マスコミの大罪にあらかじめ注意を

2008-01-31 00:00:18 | 市民A
鳥インフルエンザ(bird ful。以下、トリフル)の変異によりパンデミックの恐怖が、着々と近づいている。まず、鳥インフルエンザの人間への感染についての記事。

<鳥インフル>インドネシアで2人死亡 初めて100人に
1月29日0時41分配信 毎日新聞

インドネシア保健省によると、高病原性鳥インフルエンザ(H5N1型)に感染し、新たに2人が死亡したことが28日、確認された。同国の感染死者数は累計で世界で初めて100人に達した。
死亡したのはジャカルタ近郊の西ジャワ州デポックの男児(9)と、ジャカルタ在住の女性(23)で、感染源は別とみられる。いずれも高熱などの症状を訴え、病院に運ばれた後、27日に死亡した。インドネシアの死者は今年6人目で、感染拡大が懸念されている。
世界保健機関(WHO)によると、03年以降、鳥インフルエンザによる死者は世界で220人以上確認されている。

最近、インドネシアの会社とのビジネスがまとまったのだが、日本の代理商社を通じて、さらに現地とはメールで連絡をとっているために問題はないのだが、そのうち、一度は顔を合わさなければならないのではないか、と少し怯えている。何しろ、現地からは飛行機で当日に到着。一方、潜伏期間というものがあるので、その糊しろの日に当ったりすると、悲惨だ。毎日新聞の記事は新聞社らしく、数学無視で死者数しか書いていないが、感染者は300余名ということで、致死率は脅威の60%。現内閣支持率の約2倍だ。

そして、この220人の中には、人から人へ感染したのではないか、と疑われる例が少なくとも1例はある(父と子が感染)。

鳥から人に感染しているうちは、感染源の鳥を地域ごと駆除していくという原始的な方法でいいのだが、これが人間からうつるとなると、この駆除作戦を展開するわけにはいかないことは自明だ。今のところ、トリフルが人類で拡がる可能性(入口)は二種類と考えられている。

一つは、トリフルウイルスと既知のタイプのインフルエンザウイルスの融合型。実際にはなんとも言えないのだが、トリフルよりは弱体化されるのではないか、と思われている(重ねて言うが、実際にはよくわからない)。

もう一つは、トリフルウイルス自体が突然変異を起こし、その強力さを維持したまま人間にとりつく可能性。このケースがもっとも怖い。1918年から1919年に世界を覆いつくしたスペイン風邪は、もともと、この突然変異を3度繰り返しながらウイルスが世界中に拡散した、と言われ、当時の世界人口の50%である6億人が感染し、5000万人が亡くなったとされる。当時は第一次大戦中であり、人々の移動自体、困難を極める時代であったのにかかわらず、これだけの数字である。現代の都会生活を考えれば、僅か数日で世界に蔓延する危険はある。しかも、その新ウイルスの威力は、まったくわからないのである。

それで、本題はここからなのだが、今のところ最善の防止法は、インフルエンザと同様にワクチンといわれるのだが、残念ながら、実際にウイルスが発現してからでなければ、ワクチンはできない。しかも、少なくても半年は必要とされる。流行が長くなればいずれワクチンの生産が可能かもしれないが、ウイルスが変異を重ねた場合は追いつかない。

そうなると抗ウイルス剤ということになる。そうすると人類に残された途は、現状では「タミフル」ということになる。日本では2500万人分を備蓄しようというのだが、1億2000万人に対して2500万人分が十分なのかどうかよくわからない(やや不安)。

ところが、タミフルに関しては、特にマスコミやある声の大きい医者によって、「異常行動との因果関係」が報道されている。どういう背景関係かわからないが、タミフルそのものの認可取り消しを狙っているようなのだ。

確かに異常行動で20人弱の若い世代の犠牲(主に高所からの飛降り)が出ていて、厚生労働省の調査は続いていて、まだ、因果関係(つまり、タミフルが脳に影響を与えたかどうか)があるともないともはっきりしていない。もともとインフルエンザは脳炎を起こすことがある。さいわい、インフルエンザによる致死率は圧倒的に老人に多いということから、10代への服用は控えられる傾向にある。

しかし、スペイン風邪の時の例から、トリフルの場合は逆に、10代から30代に犠牲者が多いと考えられている。免疫系の異常を起こすため、免疫力の強い若年層の方が症状が重くなるということ。その時、医師は、タミフルを使うべきかどうか、という選択を迫られるわけだ(もちろん、認可取り消されていなければ)。まあ、その時は新聞のことはすっかり忘れて、トリフルの致死率と、異常行動の確率(およそ20万分の1)を比較すべきなのだろう。

しかし、一抹の不安は厚生労働省である。何しろマスコミを恐れているわけだ。元より国民のための役所でないのは他の役所とも同様なのだが、以前は製薬会社およびそこに天下ったOBのことが第一義であったのだが、最近はバッシングを受けたせいか、ひたすら自分達の保身のためにのみ政策に追われているのが実態だからだ(さらにタチが悪くなった)。このままタミフル禁止になれば、合法・非合法・本物・偽物が入り混じるとは言え、何らかの方法で自ら輸入して、備蓄しておくしかないのかもしれない。


ところで、流行が拡がっている時の対策の第一は、何といっても「外出しない」こと。都会の人混みや電車に乗れば、少なくとも1000人くらいの人と接触することになる。なるべく、自宅から出ないで非常食でも齧っていたいところだ。

しかし、世間にはしがらみというものがあって、何となく通勤・通学で釣り出されてしまうものだ。

そして、その時こそ、「仮病」である。しかし、ことはあまり簡単ではなく、「神経症」とかで許してもらえるのは、首相と横綱ぐらいだ。普通の人が自然に長めの仮病になるには、それなりの準備と演技が必要となる。

お勧めは、腰痛。特にギックリ腰あたりがいい。とりあえず1週間程度は可能だ。そのうち世間がアウトブレイク状態になれば、何がなんだかわからなくなる。そのためには、今のうちに、一回か二回、予備的に「そのふり」をしておくことだ。それと、事が終結した後、まだしばらくは腰を曲げて歩いていた方がいい。知人で、腰痛で休んだ後、ゴルフコンペで優勝したため、「同じ医者でも、ゴルフクリニックに通っていた事実」を暴かれたものがいる。

さらに、仮病のバリエーションとしては、「トリフルそのもの」に罹った、という手口があるのだが、その場合、後の収束方法が、なかなか思いつかないのである。


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ポスト京都プロトコル:電力業界の対応?

2008-01-30 00:00:21 | 市民A
今週の始め、電力会社の研究所である(財)電力中央研究所主催の「第四回地球環境シンポジウム」に出席。経団連ホール。

元々、温暖化防止、言い換えればCO2の削減をテーマにしても百人が百様の意見を持っている。複雑系科学の代表だからだ。あっちを立てればこっちが立たずということ。

しかし、最近、米国も問題の所在について共同見解を取るようになった。原因分析がやっと終わり、これから対策ということになる。もともとこのテーマは京都議定書に端を発し、その準備期間が終わろうとするころにやっと次の段階の取り決めに動き出したところだ。

2008年の洞爺湖サミット、そして、きたるべき米国新大統領は誰になっても、少なくとも温暖化対策に取り組むだろう、と言われている。すでに、中国も無駄な抵抗はやめ、五カ年計画には削減目標を導入している。

ところが、ポスト京都議定書については、まだ、その概念や方法について、まったく方向性が決まっていない状況である。

とはいえ、大きく二種類の方法が提示されていると考えるべきなのだろう。

まず、京都の続きという方法である。各国別の総量を決め、さらにこれに排出権取引を組み合わせる方法である。元々、日本もこの方向だったのだが、「基準年の不公平感」を理由に態度保留になっている。実際は、米国がこの方法に積極的でなかったこともあり、米国追従でもあり、欧州の顔も立てなければならないという微妙な状況である。ただし、ダボス会議での首相演説など聞くと、日本もどちらかというと欧州案の方に近いような気もする。ただし、国別に独自のメニューを作るので、産業間の負荷(たとえば製鉄会社へのノルマが多くなると、製鉄業の国際競争力が落ちる。逆に有利になることもあるだろう。)が不均一になり、産業の国際間移転が起きる可能性がある。

