11月に続き12月の検索ベスト20

2005-12-31 22:48:26 | マーケティング

11月に続き12月の検索ベスト20を作ってみた。


1.ステージ大門   スリムビルの未来は?

1.高橋尚子     高橋尚子の新契約を考える

3.姉歯      1と同じ

4.清水上徹    瀬川新四段の第一局の因果

5.男女比率    人口問題の第二弾はちょっとシリアス

6.おおた葉一郎  ?

7.ブログ     ?

8.マンション   ?

9.島村健一    特例棋士の対岸にいる青年

10.枕絵      多摩川沿いで浮世絵名品展を

11.ギッフェン財  虎ノ門のギッフェン効果

12.炉辺焼き    消えた炉辺焼き

13.年賀状     年賀状で2題

13.鴨池公園    近隣事件簿(4)鴨池公園殺人事件+おまけ

13.中国      ?

16.検索      ?

16.サザエさん   サザエさん的ではなかった長谷川町子

18.おおた     ?

18.葉一郎     ?

18.将棋      ?

18.カネボウ    「三角形」の呪い

18.人口      人口ピラミッドと「人口の窓・仮説」


1位「ステージ大門」は当初、最弱ビルと言われていたが、もっと弱いビルもあったらしい。3位の姉歯と同じだろう。姉歯秀次という検索の方もいる。ところで、発覚しなかったら、さらに、どんどんと弱体マンションを建てていたのだろうか。と考えると、怖い。


4位の「清水上徹(しみずがみ・とおる)」は、将棋の瀬川新プロの最初の相手となったアマチュア。プロには行かずに小学校から大学までのタイトルを持ち、アマでも優勝多数。今度プロになりたいと言っているようだ。


11位「ギッフェン財」はかなり経済学の専門用語。ミクロ経済学で、価格が下がると、需要が増えないで逆に下がる現象を指す。ドイツのギッフェン教授がジャガイモの価格が下がると、貧乏で毎日ジャガイモを食べている人たちのポケットが豊かになり、ベーコンポテトのベーコン比率が上がることを指す。それを東京で見つけたというようなエントリを書いた。


12位「炉辺焼き」は東京に本当に炉辺焼きの店がなくなってしまったという話。寒くなって炉辺焼きに行こうと思った人が検索したのだろうか・・


今月は、なぜか「おおた葉一郎、おおた、葉一郎」という名前での検索が多かった。


しかし、「ブログ」「マンション」「年賀状」「中国」「検索」「将棋」「人口」というような一般名詞で、よくこのブログまでたどり着けるものだなっておどろく。


ところで、おもしろいお正月用品を二つ見つけた。


1.「筆ごこち」(株)呉竹の筆風サインペン。なかなかきれいな字が書ける。  筆ペンは消滅か・・・


2.箱根各所のライブカメラ画像。箱根駅伝のテレビ観戦のおまけに・・


では、また来年。これでまあ緑茶一杯鐘百八(葉)


100冊目は「不運な女」

2005-12-30 22:43:11 | 書評
3fd1f8ad.jpg年間100冊読むという目標をいつもなんとかクリアしていて、今年もついに12月29日に完遂。100冊目は「不運な女・リチャード・ブローティガン(藤本和子訳)新潮社」。

ブローティガンは1935年生まれ。「アメリカの鱒釣り」をはじめ、ニューヨーカー以降のカウンターカルチャーの代表のように言われていたが、1984年にピストル自殺。そして、この「不運な女」は亡くなった後に発見された遺稿である。

1982年に書かれていたと思われるのは、小説の中に、「この小説を書く自分(私)」が登場していて、モンタナの自宅から執筆旅行に出かける内容になっていて、さらにそこに1982年の日付が書かれているからだ。だからと言って事実を書いているわけではなく、登場人物「不運な女たち」はフィクションだ。

さらに、読み進むには非常に注意が必要だ。この小説には、主に時代を超え3人の不運な女性が登場する。ギリシア神話から一人。癌でなくなった一人。そしてモンタナの自宅で首をつった一人。さらに、唐突にレイプされた隣人の一人やマイアミの交差点に落ちていた片足だけの女性用の靴の持主(靴しか登場しない)。

もしかすると、というのは私の解釈だが、未完成の小説だったのではないだろうか。部分、部分としては完成しているが、全体を統一的に仕上げてはいない。未完なのか、途中で放棄して出版しなかったのか、あるいは死後発見されるように作家が仕組んでいたのか。それはわからない。

ところで、ブローティガンの作品は、ほとんど読んでいた。個人的には、「愛のゆくえ」「アメリカの鱒釣り」がわかりやすくていいのだが、後期の作品はやたらと人が死んだり、主人公が死にたくなったりする。作家というのは内外問わずこういうのが多く、最後は孤高の人となるのかもしれない。3fd1f8ad.jpg私も、かなりブローティガンにはまった時期があり、日本では翻訳されない詩集まで読んだ形跡があった(というかペーパーバックが本棚に並んでいる)。

パラパラ読み直しても、やはり詩はよくわからない。"The Pill Versus the Springhill Mine Disaster"の中のもっとも短い詩。

Haiku AmbulanceA piece of green pepperfelloff the wooden salad bowl:so what?

そして、訳者の藤本和子さんのことばによれば、「これがブローティガンへの最後の仕事」ということになるのだろう。アメリカでも死後20年たってベストセラーとれる作者はほとんどいないだろう。

ところで、この本は新潮社刊なのだが、社から年末の挨拶が届いた。今年の新潮社が作ったベストセラーとして3冊、列挙されている。「電車男」「東京奇譚集・村上春樹」「国家の品格・藤原正彦」

ところが、この三冊だが、まず「電車男」は昨年度発売なのだ。実は去年の100冊目が電車男だった。今年は、映画になったり、出版以降の「プッシュとラッキー」で売れたのだろうが、ベストセラーを作るのは、広告と宣伝だ、と割り切ってしまうのだろうか。ちょっと疑問。次に「東京奇譚集」。村上春樹と契約したから売れただけなのではないだろうか。「国家の品格」。この本が登場したから、日本が品格のある国を目指し始めたのではなく、日本人が品格のある国を目指し始めたからこの本が売れたのだろう。

まあ、ベストセラーを作るのは大変だし、そのためには手段を選ばずということなのだろうか。あるいは、乱射方式か・・  

ランニングバックのお仕事

2005-12-29 22:42:30 | スポーツ
c81a6671.jpg少し変わった話を書いてみる。まず、NFLのことから。

NFLは全部で32チームなのだが、まずアメリカンカンファレンスとナショナルカンファレンスに16チームずつ二分割。さらに4チームずつ、東西南北の4ゾーンに分かれる。そして色々と複雑なルールで試合の相手が決まり、17週間で1チーム16試合が行われる。そして、プレーオフはこの8ゾーンの優勝者に勝率の高い4チームを加えトーナメントを行い、最後にスーパーボールで優勝チームを決める。

そして今年も12月最後の週で15試合までが消化。残る1試合だけで、既に独走して地区優勝を決めたチームもあれば、僅かに残るワイルドカードを狙って死闘しているチームもある。

その中で、13勝2敗の好成績でNFC-westで優勝したのはシアトル・シーホークスというチームなのだが、ランニング・バックにショーン・アレクサンダーという選手がいる。彼の活躍が好成績に直結したと言ってもいい。1試合残した段階でシーズン27タッチダウンのNFLタイ記録を残している。残る1試合で新記録更新を狙うのか、プレーオフに備えて休養をとるのかはわからないが、15試合27TDということは、1試合あたり1.8TD。もちろん一人で点数を取るゲームではないが、1TDあたり7点とすれば、7×1.8=12.6点を稼いでいると言うことだ(7点のうち1点はキッカーだが)。

