないように「少年野球団」を作る。夫の郷ひろみは甲子園に出場経験があるそうだ。

一方、戦艦長門の提督(艦長)を伊丹十三が演じる。提督は、自分がB級戦犯になるだろうことを予測し、愛娘(佐倉しおり)と島の生活で人生の最後の時間を過ごす。

郷ひろみは、沿岸漁業の衰退を予感し、花作りを手がけることになる。

そして、島には米軍が上陸し、島の軍事施設を破壊し、そして、提督は戦犯指定され、洞窟に隠れたりせず、巣鴨に出頭。

提督の愛娘も加わった少年野球チームは、練習を重ねに重ね、ついに米軍チームと試合をすることになるのだが、試合直前に、提督が処刑された知らせが島に届く。


まあ、そういうことである。



後で思えば、「どこの誰から届いたかわからない9人分のユニフォーム」とか「誰が跡継ぎになったかわからない大網元」とか気になることはあるのだが、非常によくできた映画である。今年公開といわれても何の不自然もないだろう。


少年少女たちは、日本が困窮に追い詰められた時代となんとか折り合いをつけ、そして別れの時を迎える。夏目雅子は、別れの言葉は、二度と会えないグッドバイではなく、「では、また」を意味するソーロングが正しいと教えるが、それを聞いて、思い切り胸が詰まってしまった。


25年経ち、原作者の阿久悠も、主演の夏目雅子も、助演の一人である伊丹十三も今はいない。少女佐倉しおりは引退し、専業主婦。大俳優になった渡辺謙にとっては、出演しなかったことにしたいだろうし、戦場から片足で復員し、野球監督の妻を手伝った郷ひろみは、長髪パーマで出演したことを悔やんでいるのかもしれない。監督篠田正浩も引退したのかもしれない。

So long.

日本のトップの「Change」

2009-01-27 00:00:04 | 市民A
オバマ大統領は、大統領になると、あまり「Change」と言わなくなったようだが、日本のトップは、自ら、ライフスタイルをチェンジしたようだ。スポーツ報知より。

麻生首相もチェンジ!バー封印

麻生太郎首相のナイトライフが「チェンジ」した。都内の私邸から永田町の首相公邸に引っ越して1月26日で丸1週間。首相就任以来、連日連夜のバー通いが何かと揶揄(やゆ)されてきたが、引っ越ししてからは一度も足を運んでいない。「公邸内で息抜きができており満足している」(首相周辺)様子だと言うのだが…。


麻生首相がバー通いを封印した。首相は19日に渋谷・神山町の私邸から永田町の公邸へ千賀子夫人、東大3年生の長女とともに引っ越し。普段は同じ敷地内にある官邸へ徒歩で通勤している。この「職住」接近で麻生さんのナイトライフが一変した。

新聞各紙が伝える「首相動静」には、公邸引っ越し後の首相が大好きだったホテルのバーに行った形跡はない。最後に行ったのは、引っ越し3日前の16日。東京・内幸町の帝国ホテル内にある会員制バー「ゴールデンライオン」だ。

19日以後、党幹部など関係者と3度外食をしているが、会食を終えると寄り道はせずまっすぐ帰宅。以前は「午前様」も珍しくなかった帰宅時間も大幅に繰り上がり、午後10時前までには必ず公邸に帰っている。

「ホテルのバーは安全で、安いという意識がある」と野党やメディアからの批判に反論していた麻生首相。この言い分には一理あるのだが、その頻繁に過ぎる来店回数が、目を引いてしまった。ホテルのバーに限ると、昨年9月の首相就任以降、10月は11回、11月は10回、12月には10回と3日に1回のペース。特に12月は「ゴールデンライオン」に7回足を運び、大のごひいきにしていた。

・・・・・・

この変わりざまを側近中の側近で、バー同席率NO1とも言われるM官房副長官は「別に批判を意識したわけではないです。実は公邸でもブランデーや葉巻を楽しんでいる」と明かし、「首相も『チェンジ』したということでは」と話している。2009年01月26日08時15分


古くは、大の遊び人だった徳川慶喜は、将軍になったものの、幕府を取り巻く困難な状況のため、自由に遊ぶ暇もなく、また、大奥にも入れてもらえず、水戸家の江戸屋敷から寝具一式を江戸城の執務室へ運び入れなければならなった。結局、大政奉還して、政権を投げ出して、はじめて寛ぎの時間を手に入れた。麻生氏は先例に従うことにしたのだろうか。

ところで、明治維新の時も、政権抗争の中で、負けた幕府側からも、何名かは新政府に参加している。最も大胆に転進したのは榎本武揚。ただし、榎本は寝返ったのではなく、最後まで抵抗したのだから、途中で寝返ったわけではない。

民主党対自民党という対決の中で、総選挙の前に新勢力が誕生するのか、あるいは総選挙後になるのか。なかなか読みにくい状況になっている。

ただし、総選挙で落選してしまえば、勝組に乗ろうとしても相手にしてもらえないのは間違いない。比例名簿の順位が何番目になるのか、それが明らかになった時が新党結成の時期になるのだろう。(順位が上の人が抜ければ、下の方は繰り上がるという現象もあるが。)つまり、落選確実な政治家は、選挙前に寝返りしそうだ。一方、当選するだろうが自民党が政権を失った場合、大損害を受けそうな中堅議員は選挙後の寝返りを頭に入れているだろう。(とは言え、当選確実と信じているのは自分だけだったりする。)



さらに、ついていくべき新党のトップが誰なのかも見にくいし、新党トップの裏側に別の人間がいて、院政だったりする可能性もある。

300議席の多くは、前前前首相の時のもの。最近、次々に前前前首相の代弁者が批判行為を始めたようだが、ある場所(自衛隊)で、偶然、現首相が前前前首相と出くわした時の驚愕の顔は一体、何だったのだろう。