もう一つは、「セクトラルアプローチ」というもので、広義の意味では代表的な産業(交通、発電、鉄鋼、セメント・・・)について、国際的に統一の規制値を作っていこうという方式。狭義の意味では、各産業ごとのエネルギー原単位に目標値をつくることである。この方法だと、国際的な競争力には中立だが、効果測定とか怪しい限りになり、個別セクターでは達成しても全体で未達成という可能性がある。


このシンポジウムでは、それらの問題についての電力会社の意見というか研究範囲というか、それらが明らかになるはずだった。が、・・


電力会社の意見としては、このセクトラルアプローチよりももっと消極的な方法である「プレッジ・アンド・レヴュー」方式の方が良いとされるわけだ。「プレッジ・アンド・レビュー」方式は、各国が温暖化対策を国際的に誓約し、互いに各国が精査し、政策強化を行うもの、とされている。

そして、奇妙なことにシンポジウムでは、「どうして日本の排煙脱硫装置が中国で売れなかったか?」という論文も発表されたのだが、要は、日本製は高いということのようだ。しかし、そういう脱硫装置が完備すると、重質原油や石炭といった温暖化促進燃料の消費が増えるだけのような気がする。

結局、3人の研究者のプレゼンがあったのだが、全体に浮世離れした論が多かったような気がしている。まあ、電力会社というのも、純国内産業で、さらに、事実上の地域独占に近いのだからしょうがないのだろうか。

今のところこの業界は原油価格高騰の結果、家庭エネルギーが灯油から電気へシフトしている関係で「濡れ手に粟状態」となっているのだが、原油価格高騰の余波が、この先、天然ガス、石炭、そしてウランの供給コスト上昇に向っていくことを、もうすぐ実感することになるはずだ。


そして、米国も温暖化対策に動き出した状況では、日本のようにあいまいな態度を続けていると、数十年にわたる省エネ技術にかかわらず、「環境後進国」と言われそうなのである。しかし、今頃、シンポジウムで電力会社が遠吠えしてみても、既に「時遅し」、ということではないだろうか。

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DVD: Horowitz in Moscow 歴史的演奏

2008-01-29 00:00:31 | 音楽(クラシック音楽他)
e939513a.jpg20世紀を代表するピアニストであるホロヴィッツの1986年モスクワ公演を聴く&観る。過去にCD化されていた13曲に4曲を追加し、全17曲にさらにインタビュー付き。1685円とは超破格の大安売りである。なにしろ日本公演(1980年代初めの頃)の時は、数万円のチケットで、さらに病気治療に薬物使用中で、「ヒビの入った骨董品」と酷評されたのだが、1986年のモスクワでは、ヒビは治っている。(インタビューに日本語字幕がつくDVDは3980円になる。)

そして、当時82歳のホロヴィッツは、なんと61年ぶりのソ連入りだった。生まれはウクライナ。音楽家一族に生まれた彼は、数々の音楽祭での名声を得、ソ連を離れていく。そして米国市民権を得ていた。1986年はゴルバチョフがペレストロイカを始めた頃であり、おそらく、その関係で、彼の公演が実現したのだろう。普通に考えれば、「ソ連を捨てた」人物に大観衆があれだけ感動するというのは考えにくいが、「ソ連を捨てた」のではなく「ソ連から逃げた」というようにモスクワ市民は受け入れたのだろう。

e939513a.jpg技術的には、彼の演奏法は、「指を伸ばして弾く」というフランス流で、「指を曲げて弾く」ドイツ流とは異なる。一般に、ショパンやシューマンといった色鮮やかな曲はフランス流で、ベートーベンとかチャイコフスキーのような、構想力や迫力で押してくるような作曲家の場合はドイツ流が好まれるが、ホロヴィッツは指を伸ばしたまま力強い弾き方といわれている。82歳での公演では、さすがに大河が流れるような迫力は感じないが、最盛期を思い起こさせるに十分な感動的なステージになっている。

曲目はスカルラッティ・モーツァルト・ラフマニノフ・シューベルト・スクリャービン・ショパン・シューマン・モシュコフスキと極めて多彩。

e939513a.jpg評判を読むと、「トロイメライ(シューマン)」に対して、高い評価が書かれているが、むしろスクリャービンが極めていい。このスクリャービンだが、楽譜の難解さに、演奏家も敬遠しがちで、よって評価が低いのだが、このホロヴィッツの「滑らかで速い」演奏法で聞くと、どこにもトゲトゲしさが感じられない。DVDでは無理だろうが、ホロビッツの若い時にスクリャービンを弾いたCDがないか探してみたくなっている。

そして、この公演後、3年。1989年、85歳の人生が終わる。ソ連崩壊の直前であった。

おまけ:値段が安いから致し方ないが、無理やり開封したら、プラスティックのケースをパキっと割ってしまった。別の小さなCDサイズのケースに入れ、ジャケットを小振りに縮小コピーしたら、まるで海賊版のようになってしまった。

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さおだけ屋はなぜ潰れないのか?

2008-01-28 00:21:57 | 書評
最近、過去のベストセラーで読んでいないものを読んでいる。ベストセラーと言うのは、たくさん売れた本(実際には印刷数が多い本)という意味。よい本という意味ではない。本当は、A good book costs good money.という諺は、それほど正しいわけではない。(そんな諺を聞いたことがない、と言われる方は、今、覚えておこう)

3年前、平成17年の本で、一時、書評などたくさん出ていて、「ときどき竿竹屋のクルマが回ってくるのは、なぜか?」というあまり普通の人は気付かない角度で書かれた本の題名。



私は、てっきり、一冊を全部「竿竹屋」の話につぎこんでいて、表層的な竿竹屋ビジネスを解明し、業界全体の需要供給構造などを分析し、マーケットを支配する大手ディスカウンターの戦略分析をし、さらに竿竹の基本的な使用方法である「洗濯物を屋外に干す」という日本型カルチャーと諸外国の洗濯の干し方の差から、天候と文化の関連とか、ガス型乾燥機の普及問題とか縦型の深度展開をするのだろうと漠然と思っていたし、その程度のことは凡そわかるので、読むまでもないだろう。というようにも思っていた。

入口のところの竿竹屋ビジネスのところでは、「竿竹屋の車に声を掛けたら最後の高額商品」つまり”焼芋商法”。「竿竹を交換するために家に上がったら最後、座り込んで別の商品(例えば、ベランダの改装工事)を押し売り」つまり”スパムメール商法”。「本来、別の本業を持っている人(例えば移動弁当屋とか)が、短時間で別のアルバイトをしている」つまり、”兼業農家法あるいは脱税商法”ではないか、と予測していた。

そして、この本を30分で読んでしまったのだが、驚くことに(あるいは驚かないことに)、入口想定は予想正解。金物屋さんが引き売りしている例も多いようだ。

しかし、縦型展開にならずに、横型展開になって、身近なところにあるミクロ経済学と超簡単な経営の解説書になってしまった。

逆に、どうして、こんな中学生レベルの本が日本で売れるのか考えて見ると、いくつかの仮説が立てられるのだが、日本の未来が暗くなりそうなので書くのをやめる。

そして、もう一度、この本の題名である「さおだけ屋はなぜ潰れないのか?」というのを観察してみると、まず「さおだけ」と平仮名になっている。「竿竹」では読めない人がターゲットである。しかも「潰れない」というところが漢字になっていて、アクセントが着いている。だいたい、潰れないのか、潰れつつある途中段階なのかも検証されないわけだ。しかも最後に「?」。かつて、良書の題名に「?」や「!」がついているものがあっただろうか。そのうち、絵文字や顔文字まで登場しそうだ。

ところで、この本の題名を本歌取りして、いくつかの本が出ている。中でも、「さおだけ屋はなぜ潰れたか?・池田浩明」という小説が出版されていて、このベストセラーを読んで竿竹屋を開業して潰れた人物が主人公になっているそうだ。原書は会計学の先生で、投資抑制型のキャッシュフロー経営よりも節税効果の高い先行投資経営の方を薦めているところから、主人公は黒字倒産したのではないかと、ちょっと想像してしまうのである。読まないけど。