ところで、話は、このタイ記録を破られそうな選手の話だ。プリースト・ホームズ。カンザスシティ・チーフス所属。大変な人気選手だ。27TDは2003年に記録。ホームズ選手が凄い点は、パスレシ-ブとかは一切行わず、純粋な「ランニング」に徹していることだ。基本的にランニングバックはQB(クウォーターバック)よりも後ろにいる。そして、QBからボールを渡されるのは、ボールが元あった場所よりも5ヤード位後退した場所である。つまり、最低5ヤードは前に進まないと徐々に陣地はマイナスになってしまう。

ランニングバックの難しいところは、敵と味方の選手の隙間空間を見つけてそこへ走っていくことだが、局面は刻々と変化し、すべての選手が動いているので、長距離を走るためには相当な未来予知能力も必要だ。

そしてチーフスは最終節(week17)にワイルドカードをめぐっての死闘を行うはずだ。しかしホームズは脊椎の痛みから欠場するらしい(ただし引退はしないそうだ)。ここから話は変わる。

数週間前のことだが週末のNHK衛星でNFLweeklyを何気なく見ていたのだが、ホームズ選手の意外な特技のことが紹介されていた。それは、・・・チェスだ。高校の時から大会に出場していて賞金キラーだったらしい。インタビューで、話を聞くと、「フットボールとチェスは似ている」とのこと。それぞれの駒の性能は違うし、戦略性が必要とのこと。女性キャスターとチェスを指しながらのインタビューでは、7手位先を読んでいると言っていたが、これは大したものなのだ。

まず7手というのは将棋の7手とは異なるのだ。チェスは先手と後手とセットで一手というのだ。だから将棋的に7手を表現し直すと、14手先ということになるが、そんなに先を読んで将棋を指すのは、プロ棋士の領域だ。隙間を見つけながら長い距離を走るということは、そういう未来予測のような考え方が有効なのだろう。

ここで、チェスネタをいくつか。

1.オリンピックに割り込もうとしている。「頭脳オリンピック」ではなく、本物の五輪のことである。頭脳も肉体の内数、と捉えればいいのだろうか。頭が悪いのでよくわからない。

2.元世界王者カスパロフ氏、プーチン大統領の後継者を狙う。ちょっと無理っぽい感じもする。

さて、一方、私自身のチェスの腕前だが、ちょうどYahoo!のゲームの中にチェスレーティングがあり、現在の持ち点は1600点ほど。将棋で言えば二段くらいかなと思うのだが、日本国内では参加者が極めて少ないのでUSAサイトから挑戦すると、1500点くらいになる。これは初段クラスなのだろう。さらに驚くのは、USAサイトを閉じて、例えばUKサイトから入っても、USAの時の点数がそのまま使えるようになっている。要するに日本だけが別枠のわけだ。

そして、ホームズ選手の記事を調べていたら、「大型フィギュア」が発売されていた。はっきり言って、黒人差別のにおいがする。まったくの間抜け顔だ。本人がフィギュアを見ないことを祈りたい。

光る看板を街角ウォッチat新橋

2005-12-28 22:41:06 | マーケティング
59fba4be.jpg東京港区の新橋駅前に銀紙を張り付けた奇妙な看板があった。
 
よく見ると、有名な美容整形の十仁病院が、建て直しのため、仮住まいに移ったことを告知している。銀座8丁目の天国ビル5階で仮営業。というと有名な高級天ぷらビルのことだ。「ころも」を付けて、油で揚げるというイメージは、あまり好ましくないような気もするが、「美容整形」というのはマーケティングで言うと、「目的来店」型。目的のない人はこないし、ぶらっと来る人もいないような気もするが、この広告は、目立つ。キャッチコピーが面白い。
 
 
 
「キレイ」になりたい。59fba4be.jpgどうも、銀紙に浮き出すシルエットは女性の全身像のようなので、キレイになるとは、キレイなボディラインになるということだろう。(よく、考えると、顔の一部分を改造してキレイになる場合もあるが、ちょっと造形的に、広告化するのは難しそうだ。)しかし、世の中、キレイになるというのも、色々ある。借金をキレイにするためには、裁判所に行くしかないし、過去の罪をキレイにするためには、檻の中でお勤めしなければならないが、いずれにしても完全にきれいにはならない。交通違反のポイントを消すのだってなかなかうまくいかない。そういう意味で、「十仁」のお世話になることなんか、ほとんど何も問題ない簡単な方法ということかもしれない。
 
もちろん手術費用を捻出するために借金してしまうと、キレイにならなくなるかもしれないので注意が必要だ。
 
59fba4be.jpgところで、確か、新橋第一ホテルの前に、古い建物があったのではないかなと思い、見に行くと、まったく「キレイでない」残骸が残っていた。そして、この古い建物には「十仁美容整形」と書かれていたのに、看板の表現は「十仁病院」。そして天国ビルに仮住まいする方は「十仁美容整形」ということになっていて、医者であることを放棄しているように思える。後で、HPで確認したところ、新しいビルに建て直しになる2年後には、また「十仁病院」に戻るということ。なんとなく不安を抱くのは、世界の最新技術を取り入れた、巨大なサイボーグ工場みたいなものができるのかなという予感もするのだが、ある女性歌人の孫が最近口にしたことばで喩えると、「美しくない」ことになりそうな気もする。  

年末あいさつ回りの功罪

2005-12-27 22:40:09 | 企業抗争
多くの会社は12月28日までの仕事で、29日から休みというのが多いようだ。したがって、きょう27日と明日28日はあいさつ回りでウロウロといった人が多いだろう。実際には、年末にあいさつしたところで、何かが起きるわけでもないのだが、どうして、こういうしょうもないことをやるのだろうかと思いつつ、たいしてあてもなく、私も外へ出て行くのだが。こういうことではないだろうか。事務所に残ってぐずぐずしていると、録に仕事もしていなく、特に会いたくもない取引先が、日頃見たこともない役員まで連れてやってくる。それならば、先回りして、自分が事務所ビルから逃げ出せばいいではないか。そう、まさに挨拶客に会わないように、先手をとって歩き回る(というか逃げ回る)。そして、アポも取らずに歩き回るので、行った先のお客様も「嫌な客に会いたくない」という理由でどこかに出歩いている。かくして、名刺印刷業と地下鉄・タクシー会社の売上増と長期的には靴の買換え需要が増大することで、経済に若干の有効需要を生み出しているわけだ。 

羽越線事故に見る死角

2005-12-27 22:39:21 | 市民A
8cc52963.jpg12月25日午後7時15分頃発生した特急脱線転覆事故を知ったのは、全日本女子フィギュアをテレビで観戦していた時のテロップだった。既にインターネット上では、競技の結果が流れていたにもかかわらず、高い視聴率を出すというのもすばらしい話ではあるが、その話は他に譲る。たぶん浅田姉妹の姉の舞さんの演技よりも後で、村主章枝のラフマニノフピアノ協奏曲第2番よりは前だったと思う。記憶を辿れば、「羽越線特急が山形県内で脱線、横転しけが人発生」といった内容ではなかっただろうか。かなり気になった。

というのも、以前、この区間で特急「いなほ号」に乗ったことがあるからだ。急な所用で、東京から酒田に行くべきところ(倒産した本間ゴルフの酒田工場へ差押さえに行った訳ではない。念のため。)、庄内空港行きの航空便が満席で予約できず、鉄路を選ばなくなったからだ。おそらく、かなり以前は東北線で福島まで行き、奥羽線で山形、新庄、大曲と通過し酒田・秋田方面に行くのが正道だったのだろうが、上越新幹線開通後は、まず新潟まで新幹線を利用し、そこから羽越線で北上する方が早くなったわけだ。(ところが、酒田より先の秋田には、東北新幹線から分かれ田沢湖線を走る「秋田新幹線こまち号」が開通し、酒田よりも1時間早く到着する。)