ビックリし過ぎだ。もしかすると、現首相の作る数々の奇妙な表現は、愛読マンガから借用しているのではないだろうか。例えば、「天才バカボンの父」とか。



ところで、最近、ホテルのバーで食事をすることになり、「牛丼」を注文。吉野家の10倍よりは価格は安く、10倍程度満足した。しかし、ホテルでちょっと耳を傾けると、そこに集まる人たちが、ずいぶんダーティーなことを話していることがわかる。たぶん、小室詐欺事件も、こういう場所で行われたのだろう。補聴器を買ってから行くと、ずいぶん楽しい時間を過ごせるのかもしれない

接待激減のわけ

2009-01-26 00:00:41 | 企業抗争
ごく最近、世間から接待が激減しているようだ。

忘年会、新年会などの定番ものだけではなく、銀座のクラブや、接待用の豪華ゴルフ場など。

「不景気だから、当然だよ」という簡単な話ではないようだ。

実感としてわかるのだが、「接待されたくない」のである。

それも聖人ぶった論理で、そう言っているのではなく、もっと現実的な話。

つまり、「接待される→無理なお願いをされる、あるいは手厳しい通告を受ける」という状態なので、うかうかと宴会場に向かうわけにはいかないわけだ。

松坂牛のすき焼きを食べながら、「あの・・・、今まで長いお取引だったのですが、このたび、・・・」

とか、

ゴルフ場の1番ホールで、「今月分の原料代の支払ですが、なんとか5ヶ月ほど先にジャンプできないものでしょうか」

とか、言われる機会を与えたくないわけだ。

で、1日中顔を合わせているゴルフは、最も危ないし、酒の入った宴会は口が滑りそうで危険だし、二軒目で銀座に繰り出し、綺麗どころのお姉さまと飲めや歌えやもかなり危ない。せいぜい単価1500円のビジネスランチでアルコール抜きで、会場に10分遅れで到着し、30分ほどして、肝心な話が切り出されそうな気配を察すると、「1時から緊急会議なので・・・」とかごまかして逃げ出してしまう。

こんな状態で、どうすればいいか。

一人で遊べばいいわけだ。ゴルフ場では、キャディさんを独り占め、銀座のクラブでは前後左右上下に美女をはべらせればいい。ランチでは中ジョッキを重ねて、一人ですき焼き鍋を囲む。いや、一人では囲めない・・

「珠玉の輿」~江戸の乗物~

2009-01-25 00:00:42 | 美術館・博物館・工芸品
少し前に、愛読者bunさんから、江戸東京博物館で開催中の「珠玉の輿(たまのこし)」展(~2月1日)に行って、サマリーを報告するように言われていて、会期終了が近づいたので大慌てで出向いたら、会場は大入りだった。実際、見どころは多いのだが、とても書き切れないので簡単にまとめるしかない。

その前に、こういう歴史的美術品を楽しむためには、大きく二つの素養が必要だと思う。一つは、知識の蓄積。もう一つは想像力。残念ながら、その二つとも簡単には手に入らない。知識といっても教科書は全然ダメ。歴史上の事実には、多くの説が存在し、珍説が間違いで定説が正しいと、言い切れないことが多い。なにより歴史学者の大脳はコチコチだ。一方、想像力というのは瞬間的な感動だが、こちらは多くの品々を前にし、頭をバカにしてひらめき力を鍛えるしかない。つまりどちらも時間が熟成するようなところがある。

ブログを書いていると、書きながら、そういう理性的かつ感性的なものが、ほんの少しだけは醸成されたのではないかと思っているが、もちろんまだまだ、初心者、入門者の口である。

さて、


「珠玉の輿」という題からも、含みを感じる。「珠」はそれだけでも「たま」である。さとう珠緒という女性タレントもいる。すなわち「たまたまのこし」になってしまう。では、なぜ「玉の輿」ではないのだろうか。

この「玉の輿」ということばは、出所がはっきりしていないのである。意味は、身分の低い女性がお金持ちの男性となんらかの偶然によって結婚して、裕福になることである。例えば、1月20日は「玉の輿の日」だそうで、明治時代にモルガン家の子息と結婚した「お雪」というゲイシャさんを記念した記念日だそうだ(出所ブログ)。しかし、それでは雪の輿になってしまう。では、玉は玉宝を意味するというのなら、もともと高貴な女性の話になる。

定説なのか珍説なのかわからないが、よく言われているのが、徳川三代将軍家光と風呂場で関係を持ち、五代将軍綱吉を身篭ったとされる入浴担当係だった「お玉」。下女が一気に側室にランクアップだ。この二人の行跡のおかげで、以降の将軍は、寝室以外で発情しないように、入浴の際は浴衣状の薄着を身につけることになる。薄着を着たまま体を洗うのでは、まったくきれいにならないのではないかと思うが、これも家光のせいだ。

つまり、「珠玉」と題したのは、「お玉」の話とは関係ない!という宣言みたいなものだ。


会場に入ると、いきなり驚くのは、ピカピカの女性用の駕籠(かご)が待ち構えている。しかし、どうみても安っぽい。全体にプラステック感が漂い、金色部分は、金ではなくアルミの輝きだ。よく見ると、NHK大河ドラマ「篤姫」で使用ということになっている。確かに本物の駕籠は80Kg程度あるので、現代の駕籠かき役者が担げば、すぐに整形外科行きだ。

そして、この展覧会で、まさに主役は、「篤姫」なのである。


ここで、いきなり篤姫関係に行かずに別の観点で展示物を見回すと、見逃せないのは、「豊臣秀吉が、家康や利家らに対し、駕籠を使ってもいいと許可を与えた書面」「家康が征夷大将軍に任じられた書面」「身分に応じた乗物を定めた、武家諸法度(全4回の改定の第二回目、前述の家光の時のもの)」らがある。