御一新から国会開設へ

2008-01-27 00:00:28 | 美術館・博物館・工芸品
05aedac3.jpg 東京竹橋の国立公文書館で行われている「御一新から国会開設へ」展を覗いてみる。何しろ無料である。そして、日本が今日にいたった様々なエポックの文書的裏付けが展示されている。多くは本物である。しかもガイドフォンを借りれば、解説を聞くこともできる(が、その解説が正しいという保証はないことは忘れてはいけない。あくまでも、誰かによる歴史解釈の「見解」ということ。)

今回(~3月21日)の展示は明治維新について、慶応3年(1867)年の王政復古の大号令から帝国議会開設までのあゆみを資料で追ったものである。現代から見れば、明治初期に行われた近代社会への出発は、ビッグバンとかアダムとイブのように渾然一体とした世界だが、それなりに実行された順序があって、その順番の前後が歴史の綾をなしているともいえる。何しろ、原典というのは、様々なイメージが湧き出す泉みたいなものである。原典を歴史学者や歴史家、ご都合主義の政治家が勝手に解釈したものしか、普段の我々は見ることができないわけだからだ。

では、具体的にエポックを追ってみる。

王政復古の大号令(慶応3年12月9日)、戊辰戦争(慶応4年1月から明治2年5月)、五箇条の御誓文(慶応4年3月)

版籍奉還(明治2年1月)
 ここから、実質的に新政府の行政が始まるのだろう。長州・薩摩・肥前・土佐の四藩主の名で「版籍奉還」の上表が提出される。奇妙なのは、俗に薩長土肥と四藩を称するのだが、この時、四藩連名は長、薩、肥、土の順になっている。この長薩肥土と薩長土肥の差はなぜだろうと、いくら考えてもわからない。

平民に苗字を許可(明治3年9月)
 いわゆる四民平等だが、四民に入らない人の人権について、新政府がどう考えていたのか。よくわからない。また、主に旧大名対策には公伯子男という貴族制度を導入したのだが、欧州の貴族と決定的に違うのは、その経済的基礎。安定的な領地を認めなかったため、空気の補給のないダイバーみたいなもので、酸素ボンベと肺活量が品切れとなった今日、枕を並べて没落した。

廃藩置県(明治4年7月14日)
 強権発動である。全国の藩主を全員クビにして、藩のかわりに3府302県を設置し、政府が県知事を任命。その後、県は50弱に行政統合され、せっかく県知事ないなった者も、ほとんどがクビになる。この辺りまでが、西郷、大久保の共同作業だった。

05aedac3.jpg岩倉使節団明治4年11月~明治6年9月
 問題の1年10ヶ月の岩倉使節団である。米国、欧州に視察に行ったのが問題ではなく、視察に行った大久保と国内に残った西郷が仲たがいをすることになる。出発に際して、使節団(大使)が帰国するまで重要案件は決めないことになっていたのにかかわらず、西郷はどんどん、改革を進めてしまう。その時、使節団と留守番組との間に12条の約定が結ばれるのだが、その問題の部分は第六款である。

内地の事務は、大使(使節団)帰国の上、大に改正する目的なれば、その間、なるだけ新規の改正を要すべからず。
万一、これを得ずして改正することあれば、派出の大使に照会をなすべし。

結局、日本的あいまいさが残る文章である。要するに重要事項は2年間、棚晒しにしておくように、ということだが、何をもって重要なのか、また「使節団に照会する」というのが、事前了解なのか事後了解なのか判然としない。まあ、実際には、使節団側も何が重要案件なのかわからなかったのだからしかたないと言えばそれまでである。しかし、西郷は、改革に驀進するのである。

学制明治5年8月
 学制が決まる。小学校から大学まで制度ができる。全国を8つの大学区に分割してしまったのもこの時。帝大支配は長く続く。

徴兵令明治5年11月
 いずれ、国軍が整備されるのは時間の問題だっただろうが、西郷の改革は突き進んでいく。

地租改正明治6年7月
 今まで、税(年貢)は石高制だったのだが、その土地の有む産出額に応じて徴税することになる。まったく近代的な税制が導入される。よく考えると、現代より先進的なのかもしれない。こうして見ると、西郷は、使節団がいない間にずいぶん大仕事をしている。それらはすべて重要事項なのだから、使節団には、内緒か事後報告かいずれかだったのだろうと思われる。

そして、西郷は征韓論を用意して使節団の帰国を待ち、政権は分裂し、中央集権国家を目指すもの、議会制度を目指すもの、そしてなぜか下野した西郷は担がれて、不平士族と一緒に雪隠詰めにされる。


これらの資料は、公文書館のすばらしいホームページで見ることができる。もちろん、画像ではなく本物の方が感動するのは無論のことであるが、展示物はゆっくりみることもできないし、歴史じっくり感動派にはホームページは便利である。

ところで、ホームページの一番上に、「非常勤講師の募集」という不粋な記事が掲載されていた。ちなみに3月1ヶ月間(20日間)1日7,390円でホームページの製作作業をするようだ。一ヶ月で14万7800円になる。安過ぎるのではないだろうか。時給7,390円かと思ってアルバイトに行こうかと思ったが、勘違いだ。

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探しても見つからない本

2008-01-26 00:00:35 | しょうぎ
昨日のエントリで、チェス界の風雲児だったボビー・フィッシャーの最期について触れた。

チェスの本は日本語、英語と、かなりあったと思って、彼の著作を探してみたのだが、見当たらなかった。できれば、彼の作った、プロブレム問題(詰将棋というか必死問題というか)を将棋的に改造してみようと無謀なことを考えていたのだが、見つからなければしょうがない。

実際には王(キング)と飛車(ルーク)角(ビショップ)以外は対応する駒の動きが微妙に異なるし、取った駒は使えないという大きな差から、合駒問題は不可能。

逆に、打歩詰に対応するのがドローゲームで、これを避けるためにポーンが一段目に行った時に「(最強の)クィーンでなくてもどんな駒に成ってもいい」というルールが登場する。こうなると、もう詰将棋からは徐々に離れていく。この、何にでも成っていい、というルールが、チェスのゲームから発生したルールなのか、プロブレムから発生したルールなのか、よくわからないが、日本将棋の打歩詰禁も詰将棋から発生したものと考えることはできないだろうか。(まあ、違うということは証明されているのだろうが)


ところで、奇妙な話は、先日、真部九段の時、著作の「駒落ち」の本を書棚で探したけれど、これも見つからなかった。

さらに、先日来、ある高名な元棋士著である文庫本サイズより小ぶりの超短編の詰将棋本を探しているのだが見つからない。今のところ、その方はピンピンしているのだから、やはり非科学的な話と一笑しておけばいいのだろうか。

もちろん、本人の作であるとしたらの話である。

87c06969.jpgさて、1月12日出題分の解答。

▲2三銀不成 △1三玉 ▲1四香 △同銀 ▲2二銀不成 △1二玉 ▲1三香 △同馬 ▲同銀成(不成) △同玉 ▲3一角(途中図1) △2四玉 ▲3五金 △3三玉 ▲3四金 △3二玉 ▲3三金 △3一玉 ▲3二金まで19手詰。

87c06969.jpg主題は、11手目の3一角以降の金の突進で、その前のごちゃごちゃが序奏部分だが、ちょっと都会的じゃないかもしれない。日本の現状みたいだ。政治家と利権団体と官庁が限られた税収を奪い合うような不明朗さがある。

最後の2手は玉方が角を取らずに詰まされる選択もあるが、まあ、そこまでは対応しないことにする。

攻め方の4五金の配置は4六でもいいのだが、「これから(愛人宅へ)突撃します」という品格のない感じが出てしまうので、最初の一歩はフラっと横によろけるところからはじめてみた(結局、突撃するのだけど)。

なお、改作図として、突撃に特化した図も作ってみた。ここまでやると、ユーモアや軽さがなくなるので、解く楽しさも半減ではないだろうか。金・金・金・金・金・金・金とサラ金業者の取立てみたいになってしまう(追いかけられている人、ゴメン)。




87c06969.jpg今週の出題は、フィッシャー氏をしのんで、チェスのチェックメイト問題に近いものを探したのだが、少し前にブログに掲載した作の、変奏バージョンにした。