そして、脱線の初報で気がかりだったのは、事故の場所。私の記憶では、いなほ号は日本海の海岸に近い場所を時速150km近くで若干の不安感を伴いながら突っ走っていた。運が悪いと海に滑り落ちたりするのではないか(事故というのは元々運が悪いから起こるのだし)というのが頭に浮かぶ。

次の情報は、酒田市に近い余目(あまるめ)という場所で最上川架橋に近く、ということ。一瞬、「日本で一番高い橋」というのが浮かんだが、あれは「あまるべ」だったな、と曖昧に記憶の中から思い出す。実際、その橋からは回送列車が40m落下し、大事故になっている。さらに、その段階ではまだ、列車が北向きだったのか南向きだったのかもわからないし、橋との位置関係も不明。結局、私事ながら、遅れていた年賀状の作成で深夜までかかってしまったので、ニュースを確認しなかった。

明けて、26日。事故の様相がわかってきた。死者4名(1両目)。秋田発新潟行、いなほ14号。つまり南行きで、最上川の橋梁を渡り切る寸前に右側から(海から)の突風を受け浮き上がり、左側に脱線。そこにあった、家畜の堆肥集積場(養豚場という報道もあるが)に一両目が飛び込み2両目から4両目までがバラバラとはずれてしまったわけだ。福知山線の時のように、脱線現場にあったのがマンションや民家であれば、もっと凄惨な状況となったはずだ。

もちろん、直接的原因は突風ではあるが内部の基準では風速25mで徐行、風速30mで運行停止であったという。最上川鉄橋上の風速は20m程度であったという。それにこの特急、秋田県内では実際に強風のため徐行運転も行なっている。さらにポイント故障もあり、既に通常ダイヤより1時間以上遅れていたとなれば、強風を無視して先を急ぐ理由もなかったはずだ。

まず、最も簡単な検証だが、風力計に異常はなかったかということ。これは、誰でもまず疑うだろう。

次に、風力計の設置箇所及び個数。川の上のように広く吹き通しになる場所は、空気は自由に流れる。広い面積を、ある一点で測定するには無理がある。列車に影響を及ぼすのは、「ある場所のある瞬間最大風速」であるわけだが、この瞬間風速というのを厳密に測定するのは難しい。現場の状況はよくわからないが、少なくても1箇所だけの測定では不安がある。報道では北側1kmに風速計があったと言うが、ということは橋の北側に1個だけだったのではないかとも読める。クルマを運転していても、高速道路でも川や海の上は複雑な風が吹いていてハンドルを緩められないのは経験上明らかだ。

次に、風力が規定内だったのに、なぜ脱線したかという点には、列車の横揺れと横風の関係が考えられる。不謹慎な話だが、ゴルフ場などでよく経験するのは、「風は息をしている」ということ。上級ゴルファーは風が止まる瞬間に打っている。つまり、吹いたり止んだりという横風の性質上、列車には横方向に振り子状の動きが発生するということだ。そして片側に傾けば、元に戻ろうとする重力が発生し、そのリズム(波動)が一致すると、思わぬ横揺れの増大が起きることが考えられる。一部報道では下からの風で浮き上がったのではないかとある。あまり理解できない話のようにも感じる。橋の下で吹き抜ける風速が早ければ、ベルヌーイの定理では圧力が下がり、逆に下向きのダウンフォースがかかるはずだ。

さらに、嫌な推論だが、最上川の鉄橋だが、設計上の問題がなかったかどうかである。列車自体の自重で、橋が揺れたりたわんだりするのは想定できるが、その設計及び施工が妥当に行なわれていたかどうかだ。要するに、橋が軽すぎたり、橋脚が少なくて、少しの揺れが大きなゆれを誘引するような構造になっていなかったかどうかだ。つまり、アネハ事件と同根ではないだろうか?ということである。

そして、まだ、理解できないのは、運転手から停車報告が午後7時16分と記録に残っているそうだが、変電所の記録では架線が切れたのが午後7時14分と2分間の差があるのだが、なぜなのだろうか。


そして、JR東日本のマニュアルにしても、本来、自然界のアナログ的な数字である風速を25m、30mとディジタル的に処理して、「通常・徐行・停止」という三分割しているのだが、JHのハイウェー上の速度制限のように、こまかな中間値運用に変えていく必要があるのではないだろうか。例えば風速20mなら時速60kmとかだ。

さらに、列車自体に、横揺れが発生した場合、自動的に速度がを落ちていくような制御装置の導入も考えるべきなのだろう。(もちろん急ブレーキはさらに車両の挙動が不安定になるため列車を減速することだって難しい)


ところで、Yahoo!、MSN、Livedoorの三社の路線検索機能を使って、12月26日・酒田駅18:00出発で東京行きを検索すると、三社とも、事故で不通になっている羽越線経由で「いなほ14号」を選択している。実際には大きな問題は起きないとは思うが、その程度の機能なのかと、少し残念に思える。

5泊6日の城めぐりplan(6)

2005-12-26 22:38:30 | The 城

551b5832.gif6日目本日は、最終日。4日目の備中松山城、5日目の宇和島城という大難関を乗り越えた方にはもう困難は、少ない。すがすがしい高知の朝は、昨夜行った寿司屋「おらんく屋」のネタの太い(大きな)「にぎり」と、ついつい飲みすぎてしまった日本酒「酔鯨」を思い出すことからはじめるといいかもしれない。この「おらんく屋」という奇妙な店名、つい最近まで「トランク屋(トランクに色々な非合法物質を詰め込んで運ぶ)」という職業の親戚だと思っていたのだが、山本一力氏の新著「おらんくの池・文藝春秋」に解説してあった。「おらんく=オレの家」ということだそうだ。そして、「おらんくの池=高知の眼の前の海=太平洋」ということらしい。「酔鯨」というおそろしい名前の日本酒のブランド名も、なるほどと理解できる。

ところが、高知城は、その立派さと地元での評価とでは大きな落差がある。高知市自体が立派な城下町であり、明治維新の中で一定の勝組ポジションを得ているのにその中心の城郭は、強く愛されているようにも見えない。東京における東京タワーのようなものかもしれない。一回は行ったものの、何度も行くものではない。ということなのだろうか。市内のあちこちから天守閣は見ることができるし、約1時間の余裕時間があれば、簡単に歩ける。やはり、「急な石段」というのは心理的なハザードになるのだろうか。あるいは、殿様の住処に平民が上ることへの畏敬の念とかがあるのだろうか。

とにかくこの城郭のすばらしさは天守閣以外にも、ほぼ全部の建物が残っているからだ。いや、多くは再現されたものではあるのだが。天守閣は1603年に完成していたのだが、1727年の大火で焼失。1748年に元の天守の復元ということで再建されている。つまり257歳だ。他の多くの城が400歳なので、新しい(弘前城よりは約50年古い)。その分、使用木材はしっかりしていて、崩壊危険感覚はない。また、天守以外の多くの建物は一旦明治初期に取り壊されたのだが、復興されたものだ。屋敷が残っているため、当時の殿様の生活がよくわかる。また、この高知城はバランスがとれた城であり、例えばアメリカ人に、12城の中で一つだけ勧めるなら、ここだ。ただし、ここに来ると他の城も見たくなるのも間違いない。そして、この城で見逃せないのは、追手門。ここは400歳だ。