江戸初期には乗物は身分の象徴で、駕籠は大名と大名の妻子にのみ認められていた。さらに、天皇家、徳川一門は、駕籠より上級として、輿が使われることになる。輿は祭りでは男衆の肩に担がれるが、乗物に使われる場合は、腰の高さで使われる。だから腕の力で吊るすことになる上、棒が二本のため、前後5人、計10人がかりである。駕籠の場合はかつぎ棒は一本なので、前後2名ずつ計4名が普通である。たとえば、大老井伊直弼が襲われたのは桜田門だが、当時の絵図をみると直弼は駕籠の方に乗っている。徳川家ではないからだ。

では、将軍の妻はと言えば、こちらも輿ではなく、駕籠である。しかし、これが絢爛豪華なのである。

会場中央に、巨大なガラスケースが置かれ、その中に、光り輝く「黒塗二葉葵唐草葵牡丹紋散蒔絵女乗物」が展示されている。これが、篤姫の駕籠である。入り口のNHK製のニセモノの千倍ほど豪華である。実は、この一品、スミソニアン協会が保管していて、2008年7月に、篤姫が使用していたことが確認されている。ずいぶんジャストインタイムである。「二葉葵唐草」は世界中で篤姫だけが使用した御紋とされる。実は、篤姫婚礼の儀で使われたとはわかっているが、薩摩からこの駕籠が来たのか、幕府が江戸城に専用駕籠として準備していたのか、今ひとつよくわからない。



というのは、このガラスケースの隣に、江戸東京博物館の所蔵品として、篤姫の姑にあたる本寿院が使用していた、「黒塗梅唐草丸に三階菱紋散蒔絵女乗物」が展示されている。一目では、そっくりである。よく見ると、部分部分で、篤姫品の方が格が上であることがわかるが、この品質格差は、篤姫が「正妻」であるのに対し、姑の本寿院が「側室」であることに因るそうだ。しかし、この二つの駕籠だが、どうみても同じ工房の同じ手の作である。

本寿院(本当の名前は美津であるのだが、美津姫とは言わない)は、「お玉」と同様の「お手付き側室」である。だから、大奥に来るのに、駕籠なんかじゃなく歩いてきたわけだ。だから、本寿院の駕籠は、江戸か上方で作られたと想像できるのだが、篤姫の駕籠を作る時に、同時に姑用にも作成されたのかもしれない。


さらに、江戸初期の綱吉以降の時代に、正妻として輿入りした時に使用された駕籠が、いくつか展示されていた。輿入するたびに駕籠が増えてしまうと、江戸城は駕籠だらけになってしまいそうだが、後の時代には、将軍家の女子が諸大名の家門に輿入する時に、昔の駕籠をお色直しして再使用していたそうだ。子沢山の家斉の時に、ずいぶん助かっただろう。





そして、これぞ本物の「珠玉の輿」が、皇女和宮。天皇家の娘である。政略結婚の犠牲者とされる。和宮が江戸城に入城するのに用いられたのが、「駕籠」ではなく「輿」である。みかけはきわめて質素である。飾り気なし。宅急便のトラックみたいだ。ただし、「輿」である。宮内庁の所蔵である。輿一台には10人が必要とされ、これで京都から江戸まで正座のままだったそうだ。輿の下部には車状の輪があり、牛に引かせたり、肩に担いだりと、中山道では途中は苦労しただろうと思う。道中、その心中はいかに。

和宮の珠玉の輿は、その後、明治二年、東京から京都へ一時戻った時に、再度使用されている。再び東京に戻った明治7年の時の乗物はよくわからない。これでも玉の輿が、憧れなのだろうか。


大河ドラマの復習をここに書く気はないので、歴史上の評価は省略するが、では、絢爛豪華な篤姫駕籠が海を渡って、アメリカのスミソニアン協会に流出していたのはなぜだろうか。幕府崩壊後も篤姫はこの駕籠を使い続ける。本寿院も同様だったが、こちらは都内に残っていた。

今、われわれが知っている事実は、篤姫駕籠がアメリカに渡ったこと。そして、篤姫が明治初頭の混乱の中で、時代に翻弄された多くの大奥関係者の救済のため、全財産を投げうち、満47歳の人生を終えた時、残したものは、僅か3円(現在価値6万円)だけだったという事実なのである。

篤姫を責めるのはやめよう。

川端康成「名人」に登場する大竹氏

2009-01-24 00:00:58 | しょうぎ
1月3日に「名人・川端康成著」で、川端康成が、「家元制最後の本因坊」である本因坊秀哉の実際の引退碁、および二年後に熱海の旅館で亡くなった本因坊(名人)のデスマスク写真を写したことなどを小説に仕上げた「名人/新潮文庫」について書いた。



その中で、実際の引退碁は、本因坊(当時64歳)対木谷實(当時29歳)であったのだが、川端康成は、木谷役の登場人物になぜか「大竹」という名をつける。実在の大竹は大竹英雄のことと思われるが、大竹英雄は当時、木谷實の弟子である。「名人」は小説とは言うものの、限りなくノンフィクションに近い実話に、登場人物の心理描写を加えた作品であるのだから、わざわざ全登場人物の中で、ただ一人だけ名前を書き換えたわけだ。例えば、小説の大竹には囲碁の強い娘が登場するが、これも実在の女流棋士の小林(木谷)禮子のことと思われる。

では、なぜ、木谷が大竹になったのかについては、やや謎がある。

対局があったのは1938年。秀哉名人が亡くなったのが1940年。小説を書き始めたのが1942年で、以後中断。再度、筆を下ろしたのが1951年頃で完成が1953年という長丁場である。実は1957年に、これについて、川端自らが、『名人を本名として相手の木谷七段は仮名としたのも、他意あってのことではないが、この小説が作中の対局を必然に虚構して、迷惑をおよぼすだろうという気持から、書きはじめた時に、故人の名人は本名のままにしたけれども、木谷七段は仮名を用い、その後これにしたがったまでである。』と書いているそうだ。

ただし、作家の言葉というのは、実に本音でないことが多いのは、研究者の常識である。むしろ、作品『名人』がドキュメントではなく小説である、という意思表示を、最も効果的に表現したのではないだろうか。