飛車、角、香車という飛び道具を盤上でさばく問題だ。変化で打ち歩詰め誘導に要注意。

解けた!と思われた方はコメント欄に最終手と手数と酷評をいただければ、正誤判断。







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ボビー・フィッシャーのエンドゲーム

2008-01-25 00:00:05 | ボビー・フィッシャー救出
87c06969.jpg弊ブログでも過去6回にわたり、チェスの元世界チャンピオンボビー・フィッシャー(Bobby Fischer)氏のことを書いている。9.11の後、米国外で反米的な行為及び発言をしたとして、パスポート失効宣言を宣告され、要するに「オタズネ物」になっていたところ、日本からフィリピンに向け出国寸前に収監された。2004年のこと。

当時、ジェンキンス氏問題というのが日米間に存在し、日本政府は、脱走兵ジェンキンス氏への恩赦と引き換えに、フィッシャー氏を米国に引き渡すのではないかと言われていた。しかし、福島瑞穂さん他の努力により、フィッシャー氏は8ヶ月の収監生活の末、第三国アイスランドへ出国(事実上の亡命)。ジェンキンス氏は慶応病院での病気亡命生活(後に前首相もこの病院に入院亡命)から、国内の米軍基地での短期収監ということで、とりあえず手打ちが終わる。

そして、フィッシャー氏はアイスランドで静養を続けていたと聞いていたが、突然、1月17日死亡が報じられた。ニューヨークタイムズによれば、死因は腎臓疾患に起因する複合的な疾病ということだそうだ。

週が明け、21日、首都レイキャビクから60キロ南東にある小さな町セルフォスの墓地に埋葬。葬儀には数人の友人と、彼の最大の友人(結婚宣言をしている)である日本人女性、渡井美代子さんが参列したということである。

同時代に彼と戦ったプレーヤーの談を読むと、フィッシャーがチャンピオンになった後は、チェスがインターナショナルなステータスを得ることになったし、賞金が増え、プロ選手という形態が確立された、というようなことが書かれている。35年前、彼は、終焉の地であるアイスランドで当時の世界チャンピオン、スパスキー(ソ連)を破り、全米の寵児となったのだが、結果としては、その後、スパスキーも金持ちになったわけだ。

また、フィッシャー氏がチェス界に残したのは、商業主義だけではない。

チェスの世界では、対局の時に持時間制が使われるが、日本の囲碁将棋のように一手1分以内というのではなく、最近はフィッシャーモードが多く使われる(シャンチーの大会でもそうらしい)。1分とか30秒ルールだと、ノータイムで指せる局面でもギリギリまで時間を使ったり、逆に、小考したいのに時間がないので雑な手になったりする。フィッシャーモードだと、ノータイムで指して浮かせた数十秒は自分の持ち時間にどんどん編入できるのでメリハリが利き、スピーディな、テレビ中継向けのルールである。簡単な手はどんどん進み、解説が必要な難解な場面では差し手が止まる。日本ではyahoo!のゲームサイトの将棋(チェスも)が。このルールを設定できる。

<フィッシャーモードとは>
時間切れ(時計の旗が落ちる)を防ぐ方法の一つ。元世界チャンピオンのフィッシャーの提唱によるため、フィッシャーモードの名がついた。一手指すごとに追加時間(数秒から数十秒)が持ち時間に追加される方法で、incremental timeとも呼ばれる。追加時間の間に手を指せば余った時間が持ち時間に加算されるので、ノータイムで指し手を続ければ持ち時間は増えていく。チェスオリンピアードやジャパンリーグなどで用いられているが、専用のデジタルクロックが必要なためまだ普及度は低い。


報道では、亡くなる数日前まで、フィッシャー氏と女性チャンピオンとの対戦の企画が進んでいたそうで、本人は近づく死神に気付いていなかったようだ。64歳は若過ぎるエンドゲームだ。

ところで、アイスランドでの近影を見ると、白髪を振り乱しての姿が多いのだが、なんとなく日本将棋連盟会長の風貌を思い起こしてしまった。そういえばほぼ同い年ではなかったか、と思って調べてみると、まったく同年生まれ。フィッシャー氏は1943年3月9日生まれ。米長会長は同年6月10日生まれ。3ヶ月と1日の差だけフィッシャー氏の方が早く生まれている。ということは、・・・

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古紙偽装、誤解の誤解の誤解の・・

2008-01-24 00:00:20 | 市民A
年賀状の古紙配合率の偽装が、発覚したのが年明けだったというのが、まだ幸いというか、例えば12月31日に発覚したのであれば、国民全体が、偽装工作に加担したような気持ちで元旦の年賀状の束を眺めることになっただろう。

日本製紙の発表では、インクジェット用は配合率0%ということだが、それにしては購入したハガキは白くなかったのだが、他社製だったのか、あるいは、色相調整でもしていたのだろうか。

ただ、この問題は何段階もの複雑系の諸問題を抱えているような気がする。エコ問題の多くと同じように、部分的な目的を積み重ねることによって発生する「合成の誤謬」を感じる。(年賀状という「しきたり」自体が反エコだ、という気もするが、それはおいておく。)


1.無理な目標
 まず、配合率40%は可能だったか?ということからして、「無理」ということだったようだ。1991年から、郵政省(当時)で再生紙利用を検討した会議の座長を務めた福岡克也・立正大学名誉教授が、このように語っている。

「40%~50%が古紙利用の限界かな、ということになって、その部分まで、研究会として報告したんです。(製紙会社から来ている会議メンバーは)相当苦情を言ってましたよ。『リサイクル率を上げることはよくない』『期待されるような品質のものはできない』と」

やはり、役人と御用学者が先に結論を出して、それに合わせて規格ができている。当時の研究会の報告書に何が書かれているかだが、問題は、ハガキの白さと丈夫さ、そして生産コストということなのだろう。いくつかの要素がトレードオフ関係になるわけで、はたして、現実的に配合率40%が妥当だったかどうか。

631b105a.jpg2.古紙も金満国に買い占められた
 次に、上質の古紙がなくなってしまった、という事情がある。実は、古紙について二種類の統計がある。一つは、古紙回収率。そしてもう一つが古紙利用率。エコ思想が日本に浸透しはじめた2000年以降、回収率は60%から70%に上昇している。ところが、古紙利用率はほぼ60%と横ばいになっている。なぜか?数字からは、古紙が輸出されていることが伺われる。

 一方、国別の回収率と利用率の表がある。回収率の方が少し高い国は米国と日本。一方、中国は逆パターン。つまり、せっかく集めた古紙を中国が利用していることになる(実際に日本からの古紙輸出の8割以上は中国向けである)。おそらく、中国から米国や日本へ製品を輸出したコンテナ船の帰り便には、古紙が満載されているのではないだろうか。

631b105a.jpg3.本当に古紙回収はエコなのか?
 国別の古紙回収率と古紙利用率の差が大きいのが北欧諸国である。50%を回収し5%を再利用。このギャップは焼却しているそうだ。つまり、紙のサイクルと考えずに、森林サイクルと考えているわけだ。樹木は一般にCO2を吸収し、C(炭素)を固定化するといわれるが、古木になると、成長を止め中立に、そして最後に枯れるときにまとめてCO2を出す。したがって、古木には、枯れる前にパルプとして一仕事をしてもらって、新木を植えていくという、「森林サイクル」を持っているわけだ。つまり紙のリサイクルチェーンだけを見てはダメという考え方だ。

4.上質な古紙
 もともとパルプでも針葉樹からつくられる繊維の長いものと、広葉樹から作られる繊維の短いものがある。この長い繊維の方が品質はよく、配合率も高くできる。つまり、より、使いまわしに耐えられるということなのだが、針葉樹は寒冷地産で成長が遅いという特徴がある。そして、この原料の新聞紙と段ボールが、買い漁られて輸出されている。一部、「押し紙」という陽の目を見ることのない新品の新聞紙の束もこのルートで消えてゆくのだろう。