そして、高知駅に戻り、ついに最後の城である「姫路城」に向かう。11時00分高知発岡山行き南風12号。大江健三郎の高邁な思想を育んだ四国の森、村上春樹の「海辺のカフカ」に登場する「不条理世界への入口」のある四国の森。ちょっとうつらうつらとすると、総て見逃して、瀬戸大橋の上で午後の陽光を浴びることになる。13時27分岡山着。3日ぶりに新幹線の世界に戻ってくる。13時52分、岡山発ひかり460号。速度感が現代に戻ってくる。14時13分、姫路着。551b5832.gif現存12城の中では、圧倒的に巨大なのがこの姫路城である。姫路駅から遠めに一望できる。駅から姫路城までは、どのバスも通るのだが、無料バスもある。まあ、今までかけた金額から見れば、どうでもいいかと思うが、それでも無料バスにこだわる誤謬を犯す人もいるだろうが、歩いてもすぐ着く(というか着かない)。

バスに乗るのは、距離の半分くらいで、そこから先は公園から登城路にかけ、歩くからだ。

ところで、江戸時代に城郭番付というのがあった。江戸城は巨大過ぎて番付の枠外になることも多いのだが、だいたい、一番が大阪、二番が名古屋、三番が姫路ということになっている。四番以下は、諸説ある。実際には番付を付けるといっても、全国城廻などという暇人はなかっただろう。幕府のお庭番は各藩の偵察活動をしていただろうから、城の番付とか秘蔵していただろうが、公開されていない。ということは、誰がみても姫路城が巨城だったことを示している。551b5832.gif

それでは、なぜ、姫路城が大きいかについて、司馬遼太郎の推論を紹介する。徳川幕府側は、誕生の時から、ずっと薩摩藩が次期政権を狙うものという潜在思想があった、というのだ。そして、政権交代を狙う薩摩藩が東上してくるのを、押さえ込むため姫路城があり、大阪城があり、名古屋城があった、ということらしい。

ただし、それらは、幕末には、ほとんど機能しなかった。徳川慶喜は京都二条城で大政奉還し、大阪城から海上脱出し、江戸に逃げ帰った。その幕末と巨城の関係は、2006年にゆっくり考えることにする。

そして、この姫路城は、本物感も十分にあるし、広く、高く、美しく、癖もなく申し分ない。時間に余裕があれば、西の丸へ行って、数奇な運命に弄ばれた戦国時代最後の女性である千姫の生涯を振り返ることもできる。千姫の運命を考える時に、合わせて、祖母である、お市の方の運命にも浸ればいいかもしれない。しかし、なぜか千姫の墓は東京の芝増上寺、東京タワーの真下にある。入口の門扉には巨大な葵の御紋が・・。

551b5832.gifそして、ついに長い6日間の旅も12の目的物を消化。東京へ戻ることになる。姫路発16:50ひかり466号。新神戸着17時06分。焼きアナゴと缶ビールを買い求め、17時15分発のぞみ62号に乗り換え。最後は国内最速の陸上移動装置、のぞみ号で締める。東京着20時06分。明日は仕事だ。デジカメの整理は来週末に回すしかない。6日目移動距離、912km。乗車時間、5時間55分。

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ところで、6日間を合計すると、4,350km、37時間57分となる。次に、費用を計算するのだが、まず5泊分宿泊料・・約4万円。鉄道以外の運賃・・約1.5万円(タクシー代など)そして、問題の鉄道運賃だが、最初はバラバラに買っていったらと計算すると、11万4千円位になった。うち乗車券が6万7千円で特急運賃が4万7千円。551b5832.gifそこで、遠距離キップを通しで買えばいいのだが、本行程でもっとも長い距離は、まず、東京-弘前は単独で購入し、次に弘前発で、大宮、長野、松本、名古屋、米原、京都、岡山、丸亀、松山、宇和島とつないでいく。途中、福井や松江方面は別に購入。そうするとJRグループ内で一本の線になるのだが、実はとんでもない落とし穴があったのだ。

愛媛県宇和島から四国の西側を南下し、太平洋側の駅である高知県窪川に到着する1駅前にある若井という駅までがJRで、若井-窪川間の一駅間は土佐くろしお鉄道という私鉄なのだ。連続キップキラーの区間だ。くろしお鉄道が黒字とは思えないが、この私鉄のおかげでJRの得る利益は多大だろうが、それは内緒だ。

そして、その長距離キップで計算しなおすと、1万円程度安くなる。10万3千円くらい。そうなると、実は、JRの定額制キップのことが頭に浮かぶ。現在3種類ある。「青春18」。「ナイスミディ」。「フルムーン」。この中で青春18は無理だ。特急に乗れない。ナイスミディは有効期間3日なので2枚必要。30歳以上の女性同士の旅が対象。フルムーンも制度として似ているので、フルムーンの方で検討してみる(結婚の相手が女性同士の場合はナイスミディを選択すること)。夫婦合計年齢88歳以上。7日分で二人で99,000円。グリーン車にも乗れる。一人分約5万円なので、ほぼ、正規料金の半分になる。欠陥はハイシーズンに使えないこと。使えない季節は、7~9月、ゴールデンウィーク、年末年始、春休み。そして、最大の問題は、この途方もない消耗旅行に付き合おうという、変わったパートナーが地球上に存在するかどうかなのだが、まずいないだろうね。たいてい1日目の途中で、サヨナラだろう。


5泊6日の城めぐりplan(5)

2005-12-25 22:37:42 | The 城

f67d7223.gif5日目

6日間で12城まわると言っても、残る2日間で5城残っている。四国の4ヶ所(丸亀、松山、宇和島、高知)と姫路。色々考えると5日目に三ヶ所回らなければならない。大変忙しい一日になるはずだ。まず、丸亀の朝は早起きし、朝9時には天守閣の入口に並ばなければならない(といっても列ができているはずもないが)。

この丸亀城は、異例な構造だ。平地にぐいとそびえる丘そのものを利用している。築城にあたっては、幕府には第二候補として申請したそうだ。他国の例で言うと、第一候補の場所は、戦略的な要衝の場合が多く、たいてい許可されなかったそうだ。大名の弱体化は幕府の狙いだからだ。丸亀は逆筋を狙い、成功したようだ。市内一望。

そして、美しい水堀に華麗に引き立つのは、巨大な石垣だ。そして、現代では当然というべきこのタイトに四角い石を組む方法は、当時は画期的だった。個人的な趣味では牛蒡積みというような、古風で柔らかな組み方が好きなのだが、ここは精悍だ。石と石の間にできる、黒い陰がくっきりと、高石垣の印象を強める。今は亡きソニーのトリニトロンのようなものだ。

そして、相当高い場所に天守閣はある。もちろん、4日目に備中松山城に行っていなければこの高度差に思わずため息が出るかもしれないが、要は、ここまできたらよじ登るしかないのだ。そして、この城は正面の石垣の上にいきなり天守閣がある、どうしてこういう構造かというと、大砲が実戦化される前の時代だからだ。敵の攻撃を裏側からに限定している。そしてそこには、急な坂道と緩やかな坂道の二つの入路がある。その緩やかなつづら織りの坂道で戦闘が行われることを仮想して設計されている。だから、裏側から敵が侵入した場合、天守閣を枕に最後の防衛線が行えるようになっているのだろう。

そして、その二つの道は、現代の登城者にも選択を迫る。途中の分かれ道に二つの矢印がついている。片側は「男性」、もう片側は「女性」。何かトイレみたいだ。実際には、「男性」コースは階段が急で、一段ずつが大きく苦しむし、「女性」コースは距離が長くて苦しむ。いずれにしても、天守閣まで、時間はかかる。そして、天守閣から瀬戸内の海を眺めれば、はるかに続く瀬戸大橋が見渡せるのである。この城も、天守閣そのものの楽しみと、このアプローチの部分の楽しみと、一粒で二回味わえる。