そして、仮名を使った理由と同時に、どうして弟子の名を使ったのか、ということも謎の一つである。「大竹」でなく「おおた」でもいいではないか。

実は、私がエントリを立てた1週間後ぐらいの朝日新聞の夕刊に、「大竹英雄」の特集記事があり、その中で、『名人』の中で実名が借用されたことについて、「木谷實の弟子の中で、最も元気が良かったので、目立ったのでしょう」との自己解釈が紹介されていた。

おそらく、それも一理だろうし、さらに、将来に残るだろう自作『名人』の中で、三流棋士の名前を使うわけにもいかず、少なくてもいずれタイトルを争うべき人材を選んで、苗字拝借ということになったのではないだろうか。

ところで、川端康成は観戦記を書くほど囲碁は強かったらしい。小説を書かずに囲碁の道に進めば囲碁棋士に名を列しただろうと思われているようだが、たぶん学歴が邪魔をしたのだろうか。

実際には、「囲碁の強いノーベル賞作家が一人減り、観戦記の巧い棋士が一人増えた」だけかも知れない。ノーベル賞は別の日本人(谷崎?)が受賞したかもしれないが、名作「雪国」は存在しないことになる。

では、川端康成と将棋の関係はないのか、と散々考えてみたのだが、ようやく一つ思いついた。というか本人とは何の関係もない話。

彼の生家は大阪である。天満宮の横に、碑がある。その碑から徒歩1、2分の場所に、日本で2番目に巨大な将棋雑誌社(会社かどうかは知らないが)がある。



「詰将棋パラダイス」である。



天満宮にお参りの折には、是非、足を伸ば(という距離ではないが)されたらどうだろうか。



さて、1月10日の出題分の解答。

▲1一金 △同玉 ▲3三角成 △同飛(逆王手) ▲2三桂 △2一玉 ▲4三馬 △同飛 ▲3一銀成まで9手詰。途中、▲3三角成るに△2二銀合は▲同馬 △同飛 ▲2三桂以下駒余り11手(許容範囲かな?)で詰む。▲2三桂に△同飛は▲同玉以下。

盤上の3三桂を4一(2一)から跳ばさせるとか、色々できるのだが、手が伸びても意外性はかわらないし、変化手余りも直らないので、9手詰ぐらいが妥当な線だろうか。

動く将棋盤はこちら



今週の問題も、超サービス短編。詰将棋の元みたいなネタである。

わかったと思われたら、コメント欄に最終手と手数とコメントいただければ、正誤判断。

モンゴル風のちゃんこ(横綱・大関・関脇の話)

2009-01-23 00:00:13 | スポーツ
初場所のサプライズは朝青龍の白星街道。場所前のけいこでは、白鵬に6連敗するなど、どうみても瀬戸際感が漂っていた。3場所休んだ後の初日に勝った後、12連勝。単独トップである。千秋楽の白鵬には負けるだろうが、14勝1敗では引退勧告を出せそうもない。もともと、場所前の白鵬とのけいこ自体が、「わざと負けていたのではないか」という疑念も湧き上がってくる。



もう一つ、朝青龍の闘志を湧き立たせているのが、「ワールドちゃんこ朝青龍」の開店。国技館の近くに、国技館を模した店舗を開き、ちゃんこ屋を開くそうだ。売りは、モンゴル風ちゃんこ、だそうだが、まったくイメージができない。モンゴルと言えば、羊肉というのが世間の相場であるが、「ジンギスカンちゃんこ」ということだろうか。

世界の歴史の中に、「世界制覇」をした国、というカテゴリを立てれば、現代はアメリカ。その前は欧州の時代で、ポルトガル、スペイン、オランダ、イギリス。フランス(ナポレオン)とドイツ(ヒトラー)が世界の中心だったかどうかには疑念があるが、自国内では世界一の時代があったと思っているだろう。さらに遥か昔に遡れば、ギリシア、ローマである。そして唯一のアジア代表がモンゴルである。

よく、アメリカの繁栄もいずれモンゴルになるだろうと言われるのは、たぶん、どちらも旨い料理文化が確立されていないからだろうか。僅かに、北京料理にある水餃子や羊のしゃぶしゃぶの原型はモンゴル由来と思われるが、となるとモンゴルちゃんこは、煮込み水餃子とか、ジンギスカンスープ鍋とかになるのだろうか。一旦、肉を焼いた後、スープをザアッとかけるわけだ。塩ダレで熱々の肉を食べる。と、書いていて、急に食べたくなってしまった。

すでにホームページも公開され、これからの世界展開の第一歩ということらしい。ニューヨークやロンドンで妙な店を出店して、日本人が羊を主食にしているとか勘違いされると、困るのだが・・



次に、苦戦を続ける新大関『日馬富士(はるまふじ)』。

はっきりいって、名前が悪い。大関なのに「安い馬」ではと、安馬(あま)改め日馬富士になったのだが、二文字からいきなり四文字は順を間違えて背伸びしすぎた。まずは三文字がいい。というか、四文字の力士自体が少ない。今場所の幕内を見渡すと、次の5人だ。

千代大海 日馬富士 稀勢の里 土佐ノ海 千代白鵬。

こうみると、千代、の、ノというような決まり文句のような文字によって4文字になっているが、現実的には3.5文字のようなもの。日馬富士は純正四文字である。実は、江戸時代からの横綱・大関を全部調べたが、「純正四文字」はいない。もちろん、名前なんて伝統に捉われなくてもいいのだろうが、それは大横綱級の実力者の場合。ちょっと名前負けしたのではないだろうか。逆に、名前で押したのは「千代の富士」。五文字である。さらにひらがなでは「ちよのふじ」の五文字。五文字の音に五文字の四股名とは、ずいぶん突っ張ったものだが、大横綱の一人になった。