5.元より、紙の再生はエコか?
 北欧諸国の古紙回収と利用率の差が大きいことについて、森林リサイクルという概念があると3項で書いたが、さらに広く考えてみる。
紙はパルプから作られ、パルプは木材から作られる。基本的には化学反応というのではなく物理的加工に近い。木材の主成分であるセルロースの繊維を取り出し、たたいたりのばしたり、水に溶かしたりして薄膜にする。古紙は、途中からこのコースに入り、インクを抜いたりする作業が必要になる。しかし、実際にはセルロースという安定した炭化水素の形で、「紙」である限りは、その中に炭素を固定しているわけだ。そして最後に焼却するときにCO2になる。

それなら、紙のまま燃やすこともなく、そのままにしておいたらどうなのだろう、ということ。この段階で、森が紙におき替わっているのだが、あえてそのままにしておけばCO2は増加しない。もちろん、それでは森林がなくなってしまうのだから、今の2倍の規模で植樹を進めなければならないだろう。つまり新しい木は、よりCO2を吸収するのだからさらにいい。一方、セルロースは安定しているといっても未来永劫酸化しないわけでもない。本当は人工ダイヤなどのように炭素だけの形にして地下の廃鉱山とか廃油田に埋めてしまえばいい。いざとなれば、燃料に使ってもいいし、将来、カーボン・ナノ・ファイバーに転用してもいい。

6.新聞社に発言権はあるのか
 新聞紙には70%の古紙が配合されているという。が、新聞によって、紙質が違うような気がしている。パリッとしてやや白っぽく、インクの落ちにくい新聞がある。この逆で、フニャっとして、インクで指が汚れる新聞もある。もちろん、前者の方が電車内で立ち読みするにはいい。だからといって、クォリティ・ペーパーと言っていいのだろうか。もちろん、その発表している配合率に偽装がなければの話であるし、書かれている記事が、「きのうの新聞」並ではしょうがない。

さらに、いくら、配合率が高いからといっても、新聞紙面の50%は記事ではなく広告である。しかも宅配される新聞には、新聞に匹敵するほどの折込チラシが含有されているわけだ。宅配される紙資源のうち、記事配合比率は30%ということなのだろう。

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「レトリック辞典」「日本語修辞辞典」

2008-01-23 00:00:04 | 書評
数年来、枕になっていた二冊をまとめて読む。いずれも野内良三先生というフランス語の教授の方が書かれている。出版社は国書刊行会という、非常にヘビーな本を出しているところで、何しろ、函入りである。さらに辞典である。



しかし、実際のところ、この二冊を辞典として使う人はいないのだろう。実際に文を書くときに、「迂言法」により「修辞的否定」を織り込みながらも「くびき論法」で「転位修飾法」を使おう、とか考えることはない。だいたい、表現というのは、文章の基本構造とそれに論理的アクセントをつけるレトリックからなっている。もちろん、その前に、表現するべき内容が先にないと話しにならないが。大学の文学部の創作などの基礎的な勉強に使うのではないだろうか。

野内先生は、このレトリックに「文彩」という日本語をあてはめている。なんとなく、「美しい日本語」の世界である。

しかし、フランス語でのレトリックには、文章の「修飾(修辞)」という意味だけではなく、「論理性」をも含む意味があるようだ。

実は、この二冊のうち、先に買ったのが」日本語修辞辞典」なのだが、実際の発刊は「レトリック辞典」の方が先(にもかかわらず、買った順に読んで、後で気がついた)。「レトリック辞典」は、もともとフランス語のレトリック辞典を翻訳、出版しようとしたところ、「なんらかの」理由で、出版できなくなったため、「では、日本版で」ということで、古典から現代までの文筆家に例をとり、修辞と論理の二面から論考している。ちょっと堅い。1998年。

一方、日本語修辞辞典は、7年後、2005年の初版である。こちらは、修辞の方にまとを絞って、特に現代作家のレトリック、あるいはくせを解析している。野内先生がご存知かどうかはわからないが、米国でも、一時、ニューヨーカー誌を中心に、レトリック全盛時代があった。ジョン・アップダイクやフィリップ・ロスは比喩を多用するのが大好きだ。

もちろん、修辞は、頑張ればいくつかの論理的パターンに分けることはできるのだろうが、実際の文筆家は、お得意の表現方法を持っていて、それが「文体」となっていく。「文体論」という危険な学問分野があるので、ここには書かないが、「作者の行動が文体を作る」という野間宏のような過激派から、太宰治のように、無頼派たる表現が先にあって、「文体が個人の行動を規定する」という、まったく逆のタイプもある。実際は、その中間なのだろう。たとえば、軟弱派と思われている村上春樹は、その「他人の気持ちに壁土を塗りこめる」ような表現は、作者自身の内面から発現してくるのであり、一方、肉体派と思われている三島由紀夫は、先に文体があったのではないだろうか。

実際、太宰や石川淳は、この本に多く例文を提供している。例文には文末に引用作が明記されているのだが、ページをまたがる場合は文の最初の方は、誰の作かわからないので、「誰が書いたか」想像するのも楽しみであったのだが、奇妙なことに、多くは文体から作者を当てることができる。もっとも、上に書いた作家の作品は過半を読んだことがあるからだ。

ところで、個人的には、文章を書くときにはレトリック多用型である。ある専門家の先生からは、「化学調味料」と言われたことがある。この「化学調味料」という表現は、「味の素」という商品をイメージさせながら、「本物ではない安物を、高級な味と思わせる」という「転喩」という手法である。ただ、実際に高級な味に変えてしまうのか、単に錯覚させるだけなのかは大きな違いであり、その辺が、「化学調味料」と言われて、喜ぶべきか悲しむべきかわからないところなのだろう。

この「しょーと・しょーと・えっせい」では、レトリックを多用したいところを、ジッと我慢している。でもないかな・・

ガソリン税の話

2008-01-22 00:00:22 | 市民A
45c2d995.jpgまさか、ガソリン税が政局になるとは思っていなかったが、もしかすると、政権投げ出しのキッカケになるかもしれない。実際は暫定税率問題は、これだけではなく、逆に税額が減少する暫定措置も多い。石油関係では石油化学用のナフサの石油税(2円/L)の免除とか、なくなれば、日本の石油化学産業は壊滅するはず。まさか免税措置がなくなるとは思っていないから黙っているのだろう。同様に、軽油の暫定措置(こちらは17円/Lの上乗せ)もある。もともと巨額な税源が「暫定措置に依存している」という危うい財政構造だったことが露見してきたとみることもできる(俗に言えば、ボロが出た)。

しかし、このガソリン税の問題というのは、百家争鳴問題で、立場によって言うことはまったく異なる。要するに、払う方の問題と使う方(道路特定財源)の問題が混在しているのでわかりにくい。

とりあえず、払う方の問題から考えてみる。

まず、税金単価だが、ガソリンは53.8円/Lと言われるが、実は、悪名高い「タックス・オン・タックス」制度があり、このガソリン税にさらに消費税が上乗せになっている。つまり、53.8円/L×1.05=56.5円/L。一方、軽油税には、なぜか消費税がかからないため、32.1円/Lである。また、主にタクシーの燃料である石油ガス(ブタン)には9.8円/Lの税金だが、石油ガスはガソリンより燃費が悪いため、ガソリン換算すると14円/L程度になる。

そして、戦後直後にガソリン税が導入された時には、まだ、代替燃料車(アルコールなど)というのがあって、それとの価格差を調整するという名目だったわけだ。その後、道路整備のための目的税ということになる。軽油については、奇妙なことに、ガソリンとの不平等感というところから税金が導入される。軽油税の方がガソリン税より安い理由は、一にガソリンは個人ユーザー主体なので、取りやすい、ということに尽きるだろう。軽油ユーザーは主にトラック事業者であり、トラック協会を作って、一時、道路族をしのごうかという強力組織だった。そしてタクシー業界には、国際航業のO氏をはじめ、これも強大な政治勢力が抵抗していたわけだ。

そして、グラフ化してみると、昭和49年あたりから、税金がぐんぐんと増えている。要するに、田中角栄氏の訴える所得倍増計画により全国に高速道路網を充実させる、という命題だった。さらに、軽油については、1993年に最後の増税が行われているが、東京佐川事件勃発によりトラック協会が壊滅的打撃を受けた隙に道路族が新財源を勝ち取ったことによる。