そして、残念ながら、時間の都合で30分ほど見学したら、「男性」コースの下り坂を走り下りなければならない。なにしろ徒歩15分のJR丸亀駅で乗らねばならない特急いしづち9号は、10時8分発である。さらに、駅と城との間には歓楽街があり、あやまって袖を引っかけないようにしなければならないが、朝の9時台なら大丈夫だろう。


f67d7223.gifそして、四国は横に長い。次の目的地である松山に着くのは12:05分。丸亀駅の近くにある、極めてうまいうどん屋に行けなかったことを悔やまなければならない。昼飯など落ち着いて食べる時間はない。松山についたら、すぐに駅前から市電に乗る。10分ほどでロープウェイ駅近くに着く。さらに工事中のロープウェー通りを歩き、ロープウェイ駅につく。すると、また二択になる。ロープウェイという箱型の乗り物に乗るか、スキー場にあるようなリフトに乗るかである。一長一短。リフトは待たないですぐに乗れるが、寒いし雨に濡れるし荷物が多いと危険だ。ただし、落下したときの存命率はリフトの方がましだろう。

ところが、この辺で明らかにしなければならないが、現在の松山城は大規模修繕工事中である。美しい天守閣の姿を見ることはできない。もちろん美しい庭園や天守閣内部は入場可能だ。ただし、松山市自体がこの城の工事に合わせて全市休業のような状態であり、ロープウェーが止まる日もあるらしい。巨額な投資の結果が空振りに終わらないことを祈るだけだが、空振りになる可能性も結構高そうだ。姫路、松江、松本などと並び大型観光開発の目玉となっている。気になるのは、本当に観光客へのホスピタリティを考えているなら、工事中でも来訪してくれる人たちにも、もっと暖かい心尽くしがほしいところだ。

そして、ここでもロープウェイで下りてきたら、タクシーで松山駅に急がなければならない。注意が必要なのは、JR松山駅と伊予電松山市駅があり、大きな声で運転員に告げなければならないが、そうすると、勘違いをしたドライバーから色々と話しかけられてしまい、思わず道後温泉に連れて行かれそうになることだ。無視する。

14時18分、宇和島行きしおかぜ9号発車。みかん畑の中を走り、15:33に宇和島に到着。


f67d7223.gif宇和島城は、実は駅から近いのだが、行きはタクシーがいいかもしれない。走行距離は極めて短いのだが、上り口を一見のトラベラーが発見するのは困難。そして、いつもの未舗装の山道が出迎えてくれる。ここの石段は後付のようで綺麗な反面、雨の日は滑りやすい。

そして、完全に森を抜け、山の頂上に登るとやっとの思いで天守閣に到達。奇妙な形をしているため、正面から見た姿が、鬼の顔面のようにも見える。宇和島の町の背後に連なる鬼ヶ城連山の主が山から下りてきたようだ。そして、大変に雰囲気がある。場所も秘境っぽいし、アプローチの間の「暗」と天守閣前広場の「明」。眼下には宇和島漁港とみかん畑が広がる。

そして、この宇和島城こそ、かの城造りスペシャリスト藤堂高虎が世界に残した多々の天守閣の中、ただ一つ現存している遺作なのである。405歳。文献などで見ると、今治城、和歌山城あたりが彼の作品の頂点であり、この宇和島城は、彼の中ではどちらかというと傍系のようになっている。復元された和歌山城は、十数年前に挑戦したときは、本物と思ってしまったほど、大変な名作と感じたのだが、おそらく後年の設計者は、原図を変える気にならなかったのだろう。

そして、宇和島城天守閣内部を歩けば、そこに400年前の藤堂高虎の精神に少し自分の脳波の波長を合わせることができるかもしれない。

ただし、これだけは言っておかなければならないのは、宇和島城は現存12城の中で、もっとも傷んでいる。このままであれば、自然倒壊や、地震被害を免れないだろう。大規模修繕の経歴もないようだ。が、それも藤堂高虎にふさわしいのかもしれない。さらに、天守閣前に立つ巨木。樹木の名前には疎いのだが、根元に既に2メートル大の洞ができている。すべてが、古城にふさわしい。

f67d7223.gifそして、いつものように大急ぎで宇和島駅に戻る。四国ローカル線の旅は大変だ。17時05分発、予土線の普通電車で南下。山あいを抜け高知県に入り、太平洋側の窪川駅着が19時08分。接続悪く、19時48分発土讃線特急しまんと10号に乗る。高知着は20時54分だ。ネタの太い寿司屋「おらんく屋」も、駆け込んだ時には、ほとんどネタが残っていないかもしれないのだ。

5日目、乗車距離、417km。乗車時間、6時間23分。

<追記>当初、宇和島城の俗称を鬼ヶ城と書いたが、現地の方から誤謬との指摘を受け、事実を調べなおした結果、その部分を修正(2006/02/02)。


伝説の写真家アウグスト・ザンダー展

2005-12-24 22:36:47 | 美術館・博物館・工芸品
2f8d5661.jpg少し前に近代美術館で開かれていた、アウグスト・ザンダー展のことから。伝説のドイツ人写真家である。今回は、1927年のケルン芸術家協会での彼の写真展をできるだけ忠実に再生。当時のドイツでは大好評を得たということだ。ザンダーの構想は、「20世紀の人間」を7グループに分割して、さらにそれを45のポートフォリオで構成する。膨大な数の写真によりドイツ文化を表現すること、ということになっていた。そして、被写体もモデルではなく社会統計学的に有意性を捨て、ランダムに選ぶ。要するに人間の標本。

実際に、こういう作品があるからこそ、1927年のドイツ社会の混迷がわかるのだが、そういうような機械的に人間を職業別に抽出して記録に残すという行為は、何か現代の普通の日本人である私には居心地の悪い気分にさせる。こういう言い方がいいかどうかわからないが、「昆虫採集」というコトバや、「コレクター」という映画を思い出させる。

2f8d5661.jpgそして、1927年とは、第一次大戦で大敗北を喫し、かたやワイマール憲法という理想政治がありながら、返済不能の巨大な賠償金を払いながら、来るべき1929年の世界恐慌直前といった図である。

その後、社会も経済も大崩壊し、ドイツ国民のお気に入りのある一人の雄弁家が、大暴れをするのだが、彼もやはり人種の選別とか考えていくわけだ。どうも、人間を種類別に分けるというのが、好きな国民なのかもしれない。

以前、英語を教わっていた教師がなぜかドイツ系であり、議論が白熱すると、すぐに聖書が登場した。私は聖書の中の登場人物の英語読みなどまったく知らないわけで、どうしてもそういう方向の議論は避けたいのだが、興奮した彼の演説を止める方法をついに見出せなかった。

それなのに、何か彼の方が正しいのではないかと思わせるところがあるのが、ドイツ人の不思議さだ。ロジックがきちんと四角形にできあがると、内容が間違っていても、正しく思えてしまうのだろうか。そういえば、マルクスもドイツ産だった。

2f8d5661.jpg1927年の群像の中で、私が好きな写真は、ボクサースタイルの二人がはにかむ「農民」。何か、それぞれ三人の家族が、口に出せない秘密を持っているような「中産階級」。そして、この写真群の中で、もっとも生気があり、もっとも幸せそうな人物である「菓子職人」。この3枚をリコメンド。

そして、菓子職人氏、おそらく1880年頃の生まれのようだが、当時、ドイツはお菓子の超先進国。多くの技術がドイツから世界に広がっていく。そして、紆余曲折の末、日本に渡来し、結局、神戸に夫妻で骨を埋めることになったバウムクーヘンの父、カール・ユーハイムは、1886年12月25日、ライン川に沿うドイツの小都市カウプ・アウ・ラインに生まれたのだが、今年後半に色々と調べてきた彼の人生の航路図を、本ブログでは、そろそろまとめてみようと思っているのだ。  