そして、千代大海。ついに今場所で大関60場所目。つまり10年である。第二位の記録は、魁皇の51場所。以下、貴ノ花50、北天祐44、小錦39と続く。要するに、優勝回数が少なく横綱にはならないものの粘り強く勝ち越しを重ねる。あるいは大ケガをして2場所連続の休場をしない。というようなことになる。千代大海の場合、勝越すと急に弱くなる、とか言われることがあるようだが、逆に言えば江戸時代のように年二場所制だったら、猛烈に強いのかもしれない(?)。


最後に、元関脇貴闘力(現大嶽親方)。張り手で有名な力士で、大鵬の娘婿。優勝は1回。彼は長く大関候補だったが、あと1勝に泣いた口だ。たまたま読んでいた落合信彦の『これからの勝ち組・負け組』の中で、彼の張り手が紹介されていた。

八百長をやる力士が大嫌いで、そういう力士と対戦すると、張り手を多用したそうである。

曲ったことが大嫌いな貴闘力は、八百長をやる力士と顔が合うと、立ち合いからバシバシ張り手をかまし、鬼のような形相で攻め立てる。これまで彼は何度も大関になるチャンスがあった。もし、星の売り買いに手を染めていれば、いま頃、大関になっていたはずだ。


だからと言って、千代大海がそういう力士であると言っているわけではない。既に相撲史に不滅の自己記録を刻んでいるのだから、ここから先は、単に自分との闘いなのである。


ところで、朝青龍も時々、張り手を多発するのだが、動機は何だろうか。

演説のできがよくないのでは

2009-01-22 00:00:26 | 市民A
オバマ大統領の就任演説。

1月9日に「大統領の説得術(岡部朗一著)」で、あらかじめ予習しておいたので、それを参考に考えてみると、歴代の大統領の多くとあまり差はない普通の演説だったように思う。

予習によれば、

1.アメリカの統一。つまり民主党の支持者も共和党の支持者も一緒だ!ということ。

2.超時間制。過去の偉大な、あるいは人気のある大統領の後継者であることを吹くこと。

3.「我々」ということばを連呼して、市民と政府の同一性を訴えること。

4.「変革」と「再生」ということばを多用する。「変革」と「再生」は本来、対立的なのだが。

5.「自由」と「民主主義」を強調する。(特に子ブッシュ)

6.「神」が登場して、「神様。なんとかしてくれ」と言う。


この基準を考えると、
1.いきなりブッシュの政策を一言だけ褒めて、終わり。

2.これは、有名大統領多数登場である。クリントンの名前は出てこない。リンカーンを強調していたが、リンカーンが解放したのは、「黒人」ではなく「黒人奴隷」だったのだが、オバマの父親はケニアから自由意思でやってきたわけだ。ちょっと違う。

3.「我々(We)」は多用されるが、本当にWeって誰のことかと、考え込んでしまう。文脈から言うとアメリカ国民全員なのだが、そうであれば、we,Americanとかわかるように話してほしい。そうは書きにくい理由もあるのだろう。

4.あれだけ、選挙戦で訴えていた、変革(Change)は、どこに消えたのだろうか。現状の困難との闘いという方向に変わったようだ。

5.自由と民主主義。民主主義を世界に広めるための聖戦をしていた前任者との差なのだろうか。出てこない。むしろ、一部自由の制限的なニュアンスに感じた。

6.神の祝福については、まったく異なっていて、演説の最後の方で、「神に求められている」というようになっている。

そして、独自の主張というのは、「ひどい現実との闘い」とか「米国は再び蘇る」というような部分。

この闘いに全国民が参加しようというのだが、世界をひどい状態にしたのは、主に米国人のせいである。つまり、国内問題なのだから、全員が敵と戦うのでは、敵がいなくなってしまう。

米国が再び蘇る式であれば、迫りくる中国なんかは、「今のうちにひとつぶし」とか思われているのだろうか。とりあえず、世界の協調とか同盟国の連帯という部分は、まったくないように思う。 

社長は代わるのに、古い車を売るトヨタにガッカリした人

2009-01-21 00:00:29 | 企業抗争
トヨタの社長が代わったのか、元に戻ったというのか、よくわからないが、創業者一族は大概は大株主になっているため、いつだって政権奪還を狙っているわけで、今回のトヨタの社長交代は2001年のフォード家によるジャック・ナッソー追放劇を思い出させる。

58a2bb30.jpgもっとも、トヨタの経営陣について、「優秀とか無能とか」という議論は聞いたことがないので、なんともいえないが、有名な「カイゼン」活動の結果、現在の膨大な役員数になったのだろうし、社長の選択については何らかの合理的理由が発表されるのだろう。

さて、世界でもっともたくさん売れているハイブリッド車であるプリウスがフルモデルチェンジである。すでに北米自動車ショーで公開され、5月に発売される。従来の1500CCを一回り大きくして1800CCにしながらも、燃費は改善しているそうだ。

一方、対抗するホンダも、インサイトをフルモデルチェンジ。トヨタに先行して2月上旬から発売開始。価格は200万円を少し切るくらいといわれるが、どうも、新インサイトは現プリウスと「かなり似ている」と言われているようだ。新プリウスの方は、北米市場を意識しているのか、特にリアヴューは男性的でフロントデザインも力強い感じだが、「エコ」という概念とズレている可能性も感じないでもない。「現プリウス」や「新インサイト」は中性的と感じている。

そして、200万円を切るとされる新インサイトに対し、新プリウスは250万円超(現在のプリウスは220万円超)と言われていた。

そこで、トヨタは奇策を放つことになる。1月19日の日経朝刊から。

トヨタ、「プリウス」新旧モデル併売 現行型、200万円程度に

トヨタ自動車は5月に全面改良するハイブリッド車「プリウス」について、新型と現行モデル車を併売する。新型プリウスはエンジンを大型化することなどから、現行より価格が高くなる見通し。2月にはホンダがハイブリッド車「インサイト」を200万円を切る価格で発売する予定で、トヨタは現行モデルを200万円前後で販売して対抗する。トヨタが同一車種の新旧モデルを併売するのは初めて。