その結果、まったく不合理、不平等の税金体系ができあがったわけだ。もっとも、ガソリンを下げて、軽油やタクシーを上げようとしても政治献金や御用学者、御用ペーパーが反対して、どうせ何も変わらないだろうとは簡単に想像がつく。

それで、ガソリン税を下げると環境負荷が増す、というのは本当なのだろうか、あるいはそうではないのか、というのは、実際にはかなり難しいことになる。その前に、暫定税率が26円下がると、小売価格がどうなるかということだが、20円程度しか下がらないのではないだろうか。つまり中間業者が値上げ未達で困窮しているわけなのだから、その部分が先取りしてしまいそうだ。では、燃料転換、或いは省エネ効果だが、灯油や重油のような暖房燃料はガスや電気に置き換わりつつあるのだろうが、ガソリンや軽油はエンジンで使われるため、代用燃料があるわけでもない。もともと税金が高いので、無駄に走る人が少ない日本では節約の余地は極めて僅かだろうと思われる。

逆説的に言うと、税率が下がると、価格転嫁が進み、それが産油国の自信を深めることになり、さらに原油価格は上昇に向っていくのではないだろうか。産油国にとってのベストシナリオは、有限資源である原油の生産を増やすことなく売り上げ(つまり原油価格)をつりあげることであり、消費国政府が減税という値上げアシストをすること自体が、まんまと罠に嵌ったことになる。

一方で、原油の生産国の事情を考えれば、しょせんは生産量を引き上げることは、自国の資源枯渇を早めるだけなのだから、好ましくない選択である。したがって価格に関係なく、生産量は変わらない。つまり、日本でセーブしたものは別の国が使うだけなんだから、関係ない、という説もある。


一方で、使う方(道路)に眼を向ければ、日本の道路は高すぎる。だいたい、道路ではなく鉄筋コンクリートの構築物になっている。最後にうっすらとアスファルトを乗せて完成。欧州の高速道路などは、多くは地面の上に、普通の道路のようにアスファルトで道をつくり、せいぜいフェンスで周りを囲う程度だ。地震大国日本はわざわざあぶない空中に道路を作り、脚の補強をする。法外に高くなる。そして、本当に地方がほしいのは、道路ではなく道路工事なのである。つまり、ストックではなくフロー。つまりきりが無いのである。

そして、本当に地方で道路が必要ならば、お上が一旦集金する方法ではなく、中央政府は高速道路と国道建設費分を税金として集め、地方道は各地方ごとに集金すればいいのではないだろうか。必要な道路資金はガソリン税と地方債を発行すればいい。カネが集まらなければ道路を作らなければいいだけだ。


そして、なぜ、土建屋論理がまかり通るのか、ということだが、市民が大人しいからに違いない。今でも東京の霞ヶ関の周辺では、よくデモ隊が騒いでいる。給料上げろ、か、定員数削減反対。たまに聞いていると、教員とか職員とか公務員が多い。ようするに、霞ヶ関に行って、下級公務員が上級公務員に対してゴネているだけだ。市民はデモもしない。

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落語人生&日本のしきたり

2008-01-21 00:00:07 | 市民A
野村證券がユーザーサービスとして提供している「野村の自由学校」はNHKが制作し、一部のケーブルテレビや野村證券の支店セミナーで観ることができる。毎回二人の有名人が、各1時間ずつ、キャスターを交えてのトークだが、2008年1月は「桂三枝のわが人生」と歴史学者飯倉晴武氏の「日本人のしきたり」。トークというなら三枝師匠の方が圧倒的に面白いはずなのだが、そうでもなかった。

自分の人生、特に創作落語という分野を真面目に解説。実際、創作落語を187編作ったそうだ。最近では、他の師匠も三枝作を高座で披露したりしているという。そして、なぜ創作落語に至ったかという話だが、長々と話していたが案外簡単なプロセスのようだ。

ごく簡単に言うと、大学で落語をやっていて、卒業後、五代目桂文枝に入門して稽古中の身だったのにもかかわらず、ちょっとしたきっかけで、ラジオの深夜番組のパーソナリティの席を得る。その後、次々とテレビに出演するようになるのだが、かたや古典落語はなかなかお客の受けを得られない。高座に三枝を聞きにくるお客さんは「まくら」の部分で盛り上がるが、肝心の落語の受けは得られない。

そのため、古典落語でもなし、トークでもなし、ということで、古典落語のアレンジというところから創作落語の世界を創っていったというようなことだそうだ。しかし、あくまでも時代を超えて残るものという気持ちでやっているそうで、古びた部分は手直ししているということ。ただ、古典と違って、噺家もお客さんも、予備知識がないのだから、それぞれ大変だそうだ。以上で1時間終わり。


意外にも面白かったのは、飯倉先生の「日本のしきたり」の方。昨年のベストセラーの一つらしい。要は品格シリーズの派生商品かもしれない。トークを聴いた限り、多くは私でも知っていたことが多く、そんなもので新書なんかすぐできるんだ・・ということもあるのだが、もちろんまったく新しいこともある。

まずは正月ということで、神社の正式な参り方。まず、神社の敷地に入る時に、一礼が必要だそうだ。その後、手と口をすすぎ、ちゃんとお賽銭を投げてから鈴を鳴らして、二礼二拍手一礼ということ。特に神社に入るときの一礼を忘れる人が多いそうだ。お賽銭の相場についてはもちろん言及がなかった。常識的に言えば、10円玉一個で10個も願をかけるのは強欲すぎるのだろう。

次に3月3日。桃の節句は桃が邪鬼を払う木ということだそうだ。本当は、雛人形ではなく、紙を人形の形に切って、その紙人形に自らの穢れを移して、川に流すということらしい。結構、怖い話だ。なんとなく、さらに昔に遡ると、人柱を川に放り込むというような気もする。「雛人形を早く片付けないと嫁に行きそびれる」という伝承についてまで解説されたのは、まったく余計なお世話だった。

5月5日は端午の節句。驚いたことに昔は女性の日だったそうだ。梅雨の時期と言えば田植えで、早乙女ということばが残っているように、女性の仕事だった田植えがうまくいくようにというワーキングレディのための祝いの日だそうだ。ついでに鯉のぼりの話になり、「現代では鯉のぼりを立てるために必要な庭を持つ家がなくなってしまった」と断定されていたが、いくらなんでも、それは言い過ぎだろうか。気持ちはわかるけど。

7月7日。七夕。中国の伝承で、仲のいい夫婦が、とある神様を怒らせたために離れ離れにされ、1年に一度しか、逢うことが認められないことになるという悲恋物語だそうだ。というか、その話はよく知られている。さらに言えば、文化大革命の頃の中国では、都会から地方への出稼ぎ(下放)と呼ばれる国家ぐるみの成人男性強制連行が行われていて、国慶節の数日の休みの時しか、家に帰ることができなかった。

9月9日。この日の話は面白かった。重陽の節句。特に菊の季節ということで、酒に菊の花びらを入れて飲んだり、「着せ綿(きせわた)」というのがあるそうだ。菊の花を綿でつつんで一晩おいておくと、朝、綿は菊の花の水分を吸ってしっとりとしていて、それで顔をふくと美しくなると言われていたそうだ。

そして時代はちょうど1000年遡り、源氏物語の世界である。紫式部日記に登場する話だが、藤原道長の妻から紫式部に、この着せ綿がプレゼントされたそうだ。案外、失礼な話だ。それに対して一句したためて、突き返したということを紫式部が書いている。

 菊のつゆ わかゆばかりに袖触れて 花のあるじに千代はゆづらむ

「私はもう若くないので、ちょっとだけ若返るために袖を触れるだけにするので、あなたこそ千年の長生きしてくだされまし」というような感じだ。

実は、丸谷才一の「女ざかり」という小説に、道長と紫式部の関係についての論考が登場し、丸谷氏は登場人物の国文学教授の口を借り、「二人は関係したことがある」と結論付けていた。やはり、道長の妻は夫の愛人の存在に気付いていた、ということなのだろう。(ただし、この歌については、本当に紫式部が畏まって、もったいないからお返ししたという心の素直な学者の説もあるのだが、それではあまり面白くない。)