5泊6日の城めぐりplan(4)

2005-12-23 22:35:53 | The 城
14f20e93.gif4日目
12城のうち、登城の困難さという意味では最大のハイライトが訪れる。備中松山城。これぞ山城である。

岡山駅から特急やくも1号に乗る。7時24分。倉敷までは山陽本線だが、伯備線に入る。高梁(たかはし)川に沿って、中国山地を果てしなく上っていく。そして約30分で備中高梁駅に到着。7時57分。駅の周りはいくつかの観光スポットもあり、コンビ二もある。そして、備中松山城への道筋の地図もある。しかし、何気なく歩き出してはダメなのだ。きわめて遠い。そして、曲がりくねったローカルな道は、心細すぎる。それに上り坂である。こここそはタクシーに乗るべきだ。それでも城に着くわけではなく、城に登る登山道の入口に着くだけだ。それでも3,000円位かかる。逆に言うと、タクシー3,000円の上り坂の距離を歩くのは厳しい。さらに、きょうもまた忙しいのだから。

そして、タクシーから降りる時に、タクシー会社の電話番号を確認するのを忘れないように。何しろ、人間の姿は、当面、見ない。緑の電話はあるので、ここまで下山した段階で電話をすると10分くらいでタクシーはやってくるはずだ。あらかじめ、迎車時間を決めておくのは、無駄が多いかもしれない。何しろ、登山道の途中で足を滑らすと、一気に転落して帰らぬ人になってしまう。呼んだタクシーをいつまでも待たせなければならなくなる。

登山道には、よく雪が積もる。落ち葉の上に雪が降ると、さらに危険だ。息もきつい。寒い。途中で休むといっても座る場所はない。どんどん坂が急になる。下界を見ると、ちょっと怖くなる。ここは、本当に心臓にこたえる。どうも、静かな山の中で、物音が立つと、驚いて山鳥たちが飛び出す。なんだか、わからないが小動物が動くガサガサという音は、かなり怖い。

そして、あと1分したら、もうあきらめて帰ろうと思った頃に石垣が目に入る。そこから先も長いのだが、やっと山の頂上にある備中松山城に到達する。小さな天守閣だ。そして、静かだ。難攻不落の城だ。まさに、現存12城の象徴とも言える。ここまで来る人間は多くないだろう。

そして、この城まで辿りつくには、ある種の覚悟がいるのだが、この城にはまた別の覚悟がある。天守閣内に特別な部屋がある。それは1階の奥に位置するのだが、「装束の間」と呼ばれる。6畳程度の板床の部屋だが、この部屋の役割は、城が攻められ、陥落する場合に、城主と家族がこの部屋にあつまり、切腹するためのものだ。少し雰囲気が違う。

しかし、もちろん難攻不落なこの城は、装束の間で切腹が行われた史実はない。ところが、この城の代々の城主の一人には、「浅野家家臣、大石内蔵助」が名を連ねる。別の場所で切腹したわけだ。

そして、下を見たら怖いと思いながら、先ほど上った道を降りるしかない。そしてまたタクシーに3000円を払う。再び備中高梁駅からの特急に乗るのは10時55分。やくも7号。高梁川に沿って、さらに山を登っていく。中国山地の頂上に近づくにつれ、川幅は短くなる。そして、いつしか山脈の頂上に到達し、今度は日本海側に別の川に沿って米子方面に下っていく。

14f20e93.gif特急は米子を過ぎ、松江に到着する。既に13時42分。急ぐしかない。100円バスかタクシーかになる。そして、松江城は観光地化されている。平地をたくさん歩くことができれば、苦労はいらない。立派で美しいし、城内庭園を歩く人々は多いし、何も文句はつけられない。正統派の城下町だ。12城の中では、松江は、最も観光を念頭に整備されている一つである。

松江は落ち着いた町であり、町全体に知性と品位がある。城は美しいし、あちこちで、落ち葉を拾ったり、町をピカピカに磨いている。城を中心に歴史的景観を復旧したり、(本当は寒くて1年で逃げ出した)小泉八雲を観光のコアにしている。姉妹都市をニューオーリーンズという未開都市にしたのはイメージダウンだっただろう。私のようなバイキン人間はちょっと息苦しいので、次に進む。

そして、再び駅に戻り、逆コースを選択する。松江発15:35、長い長い下り坂を岡山に向かう。17時56分岡山に到着するのだが、さらにここで四国方面行きに乗り換える。岡山発18時22分。しおかぜ23号。丸亀着19時6分。

14f20e93.gif4日目距離、425km、乗車時間、5時間23分。  

博士の愛した数式は、1-1=0

2005-12-22 22:35:02 | 書評

eb397a17.jpg生真面目な女流作家、小川洋子が「博士の愛した数式」という小説を書いて、第一回本屋大賞を受賞していたことは知っていたが、「本屋大賞」というのは画期的だな、と思う反面、本が好きな本屋がいるのだろうかという違和感をもっていた。

実は、今から16年前の1989年のことだが、ある企画の一環で横浜某所に本屋を作ることになり、責任者をやっていた。当時の経験から言うと、本屋は本を商品としてしか見ない人がほとんどで、「千円札の数百倍の重さの紙の塊を千円で売って、150円しか儲からない。」という肉体労働者と化してした。当時は文芸本は両村上&ばななだけが売れる状態で、取次からの配本を増やすために、書店員一同で「ノルウェーの森・上下」の架空の客注票を書いていた記憶がある。本など読んでいる書店経営者など一人も知らなかったのだが、中小書店の淘汰が進んで、残存者利得で経営に余裕ができたのだろうか。

そして、にわかにあわただしくなったのは、映画化されることになったからだ。2006年正月後半に上映開始。2003年8月28日の初版なので、色々ばたばたと話が進む。原作は文庫化され、再度、販売ドライブがかかる。

粗筋をザクっと書くと、登場人物は、数学博士、家政婦、その男の子「ルート」。ほぼ3人。数学博士は17年前の交通事故の結果、事故以降の記憶は80分しか持たない。身の回りの世話をするために派遣された家政婦が、博士の80分間数学教室の生徒になり、そこに男の子のルートがからむ。数学博士といっても、登場するのは、「数字そのものの特性の話」。そして、なぜか阪神タイガースの背番号28の男「江夏豊」がキーポイントになる。村上ファンドの先取りがこの小説にあったわけだ。

そして、この本をエンタメとして捉えるなら、「好きか嫌いか」の二元論かもしれない。私自身、それほど数字に弱いほうではないが、ちょっと疲れてくることもある。長さにおいても限界かな。そして、3人の友情は、地方球場で観戦する阪神-広島戦で、飛んできたファウルボールの盾に博士がなることで最高の場面を迎えるのだが、このあたりまで読んできた読者は、この小説のエンディングが、ハッピーに向かうのかアンハッピーに向かうのか気になりはじめる。

そして、その答えは、ただちに本屋に行って購入するか、1月後半以降に映画館に行けばわかると書ければいいのだが、映画のキャストを見て、気になることがある。

 寺尾聡 博士役
 深津絵里 家政婦役
 斎藤隆成 ルート(こども時代)
 吉岡秀隆 ルート(成人)

何が気になるって、原作に登場するルートは、こどもの時だけなのだ。成人のルートは最後の最後、22歳の青年として一瞬だけ登場。小説の中では1992年に11歳なので、計算すると、この小説が発表になった2003年に22歳だ。いったい吉岡秀隆は???