新型プリウスはエンジン排気量を1500ccから1800ccに拡大し、燃費性能も約1割改善。ガソリン1リットル当たりの走行距離は36―40キロメートルに達する見通し。機能向上に伴い販売価格は200万円台半ばまで上昇するとみられる。現行モデルを取り扱う「トヨタ」店と「トヨペット」店に加え、量販車種を扱う「カローラ」店と「ネッツ」店でも販売する。[1月19日/日本経済新聞 朝刊]

奇策なのは、モデルチェンジしたクルマとモデルチェンジ前のクルマを併売すること。どういう問題が起きるのかよくわからないが、色々あるだろう。新プリウスが5月発売とまだ先なのだから、旧型車の在庫整理ということでもないはずだ。案外、新プリウスに自信がないのかもしれない。トヨタが先行していたはずのエコカー市場も、ハイブリッドの次のプラグイン技術では各社横並びの気配である。

モデルチェンジが裏目に出る可能性も感じるわけだ。

58a2bb30.jpgそして、実は、この記事が発表された19日に先立つ3日前、16日に会食した大手商社マン(実は2年契約社員)氏から、現プリウスを購入した話を聞いたばかりだった。たぶん1月10日からの3連休に買ったのだろう。

その契約商社マンの方は、代々、あるトヨタディーラーから、中古車を購入していたそうだ。今、乗っているのはブルーバード・シルフィ。なぜか日産車である。9年落ちで、車検前に買い換えようということ。そして、メーカーなどこだわらないで、また中古車を買いに行ったそうだ。彼は、東京から四国の実家まで年に数回、家族で車で往復しているので、燃費はかなりの重要項目になっている。とはいえ、あまり小さなクルマだと遠路はきつい。

そして、思ってもいなかった、セールストークがあったそうだ。

もうすぐモデルチェンジなので、現プリウスを1割引します。

ということだった。元々、プリウスは2、3万円しか値引きしないといわれていたのに。しかも4ヶ月待ちと言われていた納車待ち期間も2ヶ月弱に短縮され、3月には納車できるということ。しかも9年落ちシルフィが20万円で下取りとか。

その結果、約250万円の中級車種を25万円引きで購入されたそうで、かなり嬉しそうであった。型落ち寸前とはいえ、一応、納車時点では新車だし。(高いものを安く買って自慢するというのは、大阪人の特徴だが、彼も大阪人である)

そして、3日たって、彼も日経で、この記事を読むだろうが、果たして25万円の値引きで満足できただろうか。ディーラーに対し、さらに追加値引きをねじ込んでいるのではないかと想像するのだが、ちょっと怖くて聞くことができないのだ。

定額給付金の行方

2009-01-20 00:00:31 | 市民A
不評きわまりないのが、『定額給付金』である。世論調査によれば、過半の人が反対しているし、さらに景気浮揚効果はない、と言われている。とはいえ、支給が決まれば、受け取らない人はほとんどいないだろうということは、ほぼ明確である(受け取らないのは民主党議員ぐらいか)。高額所得者の辞退が議論されているが、高額所得者は払う税金も多いのだから、「税金を返してもらう感覚」で、受給者の列に並ぶだろうし、「おカネに辛い」というのが、経済的成功者の基本だからだ。そして、たぶん『定額給付金詐欺』が多発するだろう。場合によっては、高齢者の銀行口座に振り込むからといって口座番号を聞き込んだりして・・、あるいは、代わりに受け取ってくるからという『代行詐欺』とか。

ところで、果たしていくらもらえるのか、というと、原則は、一人12,000円。

今もって、なぜ、きりのいい1万円でなく中途半端な1万2千円なのかについては、よくわからない。端数の2千円は言い出した政党への寄付金になるのだろうか。

そして、日本の人口は1億2800万人。1万2千円を掛けると1兆5400億円である。2兆円とはかなり差がある。調べてみると、65歳以上の人と、18歳以下の人は、8千円を上乗せして、2万円出すそうだ。こどもや老人に厚く、一般成人に少ないということからしてよくわからない。同じ出すにしても、全国民に平等に1万円出すだけなら1兆2800億円だから、7000億円も少なくても済む。


では、この2兆円が、景気浮揚策になるのかということ。つまり使い道である。そうでなくても貯蓄率の高い国民が、消費に使うのだろうか、あるいは、それは波及効果を生むのか?ということ。

これが、なかなか難しい。第一、波及効果など、日本で考えられるのだろうか、ということになる。もらったおカネで、衣料品のバーゲン(アウトレット店と言い換えてもいい)に行って、ブランド品の長期在庫品を買っても、世間の現金の回転がよくなっても、所詮、売れたのは在庫品。売れた分を追加生産して補充したりはしない。せいぜい企業収益が、その分だけ改善して、法人税で40%が国庫に回収されるだけだ。

そして、何より中途半端な額である。盛大に使える額じゃない。鼻血のたまった独身男性が、フーゾク店で使い、サービスを供用した女性が、口直しにホストクラブに通って、とか、肉体サービス提供業ではマネーリングの図が描けるかもしれないが、しょせん虚しい。


そして、そろそろ年度末になり、自分のことを考えると、ちょうど給付金の時期に現金支出が必要なことを思い出す。自分だけではなく、日本中。

自動車税。

毎年、4月1日の自動車所有者が課税される重税である。もともと昭和15年に戦費調達のために始まった税金である。普通のクルマであれば、排気量によって、3万円から5万円くらいを5月末までに現金で支払う。日本の自動車税の総額は、1兆7000億円と言われているので、ほぼ定額給付金と同レベルである。

現在、多くの日本人は、給料とか年金とか、普通預金の口座で流動性を確保している。給料は銀行口座に入金されるが、それは普通預金である。運よく収入より支出が少ないと残高が増えるし、逆なら残高は減る。残高が1万円とか2万円とか増えても減ってもそれで、盛大に使おうとは思わない。