そして、これらの節句のしきたりは「ハレ」の文化ということで、普通の「ケ」の日のしきたりについては、人口密集地の江戸のしきたりについての話がある。「江戸しぐさ」といい、代表的な江戸風のしぐさが4つ紹介された。

 傘かしげ・・江戸は狭いので、雨の日に歩くときは傘を傾けて歩け、ということ。

 こぶし腰浮かせ・・乗り合い渡し舟のようなところ(現代なら山手線)で横長の椅子に座る場合は、端からこぶし感覚で詰めて一人でも多くの人が乗れるようにしなければならない。

 稚児しぐさ・・沖縄の成人式のこと。ガキみたいなことをやめる日なのに・・

 魚屋しぐさ・・江戸の魚屋は天秤棒で魚の入った桶を左右に振り回しながら歩いていたが、それらが人にぶつからないように微妙に配慮していた。また、出刃包丁のような危険な道具をこどもに見せてはならない。

例の三ヶ国語(英中韓)に翻訳して 東京の町中に貼っておかないといけないだろう。それと国技館にはモンゴル語で。

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象の鼻地区

2008-01-20 07:54:30 | 歴史
象の檻といえば、米軍が世界に張りめぐらせた電波情報収集基地のことで、世界中に10~20個所と言われ、日本では三沢基地の近くにある。巨大なアンテナ網が象の檻をイメージするところから、この名前がついたといわれるが、起源が不明だ。日本の動物園の象は、檻ではなく濠の中にいることが多い。

そして、象と米軍という組み合わせで言えば、横浜港で整備中のある地区にも象の名前がついている。

象の鼻地区。



なぜ、象の鼻かというと、この狭い岸壁の外側に海に向って右から左へ延びた心細い防波堤が、象の鼻の形をイメージするからだ。内側の入り江状の岸壁が象の口ということになる。

では、米軍との関係は何かというと、米国東インド艦隊司令長官が上陸した場所なのだ。

時は1854年、3月3日。前年7月に、黒船4隻で押しかけて砲艦外交を展開し、開国を迫ったペリーが、「1年後に、I Shall
be return.」と言って姿を消してから、半年後に今度は7隻で押しかけ、ついに、この場所から上陸し、日米和親条約を締結する。

もちろん、当時は象の鼻などあるわけないだろう。なにしろ大型軍艦なのだから、少し沖で小舟に乗って砂浜に向かい、提督の靴が濡れないように下っ端水平が肩に担いで陸地まで連れて行ったのだろう。

場所は、今の大桟橋の根元のところで、東急みなとみらい線の日本大通り駅から3分くらいの場所。

そして、その後、横浜が国際港に発展する歴史上のある段階で、ここに象の鼻と言われる防波堤ができる。実際は、今見れば、随分と貧弱な堤防で、これではあまり役に立たないのではないかと、思うのだが、事実、堤防に乗り上げる船も多く、結局、使われなくなり、現在は横浜税関の小型船が繫がれている。密輸船情報とかあると、この小型船で取り締まりにいくのだろう。

ところが、現在、この象の鼻地区の整備が始まった。実は、来年2009年6月2日が横浜開港150周年記念ということで、その事業の一つの核が、この地区の整備らしい。現在、陸上部分の整備工事が進んでいる。漠然とした予想だが、『ペリー提督上陸の碑』とか『日米和親条約締結の碑』とかの何らかのモニュメントができるのではないだろうか。

個人的な意見ではあるが、「砲艦外交に屈した結果結ばれた不平等条約を称えるような記念碑」を立てる独立国など聞いたことはない。別に米国が嫌いということではまったくないが、そこまでサービスすることはないだろう。まあ、世界に誇るつもりなら、鎖国下の日本にも開国派は大勢いたという先進性の方ではないかと思っている。米国海軍の蒸気船を「黒船」と素直に表現した日本に比べ、同時期に隣の半島で鎖国していた国では「異様船」といって、そのつど外国人を殲滅していた、と今でもいばっている。



ところで、開港記念日のことだが、6月2日が正しいかどうかについては、色々と諸説がある。この開港を規定したのは、日米和親条約に基づく諸協議の結果なのだが、当初は米国の独立記念日である1859年7月4日だったのだが、その後、オランダとの交渉で開港日が7月1日になる。ところが、日米和親条約の中に悪名高い『最恵国待遇』があるために、自動的にアメリカに対しても7月1日に開港することになる。そういう意味だと、実質的な開港は7月1日が正しい。6月2日になったのは、日本側の開港前パレードが行われた日らしいのだ。

それで、この『最恵国待遇』だが、実は、規定はあまりにも短い。

原文にあたってみる。



まず、日米和親条約だが、正式名称が異なる。

日本國米利堅合衆國和親條約。大して難しくないのだから、通称で呼ぶ必要などないような気がする。これだから日本人の学力が落ちる。

全12条からなるこの条約の第9条が最恵国待遇である。あっさり書かれている。

 第九條 日本政府外國人ヘ當節亞墨利加人ヘ不差免候廉相免シ候節ハ、亞墨利加人ヘモ同樣差免許可申、右ニ付談判猶豫不致候事

「契約書で最も重要なことは、最も短いことばで書かれる」とはマーフィーの法則だっただろうか。

ペリーは日本に来る前にメキシコで大暴れをして、いわゆるマッカーサー方式の占領統治をしていた。日本でも同じように暴れるつもりだったらしいが、大統領からは発砲許可を得ていなかったとも言われる。米国で有名なのは彼のお兄さんの方で、南北戦争で北軍の大勝利に終わるエリー湖の戦いの主役だったそうだ。日本に来たペリーの方は大統領の椅子を狙っていたとも言われるが、実は、横浜開港の日を待つことなく1858年に没している。つまり、今年3月4日は、彼の没後150年ということになる。

次の一手を指してしまった男

2008-01-19 00:00:19 | しょうぎ
26e3bab3.jpg今月発売の将棋世界誌2月号は、昨年11月24日に亡くなった真部九段への追悼文が多数寄せられている。午後4時から飲み始め、朝4時になったことがある、としながら「体調のこともあり、私より先に死ぬだろうな、と予感していた」と書く中原16世名人のデリカシーはおいておくとして、直接の弟子である小林宏六段が、いとも奇妙なエピソードを紹介している。真部九段の絶局についてだ。

その絶局となった対戦は、10月30日、将棋連盟で指されたC2組順位戦の豊島四段戦。真部九段は後手番で中飛車である。そして、豊島四段が▲6七銀右と指した後、午前11時58分、僅か33手で投了する。まだ、中盤戦であり、体力的限界で、ここで投了せざるを得なかったこと、無念の極みだったに違いない。当日、将棋連盟で同時対局だった小林六段は、真部九段の状態を見て、最後までは指せないだろうと直感したそうだ。

しかし、後日、小林六段が真部宅を訪ねたところ、投了図で△4ニ角と打ち、さらに△9ニ香から△9一飛と回り、端から突破する新手を用意していたということを明かされたそうだ。「では、なぜ角を打たなかったのですか?」という小林の問いに、「角を打つと相手が長考するだろ。そうすると投了できなくなってしまう」と答えたとともに、九段は、「誰か、この手を指してくれないかなあ」と言ったそうだ。

本来は、言われた弟子が次の手を指せばいいのだが、実戦では相手もあることだし、すぐにそういうことには成り得ないはずだ。

が、・・・

既に、棋界が真部九段を失った直後、11月27日に一斉に行われたC2組順位戦で、小林は驚愕することになる。ある対局で、絶局とまったく同一局面が出現していた。そして後手番の棋士が指した一手は△4ニ角。つまり、真部九段が心に秘めていた新手である。

その対局は、先手村山五段、後手大内九段。つまり、次の一手を指したのは大内九段ということになる。

小林の心は揺れ動く。大内九段は、果たして真部九段の絶局を知っていたのか?なぜ、見つけにくい次の一手を知っていたのか?