さっそく、1月20日に開かれる試写会に行けるよう、ある筋で応募したので、本ブログ読者の方は、運がよければ、映画館に行く前に粗筋を全部知ることができる。


ところで、このblogのURLはhttp://blog.livedoor.jp/ota416/となっているが、「おおた葉一郎」を「ota416」と捻っているのだが、この416という数字を博士流に因数分解してみる。

まず、2で割ると208、さらに2で割ると104、さらに2で割ると52、さらに2で割ると26、さらに2で割ると13という不吉な素数になる。2の5乗×13。

不運な男には隠れた要因があったわけだ。

追記1:吉岡秀隆、内田有紀離婚・・(1+1)÷2=1
追記2:もう一つの数学者の映画、「プルーフ・オブ・ラブ」1月14日ロードショー。


5泊6日の城めぐりplan(3)

2005-12-22 22:34:09 | The 城

3日目
1cc075ae.gif福井駅前から、本丸岡行きのバスに乗る。8時12分発。途方もないボロバスがスピードをあげて走る。国境封鎖に間に合わなくなるかのような暴走をする。席から落ちそうになる。何か城廻そのものが虚しくなるような感じになる。我慢だ。8時48分着。

終点のあたりが複雑だが、わかり易く本丸岡で降りた方が無難だ。が、終点には何もないし、城の表示もない。どっちかと言うと見捨てられた可哀想な城だ。手当たりしだいに数少ない歩行者をつかまえて、道を聞き、その道をしっかりと覚えておかなければならない。帰りも同じだからだ。そして広い城内は面影もなく、天守閣を残し、残り大部分は無秩序に住宅地になってしまった。

そして、天守閣はめずらしく板壁である。さらに福井地震で倒壊したのだが、大部分の建材を再利用して復元されたので、「現存ではない」という声もあるのだが、そこまで厳密にいわなくてもいいのではないかとも思う。

この丸岡城は柴田勝豊が築いたのだが、工事が進まず、人柱が必要ということになったそうだ。そこで「お静」という百姓の女性が、自分の男の子二人のうち一人でも、侍に取り立ててくれるならという条件付きで応募したというのだ。そして、無事に城が完成したのだが、肝心の勝豊は、別の城に行ってしまって、その約束が反古になったといわれる。そのため、現地では、4月頃しとしとと降る雨のことを、「お静の涙雨」と呼んでいるそうだ。真偽不明なので感想は差し控える。

そして、天守閣の下には丸岡市の博物館があり、さらに公園もあるのだが、そこに足を踏み入れると道に迷うことになる。丸岡城はもともと将棋の駒のような五角形の地割りになっていたため、現在でも道が不規則だ。そして、道を聞こうにも歩行者はめったにいないし、商店もない。車は突っ走っている。迷子に注意だ。(五角形といえば宇和島城にも見られるが、相関があるのかどうかは今のところ不明)

10時16分本丸岡発福井駅行きの京福バスに乗る。再びシートにしがみつかなければならない。バスの運転手には話し好きがいて、乗客と雑談したりしている。10時54分福井駅着。そして、再び北陸線に乗る。11時14分発特急しらさぎ6号。長浜駅12時12分着。4分後に新快速に乗り米原の一つ先、彦根駅着。12時30分。

1cc075ae.gif彦根城は駅から歩きだ。ほぼ平地である。時に大雪に見舞われる。それでも歩ける。石段を一歩ずつ登るのが苦心惨澹になるかもしれないが、天守閣は美しい。ただし、残念ながら、小振りである。外から鑑賞するのがお似合いなのかもしれない。庭園も美しいが、雪が降ると事実上入園困難となる。そして、幕府を強く支えてきた井伊家の趣味は高尚であり、彦根城博物館は、まさにお宝の宝庫である。時間があればじっくり一日かけて見ても構わない。12城の中では、大きなハイライトの一つである。

しかし、残念ながら先を急がねばならない。再び、彦根駅へ徒歩で戻り、新快速で西へ向かう。14時30分発、京都駅着15時16分。そして、新幹線に乗り、岡山に向かう。京都発のぞみ55号。岡山着16時37分。途中、姫路で降りて姫路城に向かいたいところだが、既に閉館時間になっているので、パス。岡山では初めての夜のフリータイムができるが、そろそろ、体のマッサージでもしたほうがいいだろう。ちょうど旅も半分。

1cc075ae.gif3日目移動距離は417km、乗車時間は4時間14分。
続く


5泊6日の城めぐりplan(2)

2005-12-21 22:33:18 | The 城
1cc075ae.gif2日目
出張などで、ホテルを利用する際、ささやかな楽しみは朝風呂なのだが、なかなかこの速攻城廻りでは厳しい。何しろ早起きが必要なことが多い。長野駅発篠ノ井線快速みすず6時56分発。駅そばで長野市を満喫してお別れ。松本には8時01分到着。9時までには時間があるが、歩くと遠い。

バスかタクシーで松本城へ行く。ここは平地だ。実戦的な城ではなく、堀も化粧用と見た。そして長身型の天守閣である。天守閣にも大坂、名古屋のような、横幅で威容を示すものと、安土城やこの松本城のように長身スリム型とある。記録に残る江戸城は、大坂城より広く、安土城より高く作ったため、きわめて巨大になったらしい。この松本城、風景に溶け込むこと12城一である。水掘りに映る姿は、ヨーロッパの古城めぐりの風格がある。明治時代の倒壊の危機を乗り越え、今に残る。この美しい姿が好きな人に悪人はいないだろう。

確かに、長野県にずっと住むと「純朴」というライフスタイルになりそうである。その意味で、皮肉なもので、現長野県知事が東京の大学へ行かなければ、「何となくクリスタル」にはならなかっただろうし、そうすると、知事になっていることはないのであるのだが、深く考えるのはやめる。

そして、松本駅に戻るにはタクシーを使いたいところだが、なぜか流しのタクシーはほとんどいない。そういう町なのだろう。時間の余裕が必要だ。何しろ、遅れると、以下のプランが水泡に帰す。そして松本駅発名古屋行き中央線特急しなの8号に乗る。10時42分。一路名古屋へ!

この名古屋までの在来線特急は中々の車窓の眺めだ。要するに、山間を流れる木曾川に沿って下っていく。従って、ディズニーランドのビッグサンダーマウンテン風に飛ばす。不思議なもので、電車や自動車に乗っても上り坂だと息苦しく、下り坂は快適だ。人間の身体は下向きのGから解放されることに快感を感じるようになっているのか、あるいは空気濃度が原因なのか、あるいは私だけの気のせいなのかもしれない。

そして、線路の周りに民家が増えてくるとスピードも下がり、そのうち大都会名古屋が現れる。12時47分着。そしてこれから犬山城をめざす。名鉄新名古屋駅は、名古屋駅の北側になり、つい巨大な駅ビルに入るタカシマヤに寄り道したくなるが、それはダメ。13時ちょうどの犬山方面の急行に乗る。しかし、この名鉄新名古屋駅は、まさに名古屋の象徴というべき合理主義の塊で、少ないホームに多方面の車両が次々になだれこんでくる。見知らぬ行き先でいいのかどうか、表示板で確かめているうちに、乗降ドアは閉まってしまう。さらに、ロマンスカーのようなハイグレードの車両が各駅停車の鈍行だったりする。

1cc075ae.gif犬山着13時29分。10分ほど歩くと登城石段の下に着く。長い石段ではあるが、一段ずつは、きつくない。丘の上にたつ天守閣には、本物の城主がいる。成瀬さんという方で、現在は一応法人化しているが、もともとのこの城の所有者である。明治時代に一旦政府の所有になったものを買い戻した。執念。そして金シャチの町だけに少し「けばい」。しかし、木曽川の眺望は最高だ。この天守閣に上ると、何か天下統一を狙いたくなる。信長・秀吉・家康を生んだ土地だ。