つまり、給付金がなければ、数万円の自動車税は、普通預金から引き出され、残高が減ることになるが、給付金という現金があれば、それが自動車税の原資になるだろうから、給付金の分だけ普通預金が増える勘定になる。

つまり、それで終わりだろう。

AED講習会を凍りつかせた一言

2009-01-19 00:00:12 | 市民A
ab4f5a5e.jpg先日、AED(Automated External Defibrillator=自動体外式除細動器)の講習会へいく。

最近、駅などに常備され、ついに入居しているオフィスビルにも、管理人室に配備された。オフィス内でなんらかの原因で心停止した人間がいた場合、管理人室に行って、管理人がいなくてもAEDの器具を現場に持っていって、救急車がくるまでの時間に、処置することになる。そのための訓練。メーカーの人が、訓練用の「本当は電気の出ない」モデルを使って実演する。

まあ、その前に簡単な理論だが、心臓が止まっても、約15分くらい微細な細動が残っているそうだ。その間に、強い電気ショックを与えることにより、心臓の動きを復活させる可能性がある。ただし、1分遅れるつど、7~10%ずつ助かる可能性が下がるから対処は早いほうがいい。しかし、シロウトにとって、心臓が止まっているかどうかの判定も難しく、後述するように、動いているのに電気ショックを与えたら大変だ。

それが、この器具を使うと、コンピューターが心電図を解析し、「心臓が正常に動いている場合」には作動しないし、「細動が残っている場合」には、間隔をあけ電撃を繰り返し、「細動がなくなる」と、動作を終了する。

操作は、胸の所定の二箇所に電極のついたパッドを貼り付けるところから始まる(女性の場合、胸が露出してしまうが、たぶん、後で救命活動をした人が犯罪に問われることはないと思う)。そして、できるだけ、人工呼吸と心臓マッサージを続けることになり、電撃が始まる数秒前に、

「離れて下さい!」と命令的な声が流れ、全員が器具や患者から数メートル離れるわけだ。そして電撃。

それが終わると、また人工呼吸と心臓マッサージ。そしてまた、

「離れて下さい!」以下、細動が残る限り、繰り返しになる。そのうち運がいいと救急車が登場し、役割交代である。

では、「離れて下さい!」のとき、逃げ遅れて、一緒に電撃を受けた場合、どうなるか。これをメーカーに質問した人がいた。

答え:「心臓が止まります」。

この一言で、会場の空気が凍ってしまったわけだ。

質問:「何メートル離れれば、感電しないのですか?」

質問:「床が濡れていると、電気が漏れるのではないですか?」

質問:「革靴を履いていると、安全ですか?」

質問:「感電して心臓が止まった人のための別のAEDはないのですか?」

妙な話になったところで、講習会は時間切れの終わりとなった。

アナログ回路のような事件?

2009-01-18 00:00:22 | 市民A
殺害された高窪中大教授の事件だが、目撃者である留学生のA氏、黒コートで現場を立ち去ったB氏、地下鉄駅に血痕を残したC氏、教授宅周辺に不吉な文字群を残したD(?)氏。

そして、被害者の高窪教授の専門は、「アナログ回路」ということ。かなり実用性に近い分野である。

これらの断片について、どこか引っかかるものがあったのだが、ある雑誌に一か月ほど前に書かれていた記事との関連である。


フォーサイト(新潮社の会員制情報誌)1月号。12月中旬に配送されていた。

雑誌の86ページ、87ページにジャーナリストの西村竜郎氏が「理系大学の技術情報がますます狙われている」の中で「外国がほしがっていることがわかっていても、遅々として進まない大学他研究機関の情報流出防止策」というサブタイトルがつけられている。

この中で、日本の企業の研究情報が、旧ソ連や中国に漏れた事例が書かれていて、さらに、『理系の大学や官民の研究機関の場合、情報流出対策は大企業に比べて大幅に出遅れており、日本全体でみると巨大な「抜け穴」になっている』と書かれている。

さらに、経済産業省が文部科学省に働きかけ、大学の情報流出管理に乗り出したのは2005年4月のことで、外国からの留学生を受け入れた場合、どのようなことに気をつけるべきかを専門家が全国の大学に周知する活動が始まった。

『その後、三年半が経過したが、国内の大学で情報管理を担う常設組織を設けているのは、たまたま強い問題意識を持つ担当者がいた中央大学と九州工業大学の二校だけ。』

西村氏の稿は、主に日本の安全保障に関する技術情報の漏洩を危惧したものであるが、情報の質が、「安全保障」に関するものであっても、「電機製品の基礎技術」であっても、漏洩パターンはほぼ同じだろうと想像できる。



ここで、実際の事件と、フォーサイトの記事をいきなり関連付けてしまうと、事件が解決した時に、大きなクレームを受ける可能性があるので、『事件の推理ではなく』、『将来、ミステリーを書くときのための』ストーリー展開を作ってみる。


登場人物:

荻窪教授:文京大学理工学部教授/アナログ回路研究者。最新の研究データが消滅しないように、常にUSBメモリーにバックアップを作り、持ち歩いている。元学長の息子。

留学生A:某国の企業X社の代理人からアナログ回路情報の入手を求められている。

X社代理人:X社から産業スパイを依頼され、すでに前金を受け取っている。

B:協力者1

C:協力者2


ストーリー

1.X社代理人の指令により来日し、荻窪教授に接近したAは、わずかな隙をつき、何度か教授のPCにアクセスを図るが、なかなか核心に迫ることができない。

2.しかし、そのうちに、教授の全データがズボンのポケットの中のメモリーに書き込まれていることを知る。

3.一方、荻窪教授は、何者かがPCを操作したのではないかと、疑念を持つことになり、学内の「情報流出防止センター」に相談。

4.身辺に疑いをもたれている気配を感じたAは、X社の代理人と相談する。

5.X社代理人は、すでに諜報手数料数百万ドルを前金で受け取っている関係上、ついに、強行手段を決意する。

6.代理人は、荻窪教授が文京大元学長の子息で、授業料免除の上、やや若く教授に昇格し、妬みの対象になりやすいことを考慮。自宅周辺に脅迫めいた文字を残しておく。(脅迫文字が漢字だからと言って、特定の国とは限らない)