果たして、長考に沈んだ村山五段に対し、後手の遠大な端攻め構想が実現し、先手は▲8九銀と理外の手で時間を稼ぎ、逆方向に早逃げし、不利ながらも決め手を与えず、大内九段が大技を逡巡しているうちに最後に逆転する。将棋に勝って、勝負に負けたというような結果になる。

ここから先は、同じく将棋世界誌に「千駄ヶ谷市場」という連載を持つ先崎学八段の筆による。大内-村山戦の感想戦は午前2時まで続き、そこで先崎は、△4二角の周囲の事情を説明する。大内の眼は大きく見開かれ、まったく知らなかったことを明らかにするとともに、「残念だね。勝ってやらなきゃいけなかったな」と言い残し、夜の闇に消えていったということだ。

ところで、12月1日付け弊エントリ「美学破れたり」の中で紹介したように、真部×大内間には深い片因縁がある。以前、病気で苦しむ真部九段が大内九段と対局した際、大内九段がなにげなくつぶやいた一言「唸る病人、助からぬ」である。後に、自らの手記で、この時のショックについて触れている。

次の一手を指したのは、もっとも引き継いでもらいたくない棋士だったのかもしれない。

ところで1月24日夕6時より7時まで、真部九段のお別れ会が執り行われる。将棋連盟の二階研修室という、内輪の場所であるので、直接の面識がない私は、その時間にどこかで手を合わせようかと思っていたが、手帳でスケジュールを確認すると、ちょうど東京から西方に向って飛行中のはずだ。あまりのタイミングの一致で、一緒に西方浄土に連れて行かれそうな予感がするので、数時間早い便に変えることにしたのだ(そういう時に限って、運航に遅れが出て、ジャストタイミングになったりするものだ)。

26e3bab3.jpg1日5日出題作の解答。

▲3三桂 △5一玉 ▲5四香 △5三桂(途中図1)▲同香不成 △同飛 ▲5ニ香 △4ニ玉 ▲4四香 △4三飛(途中図2)▲3四桂 △5三玉 ▲4三香成(途中図3)△6四玉 ▲5四飛 △6五玉 ▲4七角 △同香成 ▲7七桂 △5六玉 ▲7六龍 △4五玉 ▲4四飛 △3五玉(途中図4)▲2七桂 △2五玉 ▲4五飛まで27手詰

ややこしい問題を出題すると、解説が大変、という事実に気付いてがっくりしているのだが自業自得か。

26e3bab3.jpgまず初手は逆王手なので王が動くか、桂打ちか。正解は桂打。3手目の▲5四香で早くも合駒さがしだが、桂合が最善(途中図1)。▲5ニ香の直打ちに同飛は▲4一桂成△同玉▲3三玉と王様の出動で詰む。そして▲4四香には△4三飛(途中図2)と移動合で対抗するが、駒を打つと、▲3四桂以下龍が潜って詰む。そして一旦▲3四桂打で拠点を作ってから▲4三香成と飛車を取る(途中図3)。これを△4三同玉と取ると▲4一飛と離し飛車を打たれ、正解手順より追手が早く、途中で捕まる。

そして、しばらく王様の追廻しになる。途中で不要になった角で4七の桂を入手(△同香不成は最後に桂が余る)。そして残る3手のところまできて(途中図4)挫折寸前に、飛車のバックステップで決める。フィギュアスケートのようにいくつかの技を組み込んだのが、逆にわざとらしいのかもしれない。玉方の9六角はいくつかの早詰の防止用だが動かないのがイマイチ。

金銀を使わないのを貧乏図式と言ったような記憶があるのだが、初型に玉方6一桂を配置して4手目を桂の移動合にしてみると、初型での飛角桂香総出演の大貧乏図式になり、9六角の違和感もほんの僅かに薄れるような気もする。




26e3bab3.jpg今週のテーマは、「方向違い」。いわゆる「ソッポ」とは異なって、一旦別れた駒と再開することになる。細かな前半と軽快な後半。

簡単なのか難しいのか、よくわからない。

解けたと思われた方で、コメント欄に最終手と手数と酷評いただければ正誤判断。



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横綱の張り手は卑怯じゃないかな?

2008-01-18 00:00:53 | スポーツ
朝青龍が奮闘している。5日間で4勝1敗。単に計算だけだと15日終わると12勝3敗になって、まあ、なんとか次の場所へ『残った、残った』ということになる。

ところが、5日間に4回も立会いに「張り手」を使っているそうだ。立会いで立った後、相手の顔を平手打ちにして、『あっ』と思わせた隙に有利な体勢に組むわけだ。相手をカッとさせ冷静さを失わせる効果もあるだろう。張り手だけで倒れる相手はいないだろうから、どちらかというと奇策の部類。横綱戦は一日の最後の取り組みなので、対戦相手にしても、顔を張られて赤くなったばかりでは、夜の銀座に繰り出しても女性ホステスにもてない。

それに、この技を横綱が使うと卑怯な感があるのは、いくらバッシングされているとはいえ、相手は横綱。下位力士が平然と使える技でもない。やられっぱなしなわけだ。

ところで、相撲史の中の伝説に同じような話があるのが、史上最強力士と言われる雷電為右衛門。生涯254勝10敗の不滅の記録保持者は四つの技を禁止されていたという説が残る。突っ張り、鯖(さば)折り、閂(かんぬき)、そして張り手だそうだ。彼の張り手を受けると、一瞬で土俵上に失神するとは落語で有名である。彼は一場所全休したあと、潔く引退した。

しかし、同様に国民的競技だった野球を例にあげれば、張り手は投手が打者の頭を狙って投げるビーンボールのようなもの。お行儀のいい話ではないが、米国ではビーンボールを投げると次の回の味方の攻撃の時に、お返しのビーンボール返しがくることが多い。再び大相撲に話を戻せば、次の回というのは春場所のこと。横綱に対して先に手を出すのは礼に反するも、答礼の儀についてはお咎めなしだろう。

毎日が、張り手返しの嵐になるのではないだろうか。

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立体感のない音って

2008-01-17 00:00:58 | 音楽(クラシック音楽他)
アナログ音源をノートパソコンのマイク入力につっこんで無理やりディジタル化すると、モノラルになってしまった。聴くまでもなく、ソフト上で画像表示される音量(デシベル)が常に左右同レベルなのでわかるのだが、念のためにヘッドフォンで聞いてみると、まったく感じの違う異次元の世界になる。遠近感のない平板な世界。現実の世界から遊離した感じだ。違う世界に引き込まれそうなめまいを感じ、少し、こわくなる。

その時、思ったのが、ある女性のこと。

中華圏ネーム、ピン・チー・プー(濱崎歩)、日本名、浜崎あゆみ。7年前から患っていた左耳の聴覚異常が悪化して、ついに回復不能になったと北京から発信。春からのアジアツアーは予定通りということらしい。

つまり、彼女が聴いているのは、モノラル的な音ということになる。(実際には右側の脳だけが働くということになるのだろうか。よくわからない。)ずいぶん違うように聞こえているのだと思う。実際に左耳を指でふさぐと、実感的には音量は1/4くらいになった感じがすると思う。

ところで、自分の話だが、耳も目も左右の効きが少し違っている。耳は右、眼には左がほんの僅かに難がある。さらに、何年か前に風邪気味なのに飛行機に乗ったら、完全に耳がやられてしまったことがある。外部の音が水中の音のように聞こえていた。外の音がまったく別の音程で聞こえるわけだ。治るまでに3ヶ月かかった。今でも飛行機に乗って上昇中、下降中の状況では眠らないようにしている。気圧変化に対応して耳から空気抜きしているわけだ。

その時に感じたのだが、カラオケとかやると、とんでもない音痴になる(差別用語だったかな?)。自分の発した声自体が違う音程に聞こえるのだから、それを直そうとするとさらに音程がずれていく。聴いている方は笑いを通り越して、恐怖の顔になっていく。ちょっと日常的にありえない音楽ができあがる。

プーさんも、そこまでいかないように週に一日は耳休めの日を作って、もっとも聴力を使わない趣味である詰将棋でも解いてみたらどうだろう。結構、いろんな創作活動に共通なエッセンスは含まれていると思う。ベートーベンになるには若過ぎるとは思う。

が、実はベートーベンも20代後半から徐々に聴力を失っていた。40代後半で完全に聴力を失うも交響曲第九番を完成させている。なんて気力だ。耳は聞こえず、病は重く、第八交響曲は不評だったし、何が歓喜だ!と言いたいところをじっと我慢して人類の遺産を完成させたわけだ。

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