そして、再び名鉄で犬山から名古屋に向かう。15時23分発、15時54分着。約30分の乗り換えで、再び新幹線に乗る。きしめんを一杯食べる時間しかない。新幹線ホームからは、なぜかビックカメラ名古屋店がよく見える。ひかり377号、16:24発、米原着16時51分。ここで大急ぎで北陸線ホームへ走る。7分後しらさぎ11号に接続。福井駅着17時59分。早い到着だが、油断は禁物。明日3日目は不慣れなバスに乗らねばならない。京福バスは不親切だ。駅から少し歩いたところにあるバス乗り場を確認しておくことが必要だ。

1cc075ae.gif2日目、移動距離、487km、乗車時間、5時間36分。
続く  

5泊6日の城めぐりplan(1)

2005-12-20 22:31:10 | The 城

4eb6666a.JPG年末年始が近づいてきた。一般的な会社では12月29日から1月3日までの6連休となることが多いのではないだろうか。実は、別名「過激なツアコン」と呼ばれる私が、5泊6日の特選旅行プランを考えてみた。時間と余裕よおカネと体力の余っている方には、是非、一考してもらいたいプランだ。

ツアー名は、「現存12城、一挙攻略の旅」。6日間で全部制覇しようというプランだ。

実際は、12城のうち、弘前城(青森)だけは、大きく離れている。そして冬季は天守閣の中に入れない。だから、正月休みに決行する場合は弘前除きの11城を5日で回るようにアレンジすればいい。そして、最後に残った1日(1月3日)で、家の大掃除をして、紅白の録画を早送りで見て、そして、3種類の雑煮を掻きこんで、不意の先からの年賀状の返事を書いて・・・

一応、オリジナルプランは12城攻略パターンで計画する。次に気になるのは、どこから出発するかだが、とりあえず東京ということにする。愛読者の方は全国に分散されているようだが、全部回るというのは、いわば「一筆描きなので」、青森から岡山の間の方は同じようなことになるのではないかと思う。その外側の方は、そのコース上までの距離と時間とおカネを足せばいいはずだ。

まず、基本的な計画だが、全体配置を確認すると、弘前(青森)だけが離れている。そして、日本の中央の方は松本(長野)、犬山(愛知)、丸岡(福井)、彦根(滋賀)というようになっている。松本から犬山(名古屋)方面の線が書ける。犬山、彦根、丸岡というのも線になる。
次に姫路(兵庫)、があり、岡山から北に向かって備中松山(岡山)、松江(島根)がつながる。一方、岡山から南に四国に渡ると、四国には4ヶ所ある。丸亀(香川)、松山(愛媛)、宇和島(愛媛)、そして高知(高知)。固まっているが、つなぐのは難しい。どうも、線でつないで、新幹線をベースに、ローカル線でつなぐような鉄道ルートが正しそうだ。

4eb6666a.JPG次に簡単な算数だが、12城を6日で割ると、1日2城でいいのだが、実は、弘前で1日使ってしまう。そうなると、どこかで1日3ヶ所行かねばならない。一方、天守閣へ入場できる時間は、多くは9時から4時半まで。さらに、姫路や松本、高知のような大きな天守閣は4時半に入場しては見切れない。結構、組み合わせは難しい。

そして、現地での足は一般的なものとした。結構、駅から歩ける範囲の限界のような距離のところが多い。タクシーで1,000円程度のところは、タクシーも利用することとする。もちろん歩いた方がいい場所は歩くが、城めぐりは体力が必要ということを忘れてはいけない。楽をすることも必要だ。「年金生活になってから行こう」というのは、大間違い。腕力がないと丸岡城の城内階段(綱につかまるしかない)は征服できないし、丸亀城や宇和島城の石垣にも登れないし、まして備中松山城は登り切れずに凍死するかもしれない。さらに、このツアーは、一挙にまとめて片付けようというのだ。


1日目、弘前城
4eb6666a.JPGまずは、1日目から大変だ。東京駅6時56分発の東北新幹線はやて1号に乗る。八戸まで、ゆっくり眠り直したほうがいい。体力温存だ。八戸着10時03分。新幹線はここまでなので、在来線に乗り換える。八戸から青森までは特急スーパー白馬1号。10時15分発11時13分青森。まだ着かない。奥羽線で少し戻らなければならない。青森発11時17分、弘前到着12時05分。青森駅での乗り換え時間は4分しかない。乗り遅れると、以下のすべての計画が破綻する。実に東京ー八戸が約3時間、八戸-弘前が2時間ということだ。

もちろん、ぐずぐずできない。弘前城の魅力は天守閣だけではなく、広大な城内の公園であるからだ。元々小振りな天守閣は、公園の大きさと、立派な樹木でさらに小さく感じるのだが、水堀側からの眺望は、空間を切り裂くような鋭さが感じられる。駅前からタクシー(1000円程度)に乗るか、歩く(20分)か、100円バスに乗るかだが、一長一短としかいえない。歩いていると、次々に観光スポットが現れて、目的物にたどりつかない。特に、駅に戻ってくる時にはタクシーが必須だ。台数は多い。城の前にある弘前ねぷた館に入ると、つい津軽三味線の生演奏を聴きたくなり、時間は切迫する。

弘前城は他の11城と較べると、一つだけ若い。他の城は約400歳だが、ここだけは200歳。もちろん江戸時代なので、幕府に気兼ねをして、櫓を組みなおして再生している。「新築許可」ではなく「改装許可」だったのかもしれない。したがって、小さい。惑星で言えば冥王星のようなもの。

ただし、この城は他の11の城より優れていることがある。それは、「地元市民からの愛され度」だろう。結構、粗末にされている城も多い。ただし、ちょっとした欠点がある。天守閣内で展示されている武具の中に、「津軽対南部」という対立構造の結果、津軽要人暗殺計画に失敗した(とされる)南部藩士の首を切り落とした、と説明がついている日本刀が展示されていることだ。もっと視野を広げてもいいのではないだろうか。

4eb6666a.JPG再び、弘前駅に戻り、列車に乗るのは14時29分。八戸まで特急つがる24号に乗る。15時57分着。そして、8分間の乗り継ぎで再び東北新幹線に飛び乗る。はやて24号。八戸発16:05。もう夕方だ。ここで、北国仕様だった衣類を着替えればいい。あと5日間もかさばる荷物になるのが欠点だがしかたない。このツアーでは色々と諦めなければならないことが多々でてくる。なにしろ「速度優先」だ。そして、新幹線は一路終点東京へ向かうのだが、だからとしてうとうとして快眠をむさぼるわけにはいかないのだ。奇抜なことに、終点の少し前の大宮駅(埼玉)で乗り換えることになる。大宮着18時42分。8分の待ち合わせで、長野新幹線あさま543号が来る。長野着は20時18分。長い長い一日が終わる。長野は教育都市だから、夜の街に不健全な遊びを探すのはムダだ。早く寝よう。

移動距離は1,692kmにもなる。乗車時間合計10時間26分。
(続く)


神戸市民への巨大なXマスプレゼント

2005-12-20 21:32:06 | スポーツ
 神戸の人口が震災前の人口を超えたそうだ。

さらに、東京都民から巨大なクリスマスプレゼントが進呈されることになった。

 named キヨハラ

実は、昨年の今ごろ、ニューヨーク市民にプレゼントされたものがあった。

 named ランディ・ジョンソン

昨年のニューヨークタイムズは、この巨大なプレゼントについてこう書いてあった。

A 6-foot-10 action figure with a bionic left arm and a turbo charged fastball.
(生物学的左腕を持った205センチの動く人形。ターボチャージャー付のスピードボールがおまけ)

神戸市民には、こう書くべきか。
188センチ104キロ。40試合で12本のホームランの長打率。ただし、中古。保障なし。返品不能。