7.メモリーはコピーを取るだけで再びポケットに戻す予定で、5万円パソコンを用意していた。

8.実行はCが行うことにし、Bは黒コートを着て、見張り役であった。

9.当日は、いつも9時頃に出勤する荻窪教授が10時に出勤したため、学内の人の出入りが多く、Cが包丁で切りつけた後、コピーをすることはできず、メモリーは持ち去られた。Cは地下鉄駅構内のトイレで着替えをし、逃走。

10.Bは捜査かく乱のため、超長い黒コートに黒ニット帽にメガネという目立つ服装で、Cとは逆方向のコンビニ方面に歩いてゆく。囮である。

11.Aは第一発見者として、Bの服装を証言する。

12.すでにBとCは逃亡してしまい。残っているのはAだけである。Aが知っているのはX社の代理人だけであるが、代理人も逃亡してしまい、残されたAは、BのこともCのことも知らないし、代理人のことは知っていても、その背後にいたのがX社であるのかどうかも知らないのである。

13.その後、私立探偵が登場し、事件について書かれたブログを検索しているうちに、あるエッセイに、事件のストーリーの推理が書かれていることに気付き、その線で調査を進める。メモリーが紛失したことは突き止めるものの、決定的証拠を得ることなく捜査は長期化する。

14.数年後、X社から発売された新製品に、教授が開発途中だった技術が使われていたことにより、私立探偵氏はX社の本社に潜入することを決意する。

15.以下省略。


注:このストーリーは、あくまでも将来書くつもりのミステリー用である。

しかし、このストーリーと、まったく同じ筋書きで、現実の犯罪が行われていた場合、ミステリーとしては成立せず、単にドキュメンタリーになってしまうため、そういうことが実際に起こったのではないことを祈りたいのである。

女流棋士、奮闘

2009-01-17 00:00:18 | しょうぎ
最近、棋界で話題になったのが、女流棋士の活躍。

まず、1月9日に行われた新人王戦。昨年プロ棋士になった新進の稲葉四段を里見香菜倉敷藤花が破る。女性棋士が男性棋士を破るだけなら記事にならないだろうが、彼女の年齢である16歳というのが、「女流棋士が男性棋士に勝った」最年少記録だそうだ。従来の記録は、同じく新人王戦で5期前に石橋幸緒さんが横山四段を破ったときの23歳だそうだ。里見さんに敗れた稲葉四段は19歳。もしかしたら「女流棋士に敗れた男性棋士」最年少記録ではないだろうか、とも頭をよぎるが、記録を調べる気はないので、深く考えないことにする。

里見さんが、新人王になるためには、あと4人を倒さなければならないのだが、今後、どうなるのだろうか。この新人王戦は、プロ棋士だけでなく、女流や奨励会やアマチュアも参加し、よくハラハラする展開になるので、少し期待している。

棋譜は2月7日から、主催紙である「しんぶん赤旗」紙上に掲載される。近くの図書館で「しんぶん赤旗」の記事をさがしていたのだが、今年になって一面トップが「派遣村」の記事の日が、非常に多くなっている。最近、朝日新聞が、昨今の労働市場の混乱の犠牲者にとって唯一の救いは「日本共産党」である、との第三者意見を、慎重なコトバで紙面に書いていたが、だからといって、朝日新聞をやめてしんぶん赤旗に変えるようにとは書いてなかった。今後、新人王を獲得するまでの彼女の棋譜を知りたい方は、こちらに購読方法が書かれているようだ。

そして、従来の最年少記録を持っていた石橋女流王位の方だが、こちらはもっと大魚を釣り上げる。

1月1日に、主要地方紙に掲載された「王位×女流王位」の一戦で、95手で深浦王位を粉砕する。もっとも若干のハンディがあって、持ち時間が王位10分、女流王位1時間。時間切れ後、双方1分秒読み。言い訳用だろうか。こちらの方は、棋譜が公開されているので、動く将棋盤を作ってみた。

深浦王位は羽生名人と互角の成績を残している大実力者である。この分でいけば、羽生名人を打ち負かす女流が現れるのも遠からぬ日なのだろうか。

以前、伊奈川愛菓女流の女流プロデビューパーティの席で、列席各位からのスピーチの中に、「そのうち、羽生さんを倒してほしい」との激励があったのだが、言われた本人は、まだ覚えているだろうか。



さて、1月3日出題詰将棋の解答。

▲1一龍 △同玉 ▲1三飛成 △1二飛(途中図1) ▲2二角 △2一玉 ▲4三馬 △3二桂(途中図2) ▲同馬 △同玉 ▲3三龍 △4一玉 ▲3一龍 △5ニ玉 ▲4四桂 △4三玉 ▲5三歩成 △同玉 ▲5一龍 △4三玉 ▲5二龍 △3四玉 ▲3二龍まで23手詰

この問題、双玉問題である。「なぜ双玉か?」ということが、カギなのである。この攻め方の玉は、「逆王手」を掛けられるためにあるわけ。

となると、この逆王手用の駒は、配置上、明らかに「飛車」である。ところが、後手は飛車を持っていない。つまり、初手に玉側に逆王手用の飛車を手渡す▲1一龍から始まる。



そして4手目に△1二飛の逆王手になるが、仮に△1二金なら、▲同龍 △同飛 ▲3四馬以下である。そして、8手目がまたも合駒選択。前に進む駒は簡単なので桂合。



今週の問題は、以前、同じような図を公開したように思えるが、少し改造。「軽薄(軽快)な手筋か重厚な手筋か」。

わかった、と思われた方はコメント欄に、最終手と手数と酷評をいただければ、正誤判断。